加東市社の市街地の南端に明治館があります。明治館は旧加東郡公会堂として明治45年に建てられ、加東郡(現加東市、小野市域)の政治、文化の中心として百年余りの歴史を刻んできました。その明治館の広場の一角に社町(旧社町、今の社小学校区)の忠魂碑があります。
周囲は石の玉垣で囲まれ、その中に、大きな自然石で組んだ台石の上にさらに3本の石碑が聳えるように立っています。中央は忠魂碑、大正15年3月(1926)建立、両側に英霊尊名碑、昭和28年(1953)建立が立っています。
忠魂碑の揮毫は陸軍大将、川村景明。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。大正15年の9月28日に建立記念式典が盛大に催されています。
両側の英霊尊名碑には、明治10年の西南戦争から大東亜戦争まで、この故郷(旧社町、現社小学校区)から出征し、戦陣に散った英霊のご尊名が刻まれています。その数は、240柱余りにのぼっています。ちなみに、各戦役の数は以下の通りです。西南戦役(4)、日清戦争(5)、日露戦争(7)、日独戦役(第一次大戦・2)、満支事変(31)、大東亜戦争(195)。私の母方の叔父2人の名もあります。
大東亜戦争に負け、連合軍の占領下にあっては各地で忠魂碑を破壊されないように隠して守ったという話を聞いています。占領が終わり独立を回復した後、再び忠魂碑を建てて英霊を御霊を鎮めたのです。英霊尊命碑は昭和28年(1953)に建立されています。建立の記念写真には祖父や父の姿も写っています。その写真に写っている若い幹もまだ細い松の木が60年後には太く成長し、枝も伸ばして碑を正面から隠すまでになっていました。
今年の夏、松や周囲のひらどつつじの植え込み、背後のもちの木の枝などをきれいに剪定し60年前の姿を取り戻しました。
祖国を、ふるさとを、そして家族を守るため、アジアを白人支配から解放し、独立と繁栄を築くために故郷から出征して戦った英霊の尊い犠牲のおかげで今日の日本の平和と繁栄があることを忘れてはなりません。そして、感謝と同時に皇室の弥栄と、日本の真の独立と繁栄、アジアの平和と繁栄、郷土の繁栄と人々の幸福を実現することが今の私たちの誓いとしなければならないと思うのです。朝のウォーキングではそんな思いを祈りに込めて参拝し、「海行かば」を歌って鎮魂としています。8月15日、68回目の終戦記念日を迎えます。そして、再建されて60年目を迎えました。
周囲は石の玉垣で囲まれ、その中に、大きな自然石で組んだ台石の上にさらに3本の石碑が聳えるように立っています。中央は忠魂碑、大正15年3月(1926)建立、両側に英霊尊名碑、昭和28年(1953)建立が立っています。
忠魂碑の揮毫は陸軍大将、川村景明。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。大正15年の9月28日に建立記念式典が盛大に催されています。
両側の英霊尊名碑には、明治10年の西南戦争から大東亜戦争まで、この故郷(旧社町、現社小学校区)から出征し、戦陣に散った英霊のご尊名が刻まれています。その数は、240柱余りにのぼっています。ちなみに、各戦役の数は以下の通りです。西南戦役(4)、日清戦争(5)、日露戦争(7)、日独戦役(第一次大戦・2)、満支事変(31)、大東亜戦争(195)。私の母方の叔父2人の名もあります。
大東亜戦争に負け、連合軍の占領下にあっては各地で忠魂碑を破壊されないように隠して守ったという話を聞いています。占領が終わり独立を回復した後、再び忠魂碑を建てて英霊を御霊を鎮めたのです。英霊尊命碑は昭和28年(1953)に建立されています。建立の記念写真には祖父や父の姿も写っています。その写真に写っている若い幹もまだ細い松の木が60年後には太く成長し、枝も伸ばして碑を正面から隠すまでになっていました。
今年の夏、松や周囲のひらどつつじの植え込み、背後のもちの木の枝などをきれいに剪定し60年前の姿を取り戻しました。
祖国を、ふるさとを、そして家族を守るため、アジアを白人支配から解放し、独立と繁栄を築くために故郷から出征して戦った英霊の尊い犠牲のおかげで今日の日本の平和と繁栄があることを忘れてはなりません。そして、感謝と同時に皇室の弥栄と、日本の真の独立と繁栄、アジアの平和と繁栄、郷土の繁栄と人々の幸福を実現することが今の私たちの誓いとしなければならないと思うのです。朝のウォーキングではそんな思いを祈りに込めて参拝し、「海行かば」を歌って鎮魂としています。8月15日、68回目の終戦記念日を迎えます。そして、再建されて60年目を迎えました。