嫌いな言葉「総意」




 沖縄の輸移入は1 兆7,230 億円であり、輸移出は8.444 億円である。毎年沖縄から1 兆7,230 億円の金が出て行き、8.444 億円が入ってくる。輸移入と輸移出の差は8786億円である。毎年8786億のお金が沖縄から減っていくことになるが、沖縄に莫大なお金があるわけではない。毎年8786億円という莫大な金が沖縄から出て行くというのは輸移出意外に沖縄にはお金が入ってくる仕組みがあるということである。そのひとつが観光である。観光収入は4000億円である。観光収入は全額が沖縄の収入とはいえない。観光客が買ったり食べたりする商品には本土から購入したものがあるし、車や電気をつくる石油などは本土や外国から輸入する。観光収入の4000億円のうち3割のお金は外に出て行くとしたら沖縄に入るのは2800億円になる。次に政府から県に交付される交付金がある。今年は合計で2900億円だという。観光収入と交付金を合わせると5700億円である。まだ、8786億には足りない。軍用地料や軍雇用員など基地関係の収入が3000億円と言われている。

 観光収入、交付金、基地収入の合計は8700億円となる。輸移入と輸移出の差の8786億円に近い。大雑把ではあるが、 観光収入、交付金、基地収入が輸移入と輸移出の差額の8786億円を補っていることになる。

 基地収入は実質的には観光収入より大きく沖縄経済を大きく支えている。3000億円という莫大な基地経済に代わる輸出産業をつくりだすのは至難である。サービス業は基地経済に代わる産業にはなれない。基地経済に代わる産業は移輸出できる一・二次産業でなければならない。またはコールセンターのように本土の企業からお金を得る企業でなければならない。

 基地経済は実質的には観光産業よりも高い沖縄トップの産業なのである。基地経済から脱皮するのは非常に困難であり、基地経済からの脱皮を軽率にはいえない。基地経済のからの脱皮はもっと真剣に考えるべきだ。沖縄の産業は90%がサービス業であるのは基地経済が大きく影響している。

 仲村清司氏は「なりふり構わない行為」を人間社会のなかで、もっとも下劣な品行であると考えているといい、下劣の最たるものが「北部振興推進・名護大会」であると述べている。「一括交付金3千億円は普天移設とリンクしている」というあからさまな発言に対して、「要するに基地の見返りとして要求したわけだが、これこそなりふり構わない暴言であろう。なんとなれば、普天間基地の移設(新設)反対は県民の総意なのである」と述べている。

 北部の土建屋は仕事がなくて青息吐息状態だ。彼らは辺野古移設に一縷の望みを持っている。彼らは辺野古移設を希望しているのではない。彼らがほしいのは基地ではなく仕事がほしいのだ。そのことは理解するべきだ。しかし、沖縄の政治も経済界も彼らに仕事を与えることができない。
彼らが基地の見返りにお金を要求しているというのは誤解だ。彼らがほしいのは仕事であって基地の見返りではない。彼らは好き好んで基地建設をやりたいわけではない。公共工事を主にやってきた北部の建設会社は公共工事が極端に減り、仕事がない状態が続いている。彼らにとって辺野古移設で仕事にありつけるかありつけないかは死活問題なのだ。もし、辺野古移設がなかったらほとんどの建設会社は倒産してしまう。追い込まれた彼らの発言を下劣だと非難するのは彼らの困窮を理解していない。

 仲村氏は「普天間基地の移設(新設)反対は県民の総意である」と述べている。本当に県民の総意なのか。
 一体「総意」というのはなんなのだ。
 「総意」はアジア情勢をちゃんと知っているのか。ベトナム、フィリピンが中国と緊迫した状態であるのを憂慮しているか。それともベトナムやフィリピンは「総意」にとってどうでもいいことなのか。「総意」は中国、北朝鮮の政治・軍事について真剣に研究したことがあるのか。「総意」は北朝鮮拉致をどのように考えているのか。沖縄とは関係ないから関心がないのか。「総意」は沖縄の基地経済を真剣に考えているのか。「総意」は軍用地料があるお陰で過疎化からぎりぎり救われている村があることを知っているか。「総意」はやんばるの過疎化がどんどんすすんでいるのを知っているのか。「総意」は辺野古区が過疎化しないために普天間移設に賛成しなければならない苦渋を知っているか。「総意」は辺野古移設反対の主導者が共産主義・社会主義者であり、反米反基地を最有線して沖縄の人々が豊かになることには無関心であることを知っているか。「総意」は日本国民の過半数が沖縄内移設に賛成しているのを知っているか。「総意」は戦後66年間沖縄が戦争に巻き込まれなかったのは米軍基地があったからだと知っているか。「総意」は辺野古移設に賛成でない者は県民から除外するのか。

というわけで、「総意」は思慮不足である。

 総意という言葉は反対者を封じ込める革新系の用語だ。「総意」「民意」は革新系が多数派のときに多用する。少数派の時は「少数の意見をとりあげるのが民主主義」「少数に真実あり」「数の暴力」などの用語を多用する。仲村氏は革新系の用語の世界に引き込まれたらしい。

「普天間移設と北部振興はリンクしている」「北部振興は普天間移設が前提で、これがないと北部に金は流れない」「一括交付金3000億円は普天間基地とリンクしなければならない」は暴言ではない。事実だ。 稲嶺名護市長が辺野古移設に反対したから北部に流れる振興交付金が止まった。沖縄に基地があるから交付金は多いし、酒税、石油税などの税の優遇措置がある。県、市町村の公務員の給料が高いのも基地経済が影響している。

 仲村氏は「北部振興推進・名護大会」に結集した人たちを批判しているが、彼らに仕事を与えることができない名護市や県の責任のほうが大きい。那覇市を中心にした都市部に沖縄の人口と冨が集中し、北部は過疎化がどんどん進んでいる。北部の過疎化に県はなんの手も打てていない。仕事にありつけないで、、生活に困窮している北部の建設業界が辺野古移設を歓迎するのは当然のことだ。

 中国は政情が安定しているわけではない。内乱が起こる可能性もある。アジアの安定のためにはアメリカ軍は必要であるし、アジアにアメリカ軍が駐留している間は沖縄にヘリコプター基地は絶対不可欠だ。辺野古基地は必要だ
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木を見て森を見ず



 




 「玉津氏、議事録改ざん」という大きな見出しが沖縄タイムスの一面に大きく乗った。
新聞は「7月に開かれた協議会連絡会の会議録にある自身の発言を一部改ざんしていたことが20日、市関係者への取材で分かった」と書いている。どんなひどい改ざんかと思いきや、「全部は見れないでしょうということであれば・・・」と会議録には書いてあるが、音声記録では「全部はみれないでしょう」と述べていて、会議録と音声記録が違うというのを「議事録改ざん」と大きな見出しで載せたのだ。そして、委員が全9教科15種目(130冊以上)を購読するのは玉津氏自身も認識していたということを非難しているのだ。たったこれだけのことで、新聞一面に載せるのか。新聞社も玉津教育長攻撃がねちねちしていてしつこいねえ。


 玉津教育長は調査員の順位付けを否定して委員が全教科書を読んで委員の判断で採択することを主張した。すると順位付け通りに採択するのを主張したある委員は全9教科15種目(130冊以上)を読むのはできないと主張した。玉津教育長の説得にその委員は一歩も引かなかった。
 協議会委員が教科書を読むという玉津教育長の提案は八重山教育史上初めてのことであり、その委員は仕事があるとかの理由もつけながら教科書を読むことを頑として受け付けなかった。玉津教育長はその委員の反発にほとほと困ってしまった。

 八重山採択地区協議会の委員長である玉津教育庁としては最後に教科書採択をしなければならない立場がある。沖縄の他の教育委員会では教科書を読んでいないのになぜ八重山だけが教科書を読まなければならないのだと玉津教育長に食って掛かってもいる委員を教科書を全部読むようにいつまでも説得するわけにはいかない玉津会長の苦しい立場がある。説得するのを諦めた玉津教育長が弱気になって「全部は見れないでしょう」と思わず言ったとしても責めることはできない。

 新聞は「改ざん」を強調しているが、議事録も音声記録も公開している。音声記録を公開していなければ故意の改ざんといえるが、両方を公開しているのだから故意の「改ざん」というのは微妙だ。

 玉津教育庁とある委員の対立の問題は、調査員の順位付けに従って教科書は見ないで採択するか、それとも調査員の順位付けには従わないで委員が教科書を読んで委員の意思で教科書を採択するかという問題であり、「改ざん」問題は枝葉の問題だ。

 新聞の巧妙な「改ざん」がある。
 玉津教育長が「全部は見れないでしょう」と言ったのは全部の教科書は読めないと言い張る委員一人に言ったことであり、全委員に言ったことではない。ところが新聞は「全部はみれないでしょう」という玉津教育長の発言を、全委員が全教科書を読むのは難しいことを玉津自身も認識していたというとニュアンスに解釈を変えている。1人の委員に言ったことを全委員が全教科書を読むのが難しいと玉津教育長が認識していたと書いてあるのは新聞社の改ざんである。

 しかし、こんなみみっちいことまで取り上げて、「そこまでするか」「教育者として資質を疑う」「そこまでして育鵬社版を採択したかったのか」と反育鵬社版の人たちの反発を載せているが、こんなみみっちいことに怒り心頭になるのはよっぽと反右翼・反育鵬社の思想が強い人間たちであろう。一般の人たちがそこまで言うのは考えられない。
「議事録改ざん」は育鵬社の教科書を採択してからずっと後のことであるから、「そこまでして育鵬社版を採択したかったのか」という非難は間違っている。あまりにもひどい批判であり、このような批判をしているのは特殊な思想の持ち主たちだけであると予測してしまう。

 玉津教育長としては「教科書をちゃんと読んで選定できる委員」を選びたかっただろう。しかし、各市町の教育長と教育委員長は協議会のメンバーにしなくてはならない。現実的には、玉津教育長の望む委員を集めるのは無理だった。
 「教育長の『教科書をちゃんと読んで選定できる委員を選んだ』という前提がうそだった」というのは事実だ。でも、委員でありながら教科書を読まないなんて最低の委員だ。委員の資格がない。読めないと主張するのではなく、さっさと自分で委員を辞退するべきたった。

 教科書を読まないことを主張する委員を擁護するような新聞記者はどうにかしている。玉津教育長を非難するためにはなんでもやるということなのだろう。

 議事録テープも公開している。議事録とテープに違いがあったとしても両方とも公開しているのだから、悪意の改ざんとはいえない。違いをを指摘して軽い批判ですましてもいいはずだ。ところが新聞は、たったこれだけのことまで玉津教育長をうそつき呼ばわりして信頼できないと主張する。こんなにまで非難するのは異状だ。
 それに議事録とテープの公開は教科書の採択が終わってからである。育鵬社の教科書を採択したこととは全然関係ない問題だ。見出しの「改ざんしてまで」は、まるで育鵬社の教科書を「改ざん」という卑怯な手を使ってまで採択したようなイメージを与える。この見出しにはなにがなんでも玉津教育長を貶めようとする悪意を感じる。
 
 森の中の木をひとつひとつ調べてけちをつける。もう、森全体は全然見えないのだろう。


 記事は、「玉津教育長は学力向上プロジェクトを進めているが、このままでは学校と教育委員会の距離が、どんどん離れていくのではないか」と保護者の男性が不安視したと締めくくっているが、こんなたった一箇所だけのみみっちい「改ざん」問題で学校と教育委員会との関係を不安視するような保護者は滅多にいないだろう。記者は滅多にいない保護者をよくぞ探したものだと感心する。それとも記者の直ぐ近くにいる人間だったりして。架空の人間であるかも知れない。

 玉津教育長は学力向上プロジェクトを進めているという。素晴らしいことだ。学力向上プロジェクトは教員が一番嫌うプロジェクトだ。だから、沖縄の教育委員会が学力向上プロジェクトをやったことはない今までない。成功するには大変な努力が必要だろう。

 1970年代に大浜方栄氏が「教師は学力低下の最大責任者」と発言して、教育界に問題を投げて、沖教祖に猛烈な反発を食らったことがあった。保護者は大浜氏に大賛成で、大浜氏は真っ向から沖教祖と論争をした。テレビ討論もあり沖縄だけでなく本土でも大きな話題になったが、結果的に沖縄の教育はなにも変わらなかった。学力向上は教師にとって負担が大きいのでやりたくない。学力向上をやらなための沖教祖は理論武装もしている。

 最近ではフィンランドの教育が話題になり、政治家や教育関係者、知識人がフィンランドにまで行ったりしてフィンランド教育について大いに賑わった。しかし、賑わったのは世間やマスコミだけで現場の教師は知らん振りだ。秋田県が連続学力全国一位になったので県教育庁は秋田県の教育を研究するような素振りを見せたが、本当にそれは素振りだけ。現場の教師は知らん振りだ。

 学力向上プロジェクトに本気で取り組んでいるのが橋下市長だ。橋下氏長は府知事の時に、高校の授業料は公立、私立に関係なく無料にし、学区制を廃止した。そして、定員に満たない高校は統廃合することにした。これは教育界へのものすごい爆弾だ。大阪の高校の校長も教師も必死になって生徒を教えるようになるだろうな。

 玉津教育長の学力向上プロジェクトが八重山の教育を変えることができるか、どうか。ものすごいエネルギーを使わないと成功はしないことは確かだ。
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うんざりも心休まるくされ縁・九百七十一~九百七十三句

九百七十一句





九百七十二句





九百七十三句




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