2022/5/10放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
昔、『愛と誠』というマンガの本がありました。今日は「恵みと誠」がイエス・キリストによって実現したことをお話ししたいと思います。では、ヨハネ福音書の1章17節を口語訳で読みます。
「律法はモーセをとおして与えられ、恵みと誠とは、イエス・キリストをとおしてきたのである。」
まずユダヤ人にとってモーセの律法は。神から自分たちに与えられた特別なことばですから高く評価していました。律法は神様からのものですから良いものでした。私たち人間の罪を示し、人々に罪と悪を認めさせる働きをしました。
しかし、律法では私たちの罪を指摘することはできても、罪人の罪を赦し、罪から罪人を贖い救うことはできなかったのです。すなわち、ヨハネは「モーセの律法には恵みとまことが無い」と言いたいのではないでしょうか。しかし、恵みと誠はイエス・キリストによって実現し、私たちはイエス・キリストによって救出される、と作者のヨハネはこれから語ろうとしているのです。
イエス・キリストこそ奇跡の力を持ち、人々の心を神に心服させ、服従させることのできる能力を持っておられました。しかも、イエス・キリストはその能力をご自分の栄光のためではなく、神からの賜物・贈り物として、神と人々のために誠をもって用いてくださったのです。「誠」という漢字は、言偏で右が「成る」と書きますね。イエス・キリストは言ったことをその通り実行しました。
しかし、注意しなくてはならないのはモーセの律法は間違っているとヨハネは言っているのではありません。モーセの律法は、「きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。」とコロサイ人への手紙2章17節で使徒パウロは語りました。モーセの律法は、「恵みと誠」であるイエス・キリストの影だったのです。この影をたどっていきますと本体であるイエス・キリストが登場するのです。モーセの律法が、かつて石の板に記されました。しかし、恵みと誠は私たちの心に刻まれるのです。
主なる神はこう言われました。
「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。」
エレミヤ書31章33節
( PBA制作「世の光」 2022.5.10放送でのお話しより )
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