安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

地震予知は無理? 学会が方向転換も

2012-10-18 22:08:52 | 気象・地震
地震予知の研究50年間「成功率ゼロ」常時監視の東海地震でも無理なのか(J-CAST)

活断層型地震の典型である阪神・淡路大震災に続き、プレート(海溝)型地震の典型である東日本大震災も予知できなかったことで、地震学会は大きな沈滞ムードにあるようだ。地震予知など無理、やめて防災・「減災」対策に専念しようという声が次第に学会で大きくなりつつある。

当ブログは、地震を予測できなかったことに対して一定の反省は必要と思うものの、予知に関する研究を全面的にやめてしまうのは、せっかくの過去の研究成果を捨て去るものであり、賛成できない。

もともと地震予知なんて、現状では星占いと同じ程度のものだと当ブログはかねがね主張してきた。その真意は、地震予知に意味がないというのではなく、星占いと同じ程度に参考にすればよい、というほどのものである。私自身は興味がないが、星占いが好きな人は、今日のラッキーカラーが例えば青だとすると、青い物を身につけて幸運を呼び込もうとするだろう。そんな物で幸運が呼び込めるとは思えないけれど、幸運がやってくると、それを身につけていたおかげだと感謝できるし、たとえ何もなかったとしても、これを身につけていたおかげで悪いことが起きずに済んだと思える。それと同じように、大地震が起きたときに、予知があったおかげで被害を最小限に抑えることができたと思えるようなものとして、肩肘張らず、構えず「予知」と付き合っていけばいいと思うのだ。

実際、地震予知連委員まで務めたある地震学者が、地震予知を競馬に例えてこう言っている。

「ゲートが開いてスタートした直後、すべての馬が横一線の時にどの馬が勝つかと聞かれても困る。しかし、ゴール直前まで来れば、誰が見てもどの馬が勝つかはすぐにわかる。本来、地震予知とはそのようなものです」

この委員は、平常時を競馬のスタート時、前兆現象が頻発するようになる時期を特定の馬が先頭に立つとき、地震発生をゴール時に例えてこのように表現したものだが、これは逆に言えば、平時において地震予知がいかに難しいかを吐露したものといえる。「阪神でも東日本でも誰もどの馬が勝つかわからなかったではないか」という声もあるかもしれない。しかし、競馬だって毎度毎度当たる人がいないのと同じことである。

日本における地震予知の最大の問題点は、肯定派も否定派も予知に過大な期待をかけすぎていることだろう。肯定派は完璧な予知体制を目指し、否定派は一度でも予知に失敗すると鬼の首を取ったように騒ぐ。不完全なものを不完全と自覚しつつ、みんなで育てていこうという姿勢が見えないように思う。何でもかんでもゼロか100%かの不毛な二項対立的議論しかできず、ジリジリと後退していく日本社会の閉塞状況を反映している。

宝くじに当選する確率がどんなに低いからといって、買わなければ当選確率はゼロであるのと同じように、地震予知も、可能性が低いからといってやめてしまっては、過去の研究成果も未来への可能性も完全に否定されてしまう。もっと肩の力を抜き、100年後に予知に近づければいいというくらいのゆったりした気持ちで息長く取り組んでもらいたい。たとえ予知は無理でも「何年以内に大地震の可能性が何%」程度の予測ができれば備えになるし、それで一命を取り留めれば、予知があってよかったと思える程度にはなる。国民の立場に立った実用的な予知とは本来、そのようなものであり、試験管の中での実験結果を予測するような精緻な予知など国民は求めてもいないのである。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日の放射能測定値 | トップ | 【管理人よりお知らせ】「福... »

気象・地震」カテゴリの最新記事