♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■飼い葉桶のクリスマス -3 / 大嶋重徳

2013年12月17日 | Weblog
2013/12/17放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカの福音書2章には世界で最初のクリスマスについて記されています。世界で最初のクリスマスはクリスチャンでもなくイエス・キリストの誕生を待ち望んでいた訳でもない羊飼いたちに知らされました。御使いは、「救い主が生まれた場所のしるしは飼葉桶だ。」と言いました。この「しるし」ということばには「目印、合図」という意味の他に「奇跡」という意味があります。今まで安息日(※ユダヤ人たちが労働を休む毎週の礼拝日)も守らない、神様に関心もなかった羊飼いたちがこのことばを聞いた途端、立ち上がったのです。なぜなら飼葉桶という場所は彼らの生活の匂いのする場所だったからです。そして今まで神様のことなんか考えもしなかった羊飼いたちが、これは主が私に知らせてくださった、と考えたのです。まさに飼葉桶で生まれたキリスト、そのことばが彼らの心に奇跡を起こしたのです。
 16節 彼らは、「そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」とあります。

 ここに「捜し当てた」と簡単に記されていますが、飼葉桶などこの当時のベツレヘムの町の中にどこにでもある訳です。この時代に携帯電話がある訳ではありませんから、相当な時間をかけて捜したのです。走ったんですね。「あっちかな?」「違うよ、こっちは俺が捜すよ。」「なあんだ、羊飼いか。入ってくるな!」 そんなことも言われながらも捜しました。きっと彼らの中には、「もう帰ろうよ。見つからないよ。」「もう嫌だ、疲れた。」「羊が待ってるよ。」と言い出した羊飼いもきっといるでしょう。

 この羊飼いの姿から信仰ということを考えるとき、「捜し当てた」ということばは大切だなあ、と思います。神様にお出会いする時、私たちは必ず迷うし悩むんです。しかし神様は私たちが救い主を探し出す時間を大切にしておられると思うのです。私たちも神様を信じるとき、「もう無理だ、信じることはできない。もう帰ろう。」と思うことがあるかもしれません。しかしこの救い主は、いるかいないか分からない救い主ではありません。「主が私に知らせてくださった。」、あなたがそう神様を捜し始めるときに、そこには「捜し当てた」と言うことのできる神様にお出会いすることができるのです。ぜひこのクリスマス、私たちはこの救い主にお出会いしたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2013.12.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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