ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社町道路元標が明治館前庭に-元の三階交差点近く

2017年01月29日 05時52分32秒 | Weblog
 

           

           

 社町(旧社町)の道路元標を明治館の庭に設置したとの報せを受け、さっそく見に行きました。
 明治館(加東市社)の前庭の一角、旧加東郡公民館時代の門が建てられている横に設置されていました。
 正面には「社町道路元標」と刻まれています。表面はきれいに洗われているようでした。この道路元標は、元は明治館から北へ50メートルほどにある交差点、通称「三階交差点」に建てられていたとのことですが、道路の拡張のために撤去され、その後、邸内に保管されていたものを今回新たな場所に再建することになったものです。「三階」は佐保神社の門前、旧郡公会堂や社町役場などに近く、県道の通る交通の要でした。

 道路元標は、大正8年(1919)の「道路法施行令」で、国道や府県道、各市町村の道路の基点となる目印(石碑)として設置されたものです。加東市内の道路元標は現在確認されているのは、滝野町、加茂村、上福田村、福田村、鴨川村、上東条村の6基でした。それらはこの歴史ブログで紹介してきましたが、社町、米田村、中東条村の3基の行方が分かりませんでした。今回、社町の道路元標が由緒ある旧加東郡公会堂の明治館の庭に再設置され、加東市の貴重な歴史遺産がまた一つ増えました。保管されていた方や教育委員会関係者に感謝します。ぜひ、多くの方に見ていただきたい。
 このブログでは市内の道路元標を紹介しています。また、各地を訪れた際に出会った道路元標も紹介してきました。それらには歴史的な由来を記した銘板なども付けられて大切に保存されていることが分かります。市内の道路元標も未来に伝えたい歴史遺産として保存し、市民に伝える工夫が必要だと思っています。
 加東市内の道標・道路元標については、県政資料シリーズⅢ「ふるさと加東の歴史再発見-道標・道路元標」(28年3月刊)に記載しています。残部あります。
 




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