野嵩ゲートの狂った老人正常な若者







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

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那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

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沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
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二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
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 九月二十八日、宜野湾市中央公民館で野嵩ゲートでオスプレイ配備反対運動を続けている活動家たちが集会を開いた。
 米軍普天間飛行場のゲートが、老活動家の座り込みによって封鎖されて一年が経った。つい最近のような気がするがもう一年も経ったのだ。年月が過ぎるのは早いものだ。

 沖縄タイムスは「市民の手で次々と封鎖された前代未聞の四日間」と評価している。
座り込みの最初は市民というより老活動家たちといったほうがいい人たちが恐る恐る閉鎖したゲートの門の前に集まった。革新系団体の専属弁護士は、座り込みをやっても警察に逮捕されることはないから、安心して座り込みをするように老人たちを説得した。
「ゲート入口は米軍が使用している治外法権の場所だから、日本の警察が取り締まることはできない。日本の法律で裁くこともできない。だから心配しないでください」
などと大声で説明した。そう、ゲート入口は治外法権であり日本の警察が直接介入できない場所だ。逮捕する権利は米軍にある。しかし、米軍が逮捕すると大騒ぎになり県民の米軍への反発が強くなる。だから、米軍が逮捕することはあり得ない。座り込みをやっても逮捕・留置場行きはないはずである。だから、座り込みをする。このような高度な法律の判断があって「前代未聞」の野嵩ゲート前に座り込み、封鎖を実現させたのである。
政治活動のリーダーが野嵩ゲート前に座り込みをしても警察に逮捕されないと確信を持ったのはアドバルーン風船揚げをやっても逮捕されなかった経験があったからだ。

 米軍飛行場は軍事基地であるために民間飛行場とは違う法律になっている。民間飛行場の周囲で風船揚げやたこ揚げをするのは危険行為として法律で禁じられている。だから、民間飛行場の周囲で風船あげをやったら逮捕され罰せられる。ところが米軍基地には禁止する法律がないから逮捕されない。この法律の穴を見つけて実行したのが普天間飛行場周辺でのアドバルーン風船揚げである。風船を揚げても実際に逮捕されなかった。防衛省や警察は危険だから風船揚げをしないでくれと頼むだけであった。

 日本は法治主義国家だ。法律の穴を利用した運動をすれば警察は手をだせないと革新系活動家たちは舌なめずりをしただろう。風船揚げの次にひねりだしたのがゲート前の座り込みだった。
 米軍の要請がない限り日本の警察はなにもできない。米軍の要請があっても警察にできることは排除するだけで逮捕することはできない。米軍の敷地内は治外法権の場所であり日本の法律が適用されないからだ。座り込みをやっても逮捕されないことを革新系の弁護士は老人たちに繰り返し説明をやり、安心して座り込みをするように老人たちを説得した。
ゲート前座り込みは警察は逮捕できないことを知った上での行動であり、市民運動のレベルを超えた高度な政治運動だ。プロ活動家による運動である。プロ活動家にロボットのように従順な老活動家たちが言われるままに座り込みをしたのだ。

 戦時中の大本営発表のように片寄ったニュース報道だけを沖縄紙がやっていれば老活動家が存在するのも納得できるが、今は偏った主張をする沖縄紙であるがニュースはそれなりに事実に忠実だ。
 沖縄紙を読むだけでも中国が共産党一党独裁国家であり、チベット、ウイグル自治区を植民地支配し、人権活動家を弾圧していることは分かる。フィリピン、ベトナムの領土に侵略し、尖閣列島に不当な介入をしていることがわかる。
なによりも、沖縄に米軍基地があるから戦後中国に侵略されなかったことが政治に関心の強い一般市民なら分かる。しかし、一般市民ではなく「上」に従順な左翼活動家たちは分からない。

 つえをつきながら参加した秋山勝さん。なんと御年七十一歳だという。普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請や名護市長選を挙げ、「今年から来年にかけては基地問題の正念場になる。米軍の思い通りにさせず、知事をぶれさせないためには、大衆の力こそが必要だ」と説いたという。

 老体に鞭打って杖をつきながら参加した秋山さん。情熱の塊というのかそれとも執念の塊というのか。それとも妄想の塊というのか。
「米軍の思い通りにさせず」と秋山さんは言っているが辺野古移設を決めたのは米軍ではない。国民に選ばれた日本政府と米政府が決めたのだ。日本も米国も民主主義国家だ。軍隊はシビリアンコントロールされているから、軍隊の行動は政府が決める。戦後教育を受けた秋山さんだが民主主義のことをあまり知らないようだ。秋山さんは米軍が自分の意思で活動していると勘違いしている。秋山さんの目からは米国は軍国主事国家に見えているのかもしれない。一方中国は全然見えないのだろう。

 超大国の共産党一党独裁国家中国が存在する限り、沖縄の米軍基地を完全撤退させることはできない。米軍は沖縄に駐留したいから駐留しているのではない。中国のアジア侵略を抑止するために駐留している。アジアの民主主義国家の平和を維持するために駐留している。
 戦後、北朝鮮による南朝鮮への侵略があった。中国共産党によるウイグル侵略、東モンゴル侵略、チベット侵略があった。台湾にも侵略しようとしたが米軍の抑止力で中国共産党の台湾侵略を喰いとめた。戦後間もないころは怒涛のごとく社会主義国家ソ連、中国は周囲国に侵略したのだ。侵略の拡大を抑止したのが米軍だ。
 
 沖縄に米軍が駐留していなかったら沖縄はとっくの昔に中国に占領されていた。現在、強力な軍事力を持つ自衛隊と米軍がいるから中国共産党は尖閣を占領しないのだ。自衛隊が脆弱で米軍が駐留していなかったらフィリピン、ベトナムの南沙諸島のように中国共産党に尖閣は占領されていた。

 断わっておくが、私に特別な情報源があるわけではない。私の情報源は沖縄紙の日本、アジア、世界に関するニュースプラスWEBだけであり、私の情報源は秋山さんと同じである。
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 今までの沖縄紙のニュースを精読していれば、政治に関心のある一般の市民なら普天間飛行場のグアム移転は不可能であり本土移転も不可能であることがわかる。勿論閉鎖はありえない。
 辺野古移設が実現しないなら普天間飛行場は固定してしまう。秋山さんは辺野古移設に反対している。であれば普天間固定に賛成することになる。しかし、秋山さんは普天間固定にも反対だろう。秋山さんの主張は県外移設か閉鎖か国外移設である。
 県外移設は不可能であるが、閉鎖・国外移設は中国の共産党一党独裁支配が崩壊し、中国が民主主義国家になれば実現可能である。ただ、共産党一党独裁がいつ崩壊するのか誰も予想できない。予想ができないのだから米軍の沖縄駐留は何年後までと期限を付けることができない。
 中国の共産党独裁支配が崩壊しない限り閉鎖・国外移設は実現しない。となれば普天間か辺野古しかない。辺野古移設を否定するということは普天間固定に賛成することになるのだが、秋山さんは普天間固定も反対だ。なぜこんな矛盾した主張ができるかというと秋山さんは活動家であるから「上」に従順であり、「上」に従順な秋山さんの思考は若いころから硬直していて、冷静に自分で考えることができないからだ。矛盾した理論に平気な秋山さんの頭は変である。狂っているのである。

 オスプレイ「NO」のプラカードを翳している老活動家たちを見ると複雑な気持ちになる。私は学生の時に学生運動に参加したが、政治は授業外であり教授が教えるものではなく、自分で考え、学生同士激論をやったものだ。共産主義とは何か、資本主義とは何か、プロレタリア革命とは何か・・・・しかし、デモやストライキの連続で議論する時間はなくなり、いつの間にか党派のトップの教えを鵜呑みにするようになり、思想が硬直していった。私は学生運動から離れ、自分なりの考えを発展させてきたが、そのまま政治活動を続けた人は「上」の教えを鵜呑みにして次第に頭が硬直していったのだろう。
 オスプレイは老朽化したCH46との交替である。オスプレイ配備の問題はオスプレイかCH46のどちらを配備するかの選択の問題である。オスプレイを配備しなければCH46を配備したままになる。そのことは沖縄紙を注意深く読めば誰でも分かる。しかし、硬直した頭の人たちはそのことを知らないのかまたは知っていても無視するかである。

 六十二歳の池原順子さんの孫が通う小学校は、普天間飛行場の近くらしい。池原順子さん「ここで危ない基地をほかの地域に持っていくことはできない。撤去に向け、若い人たち一人一人が非暴力の声を上げてほしい」と語ったそうである。

 それにしてもおかしな人だ。孫を愛しいと思っているなら孫のためにも普天間飛行場をよそに移転してほしいと思うのが普通のおばあさんだと思うのだが、池原さんは「危ない基地をほかの地域に持って行くことはできない」と辺野古移設に反対している。それでは孫は危険な学校に通わすことになる。孫は騒音被害に悩み最悪の場合は死んでもいいのかと言わざるを得ない。池原さんは自分の孫より他人の孫のほうが愛しいようだ。変なばあさんだ。

 池原さんは普天間飛行場の撤去を主張しているが、なぜ孫の通う小学校の移転を考えないのだろうか。普天間第二小学校なら米軍住宅街が来年返還される予定の場所があり絶好の移転場所である。孫が愛しいのなら外人住宅跡への移転を望みそうだが、池原さんは普天間飛行場の国外撤去しか頭にないようで、「撤去に向け、若い人たち一人一人が非暴力の声を上げてほしい」と言う。簡単にできる孫の小学校の移転より、日本、米国、中国、アジアの政治情勢と密接に関係し、日米両政府が反対している撤去を若い人たちに呼びかけるなんておかしい話だ。そもそも、若者たちは野嵩ゲートの老人たちの我儘ぶりを白い眼で見ている。なんとも鈍感な池原さんであることか。

「非暴力の声」という表現もおかしい。野嵩ゲートの活動家たちは「非暴力」というのを武器や肉体で物を破壊したり警察に刃向ったりしないという意味で使っている。「非暴力の声」とはなんのことだろう。声には物質的な暴力はない。汚い言葉を吐かないという意味だろうか。それにしても奇妙な造語である。池原さんがゴリゴリの活動家だから、野嵩ゲートのリーダーたちが盛んに使う「非暴力」を無理やり「声」とくっつけて使ったのだろう。「非暴力の声」か。滑稽な言葉の組み合わせに笑えてくる

 頭が硬直し、同じパターンの話を繰り返すだけの老活動家たちに賛同する若者はいない。逆に老活動家たちが我がままし放題で汚したゲートや金網を掃除する若者が増えている。
 私たちの頃は若者が常軌を逸した行動をして大人たちのひんしゅくを買っていたが、今は、大人どころか老人たちが常軌を逸した行動をとり、若者たちのひんしゅくを買っている。老人が狂っていて、若者が正常とは。変な時代になったものだ。
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沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない







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だから、学力テスト全国最下位だ

 石垣市教育長玉津氏が平和教育に対して「戦争への嫌悪感で思考停止」と表現したことに教育関係者や沖縄戦の語り部、平和団体が猛反発した。市議会では与党の自民議員の賛成も加わり、玉津博克教育長への不信任が決議された。
今年の全国学力テストが全国最下位しかも、中学の場合は点差が大きく開いた最下位だったが、教育関係者は反省も悲壮感もなく静かだった。教育関係の学者は沖縄の貧困、夜型生活、離婚率が高いのが学力低下の原因であるなどと、学校の教育にはなんの落ち度もないような発言が続いた
 今教育界で熱心なのはウチナー口の普及だ。ウチナー口の教則本をつくることに喜々としている。平和運動に狂奔しウチナー口普及に喜々としている沖縄教育界は学力向上に手をつける暇がないということなのだろう。
学力テスト全国最下位が判明したのは最近のことではない。一九五四年の「全国小・中学校児童生徒学力水準調査」で全国とは大きな学力差があることが判明した。その時から六十年近く沖縄は最下位である。本土との学力差は国費・自費という特別枠で本土の国立大学に進学した学生が授業についていけずに自殺する悲劇を招いた。私の同期生には国費・自費ではなく、私立大学に進学したが授業についていけないで自殺した学生がいた。

 復帰前は本土に比べて備品が少ないから沖縄の学力が低いと教員組織や識者は主張していた。祖国復帰して備品が本土なみになれば学力も本土並みになるというのがあの頃の教育関係者や革新政治家の定説だった。だから祖国復帰運動は学力向上の運動でもあった。子を持つ親が祖国復帰運動に参加するのは当然の流れである。
 しかし、復帰して四〇年経過しても沖縄の学力は全国最下位のままである。備品は本土並みになった。それでも学力が低いということは学力が低い原因は備品の問題ではなかったということだ。で、最近は貧困、夜型社会、母子家庭が多い等々の沖縄の社会が学力全国最下位の原因としている。
しかし、その理屈が間違っているのは全国一位である秋田県が示している。一九五六年の全国テストで秋田県は四十位前後であった。秋田県は沖縄と同じように、経済的に豊ではない。その秋田が四十三年ぶり行った全国学力テストで一位に輝いたのである。「沖縄の学力」の著者市村彦二氏は秋田県の教育状況を調査し、県の教育への取り組みの素晴らしさを知って秋田県が全国一になったことを納得したという。
 沖縄と秋田の違いは設備でもなければ貧困でもない。四十位からトップになった秋田と最下位を続ける沖縄との違いは学力向上に真剣に取り組んだか取り組まなかったかの違いである。
 秋田は懸命に学力向上に取り組んだが、沖縄は懸命に平和運動という名の政治活動に取り組んだのだ。復帰前は復帰すれば本土並みの学力になると主張していたが、復帰した後は沖縄の貧困が学力最下位の原因だと主張し、貧困の原因は米軍基地にあるなどと政治運動にいそしんでいるのが現在の沖教祖である。
 学力向上は県と教育関係者が一体になって学力向上を目指さなければ実現しないと秋田を調査した市村氏の感想である。学力向上には強い政治の介入が必要であるし、政治活動をほっといて学力向上に情熱を注ぐ教員が必要である。

 沖縄を見れば革新政治家の多くは教員出身であるから革新政治家に期待はできない。一方自民党はどうであるか。経済界が儲けることに手を貸す自民党は、金儲けになる公共工事には関心を持つが、金儲けに無縁な教育には全然興味を持たない。辺野古だって日本政府は陸上案であったのに莫大な儲けになる埋め立てを主張したのが自民党であった。仲井真知事は埋め立て地を延長しない限り埋め立て許可を出さないなどと言っていた。
沖縄の場合、革新も自民も学力向上には無関心である。沖縄の学力向上は絶望的である。

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沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない

 沖縄戦から六十八年も過ぎている。世界情況は大きく変化した。沖縄の平和教育は沖縄戦を体験した元女学生などの体験談が中心である。彼らはなぜ沖縄戦が起こり、戦後、世界でどんな戦争があったかに無知である。戦争の悲劇は戦後もつづいた。ソ連崩壊後のヨーロッパでは民族対立・宗教対立による悲惨な戦争が多く起こった。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
         ブルバニャ橋の悲劇

 一九九二年、ユーゴスラビアからの独立を求める「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が始まると事態は急変した。それは死者十万人とも言われる最悪の民族紛争…当時ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人の三つの民族が多く住んでいた。異なる民族の2人はいわば敵同士になってしまった。それでもボシュコ(セルビア人)は銃弾の飛び交う街を駆け抜け、毎日のようにアドミラ(ムスリム人)の元へ行った。命がけの愛だった。  
 しかし、ある日悲劇は起こった。セルビア人であるボシュコの居所がムスリム人側のサラエボ警察にばれてしまい、出頭命令が出てしまったのだ。捕虜となった人々は虐殺されるという現実…出頭すれば命はない。一緒に生きる事を誓った二人は、ついにサラエボの街からの脱出を決意した。
 サラエボからの脱出ルートには、ある“橋”を渡らなければいけなかった。長さ五十メートルの“ブルバニャ橋”。そこは、ムスリム人、セルビア人がにらみ合う中立地帯。侵入すれば、誰彼構わず射殺される可能性のある危険なエリアだった。一九九三年五月十九日、運命の時。この橋を渡れば、二人で新たな人生をスタートさせられる…意を決し、ボシュコが先に橋を駆け抜けようとしたその時だった。銃弾がボシュコの胸を撃ち抜いた。すぐにアドミラは愛する人の元へ走った。しかし二発目の銃弾が鳴り響き、アドミラも橋の上に倒れた…それでもアドミラは最後の力を振り絞り、ボシュコに這い寄り、覆いかぶさるようにして、二人は静かに息を引き取った。二人の遺体は一週間以上も橋の上にさらされたままだった。

ボシュコとアドミラ

ブルバニャ橋


 二人の死から二年六か月後、紛争は終わった。そして現在のサラエボは、多くの人で賑わう平和な町になっていた。だが、街の至る所には今なお銃痕が残り、多くの墓地があり、紛争の凄まじさがうかがえる。そしてサラエボ冬季オリンピックのメーンスタジアムの脇には、二人が一緒に埋葬された墓がある。現在セルビアの小さな町に住むボシュコの母ラーダさんは、「ボシュコとアドミラは、誰も二人を引き離すことはできないと思っていました。民族や宗教、肌の色などの違いで人々が分断されない世の中になることを祈っています」と語った。

 この実話は戦争の残酷さを伝えるだけではなく、反戦の気持ち、人間愛、そして、平和のありがたさだけでなく将来への希望を感じさせる。

 しかし、沖縄の老人たちの戦争体験談は戦争の怖さ、惨さ、日本兵の残忍さを伝えるだけで、なぜ沖縄戦が起こったか、戦後の世界の戦争はどのように変化したのかは教えない。ただただ戦争は怖い惨い、だから戦争は駄目というだけである。そして、軍隊があるから戦争が起こる。米軍基地があるから戦争に巻き込まれる。戦争が起こったら真っ先に沖縄が攻撃されると言い、平和運動がいつの間にか米軍基地撤去運動に転換していくのである。

 アジアの国は日本、中国、北朝鮮、韓国、フィリピン、台湾、インドネシアなどである。アメリカや日本が戦争するとしたら相手国はそれらの国である。アメリカや日本は一体どの国と戦争をするというのだ。戦争相手国を示さないで米軍がいるから戦争に巻き込まれるという抽象的な話はなんの意味もない。戦争恐怖を植え付けるだけだ。そんな妄想じみた話は止めるべきだ。
しかし、戦争体験を語る老人たちはアジアの国々を知らない。ただただ戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。老人たちだけではない。大学卒で知識の高い人たちの組織である沖教祖や革新政治家も老人たちと同じように戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。

 調子に乗って米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴する。シリア内戦ではすでに五万人の人が殺されている。数日前にはケニアの首都ナイロビのショッピングモールをテロリストが襲撃して六十七人の市民が殺害された。アフガン、パキスタン、イラクでは繰り返される自爆で多くの市民の命がなくなっている。それが戦争だ。戦争では貴い命が毎日失われていく。戦後の沖縄はテロ襲撃で県民の命が失われたことはない。他国の軍隊に襲撃されたこともない。米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴できるのは沖縄が平和だからだ。米軍に保護されて平和だから沖縄は戦場だなどと平気で言える。もし沖縄で戦争が起こったら、沖縄は戦場だなどと吹聴している連中は県民を守ってくれと米軍に泣きつくだろう。

 沖縄の平和運動は反米軍基地運動に転換し、米軍を撤去すれば沖縄は平和になると空念仏を繰り返すだけであり、将来への夢も希望もない運動である。
 沖縄の平和を本当に願うなら、今の沖縄を取り巻くアジア情勢を見、沖縄を襲ってくる可能性のある国に沖縄を襲ってくるなと訴える運動をするべきである。

 沖縄を襲ってくる可能性のある国は中国である。中国は尖閣は中国の領土だと主張し、尖閣は我が領土だと主張する日本と戦争も辞さないと豪語している。沖縄の上空に無人機を飛ばし、自衛隊が無人機を撃ち落とせば戦争をするぞと脅かしている。
戦争は惨いと念仏を繰り返すのではなく、米軍基地撤去の主張を繰り返すのではなく、沖縄を襲うぞと威嚇し脅し続けている中国に抗議をするのが沖縄の平和運動のあるべき姿だ。

 学力全国最下位を放置し、中国の脅威を無視し、アジア・世界を見る目を目隠しにし、六十八年前の悲惨さと米軍基地反対をやっている平和運動は沖縄の平和に全然貢献していない。子供たちの視野を狭くしているだけだ。
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安倍政権は今度こそ反日活動家の逮捕・起訴を







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反日活動家ら合同、尖閣へ抗議船…26日にも
. 【広州=吉田健一】尖閣諸島(沖縄県)の領有権を主張する中国や香港、台湾などの華人系団体で作る「世界華人保釣連盟」(本部・香港)が、尖閣上陸を目指し、26日にも中国福建省アモイから抗議船を出す準備を進めていることがわかった。
  複数の同団体関係者が23日、読売新聞に明らかにした。関係者らによると、出航計画は、同団体が今月前半に決定。香港と台湾から計10人以上の反日活動家が25日にもアモイ入りして中国人活動家と合流し、中国の活動家が準備した抗議船で出航する予定という。
         (2013年9月24日07時18分 読売新聞)

 安倍首相は堂々と尖閣の領海に不法侵入したら逮捕・起訴することを宣言してほしい。

 巡視船に衝突した船長や尖閣の島に上陸した反日中国活動家を逮捕したにも関わらず起訴しないで釈放した民主党政権は一気に国民の信頼を失った。巡視船への衝突、尖閣への上陸は日本を侮辱する行為であり、日本のプライドを嘲笑する行為である。日本のプライドを嘲笑する行為を国民は許さない。その気持ちが強いことが明確になったのが巡視船衝突、尖閣上陸事件だった。
 国民のプライドを知っている安倍政権は二度と民主党のような無様な対応はしないだろう。

 反日活動家はぜひ尖閣に上陸してほしい。安倍政権は反日活動家を逮捕起訴して今まで味わってきた国民の屈辱感を払拭してほしい。反日活動家の尖閣上陸は大歓迎だ。

 しかし、中国は反日活動家を尖閣に上陸させないだろう。もし、日本が逮捕・起訴したら中国で反日暴動が起こる。前の反日暴動は中国共産党政府が仕掛け、短期間に終わるように調整することができたが、日本が逮捕・起訴すれば反日暴動は長期化し、中国共産党政府が調整することは不可能だ。

 地方では共産党地方政府の弾圧に対する暴動が日常茶飯事だ。反日暴動が拡大して地方の暴動と結びつきダイナミックな反共産党政府運動へと発展する。共産党一党独裁支配の崩壊。中国の民主主義国家の登場と私は夢見るのだが、それは期待しすぎか。
しかし、最悪のシナリオとして中国共産党政府は想定するだろう。
 だから、中国共産党政府は反日活動家の尖閣上陸を阻止するだろう。それじゃあおもしろくない。なにがなんでも、反日活動家は中国共産党政府の阻止を突破して尖閣に上陸してほしい。

 世界で最後の独裁大国中国が民主主義国家になれば平和で豊かなアジアになれる。
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人間の命よりジュゴンの餌だとよ







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沖縄タイムス記者の頭はおかしい

 米軍普天間飛行場の県内移設予定地は辺野古沿岸であるが、埋め立て予定の辺野古沿岸の藻を昨年四~六月の頃に三年ぶりにジュゴンか食べた。食み跡を沖縄防衛局が確認したことを沖縄タイムス記者は知った。すると長官の一面にでかでかと「辺野古沿岸ジュゴン食跡」の大見出しで掲載した。

 現場は、国内に数頭しかしかいないともされるジュゴンの餌となる海藻が豊富に生えた貴重な海域として知られる。ジュゴンが繰り返し餌場としていることで、県知事が今後出す埋め立て可否の判断にも影響を与えそうだ。
                          沖縄タイムス
 私は今まで真剣に沖縄タイムスと対峙し私なりの批判をしてきた。しかし、最近は真剣に対峙する気持ちを失いつつある。真剣に批判することがバカらしくなったり空しくなったりする。タイムス記者が真剣に考えて記事を書いているのか疑わしくなる。もしかしたら軽い気持ちでいい加減な記事を書いているのではないかと思ってしまう。もしそうであるならば読者に対して失礼である。彼らはプロであり記事を書くことで給料をもらっているし、売り上げが落ちたら出世や給料にひびくだろうから決してそういうことはないだろう。しかし、もし真剣に書いているとしたら記者の頭はおかしいのではないだろうか。最近はそう思うようになってきた。

 ジュゴンが三年ぶりに辺野古沿岸の藻を食べた。もし、ジュゴンが三年に一回しか食事をしないのなら、辺野古沿岸の藻はジュゴンにとって命を守る貴重な存在である。そうであるならば辺野古沿岸の藻場はジュゴンにとってなくてはならない存在である。しかし、ジュゴンは三年に一回だけ食事する動物ではない。草食動物のジュゴンは毎日食事する。三年間なら一〇九五日藻を食べている。ジュゴンにとって辺野古沿岸の藻場は一〇九五分の一の存在価値しかない藻場である。三年間で一〇九四日は辺野古以外の藻場で食事をしているのだ。ジュゴンにとって辺野古沿岸の藻場がなくなってもちっとも困らない。三年ぶりに辺野古の藻を食べたということはそのことを証明している。

 ところがタイムス記者は一〇九五分の一日辺野古に来ただけで「ジュゴンが繰り返し餌場としている」と述べている。一〇九五分の一を「繰り返し」というタイムス記者は頭がおかしいとしか言いようがない。繰り返し来るというのは間を置かず来ることである。二、三日に一回とか一週間に一回くらいを繰り返すという、一か月に一回なら繰り返すではなく、「たまに」とかずばり一か月に一回という。一年に一回を「繰り返し」とは絶対に言わない。ましてや三年ぶりを繰り返しとは言わない。
 三年振りを「繰り返し」というタイムス記者は頭がおかしい。そうとしか言えない。

 ジュゴンが三年ぶりに辺野古に来たことが、タイムス記者は「県知事が今後出す埋め立て可否の判断にも影響を与えそうだ」と言う。
 辺野古に一〇九五分の一日寄って来ただけで、辺野古のジュゴンの藻場を守るために普天間移設をするなとタイムス記者は言いたいわけだ。そのタイムスはオスプレイはいつ墜落するかもしれない危険な飛行機であると報道し、宜野湾市民は命の危機にさらされていると危険信号を発信し続けている。普天間飛行場を離着陸するオスプレイの騒音がひどく周辺住民の被害は甚大であると繰り返し報道している。特に重低音は人体に悪影響を与えると報道し、オスプレイの撤去を主張している。
 タイムスがオスプレイは危険だ危険だと警告を発していながら、辺野古の飛行場移設予定地で三年ぶりにジュゴンが藻を食べただけでタイムス記者は辺野古移設を中止する理由にしている。藻場を埋めたからといってジュゴンが死ぬわけではない。一〇九五分の一日の藻場がなくなるだけだ。ジュゴンは全然困らない。人間の生命の危機、騒音被害よりも動物の一〇九五分の一日の藻場のほうが大事だなんて、いくら動物愛護の精神が強といっても頭が変としかいいようがない。
 タイムス記者は辺野古移設に反対である。だから、ジュゴンが三年ぶりにやってきたのを辺野古移設中止の理由にしているが、しかし、タイムス記者の主張は辺野古移設賛成反対の問題ではない。人間の命、被害を重く見るか軽く見るかの問題である。ヒューマニズムの問題である。人間愛の問題である。これは人間愛と動物愛を比較するような問題でもない。宜野湾市民の命とジュゴンの命のどっちを選ぶかの問題ではないからだ。これは宜野湾市民の命とジュゴンの一〇九五分の一日の藻場のどちらを選択するかの問題なのだ。とてもバカバカしい問題である。

 三年振りにやってきただけなのに「ジュゴンが繰り返し餌場としていることで、県知事が今後出す埋め立て可否の判断にも影響を与えそうだ」というタイムス記者の頭はおかしい。はっきり言って頭が狂っているとしかいえない。

 仲井間知事の頭もおかしいがタイムス記者ほどはおかしくないだろう。ジュゴンが三年振りにやってきたことが仲井間知事の辺野古埋め立て判断に影響を与えるということはありえない。・・・もし影響を与えるとしたら・・・急いで脳の精密検査をやったほうがいい・・・脳梗塞が再発したかもしれない・・・・。

注 「国内に数頭しかしかいない」と書いているが十数頭の誤りではないのか。数年前は十数頭棲息しているといわれていた。もし、数頭なら絶滅寸前だ。辺野古うんぬんどころの問題ではない  

  

 普天間の危険性を除去し辺野古米軍基地に統合縮小を実現する
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左翼偏向教育に対抗する「韓国版・新歴史教科書」







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

ブログ・光と影  古代ヒロシ

那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

じんじんのブログ  じんじん

米統治により、
沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
港町のスナックはてんやわんや  九九


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興味深い記事を見つけた。教科書問題で韓国でも日本と同じことが起こっているというのだ。韓国も教員や公務員は社会主義思想が根強いようだ。それは学生時代に社会主義に傾倒した学生たちが学者・教員・公務員になり、教科書の内容に社会主義思想を反映させているからだろう。
 社会主義運動に入るきっかけは労働者の貧困への同情がある。貧困の原因は独裁者や経営者が労働者を搾取することにある。搾取をなくして労働者が報われる社会にしたい。そのように考える若者は独裁者や資本家を嫌い、労働者階級の解放をめざす運動に走る。若いころの私もそうだった。
彼らは日本、米国を資本主義国家、帝国主義国家と決めつけ、民主主義国家であることを無視する。日本、米国は悪の権化だと信じている。だから、なにからなにまで否定するのだ。反独裁、反帝国主義、反資本主義が高じていくとそうなっていく。
彼らは日本が韓国で行ったすべてが悪とする。そのように一方的に決めつけるのが社会主義を学んだ学者・教員・公務員たちであり、彼らと報道機関が合流してダイナミズムな反日運動となって社会に大きな影響を与える。韓国は沖縄と似た歴史をたどっているようだ。
  しかし、韓国にも民主主義を基本とする保守派が台頭してきたようだ。そのことについて書いてあるのが下記の記事である。
 

左翼偏向教育に対抗する「韓国版・新歴史教科書」に圧力
産経新聞 9月21日(土)10時51分配信
 日本で起きたことは韓国でも必ず起きる?

 たとえば教育問題でいうと、日本では「日教組」の左翼偏向教育が教育界を汚染したが韓国では近年、やはり教員労組の「全教組」が左翼偏向教育で問題になっている。日本では「日教組」の“ゆとり教育”は今や反省の対象になり逆に学力強化論が台頭しているが、韓国では最近、「全教組」がゆとり教育の必要性を主張している。

 また韓国でも左翼偏向の歴史教科書に対抗する「新しい歴史教科書を作る運動」が起き、そこから生まれた保守派による「韓国版・扶桑社教科書」が今、世間を騒がせている。

 「韓国版・扶桑社教科書」とは新教科書に反対する左翼系が名付けたものだが、この新教科書は日本で激しい論争を呼んだ扶桑社発行の新歴史教科書と同じだというのだ。

 韓国の歴史教科書は過去の国定教科書1種類だけから先年、日本のような検定制度による複数教科書に変わった。問題になっているのは「高校・韓国史」で、従来の7種類に新しく保守派のものを加え8種類がこのほど検定に合格した。

 保守派のものは出版社の名前から「教学社版」といわれるが、これが今、左翼系学者や野党陣営から激しい攻撃を受け、世論を2分する左右激突の大論争になっているのだ。

 争点は近・現代史の見方で、教学社版の新教科書は日本統治時代についてはこれまでの「抑圧と搾取」だけという暗黒史観を否定。日本支配下でも韓国人は自己啓発に励み韓国社会は発展した、と歴史の多様な面を記述するなど、左派をはじめ公式史観が最も嫌ういわゆる「植民地近代化論」を取り入れている。

 解放後についても、独裁者とされた初代の李承晩(イ・スンマン)元大統領を共産主義から自由を守った民族的指導者として再評価。朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領についても近代化や経済発展などプラスを強調している。

 他の7種の教科書などこれまでの現代史記述は「独裁とそれに対する抵抗」という政治中心の暗い面を強調するものが多かったが、教学社版は経済発展や国力増大など明るい面に注目したものになっている。北朝鮮の見方についても新教科書は当然、厳しい。

 保守派は左派主導の既存の教科書を“自虐史観”と批判しているが、これも日本での論争とそっくりだ。

 左翼系学者や野党陣営は教学社版の検定合格を猛烈に非難し、記述ミスが多いことなどを理由に検定取り消しを政府に要求。版元の教学社にはテロまがいの脅迫や不買運動など圧力がかけられ、出版放棄論まで出ている。

 韓国では保守系の李明博(イ・ミョンバク)前政権以来、各界で保守派の巻き返しが進んでいるが「歴史学界だけは依然、左派が主導権を握っている」(韓国メディア)という。

 新教科書に対する左派の圧力や脅迫について保守系の大手メディアは「多様な歴史記述」や「教科書の自律的選択」を主張し、特定の教科書に対する圧力や排除を厳しく批判しているが、実はこうした圧力を韓国はこれまで官民挙げて日本の新教科書に対してかけてきた。

 韓国にとって今回の“新教科書騒ぎ”は、これまでの日本の教科書問題に対する韓国からの度の過ぎた介入を振り返り、反省するいい機会でもある。(ソウル 黒田勝弘)

 沖縄の教員・公務員の政治力はすごく強力である。全市町村長や自民党が辺野古移設反対を表明したのも教員・公務員が行政の実権を握っているからだ。知事にしろ市町村長にしろ行政のほとんどは公務員にがっちり握られている。公務員の言いなりである。教育行政は政治家が一切介入できないの。政治家よしっかりしろと言いたいが、今の政治家は駄目だ。特に自民党はだらしない。
沖縄自民党が左翼に引きずられている中で自民党のだらしなさを批判し、中国と対峙し辺野古移設に賛成する保守派のグループが台頭してきたのはいい。日本の民主主義政治は保守対左翼ではなく、左翼をカヤの外に追いやり、保守対保守の政界をつくるべきである。
 






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基礎学力さえも社会・家庭のせいにするのか







「かみつくⅢ 」の目次
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維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
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橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

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基礎学力さえも社会・家庭のせいにするのか
 成績が悪かった小学校の校長名を公表する意向を表明した静岡県の川勝知事は「最低というのは教師の授業が最低ということ」と教師を直接批判した。そして、「学力テストは教師力のテスト。家庭、地域の関係を分かった上で先生次第と申し上げたい。責任を持ち子どもの教育をする人に責任を問わなくてどうするのか」と県教育長に詰め寄った。

 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で国語Aの成績が最下位だったことへの川勝知事の危機感が学校批判、小学校の校長名を公表する発言になった。

 小学校の国語A以外は全国最下位だった沖縄県の仲井真知事は学力全国最下位にしらんぷりである。しらんぷりしているのは仲井真知事にとって教育問題は手を出せばやけどしてしまう世界であるからだ。それは今に始まったことではない。祖国復帰運動でものすごい政治力を発揮した沖教祖は復帰後も自治労と一緒に強力な政治力を持ち続けた。沖教祖の反発を恐れて歴代知事も教育問題には一切口をはさまない。

 沖縄では教師批判は禁句なのだ。全国学力テスト最下位でも、教師の責任を追及する政治家も識者も皆無なのだ。

将来を考えさせ、勉強の必要性を感じた時、子どもたちは学びに向かう。学力向上のヒントは、子どもの将来に向けた子どもと親、子どもと教師の二人三脚にあると思う
    島袋恒男(琉球大学教育学部教授

家庭では早寝、早起き、朝ご飯が重要である。
学力形成は学校と家庭のチームプレーだ。互いに守備範囲を確認しプレーすることが肝要だ。しかし、家庭がエラーして学校がカバーし、揚げ句は疲弊し本来の守備範囲を守れない状況が、多くあるのではないだろうか。
沖縄国際大学総合文化学部の三村和則教授(教育方法学)

 沖縄の識者が学力問題を語る時、必ず述べるのが家庭問題である。三村和則教授のように家庭のエラーが学力低下の原因であるとする識者がほとんどである。

 識者が指摘する沖縄が学力最下位であり続ける要因は、「経済水準の低さ、失業率の高さ、夜型社会の生活習慣、離婚率の高さ、親の無関心、テーゲー的な県民性」である。学校の教育に落ち度はないというのが識者の見解である。

 静岡県の川勝知事のように「最低というのは教師の授業が最低ということ」と学力テストの成績が悪いのは教師に実力がないからだと言う知事も識者もいないのが沖縄である。

学力問題を社会・家庭の責任にすり替えられないためには基礎学力・落ちこぼれを学校の責任にすることだ。
今はほとんどの親が子供の大学進学を希望している。落ちこぼれ生徒の親でも大学進学を希望している。だから、「学力テスト偏重がすぎると、優秀な子を埋もれさせてしまう。子供が小学生の頃、今とは違う形式の全国学力テストがあり、子どもの学年の成績は県内でも下位だったが、わずか三クラス一〇〇人規模で医師二人、教師、公務員数人など優秀な人材を多く輩出している。学力テストの成果とは必ずしも一致しない」。
と考える親が多い。親の頭の中には子供を「大学」に行かせたいという気持ちが強いからだ。
 学力テストの平均が悪いということはクラスの中に成績の悪い生徒が多いということだ。だから。優秀な生徒が居ても平均点は悪くなる。「学力テスト偏重がすぎると、優秀な子を埋もれさせてしまう」というその人は成績の悪い生徒を切り捨てる考えであるが、その自覚がない。
 学習塾をやった経験のある私に言わせれば「学力テスト偏重がすぎ」ても、「優秀な子は埋もれ」ないのが現実だ。優秀な生徒こそが学力テストは得意である。医者や教師を目指しているなら家庭教師に教えてもらったり、進学塾に通うだろうし、家庭学習もしっかりとやっている。

 問題は基礎学力がなくて落ちこぼれていく生徒のほうだ。彼らは家庭学習ができない。学校から与えられた宿題も解くことができない。勉強の仕方が分からないから落ちこぼれ生徒はどんどん落ちこぼれていく。
 沖縄では落ちこぼれの生徒を問題にした教育専門の学者はいない。「早寝、早起き、朝ご飯」と家庭問題にこだわる。それはなぜか。落ちこぼれ生徒を問題にすると落ちこぼれ生徒を生み出している学校批判をしなくてはならなくなるからだ。

 沖縄の全国学力テスト最下位の根本的な問題は落ちこぼれ生徒にある。基礎学力のなさにある。学習塾をやっていたからその事実を知っている。新聞の投稿欄に「以前から指摘されている。解答を記入しない『無回答率』の高さにあぜんとする」、「集中力や持続力、積極性が欠かせないのが課題である」と新聞に投稿していたが、その人は「無回答」した生徒が落ちこぼれであり問題が解けないから書かなかったと言うことを理解していない。そして、落ちこぼれ生徒が「集中力や持続力、積極性」を持っていても落ちこぼれ生徒を救い上げるシステムを造らない限り落ちこぼれから脱出することはできないことを知らない。

 私は言いたい。教師たちよ、教育専門の学者たちよ、識者よ、世間の人たちよ、「落ちこぼれ生徒」基礎学力」まで社会・家庭の責任にするのか。
 全国学力テストの結果に責任を取らない。落ちこぼれ生徒にも責任を取らない。そんな沖縄の公教育関係者は最低だ。給料泥棒だ。詐欺師だ。ペテン師だ。犯罪者だ。

 落ちこぼれをなくすのはその気になれば確実に実現できる。小学一年生から落ちこぼれ生徒を居残りさせて基礎を徹底して教えればいい。担任の教師たちが協力し合えば教師の負担は少なくすることができる。小学一年から中学三年まで徹底してやれば落ちこぼれ生徒はほとんどいなくなるだろう。
八〇点の生徒を一〇〇点にするのは非常に困難だが、〇点から三〇点の生徒を五〇点から六〇点にするのは困難ではない。底上げすれば学力テストの平均はグーンと上がる。
学習塾をやっていた時、掛け算九九はできない漢字が読めないからマンカも読まないという中学浪人が六入ってきたが、一年間で工業高校や農林高校を合格できるまで学力を伸ばすことができた。

 基礎学力は社会・家庭に関係がない。学校の責任だ。それは現場の教師の責任ではない。教師を育成・指導しなければならない公教育関係者全員の責任だ。そして、教育に関わろうとしない政治家の責任だ。

 教育専門の学者たちよ。あなたたちは基礎学力さえも社会・家庭のせいにするのか。その程度の理論しかないのか。
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慰安婦問題が新しい局面に入った







「かみつくⅢ 」の目次
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生徒に一番必要なのは学力だ  三
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感情国家韓国へ法治国家日本の鉄槌を



 慰安婦問題が新しい局面に入った。以下産経新聞の記事を紹介する。

慰安婦問題 河野洋平氏を提訴へ 「国民運動」談話撤回求める署名も3万超
                    産経新聞 九月十六日(月)配信
 慰安婦問題とは直接関係ないはずの米国に慰安婦の碑が建てられるなど、韓国・中国による慰安婦問題を題材とした日本バッシングが繰り広げられる中、今年七月に発足した「慰安婦の真実」国民運動(加瀬英明代表)が十日、参議院議員会館で記者会見し、騒動を泥沼化させた根源といえる「河野談話」の撤廃を求める署名三万八六七人分を同日、国に提出したことを報告。また近く河野洋平氏個人を提訴する考えも明らかにした。(溝上健良)

 会見で、加瀬代表は「慰安婦問題をめぐっては、全世界で日本はぬぐいがたい深刻な汚名を着せられている。これはひとえに平成五年、河野官房長官が出した談話に発している」と、河野談話の罪深さに言及。続いて松木国俊幹事長がアピール文を読み上げた。問題の全体像と深刻度を確認するためにも、ここではその全文を紹介しておきたい。

●「慰安婦の真実」に関する国民へのアピール

 いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐって、日本バッシングの風潮が世界的に広がっています。日本の慰安婦は代価を払わない「性奴隷」であったとか、「二十世紀最大の人身売買事件」だったとか、ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵するホロコーストだったとか、事実無根の途方もない言説がばらまかれています。アメリカの公共施設に朝鮮人慰安婦の像や碑が建てられ、地方議会の非難決議も行われています。韓国、中国、アメリカにロシアまで加わって日本批判を展開しています。

 アメリカでの慰安婦問題は一九九〇年代初頭から在米中国、韓国人のロビー活動で始まり、二〇〇七年にはアメリカ議会下院での日本非難決議がなされ、引き続いてオーストラリア、オランダ、フランス、EU、フィリピン、台湾と続き、今や日本はこの問題で、四面楚歌ともいうべき深刻な状況に置かれています。

 このような事態がもたらされた最大の原因は、日本政府が、何一つ証拠がなかったにもかかわらず、慰安婦の「強制連行」を認めたかのように読める「河野談話」を平成五年(一九九三年)に発表したことにあります。「河野談話」は、慰安婦の強制連行さえ認めれば事は収まるという韓国側の誘いに乗って、事実を曲げて政治的妥協をはかって作成された文書です。しかし、その結果は全く逆に、「河野談話」こそが強制連行の最大の証拠とされ、各国の日本非難決議の根拠となり、韓国人の妄言に見せかけの信憑性を与えることになったのです。

 あるアメリカの有識者は、「古今東西、軍隊と売春婦はつきものであり、それについて謝罪したのは有史以来日本政府だけである」と指摘しました。そして「そのような当たり前の事に謝罪したのは、本当はもっと悪いことをしていて、それを隠すためではないかとさえ勘ぐられている」と言います。日本を貶めようとする外国の謀略に乗せられ、国益を無視して安易に発した「河野談話」が、慰安婦問題で日本を苦境の縁に立たせた元凶なのです。

 日本国民がこのいわれのない屈辱に対して怒らないとしたら、それは日本国家の精神の死を意味します。私たちはどんなことがあってもこの汚名を私たちの子々孫々に負わせることはできません。

 今年七月、この問題を憂慮する個人・団体が集まり、私たちは〈「慰安婦の真実」国民運動〉を結成しました。今後は日本国内外の多くの同志と広く連携をとり「河野談話」の撤回運動を初めとする、日本の汚名をそそぐための様々な運動を展開していきます。

国民の皆様には、我々の救国運動に深いご理解をいただき、深甚なるご支援を賜りますよう、心よりお願いいたします。

平成二十五年九月十日 「慰安婦の真実」国民運動 代表 加瀬英明

 河野談話をめぐっては、石川県在住の諸橋茂一氏がかつて、東京地検に河野氏を刑事告発したものの「時効」を理由に却下された経緯がある。今回は民事で責任を問う方針で準備が進められており、年内にも提訴できる見通しという。
 とにもかくにも裁判に持ち込めるのは画期的である。河野談話については、強制連行の事実はなかったが韓国の自称慰安婦の発言を尊重して強制連行があったと河野氏が発言したことを当時の政府関係者が明言している。日本政府が調査した結果は強制連行はなかったのに、河野氏は談話で強制連行があったと発表したのだ。こんな馬鹿げたことを日本の政治家はやったのだ。裁判でこのいきさつを認めれば、たとえ河野氏か河野談話を撤回しなくても、河野談話は正式に否定されることと同じ価値を持つ。

 しかし、気になることがある。アピール文は慰安婦イコール売春婦と考えていることである。「古今東西、軍隊と売春婦はつきものであり、それについて謝罪したのは有史以来日本政府だけである」
 これでは世界と同じことをしただけなのになぜ日本だけが避難されるのだと慰安婦を普通の売春婦と同じにしてしまう。これでは日本に公娼制度があったことを無碍にしてしまう。日本の売春婦には公娼と私娼がいて日本政府は公娼を公認していたが私娼は禁止して取り締まっていた。公娼は日本軍が保護していたから性奴隷にはならなかった。性奴隷にさせられたのは日本軍に保護されなかった私娼である。戦時中の売春婦は合法である売春婦=公娼と違法な売春婦=私娼が居た。性奴隷にさせられたのは違法な売春婦たちである。


 河野談話がどのように悪用されているか。

 日本軍「慰安婦」問題を考える宮古の会は七日、宮古島市平良の中央公民館で講演会「日本軍『慰安婦』問題 世界からどう見られているか」を開いた。早稲田大学の中原道子名誉教授は、河野洋平官房長官が一九九三年当時、「従軍慰安婦」の旧日本軍の関与を認め、反省の意を示した「河野談話」を報告し、
「安倍晋三首相が河野談話の見直しを示唆したことに対し、欧米の新聞や雑誌などで安倍批判が数多く発表された。背景には旧日本軍の性奴隷への国際的批判があり、国連の人権委員会などで日本の戦時暴力に関する報告や勧告が相次いでいる」
と説明した。
                   沖縄タイムス
 慰安婦問題について詳しく知らない人だと中原道子名誉教授の説明を鵜呑みにするだろう。数か月前の私も鵜呑みにしていた。日本政府が調べた結果強制連行の証拠はなかったのに韓国の元慰安婦たちの根拠のない主張を河野氏は認めて河野談話で強制連行があったと言った。日本のマスコミは強制連行の証拠はなかったという政府の発表は報道しないで河野談話だけを世界に流したのだ。慰安婦は性奴隷であると世界に発信したのは朝日新聞である。
 朝日新聞や左翼系は強制連行、性奴隷を世界に発信し、世界を信じさせて、それを逆に輸入して世界は強制連行や慰安婦を性奴隷にした日本を批判していると日本の市民に吹聴するのである。

インドネシア 白馬事件(しろうまじけん)
 複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から十七歳から28歳の合計三十五人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの四つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。
 三月一日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に一度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。
 この事実を軍司令部が知ると四月末に四箇所の慰安所を閉鎖した。

 これは日本軍によってオランダ女性が性奴隷にされた事件である。性奴隷にすることを日本政府は禁じていた。だから、軍司令部は慰安所を閉鎖した。日本軍による強制連行、性奴隷はインドネシアであったのだから他の地域でもあっただろう。
 だから強制連行、性奴隷がなかったとは言えない。しかし、それは日本の法律で禁じている行為である。もし、日本軍が知れば取り締まっていた。
 一九九四年のオランダ政府の報告書では、戦時中のインドネシアには各地の慰安所で働いていた二〇〇~三〇〇人のオランダ人女性のうち少なくとも六十五人は絶対確実に強制売春の犠牲者だったとされている。ということは一三五~二三五人は慰安婦として正当な待遇を受けていたことになる。
 インドネシアでは白馬事件以外にも日本軍による強制連行の様子や憲兵隊による地位の濫用があったが、また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し憲兵隊が介入して女性を守った事例も述べられている。法を遵守者がいれば法すれすれに行動する者もいて違法行為をする者もいる。強制連行、強制売春、性奴隷は違法行為であり犯罪である。日本軍が違法行為をしたというのは間違っている。

〇合法行為
Å 公娼(慰安婦)による慰安所での売春行為
〇違法行為
B慰安所での強姦(性奴隷)
C私娼による慰安所以外での売春行為
D慰安所以外での強制売春(性奴隷)

 米国ではÅのことを知らない。多くの売春婦は公娼であり、日本軍が保護し、安全であった。Cも多かっただろう。慰安婦問題として取り上げられているのはBでもない。Bは白馬事件のようにインドネシアで収容所に入っている十七歳以上のオランダ女性を強制的に慰安所に入れ強姦した。収容所からしかも十七歳以上の女性を集めたのだから十七歳未満の少女を売春婦にした慰安婦問題とは違う。

 慰安婦問題として取り上げられているのはCである。韓国の自称元慰安婦の中には十四歳で慰安婦にされたという女性がいる。韓国で慰安婦になれるのは十七歳以上であった。十四歳では売春婦にはなれても慰安婦にはなれなかった。また挺身隊にさせるとだまされて慰安婦にさせられたという女性がいるが、未成年者が慰安婦になるためには生年月日を明らかにし、親の承諾が必要である。それに警察で慰安婦になるのを自分で認めなければならない。韓国の自称元慰安婦たちは十七歳未満であり、騙されて慰安婦にさせられたと述べているから警察に行き慰安婦になりたいことを言ったはずがない。彼女たちが慰安婦にはなれたはずがない。彼女たちは慰安婦ではない。違法売春婦だ。
 日本側はもっと慰安婦・売春婦について理論を深めるべきだ。

 私が慰安婦に関心を持ったのは橋本市長のツイッターで米国では慰安婦を性奴隷と訳されていることを知ってからである。米国は慰安婦を非難しているのではなく慰安婦を性奴隷と信じているから批判しているのだ。
米国では慰安婦=売春婦=性奴隷であると信じられている。米国の誤解を完全に解く方法を考えなければならない。
「慰安婦の真実」国民運動のアピール文には米国や世界の思い込みをひっくり返そうとする真摯な努力が感じられない。
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感情国家韓国へ法治国家日本の鉄槌を







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

ブログ・光と影  古代ヒロシ

那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

じんじんのブログ  じんじん

米統治により、
沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
港町のスナックはてんやわんや  九九


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感情国家韓国へ法治国家日本の鉄槌を



WTOに韓国提訴へ 水産物輸入禁止 政府、年内にも 「根拠なく不当」

 政府は13日、韓国政府が東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題を理由に被災地の水産物輸入の全面禁止に踏み切ったことについて、科学的根拠のない不当な輸入制限だとして、韓国を相手取り年内にも世界貿易機関(WTO)に提訴する方向で検討に入った。新たな風評被害を誘発しかねず、政府としては厳しい姿勢で対応する方針だ。

 農林水産省によると、食品に含まれる放射性物質に関する安全性をめぐり、WTOで争われた例はない。政府関係者は、韓国の対応について「科学的な根拠のない禁輸措置は正当化できない。今回のケースは、提訴の対象になる」と指摘する。

 自由で公正な貿易ができるよう国際通商ルールを決めるWTOには、加盟国間の争いを解決する紛争解決制度が設けられている。提訴があった場合、当事国以外から選ばれた専門家が非公開で審理を進め、勧告や裁定を行う。

 農水省は近く水産庁幹部を韓国に派遣し、禁輸措置をとった根拠、経緯などの説明を受けるとともに、日本の水産物の安全性を主張し禁輸措置の解禁を求める方針。韓国側から納得できる回答が得られなかった場合、WTOでの紛争処理手続きに入り、輸入禁止の是非を審理する委員会の設置を求める構えだ。

 韓国政府は6日、汚染水漏れ問題への懸念が広がったことを受け、福島、青森、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の計8県の水産物の輸入を全面禁止すると発表。9日から禁止措置に踏み切った。これまでも約50品目の輸入を規制していたが、今回、これを全水産物に拡大した。
                   産経新聞 9月14日(土)7時55分配信

 韓国の法治主義は日本が韓国を併合した時に強制した時から始まった。韓国の法治主義は韓国国民によって内側からつくりあげたのではなく、日本政府の強制という外側からつくりあげられたものである。だから、韓国は内なる法治主義が弱い。

 慰安婦問題で、日本国家は売春を許していたから、慰安婦=性奴隷などと韓国の自称元慰安婦たちは日本政府に賠償を要求しているが、日本国家が売春を認めていたというのは売春を野放しにしていたということではない。その逆だ。日本には娼妓取締規則があり、その法律を守る女性だけが売春行為を認められた。それを公娼という。日本政府は公娼の売春を認めたがそれ以外の売春認めないで取り締まった。

 公娼は十八歳以上であること、戸主の承諾を得ること、未成年者は親族の承諾を得ること、そして、警察に本人が出向き、書類を提出しなければならなかった。
 娼妓取締規則は十五条からなり、売春に厳しい制約を指定している。国が認めた売春婦を公娼といい、認めていない売春婦を私娼といい、私娼は法律違反だから取締りの対象だった。

 江戸幕府から明治政府になって大きく変わったのは政党政治と法治主義になったことである。法治主義とは国会で法律をつくり、文章化した法律を国の全ての組織が遵守し、違反したら罰することである。
明治時代は法治国家をつくるために心血を注いだ。

明治改元。
明治二年 (一八六九 ) 六月  版籍奉還に勅許降る。
明治四年 (一八七一) 七月 廃藩置県。
明治五年(一八七二) 太陽暦採用。
明治六年 (一八七三) 一月 徴兵制公布。 十一月 内務省設立。
明治十二年 (一八七九 ) 仏人ボアソナード、日本民法起草に着手
明治十三年 (一八八〇)  三月 自由民権運動いよいよ盛んとなる。国会期成同盟成立。
四月 集会条例制定。 七月 刑法・治罪法制定。
明治十四年 (一八八一) 四月  農商務省設立。
            自由党結成(総理・板垣退助)。
明治十五年 (一八八二) 一月  日本銀行条例により日本銀行成立。
明治十八年 (一八八五) 十二月 太政官制廃止、内閣制度施行される。
明治十九年 (一八八六) 三月 森有礼文相、帝国大学令施行。
明治二十一年(一八八七) 四月 枢密院官制公布。
明治二十二年 (一八八九)  二月 大日本帝国憲法発布。同時に皇室典範、衆議院議員選挙法、貴族院令、議員法を公布。内                閣官制公布。
明治二十三年 (一八九〇)  四月 民事訴訟法、商法公布。
            七月 第一回総選挙。 十月 刑事訴訟法公布。
明治改元。
明治二年 (一八六九 ) 六月  版籍奉還に勅許降る。
明治四年 (一八七一) 七月 廃藩置県。
明治五年(一八七二) 太陽暦採用。
明治六年 (一八七三) 一月 徴兵制公布。 十一月 内務省設立。
明治十二年 (一八七九 ) 仏人ボアソナード、日本民法起草に着手
明治十三年 (一八八〇)  三月 自由民権運動いよいよ盛んとなる。国会期成同盟成立。
           四月 集会条例制定。
           七月 刑法・治罪法制定。
明治十四年 (一八八一) 四月  農商務省設立。
自由党結成(総理・板垣退助)。
明治十五年 (一八八二) 一月  日本銀行条例により日本銀行成立。
明治十八年 (一八八五) 十二月 太政官制廃止、内閣制度施行される。
明治十九年( 一八八六) 三月 森有礼文相、帝国大学令施行。
明治二十一年( 一八八八) 四月 枢密院官制公布。
明治二十二年 (一八八九)  二月 大日本帝国憲法発布。同時に皇室典範、衆議院議員選挙法、貴族院令、議員法を公布。内               閣官制公布。
明治二十三年 (一八九〇)  四月 民事訴訟法、商法公布。
            七月 第一回総選挙。 十月 刑事訴訟法公布。
             十一月 第一回帝国議会開催。民党側は民力休養を主張、藩閥政府と正面衝突する。
明治二十九年 (一八九六)  四月  民法公布。 十二月 地租増徴案、可決。
明治三十三年 (一九〇〇)  五月 軍部大臣現役武官制確立。
明治四十一年 (一九〇八)  三月 増税法公布。
明治四十二年 (一九〇九)  五月 新聞紙法公布。

十一月 第一回帝国議会開催。民党側は民力休養を主張、藩閥政府と正面衝突する。

明治二十九年 (一八九六)  四月  民法公布。 十二月 地租増徴案、可決。
明治三十三年 (一九〇〇)  五月 軍部大臣現役武官制確立。
明治四十一年 (一九〇八)  三月 増税法公布。
明治四十二年 (一九〇九)  五月 新聞紙法公布。

 私たちは明治以降は法治主義であったことを忘れてはならない。
日本の法治主義は内側からつくったものであり、本当の法治主義だったのだ。
明治時代につくった民法や刑法の多くが現在も使われている。
 しかし、韓国は日本が強制した法治主義であり、内からの法治主義ではなかった。

 日本は一九一〇年に韓国を併合する。そして、日本流の法治主義を韓国にも適用する。一九一六年には貸座敷娼妓取締規則を公布する。その法律は日本の娼妓取締規則と同じ法律で、年齢だけは韓国の事情を考慮して十七歳以上となっている。
だから、韓国では十七未満は公的な売春婦とは認められない。法治主義を徹底している日本軍が十七歳未満の売春婦を認めるはずがない。慰安婦は公娼である。日本兵を相手にした売春婦みんなを慰安婦と考えるのは間違っている。戦時中の朝鮮の法律では十七歳未満の少女慰安婦は国が許可するはずはなく公的な売春婦であるはずはなかった。慰安婦は職業婦人として国が彼女たちの権利を守っていたのだ。日本軍が保護している売春婦である慰安婦が性奴隷にさせられることはなかった。

 十一歳とか十四歳の時に慰安婦させられたというのは嘘である。彼女たちは慰安婦ではなくて違法少女売春婦だった。老元慰安婦たちは違法な売春婦と合法な売春婦との区別ができていない。だから、老元自称慰安婦たちは日本兵相手の売春婦はみんな慰安婦であると主張しているのだが、これは大きな間違いである。日本兵相手の売春婦でも違法な売春婦はたくさんいた。少女売春婦も違法な存在だったのだ。老元自称慰安婦たちは法律を理解していない。彼女たちが居たのは日本軍が管理している慰安所なではなく違法な売春宿だったはずである。違法売春宿を勝手に慰安所と呼んでいるのだ。

 自称元慰安婦の老女たちと同じように法律を理解しないで感情的な政治をするのは現在の韓国政府も同じだ。
韓国政府は、汚染水漏れ問題への懸念が広がったことを受け、はっきりした法的根拠もなく福島、青森、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の計8県の水産物の輸入を全面禁禁止措置した。笑えることに海に囲まれていない群馬、栃木も対象にした。韓国政府が日本のイメージダウンを狙って感情的に輸入全面禁禁止したことは明らかだ。法治国家であるならばちゃんと法律にのっとり科学的根拠を示した上で輸入禁止をしなければならない。
日本政府はWTOに韓国政府を提訴しようとしているが、それは当然だ。

法治主義より感情論で行動する韓国は法治主義が未熟であり、まだ民主主義国家になっていない。
法治主義を徹底しての民主主義国家だ。

韓国の禁輸措置は日本憎しの感情論だ。
日本政府は禁輸措置の科学的根拠を韓国政府につきつめ、
感情論が通用しないことを思い知らせるべきだ。
感情国家韓国に法治国家日本の鉄槌をだ。
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満州・サイパン・沖縄の集団自決



満州・サイパン・沖縄の集団自決

 沖縄戦では悲惨な集団自決があった。恩納村十一人、読谷村のチビチリガマなど百二十一人以上、沖縄市美里三十三人、うるま市具志川十四人、八重瀬町玉城七人、糸満市、カミントウ壕など八〇人、座間味島二三四人、慶留間島五十三人、渡嘉敷島三二九人などとされている。これは沖縄戦における住民死者九万四〇〇〇人の一%強にあたる。
 
満州でも多くの集団自決が起こっている。

〇新京看護婦集団自決 - 満州国新京でソ連軍の残虐行為に抗議した看護婦二十数名の集団自決

   昭和二十一年六月二十日の満州・新京(長春)。旧ソ連軍に留め置かれ、長春第八病院で働いていた松岡喜身子さん  (七七)ら二十数人の従軍看護婦は、絶望のどん底にいた。
   その夜、ソ連軍の要請で軍の救護所へ仲間六人と“応援”に行っていた大島はなえ看護婦(二二)が、十一発もの銃  創を受けながら一人逃げ帰り、救護所の実態を伝えて息を引き取った。
  「日本人看護婦の仕事はソ連将校の慰安婦。もう人を送ってはいけません」
   大島さんの血みどろの姿に、喜身子さんはぼうぜんとし、涙も出なかった。「ロシア人は日本人を人間とすら扱わな  いのか…」
  だが、悪夢はその翌朝も待っていた。
   二十一日月曜日午前九時すぎ、病院の門をくぐった喜身子さんは、病院の人事課長、張宇孝さんに日本語でしかられ  た。
  「患者は来ているのに、看護婦は一人も来ない。婦長のしつけが悪い」
  「そんなはずはありません。見てきます」
  胸騒ぎがして、看護婦の大部屋がある三階に駆け上がった。ドアをノックしても返事はない。中へ飛び込むと、たたき  には靴がきちんとそろえてあった。
   線香が霧のように漂う暗い部屋に、二十二人の看護婦が二列に並んで横たわっていた。満州赤十字の制服姿で胸に手  を当て、眠っているようだった。寝乱れないよう、両太ももを包帯や腰ひもで縛っていた。
   「死んでいる…」。満州赤十字の看護婦は終戦時、軍医から致死量の青酸カリをもらい、制帽のリボン裏に隠し持っ  ていた。机上には、二十二人連名の遺書が残されていた。

  〈私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます〉

   これにはソ連側も驚き、翌日には「日本女性とソ連兵は、ジープその他の車に同乗してはいけない」など綱紀粛正の  通達を出す。
   命と引き換えにした抗議の、ささやかな代償だった。
   一方、病院からは小さな花束が一つ贈られただけ。葬儀資金にも困ったが、張さんが「火葬、分骨して故郷の両親に  届けてあげなさい」と、一人当たり当時の金額で千円もする火葬代を払ってくれた。
  葬儀を済ませ、四十九日を迎えたころ、喜身子さんは、いまだ帰らない看護婦たちが、ダンサーをしているとうわさに  聞き、そのダンスホールへ向かった。

   名前を告げ入り口で待つと、五人が現れた。肌もあらわなイブニングドレスに濃いルージュ。いかにもダンサー然と  しているが、青ざめた顔はまるで病人のよう。
  「こんな所にいないで、早く帰ってきて」
  喜身子さんは説得するが、五人は首を横に振るばかり。ついカッとなり、「好きでこんなことをやっているの。そこま  で堕落したの」とひっぱたいた。
  すると、彼女たちは涙を浮かべ、決意を語り始めた。
  「私たちはこの体で帰れましょうか。今は一人でも多くの客をとり、この性病をソ連兵にうつして苦しめたい」
  喜身子さんは翌日、薬を手に再び訪ねた。が、看護婦である彼女たちは、自分の症状が治るものではないと知ってお   り、受け取りも拒んだ。
   二年あまり過ぎた二十三年十一月、喜身子さんらが日本へ引き揚げるとき、五人は稼いだお金を駅まで持ってきた。  「旅費にしてください」と無理やり渡し、話も交わさずに去った。そのうち三人はピストルで自殺したという。
                          青葉慈蔵尊由来記

〇敦化事件 - 満州国敦化でソ連軍の暴行に抗議した日満パルプ工業の女性たちの集団自決

   八月二十六日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちは短機関銃を空に乱射しながら女性たちが監禁されている各部屋に乱入  すると、女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った女性たちを連れて行こうとした。女性たちは金品を渡し  たり、許しを懇願したが聞き入れられず、次々に引きずり出されていった。各部屋からは女性たちの悲痛な叫びが溢れ  たが、ソ連兵は構うことなく短機関銃を乱射し続けていた。
 
   このため、女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたが、ソ連兵による強姦は朝になっても収まること  はなく、部屋に乱入すると女性たちの胸部をまさぐるなどして気に入った女性たちを何度も連行していった。社宅と塀  を隔てた工場に残されていた男性社員たちは、社宅の異変を察知するとソ連兵の監視を掻い潜り塀を乗り越え社宅に潜  入したが、厳重な警戒が布かれている独身寮には近づくことができなかった。ソ連兵たちは狼藉を続けるうちに女性た  ちの部屋の廊下に監視兵を置くようになったため、御不浄や食事もままならないようになった。女性たちは自身のおか  れている状況や絶え間ない銃声から、すでに男性社員たちは皆殺しにあったのではないかと考えるようになった。ソ連  兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は八月二十七日の深夜になっても収まることはなかった。このため、二十八人の  婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がなされるようになった[。議論中にもソ連兵の乱入があり、隣  室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに議論が決した。隠し持  っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、二十三人が死亡、五人が死に切れずに生き残った。他の部屋ではソ連兵  に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

   八月二十七日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、女性た  ちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。責任を問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ  以上の暴行は中止されることとなった。

〇真岡郵便電信局事件 - 樺太における女性電話交換手の集団自決。
   太平洋戦争末期の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。当時日本領だった樺太では、  ソ連軍と日本軍の戦闘が、一九四五年八月十五日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局  では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。八月二十日に真岡にソ連軍が上陸する   と、勤務中の女性電話交換手十二名のうち十名が局内で自決を図り、九名が死亡した。真岡郵便局事件、また北のひめ  ゆり(事件)とも呼ばれる。

〇麻山事件 - 麻山区における集団自決事件。
   太平洋戦争末期の一九四五年(昭和二十年)八月十二日、満州国鶏寧県麻生区(現中華人民共和国黒龍江省鶏西市麻  山区)において、日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍と満州国軍反乱兵によって攻撃されて集団自決した事件。四二  一人が死亡した。

〇小山克事件 - 満州国吉林省で暴民に襲われた婦女子が崖がら飛び降りた。

〇葛根廟事件 - 満州国興安総省でソ連軍に襲撃された避難民が自決した。


サイパンの集団自決

 1944年6月15日、サイパン島南西部4ヶ所に上陸した米軍(最終的には7万余人)の攻撃によって、ジリジリと島の北端に追い詰められて逃げ場を失い絶望した民間人達は、7月の8日から9日にかけて、「生きて虜囚の辱しめを受けず」という「戦陣訓」(これは、東條英機陸相が、戦時における陸軍将兵の心得を訓示したものだったが)に忠実に従い、投降を呼びかける米軍に背を向けて、太平洋に面する断崖の上から80m下の海へ、家族同士手をつなぐなどして身を投じて集団自決した場所の一つがバンザイ・クリフ(BANZAI・CLIFF バンザイの崖)。戦前は北岬と呼ばれていたが、集団自決する人々が、「天皇陛下万歳!」と叫びながら海へ飛び降りたことから、戦後、米軍兵士達によって、「バンザイ・クリフ」と名づけられ、今では、これが一般的な呼び名となっている。(なお、人々が海へ飛び降りるときの姿が、丁度、バンザイをしているように見えたことから、その名がつけられた、とする説もある)

 ここでは、その他に、手榴弾による自決、青酸カリによる服毒死、などを含めて、約2,000人が死亡したとされている。

 集団自決があったもう一つの場所は、スーサイド・クリフ(SUICIDE・CLIFF 自殺の崖)。戦前はマルピ山と呼ばれていたが、バンザイ・クリフより約1㎞南にある、その山の文字通りの北の外れは、標高250mの殆ど垂直に切り立った断崖絶壁になっていて、その150m直下には、岩場とそれに続く樹林が広がっており、人々はそこへ身を躍らせていった。ここでの死者も(バンザイ・クリフでと同じように、手榴弾などによる自決を含めて)千数百人にものぼるとされている。
 

沖縄県読谷村チビチリガマの集団自決

 三月末から激しい爆撃があり読谷村の住民は近隣の者、多くはいくつかの親類で集まってガマで寝起きするようになり、チビチリガマは、読谷村字波平の集落から西へ五〇〇メートルほど行った所にあり、深さ一〇メートルほどのV字型をした谷の底にある。集落内に源をもつ湧水が流れ出て小さな川をなし、それが流れ込む所に位置し、川が尻切れる所といった意味から「チビチリ」(尻切れ)という名が付いたと考えられている。米軍が上陸した海岸からは八〇〇メートルほど内陸である。

 四月一日、米軍に発見されたチビチリガマの避難民は「デテキナサイ、コロシマセン」という米兵の言葉が信用できず、逆に竹槍を持って反撃に出た。上陸直後のため敵の人数もそう多くはないと思い込んだのが間違いだった。ガマの上には戦車と米兵が集結、竹槍で突っ込んでくる避難民に機関銃を撃ち、手榴弾を投げ込んだ。この衝突で二人が重症を負い、その後死亡した。避難民の恐怖心はさらに高まった。
 米軍の上陸を目のあたりにしたその日、南洋(サイパン)帰りの二人が初めて「自決」を口にした。焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けようとした。

それを見た避難民たちの間では「自決」の賛否について、両派に分かれて激しく対立し、口論が湧き起こった。
 二人の男は怒りに狂って火を付けた。放っておけば犠牲者はもっと増えたに違いない。その時、四人の女性が反発し、火を消し止めた。四人には幼い子がおり、生命の大切さを身をもって知っていたからだ。結局、その日は大事には至らなかったが、「自決派」と「反自決派」のいさかいはその後も続いた。
 前日の突撃で米軍の戦力の強さを思い知らされた避難民は一睡も出来ないまま二日を迎えた。
前日に無血上陸を果たした米兵が再度ガマに入ってきて「デテキナサイ、コロシマセン」と降伏を呼び掛け、食べ物を置いていった。

 その間にもいくつかの悲劇は起きていた。十八歳の少女が母の手にかかり死亡したり、看護婦の知花※※らのように毒薬を注射して「自決」した人々もいた。「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んだのは一四、五人ほどだったという。
横たわる死体。そこへ再び入ってきた米兵…。ガマの中の混乱は極限に達していた。そんな中ひもじさの余り米兵の持ってきた食べ物を口にする者もいたが、毒が入っているから絶対食べるなと頑として応じない者もおり、避難民は生か死かの選択が迫られていた。
 煙で苦しんで死ぬより、アメリカーに撃たれて楽に死のうとガマを出た人もいた。しかし、大半はガマでの「自決」を覚悟していたようだ。
 そして毛布などについに火がつけられた。前日は止めたが、もうそれを止めることはできなかった。奥にいた人たちは死を覚悟して、「自決」していった。煙に包まれる中、「天皇陛下バンザイ」を叫んでのことだった。そこに見られたのは地獄絵図さながらの惨状だった。
避難民約一四〇人のうち八三人が「集団自決」という形で亡くなるというチビチリガマでの一大惨事だが、真相が明らかになったのは戦後三十八年たってからであった。全犠牲者の約六割が十八歳以下の子どもたちであったことも改めて判明した。
 数十人はガマを出て米軍に投降した。ガマを出たとたん米兵に大歓迎を受けたと感じる者も殺されるのではないかと思っていた者もいた。

 ※※さんの思い出

 玉城※※(字儀間)

 昭和十九年当時、私は大山医院で住み込みの看護婦をしていて、後にチビチリガマで「自決」された知花※※さんとは、とても親しくしていました。みんなは「※※ちゃん」とか「※※さん」とか呼んでいました。彼女は「満州」で従軍看護婦をしていたそうですが、そこで知り合った本土出身の男性との結婚の了解を得るため、両親のもとにいったん帰って来たのだそうです。しかし戦況が悪化して「満州」に戻ることができなくなり、しばらくは大山医院で働いていたそうですが、私が大山医院に勤める頃からは、北飛行場の医務室で看護婦として働いていました。

 彼女は、医務室の薬が切れると大山医院に取りに来たりするので、話をする機会がよくありました。当時は女に生まれて、国のために何が出来るかと考えると、従軍看護婦の道ぐらいしかありませんから、私は従軍して戦場で働き、天皇陛下のために死のうと考えていました。しかし諸事情から、従軍看護婦の道を諦めざるを得なかった私にとって、「満州」で従軍看護婦をしていた彼女は憧れのお姉さんでした。とても有能な人で、看護婦の免許のほかに産婆の免許を持ち、話すことも知的でいつも希望に燃えていました。国のためにという熱意にあふれて力強く話す姿は、今でいうと政治家の土井たか子に似ていました。

 「※※ちゃん頑張るんだよ、大和魂で負けたらいかんよ。最後の最後まで頑張らんといかんよ。最後はどうなるか分からんし、私もどうなっていくのかわからんけど、もし戦争に負けることになったら、生きるんじゃないよ。自分で死んだほうがいい、捕虜になったら虐待されて殺されるんだから」彼女はそう言うと、「満州」で「支那事変」帰りの兵隊に聞いた「戦場での女の哀れ話」を私にも話して聞かせるのでした。その話は非常に恐ろしく、敗戦国の女性がどんな目に遭うのか私にまざまざと感じさせるものでした。

 そういった姿の一方では、彼女には女性らしい面も多くありました。戦争が激しくなると、「満州」にいる恋人のことが心配で落ち着かなかったのでしょう、大山医院の院長先生に相談に来ることもありました。「ねえ、先生、どうしよう、どうしよう」と彼女が言うと、医院長先生は「どうもこうもない。戦争だぞ。お前はもう、ここで働きなさい。満州には帰れないだろう、そうでないと一人の恋人のために命を捨てることになるぞ」と彼女をたしなめていました。
 彼女は「満州」にいる恋人のことを思ってか、さびしく歌をうたったりすることもありましたが、あの姿を思い出すと今でも胸が痛くなります。でも暫くたってから、思いをふっきったのか「私は満州に行けなくなって良かった。家族の面倒がみれるから」と言っていました。

 彼女と一緒にいたのは僅かの間ですが、たくさんの思い出があります。本当に、大好きな人でした。
 ※※さんは戦後、チビチリガマの「自決」のことが明るみに出てから、いろいろ思われたようですが、私は彼女が悪いんじゃない、すべて日本の教育が間違っていたんだと思います。彼女は日本の教育をまともに受けただけなんです。日本の教育が、彼女を「大和魂の女性」にしたんだと思います。

沖縄県読谷村集団自決を免れたシムクガマ

 なお、同じ読谷村内でもチビチリガマがら六〇〇m離れたシムクガマに避難した約一〇〇〇人は英語の喋れる男性の誘導で一人も死ぬことなく投降した。こうした経緯は一九八三年ころまでまったく明らかにされなかった、それは率先して死のうと言った者も、その結果死にたくないのに死んだ者も、またその恨みを持つ者それぞれが同じ集落内の隣人や近親者であり、この「集団自決」の忌まわしい記憶を呼び覚ます事に強い抵抗があったからである。読谷村の集団自決については読谷村史がWEB上で公開されている。
 シムクガマは波平又川原(マタガーバル)に洞口を開いた天然の鍾乳洞です。資料によると、「洞口はアガリシムクとイリシムクの二つあり、総延長二五七〇メートル」とあります。
 一九四五年(昭和二十)三月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、波平では約一〇〇〇人の字民がこの洞窟に避難するようになりました。
 やがてアメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、アメリカ軍は読谷山村の西海岸から怒濤(どとう)のような勢いで進撃してきて、戦車をともなったその一部は、シムクガマに迫って来ました。
 アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖の余りうろたえ、洞窟内は大混乱に陥りました。いよいよ殺されるのだと、洞窟の奥へ逃げ込もうとしますが、足の踏み場もありません。
 その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時七十二歳)と比嘉平三(当時六十三歳)の二人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導き、一〇〇〇の人前後の避難民の命が助かったということです。
 この事実に基づいて波平では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立してあります。
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今日(金曜日)7時30分から沖縄の真実(ニコニコ生動画)に出演する。

テーマはー「かみつくⅢ」に書いている、私の学習塾時代の体験と沖縄の学力
問題、韓国の慰安婦問題、小説「港町のスナックはてんやわんや」に書いてある
辺野古問題だ。

私は学習塾時代に赤字覚悟(確実に生徒数は少ない。実際に一クラス一人から三人であった)で「基礎学力特訓コース」をつくった。
私の思惑とは違い、「特殊学級」の知的障害の生徒だけが入り、一年で止めた。

基礎学力とはなにか。
効果ある学習指導とはなにか。
学習塾を辞めてもそのことについては追求し続けてきた。

沖縄の学力が低い原因ははっきりしているし、解決方法もはっきりしている。

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