♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の箱を運び上った / 福井 誠

2013年12月12日 | Weblog
2013/12/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主の箱を運び上った」です。それでは第二サムエル6章15節から読んでみましょう。

 「ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。

 主の箱は生ける神の臨在を象徴するものとしてモーセの時代に造られたものでした。聖書は神が主の箱についてこう約束されたと語っています。

 「わたしはそこであなたと会見し、・・・あなたに語ろう。」(出エジプト記 25章22節)

 しかし主の箱は一時ペリシテ人の分捕り物となっていましたが、神の災いによってイスラエルに送り返され、そのまま数十年もの間、ユダの国境近くのアビナダブの家に放置されていたのです。神の臨在の象徴である主の箱をダビデは自分の町に取り戻します。ダビデはことのほか喜んで主の箱を迎えました。

 しかし主の箱を迎え、主の臨在を常に覚えるというのは一体どんなことを意味するのでしょうか。

 主の箱を取り戻す際に、ダビデは主の箱を新しい車に載せて移動させました。ダビデはそれなりの心遣いをしたのです。主の箱を新しい車で丁寧に運ぼうとしたのでしょう。しかしその道の途上、新しい車がガタガタ揺れて、主の箱がひっくり返りそうになったのを押さえた人に神の怒りが降り、死んでしまったというのです。

 一体どういうことなのか、ダビデはこの事件を通して3ヶ月間、何が問題であったのかを祈り考えていたようです。自分の何が間違っていたのか、と考えた訳ですね。

 そしてダビデは旧約聖書には主の箱は祭司たちが肩に担いで運ぶように定められていたことを教えられたのでしょう。ダビデは自分の最善の考えではなく神の定められた通りに主のの箱を運ばねばならなかったのです。実に主の臨在を覚えるというのは主の権威を認め、主のおことばにしっかり従う心を持つことに他なりません。神様も信じても、自分の思いで自己流な思いで生活をしているということはないでしょうか。聖書に教えられて、ただ聖書に従っていく。それが主の臨在の素晴らしさを味わうことにも繋がるのです。

(PBA制作「世の光」2013.12.12放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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