2022/6/20放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り、心の糧とするなら、不思議にも自然に養われてくるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日から私、福井誠が一週間担当いたします。今日はサムエル記第一31章12節から「夜通し歩いて行き」と題してお話しをします。
「勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。」
ここには、イスラエル最初の王様サウルが敵のペリシテ軍に殺されてしまう、サウル最期のエピソードが書かれています。このサウル王の生涯をどのように読むのか。しばしば、後継者のダビデ王とサウル王が比較されて、ダビデ王は良い王様で神様に愛され、サウル王は神に敵対し神に憎まれたと受けとめている方も多いかもしれません。
しかし、今日の箇所を読むと、どうもそうではない。ダビデもサウルも神に愛された、と思うところがあります。
というのは、サウルの時代、イスラエルの国は王制国家となりましたが、その国は決して安定してはおらず、周囲を強敵に囲まれ、いつでも瓦解する危険性のある極めて不安定なものでした。
つまり、荒野の40年間奇跡的に守られた先祖たちと同様で、神の守りがあればこそ存続していた国であった、ということです。神がサウルに敵対しダビデに味方していたということはなくて、神はサウルも愛し、サウルの働きを支えておられたということです。
実際、神のサウルに対する心遣いは、サウルの最期が散々な悲劇で終わっていないというところで明らかでしょう。ベテ・シャンの城壁にさらしものにされたサウルの死体を、いのちの危険を犯して取り戻し、イスラエルの習慣に沿って丁重に葬った人々がいたことが記録されています。たとえ、サウルのように不機嫌に満ち、憎悪と嫉妬と暴力を露わにする王であっても、神はその死を粗末にはされなかったのです。
私たちは不誠実であっても、神は真実です。神の恵みの中に歩みたいものです。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
( PBA制作「世の光」 2022.6.20放送でのお話しより )
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