キャンプ・シュワブの加藤登紀子と山城議長を考察する




第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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キャンプ・シュワブの加藤登紀子と山城議長を考察する

 キャンプ・シャワブに加藤登紀子と古謝美佐子が来て、山城議長と歌と弁舌で感動な場面が展開された。二人の一流の歌手がキャンプシュワブに集まった人々を励ましたのである。感動的な情景である。私は大衆運動が好きであるし、純粋な大衆運動であれば私も感動しただろう。その時の感動的な展開の様子を批判するというのはケチつけのようであり、本当はやりたくない。しかし、歪んだ運動を批判するためにはやらなければならない。

 辺野古基地建設は普天間飛行場を移転するのが目的であり、新基地建設ではない。米軍基地の拡張ではないし、基地強化でもない。基地強化なら普天間飛行場でもできることである。辺野古基地が建設できなければ普天間飛行場が固定化してしまう。普天間飛行場を固定化しないための辺野古飛行場建設である。
 埋め立ては辺野古崎の沿岸部だけであり、大浦湾や辺野古の海を埋めるのではない。そして、ジュゴンは大浦湾に棲んでいないし、サンゴが破壊されることもない。辺野古基地建設は宜野湾市民の命の危険を救い、騒音被害をなくすものである。その事実を無視した上でキャンプ・シュワブで三人の美しく感動的な歌や弁舌が展開されたのである。

 山城さんは「ゲート前に二人お揃いです。こんなに嬉しいことはありませんっ」と喜びを爆発させ、カチャーシーを踊って歓迎の意を表した。
 登紀子さんはまず、ゲート前に来る前に5年ぶりに辺野古の浜のテント村を訪問した感慨を皆に告げた。
 「今日で座り込みが4242日目だという数字を確認してきました。長い年月、地道に毎日毎日、この海を守ってきた人たちがいる、ということに胸を打たれました」(沖縄タイムス)

 辺野古の浜ではない。コンクリートの突堤である。辺野古区民の散歩する場所であり、突堤に違法にテントを立てて、座り込みをしているのがテント村である。テント村といってもテントがひとつあるだけであり村ではない。また、座り込みといっても、椅子に座って読書をしたり会話をしている。座り込みというより暇つぶしをしていると言った方がいい。
 辺野古区民の賛成多数の可決でテントの撤去を決め、稲嶺名護市長に要請したが、稲嶺市長は「表現の自由」を理由に辺野古区民の要請を拒否した。辺野古区民の民意を押しつぶしたのが辺野古の突堤のテント村である。
 テントは辺野古区の南側にある。建設予定の辺野古崎は東北の方にあり、テントからは見えない。辺野古崎が見える海岸はテントから数百メートルも離れている。辺野古基地反対のテントとしてはあらぬ場所にある。誰が見ても辺野古基地建設反対のテントとは思わないだろう。コンクリートの上は土の上にテントをつくるより頑丈であるし、土よりも平らなコンクリートの方が机や椅子が安定する理由でテントを張ったのだ。辺野古基地反対のためのテントを立てるような場所ではない。
 テントに居る人間は辺野古区の人ではないし漁民でもない。テントの人間と「長い年月、地道に毎日毎日、この海を守ってきた人たち」とは関係がない。テントの人を見れば分かることである。加藤登紀子は作り話をしているのである。

 
 それから登紀子さんはベトナム戦争以来、国同士が戦争では何一つ問題を解決できてない現状を指摘した。空爆が大問題になっている現在のシリアでもそうである、と。 (沖縄タイムス)

 戦争は侵略から始まる。侵略された国の軍隊が弱ければ植民地にされて戦争は終わる。チベットとウイグルは人民解放軍に侵略された。軍隊が弱かったから人民解放軍に支配され中国の植民地になったのだ。南朝鮮は北朝鮮軍に侵略されて95%占領された。南朝鮮は北朝鮮に支配される運命であったが、米軍を中心とした連合軍が参戦して北朝鮮軍を押し返して、38度線を境に北朝鮮と韓国に分かれている。湾岸戦争は、イラク軍がクウェートに侵略しを開始して始まった。軍隊が弱かったクウェートは負けてイラクに併合された。そのままだったらクウェートはイラクの植民地になっていた。アメリカ軍が多くを占める連合軍がイラク軍を攻撃し、クウェートを解放した。
 タリバンに支配されたアフガンだったが米軍がタリバンをやっつけてアフガンを議会制民主主義国家にした。タリバンの武力勢力はテロ行為を今も繰り返している。フセイン軍事独裁国家イラクを米軍が倒し、イラクを議会制民主主義国家にした。しかし、イラクは過激集団ISISに侵略されて、国家の存続危機に陥った。米国などの応援でISISとの戦争を続けている。
 このように戦争はそれぞ事情が違う。戦争は侵略が原因である。戦争は問題を解決するものではない。むしろ問題を発生させるものである。戦争について真剣に考えたことがない加藤登紀子だから「国同士が戦争では何一つ問題を解決できてない」というのである。

 アフガニスタンで井戸を掘り、水路を引き、大地に緑を広げる活動をし続けている日本人医師・中村哲さんの「戦争の中ではっきりした根源の問題は、人々が土から、生命から切り離されてしまっていること。土と緑を取り戻せば、ここに平和が訪れるのではないか」という考え方と功績を紹介し、「わたしたちの生き方そのものが問われているのだと思います」と語った。(沖縄タイムス)
中村氏はタリバンの政治を認める人間である。アフガニスタンの民主化を無視している人間である。井戸を掘り、水路を引き、大地に緑を広げてもタリバンが支配するアフガンに幸せはやってこない。戦争さえなければ奴隷生活でもいいと思っているのが中村氏である。

 「戦争で町や農地が破壊されて、政治的・宗教的な難民だけでなく、生活難民が生み出され、飢えと貧困の中でテロリストが生まれています。だからこそ、土を守る、共同体を守る、家族を守ることが大切で、そのシンボルとしてここ(辺野古)があると思います。もうどこにも基地を造らせてはいけないし、もうどこにも空爆してはいけない。頑張りましょう」(沖縄タイムス)
 米軍を中心とする連合軍が空爆をしないと過激集団ISISのイラク・シリア占領が拡大し、多くの人々が殺され、女は奴隷にされていただろう。イラク・シリアの人々を救っているのが米軍である。嘉手納飛行場ではイラク空爆のための爆撃機や戦闘機の訓練をしている。沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和を守り、イラク・シリアのISISを攻撃している。
 朝鮮戦争、アフガン戦争、イラク戦争、湾岸戦争を見れば「土を守る、共同体を守る、家族を守る」には強い軍隊が必要であることが分かる。イラク軍が弱かったからイラクはISISに侵略された。もし、米軍が爆撃しなければイラクはISISに占領さ;れていただろう。そうなれば子供たちは軍事訓練を強制されテロリストになっていただろう。空爆はテロリストをやっつけている。空爆は子供たちがテロリストになるのを防いでいる方だ。

 
 博治さんは「このお二人の前でわたしが歌えると思いますか、皆さんっ」と照れつつ、登紀子さんの歌を許可もなく替え歌にしたことを詫び、「大いに結構」と歌うことを許してくれた登紀子さんへ礼を述べた。
 登紀子さんはその事実を笑顔で受け止め、自ら訳詞した「美しい五月のパリ」が、1968年フランス五月革命(ドゴール政権の時代に、民主化を求める学生と一般大衆が一体化した大きな運動)のなかで歌われた作者不詳の歌であること、もっと前から歌われていた可能性もあることなどを語った。
 そして、次のような言葉を、博治さんとそしてゲート前に集う仲間たちに贈った。
 「世界の人たちが、何度も何度もあげてきた、二度と戦争で問題を解決するような世界にしちゃいけないという声を、わたしたちはもう一度束にして、さらに大きな声にしていかなきゃいけないと思います。だから、この歌を沖縄の歌に変えて、受け継いでいってほしいと思います」
 山城博治さんは、こう答えた。
 「平和を発信するシンボルのような加藤登紀子さんの声援を受けてこの歌をうたえるなんて、望外の喜びです」
 歌い始める前に、自らのメッセージを発することを忘れなかった。
 「全国の皆さんの中には、自分が辺野古へ来ることがおこがましい気がする、と言われる方があります。それに対してわたしは再三こう申し上げています。全国の皆さん、どうぞ遠慮しないで、ぜひ辺野古に来てください。全国から仲間が来るからこそ、この運動は広がっています。全国の皆さんの理解と声援がなければ、(沖縄が日米政府と闘うのは)難しいことです」 (沖縄タイムス)
フランスの五月革命ついては「捻じ曲げられた辺野古の真実」で述べている。

フランスの五月革命
事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまった。短編小説「一九七一Mの死」で書いてあるように私が琉球大学の学生運動に参加していた時、琉大の自治会を握っていた革マルが家族闘争の模範としたのがストラスブール大学の学生運動から始まった「フランスの五月革命」であった。「フランスの五月革命」は民主化運動であったが、革マルは革命を目指した運動である。学生の頃は民主化運動と革命運動の狭間で私は悩んだ。

ストラスブール大学の民主化運動はナンテールに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ(パリ大学)の学生の自治と民主化の運動に継承された。アナーキストのダニエル・コーン=ベンディットと統一社会党のジャック・ソヴァジョ、毛沢東主義者のアラン・ジェスマル、トロッキストのアラン・クリヴィンネが指導し、フランス全体の労働者も同趣旨から民主化に賛同し、運動は拡大した。その頃から民主化運動の枠を超えて政治運動に転換していった。
ベトナム戦争反対は民主化運動ではないが、しかし、国民委員会5人の検挙は表現の自由への弾圧であり、彼らの逮捕に反対する運動は民主化運動である。
5月2日から3日にかけて、カルチエ・ラタンを含むパリ中心部で大規模な学生デモがおこなわれた。5月21日にはベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネストは第二次世界大戦以来のフランス政府の危機をもたらした。
運動は民主化を越えた反政府運動へと発展していった。

シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って圧勝した。ド・ゴール大統領が選挙に圧勝したことは注目すべきである。つまりフランス国民は民主化運動には賛成したが、民主化運動に乗じたアナーキーやトロッキストたちの反政府運動=革命運動には反対したのである。
五月革命によって、労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。民主化運動の勝利である。五月革命は20年後の東欧の民主化革命に大きな影響を与えただろう。
              「捻じ曲げられた辺野古の真実」
 五月革命は民主化運動であった。その結果ドゴール大統領が圧勝した。議会制民主主義の勝利である。辺野古のキャンプシュワブの闘いは民主化運動ではない。五月革命に便乗したアナーキーやトロッキストたちの反政府運動と同じである。山城議長は平和運動をしているのではなく、宜野湾市民の人権を無下にし。反米反米軍基地運動をしている。違法行為をし、暴力で辺野古基地建設を阻止しようとしているのである。反戦平和は山城議長の隠れ蓑である。

美しき五月のパリ

【作詞】不明
【作曲】不明
【訳詞】加藤登紀子

1.赤い血を流し 泥にまみれながら
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
   オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
2.風よ吹いておくれ もっと激しく吹け
  青空の彼方へ 我等を連れゆけ
  ※繰り返し
3.年老いた過去は いま醜く脅え
  自由の叫びの中で 何かが始まる
  ※繰り返し
4.ほこりをかぶった 古い銃を取り
  パリの街は今 再び生まれる
  ※繰り返し
5.歌え 自由の歌を 届け 空の彼方へ
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※2回繰り返し
 詞を読めば、「美しき五月のパリ 」が古い歌であることが推理できる。五月革命は銃を持つ闘いではなくデモとストの平和的な闘いだったからだ。
違法行為を繰り返している山城議長は民主主義思想はないのに、
 「わたしたちは、民主主義のため、戦争と抑圧のない社会をつくるため、みんな奮闘してるんじゃないですか!」と叫ぶのである。沖縄の民主主義を歪めているのが山城議長である。
山城議長が歌った替え歌の詞を紹介する。

     *
 『沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く』(作曲・不詳 作詞・山城博治)

 沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く
 戦世(いくさゆ)を拒み、平和に生きるため
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 辺野古の海を守り抜くために  圧政迫るが、立ち止まりはしない
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 高江の森を守り抜くために
 力を合わせて、スクラム固めよう
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 島々の暮らしを守り抜くために
 思いを巡らせて、心を通わそう
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く」とは沖縄が議会制民主守護国家日本の地方自治体として存在することを拒否することである。独立思想であって民主主義思想ではない。
 辺野古飛行場は辺野古崎の沿岸を埋めるだけであり、辺野古の海の自然はそのままである。議会制民主主義を破壊する思想家の山城議長だから、法を守り民主的に進めてきた辺野古飛行場建設が「圧政」に見えるのである。
 民主主義国家である米国と日本国家の指導と援助で沖縄は政治も経済も順調に発展してきた。発展の足を引っ張っているのが山城議長である。

山城議長は「島々の暮らしを守り抜くために」の意味を、
 「自分はいつも辺野古にいて、与那国や宮古や石垣の人たちに申し訳ないという気持ちがある。政府は、辺野古の米軍基地の建設だけでなく、島々に自衛隊新基地の建設を強行しようとしている。その場に行けなくてごめんなさい、しかし心を繋いで頑張りましょう、というメッセージを込めたんだよ」
とゲート前の仲間にこう語ったという。
 山城議長の「島々の暮らしを守り抜く」というのは民主主義国家である米国と日本国のシビリアンコントロールされた米軍と自衛隊を沖縄から撤去することである。「暮らしを守る」というのは本当は他国に侵略されないで、しかも民主的な政治と経済が発展して生活を豊かにすることである。ところが島々の人たちが他国に侵略されない、平和で自由・平等で豊かな生活を送ることを山城議長の念頭にはない。米軍と自衛隊を撤去させることしか彼の念頭にはない。
 フィリピンとベトナムは軍隊が弱いから中国に侵略された。イラクも軍隊が弱かったからISISに侵略された。沖縄は強い米軍と自衛隊に守られているから侵略されなかった。沖縄から米軍と自衛隊を撤去すれば中国やテロ組織に侵略されて島々の暮らしは破壊されてしまうだろう。
 山城議長の思想は議会制民主主義を破壊し、島々の暮らしを破壊する思想である。
 残念ながら加藤登紀子は辺野古問題も山城議長の思想も正確には理解していない。有名歌手でありながら日本、世界の平和を願い、大衆運動に参加するのは素晴らしいことである。
しかし、議会制民主主義国家は真の平和主義であり自国の平和、世界の平和を求めた政治をやっている。シビリアンコントロールされた軍隊は世界の民主化と平和のために戦っている。その事実を加藤登紀子は理解していない。
 キャンプシュワブの辺野古飛行場建設反対の運動は加藤登紀子が期待している民主化の運動ではない。平和と民主主義を破壊する運動である。
 残念であるが加藤登紀子がこの事実を知るのは無理だろう。


2015年は今日で終わり。今年は「沖縄内なる民主主義」を出版できなかった。順調なら7、8,、9、10号の4冊を出版していたのだが、取次店とのトラブル、「沖縄内なる民主主義」が売れていないことなどが原因で、色々悩んで出版することができなかった。悩んでいる内に半年が過ぎ、新たなやり方で、しかも、60ページから148ページの本にすることを決心して、本づくりをして12月に出版しようとしたが、これもまたちょっとしたトラブルがあり1月発売となった。
 私にとって2016年は勝負の年になる。「沖縄内なる民主主義」4冊、評論2冊、小説2冊を出版する積もりだからだ。それに全力を尽くす。
 「沖縄内なる民主主義」を売れるようにするのも大きな課題である。どのような内容にすればいいのか。試行錯誤をしていくしかない。
 
 来年もよろしく。
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キャンプ・シュワブの古謝美佐子を考察する



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キャンプ・シュワブと古謝美佐子を考察する
ノンフィクションライターの渡瀬 夏彦氏が「辺野古ゲート前、加藤登紀子・古謝美佐子・山城博治の3人が繰り広げた『魂の交流』」で加藤登紀子と古謝美佐子のことを詳しく書いている。彼の文章を参考にして古謝美佐子について考察する。

古謝美佐子は嘉手納町で育っている。物心ついたころから米軍基地フェンスを前にして育ち、B52が機体後部を周辺の集落に向けてエンジン調整をするので、その爆音が凄まじく、家族の会話もままならなかったことを話しているが、私は読谷村の嘉手納町寄りに住んでいたから、彼女が体験した嘉手納飛行場の爆音は私も体験した。
爆音がひどかったのはベトナム戦争時代である。重爆撃機B52は毎日嘉手納飛行場から飛び立ちベトナムに爆弾を落として帰って来た。離発着の爆音は数十秒であるが、エンジン調整の爆音は長時間だ。それも昼はベトナムに出撃するので夜から朝にかけてジェット機のエンジン調整をした。しかも、ジェット機の尻は住民の住む嘉手納町に向けられた。爆音は凄まじく声を大きくしないと会話はできないし、テレビの音も聞こえないくらいだった。爆音の影響で難聴になった人や不眠症、神経症になった人が多かったはずである。
古謝美佐子は基地から井戸にオイルが流れ込み発火して大騒ぎになった話もしている.嘉手納飛行場のオイルが大量に地下水に流れ、井戸水が使えなくなった。オイルが井戸に流入することは信じられないことであった。嘉手納飛行場が軍事基地であり、私たちの予想できない何かをしている恐ろしい存在であることを知らしめたのが地下水へのオイル流入であった。
その頃は水道が普及していて井戸水は使わなくなっていたが、大量に水を使うふろ屋などは地下水を使っていて非常に困っていた。
ジェット機の爆音、地下水へのオイル流入、重爆撃機B52の墜落炎上など嘉手納飛行場の被害は大きく、嘉手納飛行場はないほうがいいと思う市民は多かっただろう。古謝美佐子もその中の一人であった。
 古謝美佐子は子供の時にもっとつらい体験をした。軍雇用員であった彼女の父は30歳の時に軍嘉手納基地の中を自転車で移動中にトラックにはねられて即死したのである。28歳で未亡人になった母は子供たちを育てるために、夫が殺された基地内で仕事をした。そのような情況で育った古謝美佐子が基地はないほうがいいと思うことは当然である。
「どんなに基地はないほうがいいと思っても、口にフタをしていました。公には言っちゃいけないと思っていたんです。でも、歌を通じて沖縄の歴史を知ることになり、おじぃ、おばぁの話を聞くことになり、自分に孫ができて、そうして、これでいいのかなと思うようになったんです」
古謝美佐子は米軍基地反対を口にするようになった。
 
 民謡歌手である古謝美佐子が米軍基地反対を主張するのは覚悟と勇気が必要であっただろう。
「そうすると、音楽仲間からは、後ろから刃で刺されたりします(笑)。でも刺されようがピストルで撃たれようが(=どんなに妨害を受けようが、の意)、わたしはやれることはやって死にたい。わたし、孫たちからはミーコって呼ばれているんですが、『ミーコは生きてるとき、歌ばかりうたって、沖縄のこと、何もやってないんだよなぁ』と言われたくないので、皆さんと一緒に頑張らせてください」
古謝美佐子の孫への愛、沖縄の将来への思いは強い。でも、古謝美佐子は政治の知識が低い。彼女の思いは素晴らしいけれど彼女の思想が素晴らしいとは言えない。
 彼女と同じように嘉手納飛行場の近くに住み、古謝美佐子と同じ体験をしたが、私は米軍基地に反対をしないし、辺野古に飛行場をつくるのに賛成である。例え、私の父が古謝美佐子と同じように基地内で米軍の車に轢かれて死んだとしても古謝美佐子と同じように基地反対の思想にはならなかった。なぜ。私と彼女とは考えが違うか。その原因は子供の頃の世の中への関心の違いがあるだろう。
 私はリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」宣言に感動した。リンカーンの宣言で米国は民主主義国家であるという信頼が私にはあった。沖縄の米軍基地による被害や米兵による婦女暴行などがあったが、それは事故・事件であり、それを理由に米軍基地撤去を主張する考えにはならなかった。
 私は映画が好きだったが、高校生になると日本映画よりアメリカ映画やフランス映画を多く見るようになった。シドニー・ポワチェやポール・ニューマンのファンだった。日本映画は正義が悪を滅ぼすという前近代的な映画が多く、日本映画に比べて外国の映画は人間の自由や人権を問題にする映画が多かった。
 中・高校生の私にはアメリカは民主主義国家であり自由があるというイメージが強かった。だから、沖縄の米軍基地を否定することはなかった。
 世界の歴史は戦争の歴史である。だから、ベトナム戦争に対しても否定も肯定もしなかった。戦争をするにはそれなりの理由があるのだろうとしか考えなかったし、民主主義国家である米国が戦争をしているのだから戦争をするちゃんとした理由があるだろうと思っていた。

 中国は不気味な存在だった。学校の先生は社会主義国家は国が計画的に生産するからアメリカのような恐慌は起こらないと言い、中国は素晴らしい国であると言っていたが、アメリカの情報は多く入ってくるのに、中国の情報は一切入ってこなかった。情報を一切封鎖している国が素晴らしいはずはないと私は疑っていた。社会主義に疑いを持つというより、情報を一切長さない中国に私は疑問を持っていた。

 中学2年生の時「キューバ危機」が起こった。ソ連がキューバにミサイルを持ち込み、それの撤去を求めるケネディ大統領はミサイルを撤去しなければソ連との戦争も辞さないと言った。親子ラジオでそのニュースを聞いた私は第三次世界大戦が起きるかもしれないと恐怖した。第三次世界大戦が起こった時、核爆弾を装備している沖縄が真っ先に核ミサイルで攻撃されると信じていたからである。嘉手納弾薬庫には核爆弾が貯蔵されているという噂を小学生の頃から聞いていた。だから、核ミサイルは嘉手納弾薬庫を狙ってくるはずである。「キューバ危機」から世界大戦になることを私は本当に心配した。「キューバ危機」が回避された時はほっとした。
 中学三年生の時、私は弁論大会に参加した。弁論は、核戦争が起こったという設定のSF小説では核シェルターに入って生き延びた人たちが戦争が終わって地上に出て周囲を見ると、一帯は草一つ生えていない荒廃した土地になっていた。私は荒廃した土地で生活してもちっとも楽しくなく、生きていくのに大変であるだろう。だから第三次世界大戦が起こったら生き残りたくないというような内容だった。
 私が恐れていたのは第三次世界大戦の勃発であったから、世界大戦に発展しないはずであるベトナム戦争は恐れる対象ではなかった。嘉手納飛行場の爆音がひどいのはベトナム戦争と関係があるということを知っていたから、爆音に怒り、米軍にも怒ったが、仕方がないというあきらめの気持ちもあった。

 子供の頃から琉球民謡を集中的に勉強していた古謝美佐子は私のように嘉手納飛行場をはじめ沖縄の米軍基地がソ連や中国の社会主義国家と米国の対立が原因で存在しているということを知るための勉強をする時間はなかっただろう。自分の体験から生まれた反米軍基地の思想になったのは当然といえば当然である。

 プロの民謡歌手は食うために腕を磨かなければならないし、毎日の仕事や客やスポンサーとの付き合いなどで忙しく基地問題を考える暇はない。琉球民謡は男と女の掛け合いが多く、恋歌が中心である。社会問題や基地問題をテーマにした民謡はないと言ったほうがいいくらいである。民謡歌手は民謡に打ち込めば打ち込むほど基地問題からは離れていく。彼らの基地に関する知識は新聞やテレビなどの報道から得るだけである。基地問題に興味のある民謡歌手は非常に少ないだろう。それに経営者は保守系が多く、生活のことを考えれば基地反対などを主張しない方がいい。
古謝美佐子が基地反対を主張することはプロの民謡歌手としては勇気のあることである。しかし、古謝美佐子は自分の体験からつくり上げた反基地思想であり、アメリカ大統領であったリンカーンが「人民の人民による人民のための政治」と民主主義政治の本質を主張し、アメリカが自由、人権を重視している国であり、沖縄の米軍はシビリアンコントロールされていることなどを考慮した上で反基地思想ではない。

米軍はジェット機のエンジン調整の時、嘉手納町に尻を向けているが、土を高く盛り上げ被害を軽減するようになった。オイルが地下水に流れ出た時も処置を施し、オイルが漏れないようにした。婦女暴行を起こさないように米軍は徹底して兵士を教育している。現在三年間婦女暴行は起きていない。それは軍の教育があるからである。事件・事故は起きたが、米軍は改善の努力をしている。日本も米国も議会制民主主義国家である。国民のための政治をやっていることを理解する必要があるが、そのためにはかなりの量の勉強を自分でしなければならない。誰も教えてくれないから。それはプロの民謡歌手である古謝美佐子には困難なことである。沖縄には古謝美佐子の心を理解した上で、彼女の米軍に対する考えが間違っていることを適切に教えてくれる識者が沖縄にはいない。残念なことである。
キャンプシュワブで古謝美佐子は人気稼業の歌手という職業に就きながらも、なぜ明確に「辺野古に新しい基地を造らせてはいけない」と表明するようになったかを語ったが、古謝美佐子は大きな間違いをしている。辺野古の基地は普天間飛行場の移設が目的であり、新基地建設ではない。だから、米軍基地反対だけでは片づけることができない問題がある。それは宜野湾市民の人権である。

2004年8月13日にアメリカ海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。死者が出なかったのが奇跡であった。次に墜落すれば確実に死者が出るだろう。
普天間基地周辺の住民約2200人が、米軍機の騒音で日常生活や睡眠を妨害され、精神的苦痛を受けたなどとして、国に計約10億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁沖縄支部は計約7億5400万円の支払いを命じた。普天間飛行場は命の危険性と騒音で宜野湾市民の人権を奪っていることが裁判で実証されたのである。辺野古への移設は宜野湾市民の人権を取り戻すことである。

初めて辺野古を訪れた本村恵玲奈さん(18・普天間高3年)は「騒音で授業が途切れることもあり、普天間飛行場がなくなるのはいいことだ。でも移設先が県内となると話は別だ。基地が沖縄に押し付けられているとしか思えない」とキャンプシュワブで話しているが、県外移設も国外移設も現実的には実現不可能である。もし、辺野古移設ができなければ普天間が固定化する可能性が高い。それでも辺野古移設に反対するのだろうか。彼女は県外移設、国外移設が可能であるかどうかを真剣に考えていない。だから、「でも移設先が県内となると話は別だ」と無責任なことが言えるのだ。政治は感情で解決できるものではない。事実を正確に把握し、シビアに判断しなければならない。高校生にできるものではない。
大人である古謝美佐子なら宜野湾市民の人権を考えるべきである。古謝美佐子に孫がいるが、宜野湾市にも古謝美佐子の孫のような子供がたくさんいる。その子たちの未来も考えるべきである。
辺野古飛行場の周囲は海と山である。滑走路はV字型にしてあるから離着陸の時には住宅の上を飛ぶことはない。それに比べて普天間飛行場の周囲は住宅が密集している。市民の人権を守る考えなら辺野古移設をしたほうがいい。逆にジュゴンやサンゴなどを守る考えなら辺野古移設をしない方がいい。人の命を選ぶかそれとも自然維持を選ぶかの二者択一が辺野古移設問題である。辺野古基地建設問題の根本は米軍基地問題ではない。宜野湾市民の人権問題である。
もし、古謝美佐子が辺野古基地建設に反対であるなら、自分の孫だけの将来を案じて宜野湾市の「孫たち」の将来はどうでもいいと考えていることになる。
古謝美佐子が米軍基地に反対している理由は沖縄県民の人権を奪っていると考えているからであり、人権を守ることが米軍基地反対の根拠になっている。だから、辺野古基地建設は県民の人権を奪うという思いから反対しているが、辺野古基地建設は違う。基地問題ではない。人権問題である。古謝美佐子は大きな勘違いをしているのだ。民謡歌手であり、歌手活動に専念している古謝美佐子が辺野古移設問題について多くの情報を集めて詳しく検討することは無理であるから、辺野古移設が人権問題であると知るのは難しいだろう。

古謝美佐子は島袋文子さん(86歳)が機動隊に退去させられる様子に、
「(政府が)理不尽なことばかりやるので、テレビのニュースを見ては、いつも辺野古のことを思いだしていたんです。椅子ごと持っていかれるところを見て、涙が出ていたんですよ」 と涙声で話したという。
機動隊は違法に座り込みをしている島袋さんを怪我をさせないために椅子ごと移動したのである。違法行為を取り締まるのが機動隊の仕事であり、それを理不尽な行為に見えるのは古謝美佐子が米軍基地は悪であると信じ込み、感情的になっているからである。

「日本国のなかで沖縄県民はわずかしかいません。大きな日本国政府と闘うには、沖縄を愛する人たちといろいろ一緒にやっていきたいと思います。ハワイにも琉球アイデンティティーを大切にして頑張っている人たちがいます。その人たちともつながりができたので、来年はハワイでも歌をうたうと思います。今日ここに来るお登紀さんもそうですが、本当に沖縄を愛している人じゃないと一緒にはできませんからね。わたしはコンサートのときも、辺野古のこと、戦争のことを、織り込んで話しています」
孫への深い愛情から「童神」の詞をつくった古謝美佐子であり沖縄を愛している古謝美佐子であるから翁長知事の沖縄アイデンティティ論に感銘しただろう。そして、反米軍基地への思いもより強くなっていっただろう。キャンプシュワブに集ってくる人たちも古謝美佐子と同じ気持ちの人が多いはずである。
でも、アイデンティティで政治はできない。保守の翁長知事派は県外移設を主張しているが共産党を中心とした革新は閉鎖・撤去を主張している。もし、辺野古移設が中止して、県外移設をやろうとした時、革新は猛烈な反対運動をする。
辺野古移設が中止になった途端に翁長知事派と革新は対立してしまい、普天間飛行場は県外移設もできないし閉鎖・撤去もできないで固定化してしまう。そのことを古謝美佐子は知らない。知らないから翁長知事のアイデンティティ論を信じ、辺野古基地建設反対運動をすることにやりがいを感じているのだ。

古謝美佐子の沖縄を愛する心は翁長知事や革新に政治的に利用されている。そして、彼女の心を受け止めることが自民党県連にはできない。唯一彼女の心を受け止め真剣に話し合うことができるのは翁長知事の承認取消しを訴えた「宜野湾市民の安全な生活を守る会」であろう。辺野古移設賛成、反対と主張は違っているが子や孫を愛し沖縄を愛しているのは同じであるからだ。
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辺野古裏活動家が起訴された



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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辺野古裏活動家が起訴された

12月5日に沖縄平和運動センターの山城博治議長と県統一連の瀬長和男事務局長と70代の男性の三人が逮捕された。山城議長は拘束後4時間後釈放され、瀬長和男事務局長は8日に釈放された。しかし、70代の男性は釈放されなかった。無名の人間が釈放されていないということは、しかも黙秘しているということは、その人間は裏で活動している重要人物だろうと予想していた。私の予想通りであった。

辺野古活動家を初起訴 公務執行妨害、反対派の実態解明へ

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾=ぎのわん=市)の移設先となる同県名護市辺野古近くの米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議活動の際に県警機動隊員を蹴ってけがを負わせたとして、那覇地検は25日、住所不詳、無職の北島義久容疑者(77)を傷害と公務執行妨害の罪で起訴した。辺野古移設反対派の抗議活動が激化した昨夏以降、活動家が起訴されたのは初めて。北島被告は生活拠点のある北海道と沖縄を短期間で往復しており、捜査当局は抗議活動の実態解明を進める。

 今年に入り反対派の活動家らは15人が逮捕され、うち2人が略式起訴されて罰金を科されたほかは釈放されている。

 起訴状によると、北島被告は今月5日、警備を行っていた県警機動隊の警部が反対派に「下がってください」と警告をした際、警部の足を蹴る暴行を加え、全治2週間のけがを負わせたとしている。北島被告は調べに黙秘していた。

 名護署が北島被告を現行犯逮捕した後、反対派の抗議活動は激しさを増し、反対運動を統率する沖縄平和運動センターの山城博治議長もシュワブの敷地内に侵入したとして刑事特別法違反の疑いで逮捕され、その後、釈放されている。

 北島被告は教員経験があるとされる。捜査当局は過激派組織との接点にも注目しており、反対派の一部は、北島被告が北海道から通っており、「支援者」と称して県外からシュワブのゲート前に集まってくる活動家らの実態が裁判の過程でつまびらかにされることを警戒しているという。

 反対派はゲート前だけではなく、先月から応援で派遣されていた警視庁機動隊の宿泊先のホテルにも数十人が2度にわたり押しかけ、敷地入り口に座り込むなど不当な活動をエスカレートさせている。(産経新聞 12月26日(土)7時55分配信)
キャンプシュワブにテントをつくり、毎日数十人から数百人の動員を山城議長主導がやっているわけではない。彼にそんな実力はない。山城議長はキャンプシュワブのアジテーターであってそれ以上の存在ではない。反対運動の戦術や動員をかけるのは筋金入りの裏活動家たちである。裏活動家と呼ぶのが適当かどうかは分からないが、いわゆる筋金入りの活動家であるということだ。彼らは全国の組織と連絡を取り、沖縄に動員できる人間を見つけ、計画的に沖縄に送り込んでいる。
キャンプシュワブでの運動の計画も彼らがつくる。水曜日に最大動員をかけたり、本土から派遣された機動隊の宿泊しているカヌチャホテルに押し掛ける計画を立てたりするのが筋金入りの活動家たちであり、山城議長は彼らの計画通りに動いているだけだ。
起訴された北島義久は筋金入りの活動家であり、キャンプシュワブでは実質的なリーダーの一人であっただろう。それは「名護署が北島被告を現行犯逮捕した後、反対派の抗議活動は激しさを増し、反対運動を統率する沖縄平和運動センターの山城博治議長もシュワブの敷地内に侵入したとして刑事特別法違反の疑いで逮捕され」たということからも推理できる。
山城議長よりも北島のほうが運動組織内容に詳しいだろう。裁判で活動家らの実態を明らかにするのは困難かもしれないが県検察にはがんばってもらいたい。
北島義久容疑者(77)を傷害と公務執行妨害の罪で起訴したことを新報は掲載してあるがタイムスは掲載していない。新報は当然ことではあるが北島が「活動家」であることは伏せている。「活動家」の文言を書くとキャンプシュワブに集まっている人たちの多くが活動家ではないかと県民は疑う。すると辺野古移設反対支持の県民が減少する恐れがある。そのことを一番恐れているのが新報でありタイムスである。


宜野湾市長選:「普天間固定化避ける」佐喜真氏が政策発表

 【宜野湾】来年1月17日告示、同24日投開票の宜野湾市長選で、現職で再選を目指す佐喜真淳氏(51)=自民、公明推薦=が25日、同市内で記者会見をし、選挙に向けた重点政策を発表した。佐喜真氏は「市民を一番に考え、基地の負担軽減を優先する。米軍普天間飛行場の固定化は絶対に避けなければならない」と強調し、市民生活の向上が最重要だとした。

 佐喜真氏は基地のない平和なまちづくりで「危険性除去のため、5年以内の運用停止と一日も早い閉鎖と返還」を掲げた。負担軽減策は米軍機の夜間早朝の飛行停止への取り組み強化も挙げた。同飛行場返還を粘り強く要請すると強調。「県内移設には反対」としながら、名護市辺野古の新基地建設に対する賛否は明らかにしなかった。

 返還された西普天間住宅地区の跡地利用では、国道58号への避難道路や地下駐車場の建設などを挙げた。

 ディズニーリゾートの誘致と推進については、「わたしの感覚としては、先方は非常に前向きだと感じている」と手応えを見せた。

 福祉政策では待機児童解消や学習塾と連携した学習支援制度の確立、老朽化した市立小中学校の全面建て替えを発表。高齢者福祉の拠点充実や男女共同参画社会にも取り組むとした。

 経済政策では企業誘致で市内就業人口の倍増、行財政改革で24時間対応のコールセンター設置を挙げた。

 ビーチスポーツイベントの誘致や高層展望施設の建設なども発表した。(沖縄タイムス)
「『県内移設には反対』としながら、名護市辺野古の新基地建設に対する賛否は明らかにしなかった」に見られるように佐喜眞市長は相変わらず沖縄二紙恐怖症と翁長流政治から脱し切れていない。
「県外移設」を選挙公約にしないと選挙に勝てない。「辺野古移設」を選挙公約にすれば落選するというのが翁長知事の考えであった。そして、翁長知事は辺野古移設を選挙公約にして、「辺野古移設」を選挙公約にした仲井真前知事を倒して知事になった。
宜野湾市長選に勝つには翁長流政治でなければならないと佐喜眞知事は信じているのだろう。だから、ボーリング調査がもう少しで終わり、埋め立て工事が本格的になろうとしているにも拘わらず「県内移設には反対」である。そして、「危険性除去のため、5年以内の運用停止と一日も早い閉鎖と返還」などと翁長知事の弁と重なるような選挙公約を掲げるのである。佐喜眞市長はとにもかくにも支持票を多く集めるのが政治だと思っているのだ。「県内移設には反対」の票もほしい、辺野古移設に賛成の票もほしいである。
だから、翁長知事の埋め立て取り消しに反対して立ち上がった翁長知事提訴の原告団と表面上手を取り合うことはできないし、翁長知事批判もできない。その代わりに漫才師にも批判されるような「ディズニーリゾートの誘致」を掲げるのである。
佐喜眞市長を支持しているのは反翁長知事の保守である。「県内移設には反対」している市民ではなく、宜野湾市民の生存権を守るために「辺野古移設」に賛成している市民である。
翁長知事の埋立承認取り消しは違法行為であるし裁判に敗北するのは確実である。辺野古移設を止めることは100%できない。
「県外移設」は不可能、「閉鎖・撤去」も不可能。「国外移設」も不可能。残されたのは「普天間固定化」か「辺野古移設」かの二つの内の一つである。そのことを佐喜眞市長は認識するべきである。

宜野湾市民の生存権を守る確実な方法は「辺野古移設」しかない。「県外移設」も「国外移設」もいつになるかわからない。佐喜眞市長はそのことを宜野湾市民に認識させる努力をするべきである。宜野湾市内であるならチラシや集会や口コミで広げることができるから宣伝力では沖縄二紙より優っている。沖縄二紙を恐れることはない。

平安座原告団長は記者会見で、翁長知事訴訟は宜野湾市長選挙と一切関係がないことを強調していた。平安座氏は自民党に所属し、宜野湾市議員を長い間務めた人間である。彼は翁長知事訴訟が今度の宜野湾市長選を有利にするためのものであると沖縄二紙に書かれるのを非常に恐れている。書かれてしまったら選挙に大きな打撃を被ると思っているからだ。しかし、そんなことはないと思う。佐喜眞市長も平安座氏も沖縄二紙の効果を誇大化している。
宜野湾市内なら佐喜眞市長、平安座氏が懸命に広報活動をすれば沖縄二紙よりも優っているのは間違いない。佐喜眞市長は翁長知事訴訟原告団を支持し、翁長知事訴訟原告団は佐喜眞市長を支持して宜野湾市民へ訴えたほうが宜野湾市長選を有利にすると私は思う。

佐喜眞市長も翁長知事訴訟原告団も勝利を掴んでほしい。
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翁長知事訴訟原告団の訴状全文



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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翁長知事訴訟原告団の訴状全文

 翁長知事訴訟原告団長平安座唯雄さんに訴訟の陳述書のコピーをもらいに事務所に行った。安村恵美子さんの陳述書のコピーももらいたかったが、残念ながら平安座さんは持っていなかった。お願いして後日もらうことになった。
 支援者8400人になったそうだ。たった2日で1400人も増えた。今年で1万人を突破するのは間違いない。
 安村恵美子さんの意見を述べた映像である。

 今回は翁長知事の承認取り消しをきっかけに訴訟を起こしたが、本来なら宜野湾市の政治家が普天間飛行場の危険性を訴え、宜野湾市民の生存権を主張して辺野古移設推進の運動をするべきであった。そして、辺野古区民には受け入れてくれたことを感謝し、キャンプシュワブ前の反対派には「宜野湾市民の命どぅ宝」と訴えて、宜野湾市民の命を助けてくれと請願運動をするべきであった。残念なことである。
それができなかった原因は翁長知事が自民党県連の中枢部に存在していた時に積極的に県外移設を公約にすることを進め、自民党県連が翁長知事の考えに賛同していたからである。仲井真前知事も辺野古移設より県外移設のほうが早いなどと言っていた。翁長知事の影響を断ち切れない自民党県連は辺野古移設への方向転換ができなかったのだ。
 辺野古移設は宜野湾市民の生存権を守るためであると徹底して主張することができない自民党県連はまだ翁長知事の影響から完全に脱しているとは言えないだろう。唯一脱しているのが翁長知事訴訟原告団である。翁長知事訴訟が自民党県連を根本から変革してほしいものである。

 10月20日に裁判所に提出した訴状のコピーを平安座さんからもらったので、訴状を紹介する。

  訴状
        平成27年10月20日

那覇地方裁判所  御中

     原告代理人弁護士    徳永信一
        同        照屋一人
        同        二宮千明

  当事者の表示    別紙当事者目録記載の通り

公有水面埋立承認取消処分無効確認等請求事件

訴訟物の価格  1億2000万円
貼用印紙額      38万円

請求の趣旨

1 被告沖縄県が平成27年10月13日付で行った、普天間飛行場代替施設事業に係る公有水面埋立承認の取消処分が無効であることを確認する。
2 被告らは原告らに対し、各自金1000万円を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求める。

請求の原因

第1 当事者

1 原告ら
  原告らは、沖縄県宜野湾市の市民であり、宜野湾市に存在するアメリカ軍普天間飛行場(以下、「普天間飛行場」という。)の周辺に住む住民である。
  原告らのうち、当事者目録記載の原告名の左横に記載した番号(以下「原告番号」という。)1、2、4、9、11、12の各原告は、被告小塙兼によって騒音被害認定を受けている。
2 被告ら

(1)  被告沖縄県は、公有水面埋立法に基づき、名護市辺野古崎地区及びその隣接する水域を含む国の所有する公有水面につき、土砂等埋築して陸地に変更させる行為等にかかる承認の権限を有する地方自治法上の普通地方公共団体である。
(2)  被告翁長雄志は、平成26年11月14日の沖縄県知事選挙に当選し、同年12月10日に県知事に就任し、行政庁たる沖縄県知事として、平成27年10月13日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立法の取消処分(以下「本件取消処分」という。)を行った。

第2 本件取消処分に至る経緯

 1 国は、沖縄におけるアメリカ軍基地による沖縄県住民の負担を軽減する目的の下、日米合意を受けて、普天間飛行場の代替施設を、名護市辺野古にあるキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に建設する計画を策定し、平成25年3月22日、被告沖縄県に対し、公有水面埋立承認願書を提出し、もって埋め立ての承認を求めた。
 2 これに対し被告沖縄県は、平成25年27日、厳格かつ慎重な審査の上、公有水面埋立法42条1項に基づき、国が申請した公有水面埋立の承認を行った。
 3 この承認に基づき、国は名護市辺野古崎地区及びこれに隣接する水域において、普天間飛行場の代替施設の建設に着手し、平成34年中には同基地が撤去される見通しがついた。
 4 ところが、平成27年10月13日、被告翁長雄志は行政庁たる県知事として、前任の仲井眞弘多知事が平成25年12月27日になした埋立承認につき、法的瑕疵があったとして、公有水面埋立法42条3項により準用される同法4条1項の規定に基づき、本件取消処分を行った。

第42条 国ニ於テ埋立ヲ為サムトスルトキハ当該官庁都道府県知事ノ承認ヲ受クヘシ
2 埋立ニ関スル工事竣功シタルトキハ当該官庁直ニ都道府県知事ニ之ヲ通知スヘシ
3 第2条第2項及第3項、第3条乃至第11条、第13条ノ2(埋立地ノ用途又ハ設計ノ概要ノ変更ニ係ル部分ニ限ル)乃至第15条、第31条、第37条並第44条ノ規定ハ第1項ノ埋立ニ関シ之ヲ準用ス 但シ第13条ノ2ノ規定ノ準用ニ依リ都道府県知事ノ許可ヲ受クベキ場合ニ於テハ之ニ代ヘ都道府県知事ノ承認ヲ受ケ第14条ノ規定ノ準用ニ依リ都道府県知事ノ許可ヲ受クヘキ場合ニ於テハ之ニ代へ都道府県知事ニ通知スヘシ

第4条 都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ
一  国土利用上適正且合理的ナルコト

二  其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト

三  埋立地ノ用途ガ土地利用又ハ環境保全ニ関スル国又ハ地方公共団体(港務局ヲ含ム)ノ法律ニ基ク計画ニ違背セザルコト

第3 本件取消処分の違法性等
 
 1 本件取消処分の理由
   被告沖縄県が沖縄防衛局に提出した「公有水面埋立承認取消通知書」(要旨)によれ  
  ば、本件取消処分の理由は第1に、普天間飛行場代替施設は辺野古に建設せねばならない理由について辺野古移転による海兵隊の抑止維持等の実質的な根拠に乏しい等、公有水面埋立法第4条1項1条が規定する「国土利用法適正且合理的ナルコト」の要件を充足していないこと、第2に、ウミガメ類、サンゴ礁、ジュゴン等の辺野古周辺の生態系や埋立土砂による外来の侵入並びに航空機騒音・低周波音等に関する環境影響評価が不十分であり、環境保全措置も不適切である等、同法4条1項2号が規定する「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セレタルモノナルコト」の要件を満たしていないというものであった。
 2 本件取消処分の違法性(法的瑕疵の不在)
   同法4条1項1号の合理性・必要性の要件についていえば、辺野古移転は日米合意であり、海兵隊の抑止力の維持等は日本の安全保障に関わる高度に政治的な事柄であることを踏まえれば、地方自治体がその当否を判断する余地はない。
   同法4条1項2号の環境保全措置については、環境影響評価の段階で当時の仲井真弘多知事が平成24年3月、防衛相が評価書で示した措置では環境保全は不可能との意見を提出し、これを受けた防衛相において海洋生物学や騒音など幅広い専門家9人を集めた研究会を9回開いた上で、評価書を再提出し、仲井真知事から埋め立て承認を得たという経緯があることに照らし、同法の環境保全措置に要件を充足したものであることは明らかである。
 3 被告翁長雄志の権限乱用
   被告翁長雄志は、平成26年11月の選挙において、普天間飛行場の辺野古への移設をストップさせるという公約を掲げて沖縄県知事に当選しており、その公約の実現という政治的パフォーマンスのため、法的瑕疵のない公有水面埋立承認を違法に取り消す処分をしたものである。
   被告翁長雄志が本件取消処分の根拠にしたのは、承認に法的瑕疵があると結論づけた県有識者委員会の報告書であるが、人選に偏りと不十分があるばかりでなく、平成27年9月県議会において、沖縄県側が、担当の県職員が適切な承認審査を行ったとの立場で答弁していることとも矛盾しており、到底、本件散り消し処分を正当化できるものではない。
   被告翁長雄志は、そこに法的瑕疵が存する余地のないことを十二分に知りながら、個人的な政治的パフォーマンスを目的として本件取消処分を行ったのであり、同処分の違法性につき故意又は重過失があり、それが公有水面埋立法に基づく知事権限の乱用によるものであることは明らかである
   従って被告翁長雄志は、本件取消処分によって生じる法益侵害について民法709条不法行為に基づいて損害賠償責任を負わなければならない。

民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

第4 本件取消処分によって生ずる原告らの被害
 1 そもそも政府が普天間飛行場の名護市辺野古への移設を進めていた理由は、普天間飛行場が、世界一危険な基地といわれるほどの危険性を有し、しかも基地周辺の宜野湾市民の生活に対する直接的な被害を生じさせている基地だからである。
   というのも同基地は、学校、図書館などの文教施設を含む住宅密集地に存在しているため、航空機の離発着の際に墜落事故等が発生すると住宅地域に甚大な被害が生じる。
   そのうえ、同基地から発生する航空機の離発着する航空機の離発着の騒音により、付近住民に、会話、作業、学習等における妨害、睡眠障害及びそれに基づく精神的苦痛を生じさせている。
   (ちなみに騒音被害に関し、本年6月11日に、那覇地方裁判所沖縄支部において、普天間飛行場から生じる騒音について、同飛行場に関する設置の管理瑕疵を認め、騒音被害に対する損害賠償を認める判決も下されている。)
2 この問題を解決するため、仲井真弘多知事前知事は名護市辺野古への埋立承認を行い、平成34年までに同飛行場の移設を進める予定であった。
   これを受けて、宜野湾市の住民である原告らには、ようやく平穏かつ安全な生活が戻れると思われた。
3  しかし、本件取消処分により、普天間飛行場の代替施設建設に向けた工事は一時停
止を余儀なくされ、平成34年に予定されていた普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画は白紙に戻った。
そこで政府は、平成27年10月14日、行政不服審査法に基づき、所管する国土交通省に対し、審査請求及び取消処分の執行停止を申し立てた。
   その上で、゛政府は遅滞なく代替施設建設に向けた工事を継続するとしている。
   しかし、本件取消処分が撤回又はその無効が確認されない限り、平成34年中の名護市辺野古への移転は実現しない。
   このように、本件取消処分は、普天間飛行場の原点である「危険性除去」に向けた政府の努力、宜野湾市民の切なる期待を裏切ったことになる。
4 その上。本件取消処分は、移設への代替案を示さない無責任なものであり、結果、重
大な危険性を有し、重大な騒音被害を生じさせる同飛行場の固定化を促すこととなる。
 すると原告らは、移設予定時期の平成34年以降も普天間飛行場の重大な危険性や同
基地から発する騒音被害を受任しなければならない。
 原告らは、憲法上の人格的生存権に基づき、基地の危険性や航空機の騒音に悩まされ
ることのない安全かつ平穏な生活を営む権利を有しているにもかかわらず、平成34年
以降も騒音被害が継続することとなる。
 従って原告らは、本件取消処分により、将来においても人格的生存権の侵害が継続し、
その人格的生存権による損害額は、最低でも一人につき1000万円を下らない。

第5 まとめ
 よって、原告らは、被告沖縄県に対して、行政事件訴訟法3条4項に基づき、本件取消無効であることの確認を求めるとともに、被告沖縄県に対し、国家賠償法1条1項に基づき、被告翁長に対し、民放709条に基づき、各自金1000万円の損害賠償金の支払いを求め、本訴に及ぶ次第である。

 証拠方法
  追って提出する。
       添付書類。

1 訴状副本    1通
2 訴状委任状   36通
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翁長知事訴訟原告団101人、支援者6000人



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翁長知事訴訟原告団101人、支援者6000人
 昨日、翁長知事訴訟の第1回口頭弁論があった。裁判、県庁での記者会見、県博物館でねの報告会に参加した。
 翁長知事訴訟の反響は大きく、原告団長の平安座唯雄さん(70)への協力に県内外から多くの申し出があったという。
 記者会談の時の写真である。左側の女性三人と右側の男性二人は原告団、左から4人目の白髪の男性は平安座唯雄原告団長、三人は弁護団である。


 民事訴訟の場合は損害を受けた者だけに限定されるから、原告団は宜野湾市在住者のみであり、宜野湾市街の人は原告団に入ることはできない。101人は全員宜野湾市民である。短期間に101人の原告人が集まった。このことは普天間飛行場の閉鎖・撤去を望んでいる宜野湾市民が多いことを示している。

 沖縄タイムスは原告団の主張もちゃんと報道している。琉球新報はベタ扱いである。
翁長知事提訴:市民、生存権の侵害主張 県「訴える相手違う」

 米軍普天間飛行場の移設問題で、飛行場周辺の宜野湾市民12人が、沖縄県と翁長雄志知事に承認取り消しの無効確認と計1億2千万円の慰謝料を求めた訴訟の第1回口頭弁論が22日、那覇地裁(森鍵一裁判長)であった。市民側は、取り消し処分で飛行場が固定化し、移設ができなくなることで、騒音による生存権侵害が続くと主張。県側は市民側に原告適格(訴訟を起こす資格)がないとして請求の却下などを求めた。次回は来年2月23日。
 市民側は訴状などで、知事が取り消し処分の根拠とした第三者委員会の報告について「人選に偏りがあり、欠陥がある報告」と主張した。取り消しは知事の公約実現のための政治的パフォーマンスで、宜野湾市民の利益をないがしろにしていると指摘。国防政策が国の専権事項であることも無視しているとした。
 県側は答弁書で、埋め立て処分に関わる「法律上の利益」は埋め立て承認による埋立権で、市民側には侵害される「利益」がないと訴えた。また判例に基づき「公務員の職権行為による損害について、公務員個人が直接責任を負わない」と主張。知事に対する賠償請求は不適法だとしている。
 市民側は12月21日付で、89人が追加提訴。賠償請求額は計2億900万円になった。

■原告「知事は権限乱用」 県側は困惑

「知事は権限を乱用し、宜野湾市民の苦しみを増やしている」。弁論後の会見で、原告団長の平安座唯雄さん(70)=宜野湾市=は語気を強めた。「辺野古区は、多数が移設に賛成している」と指摘。米軍キャンプ・シュワブゲート前の反対運動は「市民ではなく、活動家によるものだ」と指摘した。
 弁護団を率いる徳永信一弁護士は、作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、戦隊長側の代理人などを務めた。「移設を望む市民の期待権が侵害されている」とし、原告適格は認められると自信を見せた。
 一方、被告の県側は基地の騒音を米軍が生み出し、飛行場を提供しているのは日本政府だと指摘。「騒音に悩む市民の気持ちは分かるが、訴える先が違う」と困惑する。(沖縄タイムス 12月23日(水)10時35分配信)
 辺野古移設は基地問題ではなく、宜野湾市民の人権問題である。そのことが沖縄タイムスに掲載された。
「市民側は、取り消し処分で飛行場が固定化し、移設ができなくなることで、騒音による生存権侵害が続くと主張」
「知事は権限を乱用し、宜野湾市民の苦しみを増やしている」
「米軍キャンプ・シュワブゲート前の反対運動は「市民ではなく、活動家によるものだ」
「移設を望む市民の期待権が侵害されている」
 
 このような発言が訴訟を起こすことによって記事になった。訴訟は辺野古移設が宜野湾市民の深刻な人権問題であることを県民に明らかにすることができた。沖縄タイムスの報道は県民に大きな影響を与えると思う。
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加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判 2



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判 2

 「この夏に注目を集めた安保法制にしても、民意が反映されない民主主義というか疑似民主主義がこのところ目立っていますよね。だけども少なくとも沖縄に関して言えば選挙結果と民意は一致しているわけですね。しかしそれを中央政府は認めない。中央と地方の問題ということになりますが、翻って中央の安保法制を見ると、政府寄りと言われる新聞まで安保法制に反対という民意の方が大きいのに採決を強行してしまった。完全に民意と国会や政府がねじれて、反映されていないという状態です。今の日本の民主主義に疑問を抱かざるを得ない状況が続いていますね」
 坂本氏の指摘はもっともであるように見えるが、しかし、そうではない。坂本氏は「民意が反映されない民主主義」を問題にする前に、なぜ日本は民意がストレートに反映する直接民主主義ではなく、議員を選挙で選ぶ間接民主主義の議会制民主主義であるかを考えるべきである。
政治は複雑で奥が深い。今日明日のことだけでなく将来のことも考えなければならない。専門家でなければ日本社会を運営することはできない。もし、直接民主主義であれば国民は日本や世界の政治や経済を勉強しなければならないし、どのような政策をしなければならないかを研究しなければならない。仕事をしながら政治をするのは無理である。だから、国民の代わりに政治を行う政治家を選挙で選び、政治家に国の運営を任すのである。それが議会制民主主義である。
議会制民主主義の利点も考えなければならない。もし、直接民主主義であったならば賛成反対が拮抗している場合は、今日はA案が賛成過半数であるが、明日はB案が賛成過半数になり、明々後日は再びA案が賛成過半数になるということが起こるだろう。それでは政治がめちゃくちゃになる。それ比べると政治の専門家である議員が賛成多数で決めたほうがいい。もし、安保法制に国民が反対であったなら、次の選挙で安保法制反対の候補者を当選させて安保法制を廃棄すればいい。
政治の専門家がつくった安保法案が国民のためになるかならないかは後になって分かることだ。与党の主張が正しいかそれとも野党の主張が正しいかを国民が判断するのは困難な場合もある。国民が後で判断して、それを選挙に反映させるというのも議会制民主主義には必要である。

「少なくとも沖縄に関して言えば選挙結果と民意は一致している」と坂本氏は述べているが、坂本氏は2010年の辺野古区。名護市、県の三者が辺野古移設に同意したから辺野古移設に決まったことを知らない。翁長知事は一度決まった辺野古移設をしかも県は埋め立て申請を承認したにも関わらず中止にしようとしているのである。違法行為である。それに辺野古移設は宜野湾市民の生命の安全を守るためである。辺野古に移設できなければ普天間飛行場は固定化して宜野湾市民を苦しめる。その事実を坂本氏は知らない。

坂本氏は安保法制に国民の多くが反対したのに国会で決議したことを民意が反映されていない疑似民主主義と言い、本当の民主主義ではないと主張している。坂本氏の考えは正しくない。
政治家にしろ国民にしろ政治判断をするには情報が必要である。情報量が多ければ多いほど正確な判断ができる。国民の得る情報は政治家に比べると非常に少ない。国民が正確な判断をするのは困難である。それに、このことが最も重要であるが、国民が得る情報は報道からである。嘘の報道があり、それを国民が信じるのであれば国民は間違った判断をしてしまう。
安保法案を戦争法案であると報道すれば多くの国民は安保法案は戦争をやるための法案だと信じてしまう。事実、民主党、共産党、社民党、評論家などは安保法案を戦争法案であると主張し、そのような報道が圧倒的に多かった。安保法案を正確に理解する国民は少なかった。むしろ戦争法案だと信じている国民が多かった。果たして、それを民意と言えるだろうか。
安倍首相は南沙諸島に侵略している中国に対して国際法を守るように忠告をしている。安倍首相は国際法の遵守を主張しているのであり、安保関連法案も国際法を守る法律であり、戦争法案ではない。
もし、安保関連法案が戦争法案であり、野党が主張しているように自衛隊が米軍と一緒に前線に出て戦争をしたなら、国民は安倍政権に反対し、選挙によって自民党は与党の座から引きずり落とされるだろう。そして、新しい政権によって安保関連法案は廃案になるだろう。
坂本氏は日本の議会制民主主義のシステムを考慮しないで、国民の過半数が安保関連法案に反対しているのに自民党が法案を成立させたことに対して日本の民主主義は疑似であると述べている。それは坂本氏が現実的な議会制民主主義を理解していないからである。

沖縄では辺野古移設反対派の翁長氏が知事になった。だから辺野古移設反対が民意であると選挙結果が示しているのに中央政府は認めないことを坂本氏は批判している。しかし、辺野古移設は2010年に政府、県、名護市、辺野古区4者がV字型滑走路飛行場建設で合意した。建設合意ができたから沖縄防衛局は辺野古埋め立て申請書を出したのである。坂本氏はこの情報を把握していない。そのことが坂本氏に間違った判断をさせている。
4者が合意し、埋め立て申請は県が承認したのに翁長氏は辺野古移設に反対して知事選に立候補したのである。しかも、普天間飛行場の県外移設の翁長陣営と閉鎖・撤去の革新が主張を変えないで、辺野古移設反対を選挙公約にして一緒に選挙戦を闘ったのである。
辺野古移設は普天間飛行場の固定化を解決するのが目的である。辺野古移設反対は普天間飛行場問題を解決するものではない。県外移設、閉鎖・撤去は普天間飛行場問題を解決する方法であるが、県外移設と閉鎖・撤去は違う解決の方法であり、県外移設派と閉鎖・撤去派が手を組むことはできない。二派が手を組むにはどちらか一つに選挙公約を絞らなければならない。ところが翁長知事派と革新は主張が違うのをそのままにして辺野古移設反対を選挙公約にして手を組んだのである。それは普天間飛行場問題を放棄したことになる。政治家として選挙公約にしてはいけないのを選挙公約にしたのが翁長知事であり革新であった。
辺野古移設を阻止することは普天間飛行場を固定化することである。翁長知事と革新の裏選挙公約は普天飛行場固定化であった。
坂本氏は音楽家である。政治家ではないし、沖縄の政治について詳しくはない。だから、翁長知事の辺野古移設反対の選挙公約が普天間飛行場固定化になることに気付くのは難しいかもしれない。

 「辺野古で続く市民の抗議集会やデモなどの意思表示について」という新報記者の質問に、坂本氏は、
 「政府がきちんと法律に基づき、民意に基づいて行動してくれるならばそういうことはする必要はないんでしょうけども。先方がそうしないもんだから。選挙結果もきちんと出している、世論調査のアンケートでも結果もはっきりしているのにそれを無視するんだから、それ以外の他の方法を取らざるを得ないというのは当然のことです。民主主義というのは何年に1回ある選挙の1票だけというのは全く間違った考えです。民主というのは国民が主権であるということです。『デモクラシー』の語源をたどれば『デモス』(民衆)の『クラシー』(政治を統べる)ということですから、本来なら『民衆が政治をやる』という意味なんですよ。ですが1億人が寄ってたかってワーワー言っても収拾がつかないので代表制ということになっているわけです。でも、それは現実的にそうせざるを得ないからというあくまで仮の姿であって、本来は民衆一人一人が自分の意見を述べることが本来の民主主義です。だから1人でも10人でも100人でも、意見があれば堂々と言うということは当たり前のことなんです」
と述べている。
坂本氏は政府を理解していない。政府は法律を守っているし、辺野古移設は法律に則って進めた。法律を守っていないとは言えないが議会制民主主義国家における政治家としての倫理を守っていないのは翁長知事である。そして、キャンブシュワブの人間たちは辺野古移設に徹底して反対し続けているだけであり、彼らにとって法律は関係がない。なにがなんでも辺野古移設を阻止するという思想に染まっているだけである。もし、辺野古移設賛成の知事が当選しても、彼らは同じ行動をしていただろう。
 代表制である議会制民主主義については坂本氏のいう通りであるが、それは議会制民主主義の基本について述べているものであり、現実の政治については坂本氏は見誤っている。
 キャンプシュワブでの深刻な問題は抗議集会やデモなどをやっている市民がゲート前で座り込み、基地内に入ろうとする車やトラックの進入を実力で止めていることである。それは業務妨害の違法行為である。坂本氏のいう本来の民主主義ならば違法行為を認めることはないだろう。民主主義は意見があれば堂々と言うのは許されるが、自分の主張と違う者を暴力的に押さえつけるのは許さない。キャンプシュワブの違法行為を本来の民主主義は許さないのだ。残念ながら坂本氏はキャンプシュワブで毎日繰り返されている違法行為については知らない。機動隊が横暴であり、キャンプシュワブの市民を弾圧しているという報道だけが流され、それからしか情報を得ることができない坂本氏は政府が法治主義に徹していることもキャンプシュワブの人たちの違法行為のことも知らないのだ。残念なことである。
 
 タイムス記者の「ご自身もこれまで原発や安保法制の反対集会に参加するなど、積極的に社会的な発言を繰り返されています。現在の日本で『平和』や『言論の自由』はどのような状況にあると思いますか」 という質問に、

 「非常に危機的な状況にあると思います。昨今、急にそういう記事を目にしますけど、例えば憲法9条の『9』と書かれたTシャツを着ていたら警官に呼び止められたとか、学校で『平和』とか『peace』というタグをかばんに付けていたら先生に注意されたとか。まるで平和とか自由とかいう言葉が悪いかのように。戦前は『社会主義』じゃなくて、ただ『社会』という言葉の付いた本を持っているだけで特別警察とか憲兵が来て捕まえていくというひどい状態だったわけですけど。そんなことにもなりかねないような兆しがもう既に始まっています。これがどこに向かうのか、非常に不安だし、良くない」
と坂本氏は述べた。
 どこからの情報だろうか。嘘くさい話である。憲法9条と書かれているなら少しは現実性があるが「9」だけの数字なら、単なる数であり、憲法と関係がない。警官が呼び止めることはあり得ない。「憲法9条」と書いてあるだけで呼び止めることもあり得ないだろう。もし、呼び止める警官がいたとしたらその警官が異常である。そんな警官がいたとしても一人か二人くらいだろう。ほとんどの警官はそんなことをしない。学校は日教組が牛耳っている。「平和」とか「peace」は日教組好みである。デモや集会でプラカードを掲げているくらいだ。「平和」とか「peace」はむしろ先生の方が生徒たちに広めている。先生に注意されたということはかばんにタグをつけるのを学校で禁じていたからだろう。
「9」のことといい「タグ」のことといい、あり得ない話である。それが事実だとしても極一部の話である。それが社会全体に広がることはあり得ない。戦前であっても、「社会」という言葉の付いた本を持っていたら特別警察が呼び止めて本を調べることはあっても、社会主義と関係のない本だったなら捕まえていくということはあり得ない。坂本氏が作り話に近い話を信じるのはおかしい。しかし、坂本氏は信じている。そして、不安を感じている。そして、警官や先生の行為は彼らの意思ではなく、
 「しかもそれは、誰かが命令してそうさせたのかっていうと、なんとなくなんですよね。安倍首相が一つ一つ命令したわけではないのになんとなくそういう空気が広がっていく」と思い込んでいる。
坂本氏は妄想の中に入ってしまって異常な心理状態になっているとしか思えない。

「あぁこうやってファシズムって広がっていくんだなと感じます。しかもそれは恐ろしい勢いで短時間に進んでいく。副総理が『ナチスに学べ』と言ったらしいですけども、ナチスがやったことと非常に似ていることが今起きていて、ナチスが全権を取るまでに非常に短期間で、1年以内にやっている。その前段として徐々にだんだん党員を増やしたりということはあるんですけど、いざ始まったらすべての反対意見はシャットアウトする、というファシズム体制が1年以内に築き上げられた。今から来年というのがそうなりかねない状況なので、私は非常に大きな危機感を持っています」
坂本氏は音楽家であり、音楽の世界に入り込んでいる。音楽は観念世界である。坂本氏は観念の世界に埋没し、現実の観察を疎かにしているために、妄想が広がり、妄想がまるで現実のように思えてくるのだろう。坂本氏に不足しているのは現実世界を客観的に観察することである。
坂本氏は「今から来年というのがそうなりかねない状況」と述べているが、日本社会がそんな短時間で変わることはあり得ない。ひどい妄想である。
音楽にしろ文学にしろ観念世界で創作する性質のものである。観念世界は現実と違って自由にまた短絡的に世界を描いてしまう。観念世界では世界大戦も思い描くことができる。「ファシズム体制が1年以内に築き上げられた」から日本がそうなりかねいと坂本氏は危機感を持っているが、それはわずかな事実をネタにして坂本氏の観念世界で作り上げた妄想である。日本の現実を客観的に観察すれば坂本氏の考えは荒唐無稽であることが分かる。
彼は音楽家であって政治家ではない。政治について話すなら、音楽家としての立場から離れ、現実を冷静な政治の視点から見るべきである。そして、見た現実を分析し、判断しなければならい。しかし、坂本氏は音楽家の視点から政治を見て、判断をしている。それゆえに非現実的な政治論を述べてしまう。百田問題についてもそれが露骨に表れている。

6月に自民党の若手勉強会であった一連の報道圧力や百田発言などについて、
 「政府に反対する意見を述べるメディアや個人は全部しょっぴく、あるいは潰(つぶ)してしまうという体制は全体主義ですよね。明確に自民党の人たちがそういう意識を持っているということがはっきりしている。面と向かってそういう体制が好きですか? そうなってほしいですか? と聞けばまだほとんどの人は嫌だ、困ると言うでしょう。ただ、そう単刀直入には聞いてこないで、じわじわと自主規制させるような空気がすでに気が付かないうちに始まっている。自分たちが明確な意識を持たないうちに自主規制が広がっているのは非常に大きな問題です。敏感にそういうことに目を向けてできるだけ明確に反対意見を言わないと、全体主義体制になってしまうでしょうね」
と坂本氏は述べている。坂本氏が自由、人権、民主主義にこだわっているからこのような主張になる。だから、坂本氏の思想は素晴らしいものである。ただ、事実を正確に把握していないから百田氏や自民党に対して歪んだ目で見てしまう。
「政府に反対する意見を述べるメディアや個人は全部しょっぴく、あるいは潰(つぶ)してしまうという体制は全体主義ですよね」
百田氏も自民党議員もそんなことは言っていない。
 坂本氏の理念は立派であるが現実認識に問題がある。

 29日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で歌をうたったのは加藤登紀子ともう一人古謝美佐子であった。古謝美佐子と言えば「童神」である。作詞は古謝美佐子で、作曲は彼女の夫である佐原一哉である。
 古謝美佐子は1954年5月11日生まれで、6歳より歌と三線を習い、9歳でレコードデビューした。週末に民謡クラブに出演するようになった中学時代以降、沖縄のラジオ・テレビ出演を含む演奏活動や、前川守賢ら若手の民謡歌手とのレコード録音を行なう。
1986年から我如古頼子、玉城和美とともに坂本龍一のネオ・塩(1987年)、ビューティ(1989年)のレコーディングやコンサートに出演、後者では「オキナワチャンズ」としてフィーチャーされ、1988年のアメリカツアーと1990年のワールドツアーにも同行した。このうち「沈査具の花」は1999年のオペラ「LIFE A ryuichi sakamoto opera に組み込まれ、東京・大阪での公演に旧オキナワチャンズが出演した。
1990年には知名定男のプロデュースにより、吉田康子、宮里奈美子、比屋根幸乃とネーネーズを結成してリーダーとなる。ネーネーズは1991年にメジャーデビューし、ポップス感覚の沖縄民謡グループとして全国的な知名度をあげ、1995年に大阪城野音で復活した琉球フェスティバルの大看板の一つとなった。1994年には知名のレーベル、ディスク・アカバナーからソロアルバム『島美らさ』(しまじゅらさ)をリリースしている。1994年8月21日発売の「 黄金の花」は今でも人気は高い。

1995年12月にネーネーズを脱退、41歳の時である。脱退した理由の一つにに八重山民謡を習いたかったからと古謝美佐子は言っている。1986年から坂本龍一と組み、1990年からは知名定男のプロデュースによるネーネーズで活躍したが、本土の音楽家、ポップス感覚の共通語民謡は本来の民謡から離れている。古謝美佐子は本来の琉球民謡をもう一度学ぼうと言う気持ちが強くてネーネーズを辞めたと言っている。
「童神」は坂本龍一、知名定男という現代的な音楽家の影響と琉球民謡の原点にこだわった古謝美佐子の心がつくった最高傑作だと私は思う。沖縄の民謡の多くは男女の掛け合いになっているし、曲は短い。しかし、「童神」は掛け合いの歌ではなく、我が子への愛を歌っている。曲は長い。ウチナー口で長い曲になっているのは、私の知る限り「童神」だけである。それは坂本龍一、知名定男の影響だろう。
沖縄の歌が本土でヒットしたもので喜納昌吉の「花」がある。また、ピギンズの「島んちゅぬ宝」「涙そうそう」などもあるが、ヒットした曲はすべて詞は共通語である。ウチナー口で全国的にヒットしたのは「童神」だけである。その意味では「童神」は戦後のウチナー口民謡の最高傑作である。
「童神」は多くの女性歌手に愛されている。「童神」を歌う女性歌手は多い。また、古謝美佐子とデュエットした歌手も多い。ユーチューブで一番感動したのは城南海とのデュエットである。若干20歳の城南海がウチナー口で歌っている。
城南海は堺正章が司会している『THEカラオケ★バトル』で計8冠を達成してカラオケ★バトルの女王と称されているほどの抜群の歌唱力がある歌手である。それだけではない。今年の12月11日放送のフジテレビ系『第5回ものまね王座決定戦』では、浜崎あゆみ、Superfly、元ちとせのものまねで、全28組の中からものまね専門のタレントらをも抑えて優勝を果たした。
古謝美佐子も歌唱力抜群の歌手である。城南海との「童神」は最高である。
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     つづく
2015/12/11 に公開
平成27年12月10日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康­隆が「ミャンマー問題」、「TPPと農業改革」、「普天間飛行場の危険性レーザー照射­」、コラムコーナー”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「宜野湾市民の安全な生活を­守る会」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成27年月12月10日、19:00~
出演:
 又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/1ttUs392oM0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
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革新の砦読谷村が基地施設移転容認で分かること



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
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革新の砦読谷村が基地施設移転容認で分かること
読谷村は革新の砦である。戦後はずっと革新派の村長であり、保守が村長になったことは一度もない。社民党の糸数慶子参院議員は読谷村出身である。革新の砦である読谷村が交付金欲しさにトリイ通信施設への施設移転を容認し、米軍基地再編交付金を受け取る方針を表明した。

読谷村長、トリイへの施設移転容認 方針転換表明へ

【読谷】読谷村(石嶺伝実村長)は16日に開かれる12月定例会本会議で、嘉手納より南の米軍施設の返還・統合計画に関連し、トリイ通信施設への施設移転を容認し、米軍基地再編交付金を受け取る方針を表明する。石嶺村長が一般質問への答弁で、方針転換の理由などを説明する予定だ。

返還・統合計画では牧港補給地区とキャンプ瑞慶覧の返還に伴い、両地区の倉庫群など一部施設をトリイ通信施設に移転することで日米が合意している。石嶺村長は沖縄への過重な基地負担の現状などを理由に反対する姿勢を示してきた。
石嶺村長は15日、「自治会から地域振興、環境改善のために交付金を活用したいという要請があった。また、過去に村外へ米軍基地施設の移設を要請した経緯も踏まえ、今回は苦渋の決断を下さざるを得なかった」と述べた。
再編交付金は基地負担が増える自治体に対し、防衛予算から支給される。再編交付金を受け入れるための関係書類は既に沖縄防衛局に提出したという。(琉球新報2015年12月16日 )

広大な読谷飛行場が返還されたが、飛行場跡に建設されたのは村役所、競技場、中学校である。このような施設は村の財政からお金が出ていくものである。JAの経営するゆんたく広場があるがそれ以外は畑である。ゆんたく広場からは村への収入があるが、畑は収入よりも村の設備投資のほうが大きい。畑生産の目標の売り上げは五億円を目標にしているが、実現するのは困難であるだろう。
読谷村は読谷飛行場だけでなく、トリイステーションの一部、そして、嘉手納弾薬庫の一部などが返還された。それはかなりの軍用地料が減ったことにもなる。それは読谷村の経済に影響するし、村の税収も減る。米軍基地の返還は村の財政を減らしていったのである。読谷村は基地に囲まれた地域であり基地収入が村の財政を支えてきたといっても過言ではない。
具志川市、石川市、中頭郡勝連町・与那城町の2紙2町が2005年(平成17年)4月1日に合併してうるま市になった。2006年1月1日、島尻郡の佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して南城市になった。糸満市は喜屋武村や兼城村と合併した。このように市町村は合併する傾向にあるが、北谷町、嘉手納町、読谷村、恩納村は合併していない。その最大原因は4つの町村には莫大な軍用地からの収入があるからである。軍用地がなければ合併していたはずである。

嘉手納町から読谷村に入ってすぐの58号線東沿いは整地中であるが、この地域は軍用地が返還された場所である。


58号線沿いの軍用地が返還された時は、読谷村の発展が期待された。来年にはサンエーの大型店舗ができる予定である。58号線沿いなら集客は確実である。人口も増え経済も発展するだろう。サンエーの売り上げは伸びるだろうが、サンエーの売り上げが伸びるだけ読谷村の既存の商店の売り上げは落ちるだろう。読谷の中心街は58号線から離れた場所にある。この返還地の経済が発展すればするほど、既存店の売り上げは落ちてすたれていくだろう。

読谷村は読谷飛行場が返還された時、返還を実現した山内前村長は村民に感謝された。しかし、トリイ通信施設の一部が返還された時は読谷村の財政が苦しくなるだろうという噂が広まった。返還される場所は交通が悪く商店街はつくれないので経済発展する見込みのない場所であるからだ。軍用地があるから読谷村の財政は豊富だった。しかし、返還地が増えることによって財政は減っていったのである。
移設反対を貫いていた石嶺村長が方針転換をすることにしたのは財政がひっ迫していったからである。読谷村の財政が軍用地料に頼っている現実が明らかになった。自立にほど遠い読谷村経済である。

私が問題にしたいのはこれだけではない。自治体の自己決定権の問題もある。
翁長知事は辺野古移設反対の知事が誕生し、県民も辺野古移設に反対であるのに政府は辺野古移設を強行している。そのことを理由にして翁長知事は沖縄県には自己決定権がないと主張している。しかし、それは自己決定権がないということではない。今度読谷村の施設移転受け入れ手続きの流れからこのことが分かる。
読谷村は嘉手納より南の米軍施設の返還・統合計画に関連し、トリイ通信施設への施設移転に反対していた。読谷村が反対している間は施設移転はできない。もし、読谷村が反対し続ければ移設はずっとできないということである。読谷村が受け入れに賛成して初めて防衛局は施設移転ができる。受け入れるか受け入れないかは読谷村の自己決定権にあるのだ。
指定廃棄物処分場の設置の場合も同じである。指定廃棄物処分場の設置は国が勝手に決めることはできない。自治体が受け入れに反対すれば処分場はつくれない。
「東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の処分場の設置が、事故から4年3カ月たっても一向に進まない。環境省は、福島県と周辺の宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の5県で平成26年度末までに処分場の確保を目指していたが、候補地を提示するたび自治体が反発するなど埒があかない。選定方法の透明性に問題があるとの指摘もあり、情報の開示や支援策の拡充など、国には柔軟な対応が求められている」(産経ニュース)

読谷村は石嶺村長が方針転換をして再編交付金を受ける目的で施設移転を容認する決心をした。再編交付金を受け入れるための関係書類は既に沖縄防衛局に提出したという。防衛局と村が最終合意をすれば再編交付金が支給されるだろう。
移設合意をしたからといって、施設移転がすぐ始まるわけではない。防衛局は具体的な計画をこれから始めるが、再編交付金は施設移設が始まる前から読谷村に支払われる。
それでは三年後に施設移設が始まろうとした時、村長の気が変わって移設反対をした時に防衛局は移設計画を中止しなければならないだろうか。
再編交付金を受け入れるためには関係書類を沖縄防衛局に提出し、防衛局と施設移転に合意しなければならない。それは契約することである。移設反対をするということは一方的な契約破棄をすることである。
翁長知事のいう自己決定とは県が一方的に契約破棄することであり、それができないから県には自己決定権がないと言い張っている。読谷村の施設移設受け入れで分かるように受け入れるか否かは読谷村の自己決定権にある。県、市町村には自己決定権はあるのだ。一方的な契約破棄の決定権がないのだ。それないのが当然である。辺野古移設でも同じことである。

2006年の名護市長選挙で当選した島袋前市長は、飛行ルートが「陸地を回避し上空を飛ばなければ受け入れる」と政府案の一部を修正したV字型滑走路案で防衛庁と合意した。島袋市長が政府と合意したことで名護市に年間6億円の再編交付金が支給された。そして、仲井真知事も飛行場を沖に数十メートル移動することで合意して、2010年に辺野古飛行場建設が決まった。
ところが2009年までの三年間に18億円の再編交付金をもらっていたのに新しい名護市長の稲嶺氏は辺野古飛行場建設に反対した。この時の問題は辺野古移設反対の市長に変わったが、新しい市長に前市長が政府と確約したことを廃棄する権利があるかどうかである。稲嶺市長は辺野古飛行場建設が名護市民の民意だから廃棄することができるといい、できないのは民主主義に反すると主張した。
辺野古飛行場建設は島袋前市長が政府と合意したのである。合意を次の知事が一方的に破ることはできるはずがない。これが議会制民主主義のルールだ。つまり現代民主主義のルールである。稲嶺市長は契約を一方的に破棄するのを選挙公約にした。それは法律つまり国のルールを破るのを公言したのと同じである。違法行為を公言したのである。
名護市民の賛成多数であっても国のルールを破ることはできない。名護市民の賛成多数で破れるのは名護市のルールである。例えば前市長の時に名護市の体育館を建設することになっても、建設反対の市長が当選して建設を止めることはできる。それでも業者との契約を破棄した場合は国のルールを守って賠償金を払わなければならない。
民主主義はルールを守らなければならない。ルールを守ることによって民主主義社会は成立する。ルールが守られないで無法社会に成れば民主主義社会は崩壊する。ルールとは議会で決める法律である。ルールを守るということは法治主義に徹することである。国会で決めるルールは全都道府県が守らなければならない。都道府県の議会で決める法律=条令は都道府県の市町村が守らなければならない。市町村の議会で決める法律=条令は市町村民は守らなければならない。
読谷村が施設移転を受け入れれば、防衛局は再編交付金を読谷村に支給するだろう。支給するのは受け入れ拒否をしないことが前提になる。受け入れ拒否をやっていいなら支給をしないだろう。読谷村が勝手に受け入れ合意を破れるような法律があるなら防衛局は施設移転を完了してから交付金を支給するだろう。
稲嶺市長のいう主張は民主主義を守る主張ではなく民主主義を破る主張である。

翁長知事は稲嶺市長よりもひどい。稲嶺市長は島袋前市長が政府と合意したことが無効であると主張し、辺野古飛行場建設建設に反対したが、翁長知事は仲井真前知事が埋め立て申請申請の承認したことを取り消したのである。沖縄防衛局が埋め立て申請をしたのはたまたま辺野古飛行場建設に海の部分が入って埋め立て工事が必要だったからである。埋め立ては辺野古移設の問題とは本当は関係がない。
小泉元首相は陸上にこだわっていた。海を含めると自然環境団体の圧力があり、建設が困難であると考えていたからだ。ところが沖縄の土木工事建設業者の圧力で沖縄側は海上建設を要求した。政府と沖縄側の折衷案が今回の辺野古崎の沿岸を埋める建設案であった。
埋め立ては政治的な移設問題ではなく、公有水面埋立法に準じた工事をしなければならないという技術的な問題である。つまり法律問題であって移設問題とは別のことである。
2010年に辺野古移設が決まり、2014年に埋め立て申請が承認された時点で辺野古移設は政治的にも法的にも止めることはできなかった。知事に立候補するならこのことを理解した上で選挙公約をするべきであった。

翁長氏が立候補した時点で、辺野古移設を阻止する方法は一つしかなかった。それは国会議員の過半数を移設反対派にし、移設費用をゼロにすることである。しかし、自民党が過半数であるから移設費用をゼロにすることは不可能であった。
もう、一つ辺野古移設を阻止する方法があるが、それは暴力で建設工事を阻止することである。それは知事の立場では絶対にやってはいけないことである。

辺野古移設を阻止するもう一つの方法は暴力で阻止することであるが、タイムス社説は辺野古移設を阻止する方法に暴力で阻止することも入れている。


沖縄タイムス社説[オール沖縄会議]辺野古阻止の受け皿に

辺野古新基地を阻止するまとめ役ができた。
「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」である。県内政党や労組、市民団体など22団体で組織し、「沖縄建白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」も包摂する。
宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれた結成大会には1300人(主催者発表)が参加し、翁長雄志知事も駆けつけた。
オール沖縄会議を結成する目的は、三つだ。現地辺野古での抗議行動を強化する、県と国の法廷闘争で翁長知事を支援する、国内・国際世論を喚起する-ことである。
なぜいまなのか。
結成を促したのは、現地辺野古で監視と抗議活動を続ける市民らの声である。日によって参加人数のばらつきが大きく、各種団体と交渉するパイプ役が必要だとの要望が出たからである。その役目をオール沖縄会議が担うことになったわけである。
辺野古では毎週水曜日を「議員総行動」の日と決め、野党国会議員や県議会与党会派、市町村議員、市民ら数百人が抗議している。
米軍キャンプ・シュワブゲート前での座り込みが500日を迎えた11月18日の水曜日には約1200人が抗議集会を開いた。工事車両は基地内に入れず、機動隊は排除することができなかった。
 その後の議員総行動の日でも、工事車両の進入を事実上阻止している。座り込みの参加者にはゲート前にもっと人が集まれば、作業を止めることができるという思いがある。それは政府が恐れていることでもある。(沖縄タイムス)

沖縄タイムスのいう辺野古移設を阻止する三つの方法の内、「法廷闘争で翁長知事を支援す」では実現は不可能である。翁長知事が裁判に勝つ可能性はゼロであるからである。「国内・国際世論を喚起する」も無理だ。国内・国際世論が盛り上がっても政府は着々と建設工事を進めるからだ。二つの方法は辺野古移設を阻止することはできない。しかし、もし、「現地辺野古での抗議行動を強化」して機動隊が排除できないくらいに人が集まった時は辺野古移設を阻止することはできると考えられる。
実際にキャンプシュワブで約1200人(主催者発表)が抗議集会を開いた時は工事車両が基地内に入るのを阻止し、機動隊もデモ対を排除することができなかったタイムスは述べている。その後も、議員総行動の日に工事車両の進入を事実上阻止している。だから、参加者をもっと増やせば作業を阻止できるとタイムスは思っている。

それでは毎日1000人集まったら作業を阻止できるだろうか。検討をしてみよう。
週に一回であるなら警察は争いを避けるために排除をしないからできるだろう。しかし、毎日となると警察は対策を考えて、作業が中止されないような手を打つに違いない。機動隊をデモ隊の倍の2000人体制にするかもしれない。
駐車禁止を厳しくし、レッカー移動、違反切符を切るだろう。交通マヒを防ぐために交通法に違反した者は片っ端から逮捕し、名護署に連れていくかもしれない。検問を敷いてキャンプシュワブに行くことを厳しくチェックする方法もある。警察がその気になれば何人集めようが警察は排除するから作業を阻止することはできない。
沖縄タイムスは1000人を集めれば阻止できると思っているようだが実力で作業を阻止することはできないのだ。それに1000人を集めるとキャンプシュワブは交通マヒに陥る。県民の反発が強まり、県議会選や参議院選にはマイナスになる。作業を阻止するために毎日1000人の参加者を集めるのは無理であるが集めたとしても作業を阻止することはできないし、翁長知事の人気を落とす可能性もある。

「新基地建設阻止という県民大多数の願いをどう実現していくか。そのためにはオール沖縄会議結成の目的の三つを同時並行的に、しかも切れ目なく取り組む必要がある。
共同通信が11月28、29の両日に実施した全国世論調査で、辺野古問題が法廷闘争に発展したことに「国と県が直接話し合って決着」が68・5%で、「司法の場で決着」の26・0%を上回った。
朝日新聞の10月の全国世論調査では知事の埋め立て承認取り消しを「評価する」が50%と、「評価しない」の34%を引き離している。
安倍政権が沖縄の民意を無視して強権的に押し進める新基地建設を国民の多くは支持してはいないのである。
辺野古の陸で、海上で反対する市民を警察や海上保安官が力ずくで排除している現状を、全都道府県でシンポジウムをしたり、大小の県民集会を開いたりして世論に訴えるのも世論喚起の方法の一つではないだろうか」(沖縄タイムス)
法廷闘争になったのだから、世論調査もシンポジウムも県民集会も圧力をかけることはできなくなったことを沖縄タイムス社説は知らなければならない。翁長知事の敗北で裁判が終わるのははっきりしている。裁判の敗北は県民が翁長知事への疑問を持つようになるだろう。
 
「辺野古崎の岩場を抜けて長島まで漕ぐと、一気にフロートを越えてスパッド台船をめざした。前日は昼食後に不意打ちをかけ、カヌー2艇が台船に到達し、1人がグリーンネット内に入り掘削棒をつかんで抗議したとのこと」
芥川賞作家目取真氏のブログからの引用である。フロートとは進入禁止のフロートである。辺野古移設反対派は平気で進入禁止区域に侵入し、ボーリング調査をしている台船のグリーンネット内に入り掘削棒をつかんで妨害するのである。彼らは暴力的な妨害を「抗議」と呼んでいる。違法行為を平気でやる彼らはISISと同じ暴力支配者たちである。

 沖縄タイムス、移設反対派、「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が政治権力を握ったら、反対派を暴力で抑え込む独裁国家になるだろう。
 だが、彼らが政権を握る可能性はゼロである。
キャンプシュワブに毎日1000人動員しても辺野古飛行場建設を止めることはできないが、毎週水曜日の議員総行動の日であった昨日は県議や市町村議らも参加したのにも関わらず新報報道で400人が集まっただけである。新報報道で400人だから事実は200人足らずだっただろう。一週間に一度は総動員をかけて建設作業を中止させようという水曜日の議員総行動計画もうまくはいっていない。
水曜日を主導しているのが統一連である。つまり共産党である。共産党は表は議会民主主義であるが裏は暴力革命主義である。それは革マル派、中核派と同じである。統一連は裏の実働部隊である。だから、実力でゲートを封鎖して作業をストップすることを本気でやろうとしているのだ。ゲート封鎖をするのは毎日は無理だから水曜日に絞ったのだ。しかし本気で作業を中止させようとしているのは共産党、革マル派、中核派であって翁長知事側の保守派、社民党等は本気ではない。
キャンプシュワブのデモが激しくなって、重傷者が出たり、交通マヒが頻繁に起こるようになると県民が反発するようになり翁長知事の支持が減っていくだろう。そうなると翁長知事や社民党等は水曜行動に反対するようになるだろう。
翁長知事派や社民党など共産党以外の政党にとって一番大事であるのは県議会選や参議院選に勝利することである。辺野古飛行場建設を阻止するのが第一ではない。キャンプシュワブのデモが過激になっていって県民の反感を買うようになれば選挙に不利になる。そのことを翁長知事は恐れている。

キャンプシュワブのデモはこれからも横ばい状態が続くだろう。辺野古のボーリング調査は終わり、来年からは埋め立て工事が始まる。裁判の結果も出る。おなか知事にとって来年は不利な状況になっていく。
翁長協奏曲の盛り上がりは今年だけであり、来年は終わりに向かう。

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加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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 加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判

高校生の時、日本史だったと思うが、プロレタリア作家小林多喜二が特高警察の拷問で死んだことを習った。左の写真も載っていた。
「1933年(昭和8年)2月20日、岩田義道が虐殺されてから3カ月後、プロレタリア文学の作家、小林多喜二は、詩人の今村恒夫とともに東京・赤坂福吉町の街頭で検挙され、わずか7時間後に築地署で虐殺されました」


 小説家になりたいと思っていた私は、小林多喜二の拷問死に強いショックを受けた。
「なぜ、小説を書く人間が殺されるのだ」
戦後生まれの高校生の私には、小説家が警察に殺されるということがどうしても納得することができなかった。琉大に入ると小林多喜二について調べた。「蟹工船」と「党生活者」を期待して読んだのたが、しかし、期待していたほどの小説ではなかった。面白くなかったし、私は小林多喜二の小説を評価することはできなかった。ただ、小林多喜二の小説を読んでも拷問死したことに対しては納得できなかった。大正デモクラシーが昭和に入ると軍部が台頭してきてプロレタリア文学や無政府主義や自由主義へのひどい弾圧が始まったことを私になり勉強した。
共産主義者の小説や詩や演劇などをプロレタリア文学という。プロレタリア文学の小説や詩は面白くなかったが、中野重治だけは好きになった。1924年から1926年にかけて書いた「夜明け前のさよなら」が私は好きだった。

僕らは仕事をせねばならぬ
そのために相談をせねばならぬ
然るに僕らが相談をすると
おまわりが来て眼や鼻をたたく
そこで僕らは二階をかえた
路地や抜け裏を考慮して

ここに六人の青年が眠っている
下には一組の夫婦と一人の赤ん坊とが眠っている
僕は六人の青年の経歴を知らぬ
ただ彼らが二階を喜んで貸したことだけを知っている

夜明けは間もない
僕らはまた引っ越すだろう
鞄を抱えて
僕らは綿密な打ち合わせをするだろう

 警察の弾圧から逃れてプロレタリア文学活動をしている生活を描いているが、中野重治の詩にはなんというか、素朴さとかやさしい心を感じる。

 あかるい娘ら

わたしの心はかなしいのに
ひろい運動場には白い線がひかれ
あかるい娘たちがとびはねている
わたしの心はかなしいのに
娘たちはみなふっくらと肥えていて
手あしの色は
白くあるいはあわあわしい栗いろをしている
そのきゃしゃな踵(かかと)なぞは
ちょうど鹿のようだ

 真夜中の蝉

真夜中になって
風邪も落ちたし
みんな寝てしまうし
何時ごろやら見当もつかぬのに
杉の木のあたりについて
じいっというて鳴く
じつに馬鹿だ

 小林多喜二の小説は政治色が強く、人間味に欠けるが、中野重治の詩は人間味がある。文学作品としての価値は中野重治の詩にある。
 中野重治も警察に逮捕されて「転向」を強制される。「転向」とは共産主義をやめることだ。中野重治は警察の弾圧に負けて転向する。その重みを引きずりながら生きた詩人であった。

 文学は政治から自立しなければならないと私は思っている。プロレタリア文学のように政治目的のために表現してはならないし、他方、文学的な視点から政治を見るべきではないと考えている。私はその考えから政治評論を書いているし、小説を書いている。政治と文学は人間世界に関係しているとい共通はあるが、政治は現実の事実を関する世界であるが文学は作家の観念的表現の世界である。
辺野古移設に対して音楽家の加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子と写真家の石川真央がそれぞれの立場から関わり意見を述べている。
彼らは政治家ではない。左翼運動家でもないし知識人でもない。彼らは芸術家である。芸術家であることを認めた上で彼らへの批判をしていく。

 私は加藤登紀子の「ひとり寝の子守歌」「知床旅情」「百万本のバラ」が大好きである。

1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
ひとり寝の子守唄
加藤登紀子 作詞/作曲

ひとりで寝る時にゃよぉー
ひざっ小僧が寒かろう
おなごを抱くように
あたためておやりよ

ひとりで寝る時にゃよぉー
天井のねずみが
歌ってくれるだろう
いっしょに歌えよ

ひとりで寝る時にゃよぉー
もみがら枕を
想い出がぬらすだろう
人恋しさに

ひとりで寝る時にゃよぉー
浮気な夜風が
トントン戸をたたき
お前を呼ぶだろう

ひとりで寝る時にゃよぉー
夜明けの青さが
教えてくれるだろう
ひとり者もいいもんだと

ひとりで寝る時にゃよぉー
ラララ・・・・・
ラララ・・・・・

「ひとり寝の子守唄」は私が学生だった頃に出た歌である。家族から離れ、一人暮らしをしていた間借り生活にぴったりの歌だった。

加藤登紀子エピソード
学生運動が盛況だった高校生の頃に、東大生の樺美智子の訃報に触れ、心を動かされる。東大入学後、アイドル歌手的存在となりつつも、学生運動に積極的に参加する。その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌って断る。しかし、この件をきっかけに2人は交際を開始。。紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた代表曲のひとつでもある。勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年、1975年、1980年生まれの3人の娘がおり、そのうち1人はYae(藤本八恵)として歌手活動中。

 加藤登紀子は学生運動に積極的に参加していたが、藤本氏のコンサートへの出演依頼は断っている。私も学生集会や県民大会に積極的に参加していたが、芸術は政治から自立しているものであり、政治を文学に持ち込むべきものではないと考えていた。加藤登紀子が学生運動に参加したのは一学生としてだろう。決して国家を倒して革命国家をつくる活動家として参加したのではなかった。私も一学生として学生集会や県民大会などに参加した。文学と政治は違うものであり、プロレタリア文学のように共産主義のために作品をつくるのは小説を矮小化するものであると考えていた。
 社会の矛盾や虐げられた労働者の様子を文学や演劇で表現して市民を覚醒させるというのが戦前のプロレタリア文学であった。戦後はサルトルなどが主張した実存主義がそうである。
琉大演劇クラブは私が入学する前はプロレタリア文学や実存主義の系統であった。琉大演劇クラブ出身が中心になってつくったのが劇団「創造」である。「創造」のオリジナル作品として有名なのは「人類館」である。1976年が知念正真が戯曲「人類館」を発表し翌年、「創造」が上演した。私は「人類館」を見ていない。新聞の「人類館」についての説明を読んで見る気がしなかった。
そのように考え、一学生として集会に参加していたが、嘉手納飛行場にB52重爆撃機が墜落炎上したのをきっかけに学生運動に参加した。昼は芸術に興味のない学生たちと政治活動をやり、夜は政治に関心のない学生と酒を飲みながら芸術を語り合った。そんな生活を3年近く体験した。

加藤登紀子が作詞作曲した「ひとり寝の子守唄」は好きな歌である。「ひとり寝の子守唄」は1969年の頃の歌であり、学生で一人住まいをしていた私の心情に合う歌だった。加藤登紀子のソフトでありながら淡々としていて、決して力まないで深みに誘っていく歌い方が好きだ。「知床旅情」も好きだし、「百万本のバラ」も好きだ。

11月28日に沖縄市で開催されたコンサートのため来県した加藤登紀子は29日午後にキャンプシュワブにやってきた。そして歌った。、
「戦後の厳しい時代をくぐり抜けた沖縄には民を守ってきた歌がある。共に心を一つにして歌おう。戦争につながる基地はどこの場所にも造らせてはいけない」
と力強く語ったという。加藤登紀子が見るキャンプシュワブは決してセクト政治活動家の集まりではない。沖縄の民衆の集まりである。だから、特定の政党を励ましに来たのではなく沖縄の民衆を励ましにきたのだ。加藤登紀子がキャンプシュワブで歌ったのはそれはそれでいいと思う。私の加藤登紀子に対する気持ちは変わらない。加藤登紀子の歌は素晴らしいし、考えもそれでいいと思う。
 問題は辺野古移設に関する情報が加藤登紀子の耳に正確に伝わっていないことである。そして、伝えることは不可能に近い。

 ニューヨーク在中の坂本龍一は沖縄タイムスの単独インタビュー受けた。坂本龍一は沖縄の音楽だけでなく政治にも関心があるミュージシャンである。政治と音楽は違う世界である。ミュージシャンの視点で政治を考えるのは間違いである。それにミュージシャンである坂本龍一が得ることができる沖縄・日本の政治情報のほとんどがマスコミ報道である。マスコミ報道に嘘があれば彼は嘘を信じてしまう。
 沖縄タイムスの「政府が進める現在の辺野古基地建設について、どうお考えですか」という質問に、坂本龍一は、
「僕は法律的なことは全く分からないですが、その素人が見ても日本政府がやっていることは法に基づいておらずそれを無視したやり方だなと思います。逆に損害を被っている沖縄の方が、あくまでも冷静に法律に基づいて手続きを進めているのに、米国にしろ日本にしろ、大きな力を持っている側が凶暴なまでに法を無視して強行しているというのはとても理不尽なことだと思いますね。歴史的に見ても第2次世界大戦で本当に大きな犠牲を払った沖縄ですが、また戦後何十年もアメリカの基地を押し付けられて大きな損害を受けている。沖縄には罪がないのになぜ犠牲を払わなきゃいけないのかということを強く感じます」
と答えている。法律を守ることを大事にし、沖縄を思いやる坂本龍一はヒューマニズムに満ち溢れている。しかし、それだけで彼の主張がヒューマニズムに溢れているとは言えない。
法律に素人である坂本氏が日本政府がやっていることは法を無視したやり方だと思ってしまう根拠はマスコミ情報であるが、彼が得たマスコミ情報は事実とは違う情報である。
政府は法治主義に徹しているし徹しなければならない。政府が法を無視すれば政府を監視している連中に訴訟を起こされて、裁判で負ければ内閣は解散しなければならない。議会制民主主義国家では政府が一番法律を守らなくてはならない。そのことを坂本氏は認識していない。実は法律を守っていないのは沖縄のほうである。
沖縄は第2次世界大戦では犠牲を払ったが、戦後は違う、戦後は犠牲を払っていない。米軍が統治していた時代は、マラリアなどの病気を米軍が駆逐し、米民政府によって沖縄の民主化が進んだし、経済も発展した。戦前に比べて平和で生活が豊かになった。その事実を坂本氏は知らない。沖縄二紙や本土のマスコミ報道を信じている坂本氏は、沖縄は何十年もアメリカの基地を押し付けられて大きな損害を受け、罪がないのになぜ犠牲を払わなきゃいけないのかと思ってしまうのである。
確かに戦闘機の墜落、米兵による婦女暴行、交通事故、騒音など米軍基地被害はあった。しかし、それは事件・事故であり、社会生活に悪影響を与えるような問題ではなかった。米軍による沖縄人への社会的な弾圧はなかった。むしろ米軍は三権分立、議会制民主主義社会をつくり沖縄の民主化を進めていった。搾取や弾圧はしなかった。坂本氏のいうような基地を押し付けられたがゆえの大きな損害というのははなかったし、罪がないのに犠牲を払わされたというのもなかった。坂本氏は事実とは違う認識をしている。

 「やっと雪解けが来るのかと思ったら、また新たに軍事基地を建設して貴重な自然を壊す。何でそこまでして沖縄が犠牲を払わなければいけないのか。本土の人間としても全く不可解です。いろんな記事を読むと米軍は、海兵隊は沖縄から出て行きたいけど、止めたのは日本政府だと。防衛ということはあるんでしょうけど。沖縄の貴重な自然を壊してまで米軍に居てもらうことで、そんなに大きなメリットがあるんでしょうかね。よく分かりませんけど全く不可解としか言いようがないですね」
新たな軍事基地とは辺野古飛行場のことである。「やっと雪解けが来る」と述べているがそれはいつ頃のことを指しているのだろうか。見当がつかない。
辺野古移設の始まりは2002年9月27日稲嶺知事が県議会で15年使用期限の解決なくして着工はないとの立場を表明。11月17日 県知事選で稲嶺氏が大差で再選された時から始まっている。
2004年8月13日に米海兵隊ハワイ所属の大型輸送ヘリCH53Dが沖縄国際大学 の一号館本館に接触、墜落、炎上したにも関わらず、辺野古移設反対派がボーリング調査を暴力的に妨害したことで辺野古沖への移設は実現できなかった。
その後、2006年4月7日島袋名護市長がV字型滑走路を提案し、政府と合意した。宜野座村も政府と基本合意書締結をした。最終的には2010年6月4日 鳩山氏が首相退陣、菅直人氏が首相に就任し、日米合意の踏襲を明言した。2010年6月4日で辺野古移設の政治決着がついたと判断するのが常識である。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であった。辺野古飛行場建設が決まったから沖縄防衛局は辺野古埋め立て申請をしたのである。そして、申請が承認されたからボーリング調査が始まったのだ。
政府は民主主義ルールに則って辺野古基地建設を進めたのである。坂本氏は歴史過程を無視している。ボーリング調査を始めたことが辺野古移設の始まりではない。ボーリング調査を始めたのは辺野古移設が結着したからである。辺野古移設結着までは関心がなくて、ボーリング調査を始めてから辺野古移設の始まりだと思い込んでいる坂本氏は政治的には無責任な発言である。
海兵隊が沖縄から完全撤去することを止めたのは日本政府である。だから、米軍を撤去させたフィリピンのように中国の侵略を防ぐことができたのである。もし、沖縄から米軍が撤去していたら、中国による沖縄への侵略行為はひどくなっていただろう。
辺野古飛行場は普天間飛行場を移設するために建設するのであり、辺野古飛行場ができると普天間飛行場は撤去され民間の土地になる。坂本氏が普天間飛行場のことを話さないことはおかしい。それに辺野古基地は現在も軍事基地であり建物が建っているから自然を破壊することにはならない。沿岸部を埋め立てるが規模としては小さいし自然破壊にはならない。
 
大きく自然破壊をしてきたのは米軍基地ではない。民間地である。戦前の人口は60万人に満たなかったが、戦後はどんどん人口が増え、140万人を超した。人口は中南部に集中し自然を破壊して住宅や商業建物が増えた。宜野湾市、浦添市、那覇市は緑が少なくなった。民間の海の埋め立ては辺野古の何百倍もある。自然を破壊したのは米軍基地ではなく民間地である。米軍が自然を破壊しているというのは坂本氏の認識の誤りである。
        つづく


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第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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普天間レーザー照射容疑者社民党を応援か

 ネット時代はすごいね。普天間レーザー照射の容疑者の名前が平岡克朗である警察が公表する、あっと言う間に平岡の素性がネットで拡散した。

米軍機レーザー照射事件 沖縄・宜野湾市の50代男を逮捕

フジテレビ系(FNN) 12月7日(月)12時8分配信
アメリカ軍普天間基地の周辺上空を飛行する軍用機に対して、レーザー光とみられる光線が照射された事件で、警察は、沖縄・宜野湾市に住む50代の男を逮捕し、7日朝、自宅の家宅捜索に着手した。
威力業務妨害の疑いで警察が逮捕したのは、宜野湾市に住む50代の男で、2014年から2015年にかけて、普天間基地の周辺上空を飛行する軍用機に、レーザー光とみられる光線を照射した疑いが持たれている。
警察によると、2014年7月から2015年12月上旬にかけて、あわせて6回、光線が照射されていたことがわかっている。
アメリカ軍から通報を受けて、捜査を続けていた警察は、7日午前7時ごろから、男の自宅の家宅捜索を始めていて


普天間レーザー照射 平岡克朗容疑者は インリン・オブ・ジョイトイのプロデューサー 社民党を応援か?
沖縄県警は、普天間飛行場周辺を飛行中の米軍機にレーザー光を照射したとして、
沖縄県宜野湾市大山の会社経営・平岡克朗容疑者(56)を威力業務妨害容疑で
逮捕した。


平岡容疑者は容疑を認めている。
県警はこれまでに計六回、米軍機へのレーザー照射があったことを確認しているが、
その全てに平岡容疑者が関わったかのかは不明。

平岡容疑者は「ヒラオカノフスキー・クラタチェンコ」の名前で、
台湾出身のタレント・インリンオブジョイトイさんのプロデュースなどを行っていた。女性向け衣料品の販売などで生計を立てているとみられ、数年前に東京から沖縄に移住していた。



平岡容疑者のものと見られるブログにはインリンさんとのツーショット写真も多数掲載。自民政権やアメリカ政府への中傷、中国やロシア、共産主義を肯定する文言が書き込まれ、社民党・福島みずほ氏を応援する内容も、福島氏との写真と共にアップされている。

2007年のブログでは「(パーティーの行われている)クラブでテロったら楽しいだろ~な~(笑)」といった記述も確認された。



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活動リーダーら3人逮捕に見える共産党の大きな存在



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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活動リーダーら3人逮捕に見える共産党の大きな存在

12月6日(日) の琉球新報で「辺野古抗議、活動リーダーら3人逮捕 刑特法違反、公妨容疑」の見出しの記事が載った。活動リーダーとは活動家のことである。「活動リーダーら3人逮捕」という見出しを見た瞬間、中核や革マル派が過激な行動をして逮捕されたのかなと思った。でもそうではなかった。

【辺野古問題取材班】名護署は5日、警察官に暴行を加えたとして、公務執行妨害の容疑で県統一連の瀬長和男事務局長と70代の男性を現行犯逮捕した。さらに同署は同日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内に正当な理由なく侵入したとして、刑事特別法違反の容疑で沖縄平和運動センターの山城博治議長を緊急逮捕した。山城議長の身柄が米軍側から県警に引き渡されたのは、日本人警備員による拘束から約4時間後だった。抗議活動をけん引している山城議長、瀬長事務局長の逮捕に、識者や市民からは、反対行為を萎縮させる目的ではないかと逮捕を疑問視する声が上がった。
瀬長事務局長の逮捕容疑は、5日午前7時22分、同ゲート先路上で警察官(39)の上着や拡声器のひもを引っ張るなどの暴行を加え公務を妨害した疑い。70代男性の逮捕容疑は、同日午前7時18分、同ゲート先路上で警察官(44)のすねを蹴るなどの暴行を加え公務を妨害した疑い。山城議長の逮捕容疑は、同日午前9時42分、シュワブ内に正当な理由なく侵入した疑い。同署によると、公務執行妨害容疑の2人は黙秘、山城議長は容疑を否認しているという。
接見した弁護士によると、公務執行妨害の2人は「やっていない」、山城議長は「ラインは越えたが侵入しようとしたわけではない」と話しているという。(琉球新報社)

「活動リーダー」とは「活動家」のことである。「活動家」からイメージするのは左翼活動家である。キャンプシュワブの反対運動を左翼運動だとイメージさせると県民が支持しなくなる恐れがあるから、沖縄・本土のマスコミはキャンプシュワブの運動を左翼運動をイメージさせないために「活動家」を市民と書いていた。ところが辺野古移設反対運動を一番に盛り立てている琉球新報が「活動」という言葉を使ったのである。これはミスではないか。
タイムスなど他の新聞は左翼活動家のイメージにつながる「活動」という言葉は使っていない。タイムスは活動リーダーではなく「まとめ役」という言葉にしている。
「活動リーダー」「まとめ役」「統一連」からキャンプシュブの運動は共産党が取り仕切っていることが分かる。
 

沖縄タイムス
辺野古で抗議まとめ役2人逮捕、1人拘束
名護市辺野古の米軍キャンプシュワブゲート前で5日朝、政府による新基地建設に反対する市民約90人が座り込んだ。機動隊が強制的に排除した上、朝の抗議行動のまとめ役だった県統一連の瀬長和男事務局長と70代男性を、公務執行妨害容疑で逮捕した。
午前9時45分ごろには、沖縄平和運動センターの山城博治議長が、2人を逮捕した機動隊に抗議するためシュワブ内に入り、市民に立ち退くよう警告する名護署の車両にペットボトルの水をかけた。米軍側が取り押さえて拘束した。
市民は抗議行動のリーダーを相次いで逮捕、拘束した機動隊や米軍に強く反発し、朝の座り込み開始から5時間がたった正午現在も、シュワブ前の路上で「山城さんや瀬長さんを返せ」「市民の怒りを助長したのは機動隊だ」と怒りの声を挙げている。(沖縄タイムス)

 県統一連とは共産党組織である。瀬長和男事務局長は瀬長亀次郎氏の孫である。統一連は復帰前の人民党時代からあり共産党の中心的な活動部である。
 キャンプシュワブに毎日一定の人間を動員するには綿密な計画、資金、集まってくる運動部員の手配が必要である。それができるのは共産党統一連しかない。平和運動運動センターの山城議長は議長といっても資金はないし動員力もない。山城議長が病気で長期間入院したがキャンプシュワブの動員力は落ちなかった。理由は動員力は山城議長にあるのではなく統一連にあるからだ。中核派、革マル派や非共産党系の労組関係者もキャンシュワブに集まっていると思うが少数だろう。動員が多いのは統一連つまり共産党員が多いだろう。タイムスのいう「抗議まとめ役」というのはゲート前座り込みの指導者であるということであり、キャンプシュワブには共産党員が多いから県統一連事務局長の瀬長氏の指示通りに動いているのだ。
 中核派と革マル派は反共産党派であるから座り込みには参加していないと思う。中核と革マルは殺し合いをしたくらいに仲が悪い。一緒に行動することはない。別々に行動しているだろう。
 
朝日新聞の報道
辺野古移設反対リーダーを逮捕 基地侵入容疑、本人否認

沖縄県警は5日、同県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの敷地内に侵入したとして、沖縄平和運動センター議長の山城博治容疑者(63)=沖縄市海邦2丁目=を日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の疑いで緊急逮捕し、発表した。容疑を否認しているという。

山城議長は米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設に反対する運動のリーダーの一人。名護署によると、同日午前9時40分ごろ、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、米軍への提供地を示す黄色の線を踏み越えて基地敷地に侵入した疑いがもたれている。
この日、ゲート前に座り込んで移設計画に抗議する反対派と機動隊がもみ合いになり、2人が公務執行妨害容疑などで逮捕された。山城議長はこれに抗議する中で敷地に入って米軍の憲兵隊に拘束され、約4時間後に名護署に引き渡されたという。

山城議長は2月22日にもキャンプ・シュワブに入ったとして刑事特別法違反容疑で逮捕された。その後、拘束時の映像がインターネットの動画サイトに投稿され、当時の在沖縄米海兵隊幹部が不適切に流出させたとして更迭された。(朝日新聞社)

朝日新聞は統一連とは書いていない。統一連は沖縄だけにある名称であり本土にはない。だから書かなかったかもしれない。

2月22日にイエローラインを超えて逮捕された時は、沖縄二紙も本土の新聞もイエローラインを超えていないのに逮捕されたと騒いだのに、今度は超えたために逮捕されたと書いている。ユーチューブの映像で山城議長がイエローラインを超えていた事実が明らかにされたから、ごまかしができなくなった。

ユーチューブを見ていなくて山城議長はイエローラインを超えていないのに不当逮捕されたと信じている人も、今度の逮捕はイエローラインを超えたから逮捕されたと納得するだろう。そして、もう一回イエローラインを超えて逮捕されたら、最初の逮捕も本当はイエーウラインを超えていたのではないかと疑うようになるかもしれない。




2月22日の写真である。山城議長はイエローラインを超えて警備員に逮捕しろとからかっている。この写真を県民に見せれば、イエローラインを超えたから逮捕されたことがはっきり分かる。沖縄タイムス、琉球新報が嘘の報道をしたことが分かる。赤丸内の二人はタイムスと新報の記者である。記者もイエローラインを超えている。
この写真を県民に見せれば2月22日の逮捕は不当ではなかったことが分かる。全県民に見せたいものだ。



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