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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■エサウの歴史 / 板倉邦雄

2013年11月13日 | Weblog
2013/11/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「エサウの歴史」という題でお話ししましょう。

 エサウの歴史は彼が人間的には大変幸せな人であったことを物語っています。創世記の36章には、エサウと彼の子孫エドムの歴史が記されています。「エサウすなわちエドムの歴史は次の通りである。」との書き出して始まっています。

 なぜエサウの歴史が聖書の創世記36章に書きとめられたのでしょうか。エサウは父イサク家の双子の長男として生まれました。弟はヤコブですね。エサウはエドム民族の先祖となります。主なる神様はアブラハムの神イサクの神ヤコブの神だけではなくエサウにとっての神、すべての民族の神ではないでしょうか。

 それにしても弟ヤコブは自分で墓穴を掘るような人生の歴史でしたねえ。逃亡生活の20年、旅人のような放浪生活、子どもたちのトラブルによる転居、さんざんな辛苦を舐めました。

 しかし兄エサウは定住生活をして、荒野をさ迷うこともなく、飢饉でエジプトへ下ることもありませんでした。エサウの子孫たちはエドムの地で首長となったり王様として君臨しました。イスラエル人の王が治める以前、エドムの地で治めた王たちのリストが31節から記されていますねえ。ある意味で平和と安全とが譲りの財産だったのです。

 そうそう兄エサウは悪知恵な弟ヤコブを赦す度量も持っていましたし、弟が一族をひきつれてふるさとに帰って来ると、一緒に住むのは窮屈になるだろう、とおしげもなくエドムのセイルの山地に移動してしまいます。淡白な性格でした。

 けれども弟ヤコブと並べてみますと兄エサウの歴史には主なる神様との交わりや神様への祈りや飢え渇きが無いということでしょうか。

 弟ヤコブは波乱万丈な歴史でしたが、そこには天との不思議な交わりがありました。後悔や屈辱、裏切り、裏切られる傷だらけの生涯でしたが、そこには神様の憐れみ、赦し、助けを味わうことが許されたのです。

 兄エサウは地上での楽しみは味わいましたが、余りにも地上だけに終始し、天上に抜ける幸いと喜びは味わうことができなかったようですねえ。

(PBA制作「世の光」2013.11.13放送でのお話より )
 
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