2017/12/08放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
今日も最初に聖書のことばを紹介しましょう。新約聖書 第二コリント人への手紙4章16節
「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
私たちは自分の姿を見て、時々弱さを感じたり、また困難にぶつかると落ち込みやすい存在だと感じることがよくあります。それで何とかして頑張って強がって自分の弱さを隠してこらえることもしばしばあります。人生はそんな事の繰り返しかもしれませんね。
でもどうでしょう。弱さを隠して強がって生きていっても所詮それは強がりです。私が高校生の時、カンフー映画が流行りました。特にブルース・リーという人の映画を私はよく見に行ったんですねえ。不思議なのもので、映画館から出て来ると、自分がまるで映画の主人公になったかのように感じるわけです。中身は全く変わっていないのに、ただ映画を見続けたら自分がまるで強くなったような気がして来るから不思議です。人は時々、それと同じような勘違いを良くするのです。
例えば、人からちやほやされたり、少しばかり力を持ったり、また成功を収めると、自分のまるで別人になったかのように錯覚することがあるんですねえ。でも所詮、人はほんの少しの間も息を留めることもできない。そして明日のことさえ分からない弱いもろい存在なんです。本当の勇気は、自分をいかに強く見せようとするかではなく、自分の本当のありのままの姿を認めることから始まるのです。弱さがあり、明日のことすら分からない存在であることを素直に認めるということから始まるんですね。そしてそんな私たちと共に歩んでくださる救い主イエス・キリストがいてくださるからこそ勇気100倍で生きていくことができるのです。ですからパウロは「私たちは勇気を失いません」と大胆に語っていますね。
教会でよく歌われる讃美歌で『主、我を愛す』という歌があります。その詞にはこう書かれています。
「主は強ければ 我 弱くとも 恐れはあらじ」
ここに出て来る主とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは天においても地においても、一切の権威をもっておられるお方です。私たちは弱い者ですが、イエス・キリストの強さに覆われていくなら、「我 弱くとも 恐れはあらじ」、こんな生涯が始まるんですね。
(PBA制作「世の光」2017.12.08放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
今日も最初に聖書のことばを紹介しましょう。新約聖書 第二コリント人への手紙4章16節
「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
私たちは自分の姿を見て、時々弱さを感じたり、また困難にぶつかると落ち込みやすい存在だと感じることがよくあります。それで何とかして頑張って強がって自分の弱さを隠してこらえることもしばしばあります。人生はそんな事の繰り返しかもしれませんね。
でもどうでしょう。弱さを隠して強がって生きていっても所詮それは強がりです。私が高校生の時、カンフー映画が流行りました。特にブルース・リーという人の映画を私はよく見に行ったんですねえ。不思議なのもので、映画館から出て来ると、自分がまるで映画の主人公になったかのように感じるわけです。中身は全く変わっていないのに、ただ映画を見続けたら自分がまるで強くなったような気がして来るから不思議です。人は時々、それと同じような勘違いを良くするのです。
例えば、人からちやほやされたり、少しばかり力を持ったり、また成功を収めると、自分のまるで別人になったかのように錯覚することがあるんですねえ。でも所詮、人はほんの少しの間も息を留めることもできない。そして明日のことさえ分からない弱いもろい存在なんです。本当の勇気は、自分をいかに強く見せようとするかではなく、自分の本当のありのままの姿を認めることから始まるのです。弱さがあり、明日のことすら分からない存在であることを素直に認めるということから始まるんですね。そしてそんな私たちと共に歩んでくださる救い主イエス・キリストがいてくださるからこそ勇気100倍で生きていくことができるのです。ですからパウロは「私たちは勇気を失いません」と大胆に語っていますね。
教会でよく歌われる讃美歌で『主、我を愛す』という歌があります。その詞にはこう書かれています。
「主は強ければ 我 弱くとも 恐れはあらじ」
ここに出て来る主とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは天においても地においても、一切の権威をもっておられるお方です。私たちは弱い者ですが、イエス・キリストの強さに覆われていくなら、「我 弱くとも 恐れはあらじ」、こんな生涯が始まるんですね。
(PBA制作「世の光」2017.12.08放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。