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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

60年前の社の忠魂碑-社町元郡公会堂広場

2013年08月15日 04時57分34秒 | Weblog
 加東市社の市街地の南端に明治館があります。明治館は旧加東郡公会堂として明治45年に建てられ、加東郡(現加東市、小野市域)の政治、文化の中心として百年余りの歴史を刻んできました。その明治館の広場の一角に社町(旧社町、今の社小学校区)の忠魂碑があります。

 周囲は石の玉垣で囲まれ、その中に、大きな自然石で組んだ台石の上にさらに3本の石碑が聳えるように立っています。中央は忠魂碑、大正15年3月(1926)建立、両側に英霊尊名碑、昭和28年(1953)建立が立っています。
 忠魂碑の揮毫は陸軍大将、川村景明。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。大正15年の9月28日に建立記念式典が盛大に催されています。
 両側の英霊尊名碑には、明治10年の西南戦争から大東亜戦争まで、この故郷(旧社町、現社小学校区)から出征し、戦陣に散った英霊のご尊名が刻まれています。その数は、240柱余りにのぼっています。ちなみに、各戦役の数は以下の通りです。西南戦役(4)、日清戦争(5)、日露戦争(7)、日独戦役(第一次大戦・2)、満支事変(31)、大東亜戦争(195)。私の母方の叔父2人の名もあります。

 大東亜戦争に負け、連合軍の占領下にあっては各地で忠魂碑を破壊されないように隠して守ったという話を聞いています。占領が終わり独立を回復した後、再び忠魂碑を建てて英霊を御霊を鎮めたのです。英霊尊命碑は昭和28年(1953)に建立されています。建立の記念写真には祖父や父の姿も写っています。その写真に写っている若い幹もまだ細い松の木が60年後には太く成長し、枝も伸ばして碑を正面から隠すまでになっていました。
 今年の夏、松や周囲のひらどつつじの植え込み、背後のもちの木の枝などをきれいに剪定し60年前の姿を取り戻しました。

 祖国を、ふるさとを、そして家族を守るため、アジアを白人支配から解放し、独立と繁栄を築くために故郷から出征して戦った英霊の尊い犠牲のおかげで今日の日本の平和と繁栄があることを忘れてはなりません。そして、感謝と同時に皇室の弥栄と、日本の真の独立と繁栄、アジアの平和と繁栄、郷土の繁栄と人々の幸福を実現することが今の私たちの誓いとしなければならないと思うのです。朝のウォーキングではそんな思いを祈りに込めて参拝し、「海行かば」を歌って鎮魂としています。8月15日、68回目の終戦記念日を迎えます。そして、再建されて60年目を迎えました。
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昭和19年3月-防空体制を固める社町警防団通知 ②

2013年08月14日 04時39分13秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和19年(1944)3月、戦局が厳しさを増す中、敵機の空襲に備え防空体制の強化に関する社町(現加東市社地域)警防団の通知を紹介します。第三番目に挙げられているのは流言蜚語の絶滅です。どのような内容の流言か分かりませんが、戦況等について様々な話が出ていたのでしょう。


三、流言蜚語ノ絶滅ニ関スル件
 大東亜戦争ノ様相ハ愈々深刻苛烈ナル局面ヲ展開シ一億総蹶起益々銃後国民必勝態勢ノ強化確立ヲ図ラザルベカラザル秋近時各所ニ各種悪質流言流布セラレ之等各種悪質流言ノ内容物資逼迫ニ因ル経済問題ヲ中心ニ時局ニ関スルモノ或ハ軍事ニ関シ或ハ軍官民離間的ナルモノ等多種多様ナルガ善良ナル民心ヲシテ著シク惑乱セシメツツアルハ誠ニ憂慮スベキモノアリ
斯クテ銃後国民思想ヲ惑乱同様セシムルノミナラズ敵国ノ宣伝謀略ニ乗セラルルノ間隙ヲ生セシムルハもちろん引イテハ敗戦ニ誘引セラルル因トナル虞レナシトセズ誠ニ寒心ニ耐へサルモノアリ

叙上ノ趣意ハ既ニ克ク了承セラル所ニシテ大東亜戦争遂行途上ニアル銃後国民思想上特ニ御留意ノ上流言ノ徹底的絶滅ヲ図ラルルト共ニ之ガ斯道ノ万全ヲ期セラルル様格段ノ御配意相煩度及依頼候也

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昭和19年3月-防空体制を固める社町警防団通知 ①

2013年08月13日 05時07分34秒 | Weblog
 昭和19年(1944)3月、戦局が厳しさを増す中、敵機の空襲に備え防空体制の強化が社町(現加東市社地域)の常会で挙げられています。燈火管制の徹底強化、火災予防、特に市街地において防火訓練の徹底などが通知されています。

                             警防団本部長  合田常蔵
                             警 防 団 長  藤本綱吉
一、防空ニ関スル件
大東亜戦争ハ愈々凄愴苛烈ノ度ヲ加ヘ敵ノ本土空襲必至ノ情勢ニアリ全国民挙ゲテ防空第一線ニ活躍スベキノ秋ニ当リ特ニ左記事項ノ徹底ヲ期シマセウ。
1.燈火管制器具ノ充実
 未ダ管制用具ノナキ家庭多数アリ絶対的ニ充実サレタシ
2.警報伝達ニ於テモ表通リ概ネ徹底シタルモ裏通リ方面ハ無感心ノモノノ様ナリ特ニ完璧ヲ期シマセウ
3.真防空モ訓練モナキ時勢ナリ平常ノ備ヘコソ国民ノ務デアリマス

二、火災予防警戒ニ関スル件
国家資源ノ潰滅ヲ防止シ戦力ノ飛躍的増強ヲ期スヘキノ要特ニ切ナルモノアルノ秋今般兵庫県警察部長ヨリ通牒ノ次第モアリ特ニ左記事項ノ励行セラレ度部内一般ヘ御指導相成度
1.火気取扱場所囲炉裏ノ所在周囲ノ関係ニ付適否ヲ検討補正スルコト
2.外来者ノ喫煙ニ留意シ徒ニ吸殻ヲ放置セシムルガ如キコトナキ様務メルコト
3.社町、小野町、大部村王子、滝野町、上滝野、上東条村天神ノ各ニ在リテハ前項ニ準ジ防火訓練ノ徹底ヲ期スルコト
4.各部落長、警防団分団長ヲ通ジテ部落常会日ニ際シ回覧板其ノ他ニ依リ部長全般ニ対シ警火思想ノ普及徹底ヲ期スルコト
5.各家庭ニ於テ常時防火用水ノ確保ヲ期シ置クコト
6.火災発生ニ際テハ電話伝令ニ依リ速カニ警察、警防団ニ速報スルト共ニ大声ヲ発シ近隣者ニ伝ヘルコト
                                                    つづく
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昭和16年-干麺とお盆の仏事用米糠の配給

2013年08月12日 04時13分55秒 | Weblog
 昭和15年12月から18年3月までの社町社区(現加東市社)の配給に関する文書類を綴じたものの中に、昭和16年(1941)の8月、干麺とお盆の仏事用の米と糠の配給に関する通知がありました。


 昭和十六年八月五日
              社町長  合田常蔵

各区長殿

  家庭用干麵配給ノ件

先般ノ町常会ニ於テ協議申上ケ候家庭用干麺一人百匁宛ヲ左記通リ割当候条七日以後ニ於テ社米穀配給支所ヨリ受領相成リ一般ニ配給相成度此段及通知候也

 二伸
一、ッ隣保回覧板ヲ貴隣保数送付候条回覧相成ル様取計ヒ相成度
二、盆供物用糠米特配ノ件
 通帳ニヨリ米ノ配給ヲ受ケツツアル家庭ニ対シ盆ノ仏事用ノ糠米ヲ一戸当リ二舛宛配給仕ル可ク候条必要ノ家庭ハ通帳持参シ米配給所ヨリ購入相成様此ノ糠米ハ毎日ノ配給領
ニ加算セサルニ付キ右ノ様伝達相成度此段及通知候也
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昭和19年-社町5月常会で工場給食増強

2013年08月11日 05時05分59秒 | Weblog
 昭和19年(1944)5月、社町(現加東市の社地域)5月常会で工場給食の改善の件が提出されています。重労働に携わる者に多くの食糧を配分しようとするもので、戦局が厳しくなるなか、食糧の配分も一層のきびしさが増していたことが分かります。

工場給食改善ニ関スル件

一、趣旨
 戦時増強ノ一方策トシテ工場事業場労務者ノ給食ヲ増強確保スルタメ家庭用米穀ノ増加分ヲ一部規正シ工場事業場ニ於ケル給食量ヲ増加シ併セテ給食法ヲ適正ナラシムル為メ之ガ改善ヲ図ラントス

二、要法
(1)重労働者ノ家庭用米穀ヲ左ノ通リ変更スル事 但シ農林畜産水産作業者其ノ他之ニ準ズル者ニシテ別ニ定ムルモノハ従前通リノ基準ニ依ルコト
(2)右ニ依リ規正セル米穀ハ全部工場事業場給食ニ振向ケルコト
(3)重労働者ノ家庭用米穀ノ配給量左ノ如シ
甲種労務者
 年令別     性別   量    年令別    性別   量
 2才-六〇才  男   五七〇瓦  六一才以上  男   四八〇瓦
         女   四二〇瓦         女   三八〇瓦
乙種労務者
 年令別     性別   量    年令別    性別   量
 2才-六〇才  男   五〇〇瓦  六一才以上  男   四一〇瓦
         女   三七〇瓦         女   三三〇瓦
丙種労務者
 年令別     性別   量    年令別    性別   量
 2才-六〇才  男   三九〇瓦  六一才以上  男   三五〇瓦
         女   三五〇瓦         女   三二〇瓦
丁種労務者
 年令別     性別   量    年令別    性別   量
 2才-六〇才  男   三六〇瓦  六一才以上  男   三二〇瓦
         女   三四〇瓦         女   三一〇瓦

備考
甲種労務者  炭焼夫 伐木夫 造材夫 漁夫 木挽職 馬方 荷車引 鍛冶職 石工 道路人夫 運搬夫 郵便集配人 屎尿運搬人 塵芥運搬人
丙種労務者  農林 畜産作業者(造園師、植木職ヲ除ク) 潜水夫 水産作業者 魚介 野菜 米穀 薪炭配給作業者

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昭和19年-社町12月常会徹底事項 ③

2013年08月09日 04時55分21秒 | Weblog
 昨日に続き、昭和19年(1944)の12月の社町常会の徹底事項を紹介します。『一億の憤激を』で始まるスローガンは生活、貯蓄にも呼びかけられています。

ニ、『一億の憤激を決戦生活に』
一億戦友愛で結び合ひ道義心を高め創意工夫を生かして物の消費をきりつめ、また日常生活を通じて強健な身体に鍛へ上げ、決戦生活を正しく明るい生活にしませう。

ホ、『一億の憤激を追撃貯蓄に』
決戦貯蓄は四百十億円に追加されました。一双勤労にはげみ間に合せを実践し年末の臨時収入は貯蓄にやり向け現金は出来るだけ手持ちせぬ様にしませう。

〇第二国民兵 兵籍編入届出ノ件(口頭説明)
 銀回収ニ関スル件 以下(口頭説明)
   回収期限 十二月二十三日
   回収価格 銀製品 一匁三十五銭
        銀地銀 一匁十七銭五倫五毛

◎この常会は今年度最後の常会です。一年間の常会を深く反省し更に一層の御奉公にはげみませう。
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昭和19年-社町12月常会徹底事項 ②

2013年08月08日 05時46分36秒 | Weblog
 一日空きましたが、昭和19年(1944)、社町12月常会の徹底事項のつづきを紹介します。「一億の憤激を」で始まるスローガンで、軍需生産、食糧増産、国土防衛に邁進しようと呼びかけています。

イ『一億の憤激を軍需生産に』
必死必中の体当りに応へて精魂こめた立派な兵器を作りませう。今日の決戦に間に合せるため、軍事品の生産や輸送に当る人々は体当り精神で此の年末も職場で頑張り抜きませう。

ロ『一億の憤激を食糧増産に』
食糧の確保は勝ち抜くために是が非でも必要です。農山漁村では一層食糧増産の決意を固め特に農村では麦の手入れと堆肥の増産に全力を注ぎませう。

ハ『一億の憤激を国土防衛に』
敵は空襲によって銃後の混乱を狙ってゐます。防空の備へをいよいよ真剣に固め、訓練を形式に流れず実践即応の心構へで得心のゆくまで行ひませう。

                                                                  つづく
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昭和19年-社町12月常会徹底事項 ①

2013年08月06日 03時26分52秒 | Weblog
 昭和17年から19年にかけての社町常会協議事項綴の中に、昭和19年12月の常会徹底事項が綴じられています。その冒頭の文を掲載します。「一億の憤激で勝ち抜こう」のスローガンにすべてが表されている感じがします。



    十二月常会徹底事項

『一億の憤激で勝抜かう』戦局は正に皇国の興廃を決する眞の決戦段階に突入しつつ茲に聖戦第三周年記念日迎へます。壮烈きはまりない皇軍将士の奮戦によって赫々たる戦果は挙つてゐますが物量に頼る敵は叩かれても叩かれても必死の反攻を続け決戦につぐ決戦の真只中です。
今こそ一億の憤激を必勝増産の一点に打込み飛行機を始めあらゆる兵器をぞくぞくと第一線に送りませう。神風特別攻撃隊を始め幾多の体当り勇士の挙げた戦果を眞に生かすのは今です。『飛行機を送れ』と叫びつつ護国の人柱となられた勇士の英魂に応へるのは今です。
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昭和17年-家庭防空講演会

2013年08月05日 05時26分41秒 | Weblog
 昭和17年(1943)、社町(現加東市)で家庭防空に関する講演会が開催されています。今なら「家庭防災」というところでしょうが、戦時下の当時は、防空訓練が行われていました。以下は開催通知です。

昭和十七年七月五日
                 社町長  合田常蔵

各区長及婦人会長 殿

 家庭防空ニ関スル口演会開催ノ件

明六日午前八時(時間励行)社町元郡公会堂ニ於テ家庭防空ニ関スル口演ヲ講師社警察署長佃庄一氏行ハルニ付キ各ノ全夫人御参集相成様手配相煩シ度候(社区ハ隣保代表ニ共ニ御参集相成ル様)
二伸
本口演会ハ社警察署ヨリノ通知ニ依リ開催致スモノニシテ目的ハ家庭防空(燈火管制)ハ婦人ニ在ル故婦人ニ対シ防空思想啓発スルアル由何卒目的達スル御配意賜リ度御依頼申上候
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昭和20年-船員の動員

2013年08月04日 07時10分25秒 | Weblog
 昭和20年(1945)、戦局が厳しさを増す中、船員の動員に関する通知が社町長から区長に出されています。船員の資格等を有する者の申告について周知させるとともに報告をするようにという内容です。


 昭和二十年四月七日
            社 町 長
各区長殿

 船員動員令ニ基ク船員職業能力ニ申告ニ関スル件

標記ノ件ニ関シ今般船員動員令第三十八条ニ依リ臨時申告ヲ実施スルコトニ相成三月七日運輸通信省告示第六十一号ヲ以テ告示セラレ候ニ付イテハ戦争下特ニ御多端ノ折トハ存シ候ヘ共海上輸送ノ重大性ニ鑑ミ之ガ申告ノ周知宣伝ヲ期セラルルト共ニ貴部内左記該当者御調査ノ上来ル四月十日迠ニ其ノ氏名御報相成度此段及照会候也

    記

一、申告ノ要スル範囲
1,海技免状ヲ有スル者(年齢ニ制限ナシ)
2.運輸通信大臣ノ指定シタル船員養成施設ヲ終了シタル者
3,総噸数五屯以上ノ船舶ニ六ヶ月以上乗組ミタル者ニシテ年令六十年未満ノ者
4,総動員業務ヲ行フ船舶所有者ノ保有スル予備員タル船員
5,六ヶ月以上漁船ニ乗組ミタル者ニシテ年令六十年未満ノmノ

二、申告ヲ為スヘキ時期及提出期日
1、申告ノ時期   三月二十日
2.提出期日    四月十日迠
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昭和18年-応召兵に後顧の憂いなく・・・

2013年08月03日 05時07分02秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、戦争が長引き、郷土から多くの兵士が出征していくなか、応召兵の後顧の憂い除去、入営の歓送などについて記した文書が当時の区長の文書綴に綴じられています。発出者も宛名もありませんが、3月8日付の別の文書に続いて綴じてあります。

 「㊙ 希望事項」と書いてあり、内容は次の通りです。

一、応召軍人トシテ後顧ノ憂ヲ除去ノ件
応召軍人トシテ後顧ノ憂ナカラシムル如ク措置ヲ講ズルハ戦力強化上銃後国民当然ノ責務ニ有之平素ヨリ多大ノ御配慮ヲ相煩シ居候処ナルモ近ク多数ノ応召者出スコトニ相成候ニ就ハ此際町内挙ツテ此等召集者ニシテ家庭上ノ悩ミアルモノニ対シテハ急速ニ之ヲ解決ニ協力シ以テ安心シテ御奉公ニ専念セシムル如ク善処致シ度ニ付部内各関係者ト御協力ノ上何分ノ措置相煩度

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昭和16年-タオルや軍手の配給割当

2013年08月02日 04時30分02秒 | Weblog
 昭和16年(1941)、米英との開戦の5ヶ月前の7月22日の日付で、社町長から各区長に宛ててタオル、軍手、紺木綿の配給に関する通知が出されています。
 配給に関しては、この歴史ブログで何度も紹介してきましたが、長引く戦争下、物資不足は次第に厳しくなるばかりで、さまざまな物資が配給となっていました。タオルや軍手もそうだったのです。
 今の日本からは想像もつきません。しかし、こうした文書から当時の戦時下の生活について知ることができます。


昭和十六年七月二十二日
                社 町 長 合田常蔵
各区長殿

 タオル及軍手並紺木綿配給ニ関スル件

今回左記ノ通リ配給仕リ候条貴部内ニ配給相成度

二伸
一、タオルニ就テハ今回人口数並使用量ヲ考慮シ配給スル様指示アリタルニ付キ社区ハ家族三人以下一本四人以上七人以下二本八人以上三本其ノ他ノハ四人以下一本五人以上九人以下二本十人以上三本ト決定シタルモ家族中ニハ子供大人ノ別アリ配給上困難アルヤモ知レザルニ付特配トシテ相当ノ数ヲ割当シアルニ付適当ニ配給
セラレタシ(代金一本ニ付二十四銭也)

二、軍手ニ就テハ左記表ノ通リ決定仕り軍手ハ二種アリ萬年印ハ一双四十四銭一号印ハ二十三銭ニ付御了知相成度

三、紺木綿半反券左記ノ通リ決定送付仕り候(代金半反二円七銭也)

四、タオル及軍手ハ各区長取マトメ購入セラレ度紺木綿ハ各自ニ購入券配布購入セシメラレ度

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昭和19年-防空警報下の服装の徹底について

2013年08月01日 04時12分41秒 | Weblog
 昭和19年(1944)7月、本土への空襲に対して、社町(現加東市社地域)では防空警報下の服装や燈火管制の徹底を通知しています。
 男は巻脚絆、女はモンペを着用すること。また、警報発令時に魚釣りをするなどもってのほか、という事例を挙げて注意をしています。
 写真やテレビなどでも当時の服装は巻脚絆、モンペと決まっていますが、警報発令下に釣りをする人もいたんだということに驚きです。
 下の通知は、当時の区長文書綴に綴じられていたものです。




昭和十九年七月八日
                     社 町 長
                     社警防団長
 各区長
     殿
 分団長 

      防空警報下燈管及服装ノ徹底ニ就テ

又シテモ敵機ハ本土ニ来襲別紙情報ノ如ク我等ハ寸刻ノ油断ヲナス事ナク再ビ敵機来襲ニ備ヘテ一曽厳ナル対策ヲ実現セラレ度左記遺憾ノ点ノ万全ヲ期セラレタシ

       記

一、各人ノ服装ニ就テ
 イ、男子ハ巻脚絆ヲ着用スベシ
 ロ、女子ハモンペヲ着用スル

二、警報発令中魚釣ノ如キ誠ニ遺憾トスル

三、警報発令ニ備テ
 1.就寝時ノ管制不十分
    就寝時ハ常ニ空襲時ノ管制ヲ成シテ就寝スル事
 2.未ダ管制具ノ電気覆ノ出来テ無イモノ
爾今以上ノ点ノ不備ニ依リ警察官及警棒団員ヨリ注意ヲ受ケル事ナク十分ノ設備ヲ致サレ度特ニ通牒ス

◎逼迫セル状勢下ニ於テ日本国民トシテ誠ニ遺憾トスル處ナリ
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