goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■「信仰」について / 岩井基雄

2013年11月15日 | Weblog
2013/11/15放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日はストレートに「信仰」についてです。

 日本では「鰯(いわし)の頭も信心から」とよく言われるように信心ということばを使うことが多く、その信仰の対象は様々なものがありますねえ。しかし聖書が語る信仰とは信じて仰ぐとあるように、基本的な意味は神や人などの人格ある存在に対する心からの信頼なのです。

 しかし聖書では人間は信仰の対象となりません。私たち人間は様々な問題や過ちや聖書が語る罪を抱えているからです。ですから信仰とは闇雲な盲信・信じこむことではなくて、本当に信頼できるお方を正しく信頼すること、それが聖書が語る信仰なのですね。

 聖書にはこのように書かれています。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
 新約聖書 ヘブル人への手紙 11章1節

 聖書が語る神様に信頼して歩む人生は、目に見えるものに価値を置くありかたを捨てて、自分の願いも思いもすべてを御存知の神様にお任せし、その約束に心から信頼していく、そしてその目に見えない約束を心から確信していくことができる歩みだというのですねえ。

 ではなぜこの聖書が語る神様に私たちは信頼を置くことができるのでしょうか。それは聖書が語る神様がすべてのものを想像してくださったお方であり、その神様が私たちを永遠の愛で愛し、私たちを支配するためではなく私たちを苦しみから救い命を与えるために、私たちに関わってくださり、私たちが応答することを待っていてくださるからです。

 この神さまに信頼して歩むその歩みは、神様の豊かな愛を受け取ってそれに応えていくという信頼の歩み、そして神様からの豊かな祝福を確認し確信していくという歩みなのです。即ちこの聖書が語る信仰とは神様を見上げて信頼をもって約束を握り締めて目に見えるものではなく目に見えないものを確信しながら一歩いっぽ歩んでいく歩みなのですね。

 あなたもこの聖書が語る神様に心からの信頼を置き、みことばの約束を、祝福を、受け取っていくその人生を歩み出してみませんか?

 (PBA制作「世の光」2013.11.15放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする