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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十字架のことば / 羽鳥頼和

2013年09月14日 | Weblog
2013/9/14放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は私の父がイエス・キリストを信じたきっかけをお話したいと思います。

 父は自分の兄に誘われてキリスト教会に行きました。その時、父は一流大学を卒業し社会主義に傾倒していました。そして神はいないと考えている無神論者でした。ですから父の兄はそんな自分の弟が教会に来てくれることにうれしくもありながら非常に不安を覚えていました。インテルで神などいないと思っている弟が聖書の話を聞いて信じてくるだろうか、と。聖書の話が始まりました。父の兄は祈りながら一緒に聖書の話を聞きました。その聖書の話は、イエス・キリストは罪人のために死なれた、そして3日後によみがえった、という十字架についての話でした。父の兄は話を聞きながら心配になりました。2000年も前の一人の人が全人類の身代わりとなって死んだとか死んだ人が三日後によみがえったという話では理論派の弟を説得できないと思ったのです。もう弟は聖書の話はバカバカしいと言って二度と聖書の話を聞いてくれなくなるだろうと諦めました。所が聖書の話の最後に「今日イエス・キリストを自分の救い主と信じる人は手をあげてください。」との声がかかると、何と弟が手をあげているではありませんか。そして涙を流しながら自分の罪を悔い改めているのです。そしてイエス・キリストを自分の救い主と信じる祈りをしたのです。

 実は父はこの時、人生に絶望していたのです。人の力が社会を良くすることができると信じて頑張ってきましたが、それはうまくいきませんでした。自分にそして人間の力に絶望していたのです。そんな心に十字架のことばが届き、希望を与えたのです。神だけが人を本当に救うことができるのだと分かったのです。

 聖書にこうあります。
 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
   新約聖書 コリント人への手紙 第一 1章18節

 私の父は神様の救いの力である十字架のことばを信じて救われました。人を救うことができるのが神です。その神様の救いの力はイエス・キリストの十字架にあるのです。

 明日は日曜日です。あなたも救いを与えるイエス・キリストの十字架を知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.9.14放送でのお話より )
 
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