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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神を避けどころとする幸い / 岩井基雄

2013年09月06日 | Weblog
2013/9/6放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇の73篇28節です。

 「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。


 旧約聖書の詩篇は大きく五つの巻に分かれますが、第三巻はこの73篇から始まります。三巻の最初の73篇から83篇の内、この11篇はイスラエルの第二の王ダビデ時代の音楽家であったアサフによるものだと言われています。

 この詩篇の73篇の最初には、理不尽な社会の現実に対する嘆きが描かれています。悪者が繁栄し、誠実な者や義を求めて生きる者が辛く悲しい目に合うという理不尽さです。このような理不尽さは現代の社会にも見られることはないでしょうか。私たちも時には真面目に正しく生きることがバカらしく思え、いわゆるうまくやっている人たちに恨みさえ覚えることもあるかもしれません。アサフも自分のそのような心の葛藤を素直に表現していますが、そのような現実の中にあっても彼は神様に心を向け、信頼することを選び取っていくのです。

 アサフはこう綴っています。
 「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。」  21節から23節

 アサフは自分の愚かさや弱さを、また自分や他人を傷付ける思いを認めつつも神様が自分の右の手をしっかりとつかみ、支えてくださっていることに感謝をし告白しています。そこに彼の神様への信頼があり、祈りの真実がありました。私たちもまた、すべてを御存知の神様の前に何も隠す必要がありません。どんな思いの状況も、神様に信頼し避け所するならば平安を与えられて歩むことができるです。それは神様が私たちの右の手をつかみ、全責任を引き受けてくださることからくる平安です。あなたも、どんな時にも共にいてくださる神様の主権にすべてを任せ、理不尽な状況の中にあっても平穏な心で歩み守られていく人生を進んでいきませんか?

 (PBA制作「世の光」2013.9.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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