県の一方的な高校再編に地元はパニック




 県教育庁が作成した高校再編の素案で廃止、統廃合を指定された高校はパニックを起こしている。北山高校から名護高校への理数科の編入。久米島高校の園芸科廃止、辺土名高校の分校化、伊良部高校の廃校、北谷高校の普通科の大幅削減とフューチャースクール設置などである。ショックを受けた地元の人たちは県教育庁の案に反対ののろしをあげている。

 大城県教育長は計画の狙いを、「全体の狙いは基本的知識の定着、充実した学習環境の整備、多様な進路を支援できる環境の三つだ。北部については地区全体の活性化という狙いもある」と述べている。白々しい説明だ。それは表向きであり、高校再編の本当の理由は少子化による生徒の減少だ。北部の統廃合は少子化だけでなく過疎化も影響している。北部の過疎化は深刻な問題である。

 那覇市に県庁、那覇空港、那覇港があり、沖縄の冨は那覇市を中心に都市に集中している。沖縄の経済は北部の過疎化を促進している。北部で唯一の都市は名護である。北部の人口は名護へ流れるか中南部に流れている。北部の過疎化が進む限り高校の廃止や統合は避けることができない。

 普天間基地移設でもめている辺野古は名護市ではあるが名護中心街とは反対の東海岸にある。東海岸側の辺野古は過疎化が進んでいる。過疎化を防ぐために辺野古区の人たちは普天間基地を受け入れてもいいと考えている。
 
 大城教育長は「北部全体の活性化という再編統合の役割もある。統合をすることで生徒数を増やし、生徒の多様なニーズに応えて北部地区全体の活性化につなげていきたい」とそらぞらしいことを平気で言う。理数科をなくしたり、分校化したりしてどうして活性化につながるというのだ。「統合することで生徒を増やす」というのはおかしい理屈だ。統合するということは統合される高校は廃れるということである。北部全体では生徒が増えるということにはならない。
 「生徒のニーズ」とは具体的にはどういうことをいうのだろう。高校は生徒のニーズではなくて社会のニーズに応えるべきだ。社会のニーズに応えた教育が社会で活躍する生徒を育てる。それが生徒のニーズともなる。
 学校の統廃合ではなにもよくならない。教育方法を変革し、優秀な生徒にする教育をするべきである。

 「高校の3年間はさまざまな出会いを通して自我を確立していく期間であ」ると大城教育長は高校教育の目的を語っている。さまざな出会いがなくても自我は確立していく。自我の確立を教育の課題にするということは教育をする努力をしなくてもいいということだ。高校の教育で大事なのは社会に出て一人前に生きていける学力を身につけることだ。自我なんて問題にしなくてもいい。学力の向上を軽視しているのが沖縄の教育である。失業率が高いのは沖縄の学力が全国最下位である性もある。

 「自我を確立していく」ために「学校の適正規模は必要」と大城教育長は述べているが、小規高校で英才教育をしたほうが優秀な生徒になり社会には通用する。「自我を確立していく」ために「学校の適正規模は必要」というのは嘘だ。学校の適正規模は経済的な理由だ。小規模高校を増やすと予算が不足する。
 口では素晴らしいことを言っているが、目的は予算的な理由から単純な統廃合をするだけだ。教育内容はなにも変わらない。北部の過疎化は進み教育はいっそう低下していくだろう。

 仲井間知事や県庁の幹部は政府から降ってくるお金をできるだけ多くしよう一生懸命である。県は沖縄の経済発展や過疎化解消に頭を痛めはしない。それよりは政府からの一括交付金を増やすのに日夜知恵をしぼっている。なにしろ、県税では県の公務員の給料さえ払えない。政府の一括交付金だけが県庁を潤してくれるし、交付金の一部を市町村や公共工事の業者にお金をばら撒いて、政治の主導権を握っておられる。県には一括交付金さまさまである。

 教育庁は精神論だけを振りまいて学力向上には無関心、仲井間知事や幹部は一括交付金を増やすのに懸命で、ベンチャー企業育成や県経済の発展には努力しない。
 
 残念である。
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