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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あるべき人の姿/ 関根弘興

2022年10月07日 | Weblog

2022/5/6放送

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 あなたはこんな会話をどう思いますか?

  「楽しみがほしいって? それなら何か新しい物を手に入れればよいじゃないか。」
  「えっ? 退屈だって? それなら買い物にいけばいいんだよー。」

  「後ろめたいって? あ、それなら贈り物でもすればいいじゃないか。」

  「不安だって? それならもっと貯金をすればいい。」

  「人の注意をひきたいって? それなら車や派手なドレスがあるじゃないか。」

  「寂しいって? それなら映画かカラオケでも行けばいいじゃないか。」

 もしかしたら、あなたは今までこういう答えを聞き続けてきたかもしれませんね。そして、心の奥から、「いや、そういうことなんじゃないんだよなぁ。違うんだよなぁ。」と叫びたい思いを感じたことがあるかもしれません。

 私たちは3つの関係の中で生きています。まずは人との関係です。そして物との関係、そして神様との関係です。

 聖書は私たちのあるべき姿についてこう教えています。「まず、神様を心から礼拝しなさい」というところから始まるのです。「天地を創造された神様を神様としてあがめなさい」ということですね。もし、色々な物というものが神のようになっていったらどうでしょう。「すべての解決は物を得ることだ!」 そう考えるような生き方は、どこかで人生が歪んでいってしまいます。

 また、聖書は「隣人を愛しなさい」と言います。つまり、人と人の関係の基本は互いに愛することなのですよと教えるわけです。夫を、妻を、家族を、また隣人を心から愛すること、人を人として尊重していくこと。これは人間関係の基本だというわけです。相手を利用するだけ利用してしまえという発想は、人としてふさわしいものではありませんよね。また、ある人物をまるで神様のようにあがめていくのも、これはまたふさわしい生き方ではありません。
 では、私たちの周りにある物は、いったい何のためにあるのでしょう。それは、互いの生活のために利用されるためにあるのです。決してあがめられたり、愛されるものではありません。互いの生活のために利用されていく、それが私たちの身の周りの物であるわけです。

 神様を心から礼拝し、人を愛し、与えられた物を生活のために用いる、ある意味で分かりきったことかもしれませんが、今、一番忘れられていることかもしれませんね。人のあり方をもう一度点検してみませんか?


    ( PBA制作「世の光」 2022.5.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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