沖縄タイムスは分裂主義者2




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目次

〇沖縄の狂った話1・・・琉球民族主義は民族差別主義だ
〇沖縄の狂った話2・・・米軍がいるから戦争に巻き込まれるは妄想

〇ブログ
「狼魔人日記」より・・・末松氏大敗の意味

〇彼女は慰安婦ではない 違法 少女売春婦だ2

〇「狼魔人日記」河野談話撤回の好機!

〇「狼魔人日記」と「沖縄に内なる民主主義はあるか」は島袋氏を応援したけれど

〇名護市民は「県外移設」が不可能であることを証明した

〇ブログ 
沖縄に内なる民主主義はあるか 沖縄の識者の腐敗
               「県民金で転ばぬ」というが

〇軍命令はなかったのに なぜ集団自決は起こったのか

〇特別寄稿・ドキュメント
  集団自決を追って 星雅彦(作家)

〇バーデスの五日間




裏表紙です。名護市街地は辺野古から10km離れています。しかも、間には山があります。
辺野古が安全であり、普天間基地がいかに危険であるかは写真を見れば一目瞭然です。
この事実を多くの人に知ってもらいたいと思って、このような裏表紙にしました。
買わなくてもいいから、裏表紙を見てほしい。
この三つの写真を見ても、辺野古移設に反対するのは「命どぅ宝」の精神が欠けている証拠です。

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沖縄タイムスは分裂主義者2
 五月二十七日の「守られた教科書3」の題名は「教育論掲げ国に異議」であるが、驚くことに、法を破るのを正論にしている。

「国は法律論、手続き論だけで、教育論が欠落している」。昨年十二月に開かれた県教育委員会の定例会。委員からは、竹富町教委を違法だと断じる国への批判が相次いだ。
           タイムス「守られた教科書3」

 変な理屈である。竹富町の教科書問題は教育の問題ではない。法律の問題である。竹富町は無償措置法に違反した。だから国は竹富町に無償措置法違反を是正するように要求しているだけである。教科書を「育鵬社版」にするようにという要求ではなく八重山地区協議会で採択した教科書を使用しろという要求をしている。
国が「育鵬社版」を使用するように要求するなら教育論になるが、特定の教科書を使用するように要求するのは国の教育介入であり、地方への政治介入になる。それを国はやっていけないしやっていない。国が地方の教育方針に口出しすることはできない。そんなことをしたら地方自治の精神に反する行為であり、それこそ国の不正な教育介入になる。
 国は育鵬社の教科書を使用しろと要求していない、八重山地区協議会で決めた教科書を使用するように要求しているのだ。

 国にはしっかりとした「教育論」がある。「教育論が欠落している」にはあきれてしまう。沖縄の教育界の低能ぶりに情けなくなる。
 国の教育論は検定に合格した教科書に反映している。
国が検定合格をした公民教科書は東京書籍、育鵬社二社だけではない、日本文教出版、教育出版、帝国書院、清水書院、日本書籍新社の教科書がある。検定に合格した七社の教科書すべてが国の教育論が反映されている。育鵬社の教科書も東京書籍の教科書も国の教育論が反映されているのだ。
国の教育論が反映されているのだから育鵬社の教科書を使用しても、また東京書籍の教科書を使用しても国はかまわない。育鵬社の教科書を拒否し東京書籍の使用にこだわった竹富町教委を支持している狭い教育論しか持っていない県教委、タイムスは国の懐の広い教育論を知らないのだ。
国は育鵬社を使用しても東京書籍を使用しでもいいという教育論である。しかし、竹富町教委、県教委、タイムスは、育鵬社はダメで東京書籍がいいという教育論である。竹富町教委、県教委、タイムスのような狭い世界の教育論は国の教育論が見えないのだ。国の教育論を理解していないのだ。だから、国には教育論がないと言うのである。

一時は一歩引いた姿勢にも見えた県教委は、直接の当事者になったこのころから次第に存在感を発揮していく。疑問点をまとめた質問書を国に突き付け、是正要求に反対の立場を打ち出した。
「県教委が教育論を持ち出したと知って『これは勝てる』と思った。県教委と足並みがそろわなければ、ここまで粘れなかった」と竹富町教委の慶田盛安三教育長は振り返る。
           タイムス「守られた教科書3」

国に勝つか負けるかよりも育鵬社の教科書を使用しないで、東京書籍の教科書を使い続けることが県教委、竹富町の絶対的な目的であった。県教委が教育論を持ち出したのは東京書籍を使い続ける口実であり、見せかけの正当性の主張であった。
竹富町の問題は地区協議会の決定を破った違法行為が問題であって教育論には関係がなかった。お門違いの教育論を持ち出されても国は相手にすることはできない。竹富町の違法行為を改めるように要請するしかなかった。
県教委が持ち出した教育論は単なる時間稼ぎであり、時間稼ぎすることが県教委、竹富町の「勝利」だったのだ。

都道府県と市町村にそれぞれ独立した教育委員会が置かれているのは、教育の専門家だけで教育の在り方を決めるよりも、地域住民の判断を幅広く取り入れた方が政治的中立性を確保でき、地域の移行を反映させられるという考え方による。
           タイムス「守られた教科書3」

この考えはタイムスや県教委ではなく国の考えである。それは国、県、市町村がそれぞれ政治分担をして、地方の自治権もしっかり守る仕組みである。ただ地域の判断も政治的な判断が含まれているのであり、地域住民の判断だから「政治的中立」であるとは言えない。むしろ、逆である。地域であればあるほど地域の政治判断が強くなっていく。竹富町がその典型である。
竹富町が育鵬社を拒否し東京書籍の公民を使用したのは政治イデオロギーに固執したからである。左系よりの政治イデオロギーが露骨に出たのが竹富町であり、竹富町の判断は「政治的中立」からほど遠い。イデオロギー丸出しの判断である。
それに竹富町は地域住民の判断を優先していない。左翼系教師の判断を優先させている。

 ただ実際にはこうした「民衆統治」は形骸化が長く指摘され、文科省―県教育委員会―市町村教育委員会という「上位下達」の行政系列が強い力を持つ。今回のように県教委が、「上部機関」の文科省に異議を唱えるのは異例のことだ。
            タイムス「守られた教科書3」

「民衆統治」とは勘違いもはなはだしい。国が決めること、県が決めること、市町村が決めることに分業化しているのであって、「民衆統治」というものはない。
文科省に異議を唱えるのは自由であり、禁じられているわけではない。どんどん文科省に異議を唱えるのになんの問題もない。しかし、文科省は法律を遵守した指導をしているのだから、県教委が異議を唱えることは滅多にない。
今回の県教委の異議は竹富町の違法行為を弁護するものであり、県教委の異議のほうが間違がっている。

行政機関である県教育長にとって、国から「違法状態」を放置していると断じられることは、あってはならない事態。違法確認訴訟を起こされる可能性もあり、法令を重視せざるを得ない事務方レベルでは「竹富に教科書変更を迫るのもやむなし」との雰囲気に傾きかけた時期もあった。
流れを引き戻したのは、沖縄国際大学の富川盛武氏ら民間の教育委員だ。
「生徒の学習環境を最優先すべきだ」「対話を重んじるのが教育の本質」と、法律論に集約しがちな土俵に「教育」という市民的な視点を持ち込んだ。
          タイムス「守られた教科書3」

市民的な視点とはなんだろう。
市民なら国が検定に合格させたのだから、育鵬社の教科書と東京書籍の教科書に大きな違いはないと考えるだろう。育鵬社版でも東京書籍版でも使用するのに支障はないと考えるのが普通の市民である。
普通の市民なら、違法行為をやめて国の指導に従い育鵬社の教科書を使用するのを支持するはずである。

違法行為をしているのにどうしてまともな教育論ができるのか。できるはずがない。教育論をする前に自分の身を律して違法行為を正すのが筋というものである。

「生徒の学習環境を最優先するべきだ」「対話を重んじるのが教育の本質」は正しい考えである。

竹富町が東京書籍版を育鵬社版に変更するのは生徒の学習環境を最優先にすることになる。現中学三年生はそのまま東京書籍版を使うのはやむを得ないが来年の新中学三年生は育鵬社版にしたほうが「生徒の学習環境を最優先する」ことになる。生徒にとって東京書籍版でも育鵬社版のどちらでも構わない。デメリットは生じない。竹富町が東京書籍版を使い、育鵬社版を使っている石垣市、与那国町と教科書が違うえば転校生に支障が生じる。転校生に支障が生じないためには竹富町は育鵬社版にするべきなのだ。

「対話を重んじるのが教育の本質」であるが、民主主義の原則である「多数決」を重んじるのも教育である。徹底して対話し、それでも全員賛成が得られない時は「多数決」で決める。その時には少数者も多数決に従う。法律を多数決で決め遵守する、これが民主主義であり、教育もまた民主主義について教えなければならないし、「多数決」を重んじなければならない。
「対話を重んじ」「多数決」を重んじるのが教育の本質である。富川氏の「教育の本質論」は「多数決」論が欠如した欠陥論である。

主張の対立がいつまでも続けば物事は解決しない。次第にいがみ合い憎しみ合い分裂していく。分裂を避け物事を解決するために「多数決」がある。「多数決」を無視したり、「多数決」を軽んじるのは分裂主義者である。
妥協するべきところは妥協し、「多数決」を尊重するところに民主主義の本質がある。妥協をしないで「多数決」に背を向ければ分裂がはびこるだけだ。

竹富町は八重山地区協議会の多数決を軽視し、守らなかった。だから、竹富町は八重山地区協議会から分裂したのである。竹富町教委は露骨な分裂主義者である。
竹富町教委の分裂主義を正当化しようとして富川教授は「対話を重んじるのが教育の本質」だといっている。分裂主義を正当化しようとしている富川教授もまた分裂主義者である。

「法律論に集約しがちな土俵に『教育』という市民的な視点を持ち込んだ」と分裂主義者の理論を「市民の視点」などと歪曲しているタイムスも分裂主義者である。

竹富町教委の分裂主義を正当化している政治家、学者、識者、ジャーナリスト、沖縄二紙は民主主義の原点である「多数決」を無視している。
民主主義の原点である「多数決」を無視する者はすべて分裂主義者である。

「判決が出たとしても、途中から教科書を変えさせることが子どもたちにとって望ましいのか。トータルで判断した」。下村博文文科相は、違法確認訴訟を見送る理由をこう説明した。教育的配慮を求めてきた県教委と町教委にとって〝満額回答”に近い内容だった。
          タイムス「守られた教科書3」

下村博文文科相は勘違いしている。例え、国が裁判に勝ったとしても分裂主義者竹富町が東京書籍版から育鵬社版に変更することは絶対にない。彼らは裁判の判決にビビるような連中ではない。「裁判の判決は間違っている。真の教育的判断ではない」などと竹富町を正当化し、東京書籍版を使い続けるだろう。

県教委と町教委にとって〝満額回答”かもしれないが、単独採決が始まれば転校生が困り、八重山地区の教師が困り、竹富町は教科書採択研究に苦労し、県教育庁は二つに分かれた八重山地区の教育指導に苦労し、生徒や市民には恨まれるだろう。分裂主義者竹富町、県教育庁にはイバラの道が待っている。
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沖縄タイムスは分裂主義者

 五月二十三日の沖縄タイムスの社説は「竹富分離決定」「地域の主体性生かそう」の題名であるが、八重山教科書問題で竹富町が地区協議会から抜けて独自に教科書採択することに賛成している社説になっている。

しかし、社説からは「竹富町分離を勝ち取ったぞー」という喜びや覇気が感じられない。タイムスの希望通り竹富町が単独採決をするようになったのだから竹富町の勝利を祝する言葉が並ぶはずであり、今までの国との対立のことはすべて水に流そうと言うはずなのだが、タイムス社説は喜びを語るのではなく、過去を振り返って国や玉津石垣教育長への恨み節の連続だ。

 八重山地区の教科書採択問題で県教育委員会は二十一日、竹富町教育委員会を八重山採択地区から分離し、町単独の採択地区に変更することを決めた。
 竹富町教委の要望に沿ったもので、県教委の判断を評価したい。
               沖縄タイムス社説

 評価しているのなら、単独採択をすることが竹富町にとってどのようなメリットがあるかを述べていくべきである。題名は「地域の主体性生かそう」であるのだから、竹富町独自の主体性を詳しく述べて、それを教育に生かすことがどんなにすばらしく、石垣市、与那国町と一緒の地区協議会に縛られるより大きなメリットがあることを具体的に説明していけばいい。これからのことを考えるとそのことが重要である。ところがタイムス社説は未来ではなく過去を向いて国に対しての恨み節を述べていく。

 ふに落ちないのは文部科学省の対応だ。翌二十二日、経緯説明に訪れた諸見里明県教育長に対し、前川喜平初等中等教育局長は「県教委の決定は、法律の定める共同採択制度の趣旨に即しておらず遺憾だ」と述べた。
 県教委の宮城奈々委委員長は竹富町教委の分離決定に際し、「長い間膠着状態にあった教科書採択に係る混乱は終息に向かうと思われる」とのコメントを残した。
 菅義偉官房長官も二十一日の定例会見で、教科書採択地区を決める権限は県教委にあるとして「国が口を挟むことではない」と明言したばかりだ。
 国の介入による教科書問題の混乱は「終息」に向かわせるべきだ。これ以上問題をひきずり、教育現場に影響を及ぼすのは許されない。
沖縄タイムス社説

 政府が採択地区を「市都」単位から「市町村」単位にした時から八重山教科書問題は一気に終息に向かった。教科書問題の混乱を解決するために国が「市町村」単位にしたのだ。それなのにタイムス社説は国が問題をひきずらそうとしているように述べている。タイムス社説は、どうしても国の介入が教科書問題を混乱させているように見せかけたいのだ。

 竹富町の単独採択が決定したのだから、八重山教科書問題は終わった。だから、単独採択をする竹富町がどのように発展するかを述べればいいのに、タイムス社説は「八重山教科書問題は、そもそもなぜ起きたのか」となどといって過去に戻るのである。

 教科書の選定をめぐり石垣、竹富、与那国の教育長らで構成する「八重山採択地区協議会」の玉津博克会長(石垣市教育長)が、これまでの選定ルールを変えたのが発端だ。選定ルールの変更は、保守色の強い育鵬社版の教科書の使用を決めるのが目的だった。これに反発した竹富町が結果的に、文科省から是正要求を出された。
 国の不当介入が、八重山教科書問題をいびつに発展させてきたのは論を待たない。
                タイムス社説

 国は国が不当介入できないように教科書採択を「市町村」単位に改正したではないか。国は自ら「不当介入」ができないようにしたのである。国の法改正によって竹富町が単独採決できるようにしたというのに「国の不当介入が、八重山教科書問題をいびつに発展させてきたのは論を待たない」と終わったことをぶり返している。
国が「市町村」単位にしたことは。竹富町と竹富町を支援した革新団体、沖縄二紙の要求が実現したのだ。完全勝利だ。だから勝利を手放しに喜べばいいではないか。それなのに「八重山教科書問題は、そもそもなぜ起きたのか」などと未練たらしく過去のことを引きずり出して非難する。それも嘘だらけでのご託を並べて。
 八重山採択地区協議会」のルールは玉津教育長一人で変えることはできない。石垣市、竹富町、与那国町の三市町の教育長の同意が必要だ。新しいルールに改訂することができたのは竹富町の教育長も同意したからだ。玉津石垣教育長がルールを変更したというのは間違いである。三市町でルール改訂したというのが正しい説明だ。
 無償措置法では地区協議会で採択した教科書のみを無償給付するという規定がある。たから、地区協議会で採択した教科書以外の教科書を使用している竹富町に国は無償給付することができない。国は、国が無償給付できるように地区協議会で採択した教科書を使用するように竹富町に要請したのだ。国は竹富町に法律を守るように指導しただけだ。保守色が強い教科書かどうかは国にとっては関係がなかった。それを国の介入と決めつけるのは間違っている。
 八重山教科書問題をいびつにさせたのは革新イデオロギーに固執し、無償措置法の規定を破り、地区協議会で採択した教科書を使用しなかった竹富町の方である。竹富町が無償措置法を順守していればこんなことは起こらなかった。

 竹富町の分離を余儀なくしたのは玉津氏ではないか。その張本人が「八重山の一体化」を強調するのは皮肉に響く。とはいえ、玉津氏の指摘に一理あるのも事実だ。
                タイムス社説

 おかしな文章である。「八重山の一体化」を強調する玉津教育長が竹富町の分離を画策したようにタイムス社説は述べているが、玉津氏は「分裂」と「一体化」を画す二重人格者であると言いたいのか。そんなことはあり得ない。
 
竹富町が分離した原因は革新イデオロギーに固執した竹富町にあった。竹富町は保守系教科書を使用するより八重山地区協議会からの分離を望んだのだ。それをタイムスも後押しした。分離した原因は竹富町にあるのであって玉津氏にはない。玉津氏は育鵬社版を採択するように工作をした。それは本当だろう。しかし、玉津氏は法律を順守した上での工作であり、決して法律を捻じ曲げて育鵬社版を採択したのではない。もし、地区協議会で玉津氏の画策が失敗し東京書籍版が採択されていたら、玉津氏は育鵬社版をあきらめて東京書籍を使用していた。玉津氏は地区協議会で採択した教科書以外を石垣市で使用する考えはかなった。竹富町のようなことはしなかったはずである。

「八重山は教育も行政も一体だ。教科書だけ別というのは理解できない」は玉津氏の本音であり、竹富町が地区協議会の採択を守らないで東京書籍版を使用したのを玉津氏は全然予想しなかったことだろう。

八重山の三市町は、二〇〇〇年代に合併を模索した。竹富町の役場は石垣島にある。三市町は政治的な立場の違いを超え、観光などの分野で協調してきた。今回の竹富町の分離で、八重山社会全体に亀裂が波及する事態は避けなければならない。
                タイムス社説

竹富町の役所が石垣島にあること、三市町が協調していたことは八重山教科書問題が起きる前から知っていることである。それなのに革新イデオロギーにこだわり、竹富町が分離するのを助長してきたのがタイムスである。石垣市、与那国町と竹富町との間に亀裂を生じさせる報道をしてきたのがタイムスである。
亀裂が生じるように報道してきたのに、亀裂が生じたら亀裂を波及するのは避けなければならないというのはめちゃくちゃな言い分であり、無責任である。

尖閣諸島に近い八重山住民には中国への警戒心も強まっている。が、政府の国防政策が地域の利害にどう絡むのか冷静に見極める必要がある。地域の歴史から学ぶ視点を大切にしなければならない。地域住民が主体的に島の未来を論じる環境を取り戻すべきだ。
                タイムス社説

これもまたおかしな文章である。題名が「竹島分離決定」とあるのだから、竹島町が教科書採択の独自採択に決まったことに関する社説であるはずなのに、最後は完全に教科書問題から外れて政治問題になっている。「地域の主体性を生かそう」が題名であるから、地域の主体性を生かした教育について述べると思っていたら、教育からは離れて地域住民が論じ合うことを問題にして締めくくっている。
竹富町分離を評価したはずなのに、「尖閣諸島に近い八重山住民」と石垣市、竹富町、与那国町を合わせた地域の問題を重視し、八重山地域の住民が論じ合わなければならないと述べている。
「地域の歴史から学ぶ視点」の地域は竹富町だけの歴史なのか、それとも八重山全体の歴史なのか不明である。

タイムス社説は、竹富町の分離で、八重山社会全体に亀裂が生じたことを認めている。そして、亀裂が波及する事態は避けなければならないと述べているが、亀裂が波及しないための方法は述べていない。
竹富町が地区協議会に戻ることが亀裂を修復する方法である。しかし、竹富分離に賛成であるタイムスにそんな考えはない。

八重山教科書問題で、タイムスは多数決を主張しなかった。法律を守ることも主張しなかった。主張したのは保守色の強い育鵬社版を拒否して竹富町が使用したい教科書を使ってもいいと主張してきた。
多数決を否定し、違法行為に平気であり、自分勝手なことをすれば亀裂が生じ分裂するのは当然である。
竹富町がやってきたのは八重山地区の分裂であり、それを応援し理論で支えたのが革新団体、新報、タイムスであった。彼らはイデオロギーに凝り固まった分裂主義者である。

分裂主義者であるのにそうではないように取り繕った言葉が「今回の竹富町の分離で、八重山社会全体に亀裂が波及する事態は避けなければならない」である。しかし、竹富町の分離と地区協議会復帰のどちらを選択すべきかとタイムスに訊ねたら、分離を選ぶだろう。

タイムスは根本的には民主主義ルールを認めない分裂主義者である。
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沖縄二紙に洗脳されている写真家石川真央

沖縄二紙に洗脳されている写真家石川真央

まおの勝手におしゃべり

沖縄県在住の女性写真家、石川真生(いしかわ・まお)による日常のあれこれ、勝手におしゃべり。キャッチフレーズは「オナニーから政治談議まで」
2014年05月16日

思う事

今、日本政府は安倍首相の暴走で、みんながけして望まない戦争への道をモースピードで突っ走っている。それでも彼の支持率が高いという。どうかしてるぜ。洗脳されやすい国民なんだわ、日本人って。

沖縄人と、沖縄に関係する人々の生きざまにこだわって40年間撮って来た。写真家の私は、自分ができることを、やりたいことを表現するだけだ。秋に発表予定の「大琉球写真絵巻」が私の答えだ。撮影も終盤。頭をひねって撮影に取り組んでいる。

みんな、それぞれのやりかたで暴走日本政府を止めないと、ほんと、やばいぜ!
         二〇一四年〇五月十六日

 写真家石川真央さんのブログから転載した。
 彼女のように考えている県民は多い。人はそれぞれ仕事があり、政治問題について自分で情報を集める余裕はない。新聞やテレビなどの情報を参考にして考えていく。 
真央さんは沖縄タイムスと琉球新報に全幅の信頼を置いている。「マスコミは事実を報道している」と誰もが信じているから、真央さんが沖縄二紙の報道を信じるのは当然である。
 沖縄二紙の報道は事実報道のように見えて本当はそうではない。保守系の報道は極力抑えているし、不都合なことは黙殺している。それが沖縄二紙の実態であるが真央さんのように多くの人々がそのことを知らない。
それどころか沖縄二紙の解説や社説を鵜呑みにしている。

 真央さんは革新や沖縄二紙が喧伝しまくった「米軍基地があるから戦争になれば真っ先に攻撃される」を信じて疑っていないだろう。これは「戦争になれば」という仮定であるから理屈としては成り立つ。しかし、現実としては世界最強の米軍に戦争を仕掛ける国はいない。中国も米国との武力衝突は徹底して避けている。米軍が駐留している沖縄を攻撃する国は地球上に存在しない。

 「米軍がいるから沖縄は戦争に巻き込まれない」が本当のことである。しかし、写真撮影に打ち込んで、軍事や戦争について自分で資料を集めたり深く考える余裕のない真央さんはそこのところを知らない。
 沖縄二紙の主張を鵜呑みしてしまう。

 「日本政府は安倍首相の暴走で、みんながけして望まない戦争への道をモースピードで突っ走っている」という真央さんの考えは間違っている。
 高度に経済が発達している国にとって一番恐れるのは戦争である。戦争が始まれば一気に経済が崩壊するからだ。経済が発展している日本は極力戦争を避けなければならない。
しかし、中国、北朝鮮は日本に戦争を仕掛けるような発言を繰り返している。尖閣は中国の領土だと主張し、活動家の尖閣上陸、漁船の巡視船への衝突などがあり、現在は中国の海警船が領海侵犯を頻繁に繰り返している。
 日本の自衛隊は強く、米軍も駐留しているので中国は強引なことはしないが、軍事力の弱いフィリピン、ベトナムには海警局船、漁船、軍艦、戦闘機を領海内に出動して、軍事力で圧力を加えて強引に領海拡大をやっている。軍事力が圧倒的に勝っている国には軍事力で侵略をする。それが中国なのだ。
 集団的自衛権の拡大解釈は米軍と協力して中国のアジア侵略への欲望を封鎖する目的がある。
 
真央さんは「洗脳されやすい国民なんだわ、日本人って」と述べているが、日本人が洗脳されているのではなく、真央さんのほうが沖縄二紙に洗脳されている。

 私たちは真央さんのように沖縄二紙に洗脳されている人々を解放しなければならない。
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革新と正面から対峙しない沖縄自民党―それが沖縄の深刻な問題




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革新と正面から対峙しない沖縄自民党―それが沖縄の深刻な問題

翁長雄志那覇市長が十三日の記者会見で、十一月の知事選に向け県政野党五団体でつくる候補者選考委員会から出馬要請や意見交換などを求められた場合の対応について「(話があれば)当然聞いて、政治家として、あるいは那覇市長として市民・県民と話し合ったことを踏まえて意見交換する。私の考えを申し上げながら話し合いたい」と話し合いに前向きに応じる姿勢を見せた。
 それは翁長市長の知事選出馬宣言とみていいだろう。
 県知事になるのが翁長市長の悲願である。県知事になるためには手段を選らばない、保守としての理念も捨てる。それが翁長雄志という政治家である。

 革新の売りであるオスプレイ配備反対を掲げ、「オール沖縄」を主張し、県民大会、東京行動の先頭に立ったのは革新との対立をうやむやにして、那覇市長選に勝つためであった。翁長氏の狙い通り、翁長氏との対立点を見いだせない革新側は対抗馬を立てることができなくて翁長氏が圧勝した。その勢いに乗って県知事選で勝利するのが翁長氏の筋書きであった。
 しかし、順風漫歩だった翁長市長の県知事への道に狂いが生じた。
 民主党政権から自民党政権に代わり、安倍氏が首相になり、普天間飛行場の辺野古移設を強行したことである。これは翁長氏にとって想定外だっただろう。辺野古移設が来年であったなら、翁長氏の思惑通り、「県外移設」「オール沖縄」を看板にして知事選に立候補し、当選していただろう。
 知事になって数年後に自民党本部と和解して辺野古移設を認めるというのが翁長氏の筋書きだったと私は思っている。

 選挙に勝つためには革新との争点をぼかすやり方が政治理念のない自民党の戦術であり、その戦術をけん引してきたのが翁長氏であった。

 仲井真知事が最初に知事選に立候補したときの選挙公約をあなたは覚えているだろうか。なんと、「普天間飛行場の三年以内閉鎖」であった。糸数革新候補が公約にしたのをそっくり真似たのだ。保守政党が三年以内閉鎖を公約にするのは驚きであるが、沖縄自民党は選挙に勝つためには兵器でこんなことをやる。そして、当選すれば公約をうやむやにしていくのだ。
 二回目に立候補した時には「普天間飛行場の県外移設」を公約にした。辺野古移設を主張し続けてきた仲井真知事は「県外移設」に反対したが、選対委員長である翁長氏が「県外移設」を公約にしないと選挙に勝てないと主張し、強引に「県外移設」を公約にした。そして、仲井真知事は圧勝した。

 革新側との対立点をうやむやにして選挙に勝つのが沖縄自民党の常套手段であったし、その戦術で知事選、那覇市長選は圧勝してきた。
 ただ、この選挙戦術で勝利するには条件がある。公約が現実問題にならないことである。「米軍基地の三年以内閉鎖」は非現実的であり、仲井真氏が知事になって三年経過した時、誰も問題にしなかった。
 辺野古移設も現実問題にならなければ、「県外移設」が公約として使え、翁長知事誕生が実現していた。

しかし、安倍政権は辺野古移設を現実問題にした。県外移設を主張していた国会議員を辺野古移設容認に変更させ、辺野古移設は現実となった。同時に、翁長氏が主張し続けて沖縄二紙の紙面に絶えず掲載していた「県外移設は県民総意」が消えた。

 安倍政権の辺野古移設推進が、保守も革新も「オール沖縄」に巻き込んで知事選に勝利するという翁長氏の方程式を打ち砕いたのである。県外移設を主張し続けた翁長市長が自民党から立候補する可能性はなくなった。

 ところが、深刻な人材不足に悩んでいる革新側が翁長氏擁立に動いた。

「革新側からすれば私が一番の敵だと思う。その私を候補の一人として挙げたのは、やはり地殻変動がじわりじわりあるのではないか」と改めて指摘。「従来のオール沖縄は、建前としては皆持っている。(知事選はしがらみを抜きにして考えている方が、どのように判断するかが一番大きな問題になる)との見方を指摘した。
               沖縄タイムス

 翁長市長がいうように地殻変動がじわりじわりあるのは確かである。しかし、地殻変動の原因は翁長市長が思っていることとは違う。
沖縄で地殻変動は起きている。それが表面化したのは二〇一二年(平成二四年)二月に行われた宜野湾市長選だった。知事選に敗れたとはいえ、宜野湾市長の経験があり、知名度が抜群の伊波洋一氏が楽勝であると誰もが思っていた。ところが新人で無名に近い佐喜眞淳 (47) 氏が勝ったのだ。

佐喜眞淳 47 無所属 新  自由民主党、公明党、新党改革 推薦
○22,612票 50.60%
伊波洋一 60 無所属 元 日本共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党 推薦
  ○21,712票 49.40%

 宜野湾市長選の佐喜眞淳氏の当選は地殻変動が起きている証拠だった。これをきっかけに沖縄自民党は保守政党の理念をしっかりさせて革新と対峙するべきであっただろう。しかし、沖縄自民党のリーダー的存在である翁長市長は、革新と対峙するのではなく、革新の主張を取り入れて革新との対立をうやむやにして仲良くする方法を選んだ。
 それがオスプレイ配備反対の陣頭指揮を執り、「オール沖縄」の旗を掲げて県民大会、東京行動の先頭に立ったことである。そして、辺野古移設に反対して県民総意は県外移設である主張した。それは革新の主張を取りいれて争点をぼかして那覇市長選に勝つための戦術であった。翁長市長の戦術は成功し、翁長市長との対立軸を見つけることができなかった革新は対立候補を立てることができなくなり、翁長市長が圧勝した。

 翁長市長の選挙戦術は革新の弱体化に一役買ったのは確かである。しかし、それとは違う大きな波があり、県民の革新離れは起きている。

 本土では共産党・社民党の衰退が続き、維新の会、みんなの党、結の党などの保守政党が台頭してきて保守の二大政党時代が築かれようとしている。
もう、資本・民主主義かそれとも社会主義かという冷戦時代の政治対立は終焉している。国民からの支持をうしなってきた社会主義政治は衰退し、これからは資本・民主主義をどのように発展させていくかの時代になっている。本土ではそれが顕著になっている。野党の保守政党がひとつの政党にまとまれば新しい二大政党時代の始まりだ、沖縄でもその流れが押し寄せているのだ。

県知事選、宜野湾市長選、浦添市長選、石垣市長選、沖縄市長選で保守系が勝利したのを見れば沖縄も本土の流れが押し寄せ地殻変動が起こっていることを感じることができる。
地殻変動は地殻変動でも保守と革新が融和する地殻変動ではなく、革新が衰退し保守・民主主義が台頭している地殻変動である。

残念なことに沖縄自民党はそのことに気付いていない。それどころか、革新に洗脳されている。県外移設を主張し、辺野古移設に反対し、米軍基地が返還されたほうが沖縄経済は発展すると信じている自民党政治家がなんと多いことか。仲井真知事も県外移設が早いなどとぼけ老人になったのかと危惧する発言を繰り返していた。

十一月の県知事選で翁長市長が革新の推薦で立候補した時、保守と革新の矛盾が噴出する。しかし、その矛盾を突くことが沖縄自民党にできるだろうか。

翁長市長は安保を認め、米軍の日本駐留を認めている。だから県外移設を主張してきた。しかし、共産党と社民党は安保廃棄であり、米軍の日本駐留に反対である。だから、普天間飛行場は閉鎖・国外撤去を主張してきた。

翁長市長が県外移設を主張すれば共産党・社民党は米軍の日本駐留を認めたことになる。政治理念が180度転換することになる。翁長市長が共産党と社民党の主張を取り入れれば県外移設を止め、安保廃棄に賛成することになる。保守政治家から革新政治家に転身しなければならない。

翁長市長を担ぎ出したい革新は、妥協案として辺野古移設反対だけを主張して、県外移設、閉鎖・撤去を封印しようとしているようだが、そうなった時に自民党は翁長氏を攻撃することができるだろうか。

「翁長候補は辺野古移設反対といっているが、賛成か反対かが本当の問題ではない。普天間飛行場をどうするかが問題だ。県外移設なら何十年も後になる。閉鎖、国外撤去ならいつになるかわからない。辺野古移設に反対するということは普天間飛行場の固定化を主張するのと同じである。翁長候補は普天間飛行場の固定化を主張している」
と革新と手を結んだ翁長候補を徹底して攻撃しなければならないと思うが、果たして沖縄自民党にそれができるだろうか。
 
 尖閣は我が国の領土だと領海侵犯を繰り返し、ベトナム、フィリピンの諸島は侵略している中国を見れば多くの県民は米軍が沖縄駐留していることを理解するだろう。

 沖縄自民党が保守として真っ向から革新と対峙することができないどころか革新に洗脳されている。それが沖縄の深刻な政治問題である。
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うらそえ文藝問題は大阪の中学校内人事を教員が決めるのと同じ

うらそえ文藝問題は大阪の中学校内人事を教員が決めるのと同じ

うらそえ文藝で星編集長の対談の第二部をカットすることを編集委員の圧倒的な多数でカットすることを決めた。そして、民主主義のルールに従って決めたのだからカットするのが当然であるから星編集長にカットするように強引に迫っている。これは大阪府で明らかになった校内人事を教員が選挙で決めるのと同じである。


校内人事を教員が選挙 市教委「不適切」として全校調査へ 大阪市生野区の市立中学校  

大阪市立巽中学校(生野区)が教務主任などの校内人事に関し、教員の選挙で決めるとする独自の規定を設けていたことが9日、市教委などへの取材で分かった。学校教育法は校内人事を校長の権限と定めているが、同校では平成24年度まで実際に規定に基づき選挙が行われていた可能性があるという。市教委は「不適切だ」としており、同様の規定が他校でもあるとみて、全市立学校約460校を調査する方針を決めた。

市教委関係者によると、同校では「校内人事に関する規定」で、「民主的な校内人事」を目的に教員が選挙管理委員会を設置し、教務主任や生徒指導主事、学年主任を選出し、その結果に基づき校長が任命すると定められていた。担任についても校長は教員でつくる調整委員会と協議して決めるとしている。

規定は昭和52年に改定されており、30年以上の長期にわたり存在してきたとみられる。学校関係者によると、平成24年秋に校内人事を決める際にも適用され、教員は名簿の中から適任だと思う人物の名前に丸印をつけたという。
校長公募で25年4月に着任した民間出身の北角(きたずみ)裕樹校長(38)が問題視。市教委に問い合わせたところ「不適切」と回答があり、規定の適用をやめた。

 北角校長と教員らは学校運営などをめぐり関係が悪化。市教委事務局は3月、学校業務を停滞させたとして、北角校長を更迭する議案を教育委員会議に提出した。しかし、教育委員は「校長だけに責任があるのではない。今後も課題解決にあたってもらった方がいい」などとして、全会一致で留任を決めた。
              産経ニュース2014年4月9日

 「民主的な校内人事」を名目に教員が学校を支配している。もし、校長を公募しなければ、ずっと表には出ないで教員による学校支配が続いていた。これは大阪府だけではないだろう。全国的に教員による校内支配は存在しているはずだ。

校内人事案の教員間選挙、大阪市立61校が明記

 大阪市生野区の市立中学校が校内人事案を教員間の選挙で決める規定を設けていた問題で、市教委が独自の人事規定を持つ市立学校(101校)を調査したところ、61校の規定に教員間の選挙が明記されていたことがわかった。

校内人事を校長の権限とする学校教育法に違反するとして、市教委は近く、問題のある規定を廃止させる方針。

調査ではほかに、30校で校長をメンバーに入れずに校内人事案を決める「人事委員会」の設置が定められていたことも判明。選挙と人事委員会の両方が明記されていた学校もあった。他に校長の権限を制限する問題がなかったか、今後さらに調べる。一方、9校については問題なかったという。

また、市教委の調査で44校に職員会議に関する規定があることもわかっていたが、このうち35校が様々な校務について会議で議決すると定めていたことが新たに判明。同法では職員会議を校長の補助機関に過ぎないと位置づけており、市教委は議決が校長の学校運営に影響を与える恐れがあるとして問題視している。
        読売新聞 5月11日(日)

 沖縄の学校でも大阪市と同じことが起きていて、うらそえ文藝の編集委員たちはそれを真似た可能性が高い。
 沖教祖・自治労の支配は根強い。全国一学力が低くても沖教祖が教育の実権を握っているから教育改革はできない。
星編集長の後を継いだ新しい浦添文化委員長は革新系であり、浦添の文化がもっと左傾化していくだろうと星編集長は話している。

 星編集長が潰されるか否かはこの一週間で決まる。
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うらそえ文藝編集委員会議に乗り込んだ

うらそえ文藝編集委員会議に乗り込んだ

うらそえ文藝の編集委員たちは、四月三十日の編集委員会議で七対一の圧倒的多数で星編集長の仲程元琉大教授との対談の第二部をカットすることを決めた。
しかし、星編集長はカットしないことを主張し、編集委員と星編集長の対立が続いている。

昨日、五月九日に編集委員会議があることを聞いた私は、うらそえ文藝の会員として、二部カットに賛成する理由を書いてもらおうと編集会議が始まる前に乗り込んだ。
編集長の対談の後半をカットするということは重大問題である。会員は編集委員が反対する理由を知る権利がある。
私は編集委員に理由を聞き、私が準備した用紙にそれぞれの理由を書くように要求した。私は編集委員が書いた理由を全会員に通知すると宣言した。
編集委員は書くことを拒否した。しばらく押し問答が続いた。押し問答の中である編集委員がカットする理由を言った。二部は対談の題名にそぐわない内容であること、沖縄の文学の話であるはずなのに集団自決の話をした。特定の人物を傷つけているというのがカットする理由であるという。
部会長である垣花譲二氏は二部カットを画策した中心人物であるが、彼は、星編集長とは今までも色々なことがあったからなどと弁解した。

彼らのいう理由は全然カットする理由にならない。
カットは読者に読ませないことであり、明らかな言論封殺である。彼らがやっていることは思想が違う人間の言論を封殺することである。戦前の言論弾圧と同じ思想だ。

編集委員は公務員や教員出身者で占められている。いわゆる革新系の思想の人たちであり、慶良間の集団自決は軍命令があったと主張している連中である。それに対して、星編集長は集団自決に軍命令はなかったと主張している。
対談の二部では集団自決に軍命令はなかったと星編集長は発言している。革新系の編集委員たちは星編集長の主張を封じ込めるのか目的なのだ。

私は「沖縄に内なる民主主義はあるか」がボーダーインク、沖縄タイムス、南山舎に自費出版を拒否されたことを言い、言論封殺には絶対反対であり、このことはうらそえ文藝の会員として全会員にも知らせると話した。

すると一人の男性が私はまだ会員ではないと言った。一月に申し込み書とお金を払ったのにだ。
どうやら星編集長の紹介で入会をした私をうさんくさい人間に思ったのだろう。編集委員の幹部は私の入会を引き延ばしていたのだ。卑劣な連中である。

会員ではないと言われたらそのまま居座ることもできないので、星編集長の対談の二部カットについては徹底追及すると言って私はその場から去った。

星編集長に電話して事情を話し家に帰ろうとしたら、もう少しで到着するので待ってくれと頼まれた。
星編集長が到着し、事情を話すと、一緒に行って編集委員会議を傍聴してくれと頼まれた。
私は星編集長と編集委員会議に行った。私が傍聴をしたいと言い、星編集長は賛成したが垣花部会長が断った。編集委員会議は垣花部会長が権限を握っていて星編集長の主張は却下されて私は出ていかざるをえなかった。

うらそえ文藝の編集委員会議が傍聴を許さない秘密会議であるとは驚きである。文学は表現の自由を重んじイデオロギーや政治の圧力があってはならない。だから、編集会議はオープンであるのが当たり前だ。
しかし、うらそえ文藝の編集委員会議は非公開であるのだ。原因は革新イデオロギーで星編集長に圧力をかける会議であるからだ。

表現の自由であるべきはずのうらそえ文藝は、いまや革新イテオロギーの巣窟となっているのだ。

星編集長の孤独な闘いが続いている。対談の二部がカットされるかされないか。今が正念場だ。
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 困り果てているのは県教委と竹富町と教員




「沖縄内なる民主主義5」(A4版・60ページ)発売中。
県内主要書店
沖縄教販
BOOKSきょうはん 美浜店・BOOKSきょうはん やいま店・BOOKSきょうはん 宮古南店BOOKSきょうはん とよみ店・BOOKSきょうはん 安謝店

他の書店につては後日知らせます。

狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp

目次

〇沖縄の狂った話1・・・琉球民族主義は民族差別主義だ
〇沖縄の狂った話2・・・米軍がいるから戦争に巻き込まれるは妄想

〇ブログ
「狼魔人日記」より・・・末松氏大敗の意味

〇彼女は慰安婦ではない 違法 少女売春婦だ2

〇「狼魔人日記」河野談話撤回の好機!

〇「狼魔人日記」と「沖縄に内なる民主主義はあるか」は島袋氏を応援したけれど

〇名護市民は「県外移設」が不可能であることを証明した

〇ブログ 
沖縄に内なる民主主義はあるか 沖縄の識者の腐敗
               「県民金で転ばぬ」というが

〇軍命令はなかったのに なぜ集団自決は起こったのか

〇特別寄稿・ドキュメント
  集団自決を追って 星雅彦(作家)

〇バーデスの五日間




裏表紙です。名護市街地は辺野古から10km離れています。しかも、間には山があります。
辺野古が安全であり、普天間基地がいかに危険であるかは写真を見れば一目瞭然です。
この事実を多くの人に知ってもらいたいと思って、このような裏表紙にしました。
買わなくてもいいから、裏表紙を見てほしい。
この三つの写真を見ても、辺野古移設に反対するのは「命どぅ宝」の精神が欠けている証拠です。

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 困り果てているのは県教委と竹富町と教員だ

 産経新聞に「泥沼の教科書採択 違法状態続く竹富町」が掲載された。

沖縄県竹富町の教科書採択問題をめぐり、関係機関の迷走が続いている。周辺3市町でつくる八重山採択地区から離脱し、教科書の単独採択を主張する竹富町教委と、離脱は法の趣旨に反すると批判する文部科学省、両者の板挟みで判断の先送りを繰り返す沖縄県教委との間で、調整不能の状態に陥っているのだ。沖縄県教委は、21日にも県内の採択地区を見直す方針だが、その内容次第では今後に禍根を残しそうだ。
                     産経新聞
 政府が採択地区を「市都」から「市町村」に変更した時に、八重山教科書問題は終わっている。政府・文科省の目的は全ての小・中学生に教科書を無償給付することである。それ以外のことは関係がない。
 
文科省も、打開に向けた“次の一手”を見いだせない状態だ。竹富町が是正要求に従わなくても、罰則規定はない。違法確認の訴訟を起こすこともできるが、判決までに時間がかかる上、沖縄県教委が竹富町の離脱を認めれば、訴えの利益を失って提訴が却下される可能性もある。
                     産経新聞
 文科省が訴訟を起こすのは法律に従ってやるのであって、提訴が却下されても文科省は困ることはない。

迷走が続く中、朝日新聞が3月15日付の社説で「両方の教科書を使ってみては」と提案したことが、新たな混乱を招くことになった。1冊は正規の教科書、もう1冊は副読本として利用することを勧める内容で、これを“渡りに船”と感じた文科省は4月17日、竹富町の慶田盛教育長に対し、育鵬社版を採択した上で東京書籍版を副読本にしてはどうかと提案した。
              産経新聞
産経新聞は瞑想が続いていると思っているが、文科省も石垣市も与那国町も迷走はしていない。迷走しているのは沖縄二誌や県教委である。
「両方の教科書を使ってみては」の提案は朝日新聞が初めてではない。すでに民主党政権時代に文科省が提案したし、自民党になってからも提案をした。竹富町は一貫して断っている。だから、竹富町が両方の教科書を使うのは最初から分かっていた。分かっていながら提案をしたのだ。竹富町が断るのは想定内のことだった。

しかし、慶田盛教育長は「子供をだましているみたいだ」と拒否する方針。文科省関係者は「竹富町に同調的な朝日新聞の提案だけに、下村博文文科相も、町教委の理解を得られると思ったのだろう。結果的には失敗だった」と、表情を曇らせる。朝日新聞広報部は「社説の提案は八重山地区内の3市町に呼びかけたもので、見解は現在も変わらない」などとしている。
              産経新聞
これは朝日新聞の一人芝居だ。

文科省と竹富町の溝が埋まらない中、判断の先送りを繰り返してきた沖縄県教委がゴールデンウイーク中に動いた。
5月1日ごろ、県教委幹部が八重山地区の石垣市教委と与那国町教委を訪れ、竹富町の離脱方針への理解を求めたのだ。

だが、両市町教委は離脱反対の意向を伝え、調整はまたも暗礁に乗り上げた。関係者の一人は「県教委は竹富町に肩入れしすぎだ」と不信を募らせる。
下村博文文科相も、町教委の理解を得られると思ったのだろう
               産経新聞
これは産経新聞の勘違いというか、事実を正確に把握していない。離脱するしないは竹富町の自由であると考えている石垣市と与那国町は竹富町の離脱に賛成である。市町が難色を示したのは教科書の研究は一緒にやって、教科書を採択するときは竹富町が単独で採択するように県教委が要求したからである。そんな自分勝手な要求は飲めないと石垣市と与那国町は断ったのだ。それは当然のことだ。

現在、文科省も石垣市も与那国町も困っていることはひとつもない。一番困っているのは県教委と教員である。

教科書採択地区変更希望一覧である。


 見ての通り、竹富町以外の町村は現在より効率のいい地区に変更希望をしているのであり、単独採択は希望していない。それは当然である。単独採択は難問と苦労だけがあり、なにひとついいことはないからだ。

 採択地区を設置した目的は転校生が困らないようにすることと、教科書研究の町村の負担を軽くすることであった。それともうひとつ教員の負担を軽減することが目的であった。
 教えられる子供にとっては教科書が変わっても負担はない。しかし、教える側の教員にとっては大きな負担になる。
数学では一年の数学の正負の計算の教え方が啓林館と東京書籍では全然違う。啓林館を教えていた教師が東京書籍版で教えるときには啓林館とは違う説明をしなければならないからはじめから勉強をし直さなければならない。生徒に理解させるためには教科書を棒読みするだけではできない。教科書に肉づけをしなければならない。そうするためには啓林館の教え方から完全に離れなければならない。それができるようになるには三、四年はかかるだろう。
国語なら小説、評論、詩など教科書が違えばほとんどが違う。共通するのは文法くらいだ。Aと教科書では「ぼっちゃん」でBという教科書では「ぼっちゃん」以外の小説になるから教師はゼロから教科書研究をしなければならない。
教科書で大変なのは、同じ個所は一年で一回しか教えないことだ。だから、どうしても三、四年くらいかけないとスムーズに教えることはできない。それは英語、社会、理科も同じである。
教師の本音としてはずっと同じ教科書を使いたいのだ。
竹富町が単独採択で一番困るのは八重山地区の教師たちである。八重山地区の教師は石垣市・与那国町と竹富町の二種類の教科書を教えなければならない。教師にとって負担が大きい。本島から八重山地区に移動するのを嫌がる教師も出てくるだろう。

もし、竹富町が単独採決するようになると難問が続出することを県教委は感づいている。県教委の教科指導も石垣市・与那国町と竹富町は別の指導をしなければならない。竹富町単独採択なら負担が増える。竹富町を応援してきた教員や県教委は自分の首を絞めているのだ。

竹富町民の不満、単独での教科書研究の負担、八重山地区の教師の不満、転校生の不満の火の粉が県教委と竹富町教委に降りかかっていくのは目に見えている。

暫くはごたごたが続くだろうが、それは沖縄二紙、竹富町、県教委、革新系の政治家、識者が生み出すあせりから出る一人芝居であり、文科省、石垣市、与那国町は関係ない。今もこれからも文科省、石垣市、与那国町は平穏である。

私たちは高みの見物をするだけだ。

いよいよ、二大政党の実現だ
減税・河村氏、石原氏と会談…新党合流意向示す
2014年05月08日 14時51分
 地域政党・減税日本代表の河村たかし名古屋市長は7日、日本維新の会の石原慎太郎共同代表と東京都内で会談し、維新の会と結いの党が結成を目指している新党に合流したいとの意向を伝えた。

維新の会と結いの党は政策協議がまとまれば、今年夏までに合流する方針だ。河村氏は会談で、両党が合流する際は減税日本も加わりたいと改めて主張。これに対して石原氏も理解を示し、今後も協議を続けていくことになったという。

河村氏は読売新聞の取材に「各党がばらばらではいかんということ」と語った。河村氏は先月にも、結いの党の江田憲司代表と会談しており、合流に向けた動きを本格化させている。
2014年05月08日 14時51分

 維新の会、太陽の党、結いの党に減税日本が加わることになった。これで二大政党へ大きく動く。
あとは民主党である。民主党の自治労や日教組系列以外の議員は合流するべきだ。
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星雅彦氏は一九七一年に軍命はなかったことを書いていた






星雅彦氏は一九七一年に軍命はなかったことを書いていた
「沖縄内なる民主主義5」の「軍命はなかったのになぜ集団自決は起きたか」から転載した。
星氏が軍命令はなかったことをすでに知っていたことが分かる。

集団自決について掲載しているサイトを探していたら、偶然、星雅彦氏が一九七一年に書いた「集団自決を追って」を掲載しているサイトを見つけた。「集団自決を追って」を読んで驚いたのは、集団自決は軍の命令ではないと書いてあることだった。一九七一年は前の年に「沖縄ノート』(著者:大江健三郎)が出版されて「集団自決」は軍命令であったと沖縄の人たちに広がっていた時である。その時に、軍命令はなかったことを沖縄の作家が書いていたのだ。驚くべき事実である。
私はWEBで「集団自決を追って」の出所を調べた。すると一九七一年十一月号の雑誌「潮」に特別企画・「沖縄は日本兵に何をされたか 」に掲載されていたことをつきとめた。同時に掲載してあったのが前号の「沖縄内なる民主主義4」に掲載した赤松嘉次氏 (元海上挺進第三戦隊長)の「私は自決を命令していない」である。前号でも赤松戦隊長が自決命令を出していなかったことを証明したが、星雅彦氏の「集団自決を追って」でも赤松戦隊長が自決命令を出していないことを書いている。それだけではない。赤松隊長が自決命令を出していなかったにも拘わらず村民が集団自決をしたいきさつも書いてある。非常に貴重なドキュメントである。
私は星雅彦氏にお願いして、「集団自決を追って」をこの本に掲載させてくれるようにお願いした。星さんは快諾してくれた。それだけでなく、「雑感」を書いてくれた。


雑感
私が沖縄戦に関心を抱き、執筆するようになったのは、一九六九年の夏頃からだ。県資料室長の名嘉正八郎から「沖縄県史」戦争記録の仕事の依頼を受けたのがきっかけである。早速「沖縄県史第九巻 沖縄戦記録1」に収めるための録音・テープお越し、文章化の仕事などに取り掛かった。
 そのためには事務局の方でセットした各市町村へ出向き、戦争体験者たち数人が区長宅へ集められ、座談会形式で戦争体験を収集するところから始めなければならない。
 多くの話者は痛ましい話ながら坦々と語ったが、ためらいがちに訥々と語る人や、思い出しながら切羽詰って涙ながらに語る人も居た。それでも話し終わった人々の顔は、すっきりとした安堵感が漂っていたと思う。
 現在も証言集の作成は続いているが、四十年前とはかなり違っているようだ。昨今、戦争の話の中に政治やイデオロギーが絡み合って複雑な話し手の心境が伺えるのだ。
 例えば、何かの話の内容に疑惑が入り込んでいたり、虚構性の対象にされたりする。事実らしく書いてあっても事実でない場合があったり、嘘っぱちを書いていながら、事実として受け取られる場合が少なくない。
その点からすると、昔の「潮」(一九七一年十一月号)に私が執筆した「集団自決を追って」は率直そのままの記録だと思う。ただ、周辺の革新系の友人たちに多少気兼ねがあったようで、ふがいなくも私は若干逃げ口上を記してしまった。「悲劇の再現とは、口はばったい言い種である。ただひたすら二十六年前(一九四五年)の悪夢を想像してみたままである」と付記したが、それでもその説話スタイルの中に真実が込められているだろうと自負している。
 
 数年前のある日、大田昌秀氏から電話があって、「あの内容は現地で調べて書いたのか」と問われた。私は「泊りがけで調べました」と答えた。大田氏との対話はそれっきりである。
 集団自決を現地で調べた私には一種の使命感があった気がする。
星雅彦

雑誌「潮」一九七一年十一月号
特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
集団自決を追って

ドキュメント
集団自決を追って
星雅彦(作家)

(本稿は私が当時の村長や駐在巡査や若干の村民から取材した集団自決の内容を、私なりにまとめ、悲劇の再現を試みたものである。いな、悲劇再現とは、口はばったい言種である。ただひたすら二十六年前の悪夢を想像してみたまでである)
  目次
砲弾とどろく渡嘉敷島
米軍上陸で動揺する村民
闇の雨中を西山盆地へ集結
"玉砕するしかない"
「みんな一緒に死のうね」
修羅場と化した西山盆地

二十六年前(一九四五年)に、沖縄戦の最初の上陸地点、慶良間列島の中の渡嘉敦島で、想像を絶するような陰惨な悲劇があった。それは、日本の末端の皇国の民の、玉砕という名のもとに引き起こした"集団自決。である――

砲弾とどろく渡嘉敷島

集団自決があったのは、前夜の雨がやんだ後のくもり空が、茂った木の葉の間から見える西山盆地の雑木林の中で、三月二十八日の午後一時ごろだった。
三月二十三日には、初めての本格的な空襲で、村の役場や郵便局が焼けたので、ほとんどの村民はそれぞれの壕に避難したり、荷物を運んだりした。二十四日も空襲で、二十五日には、艦砲射撃も加わって、島は遠く近く砲弾のとどろく音と地鳴りにあけくれた。
夜になって、無気味な静けさの中で、防衛隊が二人、壕の入口まできて、ウシ(三十七歳の主婦)に向かって「阿嘉島にアメリカーが上陸したそうだ」「阿嘉島の人たちは、みんな玉砕したそうだ」と知らせてくれた。三人の子供をかかえたウシは、この渡嘉敷島の暗い運命を予感して、大変なことになったと思った。

古波蔵村長(三十三歳)は、在郷軍人であった。このさい、日本軍に協カして戦いたい気持ちもあったが、日本の特幹隊は遠くトカシクに本部をおいていて、すぐに行けもせず、また彼は家族といっしょに壕に避難していたので、家族のことも気になって、何度も壕を出たりして、若い青年たちを走らせ情報をキャッチすることに努めていた。が、阿嘉島がやられているとは聞いたが、玉砕したとは聞いてなかった。
安里駐在巡査(二十九歳)は、沖縄本島に妻子を置いて単身一月下旬に赴任したばかりで、島の地形も日本軍のこともよくわからなかった。しかし彼は二、三日前から、赤松隊長を探し出すために、トカシクの山の中を歩き回っていた。日本軍の動きはあわただしく、阿波連に向かって移動していたので、馴れぬ山道をあっちこっち歩いたが、二十五日も二十六日も赤松隊長には逢えなかった。

大本営からの阿嘉島は玉砕した(注.誤報であった)という情報は、安里巡査の耳にも入っていた。誰から聞いたかは憶えてないが、とにかく、巡査よりも村民のほうが先に、戦況やそうした近海の米軍の動きなどをよく感じ取っていた。
敵の軍艦が慶良間海峡に侵入していることは山の上から見ればすぐわかったが、大町大佐が阿嘉島から阿波連の海岸に立ち寄ったということは、極秘中の極秘のはずだが、防衛隊が彼に教えてくれた。安里巡査はあせっていた。小学生まで陣地構築に協力してきた村民が、これから先どうあらねばならぬか、安里巡査は赤松隊長に相談したかったのだ。村長も一刻も早く隊長と相談してこいということだった。

翌二十七日も砲弾のとび交う中を、腰にぷらさげたサーベルをカチャカチャ音させて歩き回り、やっと西山のほうへ移動したばかりの赤松隊長の居所をつきとめた。その間に、出会った防衛隊や朝鮮人軍夫や村民から、特攻舟艇の破壊作業のことや、米軍の上陸や、日本軍が迎撃する交戦の模様を、伝え聞いた。
支那(北支から中支)で軍隊生活をおくった経験のある安里巡査は、これまでに阿度か軍隊生活を話題にし、日本軍が「こっぴどく支那人をやっつけた」ことを話したことがあったが、あの残虐なことが、あすはわが身にふりかからねば幸いだがと、ふと不安に思った。なにしろ兵隊たちの間から、米軍の捕虜になったら間違いなく戦車で礫き殺されるという風聞が出ていて、それは疑う余地がないようだった。

ただ一方には、日本が最後には勝つ、という信念があった。がしかし、それは惨澹たる道程の果てに、最終的に勝利の結果を産むという、悲壮な意味を含んでいて、自分たちは犠牲にならねばならぬかもしれぬという気持ちが同居していた。そうした心情は村民の一般的傾向であった。

米軍上陸で動揺する村民

三月二十六日の朝、米軍が阿波連から上陸したことが村民に知れたったとき、村民のほとんどは動揺し、壕から壕へ移動した。

ウシは子供たち(長女十二歳.二女七歳.長男三歳)を連れて、屋敷内の壕から、港に向かって西側の川向こうの山の麓の壕に行った。そこにはすでに二家族が入っていた。その家族の中の十六、七歳になる少年たち二人が、あわただしく出たり入ったりして落ち着かず、しきりに死ぬ覚悟で何かしなければならぬといったりしていた。竹ヤリを持ち歩く姿は、頼もしい感じであった。ウシたちは、ガテカル(嘉手刈)の壕で一夜をあかした。

翌二十七日になると、敵が攻めてくるのが感じられたし、阿波連から避難してきた人たちも敵が押し寄せてきていると話していたので、ウシたちは、ウンナガーラ(恩納川)近くに叔父たちが掘った壕があるのを思い出して、そっちへ向かった。その途中で、山のほうのミーヤーの上のところで、アメリカーが何やら作業しているのが見えた。

ウンナガーラのイチャチチというところの壕に着いたら、叔父や十八歳になるその息子は「いざとなったら、天皇陛下万歳をいって死ぬんだ」と語し合っていた。けれども、敵機の爆音は、ひっきりなしに聞こえるし、遠くから砲弾の炸裂音が近づいてくるように聞こえるので、みんなひどくおぴえていた。ウシは「死ななくても、すむよ、友軍がついているから大丈夫よ」と逆に元気づける始末だった。

安里巡査は、朝から敵機に見つからぬよう隠れたりしながら、午後も夕方近くなって、やっと西山の谷間の日本軍の陣地を探しあてて、そこではじめて赤松隊長と逢った。そこへたどりつくまでに、空襲ですっかり焼けたや山林の中を歩いているとき、安里巡査は沖縄本島にいる妻子の安否を思った。渡嘉敷に赴任してから、一度は宇久校長(沖縄本島出身)といっしょに御真影を保管するために沖縄本島に渡ったことがあったが、あのとき帰ってこなければよかったと、彼は後悔したりもした。

西山のトトンジャーラ(イシッピ川)の奥地の日本軍の陣地は、移動してきたばかりで何もできてなくて、朝鮮人軍夫や兵隊たちが、盛んにタコ壷を掘っていた。陣地壕はまだほとんど掘られてなかった。赤松隊長は、陣地構築の指図をしていた。(注・防衛隊や軍夫や村民の幾人かは、集団自決の後日、壕掘り作業に出ている―小嶺善吉らの証言。二十七日に地下壕内で将校会議か開かれたという記録は間違いで、将校は分散したタコ壺の中か外で戦闘配置についていた。村民をどうこうするという会議を開く余裕はまったくなかった―知念朝睦〈少尉〉の証言)
そこで安里巡査は、赤松隊長に向かって、村民はあっちこっちの壕に避難して右往左往しているが、これからどうしたらよいかわからないので、軍のほうでなんとか保護する方法はないものか、どこか安全地帯はないものか、と相談を持ちかけた。

そのとき赤松隊長は、次のようにいった。島の周囲は敵に占領されているから、誰もどこにも逃げられない。軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、住民は一か所に避難していたほうがよい。場所は軍陣地の北側の西山盆地がいいだろう(注・比嘉喜順、旧姓・安里、元駐在巡査の証言)。そこで安里巡査は早速、居合わせた防衛隊数人に対し、村民に西山盆地に集合するよう伝達してくれと告げた。彼自身も、各壕を回っていい伝えて歩いた。

防衛隊の一人は、古波蔵村長にいち早くほば正確な伝達をした。そして村長からも、同様の伝達が出た。それは人の口から人の口へ、すばやくつぎつぎと広がって伝わっていったが、村民のあるものは赤松隊長の命令といい、あるものは村長の命令だといった。

注(又吉) 四十二年前に、星氏は、赤松隊長が「島の周囲は敵に占領されているから、誰もどこにも逃げられない。軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、住民は一か所に避難していたほうがよい」と言ったと書いている。このドキュメントを多くの沖縄の人々か読んで居たら、「集団自決」に対する認識は違っていただろう。

闇の雨中を西山盆地へ集結

ウシたちの壕には、防衛隊の一人がきて、「村長命令だ、ウンナガーラから西山にのぼれ」といった。そこで迷いながらも、ウシたちはともかく出掛けるしたくをしていた。こんどは三人の防衛隊がきて「もうすぐそこに敵がきている」「みんな西山に登ってください」「村長命令です、西山に集まってください」と口々にいった。その三人の防衛隊は、ウシの弟、モリスケ叔父、ミサトの叔母の妹の夫で、三人とも輿奮してせきたてていた。村長命令とあらば、どんなことでも従うほかはないと、ウシは思った。

ウシたちが恩納川を登って行くうちに、雨はどしゃぶりになった。ウシは三歳の息子をおぶって、七歳の二女の手を引いて歩いた。十二歳の長女(本誌119ページの安座間豊子さん)は、三日分の食糧(米と黒砂糖とカツオ節)を入れたランドセルを背負って、ウシの後につづいた。ウシたちは、ずぶぬれになって暗い谷川のふちを歩き、ときどき滑って水の中へ落ちこんだりした。ぬれた赤土はよく滑るし、もう夜になっていて、何も見えなかった。

ざわめくような足音や、親子の名を呼び合う人声で、多数がぞろぞろ西山へ向かっていることが判った。ウシは長女に三日分の食糧だけを持たせてあったが、一日か二日、西山に避難するつもりだった。後でわかったことだが、ある人たちは、クワやナタやカマを持っていた。それらの農具は、西山で壕や小屋をつくることを予想して持ち運ぱれたのだ。多数が持っていた一メートルほどの棍棒は、荷物を肩にかけて持ち運ぶときに使われた。

恩納川の上流の谷間の上のほうが、西山の盆地だった。日本軍の最後の本部となった陣地は、小高い山を一つ隔てた小さいもう一つの谷間(トトンジャーラの上流)にあった。この二つの谷間の川は、渡嘉敷からは別々に並行しているが、上流に行くにしたがって接近し、西山高地に達するところで、深い谷底に小さい溝のようになって消えていた。西山の頂上の平たんな雑木林は、この二つの谷間の北方にあった。そこが西山盆地で、戦後、村民が玉砕場と称するところである。

その日の、雨の降りしきる夜半、渡嘉敷村の約三分の二の人たちが、ウンナーガーラ(恩納川)にそって苦心しながら北上した。そして、ほとんどが、上流の谷間の林の中で一夜を明かした。そのあたりには、以前に建てた避難小屋が三軒あったが、大多数は身を隠す場所が見つからず、野ざらしであった。ウシたちは、大きな木の葉を手探りで集めて、それを敷いてその上に横になり、眠るともなくうつらうつらしていた。

そのころ、阿波連の人たちは、約一時間遅れて西山にようやく到着していた。その多数は、阿波連から上陸した米軍に追われて渡嘉敷へ向かっている途中で、人々の口から「西山に集まれという村長命令が出ている」と聞かされ、渡嘉敷の人たちの後につづいたのだった。阿波連の人たちのほとんどは、それぞれ山の壕に避難していたが、食糧や衣類などは壕に残したまま、荷物らしい荷物は持たず、手ぶらの人も少なくなかった。また、壕やトカシクの野戦病院に、ケガ人を残してきた人もいた。

一方、渡嘉敷村の女子青年団は、不断から日本軍に献身的につくしていたので、いざとなったら皇国のために死ぬ覚悟ができていて、それぞれ懐中にカミソリを隠し持っていた。また防 衛隊の過半数は、何週間も前に、日本軍から一人あて二個の手榴弾を手渡されていた。いざとなったら、それで戦うか自決せよということであった。

注(又吉) 明治維新により琉球王国から沖縄県になったが、まだまだ古い封建社会のしきたりが強い社会だった。特に地方は琉球王国時代の豪族が明治以後も村の長であった。ウシのような平民にとって村長はリーダーであり支配者であった。村長の命令には従わなければならなかった。今のように自由というものは村民にはなかった。

玉砕するしかない

三月二十八日は曇天だった。木の葉の間から、チラチラと朝の光が見え、まどろんでいた村民は起きて、雨で黄色く濁った谷川の水で顔を洗ったり水を飲んだりした。ウシは弁当箱に水をくんできて、子供たちに飲ませたり黒砂糖をなめさせたりした。食事らしい食事は誰もしなかったし、そんな準備をする余裕も元気もなかった。みんな打ち沈んでいた。こんもりと潅木のおい茂っているその谷間いったいには、見渡すかぎり村民が終結していた。朝の七時ころになって、防衛隊の数人がどなるように、「みんな上のほうに集まれ」「西山盆地に集まれ」と叫んだ。それで村民は命令どおり、そこからわずか二百メートルほど離れた平たんな場所に移動した。

ウシたちが、そこの雑木林にたどり着いたときには、すでに多数の渡嘉敷の人たちが入りこんでいて、みんな十人か十五人ぐらいずつかたまって、地べたにすわっていた。しぜんに肉親を中心に親族同士が寄り集まっていた。後から後からぞろぞろと、阿波連の人たちもつづいて入ってきて、およそ千人の集団となった。それから約三時間、集められた村民はそのまま放ったらかされていた。

その間、集団の一角に、村長を中心にして、郵便局長や校長や助役や巡査や役場の人たちと防衛隊の幹部ら、約十数人が寄り集まって、何やらしきりに協議していた。そのころになると、上空には敵の偵察機がぐるぐる回っていた。茂った木の葉から、ときどき敵機がよぎって行くのが見えた。「これからどうするかという意見を出し合ったが、話し合っていくうちに、玉砕するほかはない、という結論になってしまった。しぜんに、玉砕ということになって、その恐怖感から逃れられなくなった」(比嘉喜順らの証言)

そこで気丈夫な古波蔵村長は、具体的にどういうふうにするか、と話を進展させた。あれこれ意見が出たが、結局、みんなが死ぬにしては、手榴弾が足りないということになった。一人の防衛隊が、「友軍の弾薬貯蔵庫から、手榴弾を取ってきましょうか」と申し出たことから、それに一決して、不断から親しく兵隊と接触している防衛隊三人が出掛けることになった。

それから一時間後に、防衛隊によって、ひそひそと村民に「玉砕する」話がひろめられた。村の指導者たちは、バラバラになって、それぞれの家族や親戚の人たちに、「やさしく説得するように」玉砕のことを話した。阿波連の防衛隊たちは、少し離れて散在しているの人たちに、もっと中心に寄り集まるようにいい伝えた。

集まった村民は、恐怖に打ちおびえながらも、静かに親族同士で輪になってすわった。渡嘉敷の人たちは、比較的に荷物を持ち運んできていたので、死ぬ覚悟を決めて着替える人が少なくなかった。が、集団のはずれにいる人たちの中には、まだ暖昧な気持ちで、これから何が起こるか、何もわからず、集団自決を予想だにしない人たちがいた。

古波蔵村長は、次のような理由から、駐在巡査を通じて赤松隊長から玉砕命令が出たにちがいないと、ひそかに思っていた。西山にきて協議の緒果、いわぱ自発的に玉砕することになりはしたが、昨日、安里巡査一人が赤松隊長に逢ってきた結果、集合が決まったこと、それから安里巡査は一人死ぬのを避けるふうに、「自分は村民の玉砕を見とどけて、軍に報告したい」(米田惟好<当時の古波蔵村長>の証言)といって、いざというときには少し離れたところに彼一人立っていたというのである。(注・米田惟好の解釈―軍は持久戦を考えて食糧確保のため、村民に対し「ロベらし」「足手まとい」だと思ったにちがいない)

注(又吉) 村長、郵便局長、校長、助役、巡査、役場の人たち、防衛隊の幹部らが協議して集団自決を決めている。村長など地位ある人たちの多くは武士の子孫であっただろう。日本軍が勝利するためには村人が自決したほうがいいという選択をしたのはあり得ることだった。

「みんな一緒に死のうね」

「アメリカーが上陸して、家も焼かれてしまったし、帰るところもないし、どうせ死ぬならみんないっしょのほうがいい」とウシの弟の防衛隊が話しているとき、安里巡査がきて、「手榴弾が破裂するときは手にしっかり握っていたほうがよい」と助言した。それから間もなくして、古波蔵村長がみんなの中央に立って、「敵にとり囲まれてもう逃げられないから、玉砕しなければならない。大和魂をもって天皇陛下万歳をとなえ、笑って死のう」と、声をふるわせながらいった。

急にしーんと静まり返った。ウシはその気になって、誰かが持ってきた茶わんに水を入れて、みんなの前に差し出し、「みんないっしょに、あきらめて、死のうね」といい終わるか終わらないうちに、遠くで誰かが「発火用意、打て!」と叫ぶと同時に、ぱあーんぱあ-んぱあーんと、つづいて手榴弾の炸裂音が聞こえた、ウシはわなわな震えがきて、水をこぼしたとき、急に耳を強く打たれたようになって、何が何やらわからなくなった。

ウシが気がついたときには、彼女自身は三歳の子供を抱いたまま僻せになっていた。目の前に倒れている二人の娘も無傷でねぼけたような顔で起き上がった。が、手榴弾を持っていた弟は、断末魔の様子で、血だらけの片手をがたがたふるわせて倒れていた。その背後には、弟の妻が、両眼をほおの上にとび出させたまま、死んでいた。

ウシはわが目を疑い、からだをまるめて俯せたままで、まわりをながめた。と、たくさんの死体がころがっているのを見届けると同時に、まったくとつぜん、鳥が泣き叫ぷようないやな声が入り乱れて聞こえてきた。

「アキサミヨーアキサミヨー」(感嘆詞)「母ちゃんよー母ちゃんよー」「アンマーヨーアンマーヨー」(母親の呼称)と悲痛におおぜいが叫んでいた。頭上からはブーンブーンブーンと敵機の爆音が響いていた。ウシは動転し、しばらく目をとじていた。が、ふたたび周囲を見まわした。手榴弾を破裂させた弟は死に、そのすぐ側にいた自分たちは無事だったのだ。そして、まわりにいた親族の七、八人は即死していた。それからウシは、何やらうめきながら逃げて行く集団を見た。

赤い血を鮮明につけたケガ人たちや、恐怖のあまり泣き叫ぶ女子供たちをまじえて、約三百人あまりが、わさわさ押し合うようにしてそこから立ち去って行くのだった。その逃げて行く集団の中に、郵便局長と村長がいるのがはっきり見えた。

……集団自決の場所から群をなして立ち去ってきた約三百人は、日本軍の陣地のほうへ向かってなだれたが、三百メートルも行かぬうちに、米軍の迫撃砲の攻撃を受けた。米軍の砲弾は、どこからくるのか判然としなかったが近くでどんどん炸裂した。その破片にあたって即死したものが幾人かいた。弾にあたって郵便局長の妻も倒れて死に、局長は子供を背負わなければならなくなった。その集団は、そこで立ち往生したまま、騒いでいた。

村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)

おりしも助けを求めてなだれこんだその集団は、日本軍陣地の百メートル近くまできていた。日本軍は戦闘配置についていたが、発砲は自滅に等しいとみて、ただ敵の様子をうかがっていた。そこへ泣き叫ぶ村民がなだれこんできたので、追い払うために、将校は一様に抜刀して威嚇した。たちまち村民は悪夢からさめたように静まりかえり、恩納川の谷間へと散り散りに去って行った。

修羅場と化した西山盆地

一方、西山盆地では、ほとんど無傷でいた阿波連の人たちの間から、無残な殺し合いが始まっていた。それは三百人の集団がアラシのように立ち去った直後だった。遠くで、迫撃砲が激しく炸裂するのを、生き残っている多数の村民は上の空で聞きながら、ある人たちはナタやガマを借りて生ま木を切って棍棒を作っていた。その側で、母や妹や弟を、青年になった息子が、ベルトでつぎつぎと締め殺していた。また手榴弾で死にそこなった渡嘉敷の人たちの間では、持ってきた農具がそのまま凶器に変わって、血縁へ向かって理解しがたい怨念を打ち出すように、妻子を惨殺しはじめた。

ウシたち親子四人は「ここは地獄だ、早く逃げよう」と、いったんそこから立ち去りかけたが、血相をかえた阿波連のお婆さんたちが下のほうからきて「下からオランダー(外人)が登ってくるよ、いまに耳や鼻を切り取られるよ」といわれ、こわくなって舞い戻った。アメリカ人につかまることへの恐怖感がつのった。ちょうど十メートルぐらい離れたところに、夫の妹たちが生き残っていて、茫然とすわっていた。そこには、ケガして歩けない人たちが二十人ぐらい集まっていた。ウシたちはそこへ助けを求める気持ちで行った。すぐ側で、イノハさん(医者)は、不発弾の手榴弾を何度も石にたたきつけていた。

彼はあきらめて、それを投げ捨て「何かないか」とキョロキヨロしていた。そのとき小学生の息子が、「お父さんポク肥後ノ守があるよ」と小刀を出した。するとイノハさんは、「お母さんからね」というとすぐ、自分の妻の首を切り、それから息子と娘の首も、つぎつぎと切って、見ているまえで、彼は木の股に小刀をはさんで、自分の首を押しあててずっと刺しこみつづけた。そして急にガクンとぐったりなってころがり倒れた。

それが契機となって、隣の家族は、急に殺気立って、妻がおびえている夫を叱った。「日本人じゃないの! あんた男のくせに殺しきれないの!」と中年の女は、ナタを振り上げ、すわっている四、五歳の女の子の頭をめった打ちにして殺し、それからうなだれている夫を、「エイ、エイ、エイ」と叫びながら同様に打ち殺した。すると連鎖的に、老人が孫の頭をつかんで、カマでその頸動脈をかき切った。血が倒れた首から噴き上げた。

「アキサミョー」(感嘆詞)「私も殺してください」とウシは思わず叫んだ。だが老人は、振り向きもせず黙って木に登り、首つりのしたくをするのだった。

ウシが気が変になったように、「クルチ、クミソウリ」(殺してください)と小声で繰り返し言っているとき、七歳になる二女は「死にたくない、死にたくない」と泣き叫んだ。長女は妹を腹の下に隠すように押えつけ、ただ恐ろしさのあまりじっとしていた。そのとき、阿波連の青年たちがワイワイ騒ぎ立てながら走ってきた。血の気のない顔で、彼らは何やら奇声をあげ、まだ生きている人を探し出しては、持っている梶棒で撲殺するのだった。

その中の金城重明(現牧師)という十六歳の少年がウシの側へ近寄ってきた。学校で成績がよいと評判の少年だった。彼は立ち止まった。と、いきなり直径十センチぐらいの棍棒を振り上げ、「まだ生きているのか!」と叫び、妹を抱き押えて後込みしている長女の頭へたたきつけた。ギャツという声が短く走り、頭から血が流れた。少年はもう一度たたきつけた。娘たちは動かなくなった。それから少年は血走った目をむいて、ウシを見た。ウシは祈るように、「重明……」と小声でいって目を閉じた。ガーンと頭が割れるような音がした。ウシは額の上を二度叩きつけられるのを感じた後、意識を失った。

何時間かたって、ウシも長女も意識を取り戻した。夕方間近くなっていた。周囲は死者ぱかりだった。首つり自殺をとげた死体が、十五、六人、潅木にぶらさがっていた。二女は痴呆状態になってすわっていた。ウシが抱いていた子供は、口がほおのところへ移って顔がゆがんでいた。ウシの額に振りおろされた棍棒は勢いあまって子供の顔にもあたったようである。

ウシは急にわれに返って、娘に、「水をくんできて」と叫んだ。娘はふらふら立ち上がり、ころがっている薬カンを拾って、水をくみに行った。その間、ウシは自分の顔いっぱいについている血糊をソデでふき、割れた前頭部からまだ血か流れるのを防ぐために、湿った赤土を取って傷口に塗りこんだ。それから娘がくんできた水を、抱いた子供の顔にかけた。すると子供は全身ひきつらせ、顔をぶるぶるけいれんさせて、元に戻った口から血のアワを出した。「生き返ったよ」と、ウシは思わず笑顔になった。

それからウシたち親子四人は、なんとか生きようと思い、谷間のほうへ下りて行った。

                終わり

 星雅彦氏のドキュメントは集団自決の現場の人物をリアルに描いている。集団自決をした理由はそれぞれの立場や思想や感情の違いがあり複雑であった。

〇古波蔵村長(三十三歳)
「玉砕しかない」「敵にとり囲まれてもう逃げられないから、玉砕しなければならない。大和魂をもって天皇陛下万歳をとなえ、笑って死のう」

古波蔵村長は在郷軍人であった。彼自身が熱烈な軍国主義者であっただろう。彼にとって戦争に勝つのが最大の目的であった。勝つためには日本軍の足手まといになる村人は自決しなければならないと考えた。

〇ウシ
「みんな一緒に死のうね」「アキサミョー」(感嘆詞)「私も殺してください」
 軍国主義の教育を受けていない。あるいは影響を受けていない人であった。しかし、上の人の命令は絶対であると考える琉球王国時代の農民の思想を持った人である。ウシにとっては村長の命令は絶対であった。村長の命令があったから自決しようとしたのである。しかし、ウシには自決しなければならない理由を心から理解することはできなかった。ウシにとっては強制された死であった。強制された死では自決することはできない。だから人に殺してもらおうとした。

〇村の女
「「日本人じゃないの! あんた男のくせに殺しきれないの!」

軍国主義教育の影響を受けた人である。国のために死ぬのが日本人としての誇りであると教えられ、それを信じた彼女は日本人になろうとして自決をしたのである。

〇医者のイノハさん
「何かないか」「お母さんからね」

エリートであるイノハさんは軍国主義国家では軍国主義に従わなければならないと考えていただろう。エリートであるがゆえに軍国主義を理解し、軍国主義に従ったのである。

〇渡嘉敷村の女子青年団
不断から日本軍に献身的につくしていたので、いざとなったら皇国のために死ぬ覚悟ができていて、それぞれ懐中にカミソリを隠し持っていた。
 軍が政権を握ってからは軍国主義教育はますます強化されていく。若い人たちほど軍国主義教育の影響を強く受け、国のために自決する思想は強かった。

〇防衛隊
何週間も前に、日本軍から一人あて二個の手榴弾を手渡されていた。防衛隊員も女子青年団と同じであった。

〇金城少年
「まだ生きているのか!」

成績が優秀であったがゆえに軍国主義教育をうのみにし軍国主義少年になった。国民は天皇ため、国のために死ぬと教えられ、それを心の底から信じていた。教育の責任の重さを知らなければならない。

〇赤松隊長
「そんな武器は持ち合わせてない」

マルレで敵艦に特攻して死ぬために渡嘉敷島に来た赤松隊長は若干二十五歳の若き日本軍将校であった。軍人は天皇陛下と国のために戦うという信念の強い彼は米軍と戦うことしか念頭になかった。国民である村人は軍隊が守るという考えだったから集団自決は赤松隊長にとっては考えられないことだった。

 渡嘉敷島の集団自決が起こったのは軍命令があったからではない。日本が軍国主義国家になったこと、軍国主義教育が浸透していったこと。米国との戦争で敗北していったこと、渡嘉敷が離島であったこと、沖縄の古い思想が残っていたことなどが複雑に絡まって起こったのだ。集団自決の場では多くの人間模様があり、自決の原因もそれぞれに違う面があった。

 日本の勝利のためには「村人の玉砕しかない」と村人を集めて、真っ先に自決しようとした古波蔵村長であったが自決に失敗した。その後は再び自決をしようとはしないで戦争を生き延びている。人間には死の本能はない。生の本能がある。「命どぅ宝」である。自分で自分を殺すというのは人間の本能に逆らうことであり、そのためにはぎりぎりまで自分を追い詰めなければできないことである。大変なエネルギーが必要である。自決に失敗した村長たちにもう一度自決をするというエネルギーは残っていなかった。だから生の本能によって生き延びたのである。
軍国主義思想、軍国主義教育、沖縄の古い思想が入り混じった離島社会に米軍が進攻して起こった悲劇が慶良間島の集団自決であった。軍命令で集団自決をしたというような単純なものではなかった。集団自決の現場は自殺と殺害が交錯した凄惨な修羅場であった。
集団自決の深層に素直な目で入っていきそれを受け止めることが私たち沖縄人のやるべきことである。

最近、沖縄二紙やマスコミでは「『集団自決』(強制集団死)」という表現をするようになった。強制集団死とは軍が強制したから「集団自決」をしたのだという意味である。「集団自決」という表現では、自ら死んだという印象が強く、軍の強制で死んだというイメージが弱いと考え、軍の命令で死んだという印象を強くするために(強制集団死)を使っているのだろう。
自決の思想を浸透させた戦時中の教員、公務員、政治家、識者などの責任を回避し、集団自決の真実から目を背け、なにがなんでも日本軍に責任を押し付けようとして(集団強制死)という文言がつくられた。

自決は人間の生の本能を断ち切る極限の決断であり非常に重いものである。(集団強制死)は日本軍の命令に自決した人々がロボットのように従った印象を与えるものであり、集団自決の真相に蓋をするものである。人間の生の本能を軽視するものである。
(集団強制死)が集団自決を軽視した残酷な文言であるあることを知るべきである。
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星編集長の対談の後半カットは現実となるのか

星編集長の対談の後半カットは現実となるのか






星雅彦氏は去年「沖縄文化功労者」を受賞している。星氏の名詞には「浦添市文化協会会長」「国際美術評論家連盟会員」「日本ペンクラブ会員」「日本現代詩人会会員」「日本詩人クラブ会員」が書かれている。「浦添市文化協会会長」は今年で辞めたらしい。

名詞の肩書で分かるように星氏は文学や美術に精通していて、その関連で沖縄県の文化発展に寄与してきた。特に沖縄の美術界を発展させた功績は大きい。

星氏は政治には無関係なところで活動してきた人である。だから県や浦添市でも受け入れられてきた。
しかし、「集団自決に軍命令はなかった」と発言するようになってから、状況が変わってきた。星氏を革新は忌み嫌うようになった。タイムスや新報からも干された。
「集団自決に軍命令はなかった」を繰り返す星氏の口封じを革新は画策したのだ。それがうらそえ文藝の対談の後半部分をカットすることだった。

一昨日、星氏はK氏と会い、後半部分も掲載するように交渉したが、「編集委員会の決定」を理由に受け入れなかったそうだ。

革新の陰謀はいたるところに張り巡らされていることを実感せざるを得ない。

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星編集長の言論封殺は革新の陰謀

星編集長の言論封殺は革新の陰謀

 二〇〇九年の上原正稔氏との対談は沖縄言論界に大きなショックを与えた。
集団自決に軍命令はなかったと、上原氏だけでなく星氏も語ったのである。
星氏は長年県や浦添市の文化の発展に貢献した人である。多くの人が星氏に敬意を持っていて、星氏の発言の影響は大きい。
その後も星氏は「集団自決に軍命令はなかった」と主張し続けている。星氏に動揺したのが県や市に巣食う革新連中である。

うらそえ文藝の目玉である対談の後半をカットするというえげつない方法で星氏の口封じをやったのである。
星氏は今年で浦添市の文化委員長を辞めている。なぜ辞めたのかは知らない。高齢が原因なのか「圧力」が原因なのか・・・・・。
「来年はうらそえ文藝の編集長でなくなるかも知れない」と漏らしたことがあった。
星氏の対談の後半カットに編集委員の中の一人以外はみんな賛成したという。「みんなK氏の味方になっている」らしい。星氏は編集委員会での孤立に嫌気がさしている。

二か年連続で対談の半分をカットされたのでは星氏がうらそえ文藝の編集長で頑張る意味がない。このままだと星氏がうらそえ文藝から去る可能性がある。

革新の狙いはそこにある。「集団自決に軍命はなかった」と主張し続けている星氏の発言の場を奪うのが革新の目的だ。陰湿なやり方である。
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