プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」
指揮:リッカルド・シャイー、演出:ルーカ・ロンコーニ
レオ・ヌッチ(ジャンニ・スキッキ)、ニーノ・マチャイゼ(スキッキの娘ラウレッタ)、チンツィア・モーラ(ブオーゾの従姉ツィータ)、ヴィットリオ・グリゴーロ(ツィータの甥リヌッチョ)、アンドレア・ズナルスキ(公証人)
2008年3月6日 ミラノ・スカラ座 2014年2月 NHK BS Pre
三部作の最後、いよいよ天国篇である。この作品の世界が天国かどうかはともかく、物語はフィレンツェの金持ブオーゾが臨終を迎えた場面であるから、天国が関係することは確かだろう。そこに集まった一族からするとさて遺産はということだが、どうも故人は寺院に寄付することを遺言にしたらしいという。
それではこまるわけで、どんな悪だくみをしようか考えあぐねているところに、若いリヌッチョが結婚したいと思っているラウレッタの父で、フィレンツェでは田舎者とされているジャンニ・スキッキが登場する。
スキッキは話を聴き、ブオーゾがまだ死ぬ間際ということにして、自分が病床に入ってブオーゾになりすまし、呼ばれた公証人にこれまでの遺言は全部破棄し、新しい遺言としてで財産分与を口述する。一族のそれぞれにはまずまずの分与を言い与えるが、肝心のところは親友のスキッキにとちゃっかり伝える。皆騒ぐがあとのまつり。
若い二人は結ばれる。
一族がわがままに大騒ぎする部分が多く、そこの音楽は効果的かつかなり20世紀的なものだが、うるさいとか飽きるとかいうことはない、さすがである。そして、そのなかにサービスというのだろうか、スキッキが登場した場面で、彼に結婚をしぶられた娘が歌うのが「私のお父さん」。ここだけは従来のプッチーニ節なのだが、おもわずうっとりとしてしまう。そう、あの「眺めのいい部屋」(監督ジェームズ・アイヴォリー、1986年)の冒頭の効果的で忘れられない曲である。
ジャンニ・スキッキのレオ・ヌッチ、この人も私の持っている1991年の三部作録音でこの役を歌っており、おそらくもっと前から当たり役にしているのだろう。歌手冥利、役者冥利につきるだろう。
幕が下りるとき、観客に向き、(遺言状改竄は重罪だが)ダンテが許してくれれば、そしてお客さまがお楽しみいただけたならば、なにとぞ情状酌量いただきたく、、、とお願いして終わる。
なにやらミラノのコンメディア・デッラルテみたい。アルレッキーノのように飛んだり跳ねたりはないけれど。
娘ラウレッタのニーノ・マチャイゼ、欲を言えばもう少しか弱い感じがあるといいのだが。何しろスキッキが結婚を許してくれないなら、ヴェッキオ橋からアルノー河に身投げをしてしまう、と歌うのだから。
さて、よく言われることだが、多くのオペラ好きが、本当はプッチーニが一番好きなのだがそれを言うと俗っぽいと思われるのでためらうのは、さもありなんと思う。しかしこの三部作を観ればそうではない、そういう位置づけになるかもしれない。
音楽全体は違うけれど、この作品もところどころで「ボエーム」を思い起こさせる。たとえば終盤、このたくらみがばれたらフィレンツェを二度と拝めない、さらば(Addio)、、、とスキッキが歌うとき、「ボエーム」のフィナーレで死にそうなミミのために皆が何かをしようとする中で、哲学者コルリーネが金を作るために質屋に売ろうという外套にやはりAddioと歌うところが思い浮かぶ。そういえば三部作の最初は「外套」であり、こっちの外套は船長が殺してしまった若い船員を妻の目から隠すために使われている。やはりこれは地獄である。
三つが終わって、「ジャンニ・スキッキ」のカーテンコールのあと、前の二作品の登場人物も含めてのコールがある。これは三つそろってという意味付けだろうし、気持ちがいい。指揮のシャイーもやりがいがあったという表情だった。