2023/5/25放送
「世の光」の時間です。 いかがお過ごしでしょうか、ニューライフキリスト教会牧師の豊田信行です。安息の学びも最後となりました。
聖書の中でイエスは「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28)と招いておられます 「疲れた人、重荷を負っている人」とは自分が自分の人生の最終責任者という担いきれない重荷に押し潰されそうになってる人を指しています。また、 「疲れた人、重荷を負っている人」とはとは罪責感に押し潰されそうになってる人も指しています。
罪責感は赦されない苦しみとも言えます。傷つけてしまった人、裏切ってしまった人に心から謝っても赦してもらえない。その苦しみに加えて、自分のことが赦せない苦しみもあります。
ある時、イエスのもとに中風の人、今で言うと脳血管障害等で半身不随になった人が板の上に乗せられて運ばれてきました。イエスはその人を運んできた人々の信仰をご覧になられ、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」(マタイの福音書9:2) と宣言されました。
中風を患っている人も、その人を運んできた人たちも、病が癒されることを願っていましたが、なぜイエスは半身不随になり自分では歩くことができなくなった人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われたのでしょうか。
中風という病が彼の犯した罪への刑罰だったのでしょうか? そうではありません。イエスは彼の心を四六時中苦しめていた罪責感の苦しみをご覧になられたからです。聖書は彼がどのような人生を歩んできたのか、どのような過ちを犯したのかについては何も語りません。しかし、「子よ、しっかりしなさい。」とのイエスのことばから、その人が生きる意欲を失いかけていたことが分かります。病の苦しみは人から生きる意欲を奪いますが、罪責感は生きる意欲だけではなく生きる意味さえも奪います。
イエスが「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言われた休息・安息とは、私たちが抱えている罪責感という重荷を神の御子であるイエスが引き受けて下さり、十字架の上で御自分の命をもって罪を償い、赦しを与えてくださるためです。イエスが「あなたの罪は赦された」と宣言されたのは、赦しこそがその人に生きる意欲と生きる意味を回復させるからです。神の御子イエスは「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と招いておられます。
明日は日曜日です。お近くの教会にぜひ足を運んでください。神様はあなたを待っていてくださいます。
( PBA制作「世の光」 2023.5.25放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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