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自転車オムニアム・梶原悠未 涙の銀メダル「うれしい。でも、悔しい」 競泳から高校で「運命の転向」

2021-08-09 09:46:14 | 東京五輪
スケボーストリートの女性陣の活躍もさることながら、自転車トラック種目の女子オムニアムという種目が有る事を浜爺は少しも知りませんでした。従ってルールもどんなものか全く知りません。
20年世界選手権女王の梶原悠未(ゆうみ、24=筑波大大学院)は落車してユニフォームの右腰から脚の部分が切れるほどの衝撃を受け乍ら、総合2位で銀メダルを獲得と言うのも凄いものだと感心しました。
落車の後の様子です〈ネットより)


レバとかタラは勝負が済んでから無しですが落車が無ければ金だったかも知れません。まあ日本人の女子が自転車競技で五輪の表彰台に立つのは初の快挙だそうです。重ねておめでとうございます。もう一つ上の色を狙ってパリ大会を目指す意欲が有りそうで益々頑張って下さい。

写真:スポーツニッポン新聞社 自転車女子オムニアムで銀メダルを獲得した梶原(AP) 

スポニチアネックス:
自転車トラック種目の女子オムニアムで、20年世界選手権女王の梶原悠未(ゆうみ、24=筑波大大学院)が銀メダルを獲得した。自転車の日本女子で五輪の表彰台に立つのは史上初。4種目の合計点で競うレースで、第3種目の苦手エリミネーションで2位と奮闘。最後のポイントレースでは転倒したが、総合2位を守った。五輪に憧れ続け、競泳から自転車に転向した決断が地元五輪で花開いた。
 何を意味する涙か分からなくなった。全レースを戦い抜いた梶原は言った。「メダルを獲れたことは、とてもうれしい。でも、優勝を目標にここまで取り組んできたので凄く凄く悔しい」。首にかけたのは、焦がれ続けた色とは違う銀。それでも、数少ない有観客の夢舞台を走り切り、日本女子の大きな壁をこじ開けた。
 進化は見せた。総合3位で迎えたエリミネーション。最後尾の選手が脱落していくサバイバルレースで最後の2人まで残った。筑波大の卒業論文として戦術技能を研究し続けた課題種目。男子選手の映像も分析し「常に自分が出られる状況を確保」しながら大外から仕掛け続けた。総合2位に順位を上げ、最終種目で落車するアクシデントも乗り切った。
 一つの決断が、人生を変えた。12年夏、中3の梶原はひたすら泣いていた。競泳で全国大会の出場を逃した。「努力って、報われないじゃん」。五輪連覇の北島康介に憧れ金メダルを夢に描いたが、上には上がいた。自問自答し、心の声を聞いた。「何でもいいから一番になりたい」。母・有里さんの勧めもあり、高校から自転車に転向した。
 すぐに出場した全国大会で落車。それでも周囲から「落車が怖いなら一人で飛び出せばいい」と助言を受け、「自分の好きな走りを選択していいんだ」と目を輝かせた。大学からは極限の体力と戦略性で競うオムニアムに挑戦。練習やレース中には何度も吐いた。激しい呼吸が続き、気管の皮がめくれた。想像を絶する試練を乗り越え、世界の頂だけを目指した。
 五輪の1年延期が決まり、ロード練習中に伊豆の二宮神社を通過するたび、心の中で「金メダルを獲得します」と宣言していた。有言実行は次に持ち越された。「まだまだ金メダルに向けて、さらに努力を積み重ねていく」。悔しさはきっと、パリでの輝きを引き立てる財産となる。
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