王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

牧伸二さん 自殺?!

2013-04-30 08:31:03 | 芸能
牧伸二さん自殺か 「やんなっちゃった節」一世風靡(産経新聞) - goo ニュース

昨日29日昼TVニュースを見ていたら速報で牧伸二さんが未明に自殺したらしいと速報が流れました。
その後少しつつ事情が分かってきました。
前日浅草でのオオトリの席をすっぽかして行方不明になった。翌日になったばかりの0時15分頃自宅付近の丸子橋から多摩川に身を投げたところを通行人に見られています。
遺書な見つからないようですが自殺とみられています。昭和9年生まれ 享年79歳でした。

思い出すのは中学生か高校生になったころ漫談家牧伸二と聞くとウクレレ持って
♪フランク永井は低音の魅力 牧伸二は低能の魅力 ああやんなっちゃった 驚いた♪ と歌っていたのを思い出しました。

平成14年には脳梗塞で倒れたそうです。お酒好きが祟ったのでしょう。60台の終わりですから芸人としては残念だったでしょうね。
加齢による記憶力の減退プラス脳梗塞の後遺症で芸に陰りを感じたのかも知れません?

間違いなく昭和の芸人がまた一人なくなりました。
謹んでお悔やみを申し上げます。          合掌。

写真:元気なころの牧伸二さん

産経新聞:
 軽妙な社会風刺に続く「あーあ、やんなっちゃった、あーあ、驚いた」のフレーズで有名だった牧伸二さん。突然の死はファンや関係者を驚かせた。

 牧さんは東京都出身。温度計の製造会社に勤めていたが、ラジオの素人演芸番組で9回連続名人になり、昭和32年、漫談家の牧野周一さんに入門。35年、文化放送「ウクレレ週刊誌」のレギュラーとなり、ハワイアンミュージックの替え歌「やんなっちゃった節」が人気を呼んで一躍スターに。「あーあ…」の一節は流行語にもなった。38年からは「大正テレビ寄席」の司会者を15年間務めた。

 40年に日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞。平成14年に脳出血で倒れたが、リハビリを経て舞台に復帰し、翌年、文化庁長官賞。最近はイベントや演芸場などの舞台を中心に活動していた。東京演芸協会では「牧伸二と100人の芸人たち」を旗揚げし、来月5日の静岡県三島市公演も決まっていた。

                   ◇

 漫才協会会長の青空球児さん(71)の話「駆け出しだったころ、テレビで『面白いじゃないか。頑張れよ』と声をかけてもらった。本当にうれしかった。戦後の演芸界の救世主だったと思う」
(引用終わり)


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2 コメント

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Unknown (RYU)
2013-04-30 17:37:24
管理人様、世代が違うので、コマーシャルなどで有名な歌は知っていましたが、そんな芸風とは興味深いですね。底辺を演じるという芸人ならではの流儀が通ったのは、それだけ時代が良かったという事だったのでしょう。様々なブームがありましたが、芸は台頭し、政は安定する、という、秩序を破壊するブームのパラドックスというのは、メディアなどが主体とする手法ながらも、マンネリを作るグループアイドルであったり、水戸黄門などの定番ドラマ、映画などは、特定の世代にターゲットを向けたトレンドで、アナーキーが関わるフロンティアの難しさと、人材による献身というのは、凄いスピリッツがあると思います。
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芸の変遷 (浜の偏屈爺)
2013-05-01 08:54:59
RYU様 重ねてのコメント有難うございました。
一人芸の芸人を思い出すともっと古くはトニー谷が居ましたね。 牧さん以降ではしばらくケーシ高峰さんその後が「きみまろ」さんですかね!
芸風が時代と共に変わっている気がします。
事実を認めて悠々生きれば良かったとお気の毒に思います
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