大田元県知事はどうしてみえみえの嘘をつく

「こんな沖縄に誰がした」の5ページに
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌い、いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決する伝統的な平和文化を培ってきた」
と大田氏は述べている。
私は沖縄の歴史をあまり知らないが、
尚巴志が三山を統一したのは有名な話だ。
三山を統一したということは武力で制圧したことである。
私は中学・高校生用の沖縄歴史の本を買ってきて調べてみた。
昔の歴史を調べてみた。

1187年頃 舜天、中山(沖縄本島中部)王に即位。
1406年 尚思紹父子、武寧を滅ぼして、尚思紹が中山王になる。
1416年 尚巴志、北山を滅ぼす
1429年 尚巴志王、南山を滅ぼして全島を統一する。
1500年 八重山のオヤケ・アカハチの乱を平定。
1571年 尚元王、奄美大島を征服。
1609年 薩摩の島津家久が琉球に侵攻し、尚寧王を連行する。

「ジュニア版 琉球・沖縄歴史」によると、
1453年五代王・尚金福がなくなると後継争いは激しくなったことがあったらしい。
争いとは口喧嘩ではない。武力による争いであり、戦争である。
後継争いの戦火で首里城は焼け、後継争いをした二人も死んだ。

護佐丸・阿痲和利の乱もある。
金丸が尚円になったときも武力によるクーデターと言われており、
王位継承争いの解決は話し合いではなく武力争いで解決したというのが歴史的事実だ。

武寧を滅ぼす、北山を滅ぼす、南山を滅ぼす
というのは武力で滅ぼすということだ。
つまり琉球王朝は軍隊で持ち、
戦争をしていたということであり、
太田氏のいう
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌った」
という歴史的な事実はどこにもないし、
それは嘘である。
琉球王朝は八重山や奄美大島も武力で制圧して、植民地にしている。
「いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決した」という事実はない。
むしろ暴力で解決したというのが正しい。

薩摩藩の支配下になった琉球王朝は軍事力を剥奪され、
戦争をする能力は失われたのであり、
太田氏のいうように
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌った」
というのは歴史的な事実はない。
それに
「いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決した」という歴史的な証拠もない。
それどころか琉球人が乱暴であり、中国に嫌われた事実の記録があるのだ。

琉球は明国への朝貢がゆるされると、
毎年、中国へ行って貿易をおこなうようになりました、
しかし、そうほうの間に何の問題もなく、
平穏に朝貢貿易がつづけられていたのではありませんでした。
琉球人の中には、不法行為によって厳しく処罰される者もおり、
信頼を損なう事件も起こっていました。
1475年には中国皇帝から尚円王に対し、
「琉球使者の中に、殺人、放火によって強盗を働いた者がいる。犯人をつかまえて処罰せよ」
と命令がありペナルティーとして
「今後、中国への朝貢は2年に1貢とする」
ことが言い渡された。
琉球王府は、この事件に琉球人がかかわっていないことを報告し、
従来通り1年1貢にもどすように嘆願を繰り返したが、
1時期は1年1貢にもどったことがあったが、
1年1貢は許されなかった。
理由は使節にしたがってやってきた琉球人が、
違法な取引をしたり、
不法滞在で地元住民とのあいだでトラブルをおこしたりしていたからである。

                      「ジュニア版 琉球・沖縄史」より

琉球人が暴力を用いずに話し合いで解決したというのは嘘である。
中国で暴力をふるってトラブルを起こしていた事実が歴史にちゃんと残っている。

学者である太田氏がなぜこんなみえみえの嘘をつくのか不思議でならない。
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大田元知事の驚くべき妄想

大田氏の驚くべき妄想

ハンビー・タウンが軍用地だった頃は
地代と従業員の給料はアメリカ政府か日本政府が払っていた。
アメリカ軍関係から入る金は県外から入ってくることになる。
だから、県全体の収入になる。
しかし、ハンビー・タウンの商業地で入る金は県内での金の移動でしかない。
県全体からみれば軍用地関係から入る金のほうが潤うのだ。

大田氏はハンビータウンの経済発展を根拠にして、
普天間飛行場が返還された場合の経済効果を推察している。

「現在返還問題で揺れている普天間飛行場は、
このハンビー飛行場の11倍の大きさにあるにもかかわらず、
一〇〇九年三月末現在で二〇七人しか雇用していない。」
                    「こんな沖縄に誰がした」

大田氏は普天間飛行場はハンビー飛行場の一一倍だから、
経済効果も11倍であると推測している。

ハンビー飛行場では一万人の雇用効果が生まれたから
普天間飛行場なら11万人の雇用効果生まれるということになる。
しかし、普天間飛行場が若者の街になるとハンビーの客は
11倍も広い普天間飛行場に流れるのは確実である。
ハンビーの街は確実に廃れる。

普天間飛行場の返還を現実的に考える専門家の中で
大田氏のようにハンビーと同じ街を普天間飛行場跡に
つくろうと考えている人はいない。
今、提案されているのは
国が土地を買って大きな公園をつくることだ。
国が土地を買い取ることで普天間飛行場の地主に大金が入ってくる。
地主は返還されても土地が売れるから一安心というわけだ。

普天間飛行場の軍用地料は年間六〇億円である。
普天間飛行場の経済効果は一〇〇億円を軽く超すだろう。
普天間基地経済に匹敵する経済効果はまだ提案されていない。
というより、ないといったほうがいい。

泡瀬ゴルフ場跡にはイオンモールができる。
七月には宜野湾市の西海岸に大店舗サンエーコンベンションシティー店が開店した。
ドンキーも進出する予定だ。
もし、普天間飛行場跡全体がハンビー・美浜と同じように小売店専門の街できるとしたら、
ハンビー・美浜・泡瀬ゴルフ場跡、宜野湾市西海岸、
普天間飛行場は車で数分の場所であるから小売店の供給過剰になる。
普天間飛行場からの収入一〇〇億円近くが減少するのに
小売店だけが激増すれば破綻する店舗がどんどん増える。

宜野湾市の軍用地は普天間飛行場だけではない。
全ての軍用地が返還されれば恐らく二〇〇億円近くの収入が減るだろう。
このマイナスの経済効果について大田元県知事の頭の中には全然ない。
普天間飛行場が返還されればハンビー・美浜のように
経済発展すると妄想しているのだ。
おめでたいお人である。

大田氏の妄想はまだまだ続く

「.嘉手納基地は成田空港の二倍の広さがある。
しかし、2734人しか雇っていない。
それに比べ、民間空港の成田は4万人以上が雇用されている。
このように軍事基地が返還され、その跡地が、民間に利活用されるようになると、
雇用が10倍にふえるという試算がなされているが、
それはあながち誇張ではない。
                  「こんな沖縄に誰がした」

それは誇張ではない。誇張をはるかに超えた妄想だ。

嘉手納基地が返還されて、民間空港になったら、
嘉手納空港は成田なみに4万人の雇用ができるという妄想をすることが
なぜできるのだろうか。
とても不思議である。

大田氏は嘉手納基地について書く前に
成田空港の旅客数と那覇空港の旅客数を調査比較しただろうか。
もし、嘉手納空港が成田空港のような民間空港になると想定したら、
成田空港と那覇空港の旅客数について調査するのは常識である。
こんな常識的な調査もしないで書くのは無責任である。

成田空港の年間旅客数は約二八〇六万人(二〇一一年)である。
それに比べて、那覇空港の平成二一年度の旅客数は一四〇六二万人である。
那覇空港の旅客数は成田空港の半分である。

大田氏は嘉手納飛行場は成田空港の二倍の広さがあるから、
嘉手納飛行場が返還されれば成田空港の二倍の旅客が
嘉手納飛行場を利用すると想定している。
実に那覇空港の四倍の旅客数だ。
どうして、
飛行場が成田空港の二倍だから旅客数も二倍になるとかんがえるのだろう。
こんなことは奇跡でも起こらないことである。

沖縄県の観光業界は
観光客を増やすためにあの手この手を使って苦労している。
飛行場の広さを二倍にすれば観光客も二倍になるのなら、
どんどん飛行場を拡張すればいい。
こんな簡単に観光客や旅客数が増えるわけがない。

もし、嘉手納飛行場が民間空港になったら、
那覇空港の旅客の奪い合いになり、
それぞれの空港の旅客数は半分の七三一万人になり、
二つの空港が莫大な赤字経営をすることになる。
その補てんのために県民の税金が使われる。

県知事体験者ならば
沖縄県の経済発展を真剣に追及するはずであるが、
大田氏は経済破綻をさせてしまう考えしかない。
不思議な人である。
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元県知事大田氏の基地返還論は沖縄県破産論である

 無名人が短期間で有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやぃ方法である。
私は無名人である。私は有名人になりたい。だから沖縄の有名にかみつくことにした。最初に誰にかみつくかあれこれと考えた末に、一番最初にかみつくのは太田昌秀氏にした。

なにしろ太田昌秀氏は沖縄で超がつく有名人だ。太田昌秀氏にかみつけば私は有名になれるだろう。
こんな私の思いつきを、安直なやり方だと笑う者がいるだろう。なんと身の程知らずの人間だとあきれる者がいるだろう。えげつないやり方だと軽蔑する者がいるだろう。勇気のある人間だと感心する人間がいるかどうかは知らないが、とにかく、無名な人間が有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやいのは確かなのだ。

 太田昌秀氏をはじめ多くの沖縄の有名人にかみつけば、いつかは私も有名人になれる。
そう信じている。
 そう信じて、最初にかみつくことにしたのが太田昌秀氏だ。
なにしろ、太田昌秀氏は元琉大教授であり、元沖縄県知事であり、元国会議員である。沖縄では最高に地位の高いお人なのだ。

沖縄の三冠王とか沖縄の天皇と呼ばれているという噂を聞いたことがあるような気がするくらい太田昌秀氏は沖縄の最高の権威者であり有名な人間なのだ。
いや、天皇と呼ばれた人は初代沖縄県知事の屋良朝苗だったかな。どっちだったかな。はっきりとは覚えていない。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、最初にかみつくのは大田昌秀氏が最適だと私は考えた。

さて、かみつくにはどうすればいいか。
それは決まっている。
太田昌秀氏の書いた本を買って読むことだ。読みながら、本の中からかみつくことができそうな文章を探すのだ。
 さて、大田氏のどの本を買おうか。ネットで調べるとなんと大田氏の書いた本は70冊以上もある。こんなにたくさんの本を書いているのかと私は驚いた。

沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの沖縄の民衆意識現代の差別と偏見(共) 、近代沖縄の政治構造沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの、伊波普猷-人と思想-(共)、「伊波普猷の思想とその時代」、沖縄崩壊、沖縄人とは何か、日高六郎編「軍備は民衆を守りうるか」、『憲法改悪反対運動入門』(共)、沖縄-戦争と平和、「人間が人間でなくなるとき」ジェノサイド、留魂の碑-鉄血勤皇師範隊はいかに戦塵をくぐったか、沖縄の決断、沖縄差別と平和憲法―日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ、死者たちは、未だ眠れ・・・・・・・・・

ふう、みんな難しそうな本だ。どの本を買えばいいのか私は困った。
どの本がかみつきやすいのかは本の題名からはわからない。全部の本を読めば分かるのだが、70冊もの本を読むなんて読書嫌いの私には無理な話だ。
それに70冊もの本を買うと本代が10万円は超すだろう。貧乏人の私には10万円は大金だ。とてもじゃないが70冊もの本を買うのは無理だ。お金がもったいないし全部読むのは私には不可能だ。
私が買うのは一冊にしよう。三冊も四冊も買えば読むのが大変だ。

どの本を買うか。私は考えた。私は悩んだ。
本の題名を見比べてもどれがかみつきやすい本か見当がつかない。
悩んだ末に私が決断したのは一番新しい本を買うことだった。一番新しい本を買うことに特に理由はない。
 
一番新しい本の題名は「こんな沖縄に誰がした」だった。え、どこかで聞いたような題名だ。
ああ、わかった。歌に「こんな女に誰がした」という歌があった。いや違う。歌の題名は「星の流れに」だ。ずい分昔の歌であるがなかなかいい歌なのでスナックのカラオケで時々歌う。

星の流れに
作詞:清水みのる 作曲:利根一郎

星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが
泣いて涙も枯れはてた
こんな女に 誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の わびしさよ
こんな女に 誰がした

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした

私が生まれる一年前の歌だ。
ぐっとくる詞だねえ。
昭和の名曲「星の流れに」は、菊池章子という歌手が歌ってヒットした。
この歌は戦争に翻弄され、満州から引き揚げてきて、生き抜くために身を落とした女性の手記(新聞への投書)を見た「清水みのる」が、そのやるせなさを思い作詞したそうだ。最初にこの曲を貰った歌手は、「こんな娼婦の歌など唄えない」と断ったのを、菊池章子さんが引き受けて歌ったといういきさつがある。
 
娼婦の女と沖縄をひっかけて「こんな沖縄に誰がした」と本の題名にした大田昌秀さんもなかなか味なことをやるじゃないか。
私は感心したね。
戦争に翻弄された女性が娼婦に身を落としたように、戦争に翻弄された沖縄も身を落としたと大田氏は書いたというわけだ。娼婦と沖縄か。意味深な題名だな。

私は「こんな沖縄に誰がした」を本屋で買ってきた。
私が沖縄関係の本を買うなんて何年ぶりだろう。
30年以上になるのではないか。いや、もっと前かもしれない。
たしか、大浜方栄さんという大浜病院の院長が書いた「教師は学力低下の最大責任者」という本だった。あの頃は学習塾をやっていたから、「そうだそうだ。沖縄はあまりにも学力が低すぎる。それは教師の教え方が悪いからだ」と本の題名に賛同するのがあったから買った。沖縄の本を買うのはあれ以来だ。

本の表紙は全体が朱色だった。
真ん中には白い円を描いている。
黄色の字で元沖縄県知事と書いてあり、黒字で太田昌秀著と書いてある。
文字の上には黄色の沖縄本島の図がある。そして、黒字で大きく「こんな沖縄に誰がした」と書いてある。

題名を見た瞬間に「お前がしたのじゃないのか」とからかいの言葉が脳裏にひらめいた。
すぐ相手をケチつけようとする私の悪いくせだ。

私は冷蔵庫から2リットルのおーいお茶のボトルを出しコップについだ。居間に行き食台にコップを置いて「こんな沖縄に誰がした」を開いた。テレビをつけたままだ。独り暮らしだから、テレビを消すと家中が静かになり独り暮らしのわびしさを感じるからテレビは一日中かけっぱなしだ。

本を開いた。
朱色の紙があり、それをめくると、「こんな沖縄に誰がした」と大文字で書いてあり、その下に沖縄本島の地図、さらにその下に大田昌秀著と書かれてある。
ページをめくった。
すると「まえがき」という太文字が右上に小さく申し訳なさそうに立っている。私はまえがきを読んだとたんに、「え」と驚きの声を発した。

「私は、本書で『こんな女に誰がした』もどきの泣き言を並べたてようと思ってはいない」
と書いてあった。私の予想とは違いすぎる書き出しだ。

「それはないよ、太田さん」

と私は思わず口にしていた。
「こんな沖縄に誰がした」という本の題名にしたのなら娼婦に身を挺した「こんな女に誰がした」の深い悲しみと沖縄の悲しみを重ねた本でなければならないはずだ。
ところが最初の一行で「『こんな女に誰がした』もどきの泣き言」と戦争に翻弄された女性の悲しみを冷たくつっぱねているではないか。大田氏は昭和の名曲「星の流れに」をあっさりと切り捨てた。

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん

大陸から帰った来た女性はまだ家族にも会えていない。
妹は飢えていないだろうか、
お母さんに一目会いたい。
必死に生きながら女性は妹や母親の無事を願っている。
戦争が原因で娼婦に身を落としながらも妹や母の身の上を心配している女性。
そんな女性は戦後の日本にはたくさん居ただろう。
戦争の悲劇の真っただ中をを生きている女性の心情を大田氏は「泣き言」と冷たく突き放した。戦後の名曲「星の流れに」を冷たく突き放した大田氏に私は失望した。

菊池章子が歌った昭和の名曲「星の流れに」は多くの人に愛され、
藤圭子、戸川純、倍賞千恵子、島倉千代子、美空ひばり、ちあきなおみ、石川さゆり、秋吉久美子、小柳ルミ子など多くの歌手がカバーしている。
なんと美輪明宏もカバー曲を出している。
ユーチューブに掲載されている「星の流れに」ファンのコメントを紹介しよう。

菊池章子の歌声は当時の世情そのものである。ちあきなおみの歌声¬は高度成長期に聞く戦後のイメージである。倍賞千恵子の歌声はその清純さのイメージとかけ離れた落差が大きいゆえに別な何かを醸¬し出す。藤圭子は不幸をキャッチフレーズに売り出した人なのでこの歌を聴くとなんか空々しい。

戦後の疲弊した世の中で否応なく身を持ち崩す女の心情を吐露するような曲ではあるが、そんな女にも会いたい母の面影を追う気持ち¬を知らされる。当然と言えば当然すぎる人間の心。菊池章子が歌ったものとは違った味が賠償千恵子の清純な声から窺える。まさか賠¬償千恵子が唄うとは思ってもいませんでした。

はい、チョコレート色の国電(こんにちのJR中央線)の中で白装¬束の傷痍兵さんが松葉杖をつきながらコッツコッツ歩いていたのを¬覚えております。

最近の日本はあまり元気がないようですが、人生と同じく山あり谷¬ありです。ころんだら、這い上がって、立ち上がって。長い歴史を¬振り返ってもこれの繰り返しですよね。これらの写真を見てつくづく日本人は立派だと思いました。がんばれニッポン

「私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい」

 昭和の名曲「星の流れに」は戦争で苦労した戦前生まれの人たちだけでなく、私のような多くの戦後生まれの人たちにも愛されている歌だ。
そんな「星の流れに」を単なる女の泣き言と錯覚している大田氏の精神を疑う。この人に人間の情というものはあるのだろうかと思いながら私はまえがきを読み進めていった。


一週間後。
 一応「こんな沖縄に誰がした」を読み終わった。

 読後の感想は「まいったな」だ。かみつくところを見つけるところがないという意味で「まいったな」だではない。むしろ逆だ。かみつくところがあまりにも多すぎる。最初のページから最後までみんなかみつくことができる。こんなにかみつきやすい本でいいのか。元琉球大学教授で、県知事になり、国会議員までなったお人だ。私のような底辺の人間が簡単に噛みつくことはできないだろうと思っていたのに、意外や意外である。いたるところに噛みつけるのだ。こんなでたらめなことをよくも書けたものだと妙な感心をしたくらいだ。
 
本当にこのお人は県知事になった人物なのか。信じられない。

私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい。
                                   「こんな沖縄に誰がした」

と、かっこいいことを述べているが、「星の流れに」から見える戦後の日本の悲惨な現実を見ることができないお人が「沖縄の現状」を理解することができるのだろうか。憲法という上から沖縄という下を見ているが、上から目線で地べたの沖縄の現状を見ても沖縄の現状を真摯に理解できるはずがない。どうやらこの本はそんな本なのだ。

 さて、かみつくとするか。この本を買った目的は有名人の大田昌秀氏にかみついて私が有名人になるのが目的だ。なにがなんでも噛みついて噛みついて噛みついてやるのだ。噛みつくのはどのページでもかまわないな。

 気まぐれにぱーっとめくってぱたっと止めよう。そのページに噛みついてやる。開いてみると117ページであった。117ページに書いてある題名は「基地返還前後の経済変動」だった。

 大田氏は、ハンビータウンがヘリコプター基地だった頃の雇用は100人そこそこであったが、1981年に返還されてからは若者の街に変貌して、ヘリコプター基地だったころよりも経済発展し、雇用は数千人から一万人にも及んでいるといい、地元自治体に入る固定資産税は約257万円から1億9507万円に及んでいると述べている。

以上の統計の事実から大田氏は、軍事基地であるよりも民間に開放されたほうが経済発展をするのだと主張している。

 大田氏は本当に県知事だったのかと疑わせる発言である。大田氏が北谷町長であったらハンビー飛行場が返還されてハンビータウンとなり若者の街と栄えていったことはとても歓迎することである。そのお蔭で北谷町の税収がぐーんとあがったからな。

 でも大田氏は北谷町長ではない。沖縄県知事だった。県の経済発展の責任を持たなければならないお人であった。北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながるのなら大いに喜ばしいことであるが、北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながらないのなら県知事であった大田氏が手放しで喜ぶのはおかしい。

 沖縄市の園田にモッズというライブハウスがあった。国道331号線沿いにあり、モッズでは民謡からジャズまで多くのミュージシャンがライブをし、沖縄では有名なライブハウスだった。しかし、モッズは新しい街ハンビータウンができると園田より集客力がいいハンビータウンに引っ越した。当然のことながらモッズの客は沖縄市から北谷町に流れた。北谷の客は増えたが沖縄市の客は減った。

 美浜タウンの国道58号線沿いに新しいパソコン専門店ができた。すると沖縄市のコリンザの一階にあったパソコン専門店は閉店に追い込まれた。元々ぎりぎりの経営状態だったのに北谷町や嘉手納町の客が美浜に流れたことが影響して赤字経営に転落したのが原因だと考えられる。コリンザのパソコン店が閉店すれば美浜のパソコン店に客は流れる。

 モッズのように沖縄市から北谷町のハンビータウン・美浜に移転した店舗がいくつもあり、多くの客がハンビータウン・美浜流れた。

 客がハンビータウン・美浜に流れたためにコリンザのパソコン店のように閉店した沖縄市や宜野湾市の店も多い。ハンビータウン・美浜のお客は他の市場から流れた人たちであり、他の市場から客を奪うことによって北谷町のハンビータウン・美浜は繁盛した。沖縄市、嘉手納町、宜野湾市などの店は北谷町に客を奪われたのだ。

 県全体から見ればハンビータウン・美浜の繁盛はプラスマイナスゼロである。
 ハンビータウンの経済発展をまるで県全体の経済発展だと錯覚して手放しで喜ぶ人が県知事だったとは信じられないことである。県知事なら沖縄市などのハンビータウン・美浜の周辺の店がどれほどの売り上げが落ちたかを調査して、ハンビータウン・美浜が県全体に及ぼすメリットとデメリットについて分析するべきだ。

 返還された泡瀬ゴルフ場跡に大型店舗のイオンモールができる。沖縄市の商店経営者たちはイオンモールが開店すると壊滅的な打撃を受けるだろうと心配している。しかし、大田氏なら返還された泡瀬ゴルフ場にイオンモールができて経済が発展したと手放しで喜ぶのだろう。

一方が繁栄すれば一方は廃れる。それがサービス業の経済法則だ。例えば、大型スーパーが繁栄することによって個人商店やスーパーは廃れた。コンビニエンスが繁盛することによって個人商店、書店、弁当屋、パーラーなどが廃れた。新しい商業地が繁栄している裏には古い商業地が廃れていくのが現実だ。

そこにはプラスとマイナスの関係がある。ハンビー・タウン・美浜が栄えた分だけ他の商業地の売り上げは落ちたのであり、県経済の全体が成長したとは言えない。
このようなとても簡単な経済法則さえ知らない大田氏が県知事だったのだ。大田氏のあきれる経済論はこれだけにとどまらない。

現在返還問題で揺れている普天間飛行場は、このハンビー飛行場の11倍の大きさにも関わらず、二〇〇九年三月末現在で二〇七人しか雇用していない。
                                  「こんな沖縄に誰がした」
と述べ、もし普天間飛行場が返還されたらハンビータウン・美浜のように経済発展すると推測している。

普天間飛行場とハンビータウン・美浜は車で数分の距離である。ハンビータウン・美浜より何倍も広い普天間飛行場に若者の街ができたらハンビータウン・美浜の客は普天間飛行場に流れてしまうだろう。ハンビータウン・美浜は廃れてしまうのは確実だ。こんな明々白々なことを大田氏は知らないのだ。大田氏の頭は大丈夫かと疑ってしまう。しかし、大田氏の妄想はこれだけでは終わらない。

さらに例を挙げると、極東最大の空軍基地と言われる嘉手納基地は成田空港の二倍の広さがある。しかし、2734人しか雇っていない。それに比べ、民間空港の成田は4万人以上が雇用されているのが実情だ。-このように、軍事基地が返還され、その跡地が、民間に利活用されるようになると、雇用が一〇倍に増えるという試算が試算がなされているが、それはあながち誇張ではない。
                                  「こんな沖縄に誰がした」

 それは明らかな誇張だ。いや、妄想だ。嘉手納飛行場が民間空港になったら成田と同じ客数になると考えるほうがおかしい。沖縄にやってくる観光客は限られている。嘉手納飛行場が民間空港になったからといって観光客が増えるわけではない。嘉手納飛行場の客が増えただけ那覇空港の客が減るだけのことだ。客が減れば経営が赤字になり、倒産の危機に陥る。

もし、嘉手納飛行場が民間飛行場になったら、二つの飛行場が赤字になり倒産の危機に陥る。嘉手納基地が返還されて、民間空港になったら、嘉手納空港は成田なみに4万人の雇用ができるなんて妄想だ。

 普天間飛行場の軍用地料金は年間60億円である。普天間飛行場のほとんどは私有地であるから60億円の多くは宜野湾市の地主に入る。普天間飛行場が返還されれば軍用地料はゼロになる。軍用地料は日本政府から沖縄県内に入ってくるお金だ。ハンビータウン・美浜に入ってくるお金は県内のお金が移動しただけである。それどころか本土から仕入れた商品が売れれば売れるほど商品の原価の分だけ本土にお金が出ていく。

 軍用地返還跡に小売店の商業街ができるということは、県内に入ってくるお金は絶たれ、県外にお金が出ていくシステムが増えるということである。

 米軍基地が存在することによって日本政府やアメリカから年間3000億円近くのお金が県内に入ってくる。もし、軍用地が返還され、返還跡地にはハンビータウン・美浜のような街や泡瀬ゴルフ場跡のイオンモールのような小売店ができると、年間3000億円の県内への流入はストップする一方県内から県外へお金がどんどん出ていくシステムが増える。それでは沖縄県が破産する。

 元県知事大田氏の基地返還論は沖縄経済の破産論である。
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太田昌秀氏にヒジャイがかみつく

無名人が短期間で有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやぃ方法である。
私は無名人である。私は有名人になりたい。だから沖縄の有名にかみつくことにした。最初に誰にかみつくかあれこれと考えた末に、一番最初にかみつくのは太田昌秀氏にした。

なにしろ太田昌秀氏は沖縄で超がつく有名人だ。太田昌秀氏にかみつけば私は有名になれるだろう。
こんな私の思いつきを、安直なやり方だと笑う者がいるだろう。なんと身の程知らずの人間だとあきれる者がいるだろう。えげつないやり方だと軽蔑する者がいるだろう。勇気のある人間だと感心する人間がいるかどうかは知らないが、とにかく、無名な人間が有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやいのは確かなのだ。

 太田昌秀氏をはじめ多くの沖縄の有名人にかみつけば、いつかは私も有名人になれる。
そう信じている。
 そう信じて、最初にかみつくことにしたのが太田昌秀氏だ。
なにしろ、太田昌秀氏は元琉大教授であり、元沖縄県知事であり、元国会議員である。沖縄では最高に地位の高いお人なのだ。

沖縄の三冠王とか沖縄の天皇と呼ばれているという噂を聞いたことがあるような気がするくらい太田昌秀氏は沖縄の最高の権威者であり有名な人間なのだ。
いや、天皇と呼ばれた人は初代沖縄県知事の屋良朝苗だったかな。どっちだったかな。はっきりとは覚えていない。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、最初にかみつくのは大田昌秀氏が最適だと私は考えた。

さて、かみつくにはどうすればいいか。
それは決まっている。
太田昌秀氏の書いた本を買って読むことだ。読みながら、本の中からかみつくことができそうな文章を探すのだ。
 さて、大田氏のどの本を買おうか。ネットで調べるとなんと大田氏の書いた本は70冊以上もある。こんなにたくさんの本を書いているのかと私は驚いた。

沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの沖縄の民衆意識現代の差別と偏見(共) 、近代沖縄の政治構造沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの、伊波普猷-人と思想-(共)、「伊波普猷の思想とその時代」、沖縄崩壊、沖縄人とは何か、日高六郎編「軍備は民衆を守りうるか」、『憲法改悪反対運動入門』(共)、沖縄-戦争と平和、「人間が人間でなくなるとき」ジェノサイド、留魂の碑-鉄血勤皇師範隊はいかに戦塵をくぐったか、沖縄の決断、沖縄差別と平和憲法―日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ、死者たちは、未だ眠れ・・・・・・・・・

ふう、みんな難しそうな本だ。どの本を買えばいいのか私は困った。
どの本がかみつきやすいのかは本の題名からはわからない。全部の本を読めば分かるのだが、70冊もの本を読むなんて読書嫌いの私には無理な話だ。
それに70冊もの本を買うと本代が10万円は超すだろう。貧乏人の私には10万円は大金だ。とてもじゃないが70冊もの本を買うのは無理だ。お金がもったいないし全部読むのは私には不可能だ。
私が買うのは一冊にしよう。三冊も四冊も買えば読むのが大変だ。

どの本を買うか。私は考えた。私は悩んだ。
本の題名を見比べてもどれがかみつきやすい本か見当がつかない。
悩んだ末に私が決断したのは一番新しい本を買うことだった。一番新しい本を買うことに特に理由はない。
 
一番新しい本の題名は「こんな沖縄に誰がした」だった。え、どこかで聞いたような題名だ。
ああ、わかった。歌に「こんな女に誰がした」という歌があった。いや違う。歌の題名は「星の流れに」だ。ずい分昔の歌であるがなかなかいい歌なのでスナックのカラオケで時々歌う。

星の流れに
作詞:清水みのる 作曲:利根一郎

星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが
泣いて涙も枯れはてた
こんな女に 誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の わびしさよ
こんな女に 誰がした

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした

私が生まれる一年前の歌だ。
ぐっとくる詞だねえ。
昭和の名曲「星の流れに」は、菊池章子という歌手が歌ってヒットした。
この歌は戦争に翻弄され、満州から引き揚げてきて、生き抜くために身を落とした女性の手記(新聞への投書)を見た「清水みのる」が、そのやるせなさを思い作詞したそうだ。最初にこの曲を貰った歌手は、「こんな娼婦の歌など唄えない」と断ったのを、菊池章子さんが引き受けて歌ったといういきさつがある。
 
娼婦の女と沖縄をひっかけて「こんな沖縄に誰がした」と本の題名にした大田昌秀さんもなかなか味なことをやるじゃないか。
私は感心したね。
戦争に翻弄された女性が娼婦に身を落としたように、戦争に翻弄された沖縄も身を落としたと大田氏は書いたというわけだ。娼婦と沖縄か。意味深な題名だな。

私は「こんな沖縄に誰がした」を本屋で買ってきた。
私が沖縄関係の本を買うなんて何年ぶりだろう。
30年以上になるのではないか。いや、もっと前かもしれない。
たしか、大浜方栄さんという大浜病院の院長が書いた「教師は学力低下の最大責任者」という本だった。あの頃は学習塾をやっていたから、「そうだそうだ。沖縄はあまりにも学力が低すぎる。それは教師の教え方が悪いからだ」と本の題名に賛同するのがあったから買った。沖縄の本を買うのはあれ以来だ。

本の表紙は全体が朱色だった。
真ん中には白い円を描いている。
黄色の字で元沖縄県知事と書いてあり、黒字で太田昌秀著と書いてある。
文字の上には黄色の沖縄本島の図がある。そして、黒字で大きく「こんな沖縄に誰がした」と書いてある。

題名を見た瞬間に「お前がしたのじゃないのか」とからかいの言葉が脳裏にひらめいた。
すぐ相手をケチつけようとする私の悪いくせだ。

私は冷蔵庫から2リットルのおーいお茶のボトルを出しコップについだ。居間に行き食台にコップを置いて「こんな沖縄に誰がした」を開いた。テレビをつけたままだ。独り暮らしだから、テレビを消すと家中が静かになり独り暮らしのわびしさを感じるからテレビは一日中かけっぱなしだ。

本を開いた。
朱色の紙があり、それをめくると、「こんな沖縄に誰がした」と大文字で書いてあり、その下に沖縄本島の地図、さらにその下に大田昌秀著と書かれてある。
ページをめくった。
すると「まえがき」という太文字が右上に小さく申し訳なさそうに立っている。私はまえがきを読んだとたんに、「え」と驚きの声を発した。

「私は、本書で『こんな女に誰がした』もどきの泣き言を並べたてようと思ってはいない」
と書いてあった。私の予想とは違いすぎる書き出しだ。

「それはないよ、太田さん」

と私は思わず口にしていた。
「こんな沖縄に誰がした」という本の題名にしたのなら娼婦に身を挺した「こんな女に誰がした」の深い悲しみと沖縄の悲しみを重ねた本でなければならないはずだ。
ところが最初の一行で「『こんな女に誰がした』もどきの泣き言」と戦争に翻弄された女性の悲しみを冷たくつっぱねているではないか。大田氏は昭和の名曲「星の流れに」をあっさりと切り捨てた。

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん

大陸から帰った来た女性はまだ家族にも会えていない。
妹は飢えていないだろうか、
お母さんに一目会いたい。
必死に生きながら女性は妹や母親の無事を願っている。
戦争が原因で娼婦に身を落としながらも妹や母の身の上を心配している女性。
そんな女性は戦後の日本にはたくさん居ただろう。
戦争の悲劇の真っただ中をを生きている女性の心情を大田氏は「泣き言」と冷たく突き放した。戦後の名曲「星の流れに」を冷たく突き放した大田氏に私は失望した。

菊池章子が歌った昭和の名曲「星の流れに」は多くの人に愛され、
藤圭子、戸川純、倍賞千恵子、島倉千代子、美空ひばり、ちあきなおみ、石川さゆり、秋吉久美子、小柳ルミ子など多くの歌手がカバーしている。
なんと美輪明宏もカバー曲を出している。
ユーチューブに掲載されている「星の流れに」ファンのコメントを紹介しよう。

菊池章子の歌声は当時の世情そのものである。ちあきなおみの歌声¬は高度成長期に聞く戦後のイメージである。倍賞千恵子の歌声はその清純さのイメージとかけ離れた落差が大きいゆえに別な何かを醸¬し出す。藤圭子は不幸をキャッチフレーズに売り出した人なのでこの歌を聴くとなんか空々しい。

戦後の疲弊した世の中で否応なく身を持ち崩す女の心情を吐露するような曲ではあるが、そんな女にも会いたい母の面影を追う気持ち¬を知らされる。当然と言えば当然すぎる人間の心。菊池章子が歌ったものとは違った味が賠償千恵子の清純な声から窺える。まさか賠¬償千恵子が唄うとは思ってもいませんでした。

はい、チョコレート色の国電(こんにちのJR中央線)の中で白装¬束の傷痍兵さんが松葉杖をつきながらコッツコッツ歩いていたのを¬覚えております。

最近の日本はあまり元気がないようですが、人生と同じく山あり谷¬ありです。ころんだら、這い上がって、立ち上がって。長い歴史を¬振り返ってもこれの繰り返しですよね。これらの写真を見てつくづく日本人は立派だと思いました。がんばれニッポン

「私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい」

 昭和の名曲「星の流れに」は戦争で苦労した戦前生まれの人たちだけでなく、私のような多くの戦後生まれの人たちにも愛されている歌だ。
そんな「星の流れに」を単なる女の泣き言と錯覚している大田氏の精神を疑う。この人に人間の情というものはあるのだろうかと思いながら私はまえがきを読み進めていった。
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田原総一郎に反論する


田原総一朗です。

7月5日午前、関西電力は
安全基準をクリアしたとして、
大飯原発3号機の
発電を開始した。

日本全国の原発が
停止しているなか、
昨年3月の福島原発事故以来、
定期検査で止まっていた国内の原発が
再稼働するのは
これが初めてになる。

この大飯原発の再稼働に抗議し、
原発のある、おおい町では、
役場周辺でデモ行進をするなど、
全国から集まった市民が
再稼働に抗議した。
大飯原発につながる道路は
市民グループによって封鎖された。

東京でも永田町の首相官邸前で
大規模なデモが何度も
おこなわれている。
6月29日のデモでは
主催者発表で20万人もの
人が集まった。


僕も原発はなくなったほうが
よいと思っている。
これほど危険なものはない。
3・11の福島原発の事故をみても、
とても人類が制御できるものではない、
ということは明らかである。
将来的には全廃すべきだろう。

ただ、原発再稼働は
これとは別の問題ではないだろうか。
今年の夏という
すぐ目の前の問題だからだ。

例えば関西電力が数字を出している。
もし大飯原発が再稼働しなければ、
今年の夏は、15パーセントの
節電が必要になるという。
このままでは電力が
不足することを政府も認めている。


橋下徹・大阪市長は、
原発再稼働に断固反対だった。
しかし、その橋下さんが
今夏に限って再稼働容認に転じた。
なぜか。

大阪には中小企業がたくさんある。
彼らが大阪の経済を支えていると
言ってよい。
その中小企業の経営者たちが
橋下さんにお願いしたのだ。
「再稼働をせずに夏を迎えれば
停電が起きるだろう。
停電が起きても、大企業は
自家発電機があるから大丈夫だ。
しかし自分たち中小企業は
そんな設備はとても持てない。
停電の被害をもろに被るのは
われわれなんだ」
これで橋下さんは、再稼働を
容認せざるを得なくなった。
「原発事故の危険性より、
目の前のリスクに腰が引けた」
という橋下さんの発言には、
こういう背景もあった。
だが、これをメディアは
きちんと報じていない。

先日、僕は大阪の新聞記者と話をした。
20年以上のキャリアを持つベテラン記者だ。
彼は再稼働に反対だ。
僕は彼に尋ねた。
「東京の新聞は、なぜ橋下さんが
反対から再稼働に転じたのかを、
ちゃんと報道しない。どうしてなんだ」
ベテラン記者は、大阪では
ちゃんと報じていると答えた。
東京にも記事を渡しているが、
東京本社が受け付けないのだ、と。
どういうことかというと、
地方は地方でやっていろ、
東京は別だという
意識なんだそうだ。
そして、これは
どの新聞も同じなのだ。


先ほど、東京でのデモの話をした。
この原発反対運動の中心は、
ツイッターだった。
チュニジアやエジプトで次々に革命が起き、
独裁政権が倒されていった。
ジャスミン革命である。
このとき、ツイッターや
フェイスブックが原動力になった。
マスコミは買収され、
政権の意のままの報道しか
しなかったからだ。
しかし、国民はツイッターや
フェイスブックで情報を分け合い、
互いに声をかけて、
デモがどんどん広がっていった。

これと同じ動きが
日本でも起きている。
とてもおもしろいことだと
僕は思う。
メディアが報じないことも
ツイッターで広がっていく。
さらに、ツイッターなどのネットで、
「脱原発派」と「推進・必要派」が
議論をしている。
なかには、かみ合わない
やりとりもあるだろう。
だが、続けていけば
議論は必ず深まっていくものだ。
僕は、ここに新たなジャーナリズムの
可能性を感じるのである。

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田原総一郎への反論

田原総一郎氏は「僕も原発はなくなったほうがよいと思っている。これほど危険なものはない。3・11の福島原発の事故をみても、とても人類が制御できるものではない、ということは明らかである。将来的には全廃すべきだろう」と述べている。

3・11の福島原発の事故の前に深刻な問題として問われ続けてきたのは地球の温暖化問題であった。
今年も日本は異常気象に襲われている。竜巻、豪雨、早すぎる猛暑は地球温暖化の性だと考えられる。ところが原発反対が起こると日本の異常気象に対するコメントが一切なくなった。原発反対を正義の旗印にするために地球温暖化問題は隅に追いやったのだ。
あんなに大問題にしていた地球温暖化問題に蓋をするのなら反原発を主張しやすい。しかし、地球温暖化もまったなしの問題であり目を背けることはできない。

地球温暖化問題を無視すれば原発反対は簡単に主張することができる。原発事故が起きれば広範囲の人たちが被害を受ける。処理できない核燃料棒は永遠に増え続ける。それを考えると原発はないほうがいいと考えるのが当然である。
しかし、原発問題はそんな単純な問題ではない。原発を廃止すれば化石燃料の発電所だらけになってしまい地球温暖化に拍車をかける。自然エネルギーを利用した発電はまだまだ時間がかかる。それに自然エネルギーは電気料が高い。自然エネルギーが増えれば増えるほどに産業の国際競争力が落ちる。

田原氏のようなベテランジャーナリストは日本の複雑な電気エネルギー問題を常に念頭に置いて原発問題を追及するべきであって、「「僕も原発はなくなったほうがよいと思っている。これほど危険なものはない」と単純に考えるのは避けてもらいたい。

もし、反原発運動の圧力で原発が全廃されたら、数年後には電気料金の高騰、地球温暖化問題が深刻な問題になって、原発再開運動が起こるだろう。それに原発発電所のある地帯の過疎化も深刻な問題になる。

私たちは複雑な問題を念頭に置きながら原発廃止問題を考えていかなければならない。
ところが、学者やマスコミは下記のような記事で国民の不安をあおる。
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「南海トラフ地震死者40万人、関西大教授が試算
読売新聞 7月6日(金)21時5分配信
 東海、東南海、南海地震などが同時発生する「南海トラフの巨大地震」で想定される死者数は、静岡県から高知県の太平洋沿岸を中心に最大で約40万人に上るという試算を、河田恵昭・関西大教授が6日、大阪市で開かれた講演会で明らかにした。

 河田教授は、同地震による人的被害の想定をまとめる内閣府の作業部会の代表で、8月下旬に公表される予定の被害想定の死者数も同規模になるとの見通しを示した。

 東海・東南海・南海の三連動地震(マグニチュード=M8・7)による最大の死者数に関する従来の推計は、国の中央防災会議が2003年にまとめた約2万5000人だった。東日本大震災を機に内閣府は、南海トラフで起きる地震の規模をM9・0に引き上げ、今年3月に最大震度と津波の高さの予測を公表。現在、死者数など新たな被害想定の策定も進めている。」
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学者やマスコミがおかしいのは東日本が大津波に襲われたのをきっかけにして、今までの地震予測を大幅に変更して、日本が巨大地震、巨大津波に襲われる予測を出し、明日にでも第二の東日本大震災がやってくるような話をして国民に恐怖を植え付けていることである。
過去のデータを調べれば次に大津波がやってくる確率は出せる。恐らく次に大津波に襲われるのは数百年から千年後ではないか。自然のことだから予測はできなくても過去のデータからある程度の予測はできる。
ところが日本のマスコミと学者は過去のデータから次に大津波がやってくる可能性は発表しないで、まるで明日にでも大津波や大地震がやってくるような予測を次々と発表して国民を恐怖させている。

学者やマスコミが群集の恐怖連鎖をかきたてる発表をしているために、一部の国民は大地震への恐怖、大津波への恐怖がいっそう高まり、激しい反原発運動に走っている。
原発をすべて廃止して化石燃料の発電でいいのか。地球温暖化の問題は放置していいのかを客観的なデータのもとに討論するべきであるのにマスコミも学者も恐怖をあおるだけである。

原発再開に賛成しているのは、原発が事故を起こしたら直接被害を受ける原発のある地域の人々である。原発は過疎の村人に仕事を与えて地域経済の活性化の推進役を担っているからだ。原発は都市の富を地域に還元するシステムでもあるのだ。
原発に反対しているのは原発のない都市部の人々であるが、彼らは停電や電気料金値上がりを体験していないから正義ぶることができる。停電が起こっても原発反対を主張し続けるか疑問である。

地球温暖化、地域経済、中小企業、電気料金の価格などの多くの問題を原発問題は抱えている。すべての問題を見つめながら原発問題は考えていくべきだ。

私は原発に賛成である。しかし、核燃料棒を最終処理できないから原発の数はできるだけ限定するべきだ。そして、核燃料棒を処理できないのなら将来は廃止するべきであるが、それは将来の人々の判断にゆだねる問題である。
自然エネルギーの電力化はどんどん進めるべきである。しかし、自然エネルギーは出力を調整できないので、原発で自然エネルギーの調整をすればいい。
地球温暖化を防ぐために火力発電を減らしていくのは人類の重要な課題である。3.11で福島原発が大事故を起こしたから原発反対するのは単純すぎる発想だ。


田原氏は、東京に原発反対運動のデモがツイッターの呼びかけで20万人もの人たちが集まったことを、「チュニジアやエジプトで次々に革命が起き、
独裁政権が倒されていった。ジャスミン革命である。このとき、ツイッターやフェイスブックが原動力になった」とジャスミン革命重ね合わせて高く評価しているが、それは田原氏のかいかぶりすぎだ。

ジャスミン革命は「民主化」運動であり、人間の生存をかけた戦いだった。しかし、日本はすでに民主化されている。情報は自由に報道されているし政治運動も自由にできる。ツイッターで軽い気持ちで呼びかけて、軽い気持ちで参加したのが今度の東京デモであり、お祭りのようなものだ。

「ツイッターなどのネットで、『脱原発派』と『推進・必要派』が議論をしている。なかには、かみ合わないやりとりもあるだろう。だが、続けていけば
議論は必ず深まっていくものだ。僕は、ここに新たなジャーナリズムの
可能性を感じるのである」
と田原氏は述べている。ベテランジャーナリストとしては無責任な発言である。そのまま放置していたら、大地震は起こらなくなり、大津波もやってこないと思うようになると原発問題への興味は次第にしぼんでいき、別の社会問題が起こればそっちのほうに話題が移っていって、いつの間にか反原発を話題にしなくなっていく。それが日本ツイッタージャーナリストだろう。

ジャーナリストには原発問題を一般大衆より深く観察し、一般大衆が気付かない問題を提供しして、一般大衆の考えを深めていく使命がある。

田原氏はそうあってほしい。
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沖縄の学者のだらしなさ




「沖縄に内なる民主主義はあるか」の本の原稿つくりは最終段階にはいった。文章のほうは完成した。カバーのデザインがまだ完成していない。カバーが完成すれば印刷所との交渉だ。
印刷団地に見積もりを依頼し、先週の月曜日には見積もりを知らせる約束をしたのだがまだ電話もメールも来ない。どうしてこんなにルーズなのだろうか。まいってしまう。今日か明日にでも印刷団地に電話しよう。


桜井沖大教授は沖縄の世論と本土の世論の断絶を加速させている例として本土ジャーナリスの書いた新潮45の6月号での「沖縄叩き」の記事を取り上げている。本土ジャーナリスの主張を取り上げたのだから本土ジャーナリストに反論をするかと思いきや反論をしていない。「沖縄叩きに走っている」でチョンチョンである。

本土ジャーナリストは彼らの視点から沖縄を判断し、沖縄はこうこうであると述べているのであって「沖縄叩き」を目的にしているのではない。沖縄の私たちがやるべきは彼らの主張に賛同するかそれとも反対して反論するかである。それを賛同もしないし反論もしないで「沖縄叩き」などといって弱者意識をもろに出すなんてみっともない。沖縄の学者たちはどうしてこんなに主義主張がないのか。

新潮45の「沖縄の不都合な真実」は私も読んだ。彼らの主張に賛同するところもあったが、反発するところもあった。
反発する理由のひとつに沖縄に莫大な交付金をあげた裏には自民党の金権政治があったことを彼らは見逃していることだ。日本政府は沖縄に莫大な交付金をあげ、その裏では公共工事会社から多額の献金が自民党のある派閥に回った。

残念ながら、沖縄は「ゆすりの名人」になれるほど頭はよくないし知恵も回らない。沖縄を「ゆすりの名人」にしたのは自民党の派閥政治だ。

自民党政府は戦争被害の大きい沖縄に同情し沖縄の経済を発展させる名目でどんどん莫大なお金をあげた。次から次へと新しい公共工事を増やしていった。
自民党政府は沖縄をとても優遇した。それは自民党の派閥が潤うからだ。

自民党政府が沖縄問題で見向きもしなかったことがひとつある。それは尖閣諸島の領海問題だ。自民党政府は領海を守る努力を怠った。だから中国漁船や台湾漁船が沖縄の漁師を追い払って日本領海で堂々と漁をした。八重山近海の赤サンゴは台湾や中国の漁師の密漁で壊滅状態にされた。

なぜ、自民党政府は尖閣諸島の領海を真剣に守らなかったか。
海には公共工事はできないからだ。つまり自民党にお金が入ってくるシステムを領海問題ではつくれない。領海を守るのに懸命になってもお金が全然入ってこないから金権主義である自民党のどの派閥も尖閣諸島の領海を守るのに熱心になれなかった。
復帰当時から自民党政府が尖閣諸島の領海を守るのに真剣であったら中国漁船が大挙して尖閣諸島の領海に侵入することはなかった。日本の自衛隊は強いし尖閣諸島に外国の漁船を一歩も侵入させない気になればできた。できたのにやらなかったから中国漁船は侵入したのだ。警戒が厳しくなった今は一隻の中国漁船さえ侵入してこない。それが証拠だ。

中国漁船や台湾漁船が日本の領海に堂々と侵入できたのは自民党の金の亡者であった派閥政治が原因であるし、沖縄が「ゆすりの名人」といわれるほどに沖縄に莫大な交付金が入ってきたのは自民党の派閥政治が原因だ。
民主党政権はぐらぐら揺れていて沖縄どころではないから、今までの流れに乗っているだけだ。まあ、民主党政権であれ自民党政権であれ政権がぐらついている間は沖縄どころではないから沖縄への高額交付金は続くだろう。

沖縄対外問題研究会(我部政明代表)の学者たちが「沖縄は、今、どこに立っているのか、そしてどこに向かうのか」を理性のバトルを通じて明らかにするという。「理性のバトル」だとよ。理性が一体どんなバトルするというのか。本土のジャーナリストとバトルできない沖縄の学者になにができるのだ。
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