♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエス・キリストは神 / 板倉邦雄

2022年10月12日 | Weblog

2022/5/11放送

「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「イエス・キリストは神」という題でお話ししましょう。では、始めにヨハネの福音書1章18節を口語訳でお読みいたします。

 「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。」

 今日はキリスト教にとってとても大事な教えの一つであるイエス・キリストの二性一人格についてお話ししましょう。

 二性一人格とは、イエス・キリストは神の性質と人間の性質を両方を持ちながら、一人格を持っていましたという教えです。イエス・キリストは神100%、人100%。しかし、200%にはならず100%であったのです。イエス・キリストは完全な神であると同時に完全な人でありました。ですからヨハネは、神を見た人はまだ一人もいない、と言ったあとで、父のふところにおられるひとり子の神が神をあらわしたのである、と語りました。ひとり子の神とはもちろんイエス・キリストのことです。イエス・キリストは父なる神のふところにおられたのです。そのひとり子の神が人となってこの世に来られたのです。私たちと全く同じ人間の姿をとられたのです。ひとり子なる神イエス・キリストは、父なる神の胸にいたのですから、神の胸の内を理解することができました。ですから、神を説き明かすことができたのです。

 では、なぜひとり子なるイエス・キリストが人となられたのでしょうか。それは、主イエス・キリストが神と人との仲介者となるためでした。伝道者パウロはこう語ります。

 「神は唯一であり、神と人との間の仲保者(仲介者)もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」
        テモテへの第一の手紙2章5節と6節です。

 私たちは父なる神と仲違いをしています。神との平和はありません。神であり人であったイエス・キリストだけが両者の仲介をすることができます。神のひとり子イエス・キリストは自分のいのちを代価として私たち罪人を身受けしてくださり、神の養子とするためにご自分のいのちを十字架にささげ、贖いをしてくださったのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.5.11放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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