デヴィ夫人は素晴らしい 森、宗男最低

デヴィ夫人は素晴らしい 森、宗男最低

 デヴィ夫人がウクライナに行き、支援物資を届けた。



「ウクライナを民主主義の墓場にしてはならない」


 デヴィ夫人の言葉である。日本人でウクライナ戦争がウクライナの民主主義を守る戦いであることを発言したのはネットで見る限りデヴィ夫人が最初である。
ウクライナの民主主義を守る戦いであると明言したマスメディア、ジャーナリストは居ない。

 全然予想していなかったデヴィ夫人の行動に驚き、感動した。もう一つ驚いたのがある。
「デヴィ夫人の名指し「老害」に宗男氏猛反発「老害はあなた」「文句あるなら言ってこい」ウクライナめぐり批判の応酬」のニュースが映像と一緒に掲載されていた。その映像がユーチューブに刑されると14時間で1281件のコメントがあった。ほとんどのコメントはデヴィ夫人支持である。森、宗男氏支持派ほとんどいない。市民の意見が公に発表される。ネットは発言がマスコミに占有されていたのを市民に開放した。これこそ表現の民主主義化である。

デヴィ夫人の名指し「老害」に宗男氏猛反発「老害はあなた」「文句あるなら言ってこい」ウクライナめぐり批判の応酬
 https://www.youtube.com/watch?v=KS7PGOXmZuE

 維新の会は宗男発言を問題にするべきだ。プーチン独裁がウクライナを支配する目的で侵攻したのがウクライナ戦争であることはほとんどの国民が知っている。ユーチューブのコメントを見れば分かる。ところが宗男氏は独裁者プーチンを支持している。宗男氏は維新の会に所属している。維新の会が宗男氏の発言になにもしなければ維新の会が宗男氏と同じ考えである思われる。宗男氏は維新の会の支持率を下げこそすれ上げることは絶対にない。
 維新の会は宗男氏と徹底討論をするべきである。宗男氏がプーチン支持を反省しないのなら維新の会から除外するべきだ。
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中国が日本人へのビザ発給再開・・・台湾、日本有事はない

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中国が日本人へのビザ発給再開・・・台湾、日本有事はない

 台湾有事が起こるという予測が多い中で私は台湾有事は絶対にないと主張した。台湾有事は絶対に起こらないという確信があったからだ。根拠の一つが経済である。中国経済が発展してきたのは外国企業のお陰である。日本の企業も中国経済に大きく貢献している。中国が台湾に侵攻すれば日本との国交は断絶する。すると中国経済に大きく影響する。経済を維持するために中国は台湾侵攻をしない。
私の判断が正しいことが起こった。中国政府は、中国政府は今月10日から日本から中国へ渡航する日本人へのビザの発給を停止していた。日本政府が中国からの入国者に対してPCR検査することへの対抗措置だ。しかし、停止からわずか3週間たらずで解除した。原因は中国に進出している日本企業の社員が入国できないために中国の日本企業の経営が悪化するからである。日本企業の悪化は中国経済の悪化になる。経済悪化を防ぐためには日本人を自由に入国させることが必要である。だから、停止からわずか3週間で解除したのである。

日本政府は中国からの入国者全員をPCR検査することを決めたからである。他の外国からの入国者はPCR検査をしないのに中国だけはPCR検査をすることに反発した中国政府は仕返しとして日本へビザ発給を停止したのである。しかし、日本人の入国を停止すれば中国経済が悪化する。そのことに気が付いた中国政府は停止を解除した。
 時事通信は「経済再建へ日本頼み 投資誘致急ぐ 中国」の記事で「新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策により国内経済が大打撃を受けたことを踏まえ、日本からの投資呼び込みで経済再建を急ぐ」と述べている。
 台湾侵攻すれば中国は日本、米国、EUと国交断絶する。中国経済は恐慌になる。ソ連が崩壊したように中国の現体制は崩壊する。崩壊しないために中国は台湾侵攻をしない。できないのである。

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10年前の「オール沖縄」はすでに破綻している

10年前の「オール沖縄」はすでに破綻している

 10年前の1月27日に沖縄の41市町村長と議会議長が参加したデモが東京であった。このことを琉球新報と沖縄タイムスは報道した。
琉球新報
「オール沖縄につながる建白書から10年 地元の民意、無視する形変わらず 辺野古断念の署名も呼びかけ」「『日本から出て行け』 沖縄からの要請団に10年前、銀座の沿道から投げられた言葉 今の空気は」
沖縄タイムス
「再び銀座を行進、沖縄の過重な基地負担を訴え 保革を超えた上京行動から10年」「沖縄知事が辺野古埋め立て承認、普天間合意から17年」
の記事を掲載した。
10年前の東京デモはオスプレイの普天間飛行場配備に反対、米軍普天間飛行場の県内移設断念を求めるものであった。東京デモの後に翁長那覇市長を中心とした保守と共産党・社大党・社民党の左翼系が合流してオール沖縄を結成した。

琉球新報は、デモ隊に対して「売国奴」「日本から出て行け」と沿道から憎しみに満ちた言葉が飛んだことを取り上げている。そのことはデモ隊にや大きなショックを与えたが、それよりもショックであったのはで沿道の無関心さであったという。このことを新報は次のように書いている。
「先頭を歩いた那覇市長(当時)の翁長雄志さん(享年67)は、帰沖後、妻の樹子さんに「汚い言葉より沿道の無関心さがショックだった」と打ち明けた。後に市議会で当時の心境を問われ「(多くの国民は)何事も起きていないかのように目と耳をふさぎ、思考停止状態に陥っている」と振り返った・・・・。
新報は10年前の無関心よりも今の方が無関心がひどくなっていると指摘している。

あれから10年。当時の参列者は国内世論が「さらにひどくなった」と感じる。ロシアのウクライナ侵攻、強調される台湾有事。自衛隊強化も進み、沖縄の負担は増すばかり。インターネット上にはあの時と同じ沖縄憎悪の言葉が並ぶ。もっと多くの無関心が潜む」
と新報は述べている。政府は聞き耳を持たず、裁判所は政府よりの判決を出した。本土の無関心との戦いは今も続いていると指摘している。
 
 東京デモは2013年である。私はデモの一年前の2012年に「沖縄に内なる民主主義はあるか」を出版した。その本に「普天間飛行場の移設は辺野古しかない」を掲載した。
2005年に稲嶺恵一元知事は知事は小泉首相に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古崎への移設案は「容認できない」と述べ、県外移転を求めた。小泉首相は稲嶺知事の要求に応じて県外移設地を探した。
私は県外移設ができないことを知っていた。普天間飛行場を移設する原因は1995年(平成7年)に米兵たちが少女暴行したからである。
米兵は殺人訓練を受けている。米兵は殺人、婦女暴行をやるという噂が全国的に広まった。だから、普天間飛行場を受け入れる自治体は存在しないと考えていた。それに移設するには普天間飛行場に加えて兵士の家族住む住宅と娯楽施設が必要である。普天間飛行場の2倍の敷地が必要である。そんな場所を探すのは困難である。
普天間飛行場は海兵隊基地である。戦場に真っ先に駆け付けるのが海兵隊である。だから、国外のグアムなどに移設するのはできない。
 普天間飛行場の県外移設、国外移設は不可能であることを知っていた。このことを「沖縄二内なる民主主義はあるか」に書いた。

目次
第五章 普天間飛行場の移設は辺野古しかない 103
沖縄県の人口の推移 104/戦前の沖縄の人口は60万人が限度だった 105/
農業中心の沖縄の人口を推計する 105/沖縄の人口増加は基地経済が原因 108/
宜野湾市の戦後の経済発展の要因 108/沖縄に米軍基地が存在している理由 111/沖縄の米軍基地強化と密接な関係がある旧ソ連圏の脅威的な拡大 114/沖縄の米軍基地強化と密接な関係がある中国の勢力拡大 116/沖縄の米軍基地強化と密接な関係があるアジアの冷戦 116/沖縄の米軍基地強化と密接な関係があった朝鮮戦争 117/普天間飛行場強化は共産主義勢力の封じ込み戦略のひとつであった 119/普天間飛行場の歴史 120/普天間第二小学校 126/普天間第二小学校の移転問題 128普天間飛行場のクリアゾーンに人が住んでいるのは誰の責任か 131/普天間飛行場の移設問題 133/国外移設運動の歴史 135/県外移設運動の歴史 136/沖縄の構造的差別は本当か 137/構造的差別論は反戦・平和主義ではない 140/普天間飛行場の国外移設=グアム移設は可能か 141/普天間飛行場の「県外移設」は可能か 143/県外移設論者たちのずるさ 145/辺野古移設は可能か 147/辺野古は米軍基地を受け入れて繁栄した過去がある 148/今も中国・北朝鮮と周辺国との緊張状態は続いている 150/米軍基地があるから戦争に巻き込まれない 153/沖縄にヘリコプター基地は必要 154

2013年に辺野古移設に関することで起こったことははオール沖縄の東京デモだけではない。仲井真知事が辺野古埋め立てを合意したのも同じ年の2013年である。仲井真知事が辺野古埋め立てに合意する前に私は普天間飛行場の移設は辺野古しかないことを指摘していた。理由は県外移設、国外移設が不可能であるからだ。「沖縄に・・・」で不可能であることを説明した上で辺野古移設しかないと指摘したのである。仲井真知事は私の予測通りに辺野古埋め立てに合意した。
 
東京デモの10年後に「止めよう!  辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会は10年前と同じ会場で集会を開いた。当時は41市町村の首長や議会などが結束した集会であったが、今回は主催者発表で約800人参加の小さい集会だった。市町村長は参加していない。沖縄でも集会があった。参加したのは主催者発表で500人だった。10年前とは違って小さい集会になった。10年の歳月が辺野古移設反対のオール沖縄を衰退させていったのである。

県庁前の県民広場で開いたオール沖縄会議主催「民意実現を求める沖縄県民集会」で10年前の41市町村の首長や議会などが結束して安倍晋三首相(当時)に提出した『建白書』は「過去のものではない」と主張した。いやいや過去のものである。
オスプレイは普天間飛行場に配備された。今ではオスプレイ撤去の声は聞こえなくなった。辺野古の移設工事は着々と進んでいる。「建白書」はすでに過去のものとなっている。破綻した10年前の建白書にしがみついているのがオール沖縄である。
タイムス、新報は10年前の建白書提出を報道しているが同じ年に仲井真知事は辺野古埋め立てを政府と合意している。知事は県民の選挙で選ばれているし県民の代表である。県民の代表が政府と辺野古埋め立てを合意したのである。建白書提出よりも埋め立て合意の方が政治としては重い。ところがタイムス、新報は建白書提出だけを報道して、埋め立て合意は報道していない。
2013年には県知事、名護市、宜野湾市が辺野古移設に合意していたのである。3者の合意があったから辺野古移設工事は進んでいる。一方、オール沖縄から保守は離脱し左翼だけになった。辺野古移設反対のオール沖縄は衰退しているのが沖縄の現実である。

2006年(平成11年)に政府と島袋市長は辺野古移設を合意した。合意した理由を述べたPDFである。



普天間飛行場代替移設に係る基本合意書について

普天間飛行場代替施設について、名護市は、平成8年4月、橋本龍太郎首相とモンデール米国駐日大使館との会談で、普天間飛行場の全面返還が合意され、その後、比嘉鉄也元市長、岸本建男前市長、そして私と三代にわたり、この問題に向き合ってまいりました。
平成11年11月沖縄県から普天間飛行場代替施設の移設候補地としての協力依頼を受け、同年12月岸本建男市長が基本条件を付して受け入れを容認し、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」が閣議決定されました。その後、同閣議決定に基づき、国・県・名護市を含む関係地方団体で構成する代替施設協議会で、原稿案が合意されました。
この沿岸案は、それまで一度も協議が行われたことはなく、滑走路延長線上に民間住宅が位置し、学校が近在するなど住民生活への影響が鑑みても、全く受け入れることはできないと考えてきました。
 私は、日米安全保障体制を容認する立場でありますが、国が一方的に沿岸案を押し付けるという行為は、断じて行うべきではないと考えておりました。
県内外には、県外移設や国外移設、即時返還を望む声があります。私もできるならば、県外移設が望ましいと考えております。
私はこの問題について、これまでの敬意を踏まえ、何度も何度も自ら問い質し、熟慮に熟慮を重ねてきました。その結果、岸本建男前市長が主張した、原稿案のバリエーションの範囲であれば、久辺三区をはじめ関係機関、団体等の
意向を踏まえ、政府との協議に応じるというという考え方を踏襲することにいたしました。
そして、辺野古地区、豊原地区及び安倍地区の上空の飛行ルートを回避することが、地域住民の生活の安全を確保する上で、譲ることのできないラインだと考えるにいたりました。
 私はこうした基本的な考え方のもとに防衛庁と話し合いを重ねてまいりました。その結果、昨日、防衛庁が提案した内容は、これまで名護市及び宜野座村の要求にある民間築の上空を飛行しないということが示されたことにより、別紙の基本合意を交わすことといたしました。
 今後は、基本合意書をもとに、普天間飛行場の代替施設建設について、継続的に協議を続けることになります。住民生活や自然環境に著しい影響を与えない施設計画となるよう取り組む必要があると考えており、地元、関係機関、団体等の移行を踏まえ、適切に対応していきたいと考えているところであります。
 市民の皆様をはじめ、地元、関係機関、団体等の方々のご理解をよろしくお願いします。

      平成18年4月8日
        名護市長 島袋吉和
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コロナの5月5類移行に賛成だ

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コロナの5月5類移行に賛成だ


政府は5月8日に今の「2類相当」から季節性インフルエンザなどと同じ「5類」に移行する方針を決定した。政府の5類移行決定に賛成
である。5月には全国もピークアウトして。感染者は沖縄のように減るからだ。

現在の感染率は24%である。
感染は10万人以内であるが死者は300人以上である。死者数から感染者を推定すると20万人前後位であると思う。無症状と軽症者は保健所に報告しないことになった。だから、保健所のアフターケアを軽症者にしなくなった。アフターケアがないから多くの無症状者や軽症者は病院のPCR検査を受けなくなっただろう。薬局で抗原検査キットを買って自分で感染したかを調べることができる。調べて陽性であっても軽症であるなら保健所に報告しない国民が増えただろう。報告しない感染者、無症状、軽症のためにコロナ感染したと自覚しない市民を加えると実際の感染者は20万人近く居ると思う。だから5月までには感染者が1000万人以上増えるだろう。5月には全国が沖縄のようにピークアウトすると予想できる。
沖縄の感染を参考にすると、ピークアウトした日本は1日2,3万人の感染になるだろう。

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雪でソーラーシステム発電0 テレビでは絶対に報道されないことがネットで公表された

雪でソーラーシステム発電0 テレビでは絶対に報道されないことがネットで公表された

「ソーラーパネルが雪に覆われる!太陽光発電せず重みで倒壊も!原発再稼働か否かで電気代に格差発生」で雪に覆われたソーラーパメルの写真が公開された。(詳しくはブログ「正しい歴史認識」に掲載しています)。

ブログ「正しい歴史認識」



写真を見れば発電できないことが分かる。


個人が写真を撮ってネットに掲載して、拡散した写真である。
「こんな雪が降ったぐらいで使えなくなるソーラーパネル設置を推進してふざけている。
まともな思考が備わっていたら、再エネ賦課金廃止や電気代そのものを抑える政策をやるだろう。
死人が出ないとわからないのだろうな。
国民はATMではない。」
 「これはテレビでは絶対に報道されないことだ」
 
東京都は太陽光パネルの設置を義務化するための制度が2025年4月から始まる。政府もソーラーパネルを推進している。
国、東京都、販売会社などの圧力がテレビやマスコミにはあるだろう。こんな重要なことが今まで報道されていない。ネットがなければほとんどの国民はこの事実を知らなかっただろう。
ネットがあるからテレビが放映しない事実を国民に報せることができるのである。国民への情報を個人がネットで発信できるようになった。情報を報道機関が独占する時代は終わったのである。
キャンプ・シュワブの座り込み看板に対してひろゆき氏が座り込みしている人が居ないのに座り込み日数を書くのはおかしい。座り込みのない日は0にするべきであるとツイートしたので30万人の市民がひろゆき氏の主張を支持した。ひろゆき氏の支持がタイムスや新報の主張をはるかに超えたのがネットであった。
ネットが報道の民主化を拡大したのである。

雪のためにソーラーシステムが発電しないこと、そして、雪の重さで崩壊するのをネットがマスコミ並みに拡散させたこともネットによる報道の民主化である。
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辺野古埋め立ての真実を描いた短編小説「江美とジュゴンとおばあちゃん」

2015年に出版した「ジュゴンを食べた話」の中短編小説「江美とジュゴンとおばあちゃん」である。
大好きなあーおばあちろやんから辺野古埋め立てで海は汚染され、魚、ジュゴン、サンゴが死んでしまうと
教えられた少女は悩む。悩んで末に海が汚染されない真実を知る。

辺野古埋め立ての真実を知ってもらいたいので書いた。

辺野古埋め立ての真実を描いた
江美とジュゴンとおばあちゃん
                   
江美は小学六年生。家は那覇市の郊外にある。家族はお父さんとお母さんと小学三年生の弟の良樹と幼稚園生の妹の亜実の五人である。江美の家の隣には一人暮らしをしているおばあちゃんの家がある。
江美はおばあちゃん子だ。江美が生まれた頃はお母さんも働いていたから、江美の面倒はおばあちゃんがみた。
江美は小学一年生になってからずっとおばあちゃんの家で勉強をしている。おばあちゃんは小学校の先生をしていたから、江美の分からないところを教えてくれたし、ノートの書き方や勉強のやり方なども教えてくれた。おばあちゃんのお蔭で、学習塾に通わなくても江美の成績は優秀だ。

江美がおばあちゃんの家で勉強をしている時、おばあちゃんはテレビを消しているが、ニュースの時間だけはテレビをつけた。その日もいつものようにおばあちゃんはニュースの時間になったのでテレビをつけた。勉強している江美の耳に普天間飛行場という言葉が聞こえたので、算数の問題を解いていた手を休めて江美はテレビを見た。普天間飛行場に江美は敏感に反応する。アナウンサーは、普天間飛行場の移設先である辺野古の海の埋め立てを仲井真知事が承認したと話した。
普天間飛行場は宜野湾市の真ん中にあり、周囲は住宅が密集している。世界一危険な飛行場と言われている。飛行機が墜落するとたくさんの人が死ぬ。何回も墜落したという飛行機オスプレイが普天間飛行場に配備されたからますます普天間飛行場は危険になった。辺野古の海の埋め立て承認のニュースを聞いて、江美はほっとした。
「おばあちゃん。よかったね」
おばあちゃんはテレビをじっと見ていた。
「これで宜野湾市の人が死なないで済むんだ。ああ、よかった」
「なにがいいもんか」
おばあちゃんは不機嫌になっていた。江美はおばあちゃんが喜ぶと思っていた。でも、おばあちゃんは不機嫌だ。なぜだろう。
「だってさ、オスプレイが墜落したら普天間飛行場の周りのたくさんの人が死ぬんでしょう。辺野古に移ったら人が死ななくて済むよ。おばあちゃんはうれしくないの」
「うれしくないね」
「どうして」
おばあちゃんは答えないで、
「ヨーカンを早くお食べ。ジュースも飲んでいないじゃないか」
と言った。イライラしているおばあちゃんは辺野古の海の埋め立てについて江美と話したくないのか、ヨーカンを食べるように江美をせかした。江美はおばあちゃんにせかされて、ヨーカンを食べてジュースを飲んでからおばあちゃんに訊いた。
「どうして、おばあちゃんは辺野古の海の埋め立てがうれしくないの」
「辺野古の海を埋めたら、ジュゴンが死ぬ、魚が死ぬ、サンゴが死ぬ。辺野古の海が死ぬ。辺野古の海を埋め立ててはいけない」
江美は納得できなかった。
「普天間飛行場があると周囲の人が死ぬとおばあちゃんは言ったんだよ。ジュゴンや魚やサンゴの命より人の命が大事だよ」
「江美はいつから自然の命を大事にしない薄情な人間になったのか」
江美にはおばあちゃんの言っていることが分からなかった。おばあちゃんは人の命が一番大事、命どぅ宝と何度も江美に教えた。だから江美は人の命が一番大事だと信じている。
「だって、人の命が一番大事だっておばあちゃんは江美に教えたんだよ」
「人の命も大事。ジュゴンや魚の命も大事。サンゴの命も大事」
江美は人の命が一番大事だとずっとおばあちゃんに教えられてきた。急にジュゴンや魚やサンゴの命も大事だと言われても納得することはできなかった。江美は混乱した。
「でも」
やっぱり人の命のほうが大事だよと言いたい江美だった。しかし、おばあちゃんの声は鋭く、怖い顔をしていた。おばあちゃんの権幕に押されて江美はなにも言えなかった。
「さっさと勉強をしなさい」
そう言うとおばあちゃんはお茶を飲んだ。 
江美は勉強を始めようとしたが、意味不明のおばあちゃんの怒りに動揺し、勉強をすることができなかった。江美の目から急に涙が出てきた。涙は一つ二つとノートに落ちた。涙は止まりそうもない。もう、勉強どころではない。泣いているのをおばあちゃんにばれたくない江美は立ち上がり、教科書とノートを抱えて玄関に向かった。急に立ちあがった江美におばあちゃんは驚いた。
「あれ、江美、どうしたのか。勉強は終わったのか。ヨーカンはまだ残っているよ」
江美は振り返らないで出て行った。

 二階の勉強部屋に入ると、声が外に洩れないように口を押えて江美は泣いた。江美は泣き虫だ。算数の問題が解けないと泣くし、おばあちゃんに叱られるとすぐ泣いてしまう。
「江美は泣き虫だねえ」
とおばあちゃんはあきれる。
 江美はおばあちゃんの前でよく泣いた。でも、今日は泣いているのをおばあちゃんに見られたくなかった。だから、おばあちゃんの家を出た。こんなことは生まれて初めてだ。
 おばあちゃんが厳しい顔で「江美はいつから自然の命を大事にしない薄情な人間になったのか」と言った時、江美の頭の中は真っ白になった。頭の中が真っ白になりながら、「だって、人の命が一番大事だっておばあちゃんは江美に教えたんだよ」と言ったのはおばあちゃんに反発したからではなかった。江美はおばあちゃんの教えをちゃんと守っているんだよと訴えたかったのだ。「ああ、そうだったねえ。江美はおばあちゃんが教えたことをちゃんと守っているんだ。ごめんごめん」という返事がおばあちゃんの口から出るのを江美は期待した。でも、おばあちゃんの口から出たのは違っていた。「人の命も大事。ジュゴンや魚の命も大事。サンゴの命も大事」と今まで聞いたことがないおばあちゃんの言葉だった。江美の考えは間違っているとおばあちゃんに言われた気持ちになった。
大好きなおばあちゃんの教えを守ってきたのに、江美の訴えをおばあちゃんは分かってくれなかった。江美の気持ちを理解されなかったことがくやしくて悲しかった。

 おばあちゃんは江美をひめゆりの塔や摩文仁の丘などの戦跡地によく連れて行った。そして、人の命は一番大事だと教えた。人の命を奪う戦争は絶対やってはいけないと教えた。江美はおばあちゃんの話は難しくてよくわからなかったが「うんうん」と素直に聞いた。
おばあちゃんと一緒に戦跡地に行くとアイスクリームやお菓子を買ってくれるしレストランにも連れて行ってくれるから江美はピクニック気分で行っただけだった。しかし、少しずつおばあちゃんの教えが分かるようになってきた。二年前のオスプレイ配備反対の県民大会に江美はおばあちゃんに連れられて行った。いつ墜落するかもしれない恐ろしい飛行機オスプレイ。灰色の不気味な姿の写真を見るだけで江美は怖くて体が震えた。そのオスプレイが普天間飛行場に配備されるという。おばあちゃんは絶対反対だと言い、江美も反対だった。県民大会でおばあちゃんも江美も「はんたーい」の拳を突き上げた。でも、オスプレイは配備された。

 普天間飛行場の周囲には住宅が密集している。オスプレイが墜落したらたくさんの人が死んでしまう。普天間飛行場は一日も早く移さなければならない。だから、仲井真知事が辺野古埋め立てを承認するというニュースが流れた時、普天間飛行場が辺野古に移るから宜野湾市の人たちの命が助かると思って江美はうれしかった。おばあちゃんと一緒に喜ぼうと思った。でも、おばあちゃんは不機嫌になった。
人の命が一番大事だとおばあちゃんは江美に教えてきたのに、おばあちゃんはジュゴンや魚の命も大事だと意味の分からないことを言って江美を突き放した。おばあちゃんの教えを守ってきたつもりの江美だったからおばあちゃんの話に納得できなかったし、突き放されたことがすごく悲しかった。
夕食の時、お母さんが呼びにきたが、江美はおばあちゃんと顔を合わせるのが嫌だったから、宿題をやってから食べると言って、下りていかなかった。暫くしてお腹がぐーぐーと鳴った。江美は部屋を出てゆっくりと階段を下りた。するとおばあちゃんの声が聞こえた。江美は勉強部屋に戻った。それから三十分ほど過ぎて、とてもお腹が減った江美は部屋を出て、階段をゆっくりと下りた。おばあちゃんの声は聞こえない。それでも用心しながら階段を下りた。おばあちゃんは居なかった。江美は一階に下りて行きご飯を食べた。

 翌日、江美はおばあちゃんの家に行かなかった。心配したおばあちゃんは江美の部屋にきたが、ドアの鍵を掛けた江美はおばあちゃんの呼びかけに「今日は一人で勉強する」と言っておばあちゃんの家に行くのを断った。
夕食の時、お母さんが呼びに来た。おばあちゃんに会いたくない江美は宿題があるから後で食べると言った。でも、お母さんは後で食べるのを今日は許さなかった。
「駄目。夕食はみんなで食べるものよ。さっさと下りてきなさい。いいね」
江美は仕方なく一階に下りて行った。
江美はいつものようにおばあちゃんの側に座った。
「今日も一人で勉強かい」
江美は黙ってうなずいた。
「明日はおばあちゃんの家においでよ」
江美は行きたくなかった。でも、断ることもできない。江美はじっと黙っていた。
「江美。ちゃんと返事をしなさい。おばあちゃんに失礼ですよ」
「いいよいいよ、順子さん。江美も小学六年生になったんだ。思春期なんだよ。色々悩み事があるんだよ。口を利きたくない日だってあるさ」
お母さんはおばあちゃんに「躾はちゃんとしないといけないですから」と断ってから、
「江美、ちゃんと返事をしなさい。明日はおばあちゃんの家に行くわね」
と言った。長女である江美にお母さんはいつも厳しい。江美はお母さんには逆らえない。江美は仕方なくうなずいた。
「うなずくだけでは駄目。ちゃんと返事をしなさい。明日はおばあちゃんの家に行くわね」
「はい」
江美は返事した。
「順子さん。無理強いしてはいけないよ」
と言いながら、おばあちゃんはニコニコしていた。江美が明日家に来るのでおばあちゃんはうれしいのだ。

 その夜、江美は夢を見た。ジュゴンが辺野古の海を泳いでいる。すると突然上から黒い雲のような物が落ちてきてジュゴンを覆った。落ちてきたのは土砂だった。非情な土砂はどんどんジュゴンに落ちてきた。ジュゴンはもがき苦しんだ。土砂に包まれたジュゴンは暗い海底に沈んでいった。
「ジュゴンを殺さないでー」
江美は起き上がった。ジュゴンがとても可哀そうで、江美は肩を震わせて泣いた。

 辺野古の海を埋め立てたらジュゴンが死ぬ。魚も死ぬ。サンゴも死ぬ。ジュゴンが死ぬのは嫌だ。魚が死ぬのも嫌だ。サンゴが死ぬのも嫌だ・・・でも・・・オスプレイが墜落したらたくさんの人が死ぬ。ジュゴンや魚が死ぬより人が死ぬのが嫌だ・・・・でも・・・ジュゴンの夢を見た江美はジュゴンや魚やサンゴが死ぬのも嫌だと思うようになった。
 どちらが死ぬのもかわいそうだ。どちらも死なない方がいい。でも・・・。人の命とジュゴンの命を比べればやっぱり人の命が大事だと江美は思う。やっぱり辺野古の海を埋め立てたほうがいい。でも、オスプレイはまだ墜落していない。もしかするとオスプレイはずっと墜落しないかも知れない。辺野古の海を埋め立てたらジュゴンは必ず死んじゃう。やっぱり辺野古の海は埋め立てない方がいい。しかし、オスプレイが墜落しないとは絶対に言えない。いつかは墜落するだろう。一〇年前には沖縄国際大学にヘリコプターが墜落したのだからきっと墜落する。明日墜落するかもしれない。来月か、来年か、五年後か、十年後か。オスプレイはいつか墜落する。オスプレイが墜落したらたくさんの人が死んじゃう。やっぱり、辺野古は埋め立てたほうがいい。でも、ジュゴンが死ぬのは嫌だ。
人が死ぬのも嫌、ジュゴンや魚やサンゴが死ぬのも嫌。おばあちゃんのいう通りだ。でもやっぱり人の命が一番大事。人の命が助かるためにはジュゴンや魚やサンゴが死ぬのは仕方がない。仕方がないけど・・・・・。 ジュゴンや魚やサンゴが死ぬのを認めてしまう江美は悪魔の心になってしまった気持ちになる。江美は悪魔の心にはなれない。やっぱりジュゴンや魚やサンゴが死ぬのは嫌だ。
普天間飛行場のことや辺野古の海のジュゴンや魚やサンゴのことを考え、悩んでいるうちに悲しくなってきて江美の目から涙がこぼれてきた。江美がこんなに悩み苦しむのは生まれて初めてだった。

江美はおばあちゃんの家に行く決心がつかなかった。お母さんと約束したから行かないといけない。でも、気が重い。江美は溜息をついた。
コンコンとドアを叩く音がした。振り返るとドアがバーッと開いて、お母さんが、
「江美。江美の大好きなシュークリームがあるってよ。おばあちゃんが食べにおいでって」
おばあちゃんはわざわざ江美の大好きなシュークリームを買ってくれた。大好きなおばあちゃんが江美に会いたがっている。でも・・・。以前だったら走っておばあちゃんの家に行ったが、今日の江美は違っていた。おばあちゃんに会うのは気が重かった。
「さあ、早く行って」
江美の悩みを知らないお母さんは江美をせかした。でも、江美は行くかどうか迷った。
「なに、もたもたしているの。早く行って」
短気なお母さんは怒った。お母さんに怒られるのが一番怖い江美は教科書とノートを持つと急いで部屋を出た。

 江美はおばあちゃんの家の玄関の前で立ち止まった。
「江美かい。お入り」
おばあちゃんの声が聞こえた。江美はゆっくり玄関の戸を開けた。江美の姿を見たおばあちゃんは立ち上がり、冷蔵庫に行った。
「ほら、シュークリームだよ。早くお食べ」
おばあちゃんはにこにこしていた。
「昨日は、なんでおばあちゃんのところに来なかったのかい。宿題が多かったのかい。だったらおばあちゃんが宿題を手伝ってあげたのに。ああ、そうか。宿題は自分でするもんだと教えたのはおばあちゃんだった。うっかり忘れていたよ」
シュークリームのとろけるようなおいしさとおばあちゃんのとぼけた話を聞いて江美の心がほぐれた。江美は笑った。いつものおばあちゃんと江美に戻った。
勉強をしながらおばあちゃんと話している内に、普天間飛行場や辺野古の難しい悩みは江美の頭からすーっと消えていった。

 おばあちゃんが風邪を引いた。風邪は重く、三日間入院した。
退院した日、江美は学校から帰るとすぐにおばあちゃんの家の玄関を開け、
「おばあちゃーん」
と大きな声でおばあちゃんを呼び、
「なんだい江美」
とおばあちゃんの声が聞こえると、
「ランドセルを置いてくるねえ」
と言って、家に走って行き、タッタッタッと階段を上ってランドセルを置くと、教科書とノートを持ってタッタッタッと階段を下りておばあちゃんの家に行った。
 おばあちゃんは体がだるいと言って横になっていた。
「おばあちゃん、大丈夫」
「大丈夫だ。少し体がだるいだけだ。二、三日すれば元気になるよ」
江美は勉強を始めた。時々おばあちゃんは咳をした。その度に江美は手を止めて、「おばあちゃん大丈夫か」と言いながらおばあちゃんの様子を見た。「大丈夫だ。勉強を続けて」とおばあちゃんは言った。
暫くして、おばあちゃんは起き上がろうとした。
「どうしたの」
「ちょっとトイレに」
おばあちゃんは起き上がるのにしんどそうだった。江美はおばあちゃんが立ち上がるのを手伝った。
「おばあちゃん。江美が連れて行ってあげる」
江美はおばあちゃんの腕を肩に回した。その時、あれっと思った。以前は、つま先立ちをしないとおばあちゃんの肩を担ぐことができなかったのに、今は逆に膝を曲げなければならなかった。まっすぐ立てばおばあちゃんの肩をはずしそうだ。・・・おばあちゃんの身長はこんなに低かったかな・・・。江美はおばあちゃんの身長が低くなったかしらと思った。
でも、それは江美の勘違いだった。江美の身長が伸びたのだ。江美の身長が伸びたのでおばあちゃんの身長が低くなったように感じたのだ。体が大きくなった江美にはおばあちゃんの体重も軽くなったように感じた。前みたいにおばあちゃんの体の重みでふらつくことはなかった。
「おばあちゃんは軽くなったみたい」
「それは江美が大きくなって力が強くなったせいだよ。おばあちゃんより江美のほうが身長は高くなっている。これからは江美の身長がどんどん伸びていって、おばあちゃんが江美を見上げるようになるねえ」
おばあちゃんはうれしそうに言った。
江美はうれしさ半分さびしさ半分だった。江美は今までずっとおばあちゃんに包まれているような気持ちで生きてきた。おばあちゃんはいつまでも江美より大きいと思っていた。おばあちゃんが大きいから江美はおばあちゃんといると安心感があった。江美が大きくなったということはうれしい。でも、もうおばあちゃんは江美を包むことができなくなった。それは少しさびしい気がする。
 おばあちゃんより大きくなった江美には、おばあちゃんに頼るだけではなくおばあちゃんを守っていこうという気持ちが芽生えてきた。なんだか、おばあちゃんとは今までよりも身近な関係になったような気がした。

「おばあちゃん。江美がお湯を沸かしてあげる」
「玄関を掃除するね」
テーブルを拭いたり、お茶を入れたり、洗濯物をたたんだり、肩を叩いたり、足をもんだり、江美はおばあちゃんのために色んなことをやるようになった。
「江美は大人になったねえ」
おばあちゃんは江美を誉めた。それが江美には嬉しかった。

辺野古のジュゴンの夢のことは江美の頭から消え、思い出すことはなかった。ところが人間とは不思議なもので消えていた記憶がなにかのきっかけでふと蘇ることがある。
学校の帰り道で、仲良しの多恵ちゃんが本部町にある美ら海水族館に行ったことを話した。江美も何回か美ら海水族館に行ったので、二人は美ら海水族館の話をした。イルカショー、ウミガメ、マナティーのことを話したが、ジュゴンに似ているマナティーではなく、水族館のジンベエザメの話をした時、なぜか夢に見たジュゴンが江美の頭に浮かんだ。多恵ちゃんと別れて、歩きながら、なぜジンベエザメのことを話した時ジュゴンの夢を思い出したのかを考えた。すると夢の中のジュゴンが水族館のジンベエザメと同じ斜め上の角度に見えたことに気が付いた。そうか、水族館で見たジンベエザメが夢の中のジュゴンになっていたのだ。だから、ジュゴンはジンベエザメのように斜め上に見えたのだ。
江美は立ち止まった。夢が変だ。なにかおかしい。なんだろう。江美は歩き始めた。夢のなにが変なんだろう。なにがおかしいのだろう。そうか、土砂だ。土砂が変だ。夢の中のジュゴンは土砂に包まれて海底に沈んでいった。土砂がジュゴンを包むのはおかしい。土砂は布とは違う。布だったらジュゴンを包むが、土砂は水の中ではバラバラに広がっていくはずだ。土砂が布のようにジュゴンを包んで海底に沈んでいくのはおかしい。江美が見た夢の中の土砂はまるで意思を持っているようにジュゴンを包んでいった。それはおかしい。土砂に意思はないはずだ。土砂は水の中では散っていくはずだ。江美が見た夢の土砂の動きは間違っている。
江美は忘れていた辺野古のジュゴンのことを再び考えるようになった。

ジュゴンや魚はサンゴと違って自由に泳げる。
「そうだ。ジュゴンは泳げるのだから土砂が落ちてくれば急いで逃げればいい。土砂は散らばるから逃げることができるはずだ。たくさんの土砂が落ちてきても土砂に包まれることはないからジュゴンは逃げることができる。辺野古の埋め立て工事が始まればジュゴンや魚は辺野古の海から逃げればいい。そうしたら埋められない」
埋め立てがあってもジュゴンは埋められない。だから、サンゴは死ぬけどジュゴンは死なない。ジュゴンは逃げて生き延びる。江美は大発見をした。
「ジュゴンが死なないことをおばあちゃんに教えよう。江美が発見したことを話せばおばあちゃんは喜ぶはずだ」
と江美は思った。しかし、そう思った後におばあちゃんの厳しい顔が浮かんだ。江美の考えを話したら、もしかするとおばあちゃんはまた怒るかも知れない。おばあちゃんの怒った顔を思い出すと江美の心は萎えた。
 江美はおばあちゃんに話す勇気がなくなった。もしかするとなんらかの理由でジュゴンは逃げられないかも知れない。辺野古の海に沈められていくかもしれない。だから、おばあちゃんはジュゴンが死ぬといったかもしれない。でも、どうしてジュゴンや魚は死ぬのだろう。
辺野古の海が埋め立てられたらジュゴンは生き延びることができるのだろうか、それともできないのだろうか。江美は再び辺野古のジュゴンについて悩むようになった。ジュゴンは死ぬのかそれとも・・・・・・・。

 悩んでいる内に、江美は辺野古の海のことを知らないことに気が付いた。そういえばジュゴンのこともほとんど知らない。ジュゴンの大きさや棲んでいる所やジュゴンが泳ぐ速さなどを江美は知らない。辺野古の埋め立てにしてもどんな方法で埋めるのか全然知らない。あれもこれも知らないのだから江美には手に負えない問題だ。これはジュゴンや辺野古の海や埋め立てについて知っている人しか解けない問題だ。江美があれこれ考えても正しい答えを出すことはできないだろう。ジュゴンがどうなるかはジュゴンや辺野古の海のことをよく知っている人に訊くしかない
。おばあちゃんに訊くのは駄目。おかあさんはきっと知らないだろう。お父さんは知っているだろうか。でもお父さんに訊けばおばあちゃんにばれるかもしれない。それは嫌だ。辺野古のジュゴンのことを調べていることをおばあちゃんには知られたくない。
 江美は色々考えた末に、担任の玉城朱里先生に訊くことにした。朱里先生は先生だからなんでも知っているはずだ。でも、朱里先生は学校の勉強以外のことを教えてくれるだろうか。江美は不安になったが、朱里先生に訊く以外に方法はなかった。江美は朱里先生に訊くことにした。

「朱里せんせー」
三時限目の終わり、江美は廊下に出た朱里先生を追いかけた。
「どうしたの江美さん」
「朱里先生。教えてください。お願いします」
「江美さんが質問するなんて珍しいわね。なにを訊きたいの」
「朱里先生。辺野古の海を埋め立てるとどうしてジュゴンや魚は死ぬんですか」
「え、なんのこと」
江美の質問に朱里先生は面食らった。
「サンゴは逃げることができないから死ぬと思います。でもジュゴンや魚は泳げるから逃げることができると思います。逃げることができるのにどうして死ぬんですか」
江美の質問を朱里先生は理解できなかった。
「なんの話をしているの。先生には江美さんの話の意味が分からないわ。落ち着いて、先生に分かるように説明して」
江美は辺野古の海を埋め立てるとジュゴンや魚やサンゴが死ぬとおばあちゃんに言われたことを話した。そして、ジュゴンが土砂に包まれて海の底に沈んでいく夢を見たことも話した。
「ふうん、そんな夢を見たの。それが本当ならジュゴンが可哀そうだね。江美さんが訊きたいのは辺野古飛行場埋め立てのことね。最近は毎日のように新聞に載っているし、先生の知っている人が辺野古に行ったという話も聞いたわ。先生も江美さんの話と似たようなことを聞いたことがある。でも、先生は詳しくは知らないの」
江美はがっかりした。江美がうつむいて黙ったので、
「ジュゴンや魚が埋め立てで死ぬということはありえないと思うわ。でも江美さんはちゃんとしたことを知りたいのよね」
江美はうなずいた。
「二、三日待ってくれない。先生が調べてみるわ。それでいい」
「はい」

 三日後に、朱里先生は昼休みの時に職員室に来るように江美に言った。
昼休みに江美は職員室に入り、朱里先生を探した。
「江美さん。こっちよ」
職員室の奥のほうで朱里先生が手を振った。江美が来ると、朱里先生は沖縄地図帳を取り出し、北部の地図を開いた。
「江美さん。ここが辺野古のキャンプシュワブよ。そして、ここが辺野古の海で、ここが大浦湾よ。この突き出た岬があるでしょう。ここが辺野古崎といって辺野古飛行場ができるところなの」
朱里先生は辺野古崎の周りを赤鉛筆で記した。
「辺野古飛行場はこのくらいの大きさになるわ」
江美が想像していたのより辺野古飛行場は小さかった。
「埋め立てるといっても、辺野古崎の沿岸部だけよ」
「ここだけですか」
「そうよ。だから、辺野古の海や大浦湾を埋め立てるのではないわ」
「想像していたよりもずっと小さいです。ほっとしました」
「そうよね。先生も調べてみて驚いたわ。辺野古の海が埋め立てられる。大浦湾が埋め立てられると聞いていたから、もっと大きい飛行場だと思っていたわ」
朱里先生は江美を向いた。
「それからね、江美さんが見た夢のことだけど、埋め立てについて江美さんは勘違いしているわ。江美さんは海に土砂を入れると考えているようだけど、埋め立てをやるときは、コンクリートの壁で周囲を囲って海と遮断するの。それから埋め立てるのよ。だから、ジュゴンが泳いでいる上から土砂をかけるということはないわ」
「そうなんだあ」
ジュゴンは土砂に覆われることはない。江美はほっとした。
「埋め立て地域は辺野古崎沿岸だから、大浦湾のサンゴが死滅することもないと思うわ」
「サンゴも死なないんですか」
「そうよ」
「ああ、よかった」
江美はほっとした。ほっとした途端に涙が出た。朱里先生はハンカチを江美に渡した。
「江美さんは辺野古埋め立てのことでとっても悩んだのね。自然を愛する気持ちはとっても大事よ。江美さんの辺野古の埋め立てを心配する気持ちは素晴らしいわ。江美さん、ひとつだけ気になることがあるの、見て」
朱里先生はキャンプシュワブを流れている川を指した。
「この川の名前は美謝川というの。美謝川の上流は緑で覆われた森林地帯なの。森林地帯からは養分をたくさん含んだ水が湧き出るのよ。美謝川に養分豊富な水が流れて、ほら見て、美謝川は大浦湾に出ている。だから大浦湾の自然は豊かなのね。でも美謝川の河口付近は辺野古飛行場になってしまうの。美謝川の河口付近にジュゴンが食べる藻がたくさん生えているらしいけど、ジュゴンの食べる藻場は埋め立てられるわね」
江美はショックを受けた。
「それじゃあ、ジュゴンは飢え死にするんですか」
朱里先生は苦笑した。
「いいえ、そんなことはないわ。ジュゴンの食べる藻はここだけではないの。ジュゴンは別の場所の藻を食べると思うわ」
「その場所はどこにあるのですか」
「それは先生も分からない」
「やっぱりジュゴンは死んじゃうんですか」
泣きそうな江美を見て、朱里先生は困った。
「ジュゴンが藻を食べる場所は辺野古だけではないの。多分北の方に藻場はたくさんあると思う。ジュゴンは一年に五、六百キロも移動するの。ほら、アフリカの像やしま馬やキリンなど多くの草食動物が食べ物を求めて大移動するでしょう。ジュゴンも同じよ。ジュゴンも草食動物だから藻を求めて移動するの。ジュゴンは辺野古に棲んでいるわけではないわ。辺野古には藻を食べにやってきているの。今でもジュゴンは辺野古以外の色々な場所に行って藻を食べているのよ。辺野古の藻場がなくなってもジュゴンは大丈夫よ。元気に生きていくわ」
「本当ですか」
「本当よ。だから、ジュゴンの心配をしなくていいわ」
江美の顔が明るくなった。
「それにね、美謝川の河口は塞ぐのではなくて、辺野古飛行場の隣に河口を移すから、いつかは新しい河口近くに藻が生えてきて、ジュゴンがやってくると思うわ」
「そうなんだ。よかったあ」
江美の悩みは朱里先生の説明で解決した。江美の心のもやもやは消えた。
「朱里先生、ありがとうございました」
「私もとてもいい勉強になったわ。私が江美さんにお礼を言いたいくらいよ」
江美は笑顔で朱里先生にお辞儀をし、職員室を出た。
職員室を出た江美は朱里先生に教えてもらったことを学校から帰ったらすぐにおばあちゃんに話そうと思った。しかし、教室に着くころになるとおばあちゃんに話すかどうか迷った。
あの時のおばあちゃんを思い出した。
「辺野古の海を埋めたら、ジュゴンが死ぬ、魚たちが死ぬ、サンゴが死ぬ。辺野古の海が死ぬ。辺野古の海を埋めたらいけない」
おばあちゃんの顔は江美が見たことのない怖い顔だった。おばあちゃんがなぜあんなに怒ったのか江美には分からない。でも、おばあちゃんはとても怒っていた。
 朱里先生から訊いた話をするとおばあちゃんはどうするだろうか。
「へえ、先生から訊いたの。偉いわね。ああ、そうだったの。おばあちゃんが間違っていたねえ」
と、にこにこしながら江美の話に納得してくれるだろうか。それとも・・・・。朱里先生のように上手に説明できる自信が江美にはない。上手に説明できないと・・・・。おばあちゃんの怖い顔が浮かんだ。江美はおばあちゃんに話すのをあきらめた。

 江美は考えた。辺野古のジュゴンや魚たちのことで江美がとても悩んだことをおばあちゃんは知らない。今はいつもの仲のいい江美とおばあちゃんだ。江美が辺野古のことを心の中に仕舞ってしまえば仲のいい江美とおばあちゃんの関係は続いていく。
もし、江美の本当の考えを話したらおばあちゃんは怒るかもしれない。江美を嫌いになるかもしれない。おばあちゃんの家に行けなくなるかもしれない。それは嫌だ。おばあちゃんとはいつまでも仲良くしていきたい。
おばあちゃんに辺野古の話はしないほうがいい。それが江美のためであるしおばあちゃんのためだ。考えた末の江美の結論だった。
 
 江美にとって困ったことが起きた。おばあちゃんが辺野古に行こうと言いだしたのだ。八月二十三日に辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で大きな集会があるという。おばあちゃんはその集会に江美と一緒に行こうと言った。今までの江美だったら喜んで行った。帰りにおいしい料理やお菓子が食べられるからだ。しかし、江美は辺野古に行きたくなかった。こんな気持ちになったのは初めてだ。
「なぜ行きたくないのかい。帰りに恩納村にあるお菓子御殿に寄ろうと思っているよ。江美の大好きな紅芋タルトが食べられるよ。紅芋タルトの手作り体験もあるらしいよ」
紅芋タルトのことを聞いて江美は生唾をごっくんした。「うん、行こう、おばあちゃん」と言いそうになった。でも、辺野古に行きたくない気持ちのほうが強かった。
「ごめんね、おばあちゃん。江美は行きたくない」
「どうして」
行きたくない理由は言えない。
「どうしても」
おばあちゃんはがっくり肩を落とした。それからのおばあちゃんは元気がなくなった。体も小さくなったように感じた。 

「エミ。辺野古に行かないんだって。おばあちゃん寂しそうだよ。行ってあげたら」
数日後に、お母さんが言った。お母さんがそんなことを言うのは意外だった。小学四年生の時、おばあちゃんが江美をオスプレイ配備反対県民大会に連れて行った時、お母さんとおばあちゃんは大喧嘩をした。
「小さな子供を県民大会に連れていくのは止めてください」
「いいじゃないか。子供の時から反戦平和の考えを持つのは大事だ」
お母さんは一週間もおばあちゃんと口を聞かなかったくらいに怒っていた。そんなお母さんだったのに、おばあちゃんと辺野古に行ってあげてと江美に言う。
「お母さんは二年前は反対したよ。どうして今度は江美に行けと言うの」
「最近のおばあちゃん元気がないわ。辺野古に行ったら元気になるかもしれない」
それはお母さんの言う通りかもしれない。二年前の県民大会でのおばあちゃんは元気だった。昔の友だちと楽しそうに話し合い、孫の江美を自慢していた。おばあちゃんは十歳も二十歳も若返ったように元気になっていた。
しかし、おばあちゃんが元気になるとしても江美は辺野古に行きたくなかった。おばあちゃんはジュゴンや魚やサンゴが死ぬ話をするだろう。おばあちゃんのジュゴンたちの話を聞くのが江美は嫌だった。

おばあちゃんが行きたがっていた八月二十三日は過ぎた。江美はほっとした。でも、辺野古の集会はまたやってくるだろう。次も行かないというとおばあちゃんはとてもがっかりするに違いない。次も行かないとは言えない。どうしよう。江美は悩んだ。
江美は「右の耳から左の耳」ということわざをお父さんから聞いたことを思い出した。お母さんにどんなに叱られても平気なわけはそのことわざがあるからだとお父さんは話していた。辞典で調べると意味は、右の耳から入ったことが左の耳からすぐ抜けていく。聞いたことを片っ端から忘れてしまうことのたとえだった。そうだ、おばあちゃんの話を右の耳から聞いて左の耳から抜かしていけばいい。そうすればおばあちゃんの話を聞くことができるはずだ。江美は辺野古に行っても嫌な思いをしない方法を見つけた。

辺野古の浜で県民集会が九月二十日に開催されることになった。予想通りおばあちゃんは江美を誘った。心の準備をしていた江美は辺野古に行くと返事した。
「辺野古に駐車はできないから、宜野座村の友達のところまでおばあちゃんの車で行って、そこからはタクシーで行こうね」
「タクシーに乗るの。お金がもったいない。バスで行こうよ」
「あそこはバスはあまり通らない。バスを待つのが大変。だからタクシーでいく。江美、恩納村においしい沖縄そば屋があるの。帰りにそばを食べよう」
「うれしい。でも江美はお菓子御殿に行きたい。紅芋タルトを食べたい」
「じゃ、お菓子御殿に行こう。それから沖縄市においしいアイスクリームを売っている店があるから、その店にも寄ろうね」
「おばあちゃん大好きー」
辺野古でおばあちゃんはジュゴンや魚やサンゴが死んでしまう話をするだろう。江美は「うんうん」と、おばあちゃんの話を素直に右の耳から聞いてあげる。そして左の耳からこっそり抜かしていく・・・。

江美はちょっぴり二重人格者になったようだ。おばあちゃんに従順な江美と、おばあちゃんに従順なふりをする江美に。悩んで考え悩んで考えを繰り返していきながら心が少しずつ成長していく思春期の江美である。

「おばあちゃん。紅芋タルトの手作り体験もするんだよね」
「そうだよ。さあ、早く車に乗って」
九月二十日の朝、江美とおばあちゃんは辺野古に向かって出発した。
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共産党に強烈な爆弾投下「シン・日本共産党宣言」

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共産党に強烈な爆弾投下「シン・日本共産党宣言」

共産党に強烈な爆弾が投下された。「シン・日本共産党宣言」である。著者は現役の共産党員の松竹伸幸である。松竹氏は党の安保外交部長を務めた人物である。
松阪市は共産党が党首公選をすることを要求している。

ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由を松竹伸幸氏は次のように述べている。
「日本の主要政党で党首公選が行われていないのは、共産党と公明党のみである。 約半世紀にわたり、共産党員として活動し、政策委員会で安保外交部長を務めたこともある私が、なぜ、党員による投票が可能な党首公選制を訴え、自ら立候補を宣言するのか? .日本共産党が党首公選を実施すれば日本の政治がマシになるからである」

 共産党は100年間党首公選をしていない。党首公選は共産党の禁句である。禁句である党首公選を党員である松竹氏は宣言したのである。それも党内で主張したのではなく、本を出版し外に向かって主張したのである。
 マスコミは共産党は党首公選をしないで20年も志位氏が党首であることを指摘したが、志位委員長は公正な選挙で選ばれたと主張してマスコミの指摘が間近っていると主張してきた。マスコミはそれ以上深く追及することはなかった。
 しかし、今回は共産党内部から党首公選がなかったことを告発したのである。ごまかしようがない告発である。それも本による告発である。共産党幹部は党首公選していないことを認めざるをなくなったのである。
 松竹氏は党首公選をしていないことを暴露すると同時に党首公選を要求し自分が首席公船に立候補をすることを宣言した。
 党首公選は共産党員に加えて共産党支持者が問題にしていくだろう。強烈な爆弾が投下されたのである。

 同著を執筆した背景について、松竹氏は「2つの国政選挙で共産党が後退した」ことへの危機感をあげている。2つの国政選挙の後退を見て、このままでは本当に共産党が取るに足らない勢力になりかねないと深刻に思ったという。後退した共産党を立て直すために松竹氏は、志位委員長のように自衛隊を否定的に考えるのではなく、政策の中にしっかり位置付けることを提案している。松竹氏は共産党内部で提案したが取り入れられなかった過去があるという。今度は共産党の内部ではなく外に向かって宣言したのだ。
松竹氏は、
「2つの国政選挙の後退を見て、このままでは本当に共産党が取るに足らない勢力になりかねないと考えた時に、この本を共産党の方たちに読んでもらって、党首公選で安保・自衛隊政策を堂々と議論し合うような党にならないとダメだ”ということを訴えたい」
と述べている。

 松竹氏に反論したのは機関紙「しんぶん赤旗」である。赤旗は「党規約に違反する」と述べ、現実的な安全保障政策への転換を求めたことについては、党が掲げる「日米安全保障条約廃棄」「自衛隊解消」に反すると松竹氏の主張を退けた。松竹氏に反論したのは赤旗であり、志位和夫委員長は赤旗に同調する考えを記者団に示しただけであった。
「あの論説に尽きている。赤旗にお任せし、書いていただいた」
志位氏は松竹氏の提案を、
「規約と綱領からの逸脱は明らか」
と断じた赤旗を高く評価しただけで、党首としての具体的な見解は口にせず、「論説に尽きている」と繰り返すだけであった。
赤旗は編集局次長名の記事で、「党の内部問題は、党内で解決するという党の規約を踏み破るものだ」「(党首公選制は組織原則である『民主集中制』と)相いれない」などと松竹氏を批判した。
松竹氏が「専守防衛」を党の基本政策に位置付けるよう主張していることについて、赤旗は「自衛隊合憲論を党の『基本政策』に位置づけよという要求に他ならない」と反論した。今後、松竹氏は赤旗に反論するだろう。今まで内部で押さえつけられていた松竹氏と赤旗の論争が公の場で展開される。共産党では初めてのことである。強烈な爆弾である。

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へんな人たち

 へんな人たち

とにかく細々の暗記の天才が東京には多い
第二次世界大戦から六十年以上も過ぎたというのに
遥か昔のことなのに
まるで昨日の出来事のように
満州事変がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうの
東京裁判がどうのこうの
とか
細かすぎるほどに暗記して
あれこれとしゃべる
そして
ああである
こうである
という
記憶にない所が取り出されて
ああである
こうである
と言われたら
なにしろ私は知らないことだから
ああでしょうね
こうでしょうね
と思うしかできない
つまりは
暗記力の弱い私はお手上げなのだ

お手上げではあるけれど

この人たちの正体はなんだろう

不思議な人たちのような感じだ
評論家とは実に不思議な存在だ
政治家であり外交官であり歴史学者である
その正体は
武士階級か
貴族階級か
ただ
庶民のにおいはしない
戦争中の話になると軍人になる
とにかく
庶民のにおいはしない

記憶力がよくて頭のいい人間たちは
六十年以上のことを詳しく記憶して
私なぞが知らない政治家や軍人の発言を引用して
論争するのだが
私にはさっぱり分からない。
満州事変
関東軍
蒋介石
毛沢東
共産党
東条英機
軍国主義
等々、高校でならったことのある人物や事件などは私でも分かる
しかし、
記憶のいい人たちは色々な人物の考えや行動を例に出して
論争する。
戦争の内実はこんなものであり、東京裁判の内実はこんなものであり
だから
どうのこうのであると
具体的に書けば読者にもっと理解させることができるが
なにぶん私の記憶力はそれほどよくないので彼らの論争を具体的には
書けない。

私が感じることは
東京は政治・経済・文化の中心地であり
東京の人はその自負が強く
戦争を語る時も
まるで戦争のリーダーであり、
リーダーの立場から過去の戦争を批判しり肯定したり
していることだ

日本が中国に侵略したというのは正確な評価ではないとか
信者湾攻撃は日本として仕方がなかったのだなどとか
ちゅうごく侵攻は蒋介石とか毛沢東とか誰それとかの謀略のためにやったのだとか

東京の頭のいい人たちの話はややこしくて
よくわからん

よくわからんと言えば
明治時代は
貴族国家なのか
武士国家なのか
よくわからない
天皇制国家なのだから貴族が支配している国家のようであるが
どうもそうではない
首相や大臣は武士で占められている
天皇が直接政治をしているのではないし
どうも貴族国家ではない
武士国家なのではないか
でも
国民は天皇の子であるなどと教育するし
教育を進めるのは武士政治家だし
本当に天皇星国家だったのか分からない
形は天皇制政治で
内容は武士政治ということが本当ところだろう
明治から始まったのは国民の下級武士化というわけだ
家父長制度
長が絶対的権力者であるのが武士のしきたり
徴兵制度
軍人とは武士のこと農民も漁民もみんな戦う武士にさせられた

降伏するよりも死を選ぶのが武士
玉砕もまた武士の思想
日本国民の最後の一人まで戦うというのが武士思想
日本玉砕を救ったのが昭和天皇だったのは有名な話だ
玉砕思想は武士の思想
天皇の思想ではなかったということ
戦争は武士の思想
滅びの美学
武士道は本土決戦をやり日本民族を滅亡させる思想だったわけだ

武士はどうも天皇の威厳を利用して政治をやる天邪鬼だったようだ

ああ、分かった
靖国で天皇と武士の意見が分かれたのだ
靖国は武士思想を露骨にしたものだから
天皇は反発したというわけだ

頭のいい人は
頭がいいばっかりにイメージ力も優れていて
戦争のリーダーの気持ちが理解できるのだろう
私は昔の人間の気持ちになろうにもそんな知識もないし
それに六十年以上も昔の人間の気持ちを理解するのが億劫である。

億劫だから
こう考える

私の親父は農民で
朝から晩まで鍬と鎌で畑仕事をしていたそうだ
満月の夜なぞは月明かりの下で夜遅くまで畑仕事をしていたそうだ
それが私の母の自慢話であった
四歳の娘がひとり

そんな父に赤紙が来た
それで南方の戦場に行ったというわけだ


お前は戦争に行くのとそのまま畑仕事をするのと
どちらを選ぶかと
聞いてみると

父は畑仕事をしたいと答えただろう。

とまあ私は考えるわけだ

そんなことは当たり前のことだ
つまらん考えだ
というかも知れないが

でもさ
戦争の様子を正確に伝え
国民ひとりひとりに戦争を続けるかどうか
を聞いたら
戦争をしていただろうかということだ

戦争に賛成する人も居ただろうが
戦争に反対する人も居ただろう

中国で商売したり儲けたい人は賛成しただろう
中国に行きたいと思わない人は反対しただろう
農民は兵隊になりたいとは思わない
大工だってそうだ
音楽
美術
商売人
とまあ、兵隊になりたくない人間の方が圧倒的に多い
人は
働いて、
家族団欒の生活を望むものさ

戦争を続けていくと戦死者は増えるわけだし
武器を作るために家のなべややかん徴収されるし
高校や大学に行っても
勉強をしたくても
兵隊にされたりや工場で働かされたり
生活は困窮していくのだから

戦争に反対する人が増えていくのは当たり前だ
報道が自由で戦況が正確に国民に知らされていたら
国民は戦争を止めていただろう

アメリカの国民にイラク戦争に反対する人が増え
民主党が上院下院とも勝った。

もし、戦前の日本が民主主義国家だったら
アメリカと同じことが早い時期に起こっていただろう。
いや
戦争は起こらなかったかも知れない

戦後六十年を振り返ると戦争をしないで
企業を育てた方が国は豊かになることを証明した

つまり
軍隊を強くして植民地を拡大することによって国が富む
富国強兵政策は国を貧しくする政策であるということだ

満州侵攻がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうのという
論争論議は
もう
うざいということだ。

太平洋戦争で負けたが
そのおかげで
民主主義憲法が成立したのだから
太平洋戦争は民主主義革命だったということだ


帝国主義や軍国主義より民主主義がいいということだ
それでいいではないか

これからは
民主主義社会から民主社会へ絶え間なく変革していく
それでいいではないか


国家の品格と言い
武士道がいいと言い
新しい首相は

美しい日本

を 政治課題にしている。

戦争をやって植民地を増やすのが日本は富める考えは間違っていることを
日本の工業を発展させて貿易を拡大するほうが日本は富めるという戦後の日本の歴史が証明している。
だから日本の富国強兵は間違っていたのだ。
歴史が証明しているのだからこれ以上はっきりしていることはない
「『戦犯と一般国民を分ける』という毛沢東的な言い方はおかしいが。」
いえいえちっともおかしくありません。
だから、「日本が加害者であると同時に被害者でもある。」という毛沢東の言葉はその通りなのです。
名言です。さすが毛沢東です。

「戦争を一般的に論じれば、どの国もそうなります。」とT氏はそれは当たり前という風に言ったが、
そうかなあ、
そうではないのかもなあ。
報道が自由で言論が自由で
外国の情報が正確に伝えられ
国のリーダーを国民が選び
その上で戦争をするのなら国民が選択した戦争なのだから国民が被害者であるとは言えないのじゃないかな。
でも、国民が選んだ政治家は軍部に殺され、国民の代表を殺した軍部が政治の実権を握った日本の政治は国民の意思を喪失した政治と言える。
戦争に反対すれば警察にリンチされ、
自由を主張すれば警察にリンチされ
共産主義者というだけで小説家が警察のリンチで殺され
「りんごの歌」は明るい唄であるという理由で発売禁止
国民の希望や意思は踏みにじられ

日本がアジアで戦争をすることができたのは国民を犠牲にしたからだと私は思う
単純な理屈だから
複雑な理屈に太刀打ちはできないが
でもこの単純な理屈の方が「真実」の芯だろう。

第一が日中戦争
第二が四十一年からの日米の戦い
第三が四十五年八月という戦争末期の対ソ連の戦いというか、一方的に受けた侵略です

え、満州は日本だったということか。
侵略したかどうか。

え、日本は朝鮮に侵略はしていないということなのか
満州には侵略していないということなのか

専門の世界は難しい。

戦争犯罪人と一般国民は分けることができるのが日本軍国主義国家なのでなかろうか。
小学生は教育者のおもちゃか

私は沖縄に六〇年近く住んでいる
大きい声では言えないが
私はアメリカ軍の沖縄駐留に賛成なのである
こんなことを堂々と言ったら、
「非国民。」
などと言われかねない。
だから内緒にしている。
アメリカさまさまなのだ
「売国奴」
と言われそうだ。
なにしろ沖縄の支配者は「本土従属ありき」なのだからね。
どうしてそうなのか分からないが
とにかく
「本土従属ありき」なのだ

ぷふふ

おっと笑ってはだめだ。
日本には武士思想と社会主義思想しかないのか

日本は民主主義国家なのに
日本には武士思想と社会主義思想しかない
と私が言ったら
多くの人が苦笑するだろうな

おいおい
民主主義は難しい思想じゃない
だれもかれもが民主主義は理解している
日本は国会議員も地方議員も選挙で選ばれているし国民は
選挙に参加しているよ

うん、そうだね。
と私はうなずく
その後に首を傾げる

でも、
国会には武士道意識の強い議員が多い
で世の中は
品格が流行している。

まあ、それはそれでいいのかも知れない。
なにがいいのかも知れないのかは言えないか。

司馬遼太郎大先生も
武士が政治をするものだと考えていた
武士幻想が日本には根強い

高杉晋作の騎兵隊は平民の軍隊で
江戸幕府の武士軍団をやっつけた
現実はそんなものだ
武士だから戦争に強いとか
意思力が強いとか
ていうのは幻想だ
武士も人間
平民も人間
才能に差はないということだ

民主主義社会なのだよ
なぜ
武士道なのだ
変だよ

武士はそんなに立派だったのか
違うだろう
政治は武士しかできなかっただけのことだ
武士が知に優れていたわけではない
武士が武の才能があったわけではない
武を身に付ける権利が武士だけにあったというわけだ
当たり前の話だが
でも
武の才能は武士だけにあったと錯覚している人々は以外に多い

武士も平民も
生まれた時は同じ才能であったと
いうわけだ
それだけのこと

大発見

戦後六十年で大発見したと言えば
民主国家と民主国家は戦争しないということだ

こいつは歴史的大発見だ

民主国家と民主国家は戦争しないなんて馬鹿なこと言うな

君は言うかも知れない。
民主国家でも性悪な大統領なら戦争をしてしまう

君は言うかも知れない。

ところがそれは間違いだ。

イギリスとアメリカが戦争するだろうか
フランスとイギリスが戦争をするだろうか

しないね
断言できる


武士と天皇の対立
明治になり
天皇制になったのだが
よく考えてみると変な感じだ
天皇はいわゆる皇族なのであり
でも江戸幕府を倒したのは長州藩や薩摩藩などの武士階級なのであり
明治政府を作ったのは武士である
武士政権から
武士政権になっのであり
皇族政権になったわけではない
なぜ
最高権力者は天皇なのか
武士ではないのか
変である
天皇が最高権力者であるのなら
天皇を支える内閣は皇族で構成されるはずなのに
藩閥で占められている
おかしいではないか
本当に天皇が支配していたのか疑問である

昭和天皇は本当に
日本の国民が「天皇陛下ばんざい。」と言って天皇陛下のために死ぬのを望んだのだろうか。
国のために死ぬということは天皇陛下のために死ぬということらしいが
昭和天皇は自分のために国民は戦争をやり自分のために「ばんざい。」と叫んで死ぬのを当然と思っていたのだろうか。
武士の時代の前に
貴族の時代があり
貴族の長は天皇で
武士は天皇から政治権力を奪ったがその位は奪わなかった
つまり花より団子を選んだ

考えてみると
明治は外様藩が江戸幕府から権力を奪った
クーデターだった
いわゆる体制が変わったように見えるが
明治も武士が政治権力を握ったわけで
武士の政治が変化しただけだった
江戸幕府の鎖国政策を解いただけだ

貴族に玉砕の思想があるのだろうか

そう言えば
奈良時代
平安時代
戦国時代のように血で血を洗う戦争はなかった
長い平和な時代に
貴族は戦争のやり方さえ忘れていった

貴族時代には大陸を攻めることもなかった

国取り物語は武士の物語

軍国主義というのは武士が国を完全支配するというものなのだろうか

   真珠湾攻撃

トラトラトラ
真珠湾攻撃
中学生の私は世界地図でハワイを見ながら
日本軍がハワイの真珠湾攻撃をなぜやったのか
不思議だった。
アメリカ本国はハワイのはるか東だ
首都のワシントンDCやニューヨークは大きい北アメリカ大陸の
遥か東側にあるのだ。

アメリカに本気で勝つ気があったのだろうか

中学生の私は疑問に思った
中学生ですよ
ハワイを攻撃してハワイを占拠してもアメリカを征服するのは不可能だ
そう確信できる

アメリカと戦争するなんて
頭がおかしいとしか思えない
と子供の私は思った

変だよ
本当に変だよ
ハワイに奇襲をかけるのがやっとであるのに
アメリカに勝つには
アメリカ本国に上陸して
大陸を横断しなければならない。

あの時の日本の指導者は頭がおかしかったのではないだろうか

アメリカに勝つシュミレーションを子供ながらにやったが
妄想を平気でやる中学生の私でさえ
アメリカ征服のシュミレーションは無理だった




  国民が大企業を支配する

郵便貯金が三〇〇兆円もあるのにはびっくりだ
日本国民は金持ちじゃないか
三〇〇兆円で
大企業の株式を買い占めれば
大企業は国民のものになるじゃないか

下手な労働運動するより
労働者は預金しないで株を買ったほうがいい
株主というのは純粋なブルジョアジーで会社の所有者なのだ
経営者より偉いのだ
経営者を召使いにするのだ

天皇を崇拝はしないが尊敬する

笑い方まで要求されるのか
オランダで
はじけるような笑顔をしたら
日本の文化人はケチをつけた

笑いでさえ厳しくチェックされる
そこまでどうのこうのいう人たちは
すごく偉い人たちなのだろう

オランダで素直な心で笑っていいのでないか
自然にはじける笑いが出てきたのだから
それでいいのではないかと私は思う
日本でもあのようなはじけた笑いをしなければならないなどというが
そんなことは無理なことで
日本ではできないのならそれはそれでいいのではないか
日本では日本の支配者に要求される笑いを痛々しく精一杯やっているのだから
それでいいのではないか


皇族と国民の隔たりは次第に大きくなっているような気がする

平民の私は皇族に深い興味はない




オランダで幸せな顔をしたからケチをつけられた



オランダではカメラマンが皇女に「アイコ、アイコ。」と声をかけてもいいそうだ。
でも日本ではカメラマンが声をかけるのは禁止されているそうだ。

日本では平民が気安く声をかけてはいけない。
気楽に話してはいけない。
指定された人しか話してはいけない。


 透明で厚い壁

天皇は国民に手を振り日本国民の平安と世界平和を願うとマイクに話す
参列した人々は日の丸を振る
それに答えて天皇陛下は手を振る

それにしてもどうしてあんなに分厚いガラスが天皇と国民の間にはあるのだろう
けいからぬ人間のけしからぬ行為を防ぐためだと思うが
あんなぶあついガラスが必要なのだろうか

天皇と国民の間にある厚い透明な壁
透明な壁をしきりに厚くして
しきりに強くしている連中がいるように
私には思える。

 天皇を敬語で支配するものたち

天皇のことを話すときは水も漏らさぬ完璧な敬語で話す人
天皇のことも皇族のことも法のこともよく知っている
頭のいい人たち
でも
その内容は
天皇はこうでなくてはならないと事細かに話す



武士道精神か
物を生産する仕事はしないで
生きる武士の精神を
毎日働いている人々が持ということはへんな話だ

武士は人口の6パーセントだという
94パーセントは平民だ。

日本車がアメリカに進出してアメリカの自動車がうれなくなったので日本車を破壊したりして、日本車に反発した。
その時にアメリカの怒りを緩和するために日本の国は医療器具を大量に輸入するようになった。
日本車がアメリカで売れて日本の自動車企業は儲かったが
その代わりに
日本の医療は高くなった。
なにか
へんだよ。
あの時は仕方がなかった
と国は言うから国は
仕方がなかったかも知れないが
国民が本当に仕方がなかったのかどうかは
わからない。



  国ってなんだろう

国ってなんだろう
分かるようで分からない
国民というと
国の民ということになるが
国の民というと
国に尽くす民ということになるのか

戦前は天皇陛下のために死ぬというのが国民の義務であったらしい
靖国で会おうと言って戦争で死んでいったらしい
靖国というのは
国のために戦って死んでいった者たちを讃える神社らしい
天皇陛下バンザイと死に
靖国に入ったけれど
その天皇が靖国に行かなくなった
行かなくなったことには深い理由があるだろう

はっきりしていることは
靖国は天皇と同じではないことだ

でも天皇陛下ばんざいと言って死んだものたちは
天皇と靖国は同じ存在だっただろう

多分
靖国は武士の思想がいっぱい詰まっているのだろう
天皇は皇族で
武士ではないのだから
武士の思想である靖国になにかひっかかりができたのだろう

武士と皇族の
思想のずれ
それが
今の靖国かも知れない



日本の政治というと
憲法はアメリカのGHQが作ったもので
アメリカか望んだ民主主義憲法ということで

でも日本は軍国主義だったし
自由民権運動家は弾圧されて
民主主義思想が熾烈な弾圧によって骨抜きにされたその絶頂期に
日本が戦争に負けて
日本国憲法ができた
だから
形式は民主主義になったのに
日本のリーダーは軍国主義と社会主義と共産主義しか残っていなかった
だから
どうやら
日本の民主主義思想家は脆弱のようだ

日本には民主主義思想家は居ない
と言いたくなるほどである




共同幻想論

マルクスのドイツイデオロギーかなにかの書物で
「国家とは共同体的幻想である。」
と書かれているのを読んだ時
そうかそうなんだ
国家とは共同体的幻想なんだと私は思い
納得した。
すると吉本隆明が
共同幻想論という本を出した
若い私はとても期待してその本を買って読んだ
マルクスの「国家とは共同体的幻想である。」を解明する本だと信じていた
吉本隆明の共同幻想論は
個人幻想
対幻想
家族幻想
から共同幻想へと理論は展開されていった

あれ変だぞと私は思った
変だと思ったついでに
こりゃ駄目だと思った

そう、

個人幻想
対幻想
家族幻想
なんてありはしない
共同幻想
なんてありはしない
マルクスは
共同体的幻想といったのであって
共同幻想とは言っていない

共同幻想は存在しない
ありもしないのをあるように
思い込んでいた吉本隆明は
まあ、
愚かであったということだ
すべてが
虚しい理屈
だったというわけだ



平和主義

私は平和主義が好きになれない

イランに核兵器を所有させてもいいじゃないか

ハマスは民に指示されたのだから

ハマスは民に指示されたのだから
パレスチナの代表である
ハマスが代表になったからパレスチナへの援助を打ち切るのは変である
民主的な選挙で選ばれたということは人民の意志が反映されているということであり
人民というのは根本的に平和主義なのだ
ハマスは人民に責任を持たなければならない
だからハマスも人民の望む政治をやらざるを得ない

パレスチナに経済援助を打ち切ったアメリカやEUは愚かだ

ハマスを選択するなら経済援助はしないという脅しは愚かだ



もうひとつの核の抑止力

核には戦争の抑止力があるという
なるほど
核を持っていれば他国から攻められないということか
他国から攻めれば
その国に核爆弾をお見舞いするというわけだ
それじゃあ
他国は核を保有している国を攻めるわけにはいかない


どうもうそ臭い





 町田の死

沖縄の学生運動で初めての犠牲者が町田なのだが
もう
色褪せた問題かも知れない
町田が殺される数時間前に
首里城跡に造られた琉球大学のキャンパスで
私は町田と話していた

私は国文学科の学生で
町田は電気科の学生だから知り合いになる環境ではなかったが
大学二年の時
彼は演劇部にやってきた
演劇が好きでもないし経験もないが
ジャン・ジュネの黒ん坊たちという戯曲を上演することになり
しかし、役者不足のために中里貞夫が無理やり入部させたのだ


町田は将軍の役でセリフは少ないが
「女郎屋へ。くそ女郎屋へ。」
意味不明なセリフでそれがまた町田は意味不明な表情で口に泡を飛ばして叫ぶものだから
仲間はみんな笑った。
でも町田はくそ真面目な奴で真剣にセリフを吐いただけだから
笑わなかった
なぜ皆が笑うのかも理解していなかった

町田を連れてきた仲里は変な奴で
演劇部であるのに
方言を使い
共通語はまるっきし駄目で
照明係り専門に徹していた

ジュネの黒ん坊たちはあっけなく頓挫し
毎夜酒飲み会が続き
町田は何時の間にか来なくなっていた
だから私が学生運動に首を突っ込まなければ
町田を顔を会わすこともなかっただろう
実際デモや会合や学生自治会で顔を会わすことはあったが
親しく話すことはなかった


「みんな元気か。」
と町田は聞き
「ああ、元気だ。」
と私は答える。
それだけの挨拶程度の会話だった

三年生になった時
私は国文学科の委員長になり
町田は電気学科の委員長になっていた
私は町田が学科委員長になっていることに驚いたが
町田も私が学科委員長になったことを以外に思ったかも知れない
まじめで従順なので先輩に望まれて断わることができなかったのだろう
私もしつこい先輩がいて
なんども断ったが私が出ないと政敵に委員長の座を奪われてしまうという脅しに負けて
委員長に立候補した
町田もそんなところだろう

一九七一年と言えば私は琉大に入って五年目である
多くの同期生は社会人になっている

私は松尾で家庭教師の仕事を早めに切り上げて与儀公園の県民大会に参加した
いつものように琉大の学生集団は大会の進行を無視してマイクをがなり立ててスクラムを組んでジグザグデモをやった
私はデモをするだけだろうと思っていたら壇上の上り日の丸と星条旗を焼いた
その演出があるとは知らなかったが
労働者の一団が襲ってきて学生は蹴散らされた。
私も逃げたが雨降りの後で土が粘土状になっている場所で逃げる途中で革靴が取れてしまった。
デモが終わればさっさと部屋に帰るようにしていた私だが
買ったばかりの革靴であり私は自治会の女性に私の革靴を探してくれるように頼んだ
ので彼女が帰るまで
自治会事務所の近くのキャンパスで待っていた。

闇の中で木にもたれながら時間を潰していた私のところに
黒い影が近づいてきた
「又吉。」
と私の名を呼んだ。それが町田だった。
町田は私に
家族闘争をやったかを聞き
私は家族闘争なんてできるはずがない
ばからしい
などと答えた

町田は「そうか。」と言い、
私は黙った

町田は私の家族のことを聞き
自分の家族のことを話した

私は家族のことを話し
私たちの考えを話しても理解するのは不可能であると断言した
そして
だから話さないと言った
町田は
「そうか。」
と言い、黙った。

フランスの学生は夏休みに家に帰ると
学生運動のことを家族に話し討論をし
家族に理解させる
だから
お前たちもやれと
家族闘争を運動のひとつにした

ここはフランスじゃない沖縄だ
民主主義さへ知らない親たちにアメリカ帝国主義やらベトナム戦争が社会主義とアメリカ帝国主義の覇権争いであるとか
祖国復帰運動とも平和運動とも違う自分たちの運動が理解できるはずがない
そもそも反帝国主義反スターリン主義を自分が本当に理解しているかどうかあやふやであるし、反帝国主義反スターリン主義が正論てあるかどうかを完全に信じることはできない
沖縄を民主主義社会にするのだという思想なら親にも話せるが星条旗と日の丸をやいたことを説明することはできない
私にはそんな思いがあったし
学生運動から離れて四年間も上演していない演劇に打ち込みたい気分だったから
私は町田を突き放していた

インターネットで検索すると
革マル派学生町田宗秀が琉大男子寮で殺される
とあるが
家族闘争さえできない柔な若者が
まるでゴチゴチの学生運動家として記載されることに
私は苦笑する

二人の居るところに私の革靴を探しに行った女が来て
私の革靴はなかったと知らされた
私はそうかと言い、立ち上がって帰ろうとすると
町田は
「又吉は男子寮に行くのか。」
と聞いた。私が「いや、違う。」と言うと、
町田は残念そうな顔をしていた
町田は私ともっと話しかったのだろう
個人的に話す相手は町田には居なかったのかもしれない
しかし、
私は個人的な話でも政治に繋がるような話はやりたくなかったから
「じゃな。」
と言って町田と別れた


私は部屋に帰り
私がくつろいでいる時に
町田は殺されていた

シャワーを浴びるために男子寮に行くと
異様な雰囲気で男子寮いるのはまずいはずの学生が数人玄関に居たので
私は裏口から入った
男子寮が襲われたことを知り
それから
朝まで
自治会室に居て
町田が死んだことや怪我の状況などを知らされた

町田の死に
私に涙の悲しみはなかった
町田を殺した組織への憎しみも怒りもなかった
家族闘争さえできない
大衆運動と革命論の中途半端な心の青年が
殺されるに値しない脆弱な若者が殺されたことへの虚しさが
私に残った
交通事故よりも
不自然な死のように感じた

町田が生きていたらどんな生活をしていただろう
多分県庁か電力会社の部長になって
普通の生活をしていただろう

伊平屋島には
食用カエルが田んぼにわんさか居るという
野生の山羊も居て捕まえるは自由だという
伊平屋島出身のシゲがそういうので
演劇部の夏の合宿を伊平屋島に決めた

しげ
けん
なえ
町田
高安
あっちゃん
みっちゃん

ところが稲刈り時期の田は水が抜かれ
乾いた田に食用カエルは一匹もいなかった
野生の山羊も村の許可なしには捕獲してはならないという掟があった
寝る場所は小学校の教室
机を並べ、その上に寝た
へびが入り込み大騒ぎ

しげは口八丁の男で
ジュネやバタイユが好きで
支離滅裂な話を平気でやる男だった

それでもどこかに責任感もある男でまるっきりのうそつきでもなかった
食用カエルは田には居なかったが
小学校の校長室の裏の池には居た
男四人が池に居る食用カエルを追っかけて二匹捕まえた

しげは掟を全然気にしない男だったから
町田を連れて山羊狩りにでかけた
町田は従順な男でしげのような男の言うことも素直に聞いたから
多分しげは町田を連れて行ったのだろう
無口であるから頑固な人間の印象があるが
素直で従順な性格だった
夜に
首を切り落とした子山羊を自転車の前に括り付けて
帰ってきた
女は悲鳴を上げ、食べることができなかったが
私たちはバーベキューにして食べた


沖縄に革命が起こり
革命兵士として敵に殺される死は価値ある死である
それ以外は
価値のない死だ
だから町田の死は価値のない死である
アメリカの強大な軍事基地が存在する沖縄で武力闘争なんてできない
大衆運動から革命へと転換させるのは不可能だ


自殺

いじめに会い自殺してしまう生徒が政治問題にされたものだから
色んな政治家や評論家が
自殺について語っている

こうすればいいとか
ああすればいいとか
色々論ずるが
いじめの問題は複雑というか色々なパターンがあるというかかなり難しい問題で
あるひとつの論理が解決への道となることはない



    美しい日本

美しい日本か
富士山は美しい
四万十川もまたうつくしい
国家の品格を書いた人は
日本の美しい田園はなくしてはならないという
美しい日本を思い浮かべてみると
美しい日本の情景には人間がいないのに気づいた
美しい田園には
ぼろ着を着た農民は似合わない
田園をつくる農民は排除して
美しい田園

貧しい農民のおんぼろな家や
年老いた農民が
田植えする姿や
稲刈りをする姿や
哀れな姿は排除して写真を撮る
ほら
美しい田園だ

貧しさも
不満を言わなければ美しい


東京にいけなかった私

東京には国会がある
政治家のトップクラスが集まるところだ
頭の優れた人は地方にも居て
でも地方でトップの政治家は国会議員となって東京に行く
だから全国から頭のいい政治家は東京に集まる

東京大学も東京にある。
東京大学だから東京にあるのは当たり前だから
東京大学も東京にあるというのは変な言い方だが
まあ東京大学も東京にあるである。
頭のいい学生が東京大学に入学する
東京には
早稲田大学とか慶応大学とか
とにかくトップクラスの大学が多くて頭のいい学生は
東京に集まる

大企業も東京に集まっているし
テレビ局や色々なサービス企業も東京に集まっている

頭のいい人や出世志向の強い人々は東京に集まる

そんなところが東京で
「朝は壊れやすいガラスだから
東京へ行くな」
と言った詩人も東京に行くのだから
東京はすごいところである。

私が東京に行かなかったのは
私は頭がよくないし
出世はしたいが出世する努力はしたくなかったから
東京にはいかなかったというわけだ

東京に行けない理由がもうひとつある。
東京は身の毛がよだつほど怖いところであるからだ

東京はテレビで放映されるが
東京のテレビは隠していることがある
東京はいたるところにカラスがいるが
あまり写さない

カラスは死肉を食らう

東京の至る所にカラスが居るということは
東京にはいたるところに死体が転がっているのだろう
カラスが死肉を食らうのは東京の不名誉だから
テレビ局は写さないようにしているのだろう

ガーガーと早朝から東京のカラスは鳴く
東京は恐ろしい
「朝は壊れやすいガラスだから」くらいの東京なら東京に行けるかも知れないが
朝っぱらから
死肉を食らうカラスが
ガーガーと
鳴く東京は恐ろしくて恐ろしくて行けない。
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世界 民主主義の戦い

世界 民主主義の戦い


ロシア

ロシアは、大統領、国会議員は国民の選挙で選ぶ。議会は国家院と連邦院の二院からなる議院内閣制である。プーチン大統領は国民が選んだ。しかし、プーチン大統領は独裁者である。国民の選挙で選ばれているにも関わらず独裁者なのである。
プーチン大統領は対立する候補を暗殺したり、刑務所に送り、対抗馬を排除していった。プーチン大統領が確
実に選出されるようにしたのである。ロシアは議会制民
主主義の形態ではあるが実態はプーチン独裁国家である。議会はプーチンの要求する法律を制定するプーチン独裁下請け機関である。
ウクライナ戦争はウクライナの民主主義を守る戦いであるととともにプーチン独裁を倒す戦いでもある。ロシア軍が敗北すればプーチンの権威は失墜する。ロシアの報道規制が崩れて自由になり、ロシア軍がウクライナでやった残虐な行為をロシア国民は知ることになる。プーチン独裁が崩壊するだろう。

タイ

 タイは立憲君主制である。1932年6月24日にタイ王国(シャム王国)で勃発した立憲革命は、タイを絶対君主制から立憲君主制へと移行させた。 革命は、主に平民出身で構成された文民と軍人の官僚により組織された人民党によって行われた。文民と軍部の対立が激しくなっていき、政権維持に不利になると軍部はクーデターを起こして文民勢力を弾圧した。。
 2006年タイ王国軍の反タクシン首相派の将校が下士官・兵士を率いて、タクシン政権を倒した。タクシン氏を国外追放した。
 2014年の軍事クーデター。2011年の総選挙でタイ貢献党が勝利し、第31代首相のタクシン・チナワットの妹であるインラック・シナワトラが第36代首相に就任したが軍部の圧力で失職した。2014年に行われた総選挙は反政府派(軍部関係集団)による妨害で一部選挙区では投票が行えず、選挙が無効になった。軍部による政権が続いた。
首都バンコクの知事選が今月22日に投開票された。当選したのは2014年5月の軍事クーデターで政権を追われたインラック内閣の元運輸相チャチャート氏(55)。2位に入ったスチャチャウィー氏(民主党)以下に100万票以上の大差をつけた圧勝だった。
選挙によって民主派が勢力を拡大しているタイである。

ミャンマー

 2020年の総選挙でスーチー氏の国民民主連盟が圧勝した。民主派の圧勝に危機を抱いた軍部はクーデターを起こし、スーチー氏や幹部を拘束して権力を奪った。軍部が支配するミャンマーである。
 軍部政権打倒で立ち上がった挙国一致政府は、各地に散らばる民主派武装勢力「国民防衛隊(PDF)」などによる武装闘争「防衛戦」の開始を2021年9月7日に宣言。国軍に長年抵抗する少数民族武装勢力も取り込み、武力によって軍政打倒を図ろうとしている。
民主主義の戦いはイラン、アフガンても始まった

アフガニスタン

 駐留20年がたった2021年に米軍はアフガンから撤退した。米国が築いた議会制民主主義はあっけなく崩れた。タリバンとの戦争では簡単に敗北し、大統領は国外逃亡した。
 タリバンが政権を握ったアフガンはイスラム教政権になった。そのまま安定したタリバン政権が続くだろうと思っていた。
タリバンが実権を掌握して以来、アフガン女性は公共の場から締め出された。全国の公立と私立の大学で女子教育を停止した。女性公務員はほとんどが失職した。
 女性は男性の親族同伴でなければ旅行できず、外出時には全身を覆わなければならなくなった。公園や遊園地、スポーツジム、公衆浴場に入ることも禁じられた。女子教育を行う学校も大半が閉鎖された。

タリバン政府の女性差別に対して女性たちは立ち上がった。アフガニスタンの首都カブールで、国連(UN)の「女性に対する暴力撤廃の国際デーを前に、十数人の女性が短時間の抗議デモを行った。参加した女性の多くはサングラスを掛け、頭髪を覆い、医療用マスクで顔を隠していた。うち1人が手にしたプラカードには、「私たちは最後まで権利のために闘い、決して降伏しない」とダリー語で書かれていた。
 首都のカブール大学の近くで女性約50人が「教育は我々の権利だ。大学は開かれるべき」と訴え、抗議デモを行った。東部ジャララバードでも、大学の前で女性と男性の参加者がともにプラカードを掲げ抗議した。

女子に教育をしている団体もある。「地下学校」である。
 タリバンによる政権奪取以降、アフガニスタン国内でも市民たちによる抵抗が広がっている。その一つの形が学校に通えない少女たちがひそかに勉強を教わる「地下学校」である。「地下学校」には二つの種類がある。一つは個人の自宅などでひっそりと少人数を集めて勉強を教えるものである。存在自体が秘密にされている。もう一つが「地下学校」である。「地下学校」は、タリバン政権の教育省から「専門学校」の認可を得ている。表向きは女性が編み物や刺繍、コーランなどを学ぶ学校ということになっている。それは「隠れ蓑」で、女子が学ぶことを禁止されている英語や数学、物理、歴史など中等教育の教科も教えている。
地下学校の修了式の様子
 市内の住宅街の一画、1階が商店、2階以上がアパートの小さなビルの地下に、日本の学校のクラス二つ分ほどの広さのホールがあり、風船で飾り付けられたステージが作られていた。ヒジャブと長衣をまとった少女たちが次々に入ってきてホールは満杯になった。その数100人以上。これほどの数の生徒たちが集まった「地下学校」の映像はメディアでも見たことがない。この「学校」は6カ月が1学期で、きょう行われるのは学期末の修了式だという。
 式典で生徒一人ひとりに修了証を手渡すのは40歳代の女性の校長先生。記念撮影をしたあとは、大きな書物の形をしたケーキにナイフを入れ、校長が生徒たちの口に小さく切ったケーキを放り込んで、厳かななかに笑い声がもれる楽しい会となった。修了生を代表して一人の女子生徒が英語でスピーチを行った。テーマは「女性について」。
「コーランによれば、女性は男性と同じく社会の重要な役割を果たすべきである。また、知識を求めることはすべてのムスリムの義務である。私たちはタリバンに女子の学校を開くよう、女子が科学を勉強することを禁じることをやめるよう要求する」
 慣れない英語でたどたどしく、しかし堂々と仲間に語りかける。あどけなさの残る女子であるが自立の精神をしっかりと持っている。自立心旺盛な女性をアフガン社会は生み出している。

 校長はこの「地下学校」を去年10月、たった一人で立ち上げた。学校の教員だった彼女は、女性に差別的なタリバンの施策を見て辞職。「学校に行けなくなったと絶望して泣く少女たちを見て、いてもたってもいられなくなりました。他人事ではありません。私にももう少しで中等教育の年齢になる女の子がいるのです」という。またタリバンが再び権力を奪ったときに国を出た友人もいたが、「みんなが逃げたら、誰がこの国の女性たちのために立ち上がるのでしょう。私は残って闘うことに決めました」と悲壮な決意を語った。

イラン


2022年9月13日、アミニはイランの首都テヘランの駅で、風紀警察に逮捕された。その理由は、ヒジャブの着用方法が不適切だったことと、タイトなズボンを着用していたことであった。アミニはバンに乗せられ、警察署に連行された。連行後、暴行でアミニは意識を失い、カスラ病院に救急車で搬送された。そして16日、死亡が確認された。
アミニの死への抗議活動が勃発した。
北西部のクルディスタン州で追悼式が行われた後、人々は通りに出て、詳細な調査を求めるスローガンを叫び始めた。その後、抗議者たちは知事室の前に集まり、警察は催涙ガスを発射して群衆を解散させた。
警察の厳しい弾圧にも関わらず抗議は拡大していった。抗議はアミニの死への抗議にとどまらず女性の自由への戦いだったのだ。
デモ参加者たちは抗議活動のなかで叫んでいる「女性、命、自由」のスローガンを記した横断幕などを掲げていた。デモは女性差別への抗議になっていた。女性たちが自由を求めて立ち上がったのである。
デモは全国に広がっていった。イラン政府の弾圧は厳しくこれまでに18歳未満の子ども64人を含む少なくとも476人が死亡した。
 有名人やスポーツ選手も「女性、生命、自由」運動を支持している。米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したアリドゥスティ氏はスカーフを被っていない自分の写真をソーシャルメディアに投稿し、反政府抗議の参加者が処刑されたことを非難した。彼女は逮捕された。

 イランとアフガンで女性の自由を求める戦いが始まった。長く困難な戦いになると思う。しかし、弾圧に負けて消滅することはない。弾圧を跳ね除けて勝利すると思う。

世界 民主主義の戦い ウクライナ

 1991年ソ連が崩壊したことでウクライナは独立した。独立したウクライナはロシア派と西欧NATO派に分かれたが、ロシア派が優勢であり、ロシア派の大統領が政権を握った。

ウクライナは2013年に欧州連合との政治・貿易協定の仮調印を済ませていたが、親露派であるヤヌコーヴィチ大統領はロシアからの圧力もあり調印を見送った。これに対しEU寄りの野党勢力から強い反発が起こり、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生した。ヤヌコーヴィチ大統領から出動を命じられたベルクトは群衆を攻撃するなど騒乱状態に陥った(2014年ウクライナ騒乱)。事態収拾のため2014年2月21日には挙国一致内閣の樹立や大統領選挙繰り上げなどの譲歩を示したがデモ隊の動きを止めることはできず、ヤヌコーヴィチ大統領は22日に首都キエフを脱出した。ウクライナ議会は同日ヤヌコーヴィチの大統領解任を決議し、5月25日に大統領選挙を行うことを決定した。ヤヌコーヴィチはロシアに亡命した。しかし、新しい大統領になってもウクライナの腐敗政治は改善することがなかった。

2019年にゼレンスキー氏が大統領になる。
「チョコレート王であり、ガラス王であり、造船王でもあるポロシェンコ大統領は、私腹を肥やすばかりで国民のための政治をやろうとしない。民衆の声を反映する政治を実現するべきだ」
ゼレンスキーは本気でそう思ったからこそ、大統領選挙に出馬した。
ポロシェンコ政権が存続する限り、ウクライナの問題が何ひとつ解決しないことは明らかだった。平和と経済復興を願う民衆の望みによって、ゼレンスキー大統領は必然的に誕生したのだ。

ゼレンスキーとは、どういう人物なのだろう。
15年、ゼレンスキーはウクライナのドラマ「国民の僕」に出演して人気を博す。ゼレンスキーが扮する主人公は高校教師ゴロボロジコだった。

現職大統領の腐敗政治に憤慨する高校教師が「ウクライナの政治はおかしい」と言っているうちに、大統領選挙に立候補するはめになり当選する。しかし、腐敗政治家と寡占資本家(オリガルヒ)の開票操作により当選無効とされたうえで、反体制派と見なされて投獄される。ドラマの腐敗した大統領は、明らかに15年当時のポロシェンコ(14~19年在任)を当てこすっている。

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沖縄革新の未来を象徴するキャンプ・シュワブの3つの写真

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辺野古埋め立てが始まる8年前の2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古真実」では日本には公有水面埋立法があり、辺野古埋め立てで辺野古の海が汚染されることはないことを説明した。



2017年に出版した「違法行為を繰り返す沖縄革新に未来はあるか」の最後に、
「自分勝手でやりたい放題のヘリパッド建設阻止運動は建設を阻止することはできなかったかわりに村民に迷惑をかけ、国民の税金を浪費させた。
ヘリパッドが完成したから、ヘリパッド建設阻止運動家たちは辺野古飛行場建設阻止運動に移った。
辺野古でも安波のヘリパッド建設と同じことが繰り返されるだけであるだろう。辺野古飛行場建設阻止運動は違法行為を繰り返し、取り締まる機動隊の経費に国や県の税金を使う。そして、阻止運動の効果はなく建設工事は順調に進む。議会制民主主義国家では国民に選ばれた政治家が法治主義に則って政治をする。法を破り身勝手な運動をする沖縄革新は今までしぼんできた。そしてこれからもしぼんでいくだけである。沖縄革新に未来はない。」と書いた。



沖縄革新に未来はないを象徴しているのがキャンプ・シュワブの看板の写真である。
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