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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

李登輝・元台湾総統死去97歳民主化に尽力、親日家

2020-07-31 11:12:06 | 中国関連
昨日30日台湾総統を務めた李登輝氏が97歳で逝去されました。
謹んで哀悼の意を捧げます。
浜爺もサラリーマンの頃があり、仕事で桃園空港に着くと、市内までの田舎道のレンガの壁に「復光大陸」とか「反共自彊」とか白いペンキで書いてあった時代を知っています。
蔣介石の息子が総統になり、その下で副総統を務めていたのも覚えています。
そして蒋経国亡き後、総統に就き、いろいろあって国民党以外の政党を認め、ついには総統の直接選挙に踏み切って当選し、初の民選総統となりました。
浜爺は戦前からの台湾人なので台湾人だとばかり思っていましたが、昨日から李登輝氏の生い立ちを読むと、戦前から台湾に移り住んだ本省人(客家)が出自だそうです。 あの柔軟さやしたたかさは凄いと感じていましたが、鄧小平閣下にも同様な感じを持っていました。
その後陳水扁氏の民主進歩党の進出と(汚職騒ぎ?)による国民党馬英九氏の盛り返しと親中路線で台中二国制度は駄目かと思っていましたら、2016年一期目から中国人に叩かれていた蔡英文総統の活躍で「民主国家台湾」の立ち位置が重くなってきました。
「香港に対する国家安全維持法」の適用がこの7月から実施され、一刻二制度の骨抜きと、台湾併合を中国がやるかもしれないなんて話も全く無きにしも非ずです。
とにかく国民党一党独裁で「大陸反攻」から抜け出て、民主主義と資本主義経済と法治主義の国家体制に変えた功績は凄いものと思っています。
おそらく、中国共産都が路線を変更しなければ、台湾はその対極に位置する一地方やがて国になる様な気がします。
日本もどちらと友好を続けるか確り考える転換期になっているような気がします。
改めてご冥福をお祈りします。 

写真:李登輝氏=台湾・台北市で2017年9月、福岡静哉撮影

毎日新聞:
台湾総統を1988年から12年間務め、台湾の民主化と経済発展に尽くした李登輝(り・とうき)氏が30日午後7時24分(日本時間午後8時24分)、台北市内の病院で敗血症性ショックと多臓器不全のため死去した。97歳だった。「22歳まで日本人だった」と公言するほどの親日家として知られ、政財界や学界などの多くの日本人と深い親交があった。
 日本統治時代(1895〜1945年)の1923年、台湾北部の台北県三芝郷(現・新北市)で生まれた。日本語教育を受け、43年には京都帝大(現・京都大)農学部に入学。旧日本陸軍に入隊したが終戦で台湾に戻り、台湾大農学部を卒業した。68年に米コーネル大で農業経済学博士号を取得。台湾に戻り、農業経済学の専門家として台湾大教授などを歴任した。
 72年、蔣介石の長男で後に総統を務める蔣経国に見いだされ、政界入り。84年には副総統となった。88年1月、蔣経国総統の死去に伴い、総統に昇格した。戦前から台湾に居住した人々とその子孫である「本省人」では初の総統だった。
 台湾は戦後、長らく国民党による独裁体制が続いてきた。李氏は野党の存在も認める法律を成立させた。40年以上改選のなかった終身議員を説得して引退させ、国会に当たる立法院や国民大会の全面改選を実現させた。96年には初の総統直接選挙に踏み切って当選し、初の民選総統にもなった。台湾の急速な民主化は「静かな革命」と呼ばれ、国際社会から「ミスター・デモクラシー」と高い評価を受けた。熱心なクリスチャンとしても知られた。
 積極的な外遊を展開して外交関係がない国とも実質的な関係強化を図り、アジア太平洋経済協力会議(APEC)への加盟実現(91年)など台湾の国際的地位の向上に努めた。対中国では、母校コーネル大の招待による訪米や総統直接選挙で急速に関係が悪化。中国は95〜96年、台湾海峡近海でミサイル発射演習を繰り返し、これに対し米軍が空母2隻を近海に派遣する台湾海峡危機を招いた。99年にも中国と台湾を「特殊な国と国の関係」とする「二国論」を提起し、中台関係が緊張した。中台の窓口機関が92年に「一つの中国」で合意したとされる「92年コンセンサス」については、当時総統だったものの、その存在を否定した。
 台湾では歴史教育は中国史が中心だったが、97年に台湾史を重視する教育を導入。これが「台湾人意識」の高まりをもたらした。
 2000年5月の総統退任を控え同年3月に行われた総統選では、李氏の後継者として国民党から出馬した連戦氏が民進党の陳水扁氏に敗れ、初の政権交代につながった。李氏は国民党主席を辞任した。
 総統退任後は独立志向を強めた。01年に結成された独立派の政党「台湾団結連盟」の党大会に出席したことなどから、国民党籍を剥奪された。陳政権と当初は連携したが、陳氏の汚職事件などで距離を置いた。対中融和路線を取った国民党の馬英九政権(08〜16年)には批判的だった。12、16、20年の総統選ではいずれも民進党の蔡英文氏支持を表明した。
 退任後はたびたび訪日し、90歳を超えても講演をこなすなど精力的に活動を続けた。18年6月には沖縄で台湾人日本兵の慰霊祭に参列した。だが同年11月に自宅で転倒して約2カ月にわたり入院。その後は公の場に出る機会が減っていた。今年2月、自宅で牛乳をのどに詰まらせたことで肺炎になり、入院生活を続けていた。【香港・福岡静哉】
(引用終わり)

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