JAのさとうきび全滅したら離島経済は破綻の嘘




 伊江島に新しい黒糖工場が完成した。今期約3500トンの収穫である。さとうきびは1トン2万円であるから約7000万円の売り上げとなる。工作者が20人であるなら、1人350万円の年収である。肥料代、農機具代、運搬料金等の必要経費を引くと耕作者にいくら残るだろうか。300万円以下であるのは確実だ。280万円くらいではないだろう。
 さとうきび耕作者が平均280万円の収入を得るとすると伊江島の耕作者は20人だけである。もし、40人の耕作者が住んでいるなら1人140万円の収入にしかならない。家族が生活できるような収入ではない。

 伊江島の人口は4646人である。平均280万円のさとうきび耕作者が居るとするなら伊江島の耕作者は20人しかいないということになる。140万円収入平均なら40人である。4646―40=4620であるから4620人はさとうきび以外の収入に頼らなければならない。

 黒糖工場で27人を雇用するというが、製糖工場の稼動は約三ヶ月である。三ヶ月の雇用では雇用効果はない。

 黒糖工場の指定管理者はJAおきなわである。黒糖工場が赤字になっても管理者であるJAには管理量が確実に支払われる。さとうきびの肥料や農機具、農薬などはJAから買う。さとうきび栽培で一番儲けるのはJAである。
 JAはTPPに参加すると離島のさとうきびは全滅して離島経済は破綻すると主張している。しかし、伊江島のさとうきび農家が280万円平均の収入であるなら農家の数は20件だけであり、人口4646人の0.5パーセントにも満たないのである。

 さとうきび1トンの値段は2万円であるが、2万円のうちの1万6000円は国の補助である。さとうきびの実質的な経済価値はわずか4000円である。さとうきびの本当の経済効果はほとんどない。
 さとうきびが全滅したら離島経済が破綻するというJAの主張は間違いである。

 県・国はさとうきびを別の作物に転換する努力をするべきである。月桃から香水や防腐剤をつくるベンチャー企業は広がっている。それ以外にもマンゴー、ノニ、アロエ、スイカ、ピーマン、ニンジン、じゃがいもなど沖縄には有望な作物や薬草などがある。とくに加工商品の開発も進んでいる。
県が商品開発や販路拡大、投資などでベンチャー企業をもっと援助すれば沖縄の農業は発展することができる。

 離島の民宿ブームが広がっている。観光産業はもっと成長するだろう。離島は積極的に観光産業を開発したほうがいい。さとうきびに将来はない。
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沖縄内差別に目を向けよ






 和美さんは、まだ日本に返還されていなかった沖縄で、名前も顔も知らないフィリピン人の父親と日本人の母親の間に55年に生まれる。仕事をする母のため、ずっと祖母に育てられ、その母も15歳の時に再婚して渡米して別れる。彼女自身も母親に捨てられたと感じ、また国籍がないため高校進学もできなかった。息詰った彼女が福祉事務所の門を叩くと、白人は100ドル、黒人は50ドル、フィリピン人は30ドルの補助がでると伝えられる。「フィリピン人は30ドル」この時の衝撃が永山への共感につながるが、彼女が”拳銃の引き金をひかなかった”のは、それをおしとどめてくれたのは育ててくれたおばあちゃんの存在があったからだと述懐している。



 和美さんは永山則夫と獄中結婚をした女性である。復帰前の沖縄は、白人は100ドル、黒人は50ドル、フィリピン人は30ドルの補助であり、歴然たる人種差別を沖縄はやっていた。和美さんは沖縄に絶望してアメリカに渡ったという。

 「沖縄人権協会」などで問題にするのは沖縄がアメリカに差別されている問題であり、沖縄内の差別は対象外にしている。アメリカは外国である。沖縄と外国との人権問題と沖縄内の人権問題では沖縄内の人権問題が重要である。

 アメリカとの人権問題はそのほとんどがアメリカ兵による事件・事故の裁判問題である。事件・事故はマスコミで話題になり、人々の関心が集まりやすいが、事件・事故は非日常の問題である。沖縄内の人権問題は事件・事故ではないからマスコミでは話題にはならないが事件・事故とは違い日常問題であり事件・事故より深刻な問題である。人権問題はアメリカとの問題だけに目を向けるのではなく、沖縄の内側に目を向けるべきである。
 たとえば、普天間第二小学校は普天間基地の騒音被害を毎日受けている。子供の人権を守るのなら普天間第二小学校を一日も早く移転させ運動をするべきだ。普天間第二小学校を問題にしない沖縄人権協会は人権協会と言えるのであろうか。
アメリカ兵の犯罪だけを問題にする人権協会なんて本当の人権教会ではない。「沖縄人権協会」の名称をおろして「反米人権協会」にしたほうがいい。

 福地理事長は、「沖縄の現状は復帰前とほとんど変わっていない」と述べているが、沖縄市で起こった中学生暴行事件は中学生が起訴するのをやめたので不起訴になったが、アメリカ軍は起訴して裁判をやった。また、アメリカ人が子供を虐待死させた事件も沖縄では不起訴になったが、アメリカは起訴して裁判を起こしている。アメリカの態度も変わっている。評価するべきところは評価するべきである。

 スペイン国際人権法協会のカルロス・デュラン会長の発言には呆れる。イラク戦争は終結してほとんどのアメリカ軍は引き上げている。アフガン戦争はまだ続いているが、沖縄がイラク戦争やアフガン戦争に巻き込まれる危険は全然ない。「国際人権法協会」というのは「戦争被害妄想協会」なのだろうか。
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 教公二法と八重山教科書問題














 写真は1967年2月24日立法院を取り巻いている沖縄の教師たちである。大衆ではなく教師たちである。教公二法とは教師の政治活動を禁じたものである。復帰前の沖縄は教師が政治活動を自由にできた。革新系の立候補者が学校の職員室にやってきて、支持を訴えて握手するのは見慣れた風景だった。教職員たちは教公二法を阻止しようと立法院を取り巻いた。見ての通りものすごい人数である。

 沈痛な面持ちでハンガーストライキをしている屋良朝苗氏は沖縄教職員会長であり、初代の公選選挙主席であり、初代沖縄県知事である。屋良氏は社会党や共産党系ではなく戦後の沖縄の教育に情熱を傾けた人である。「祖国復帰して本土並みの環境になれば沖縄の学力も本土並みになる」と信じていた人間であった。その信念で復帰前は沖縄の教育環境を改善するために全国を周って教育資金集めに尽力した。彼の努力で日本政府を動かし政府からの援助も実現した。

 屋良氏たちのハンガーストライキの効果はなく、民主党(自民党系)は教公二法案の成立への手続きは進んでいった。危機を感じた教職員は10割年休闘争を決定して写真のように立法院を取り巻いた。そして、1967年2月24日、民主党が教公二法を強行採決しようとした時、教職員は警護している警察管をごぼう抜きにして立法院に突入して実力で教公二法の議決を阻止した。一部の議員はアメリカ軍のヘリコプターで脱出したという。
 教公二法闘争は教職員の政治力の強さを証明した事件であった。
 60~70年代の教員組織は沖縄の政治を主導した。あの頃活躍した若き教員たちが現在の60~70年代の教諭OBである。

 USCAR文書は興味深い。当時の新聞は教職員側の報道だけであり、警察や高等弁務官の話が報道されることはなかった。
 アンガー高等弁務官は「教公二法案を可決することは沖縄における民主主義がかかっています。民主主義や多数決のルールに従うのか、それとも暴徒のルールに従うかです。教師の政治活動や子供への影響の問題も重要なことですが、より深刻なのは、果たしてこの島で民主主義が生き残れるかということです」と心配している。

 革新系政治家や知識人から植民地支配をしていると言われているアメリカのアンガー高等弁務官は「果たしてこの島で民主主義が生き残れるか」と教職員の運動を民主主義を破壊する存在とみなしている。そして、アメリカは沖縄の民主主義を守る側にあると認識している。アメリカが沖縄を民主主義社会にしようとしていたことが窺える。

 アンガー高等弁務官は、対立が沖縄人同士であるという理由で琉球政府からの琉球政府からの米軍の直接介入の要請を断っている。沖縄に三権分立の制度をつくったのはアメリカである。主席は民政府が任命したが、アメリカ軍の存在を除外すれば、沖縄は民主主義国家であった。沖縄人同士は民主的な関係であったのだ。アメリカ人が経営しているのはほとんどなかった。戦前までは武士階層や旧薩摩藩系が沖縄の経済を支配していたが、戦後のアメリカ民政府時代は戦前の特権階級の経営者はいなくなり、沖縄の庶民が自由に商売ができるようになった。平和通りは戦後に発展した自由市場である。たばこや酒は自由に販売できた。
沖縄経済はアメリカ流の自由貿易であり、外国人の投資も自由であったから、台湾人、フィリピン人、韓国人だけでなくインド人などの中東の人間も沖縄で商売をしていた。

 日本に復帰すると、外国人が急激に減っていった。フィリピンバーは嘉手納町、石川市、沖縄市の中の町などいたる所にあったが、今はなくなった。復帰後に残ったのは沖教祖や自治労の強力な政治力である。

 八重山教科書問題を冷静に考えれば、中学三年生の公民ひとつの教科書問題である。教科書は国が検定したものでありちっぽけな問題であるのに、沖教祖や教員OBや革新系知識人が育鵬社の教科書を採択したら軍国主義国家にもどるなどと妄想でしかない噂を振りまいて沖縄中を大騒ぎせた。いや、沖縄中が大騒きしたというのは疑問だ。新聞が大騒ぎしただけかもしれない。

 八重山教科書問題は教科書採択に重大な問題があるのではなく、1967年に警官隊さえ排除して教公二法の決議を阻止した教職員の絶大なる力が2011年でも健在であり、自分たちのテリトリーに侵入してきた育鵬社の教科書を排除しようと自分たちの組織を最大動員して多くの集会を開催したり、署名を集めたりして実力行使をしたということだ。

 生徒や親たちとは関係のない大騒ぎだ。
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