4党の野党連合が与党になることはない

4党の野党連合が与党になることはない


毎日新聞の支持率調査で岸田内閣の支持率は14%であった。支持率14%は、2009年2月の麻生内閣(11%)以来の低い水準である。また、不支持率が80%を超えるのは、毎日新聞が世論調査で内閣支持を初めて質問した1947年7月以来、初めてのことだという。
政党別支持率は、自民党が16%で自公政権での過去最低となった。立憲民主党が16%(前回14%)、日本維新の会が13%(同9%)、共産党7%(同8%)、れいわ新選組6%(同7%)、国民民主党5%(同4%)、公明党3%(同3%)であった。
支持率調査を根拠に毎日新聞で「多弱野党よ! 命がけで政権交代せよ! 自壊した自民に訣別を 古賀茂明が没落ニッポンに諫言」が掲載された。


NHKの支持率調査結果
「自民党」30.5%、「立憲民主党」6.7%、「日本維新の会」3.1%、「公明党」3.2%、「共産党」2.1%、「国民民主党」1.3%、「れいわ」1.1%、「社民党」0.2%、「参政党」0.7%、「みんなでつくる党」0.1%、


読売の支持率調査結果
政党支持率は、自民党が24%(前回25%)立憲民主党が5%(同5%)、公明党が4%(同3%)、日本維新の会は4%(同5%)、無党派層は52%(同48%)。


NHKと読売では自民党支持率が野党全体の支持率が上回っている。だから、野党が政権交代するのは難しい。しかし、毎日の支持率調査では自民党と立憲の支持率は同じでありあっと圧倒的に野党の支持率が高い。野党が連帯すれば政権交代は確実であるように見える。しかし、毎日の支持率でも野党は政権を奪うことはできないことを説明する。
野党が政権を奪えない原因は野党連合に共産党が参加し、共産党によって野党連合が左翼連合になったことである。野党連合は立憲、共産、社民、れいわの4党であり、維新と国民は参加していない。野党連合だけでは29%である。維新と国民で18%ある。自民と公明が公明で19%である。共産党のいう悪の政党連合は37%である。野党連合より悪の政党連合の方が支持率は高い。野党連合が政権交代することができないのは毎日の支持率でも言える。「多弱野党よ! 命がけで政権交代せよ!」はから騒ぎである。

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自民・公明・維新・国民は「悪政四党連合」であると共産党は断言した 

自民・公明・維新・国民は「悪政四党連合」であると共産党は断言した 


共産党は日本維新の会と国民民主党を自民、公明、と同じ悪政党であると述べ、自民・公明・維新・国民は「悪政四党」であると宣言した。
維新、国民は改憲や原発の推進などで自公政権に同調する勢力であるから、野党ではなく自民、公明と同じ与党であり悪の政党であるというのだ。
共産党は、日本維新の会と国民民主党は、
「現政権の問題点を正面からただし、政治のあり方を変えていくのが野党の仕事だ。対決しないのは野党とは言えない」政党であると主張している。。
共産党からみれば共産党のように自民、公明と対決しない維新と国民は野党ではないのだ。共産党は、
「改憲や戦争国家づくりをあおり、今の健康保険証の廃止や原発推進などにことごとく賛成しているのが維新と国民であり、自民、公民と組んでいる悪の政党連合であると断じている。維新と国民は共産党にとって悪の政党である。


 維新は保守政党であり、自衛隊を軍隊にするのに賛成である。憲法改正にも賛成である。しかし、自民党ではない。自民党ではないから与党ではなく保守の野党である。左翼ではないから左翼の共産党とは違う。


去年6月13日に可決したLGBT法案では日本維新の会、国民民主党は自民党とは別の法案を提出した。自民・公明と立憲民・共産党・れいわと3法案が提出された。そして、自民・公明は維新・国民の提案を取り入れて修正した。修正案が4党の賛成多数で採決された。維新の提案を自民が受け入れなかったら維新は共産党、立民、れいわと同じように自民・公明のLGBT法案に反対していただろう。維新の法案を自民が採用したから賛成したのである。共産党は自民党の法案には徹底して反対する。自民党を悪の政党と決めつけているからである。


政策が違うからといって悪政党と決めつけることは普通ならあり得ないことであるな。しかし、共産党は4党を悪政党と決めつけるのである。「悪」ということは4党の存在を根本的に否定しているということである。
4党を政党として存在することを否定しているのは共産党が普通の政党とは違う特殊な政党であるからだ。


維新の会は自民党と対抗し、自民党に代わって与党になるのを目標にしている政党である。自民党とは政権を争う政敵である。大阪府では自民党に選挙で勝った維新の会が政権を握っている。自民党とは対立している。維新が自民と連合しているというのは間違っている。しかし、共産党から見れば自民と維新は連合しているのである。


共産党大会の決議案では「野党共闘の再構築」を掲げている。国民と維新は野党である。野党共闘を目指すなら維新、国民との共闘も目指すべきである。しかし、共産党は維新、国民を野党共闘の政党に居れていない。維新、国民は「いきづまった自公政権を延命させる役割を担っている」政党であり、自民党と同じ悪の政党であると決めつけている。それを党大会の決議に銘記しているのだ。明記してあるということは悪政党である維新、国民と共闘することは絶対にないと共産党は宣言したということである。
共産党にとって維新と国民は野党ではない。自民と連合している悪政党であり与党である。共産党にとって野党は立憲民主・社民・れいわである。だから共産党は立憲・社民・れいわとは共闘する。


共産党は立憲と野党共闘を進めているが、共産党との共闘に反対しているのが連合である。連合は共産党とは共闘しないで国民と共闘することを要求している。共産党にとって、悪の政党であり共闘しないことを決めている国民と共闘するように要求しているのが連合である。連合と共産党は労働者に味方する側であるのに犬猿の関係である。


連合は共産党は「今の日本社会とは異なる社会の実現を目的に掲げる政党」と指摘している。共産党が実現しようとしている異なる社会とは資本主義を否定した社会主義社会である。共産党は社会主義社会を目指している政党なのだ。社民党も社会主義である。
社会主義は資本主義を否定する。共産党は資本主義が支配する帝国主義であると主張して米国を否定している。日本も独占資本に支配されている資本主義社会であると決めつけている共産党である。独占資本の支配を支えているのが自民党である。だから自民党は悪の政党なのだ。
日本は安保法制によって米帝国主義に支配されている。米帝に支配されている自民党は憲法を改正して自衛隊を軍隊にして米帝の戦争を支援するのを目指していると共産党は決めつけている。だから、自民党を悪政党と決めつけ、公民、維新、国民も自民党と同じ悪政党だと非難するのである。

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共産党が左翼野党連合を設立する理由

共産党が左翼野党連合を設立する理由


1993年に保守、左翼の合同で政権を取った時は非共産党であった。共産党は除外していた。2009年の民主党の時も民主党は非共産であり、共産党抜きの保守・左翼の合同政党であった。共産党抜きの民主党が与党になった。過去に一度も参加していなかった共産党が今度の野党連合には参加しているのである。
過去の共産党は他の政党とは連携しないで独立独歩で歩んでいた政党であった。その共産党が他の政党と共闘するのである。共産党が他の政党と共闘するのには共闘しなければならない事情ががある。その事情ができたのが2015年である。
共産党は2015年に他の野党と連携しなければならなくなった。そうせざるを得ないことが起こったのである。それは安倍政権による平和安全法制の制定である。平和安全法制は共産党が絶対に制定させたくにかった法律である。
共産党にとって平和安全法制は憲法の平和主義と立憲主義を破壊する絶対に阻止するべき法律である。共産党は制定された平和安全法制を戦争法だと主張し、廃棄を目指している。


共産党は平和安全法制が制定した時から、平和安全法制を破棄することを目指して国会内外で激しい運動を展開している。しかし、破棄運動は盛り上がらない。平和安全法制を破棄するには国会で過半数の破棄賛成票が必要である。共産党単独で破棄することは不可能である。国会で破棄するには他の野党と連携して過半数を確保する必要がある。
共産党は安保法制を廃棄するために他の野党と共闘する方針に転換したのである。方針転換したのは平和安全法制が制定された2015年である。


市民連合が結成されたのが2015年である。市民連合は共産党が主導して結成した。結成するとすぐに共産党は赤旗で市民連合の紹介を詳しく報道した。市民連合は安保法制を共産党と同じように戦争法と決めつけ、安保法制の廃止や立憲主義回復ななどをした。市民連合の主張は共産党と全く同じである。


2015年に安倍政権が成立させた安保法制関連法案は、自衛隊法や武力攻撃事態法など改正10法案を一括した「平和安全法制整備法案」と、国際紛争に対処する他国軍を後方支援するため、自衛隊の海外派遣を随時可能にする新法「国際平和支援法案」の2本立てであった。歴代政権が憲法9条により禁じられていると解釈してきた集団的自衛権の行使を認めた法案である。日本の安全保障政策を大きく転機させた法案であるのだ。共産党が大嫌いな法案である。<center>
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/28/707dfa62d6402ba8e05d99020b536267.jpg" width=300></center>
 現在、自衛隊は米軍、英軍、豪軍と国内国外で訓練をしている。安全関連法案が成立したからである。これを嫌っているのが共産党である。市民連合は安全関連法案を廃棄に追い込むための活動を展開している。


市民連合のホームページより
 市民連合とは
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(略称:市民連合)は、その名の通り、憲法違反の安保法制の廃止と立憲主義の回復を求め、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」「立憲デモクラシーの会」「SEALDs」の5つの団体の有志の呼びかけによって2015年12月に発足した市民のプラットフォームです。
今日までに、全国200を超える各地域の市民連合やさまざまな政策課題に取り組む市民運動との強い連携を築き、さらにより広く、暮らしといのちを守る政治の実現を求めて立憲野党との共闘に取り組んでいます。これまで2016年参議院選挙、2017年衆議院選挙、2019年参議院選挙、そして2021年衆議院選挙と、立憲野党と市民連合で「政策合意」を形成し、地方1人区や小選挙区での候補者の一本化を後押しし、成果を挙げてきました。
市民連合のホームページより
共産党は配下の5つの市民団体を結束させ、200余の団体を安保法制反対の運動を展開し、衆議院、参議院選挙で活動させたのである。そして、2019年には立憲民主に閣外共闘を申し入れ、選挙協力を実現した。そして、2023年は衆議院選挙はまたまだ先であるのに市民連合が高騰を起こし、野党連合を結成した。素早い市民連合の野党連合の仕掛けである。
市民連合と野党連合はすぐに活動を始めた。
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件の徹底究明などを求める市民集会を滋賀県草津市で開いた。集会には野党連合の立憲民主、共産党、社民党の幹部が参加し演説をした。全国に200以上もある市民連合の支部の集会が次々と開いて自民党の裏金への非難が展開されていくだろう。その集会に野党連合の幹部は参加していく。


共産党が野党連合を設立したのはこのような共産党の市民集会に立憲やれいわも参加させて裏金問題を非難し反自民党運動を拡大するためである。

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自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にある

自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にある


ずっと自民党が与党であり続けている。自民党が与党でなかったのは1993年と2009年だけである。なぜ、自民党が与党であり続けたのか。自民党が与党であり続けた原因は左翼政党にある。左翼が自民党を与党にし続けたのである。もし、米国のように日本も保守だけの政党であったなら自民党に対抗する政党が存在し、二大政党になっていただろう。しかし、戦後の日本の政治は保守も左翼も混とんとして少数政党が勢力争いをしていた。
保守は保守内で勢力争いをし、左翼は左翼内で勢力争いをしていた。勢力争いが収まって、保守は自由民主党、左翼は社会党を結成したのが1955年である。それを55年体制という。


戦後の日本政治は米国系の保守もソ連系の左翼も政党が乱立し、激しい勢力争いが繰り返されていた。ソ連系の左翼は1950年代になると次第にまとまっていき左派と右派が妥協し、左派右派の統一のための折衷的な内容の綱領である「統一社会党綱領」をつくった。左派と右派が統一した社会党になった。一方の保守の方も自由党と日本民主に分かれていたが社会党が右派左派が統一した55年に保守も二派が合同して自由民主党を結成した。55年から自民党と社会党の対立になったのである。それを55年体制という。


55年体制には特徴がある。保守の自民党と左派の社会党の国会の議席の比率は五分五分ではなかった。自民党が3分の2、社会党が3分の1であり、その比率に大きな変化はなかった。一定していたのだ。だから、社会党が政権党になることは一度もなかったのである。ずっと自民党が政権を握っていた。社会党が一番議席が多かったのが1958年の166議席であった。普通は100から140議席が社会党の議席だった。 


1955年のまだ保守と左翼が二分していた時の選挙結果である。
第27回
1955年(昭和30年)2月27日
首相 鳩山一郎


衆議員定数467
日本民主党185
自由党112
左派社会党89
右派社会党67
その他14


保守は自由民主党、左翼は社会党として保守と左翼がそれぞれ一つの政党になって選挙をした1958年の選挙結果である。
第28回
1958年(昭和33年)5月22日
首相 岸信介


衆議員定数467
自由民主党287
日本社会党166
その他14


1955年、保守は297議席、左翼は156議席であり、比率は1、9対1である。1958年、保守は287議席であり左翼は166議席であり、比率は1、7対1だある。55年、58年も約2対1の比率である。




 
自民党対社会党の議席の比率が2対1あたりであったということは国民の社会党を支持する割合は3分の1であり、2分の1にすることは一度もなかったと解釈することができる。国民が左翼を支持するのは3分の1であり続けたから社会党が単独で政権党になったことは一度もなかったのである。ずっと自民党政権のままであり続けたのだ。
日本の選挙は自由である。政府や権力の圧力はないから国民は立候補者の中から自由に選んで投票する。それなのにまるで自民党以外の政党は与党になれないように裏で圧力をかけたように自民党の政権が続いているのである。同じ政党がずっと与党であるのは日本以外の議会制民主主義国家には存在しない。日本だけがまるで独裁政治であるように同じ政党が与党であり続けるのだ。なぜ、自民党だけが与党であり続けるのか。原因は自民党にあるのではない。社会党にある。社会党は左翼政党である。多くの日本国民は社会主義の左翼を支持しないのだ。


戦後は米国とソ連が対立する時代になった。日本はソ連の社会主義より米国の自由主義を選ぶ国民が多かったのだ。だから、社会党が与党になることはなかった。日本国民は左翼が政権を握ることを許さなかったのである。
 1993年に自民党は223議席しか取れず与党から転落した。しかし、社会党が与党になったのではない。その年は社会党も136議席から半分近く減らし70議席になっていた。1991年にソ連は崩壊した。だから、社会党支持者は減ったと考えられる。


 1993年は55年体制の保守と左翼の対立から左翼が保守に逆転したから自民党が下野したのではなかったのである。だから、自民党の下野は55年体制の崩壊とは言えない。自民党が下野した原因は自民党の内部分裂であった。自民党は分裂して、自民党を離党する保守議員が増えた。自民党を離党した議員が新政党をつくり、多数の保守政党が誕生した。保守系の新党が議席を伸ばしていった。自民党が過半数に達していないので保守の新生党が社会党・公明党・民社党・社会民主連合・民主改革に呼びかけて非自民・非共産の保守・左翼の8党派による連立政権を設立したのである。日本新党代表の細川護熙が第79代内閣総理大臣になった。
 保守と左翼が連立することによって自民党に代わる政権を樹立することができたのである。左翼が増えたからではなく、むしろ左翼は減り、保守が増えたから自民党を倒すことができたのだ。55年体制に比べると左翼は減り反自民の保守が増えたのだ。保守の増加が市民党政権を倒したのである。


マスメディアは1993年の細川内閣の誕生を55年体制の崩壊といっているが細川内閣誕生の原因は左派議員が増えたからではなく保守議員が増えたからである。自民党議員は減ったかもしれないが保守議員は55年体制より増えたのだ。本当は55年体制の崩壊ではなかった。保守対左翼の図からみれば55年体制からの保守増長である。


細川内閣は8ヶ月しか続かなかった。
細川内閣の次の内閣は社会党の村山氏が首相の内閣になった。政権の座を追われた自民党であったが政権の座を確保するために左翼である社会党と組んだ。細川内閣の時に自由民主党は日本社会党、新党さきがけと交渉して3党の連立を結成したのである。政権を握るためには左翼の社会党とも連立するのが自民党である。3党連立は細川政権を倒して政権を握った。そして、社会党委員長の村山富市氏が首相となった。村山政権は2年間の短命政権であった。村山氏の次は自民党の橋本氏が首相になった。失った首相の座を自民党はわずか3年で取り戻したのである。しかし、安定した過半数を確保するのが困難になった自民党は 1999年(平成11年)に公明党と連立した。公明党と連立することによって国会衆議院及び参議院で過半数の議席を制した状態になり、自民党は安定した政権になった。


議席が激減した社会党は1996年に社会民主党に党名を変えた。現在の社民党の衆議員は激減してわずか1議席である。旧社会党系の議員は立憲にも入っている。立憲は保守系と左派系の混合政党である。


今までに左派の社会党が単独で政権党になったことは1度もない。保守との合同によって政権党になったのは細川政権の時と自民党との連立政権である。民主党は政権党になったが民主党は左派と保守の合同政党であった。保守が参加していたから民主党は政権を握ることができたのである。国民の左翼支持は減り続けている。だから、左派の議員は減っている。国民の保守を支持する傾向は戦後ずっと続いている。そして、保守政治家への支持は増え続けている。

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立憲民主党の保守と左翼が分裂の方向に

立憲民主党の保守と左翼が分裂の方向に


立憲民主党は保守と左翼が同居している政党である。初代の枝野幸男代表は左派であったが2代目泉代表は保守系である。左翼の主導で野党連合を設立したが泉代表は野党連合とは違い、保守の維新や国民との連携を目指している。
泉代表は保守左翼関係なく野党の共通政策をまとめ、その実現を図る「ミッション(使命)型内閣」の樹立を目指している。共通政策となりうるテーマとして、教育無償化やガソリン税を一部軽減する「トリガー条項」凍結解除などを例に出し、それらの実現を目指して「ミッション型内閣を作ることができればいい」と呼び掛けている。教育無償化は維新の政策であり「トリガー条項」凍結解除は国民の政策である。これらの政策を掲げるのは維新や国民民主を意識しているからである。泉代表の「ミッション(使命)型内閣」構想は共産党が参加している野党連合とは相いれない政策である。
泉代表は、自民党派閥のパーティー収入不記載事件を背景に結集の機運が高まったと読み、野党による「ミッション型内閣」の政権構想の意義を訴えている。しかし、ミッション型内閣は思いつきに近い発想であり、一致しやすい政策に絞って結集を実現しようという点を懸念した国民民主の玉城代表は基本政策への言及は乏しいこと。とりわけ憲法に関しては消極的な姿勢が際立っていることを批判している。維新の馬場伸幸代表は、立民内で憲法や安全保障に関する考えがまとまっていないことを指摘し、まとめない限り「議論のテーブルにつくことは難しい」と断じている。
次期衆院選での立民との連携を目指す共産党も、今回の泉氏の構想には距離を置く。共産は、維新と国民民主を、自公両与党と並ぶ「悪政4党」と位置づけているからだ。志位和夫委員長は安全保障関連法廃止などを掲げる「市民連合」の要望を踏まえ立民、れいわ新選組、社民各党と事実上の政策合意を交わしたことを、野党連携の「土台」にすると表明したが、一方で「ミッション型内閣」構想には何もいわずに無視した。共産党は立憲民主を左翼が主導する政党にしようとしている。


立憲民主は泉代表の保守と野党連合参加のの左翼に分裂しているのだ。
自民党の裏金問題より立憲の分裂、共産党が主導権を握っている野党連合、維新、国民と立憲の分裂のほうが注目すべき問題である。


 マスメディアは自民党の裏金問題を派手に取り上げ、岸田政権の支持率の低さを問題にして、政権交代の可能性を話題にしている。
裏金は大した問題ではない。政治問題ではなくスキャンダルでしかない。裏金問題よりも野党の保守と左翼の分裂、立憲民主の政策のお粗末さのほうが深刻である。しかし、マスメディアは無関心である。マスメディアは政治問題よりスキャンダルが好きであるのだ。
今の立憲民主は万年野党の座にあぐらをかいている。与党になり自民党より優れた政治をやる気は全然ない。
 マスメディアはそのことを指摘して立憲民主を批判していかなければならないのに自民党のスキャンダルと政党の支持率がさがったことに目を向けるだけである。

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保守と左翼に分裂した野党は与党になれない

保守と左翼に分裂した野党は与党になれない


1955年は保守の日本民主党、自由党と左翼の左派社会党と右派社会党のそれぞれの保守、左翼の2派が合併して自由民主党と社会党の一つの政党になった。自民党と社会党の二大政党が続いていった。時代が進むにつれて保守の議員が増えていった。自民党を離党する議員が増えて行き自民党に属しない保守議員が増えていった。そして、保守議員と左翼議員が合流することによって自民党を下野させて政権を握った。それが2度あった。


自民党の裏金問題をきっかけに政権交代を目指して2月に野党連合を結成した。しかし、連合に参加しているのは立憲、共産党、社民、れいわの4党であり、維新、国民は参加していない。維新、国民は保守である。保守が参加していない野党連合である。政権を取った時は保守と左翼が合同していた。保守が参加しないのでは政権を確保するのは難しい。いや政権奪取はできないだろう。


選挙の結果、維新と国民を加えると過半数になった時、野党連合は政権を握るために維新、国民と連帯するだろうか。おそらくしないだろう。野党連合には共産党が存在するからだ。共産党は合流に反対する。共産党が反対している憲法改正、日米安保を維新は容認しているからだ。憲法改正、日米安保を容認している維新と合流するということは共産党にはあり得ないことである。維新が野党連合に参加することを共産党が阻止する。保守が参加しない野党連合が政権を確保することはできない。


1993年に保守、左翼の合同で政権を取った時は非共産党であり共産党は除外していた。2009年の民主党の時も民主党は非共産であり、共産党抜きで民主党は与党になった。今度の野党連合には過去に一度も参加していなかった共産党が参加している。共産党は他の政党とは連携しないで独立独歩で歩んでいた政党であった。その共産党が参加するのには理由がある。理由ができたのが2015年である。共産党は2015年に他の野党と連携する方針に転換したのだ。そうせざるを得ないことが起こったのである。
安倍政権による平和安全法制の制定である。共産党は平和安全法制が制定した瞬間から、平和安全法制国会で破棄することを目指した。しかし、共産党単独で破棄することは不可能である。国会で破棄するには他の野党と連携して過半数を確保する必要がある。安保法制を廃棄するために共産党は他の野党と連携する方針に転換したのである。
市民連合が結成されたのが2015年である。共産党は安保法制を国会で廃棄するために市民連合を結成した。


市民連合のホームページより
 市民連合とは
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(略称:市民連合)は、その名の通り、憲法違反の安保法制の廃止と立憲主義の回復を求め、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」「立憲デモクラシーの会」「SEALDs」の5つの団体の有志の呼びかけによって2015年12月に発足した市民のプラットフォームです。


今日までに、全国200を超える各地域の市民連合やさまざまな政策課題に取り組む市民運動との強い連携を築き、さらにより広く、暮らしといのちを守る政治の実現を求めて立憲野党との共闘に取り組んでいます。これまで2016年参議院選挙、2017年衆議院選挙、2019年参議院選挙、そして2021年衆議院選挙と、立憲野党と市民連合で「政策合意」を形成し、地方1人区や小選挙区での候補者の一本化を後押しし、成果を挙げてきました。


市民連合は共産党によって結成した団体であるのは明らかである。市民連合が主導した野党連合は保守を排除した左翼を中心とした連合になった。ただ、過去に左翼だけで過半数の議席を確保したことは一度もない。
自民党の裏金問題で政権交代があるかもしれないとマスメディアは騒いでいるが共産党が参加して左翼色が強くなった野党連合では与党になれないのは確実である。それどころか議席が減るかもしれない。2021年と同じように議席を減らすかもしれない。自民の減った分も合わせて維新の議席が倍増するかもしれない。野党の中で政治姿勢がしっかりしているのが維新の会であるからだ。


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自民党の裏金の責任は与党になれない野党にある

自民党の裏金の責任は与党になれない野党にある


 55年体制から社会党と共産党は一度も与党になったことはない。非自民非共産党の保守と左翼の結集で社会党は与党になったことはある。しかし、保守と左翼の合同による政権は短命であった。55年体制からの65年間で与党になったのはたった6年間である。60年間は自民党が与党であった。ほとんどは自民党政権であったのだ。献金は与党に集まるのは当然のことである。60年間与党であった自民党に献金が集中したのは当然のことである。


 自民党が与党であり続ける原因は野党の政治力のなさある。2009年に野党であった民主党が308議席を確保して与党になった。しかし、民主党政権の政治は失敗の連続であった。民主党は3年で国民の支持を失い与党から転落した。民主党政権ではっきりしたのは自民党以外の政党が政権を維持することはできないということである。だから、自民党政権が続いている。与党である自民党に献金が多く集まるのは当然のことである。自民党が与党であり続けるから献金は莫大になっていった。そして、莫大な裏金が生まれた。
 民主党が政権を順調に運営し、国民の支持を集めて与党であり続けていたら、献金は民主党にも増えていき、自民党だけに莫大な献金が集まることはなかっただろう。民主党が政権運営に失敗し、国民の支持を失ったから自民党政権が続いた。だから自民党に献金が集中した。裏金の根本問題は自民党が与党であり続けたことである。自民党を与党にし続ける原因は野党の政治能力のなさにある。


 野党は裏金問題で自民党を追い詰めて、自民党の支持率を下げようとしている。政倫審を開き、政治資金パーティー裏金事件を受けた議員を呼びつけ追及しようとしている。野党は衆院側では政治資金収支報告書に不記載があった現職議員51人全員の政倫審出席を求めている。正義の野党、悪の自民党という構図である。


 野党が一番問題にするべきことは自民党を与党にし続けさせたことだ。万年野党であるのを反省するべきだ。あり得ないことであるが、裏金問題で自民党を追い詰めて国民の支持を下げ、野党が政権を握ったとしたとしても、民主党のように三日政権で終わるだけである。裏金の根本問題は野党にある。
 万年野党の共産党の田村智子委員長は自民党の対応について「不誠実だ。自浄能力を発揮しなかったら、自民党はもう終わりだ」と批判したという。苦笑してしまう。

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自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にあり2

自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にあり2


2009年に民主党が自民党を制して与党になった。1993に次いで二度目の自民党以外の政党が与党になったのである。1993年には8党派による連立政権であったが2009年は民主党の単独で与党になった。民主党は 民主党・新党友愛・国民の声・太陽党・フロムファイブ・民主改革連合などの保守と左派の政党が合流して設立した政党である。1993年の細川内閣の時は8党派による連立政権であったが2009年は民主党単独の政権であった。だが実態は細川内閣の時と同じであった。保守と左翼が合流して一つの政党になったのである。保守の勢力はますます拡大し左翼の勢力は弱くなっていったのである。
民主党は2009年の衆議院選挙で113議席から一気に308議席と、歴史上最高の議席を確保した。国民は民主党に大きな期待をしたのである。
しかし、民主党は鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と内閣総理大臣が次々と代わり、民主党政権はわずか3年しかもたなかった。2012年の衆議院選では民主党は57議席まで減った。国民の期待を裏切った民主党への国民の失望が57議席にしたのだ。


2021年には民主党は立憲民主と国民民主党に分かれた。立憲民主は96議席、国民は11議席である。立憲民主は左翼と保守が混ざっている政党である。国民は保守だけの政党である。
2009年に民主党が与党になったのは共産党以外の全ての野党が結集した政党であったから国民は支持して与党にしたのである。民主党と立憲は違う。立憲から保守系が離脱して国民民主を結成した。立憲の保守は減った。それに立憲に入っていない保守の政党に維新がいる。維新は41議席である。民主党は共産党以外の保守と左翼が加入していた政党あったが立憲は保守の維新と国民が加わっていない政党である。民主党は共産党以外の保守、左翼が結集した政党だった。だから、国民は支持し与党になったのである。立憲は保守の維新と国民が加わっていない政党である。だから、国民は民主党のように与党にすることはないだろう。立憲民主だけで与党にはなれないが、市民連合という民間団体が主導して野党連合が設立された。野党連合は民主党のように与党になるか。検討してみよう。


野党4党連合の実態
野党連合の結成を主導したのは野党の政党ではない。市民団体である市民連合である。市民連合が野党の政党に5項目の条件を付けて野党連合設立を呼びかけた。市民連合は、
「安全保障関連法に反対する学者の会」
「立憲デモクラシーの会」
「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行員会」
「SEALDs」
「安保関連法に反対するママの会」
の5団体である。⒌団体が2015年に合体してつくったのが市民連合である。市民連合は野党に政策5項目に同意することを条件に野党連合の結成を呼び掛けた。
政策5項目
1 憲法も国民生活も無視する軍拡は許さない
2 物価高、燃料高騰、円安、不公平税制を放置せ
ず、市民の生活を守る経済政策を行う
3 だれもが個人として尊重されるよう、ジェンダ
ー平等・人権保障を実現する
4 将来世代へと繋げるために、気候変動対策を強
化し、エネルギー転換を推進する。
5 権力の私物化を止め、立憲主義に基づく公正で開かれた政治を行う。


市民連合のメンバーは2023年12月7日、立憲民主、共産、れいわ新選組、社民の野党4党などの幹部と国会内で面談し、次期衆院選での野党連携の強化に向けた政策5項目の政策の締結を求めた。4党は政策合意をした。


市民連合は安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合の略称である。政策5項目には安保法制の廃止と憲法改正反対を掲げている。市民連合は旧社会党、共産党と同じイデオロギーである。市民連合が左翼系の団体であることは政策5項目で分かる。
市民連合は立憲民主、共産、れいわと国民民主に提案を打診した。維新の会には打診しなかった。市民連合は維新の会を野党連合から除外したのである。左翼団体であるから当然であるといえば当然である。国民民主は打診されたが応じなかった。
国民以外の野党4党の幹部は市民連合のメンバーと国会内で会合し、次期衆院選の共通政策に合意した。市民連合は共通政策を土台に、候補者調整を進めるよう4党に求めた。
岡田幹事長は、
「いただいた要望書5項目で野党が協力し、力合わせができる土台が整った。自公政権の限界が顕になる中で、しっかり野党が力をあわせて、大きな政策転換を図っていきたい。」と発言、
日本共産党の小池書記局長は
「要望書5項目の提案は全面的に支持していきたい。岡田幹事長からも心強い発言をいただいた。自公政権の腐敗した政治をただしていく努力を、連携しながら進めていきたい。」と発言。
れいわ新選組の櫛渕共同代表は、
「私たちの結党の原点は人々の暮らしを守ることであり、そのための消費税の廃止を訴えてきた。この野党共闘がそのような政策の受け皿になることを期待している。」と発言、
社会民主党の服部良一幹事長は
「野党共闘についてさまざまな意見があるが、私たちはそれを気にせず、跳ね返すような勢いで野党共闘の太い柱を立てていくべきだ。」と発言、
 
岡田幹事長は5項目で野党が共闘すれば自公政権の限界を乗り越えて大きな政策転換ができると断言し、小池書記局長も賛同している。
市民連合は維新の会には打診していない。野党共闘への参加から維新を外している。維新を外したのが野党共闘である。つまり左翼の共闘が野党共闘であるのだ。1993年と2009年に自民党に代わって政権を取った時は非自民非共産であった。ところが共産党が参加する野党連合は非自民非維新であり保守政党を除外した左翼野党連合である。共産党と立憲の左翼が主導しているのが今度の野党連合であるのだ。


共産党は、党大会の決議案で日本維新の会と国民民主党は、自民・公明両党とともに「悪政4党連合」と宣言した。共産党にとって維新、国民は排除し倒すべき政党である。同じ野党であっても共闘はしない。共産党が参加する野党共闘だから維新と国民は参加しないのは最初から決まっていることである。野党連合は左翼4野党だけの共闘である。
55年体制からずっと左翼は3分の1の勢力である。2分の1以上になったことはない。維新、国民も参加した野合連合であれば与党になれる可能性があるが、左翼4野党だけでで与党になれないのは確実である。


マスメディアは、自民党は裏金問題で国民の支持を失い、政権交代の可能性を報道しているが、野党が保守と左翼に分裂していては与党にはなれない。保守と左翼が共闘しかつ保守が主導して与党になれる。このことをマスメディアは知っていない。
「岸田内閣の支持率は非常に下がっているのに野党の支持率は上がらない」ことを不思議に思っているのがマスメディアである。アホなマスメディア。


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自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にあり1

自民党が与党であり続ける根本的な理由は 左翼野党にあり1


ずっと自民党が与党であり続けている。自民党が与党でなかったのは1993年と2009年だけである。なぜ、自民党が与党であり続けたのか。自民党が与党であり続けた原因は左翼政党にある。左翼が自民党を与党にし続けたのである。もし、米国のように日本も保守だけの政党であったなら自民党に対抗する政党が存在し、二大政党になっていただろう。しかし、戦後の日本の政治は保守も左翼も混とんとして少数政党が勢力争いをしていた。
保守は保守内で勢力争いをし、左翼は左翼内で勢力争いをしていた。勢力争いが収まって、保守は自由民主党、左翼は社会党を結成したのが1955年である。それを55年体制という。


55年体制


戦後の日本政治は米国系の保守もソ連系の左翼も政党が乱立し、激しい勢力争いが繰り返されていた。ソ連系の左翼は1950年代になると次第にまとまっていき左派と右派が妥協し、左派右派の統一のための折衷的な内容の綱領である「統一社会党綱領」をつくった。左派と右派が統一した社会党になった。一方の保守の方も自由党と日本民主に分かれていたが社会党が右派左派が統一した55年に保守も二派が合同して自由民主党を結成した。55年から自民党と社会党の対立になったのである。それを55年体制という。


55年体制には特徴がある。保守の自民党と左派の社会党の国会の議席の比率は五分五分ではなかった。自民党が3分の2、社会党が3分の1であり、その比率に大きな変化はなかった。一定していたのだ。だから、社会党が政権党になることは一度もなかったのである。ずっと自民党が政権を握っていた。社会党が一番議席が多かったのが1958年の166議席であった。普通は100から140議席が社会党の議席だった。  
自民党対社会党の議席の比率が2対1あたりであったということは国民の社会党を支持する割合は3分の1であり、2分の1にすることは一度もなかったと解釈することができる。国民が左派を指示するのは3分の1であり続けたから社会党が単独で政権党になったことは一度もなかったのだ。ずっと自民党政権のままであり続けたのだ。
日本の選挙は自由である。政府や権力の圧力はないから国民は立候補者の中から自由に選んで投票する。それなのにまるで自民党以外の政党は与党になれないように裏で圧力をかけたように自民党の政権が続いているのである。同じ政党がずっと与党であるのは日本以外の議会制民主主義国家には存在しない。日本だけがまるで独裁政治であるように同じ政党が与党であり続けるのだ。なぜ、自民党だけが与党であり続けるのか。原因は自民党にあるのではない。社会党にある。社会党は左翼政党である。多くの日本国民は社会主義の左翼を支持しないのだ。


戦後は米国とソ連が対立する時代になった。日本はソ連の社会主義より米国の自由主義を選ぶ国民が多かったのだ。だから、社会党が与党になることはなかった。日本国民は左翼が政権を握ることを許さなかったのである。
 1995年に自民党は223議席しか取れず与党から転落した。しかし、社会党が与党になったのではない。その年は社会党も136議席から半分近く減らし70議席になっていた。1991年にソ連は崩壊した。だから、社会党支持者は減ったと考えられる。


 1995年は55年体制の保守と左翼の対立から左翼が保守に逆転したから自民党が下野したのではなかったのである。だから、自民党の下野は55年体制の崩壊とは言えない。自民党が下野した原因は自民党の内部分裂であった。自民党は分裂して、自民党を離党する議員が増えた。自民党を離党した議員が新政党をつくり、多数の政党が誕生した。そして、新党が議席を伸ばした。自民党が過半数に達していないので新生党が社会党・公明党・新政党・民社党・社会民主連合・民主改革に呼びかけて非自民・非共産の8党派による連立政権を設立したのである。日本新党代表の細川護熙が第79代内閣総理大臣になった。
 保守と左翼が連立することによって自民党に代わる政権を樹立することができたのである。左翼が増えたからではなく、むしろ保守が増えたから自民党を倒すことができたのだ。左翼派減少し反自民の保守が増えたのだ。


マスメディアは1995年の細川内閣の誕生を55年体制の崩壊といっているが細川内閣誕生の原因は左派議員が増えたからではなく保守議員が増えたからである。自民党議員は減ったかもしれないが保守議員は55年体制より増えたのだ。本当は55年体制の崩壊ではなかった。保守対左翼の図からみれば55年体制の増長である。


細川内閣は8ヶ月しか続かなかった。
細川内閣の次の内閣は社会党の村山氏が首相の内閣であった。政権の座を追われた自民党であるが8ヶ月後には政権の座に復帰した。自由民主党と日本社会党、新党さきがけの3党の連立が政権を握ったのである。社会党委員長の村山富市氏が首相となった。しかし、村山政権は2年間の短命政権であった。村山氏の次は自民党の橋下氏が首相になった。失った首相の座を自民党はわずか3年で取り戻したのである。
議席が激減した社会党は1996年に社民党に党名を変えた。現在の社民党の衆議員は激減してわずか1人である。旧社会党系の議員は立憲に入っている。立憲は保守系と左派系の混合政党である。


今までに左派の社会党が単独で政権党になったことはない。保守との合同によって政権党になったのは細川政権の時と自民党との連立政権である。民主党は政権党になったが民主党は左派と保守の合同政党であった。保守が参加していたから民主党は政権を握ることができたのである。国民の左翼支持は減り続けている。だから、左派の議員は減っている。国民の保守を支持する傾向は戦後ずっと続いている。そして、保守政治家支持は増え続けている。


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野党左翼4政党が自民党と政権交代することはない 

野党左翼4党政党が自民党と政権交代することはない 


自民党支持率は16.3%であり、政党支持率は首位。立憲民主党4.1%(前月比0.6ポイント増)、公明党3.6%(同0.5ポイント増)、日本維新の会3.3%(同0.5ポイント減)、共産党2.4%(0.5ポイント増)。以下、れいわ新選組0.9%、国民民主党0.4%、社民党0.3%、参政党0.3%で、教育無償化を実現する会はゼロ。「支持政党なし」は64.7%。


 自民党+公明の支持率は19,9%である。全野党の支持率の2倍に近い。マスメディアは裏金問題を取り扱い、自民党批判を盛んにやっている。それでも自民党の支持率は下がっていないのである。裏金問題は政党の政策ではなく議員の倫理問題であると国民も認識しているのである。だから、テレビなどで裏金問題を盛んに取り上げ、裏金に関わった自民党政治家を批判しても自民党支持に影響はないのである。


ジャーナリストの尾中香尚里氏は自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題によって、野党陣営にも大きな変化が生まれていると述べ、立憲を中心とした野党の結集によって政権交代は実現すると主張しているが、それはあり得ない。裏金問題で立憲を中心として野党が結集しても政権交代は実現しない。
政権交代の可能性を追求した尾中氏も、
「現在の野党4党による協力の枠組みだけでは、数の上でもスタンスの幅の上でも、自公政権に追いつける現実味を持たせることは難しい」
と述べている。尾中氏も裏金問題で政権交代するのはできないと結論したのである。
 野党4党が自民、公明との議席と接近していて、数十議席で政権交代ができる状態だったら、裏金問題でも政権交代は可能である。しかし、自民・公明が294議席に対しての野党4党は110議席である。200議席も近い差があっては裏金問題くらいで政権交代するのは不可能である。尾中氏はなんとかして政権交代の可能性を示したかっただろうができなかった。そのくらいに4政党と自民党の差は大きいのだ。野党4政党は政権交代どころか与党になることも困難である。
 共産党はマルクス・レーニン主義の社会主義政党であり左翼である。社民党も旧社会党の左翼政党である。共産党、社民党と共闘する立憲とれいわも左翼政党であるということだ。
 市民連合は維新の会には野党共闘参加を呼びかけなかった。理由は維新の会は保守であり、共産党が自民党と同じ悪の政党と断定したからだ。市民連合は維新の会が「悪の政党」だから参加させなかったのだ。
市民連合が呼び掛けた野党政党は全て左翼系の政党である。左翼系の4党が自民党を倒して政権交代することができるはずがない。過去に左翼政党が政権を握ったことは一度もないからだ。野党4党が与党になる可能性は0である。

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