沖縄の知識人は民主主義を理解しているのか

 復帰35年を迎えた沖縄の課題

  民主主義実現の一歩に
             星野英一(琉球大学教授)

 星野氏は沖縄住民をないがしろにする動きが顕著」であり「民主主義」が風前の灯であるという。
 沖縄は祖国復帰してからは日本国憲法の下にあり、議会制民主主義国家の一員となっている。法律上は沖縄の「民主主義」が風前の灯である根拠はどこにもない。

 星野氏が「民主主義」が風前の灯である根拠を

1、教科書検定意見で軍命なしとされたこと

2、辺野古の新基地建設に向けて、正式なアセスメント手続きを無視した「調査」を強行するために自衛艦を投入した

3、国民投票法案が成立したこと

4、地方や教育現場に対する国の関与をもたらす教育改革関連法案を成立させたこと

5、県民は普天間飛行場の移設を「県内」以外の移転を望んでいるのに県内移転の方針を変えない。

6、県と政府が共同で進めてきた振興策も、米軍再編推進法によって「出来高払い」の「アメとムチ」のやり方になったこと。

以上の点を上げている。「研究者、芸術家ら幅広い層の五十人の有志」の意見のわりには斬新な内容はひとつもない。いわゆる自民党と対立しとている革新政党とまったく同じ意見である。つまり政治の臭いがぷんぷんする意見であり、研究者や芸術家の臭いが全然しない。

 星野氏の意見をつきつめて言えば政権を握っている自民党の政治は民主主義ではないということである。日本の政治は国会の過半数を制した政党が政治の主導権を握るしくみになっている。それは民主主義の基本であるし国会の過半数を制している自民党の政治は民主主義政治である。

「教科書検定意見で軍命なしとされたこと」は教科書検定の問題であり、それは学問的に微妙な問題であり、「軍命なし」とされたことが民主主義の危機だと思うのは被害妄想である。
 
「辺野古の新基地建設に向けて、正式なアセスメント手続きを無視した「調査」を強行するために自衛艦を投入した」ことは民主主義国家として自衛隊が「調査」に加わるのが正当であるかどうかは問われなければならない。だが、星野氏は辺野古建設そのものに反対している。辺野古建設は民主主義に反してない。「調査」に自衛隊が参加したことは小さい問題である。

「国民投票法案が成立したこと」は憲法改正の手続きが現実的になったのだから民主主義に大きく前進したのである。国民の過半数の賛成で憲法が決めるのは民主主義の根幹である。「国民投票法案が成立したこと」に危機感を抱く星野氏は民主主義を曲解している。星野氏の思想が実現することが民主主義であるという妄想が星野氏にはある。でも、星野氏は少数派である。少数派の思想が実現するというのは非民主主義の思想である。

「県民は普天間飛行場の移設を「県内」以外の移転を望んでいるのに県内移転の方針を変えない。」と星野氏は政府やアメリカを非難しているが、国際状況と関係する沖縄のアメリカ軍事基地を国際状況に無頓着な「県民」の希望だけで決めることが民主主義であるという星野氏はおかしい。
 普天間飛行場の県外移転は現実的に困難である。アジアにおける軍事力学の歴史、国際政治の現実を見れば困難であることは理解できる。星野氏の主張は沖縄の土地は沖縄人のものであるから沖縄人が自由に使うべきであるという、身勝手な思想から出たものである。
 それに県民が県外移設を望んでいると断定しているが、県民でも私のように現実の国際情勢を考えると県内移設は仕方がないと考えている県民も多い。星野氏の「県民」は星野氏にとって都合のいい「県民」である。

「県と政府が共同で進めてきた振興策も、米軍再編推進法によって「出来高払い」の「アメとムチ」のやり方になったこと。」は政府が取るべき政治手腕であり政府の当然の行動である。。地方は政府の援助と政府の要求をてんびんにかけて、地方にメリットがなければ断ることができる。地方が政府と対峙する基本が確立できたのだ。
 それを「アメとムチ」論で否定的に考えるのは中央と地方の関係のあり方を考えていないからである。

 以上、検証したように星野氏の主張はは沖縄ナショリズムであり、まるで自分が沖縄の代弁者でもあるよう沖縄のわがままを主張しているにすぎない。

 民主主義政治における地方と政府の関係のありかた、国際情勢への対応のあり方などは星野氏は追求していない。ただ沖縄の不幸を嘆いて、国会で過半数を占めている自民党イコール国とみたてて「国」の政治に反発しているだけである。

 民主主義の一歩にならない星野氏の意見である。




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