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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■まことの道 / 羽鳥頼和

2013年11月02日 | Weblog
2013/11/2放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 旧約聖書箴言14章12節に、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」とあります。

 まっすぐに見える道とは正しく生きることを意味しています。人の目には正しいように見えるのですが、実は死に向かっているというのです。これはすべての人の人生を教えています。すべての人は死にます。

 聖書は、人が死ぬのはその人に罪があるからだと教えています。死とは罪の問題なのです。

 また死んでしまったら何もなくなるのではなく死んだ後に神様のさばきを受けなければならないことを教えています。新約聖書ヘブル人への手紙9章27節にこのようにあるのです。
 「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と。死後の裁きとは最後の審判とも言われるものです。すべての人はこの神様の裁きを受けなければなりません。神様の裁きは厳しいものです。神様はほんの少しの悪も見逃しません。心の中もすべて見通して裁かれるのです。誰もその厳しい裁きを逃れることはできません。

 神様の裁きの判決は永遠の苦しみです。それは生きていた時には誰も経験したことのない苦しみです。なぜなら私たちが生きていた時には神様の憐れみが私たちにありました。聖書は、最後の審判の前まで神様は悪い人にも太陽を昇らせ、正しくない人にも雨を降らせてくださる、と教えています(マタイ 5章45節参照)。しかし、最後の審判の後、罪人に神様の憐れみはなくなります。神様の憐れみのない中での苦しみは救いのない絶望の中の苦しみです。

 神様は本当は人がそのような苦しみを受けることは望んでおられません。ですから、そのような厳しい裁きを行う前に神様は太陽の恵み、恵みの雨を与えて、罪人が神様の憐れみを知り、自分の悪いことに気付いて悔い改めて神様を信じて正しい人になってもらいたいと願っておられるのです。

 そして神様は救いの道を与えてくださいました。それがイエス・キリストです。これこそまっすぐな道です。それは死の道ではなく命の道です。
 イエス様は言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と。

 救い主であるイエス・キリストによって救いを得るために、あなたもぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.11.2放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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