自民党が与党であり続けている原因を解いていく2 60年安保からわかる国民の選択

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自民党が与党であり続けている原因を解いていく2 60年安保からわかる国民の選択


1945年に太平洋戦争は終わった。米軍の爆撃で東京などの都市は焼け野原にされた。広島と長崎には原爆が投下され、日本は破壊しつくされた。<center>
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 終戦直後の東京では毎日餓死者が出ていた。1945年末に渋沢敬三大蔵大臣が「来年は1000万人の国民が餓死するかもしれない」と発表した。上野駅地下道には毎日餓死者があふれ、大阪だけでも1カ月に70人の餓死者が出た。敗戦の荒廃の中で人々は日々一刻、すさまじい飢えと格闘していた。だから、国民は絶望していたと予想するだろう。しかし、戦争が終わったということはこれからは原爆が投下されることはないし、B29重爆撃機で爆撃されることもなくなるのだ。戦争で海外に出兵している男たちは銃を捨て日本に帰ってくる。親兄弟が戦死することはない。
 国土は破壊し尽くされ住む家は破壊され食料は少なく飢えの心配はあるが、戦争は終わった。これ以上破壊されることも殺されることもない。国民はそのことを実感したはずである。国民には破壊と貧困への絶望ではなく、平和になったことへの安堵が強かったと思う。<center>
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 戦争に負けた日本国民は絶望の淵にいたのではないかと想像するが、笠置シズ子とパンパンたちの笑っている写真をみるとそうではなかったということが分かる。
 軍部が政権を握っていた戦時中は男たちは戦場に駆り出され、女や子供たちは「贅沢しません。勝つまでは」と質素な生活を強制されて生きていた。強制された貧困生活から解放されたのが敗戦である。多くの国民は敗戦という敗北感よりも戦争することを国に強制された生活から解放されて自由になった安堵が強かっただろう。

日本はアメリカと戦争をして、アメリカは日本に原子爆弾を投下し、B25爆撃機で日本を破壊したのだから米国を嫌うのが当然である。ところがアメリカ流の歌を歌う笠置シズ子を米兵相手のパンシパンたちが熱狂的なファンになった。


1950年アメリカ公演に行く前に歓送特別公演が日劇で行われた時、夜の女たちの姐御“ラク町のお米”は仲間たちに大号令をかけ、日劇の1階の半分、約800席を買い占め、「ラクチョウ夜咲く花一同より」と書かれた、ひときわ大きく高価な花束をステージの笠置に贈った。笠置は感激し、彼女たち一人ひとりに「おおきに、おおきに」と応え、握手して回った。
奇妙なことである。しかし、現実である。この現実を理解することが大切である。


1946年に戦後初の衆議院選挙が行われた。20歳以上の男女が投票できる日本はじめての普通選挙である。


日本自由党141
日本進歩党94
日本社会党93
日本協同党14
日本共産党5
その他 119
首相 吉田茂


 日本自由党は現在の自由民主党と同じ系統の政党である。日本進歩党も保守政党である。第一回総選挙では保守政党が過半数を獲得した。吉田茂が首相になった。


1947年の選挙では社会党が第一党となった。


日本社会党143
日本自由党131
民主党124
国民協同党31
日本農民党5
その他32
首相 片山哲


社会党が第一党になり、社会党の党首である片山哲氏が首相になった。日本自由党は131で社会党に12議席少なかった。二つの政党は接近している。国民は二つの政党を平等に見ていたということだ。これからは自由党と社会党が交互に与党になって政権を争うことを予想させたのが47年の選挙である。ところが、そうはならなかった。


1949年の選挙である。
民主自由党264
民主党69
日本社会党48
日本共産党35
国民協同党14
その他36
首相 吉田茂


 民主自由党は134議席増えて264になった。一方社会党は105議席も減って48議席になった。国民は社会党の政治にNOの判定を下したのである。
 1949年以降は民主自由党が与党であり続ける。国民が自由党を支持し続けたのは自由党が経済発展の政治を進めたからである。国民は経済発展に力点を置いた政治をする自由党を支持し続けたのである。
1958年の選挙から自由民主党と社会党の二大政党になるが、自由民主党が与党であり続けた。
国民は経済発展を重視し、自民党を支持し続けたことを明らかにしたのが60年安保である。


1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)にかけて日米新安全保障条約(安保改定)締結に反対する国会議員、労働者や学生、市民が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動の安保闘争が起こった。日米安保改正に反対したのが社会党と共産党であった。
反安保闘争は、大規模なデモやストライキに発展していった。最盛期には500万人以上の一般労働者が勤務時間の一部を使って集会や抗議活動を行っていたという記録がある。<center>
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安保条約は国会で与党のみ賛成する強行採決で可決された。強行採決は大きな混乱になり、岸内閣は混乱の責任をとって内閣総辞職を余儀なくされた。


 写真で分かるように反安保運動は国会を取り巻くほどに大規模の運動であった。これほどまでに大規模化した反政府運動は戦後初めてである。反安保運動以上の反政府運動はない。反安保運動はアイゼンハワー米大統領の日本訪問を中止させたほどである。
 
 1960年6月10日には、アイゼンハワー大統領の来日日程を協議しに羽田に来たジェームズ・ハガチー米報道官が、空港に押し寄せたデモ隊に包囲され、命からがら脱出するという「ハガチー事件」が起きた。
6月15日には、全学連運動家で東大生の樺美智子さんが、国会議事堂前でのデモで衆議院の南通用門から国会内に突入した際、機動隊ともみ合って圧死するという事件が起きた。「警察が一般人女性に暴力を振るい殺した」――この事件はマスコミ各社に大々的に取り上げられた。
樺美智子の死去は、内外に深刻な波紋を呼んだ。政府は、16日の閣議で「アイク訪日、中止」の要請を決めた。マニラまできていたアイゼンハワー大統領は、訪日をあきらめ台湾、韓国に向かったのである。


 反安保運動は米大統領の訪日を阻止し、内閣を総辞職させたのである。それほどまでに反安保運動の規模は大きかった。朝日、毎日、読売など大手新聞7社も「理由のいかんを問わず、暴力を排し、議会主義を守れ」と自民党政府を批判する共同宣言を掲載した。
岸内閣は窮地に立たされた。ここまで事態が悪化したら、誰かが責任を取るしかない。結局岸は、この条約が自然承認された四日後、首相を辞任した。


反安保運動が盛り上がっている最中に国会は解散し、11月20日に衆議院選挙が行われた。自民党が圧倒的に不利であると思われた衆議院選挙である。
選挙では自民党の支持は下がり、安保反対の社会党、共産党の支持が高くなっただろうと予想するのが当然である。衆議院選挙では社会党が圧勝するに違いないと予想する。ところが現実は違った。社会党は圧勝どころか議席を減らしたのだ。当然与党にならなかった。選挙では自民党が勝利 し与党になったのである。


1958年
自由民主党287
日本社会党166


1960年
自由民主党296
日本社会党145
民主社会党17


自民党の議席は287議席から296議席と増えた。社会党は166議席から145議席、新しく設立した民社党が17議席になり、左翼の両党合わせて4議席減の162議席になったのだ。国民の選挙で減るはずの自民党の議席は増え、増えるはずの社会党の議席は減ったのである。それが国民の気持ちである。


内閣を総辞職に追い込み、米大統領の訪日を阻止した反安保運動を国民は支持しなかったということである。それを明らかにしたのが衆議院選挙であった。
自民党287議席 左翼政党165議席であり、比率は1.7対1であった。55年体制と変わらない選挙結果であった。反安保運動は自民党体制をひっくり返すほどの激しく大きい運動に見えたのに、国民の側から見るとなにも変わらないごく一部の反対運動でしかなかったのだ。社会党への国民の支持が増えるはずの60年安保であったか国民の支持は逆に減った。 


500万人以上の一般労働者が参加した反安保運動であった。日米安保を進めた自民党への反発は高く、自民党支持は減るはずなのに逆であったのだ。国民は社会党、共産党を支持しなかったのである。


戦後は資本主義の米国と社会主義のソ連が対立していた。自民党は米国寄りであり日米安保を締結した。一方、学生や労働団体などはソ連寄りであった。だから、大規模な日米安保反対運動が起こったのである。大学教授はマルクス・レーニン主義者が多く、社会主義を支持する学者、知識人は多い。日本学術会議を支配しているのが反米主義の社会主義学者である。


日米安保反対運動が政府を追い詰めるほどに盛り上がったのに衆議院選挙では自民党が圧勝した。ということは国民は日米安保に賛成し、米国に親しみを感じ、ソ連には反発していたということである。国民が嫌った社会主義ソ連は1991年に崩壊した。米国は経済がますます発展し、自由な国になっていた。米国に親しくし、ソ連を嫌った日本国民の選択は正しかったのだ。
旧社会党に近い議員が立憲民主の左派である。立憲内の左派は減り続けている。共産党も同じである。立憲と共産党は連合を組んで東京都議選に立候補した蓮舫氏を応援している。


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なぜ日本は自民党が与党であり続けるのか

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なぜ日本は自民党が与党であり続けるのか


日本はずっと自民党が政権を握っている。国民の自由な選挙で国会議員は選出されるのだから、他の政党と交互に与党になるのが普通である。事実、外国の議会制民主主義国家では米国のように与党は変わっている。日本のように自民党がずっと与党であり続けている国はない。まるで日本は自民党を与党にさせるために裏で政治工作をしているのではないかと思わせるほどに自民党が与党であり続けている。
日本は国民の自由意思で選挙をする。裏工作はない。だから、国会議員は国民の自由意思で選出している。そうでありながらなぜ自民党が与党であり続ける。不思議である。


 1953年の国会は自由党(199) 改進党(76) 左派社会党(72) (右派社会党(66) 分党派自由党(35) その他(18)であった。1955年になると保守系は日本民主党(185)と自由党(112)の2党になり、左翼系も左派社会党(89)と右派社会党(67)の2党になった。1958年には自由民主党(287) 日本社会党(166)の2大政党時代になった。二大政党時代になったから自民党と社会党政権を争い、交互に与党になるのが普通であるが、そうならなかった。社会党が与党になったことは一度もなかった。


 1958年以後に、1993年と2009年以外はずっと自民党が与党であり続けた。社会党は分裂し社会党はなくなった。自民党は分裂しないでずっと安定して続いている。
日本国民は自民党を支持し続けている。しかし、自民党だから支持しているというものではない。自民党の政治を支持しているのだ。もし、自民党よりも他の政党の政治がいいと思ったら国民は自民党以外の政党を支持している。事実、2009年に民主党が309議席、自民党119議席になり、民主党が与党になったことがある。民主党が与党になったということは国民は自民党だから支持しているということではないのだ。
 
自民党政権時代にアメリカ合衆国発の金融危機で世界経済が悪化したことがある。アメリカの金融危機によって円高になった。円高になると日本製品は高くなり売れなくなる。日本輸出は落ち込み、日本経済は悪化していった。経済悪化を自民党政府を改善することができなかった。日本経済はますます悪化していった。国民は自民党政府に不安を持つようになった。
かつてない速さで悪化する経済情勢に加えて、ねじれ国会における野党の審議拒否・審議引き延ばしのために迅速な景気対策がとれなかった。そのために麻生内閣の支持率は10%台まで落ち込んでいった。
自民党より民主党のほうが国民のための政治をやると信じた国民は総選挙で民主党を与党にしたのである。国民は民主党が日本の経済悪化を克服すると期待したが、民主党政権で経済はますます悪化していった。民主党は国民の期待を裏切ったのである。3年後の2012年の総選挙では民主党はたった53議席しか取れないで野下した。国民は自民党に期待した。294議席確保した自民党が与党に帰り咲いたのである。
 与党に帰り咲い自民党は総理大臣を安倍晋三氏にした。安倍内閣は経済対策を立てた。それをアヘノミクスという。
「第一の矢」:大胆な金融緩和 
「第二の矢」:機動的な財政政策 
「第三の矢」:民間投資を促す成長戦略


 安倍内閣は円高を解消し円安にするためにマイナス金利による金融緩和をやった。マイナス金利にすれば銀行の収入は激減する。円への信頼はなくなり、世界での円の価値が低くなる。もしかすると新たな経済危機に陥るかもしれない。危険を覚悟で安倍内閣はマイナス金利政策を実行したのである。世界でマイナス金利政策をした国はない。日本だけである。マイナス金利によって円は次第に安くなっていった。すると日本の商品は安くなり輸出が増加していった。アベノミクスによって日本経済は復活していった。


安倍内閣は2度総選挙をやった。国民は安倍内閣を支持し、2度勝利し、安倍内閣であり続けている。2005年から2021年の自民党→民主党→自民党という政治の流れを見ると、国民は国民生活を豊かにする政党を選んでいるのだ。


社会党と共産党は国民生活を豊かにする政党ではないと国民は知っていた。だから、支持率は低く、社会党、共産党が与党になることはなかったのだ。


<font size=4>自民党が与党であり続けている原因を解いていく1 


笠置シズ子とパンパン</font><center>

 この写真に強い衝撃を受けた。手を振っている女性は歌手の笠置シズ子である。そして、笠置のファンたちである。私が衝撃を受けたのは女性ファンが快活に笑っていることである。女性歌手のファンが女性であるのだ。
 笠置シズ子は終戦の2年後の1947年に「東京ブギウギ」を発表した。「東京ブギウギ」は大ヒットして笠置は国民的スターとなった。笠置が有名な歌手であること。東京ブキウギをうたっていたことは知っていた。私が驚いたのは女性たちの笑い顔である。敗戦して数年後である。敗戦のショックで国民は貧しさの中で苦しんでいるはずである。それなのに女性たちは快活に笑っているのだ。信じられない笑いである。
 彼女たちは熱烈な笠置ファンである。



 私は水谷豊の「相棒」のファンである。相棒だけは昔からずっと見ている。昼に再放送をしているが再放送も見ている。水谷の娘である女優趣里が笠置シズ子を主人公にしたNHKの連続ドラマ「ブキウギ」の主人公を演ずるということを知った。それまでは趣里のことを知らなかった。趣里 が演じる笠置について調べてみた。調べていると笠置の前に集まっている女性ファンたちの写真を見つけた。女性たちは笑い、とても楽しそうである。
 彼女たちは米兵相手に体を売る“パンパン”である。パンパンたちは笠置の熱烈なファンであった。パンパンたちが熱烈なファンであることを知って驚いた。米兵相手に体を売る“パンパン”たちが笠置のブギに熱狂したというのだ。なぜ熱狂したのかという原因については書いていない。
 東京ブキウギの歌詞である。


東京ブギウギ リズムウキウキ
心ズキズキ ワクワク
海を渡り響くは 東京ブギウギ
ブギの踊りは 世界の踊り
二人の夢の あのうた
口笛吹こう 恋とブギのメロディー
燃ゆる心のうた 甘い恋の歌声に
君と踊ろよ 今宵も月の下で
東京ブギウギ リズムウキウキ
心ズキズキ ワクワク
世紀のうた心のうた 東京ブギウギ
ヘイー
作詞:鈴木 勝 作曲:服部 良一


 ブギのリズムは元来、黒人ジャズやブルースの流れをくみ、逆境の中でも世を恨まず、強く明るく生き抜こうという希望を与える歌である。東京ブギブギはウキウキ、ワクワクし楽しく踊る歌である。米兵を相手に体を売っているパンパンたちが熱狂する歌とは思えない。しかし、熱狂したのである。
「ブギの女王”が“夜の女”たちの心を捉えたのは、未亡人となった笠置シヅ子が乳飲み子を抱えて懸命に歌い踊る姿に、同性として心打たれたからだと解説している。彼女たちは、苦しさを顔に表さずに舞台で明るく力強く歌い踊る笠置シヅ子に、生きる希望を投影していたと解説している。日劇のステージのかぶりつきに、花束を持ち、目を輝かせた彼女たちの姿を見ない日はなかった」とジャーナリストは評している。
信用できない批評である。
観客がファンになるかならないかは舞台の歌手の歌いっぷりを見てから決めるのである。歌手がどんな私生活をしているかは関係ない。彼女たちは舞台の笠置の歌いっぷりを見て熱烈なファンになったのである。,
彼女たちは日劇での笠置のステージに毎日駆けつけたという。彼女たちは数百名で舞台前の客席を陣取り、まるでアイドルファンのように笠置を熱烈に応援したという。それが敗戦から数年後に起こったことである。信じられない。信じられないが事実である。


1950年アメリカ公演に行く前に歓送特別公演が日劇で行われた時、夜の女たちの姐御“ラク町のお米”は仲間たちに大号令をかけ、日劇の一階の半分、約800席を買い占め、「ラクチョウ夜咲く花一同より」と書かれた、ひときわ大きく高価な花束をステージの笠置に贈ったという。笠置は感激し、彼女たち一人ひとりに「おおきに、おおきに」と応え、握手をして回った。<center>

 笠置シヅ子とパンパンたちの明るい姿を見て子供のころの近所に住んでいたアメリカハーニーたちを思い出した。私が住んでいた場所は嘉手納米軍飛行場から1キロほど離れている場所にあった。隣近所には米兵と同棲しているアメリカハーニーたちが居た。ハーニーとはアメリカ兵と結婚している女性ではなく、同棲することによってアメリカ兵から収入を得ている女性である。ハーニーは地元の女性はいなかった。遠く離れた場所に住んでいる女性たちであった。米兵から得たお金を実家に送っていた。離島の女性は多かったようだ。そのような女性をアメリカハーニーと呼んでいた。
 
ハーニーたちは明るかった。彼氏である米兵とは友達のようであり、男尊女卑のような関係はなかった。むしろ、ハーニーのほうが強い印象だった。笠置シヅ子のファンであるパンパンたちの写真を見るとハーニーたちの明るさと重なった。
 二軒隣の女性は米兵と結婚していた。子供が二人いて、一緒に遊んだ。かなり離れた家にはベッキーという私生児が居た。よくいじめられていた。
ある日、広場で遊んだ後に川に行くことにらなった。ベッキーは遊び仲間ではないので連れて行かない。しかし、ベッキーが錆びそうな顔をしたので、
「ベッキーも行くか」と聞いた。ヘッキーは嬉しそうにうなづいたので連れていくことにした。川はむらからかなり離れている。川遊びをしていると、
「ベッキー」
と女性の声が聞こえた。女性は何度も「ベッキー」と言いながら近づいてきた。ベッキーは川から出て女性を向かえた。女性はベッキーの母親だった。母親は泣きながらベッキーを強く抱きしめた。母親は私たちが川に連れて行ったのはベッキーを集団でいじめるのが目的であると思ったらしい。私たちは母親が泣きながら強く抱きしめている理由が分からず首をかしげながら見ていた。ベッキーは苦笑いしていた。母親はベッキーを連れて帰った。


 アメリカハーニーたちの陽気は他の女性に感じることができない明るさだった。東京のパンパンたちと似ている。米人を接することによって肌で感じることができる自由ではなかっただろうか。


 彼女たちは戦前の日本では感じることができなかった「自由」を米兵と接触して感じたのではないだろうか。
 米兵と書いてあるが日常生活では軍服はつけていない。米兵は普通のアメリカ人である。彼女たちは普通のアメリカ人と接触したのである。

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左翼支持率低下の回復を目指した立憲・共産連合の都知事選

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左翼支持率低下の回復を目指した立憲・共産連合の都知事選
 立憲民主党は左翼系の立憲民主に保守系の希望の党が合流した政党である。合流する前の衆議院の議席は立憲が55議席、希望の党が50議席であった。105議席あったが2021年の衆議院選で96議席になった。立憲は保守と左翼が半々の政党である。
 2021年の衆議院選では衆院選で、立憲民主党では辻元清美氏をはじめ黒岩宇洋、今井雅人、川内博史各氏ら国会審議で政権批判やスキャンダル追及をしてきた左翼系の「論客」が落選した。立民の中堅は「最前線で批判ばかりしていた人が軒並み落ちた。路線を変えないと、支持は得られない」と発言したほどである。21年の左翼系議員の落選で立憲の左翼系議員は半数以下になっているだろう。蓮舫氏は参院選東京選挙区(定数6)で3回戦っている。2010年は170万票であった。16年は110万票でトップ当選した。しかし、前回の22年は67万票で4位当選であった。左翼である蓮舫氏も支持率は下がり続けたのである。
左翼系の議員が減り続けているのは55年の社会党時代からずっと続いている。国民の左翼支持は減り続けているのは確実である。


 支持率が低下し続けている左翼が起死回生を目指して結束したのが立憲と共産の連合である。立憲共産連合をより強固にしたのが東京都知事選である。蓮舫氏とは立憲と共産の支持をバックに都知事選に立候補した。
 共産党は、小池晃書記局長が「最強、最良の候補者」と持ち上げている。6月に入ると共産党は「日本共産党も蓮舫さんを全力で応援します」と記したビラを各戸配布して選挙宣伝を始めた。街頭演説や集会に共産党関係者を動員して、共産党選挙運動の前面に出てきた。立憲共産党と呼ばれるくらいに都知事選の立憲と共産の連携は一体となっている。文字通り左翼政党の一体化である。
 支持率低下が進行している左翼の結集が都知事選である。支持率回復なるかどうか。それが問われる都知事選である。

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自民党が与党であり続ける原因を解明しないマメディアの愚かさ

自民党が与党であり続ける原因を解明しないマメディアの愚かさ




 国民の選挙で国会議員は決まる。自民党が与党であるのは国民が決めたことである。なぜ、国民は自民党を与党にし続けるのか。なぜ日本は二大政党にならないのか。その原因をマスメディアは明らかにしなければならない。


 自民党が与党であり続けるのは国民が選挙で自民党に与党にしているからである。マスメディアは自民党は与党として失格であることを盛んに書いている。しかし、国民は自民党を与党にしている。なぜ国民は自民党を与党にし続けるのか。国民が自民党を与党にし続ける原因はなにか。それをマスメディアや政治専門家は明らかにするべきである。


 なぜ、国民は二大政党にしないのか。国民が二大政党にしない原因はなにか。マスメディアは明らかにするべきである。立憲、共産、メディアが批判している自民党の裏金も自民党が与党であり続けたからである。二大政党であったなら裏金問題はなかったはずである。
 国民が自民党を与党にし続けるのは国民が自民党をえこひいきしているからではない。国民は国民の生活をよくしてくれる政党を選ぶ。自民党を選んでいるのは自民党が国民の生活をよくすると思っているからである。自民党より国民の生活をよくする政党があったら国民は自民党ではなくその政党を与党にしただろう。自民党より与党にふさわしい政党がないから国民は自民党を与党にしているのである。マスメディア、専門家はこの真実を認識するべきでセある。


 55年体制と呼ばれているのが自民党と社会党の比が2対1であることである。社会党は3分の1の議席で固定しているから与党にはなれない。つまり、社会党が絶対に与党になれないことが55年体制である。なぜ55年体制になっているかを解明したマスメィアデはいない。専門家もいない。
 2009年に民主党が与党になった。自民党以外の政党が与党になったのである。55年体制は崩壊したのだ。しかし、民主党は3年間しかもたなかった。2012年には自民党が与党になり、以来今まで与党であり続けている。
国民は左派の立憲を与党にすることはない。立憲は共産党、社民党と連携し、左派を結集した。しかし、左派を集させた立憲を国民が与党にすることはない。


 国民は社会主義左翼の社会党と共産党を与党にしなかった。国民が与党にしなかった社会党、共産党が支持する社会主義ソ連は1991年にに崩壊した。国民が社会主義を否定し、自民党を選択したのは正しかったのである。
 これからも国民は社会主義である左翼の立憲、共産を与党にすることはない。

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国民は国民投票に背を向ける立憲、共産を与党にすることは絶対にない

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国民は国民投票に背を向ける立憲、共産を与党にすることは絶対にない

 憲法を改正するか否かは国会ではできない。改正は国民の投票のみでできる。憲法の改変は国民だけができるのだ。
国民投票するには国会の議員3分の2以上が賛成しなければならない。3分の2未満であれば国民投票はできない。今まで日本は国民投票を一度もやったことがない。原因は旧社会党系の左翼と共産党が国民投票に反対し、国民投票に必要な3分の2以上の賛成票を確保することができなかったからだ。
 多くの国民は社会党と共産党が憲法九条を守るために国民投票に反対であることを知っていた。しかし、過半数の国民は自衛隊が軍隊になることに賛成していた。だから、国民投票をすれば憲法九条は改憲され、自衛隊が軍隊になるのは確実であった。国民は自衛隊が軍隊となることを認めていたのだ。しかし、社会党と共産党は反対だった。改憲したくない社会党と共産党は国民投票ができないようにしてきた。国民の民主主義の根本的な権利を奪っていたのが社会党、共産であった。そのことを国民は知っていた。だから、国民は社会、共産を与党にすることはなかった。


 現在社会党のイデオロギーを受け継いでいるのが立憲民主党内の左翼である。立憲は国民投票に反対である。だから、自民党が憲法改正の条文案の作成に入るよう重ねて提案していることに関して、立憲は、仮に作成を進める場合、政治資金規正法の改正案を含め、すべての法案審議に応じられないと、審議を拒否している。そんな立憲、共産を与党にすることを国民はしない。国民が立憲を与党にすることはない。


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都知事選は立憲を最悪の状況に追い込んでいる 裏金問題どころではない 苦笑

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都知事選は立憲を最悪の状況に追い込んでいる 裏金問題どころではない 苦笑
 東京都知事選で立憲と共産はがっちりと共闘して蓮舫支援をしている。立憲、共産の狙いは自民党の裏金問題を都知事選でも問題にして自民党を追い込み、衆院選へと展開するのが狙いである。ところが予想外のことが起こった。都知事選がお祭り騒ぎになったのである。候補者はなんと56人である。「女性の全裸選挙ポスター」まで出た。都知事選は選挙を弄ぶ連中が立候補して、彼らは次から次へと騒ぎを起こしている。都知事選は〝カオス〟状態になった。
都知事選のお祭り騒ぎには興味がない。騒げばいい。それが都知事選を左右して当選を捻じ曲げるほどのものではないからだ。しかし、立憲にとってはまずい。これでは裏金問題と小池都知事の関係をくっつけて自民党非難を広めるこどできない。
 東京都知事選で自民党の裏金問題を広げるという立憲、共産の狙いはお祭り騒ぎにかき消されてしまったのだ。裏金問題を広げて自民党を追い詰める計画ができなくなっただけではない。蓮舫氏が選挙法違反で訴えられてピンチになっている。


インターネット上の中傷問題に詳しい藤吉修崇(のぶたか)弁護士(第一東京弁護士会)は21日、東京都知事選(7月7日投開票)に立候補した蓮舫前参院議員に対する公選法違反(事前運動)罪での告発状を東京地検に提出した。
蓮舫氏は都知事選告示前の6月2日、東京・有楽町で街頭演説し「この夏七夕に予定されている都知事選に蓮舫は挑戦します」などと訴えた。、藤吉弁護士はこの演説取りを挙げて、
「多数の聴衆に対して、被告発人(=蓮舫氏)のための投票を依頼し、もって、立候補届出前の選挙運動をした」
と、蓮舫氏は選挙前に選挙運動をしたとして公選法違反で告発したのである。
有罪になれば、蓮舫氏は都知事選を落選しても被選挙権を失うので衆院選に立候補ができない状態になる。
都知事選は立憲を最悪な状況に追い込んでいる。


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沖縄県議会選で敗北したのは共産と立憲だけ マスメディアは報道できない

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沖縄県議会選で敗北したのは共産と立憲だけ マスメディアは報道できない


 沖縄県議会選はデニー知事与党が24議席から20議席に大敗したとマスメディアは報道した。与党は単一党ではない。共産、立憲。社民、社大の4党に無所属がいる。その中で議席を減らしたのは共産と立民だけである。
共産 7 4
立民 4 2
社民 2 2
社大 2 3
無所属 9 9
 マスメディアは与党が大敗したと報道するだけで、大敗したのは共産党と立憲の二党だけが議席を減らしたことが原因であることを報道しない。共産党と立憲だけで5議席減らしている。与党の大敗の原因は共産党、立憲にあるのだ。社大党は1議席増えていて共産、立憲以外の合計は1議席増えている。沖縄県民は共産と立憲にNOをつきつけたのである。自民は全員当選した。
自民 18 20
メディアは"裏金"問題を抱えて支持率低迷は続き全国的には選挙で軒並み苦戦している自民党が沖縄県議選で勝利したのは、「国政」とは関係なく「沖縄独特の理由」によるものであると述べている。沖縄の選挙は"地域選挙であり、沖縄県議選で自民党が勝ったからと言って、全国的に自民党の支持率が上がるものではないと述べている。メディアは自民党のことについては説明しているが共産、立憲が半減したことについては一言も触れていない。
共産と立憲は強く連帯している。その共産、立憲だけが沖縄で大敗北を喫したのである。その事実は隠しているのがメディアである。
“沖縄県議選で立憲、共産が大敗北〟は報道できないメディアである。

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物言わぬ辺野古埋め立て地がデニー知事与党を敗北させた


物言わぬ辺野古埋め立て地がデニー知事与党を敗北させた

辺野古の埋め立て地であるの写真である。写真はなにも言わない。その姿を見せているだけである。だが、物言わぬ写真が県議会.選でデニー知事の与党を大敗北させたのであ,る。.
埋め立てが始まる前には、埋め立てすれば海が汚染され、サンゴは死に、魚やジュゴンは棲めなくなると埋め立て反対派は主張し、多くの県民は信じた。汚染されると信じた翁長雄志氏は自民党を離党し、共産党と連帯して辺野古移設反対を主張して知事選に立候補し当選した。辺野古埋め立ては海を汚染すると県民は信じたから翁長氏は当選したのである。しかし、海が汚染されるというのは辺野古移設反対派のでっちあげであった。しかし、でっち上げであることを指摘したマスメディアなかったし自民党も指摘することはなかった。
2016年8月出版の「内なる民主主義8」に埋め立てで汚染されることがないことを掲載した。
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○辺野古崎沿岸の埋め立て方法</font><center>

最初に海底に土台をつくった後、コンクリート製の箱船を埋め立て地の周りに隙間無く並べます。この箱船の名前はケーソンと言います。ケーソンの底の栓を抜くと水が入って沈みます。傾かずに沈むように海底の状態を修正します。沈んだケーソンに岩石や解体ビルの破片などを入れて重くします。土砂も同時に入れます。ケーソンの上に上部コンクリート壁を築きます。消波ブロック(テトラポット)は魚巣にもなります。
全部沈むと埋め立て地の外壁がで
きあがります。海水は最初は吸い上げません。ですから外海の水圧の影響は受けません。囲いの中に土砂を流し込みます。それに応じて海水を吸い上げ放出します。中に土砂を流し込んで埋め立て地の出来上がり。
             「内なる民主主義8」
 あれから8年の間、辺野古埋め立ては海を汚染しないことを指摘したマスメディアの記事を一度も見たことがない。
 日本には公有水面埋立法があり、埋め立てても汚染はしない。沖縄の沿岸で多く埋め立てをしているが海は汚染されていない。この事実をマスメディアは報道するべきである。しかし、マスメディアは報道しなかった。学者たちも誰一人として辺野古埋め立ては海を汚染しないことを発言しなかった。


 埋め立ての写真は掲載された。写真を見れば海が汚染されていないことが分かる。写真は無言で「埋め立てで海は汚染されない」と明らかにしている。県民は写真を見て辺野古埋め立てが海を汚染しないことを知っていった。「埋め立てで辺野古の海が汚染されるは嘘だ」と県民は思うようになったのだ。
 今回の県議選は埋立地の写真を見て辺野古埋め立ては海を汚染しないことを知った県民の判断である。物言わぬ埋立地の写真がデニー知事与党を敗北させたのである。


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でっち上げた嘘が嘘であることを県民が知ったから与党は敗北した

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でっち上げた嘘が嘘であることを県民が知ったから与党は敗北した


 政府は、辺野古移設は辺野古を管轄している島袋名護市長と合意した。辺野古埋め立ては仲井間知事と合意しただから、辺野古移設は決まっていた。決まっていた辺野古移設に反対して県知事になったのが翁長雄志である。辺野古移設は県知事が阻止することは不可能である。不可能であることを可能であるように県民を信じさせたのが翁長氏であった。このことを2016年8月出版の「内なる民主主義8」に掲載した。
○翁長雄志は県知事になりたいために県民を騙した
もし、翁長知事のアイデンティティ論がなかった場合は翁長知事と革新が連携することはなかった。革新も知事選に立候補を出し、選挙は仲井真候補、翁長候補、革新候補の三つ巴戦になっていた。


仲井真候補・・・辺野古移設・・・日米安保容認
翁長候補 ・・・県外移設 ・・・日米安保容認
革新候補 ・・・閉鎖・撤去・・・日米安保廃棄


三つ巴戦では自民党県連から脱退した翁長候補は不利だった。自民党県連支持者の多くは仲井真候補に投票するだろうし、革新支持者は革新候補に投票する。翁長候補が知事選に勝つためには革新の票が必要だった。そのためには革新と連携する必要があった。しかし、日米安保容認・県外移設の翁長知事と日米安保廃棄の閉鎖・撤去の革新では連携することはできなかった。だからといって公約を県外移設か閉鎖・撤去に統一することもできなかった。実はオール沖縄の建白書には閉鎖・撤去の文言があり県外移設はない。もし、オール沖縄の主張を選挙公約にするなら閉鎖・撤去であったが、翁長知事は建白書に書かれている閉鎖・撤去を主張したことはなかった。保守としての自負がある翁長知事は日米安保廃棄イデオロギーによる閉鎖・撤去を嫌っていた。だから建白書の閉鎖・撤去ではなく県外移設を主張した。
革新の票がほしい翁長知事は県外移設、閉鎖・撤去の主張を固定したまま連携する方法を考え出した。それが沖縄アイデンティティである。普天間飛行場問題の解決方法が違うのだから翁長知事と革新は連携することができないが、イデオロギーを腹六分に押さえた沖縄アイデンティティならば団結できるというのが翁長知事の理屈であった。共産党は全国組織であり沖縄アイデンティティなんてあるはずがない。しかし、共産党は翁長知事のアイデンティティ論に賛同し翁長候補支持を決めた。他の革新政党も翁長候補支持にまわった。
沖縄アイデンティティで中央政府と対決するのだと翁長知事は言ったが、辺野古移設が決まる前だったら中央政府と対決をし、移設に反対して辺野古移設を阻止することができた。実際、県が反対している間は辺野古移設は決まらなかった。県が賛成したから辺野古移設が決まった。県知事、名護市長、辺野古区長が移設に賛成し、辺野古移設は2010年に政治結着した。政治的決着をした後は県知事が辺野古移設を止めることはできない。政治決着をしたから防衛局は埋め立て申請をして県が申請を承認した。
ところが翁長氏は知事になるために革新と手を組み、自分が当選したら辺野古移設を阻止できると公言して、県外移設でもなく閉鎖・撤去でもない辺野古移設反対を選挙公約にしたのである。
根本的な問題は普天間飛行場の危険性除去である。県外移設を公約にして辺野古移設反対を主張するならおかしくはないが、普天間飛行場問題の解決策を掲げないで辺野古移設反対だけを選挙公約にするのはおかしい。それは普天間飛行場問題の放棄である。もうそれは政治ではなく人気取りである。翁長雄志は政治を捨て人気を取ることによって県知事になったのである。
革新はなぜ翁長知事と連携したのか。革新は知事選に独自の候補を立てても当選する確率は低かった。独自の候補を立てて落選するよりも翁長候補と連携して、翁長候補を当選させたほうが革新にとってメリットがあった。
革新は自分の損得で翁長知事と連携したのであって沖縄アイデンティティは関係がない。
自民党から脱退した翁長氏と連携して翁長知事を誕生させたことに自民党いじめが最上の喜びである志位共産党委員長はご満悦になり、今度は沖縄での成功を国会でも目論んでいる。安全保障関連法廃止を目指す野党連立政権「国民連合政府」構想を描いて民主党など野党結集を働きかけているのだ。「国民連合政府」樹立のためには「日米安全保障条約の廃棄」「自衛隊の解消」などについて党の方針を「凍結」させるとも言っている。党の根本的な方針を凍結させるというのは大きな方針転換である。共産党はこれまで他党との選挙協力とは距離を置く独自路線だった。だから全選挙区に独自の立候補を立てた。他の野党も社会主義革命を目指している共産党とは距離を置いていた。
その共産党が「国民連合政府」構想を描き、安全保障関連の廃止で認識を共有する野党間の選挙協力を進めるという方針を立てたのである。
このような戦略の始まりが沖縄県知事選だったのである。国会では「安保関連法案の廃止」の一点を目的に『国民連合政権』をつくろうとしている共産党は沖縄知事選では辺野古移設阻止の一点だけで翁長知事と手を組んだのである。


実現できない辺野古移設阻止を選挙公約にした翁長知事は沖縄県民をだましている。
          「内なる民主主義8」
県知事が辺野古移設を阻止できないのに阻止できると県民に信じさせた。それに辺野古の海が埋め立てで汚染されることはないのに汚染されると信じさせた。翁長知事がでっち上げた嘘が嘘であることを県民は知った。だから、辺野古埋め立てに賛同する県民が増えた。辺野古埋め立てに賛同する県民が増えたから辺野古移設反対派の与党が県議選で敗北したのである。


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県議選 デニー与党が敗北した 当然のことである

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県議選 デニー与党が敗北した 当然のことである


県議選でデニー知事派の与党は24議席から20議席になり過半数を割った。敗北したのである。与党が敗北するのは当然のことである。


6月11日
県議選でデニー知事派の与党が敗北するのは当然のことである
県知事選が始まった。予想通りデニー知事与党の候補者が「辺野古移設反対」の選挙公約を掲げていない。
デニー知事は辺野古埋め立てを容認したのだ。だから、デニー知事支持派は辺野古移設反対を主張することができなくなった。
辺野古は終わったのだ。辺野古移設反対はデニー知事によって終わらしたのである。辺野古が終わればデニー知事も終わりである。県議選でデニー知事派の与党が敗北するのは当然のことである。


予測した通りに与党は敗北した。敗北した原因は辺野古反対の敗北である。そのことを県議選でもはっきりと表している。
政党別の議席数である。
共産 7→4
立民 4→2
社民 2→2
社大 2→3
無所属9→9


議席を減らしたのは東京都知事選で反自民・反小池でがっちりとスクラムを組んだ共産と立憲である。共産は3議席も減らしている。辺野古移設反対の先頭になっているのが共産である。だから、今回の県議選で一番多く議席を減らしたのである。
共産と立憲は自民を裏金問題で追い詰めて政権交代を目指している。裏金で政権交代を目指している共産、立憲だけが議席を減らしたのである。なぜ減らしたかを解明できないマスメデイアである。


社大は1議席増やしている。社大は復帰前から存在する沖縄独自の政党である。左派ではあるが共産、立憲とは違う。

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