2022/6/21放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、サムエル記第二1章23節から「愛される立派な人だった」と題してお話しをします。
「サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。」
昨日は、イスラエル最初の王サウルの最期についてお話しをしました。その知らせを聞いたダビデがサウル王のために哀歌をささげています。しかし、サムエル記第一を読み通された方は理解しておられると思いますが、ダビデ王はサウル王に長い間いのちを狙われ、幾度も追い詰められてきた人です。長い戦いが終わったのです。ダビデはさぞホッとしたのではないかと思うのですが、実際にはダビデにとってそれは喜びと解放の日ではなく悲しみと哀歌をささげる日でした。
まずそれはイスラエルの敗北を悲しんで、ペリシテ人がこれをことさら喜ぶことのないように、と願うものです。そして、「サウルもヨナタンも、愛される立派な人だった」と、サウルについてもその名誉を認めています。最後にダビデはヨナタンの死を悲しみ、ヨナタンの愛を「女の愛にまさって、すばらしかった」と評価しています。
興味深いことは、ダビデがこの哀歌をユダの子らに教えるように命じた点です。つまり、この詩は単なる哀歌ではなくて、苦労を共にしてきたユダの人々への教育であり、戒めのためにも読まれたのです。
そのような目で読み返してみると、この哀歌で歌われていることはサウルやヨナタンに対する賛辞が中心です。ユダの人々はサムエル記第一に記録されたサウルのダビデに対する厳しい仕打ちとその苦労を知っていたことでしょう。にもかかわらず、ダビデはサウルの勇姿を称え、覚えられるように教えていきます。
色々とあっても、やはり人間は愛すべきもの、赦し、心通わせて生きるべきもの、と言いたいのではないでしょうか。
しかし、この後ダビデはこの歌を歌ったとは思えないほどの心の堕落に陥るわけです。大事なことを忘れやすい人間の弱さがある。そのようなことを覚えていきたいものです。
今日もよき一日となるように祈ります。
( PBA制作「世の光」 2022.6.21放送でのお話しより )
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