♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■祈りの態度 / 関根弘興

2018年02月09日 | Weblog
2018/1/5放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
聖書は祈りの大切さを教えています。でも祈るとはどういうことなのかよく分からない、どのように祈ったらいいのか分からない、と思う方もいらっしゃるでしょう。イエス・キリストと生活を共にしていた弟子たちもどう祈ったらよいのか分からなかったようです。そこで弟子たちはイエス様に、「イエス様。私たちに祈りを教えてください。」(参照ルカ 11章1節)とお願いしたんです。そこでイエス様は祈りについて教えてくださいました。何回かに分けて私たちの聖書から祈りについて学んでいきましょう。

 まず祈るとき、基本的な態度についてイエス・キリストはこう教えられました。「祈るときには人に見られるためではなく、奥まった部屋に入って父なる神様に向かって祈りなさい。」(参照マタイ 6章6節 ) こう言われたんです。

 当時のユダヤ人にとって祈りは日常の出来事でした。彼らは朝9時、正午、午後3時にエルサレムの神殿に向かって祈る習慣がありました。その中でも、律法の専門家やユダヤ教の熱心な信徒集団であったパリサイ派の人たちは、会堂や通りの四つ辻で熱心に祈ることが多かったんですねえ(参照マタイ 6章5節)。それは自分が宗教的に立派だと思われたいがために、人に見せるために祈っていたのだ、とイエス様は厳しく彼らの姿を批判なさったんです。

 そこでイエス様は、祈りは人に見せるためのものではなく、神様と自分との差し向かいの大切な語らいの場だ、ということをまず教えられたんです。

 それからもう一つは、「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。」(マタイ 6章7節)と教えられたんです。つまり、祈りは決して呪文ではないんですよ、ということですね。特別なことばをただ繰り返し唱えれば御利益があると言うようなものではないのですよ、とおっしゃったのです。

 祈りは神様との親しく語る会話のようなものです。神様は私たちをご自分との信頼関係の中に招き入れてくださっているんです。そして聖書は、神様が私たちを愛し、私たちの最善を願い、私たちの必要をよく御存知なんだ、と教えています。ですから私たちはこの神様を信頼して、どんな時にも神様に委ねながら祈ることができるんです。そして神様は私たちの祈りに耳を傾けて聞いてくださるお方です。だから自由に、いつでもどこでも、あなたのことばで祈ることができるんですね。
 
  (PBA制作「世の光」2018.1.5放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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