♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悔い改めとは / 岩井基雄

2013年09月20日 | Weblog
2013/9/20放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「悔い改め」についてです。

 「悔いる」ということばと「改める」ということばが一つになっているこのことばは、キリスト教会の中で良く用いられますが、なかなか難しい内容を伴っています。それは私たちは「悔いる」ことはことはできてもなかなか「改める」ということができないからですね。しかしこのことばは本来「方向転換をする」という意味を持っているのです。つまり、神様に背を向けて歩むことは、いわゆる闇に向かって歩んでいるようなものだということを認めて、神様・光に向かって方向転換することだ、とも言えるでしょう。それは神様に背を向けて闇に向かっていた自己中心的な罪を認めて、神様の方に向かい、神の光の中に自分を置くということなのです。聖書はこう語っています。

 「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 
 新約聖書 ルカの福音書15章10節

 このルカの福音書15章にはイエス・キリストにある三つの喩え話が続いています。それは100匹の羊をもっていた羊飼いが迷い出た一匹の羊を探し出す話。そして10枚で1セットだった銀貨の中から失われた1枚が捜し出されていくお話。更に、父のもとを離れて全財産を使い果たし、落ちぶれて帰ってきた放蕩息子を父親の方から走り寄って汚いままの息子を抱きしめ、迎えるというあの喩え話。そこには自ら迷い出たり失われたりする愚かさを抱えた存在を探し出し、汚いまま愛し、受け入れてくださる神様の豊かな愛の姿が中心として描かれているのです。

 ですから「悔い改め」ということは自分の汚さや愚かさを認めて神様の愛と神様に見出される必要がある存在だということに気が付くことから始まっていきます。そして神様の愛は私たちに罪から離れさせ、変えられていくという力を与えるのです。

 聖書のことば
 「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
 新約聖書 使徒の働き3章19節

 あなたも自分の愚かさを認め、方向転換をして神に向かう者、神に立ち帰る者とされていきませんか?

 (PBA制作「世の光」2013.9.20放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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