メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

日陰者ジュード (トマス・ハーディ)

2008-03-01 19:11:08 | 本と雑誌
トマス・ハーディ「日陰者ジュード(Jude the Obscure)」(川本静子 訳 中公文庫上下)
長い小説が、読者の興味と期待を次々と裏切り続けていく。その結果、想像もしないところに来たという感慨があればいいのだが、そうでもない。少なくとも今の読者にはそうなのではないだろうか。
 
向学心に富む若者とそれに与えられる均等でない機会、それに対する挑戦と挫折、そして結婚制度と宗教の制約、それはこの1895年に発表された小説では赤裸々に書かれているらしく、それに対する特に結婚している男女の実際の営みも含めて言及したところがヴィクトリア朝社会を支える柱に対する反逆として、非難ごうごうになった、と解説に書かれている。
 
これを読むと、有名な作家がこの長い小説を書いたことは少し理解出来るのだが、それでも今から見ると、もっと特に主人公の男女二人に対してはそれも女性(スー)に対しては当時の宗教の位置が思いのほか強かったとしても、もどかしい気分が最後まで抜けない。
また物語の展開として、もっと何かが必要ではなかったか、読者を最後まで引っ張っていくものが。
 
世間から見た不道徳性がハーディをしてこれを最後の小説にし、以後は詩に専念させることになったらしい。
ただ、「テス」など読んでいないからあまり言えないけれども、この小説を読む限り、ハーディの女性観、小説家としての資質に対してあのモームが「お菓子と麦酒」で皮肉った(といわれている)のも、無理ないのかもしれない。
その一方で、この主人公ジュードは、他の小説を思い浮かべると、貧しい出自ながら向学心に燃えるところは、ヘッセ「車輪の下」のハンスとも重なり、教会建築などに進みそうなところは、もっと下って少し前の娯楽小説ケン・フォレット「大聖堂」の主人公にもつながる。
 
それだからかよくわからないが、「ジュード」はイギリスではなかなか人気があるらしい。
まず「ジュード・ジ・オブスキュア」というバラがあって、香りバラとして今人気の品種である。我が家にも鉢がある。
そしてイギリスの俳優ジュード・ロウの本名はDavid Jude Heyworth Law で、ジュードはこの小説とポール・マッカートニーの「ヘイ・ジュード」から取られた。本人の話だそうである。

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