おまえを抱きしめ抱きしめ堕ちていく・九百四十七~九百四十九句

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目取真俊氏「暴言の本質」批判








 目取真俊氏は芥川賞作家である。小説は個人活動の面が強い。小説家はそれぞれ自立した独自の見識のある思想家であるはずである。政治問題、社会問題でも個人の視点から独自の見解を展開して当然である。しかし、なぜか目取真氏の意見は革新系の政治家、運動家、知識人と同じ意見である。残念に思う。
 
 目取真氏は、「更迭された田中前沖縄防衛局長の一連の暴言に共通しているのは、沖縄に対する暴力的な支配を正当化する論理であり、感性である」と述べている。そして、暴力的支配の力というものは「警察や自衛隊の直接的な暴力」だけではなく、「立法・行政・司法を通した権力の行使」であったり、「振興策や金」であったり、「メディアや文化を利用した力」であったりすると述べている。

 日本は民主主義国家である。法治主義の日本で、警察や自衛隊が県民に直接的な暴力を振るうのはありえないことである。警察がデモ隊などを規制したりしてデモ隊の自由を奪ったりすることはあるが、それは相手が法を破ったときにやることであり、それは限定的である。
自衛隊は国を守るのを任務としており県民に暴力を振るうことはあり得ないことである。警官や自衛隊員がなんらかの理由で県民に危害を及ぼす事件・事故であるなら、それは警察や自衛隊員の個人的な行為であり、警察、自衛隊の暴力と言えるものではない。それは政治問題ではない。
 
 日本は民主主義社会である。法律は国民に選出された議員が国会で決める。国会で決めるということは間接的に国民が決めるということであり、民主的なルールによる国家権力の行使を自分の考え違うからといって、国家の行使を非難するのは表現の自由としては認められることではあるが、非難が正しいとはいえない。目取真氏は国家の沖縄への行為を沖縄を支配する行為であると決め付けているが、国民に選ばれた国会議員が法律を作り、法律に従って行政が行われるのだから、国家の行為を沖縄を支配する行為と決め付けるのは間違っている。

 もし、国が「沖縄が言うことを聞かなければ、最後は力づくで屈服させ、強権的に支配する」のなら、とっくの昔に辺野古移設は完了していた。沖縄の人間たちを力でねじ伏せるのは簡単だ。しかし、日本は民主主義国家だから、たとえ国で決めたことでも地方に暴力的に強制することはない。
辺野古の海上にヘリコプター基地をつくろうとした時、辺野古基地反対運動が激しくなったので、小泉元首相は辺野古移設を断念して県外移設をしようとした。しかし、県外移設できる場所を見つけることができなくて辺野古陸上案になった。鳩山元首相も県外移設をしようとしたが小泉元首相と同じで移設場所をみつけることができなくて辺野古案に戻った。国は一方的に辺野古移設をしようとはしていない。県外移設を目指したが、県外移設が不可能とわかったので再び辺野古移設案になったのだ。辺野古移設が反対だからといって政府の努力を無視するのはどうだろうか。

 目取真氏は政府の努力を無視して、国家は「沖縄が言うことを聞かなければ、最後は力づくで屈服させ、強権的に支配する」ものであると述べているが、このような考えは政府の民主主義的な行為さえ認めない、沖縄エゴ主義である。

 県民の全員が辺野古移設に反対ではない。辺野古区民の過半数は辺野古移設に賛成である。北部の辺野古移設賛成派の集会は2000人を越す集まりであり、八重山教書問題の県民集会の二倍以上の人たちが集まった。日本で辺野古移設を受け入れると宣言しているのは辺野古だけである。過疎の村になりたくないという悲痛な思いで辺野古住民は普天間基地移設を受け入れている。小説家であるなら反対派だけでなく賛成派の悲痛な心情を理解するべきだと思う。


 目取真氏は「沖縄がどれだけ反対しようと、あくまで『日米合意』を推し進める。そういう国家意思を体言する人物だからこそ、傲慢な暴言を吐いたのだろう」と田中前局長を非難している。官僚は国家の意思を体言しなければならない。それは官僚の個人的な思想とは関係がない。田中前局長は辺野古移設を進める立場の人間であり、口が裂けても辺野古移設反対は言えない立場の人間だ。

1.「1995年の少女暴行事件について、兵士に売春をすすめた米軍司令官の発言を肯定した」のは田中前局長の個人的な考えである。すべての官僚が田中前局長と同じ考えとは考えられない。田中前局長の考えは許せるものではない。

2.「薩摩の琉球侵略について沖縄が非武装・平和志向」だったから薩摩藩に侵略されたという田中前局長の意見は沖縄の革新系の政治家や知識人が主張していることであり、官僚の奢った沖縄蔑視の歴史観ではない。田中前局長が革新系の説を鵜呑みにした意見であり、田中前局長の意見を非難するのはおかしい。
ただ、革新政治家や革新系知識人のいう琉球王国が非武装であったというのはでっちあげである。琉球王朝は軍隊を持っていた。だから、武力で八重山や奄美を制圧して琉球王国の支配下に置いたのだ。
薩摩の琉球侵略の事実は、薩摩郡は運天港から上陸したが、薩摩軍の進軍を食い止めようと琉球の軍隊は薩摩軍と戦ったが、戦争慣れしている薩摩軍に琉球の軍隊は連戦連敗して、琉球王朝は薩摩に支配された。これが事実だ。
田中前局長を非難する人間たちが誰ひとりとして田中前局長の歴史論が間違っていることを指摘しないのには呆れた。

3.「審議官級の話として来年夏までに『移設』できなければ、普天間基地は固定する」と田中前局長が述べたのを脅しとみるのはおかしい。官僚はある冷静な認識をする人間であるから、普天間基地の県外、国外移設は不可能であると認識していて、辺野古に移設できなければ普天間は固定化するしかないと考えているのは当然である。しかし、そのことをマスコミなどで公にすると革新系の人間たちから一斉に非難される。こんなことをぺらぺら話す田中前局長は官僚失格だ。まあオフレコだから話したのだろうが酔っ払った官僚はアホになるね。

 目取真氏は田中前局長の発言を十把一絡げにして、田中前局長を国家の悪の権化のようにして非難しているが、田中前局長は官僚であるし官僚の立場を貫くのは当然である。一方彼も1人の人間であり、酔った時の田中前局長の発言は官僚と人間田中の二面性をみるべきである。
酔っ払った田中前局長は沖縄防衛局長の立場の人間の人間に徹しているつもりで話した。しかし、よっぱらった田中前局長は冷静さを失い、記者たちに理解させようとたとえ話をしたのが婦女暴行を想定させる言動になった。軽い気持ちで話したことがとんでもない暴言になった。酔っ払って友人たちと飲んでいる気分になったのだろうな。
 驚いたのはこのような記者との懇親会があったことだ。官僚はただ酒が飲めて。記者たちも二次会からはただ酒を飲めるという。税金で堂々と酒が飲める世界があったのにはびっくりした。

 八重山教科書問題は革新市長から保守系市長に代わり、新しい市長が玉津氏を教育長に任命して育鵬社の教科書を採択するように指示したことが一つめの原因である。玉津教育長の思惑通りに八重山採択地区協議会は育鵬社の教科書を採択したが、それに反発して竹富町の教育委員会は東京書籍の教科書を採択したから、さあ大変ということになった。
八重山教科書問題は政府・防衛省が琉球列島を中国に対する前線基地として利用しようとしているのが原因ではなく。中国漁船や中国漁船が尖閣諸島の海域を占領して石垣市民を脅かしたのも原因のひとつとなって石垣市民が保守系の市長を選出したからである。保守系の市長が当選したから八重山教科書問題がおこったのである。

 12日朝、不法操業中の中国漁船を拿捕しようとした韓国海洋警察の隊員が船長に切りつけられて死亡した。韓国では中国漁船が軍団を組んで不法操業する。韓国にしろ日本にしろ中国漁船の不法操業を阻止するためには軍隊・自衛隊の協力を得ながら領海の監視を強化しなければならない。与那国に自衛隊のレーダー基地を設置するのも中国の漁船や軍艦の動きを見張る必要があるからである。
目取真氏は軍事面だけを問題にしているが、軍事面だけではなく中国漁船の不法操業問題も重要な問題である。中国が共産党一党独裁の国家であり、覇権主義の中国は常に勢力の拡大を狙っているから警戒する必要がある。中国では軍隊である解放軍にも政治権力があり、中国が領土を主張している尖閣諸島で中国の海軍なにをするか予想できない面がある。自衛隊が尖閣諸島の警戒を強化するのは当然である。
中国漁船の不法操業はフィリビンやベトナム領海でも起こっている。最近フィリビンでも不法操業した中国漁船を拿捕している。

 目取真氏は、「沖縄にとっては、米国、日本、中国いずれの軍事強化にも反対し、東シナ海を融和の海にしていくことが21世紀を生きていく上で極めて重要だ」と主張しているが、民主主義国家である日本だから、目取真氏は軍事強化反対の主張ができる。中国で軍事強化に反対すれば刑務所行きである。
もしアメリカ軍が沖縄に駐留していなかったら、とっくの昔にチベットのように沖縄は中国に占領されていた。日本も中国や北朝鮮に占領されていた。

 戦後66年も沖縄が戦争に巻き込まれなかったのはアメリカ軍が駐留していたからである。小さく、経済力も軍事力も貧弱な沖縄が140万人の人間が住めるのは世界一の経済力を誇るアメリカと世界二位の経済力の日本が面倒をみてきたからである。沖縄を卑下したような言い方だが、卑下しているわけではない。くやしいがそれは事実であるし、事実を踏まえて沖縄の発展を考えていくべきである。
弱小な沖縄が軍事強化反対を主張してもなんの効果もない。沖縄が東シナ海を融和の海にしていくことができると信じるのは妄想だ。

「本土」防衛の手段として沖縄を利用するなんて時代錯誤もはなはだしい。今は1945年ではない。2011年である。中国と戦争する時は、ミサイル、原子爆弾を使う。鉄砲や大砲や爆弾を使う時代ではない。政府が沖縄を「本土」防衛の手段にしていると考えるなんて・・・・苦笑。
イラク戦争やアフガン戦争はアメリカが一方的に勝つ予定の戦争であり、中国との戦争とは全然違う。沖縄を「本土」防衛に使う戦争はどのような戦争なのか。想像できない。

 日米政府がやっているのは中国の横暴を食い止めるためであり、中国軍や中国漁船の日本領海への侵入を防ぎ、中国とのいざこざを押さえるためである。八重山、与那国、尖閣諸島を安全な状態するためである。
軍隊に反対しても、反対運動しているという自己満足以外なにも生まれない。中国社会、日本社会、米国社会を知る努力をするべきである。
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