2023/5/26放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? ニューライフキリスト教会牧師の豊田信行です。 今日もご一緒に安息について学びたいと思います。
安息日は金曜日の日没から始まります。ユダヤの時間概念では一日は日没から始まるのです。エッ?っと思われる方もおられるでしょう。 一日の始まりは朝と決まってる。別に誰かが決めたわけでありませんが、自然とそうなっています。
聖書の創世記には神様が天地万物を六日間で創造されたことが記されています。神様がその日その日の創造の働きを終えられたとき、「夕があり、朝があった」と一日の終わりが告げられています。最初この聖書の箇所を読んだ時、「朝があり、夕があった」の間違いじゃないかと思いました。でも間違いではないのです。
一日の始まりが朝なら活動から始まります。日没なら休息から始まります。普通に考えると、活動して疲れたから休むのであって、疲れていなければそもそも休む必要がありません。なぜ疲れてもいないのに休息から始めなければならないのでしょうか。聖書が約束する安息とは疲れたから休むものではないのです。
「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあります。自分にできること全てを出し尽くしたら、あとは天命・宿命に身を任せるとの意味です。しかし望ましくない結果が出たとき、その結果を天命・宿命として受け入れることができるでしょうか。自分の努力が足りなかった、もっと頑張ればよかったと悔やみ、自分を責めたりしないでしょうか。
旧約聖書の預言者エレミヤは、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29:11)と神様からのメッセージを語りました。
聖書が日没を一日の始まりとするのは、神様は一人ひとりに将来と希望を与える計画をしっかりと立ててくださっていることにまず心をとめるためです。私たちは偶然の産物ではないのです。そしてたとえ望ましくない結果が出たとしても、それでも神様の計画が変わらず将来と希望を与えてくださることを覚えるとき、約束された安息をいただけるのです。
ぜひあなたの人生にも素晴らしい計画を立ててくださってる神様を心にお迎えしていただきたいと思います。あなたの人生には将来と希望があるのです。
( PBA制作「世の光」 2023.5.26送でのお話しより )
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