♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■十戒 - 自由への励まし 42 / 大嶋重徳

2018年02月08日 | Weblog
2018/1/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒の第四戒で「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)とありますが、安息日とは本来、金曜日の日没から土曜日の日没までの時間を意味していました。しかし今はキリスト教会は日曜日を安息日・聖なる日と考え礼拝をしています。これはなぜでしょうか。

 十戒第四戒は旧約聖書の出エジプト記に出てきますが、同じ旧約聖書の申命記ではこう続きます。「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。」( 申命記 5章15節) 

 申命記では、安息日とはエジプトの地で奴隷であった境遇から主の力強い御手と伸べられた腕とを持って連れ出されたことを覚える日、とされています。申命記において安息日とは奴隷から解き放たれた自由を祝う日なのです。この意味を深く理解する時、キリスト教会は安息日を、キリストの復活の日を喜ぶことへと場所を移しました。つまりイエス・キリストの復活の日曜日こそ神の力強い御手と伸べられた腕をもって罪の奴隷であった私たちが自由にされた日なのです。

 ここには安息日の安息と言うことばの本当の意味があります。つまり私たちは罪の中に生きている時、どれだけ楽しい事をしたとしても、忘年会でうさを晴らしたとしても、新年会で大騒ぎをしたとしても、魂の深い所に平安は来ないのです。深い所で安心が来ないのです。心の中には虚しさが残ります。しかし安息日を覚えて教会の礼拝に行くとき、私たちの前には十字架が見えてきます。自分の罪の中にいた時には拭い去ることができなかった魂の平安が、そこで不思議に訪れるのです。

 先日、大阪で聖書のお話をした時に、初めて教会に来られた御夫妻が、「礼拝の中で不思議に涙がこぼれてしようがありませんでした。」と話してくださいました。「それは神様の与えられた平安から来るものですよ。」とお話しすると、「きっとそうだと思います。また教会に来ますね。」とおっしゃってくださいました。皆さんもぜひ新しい年、教会得ることのできる深い安息を受け取っていただきたいと思います。

   ( PBA制作「世の光」2018.1.4放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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