橋下徹氏でも見抜けなかった前原・小池代表の策略

橋下徹氏でも見抜けなかった前原・小池代表の策略
 橋本徹氏は前原代表が民進党の希望の党への入党を全員入党できるような説明をして、リベラル派の排除を小池代表に任せたことをツイッターで批判した。

「認権を小池さんに委ねずに、自ら公認権を駆使してポンコツ議員を切りまくった方がよかった。希望の党への入党の可否は早速しがらみが影響している模様」
 前原代表に課せられていたのは超短期間でリベラル派を排除することであった。橋下氏が主張するように民進党内で排除しようとすれば、リベララル派の反撃に会い、揉めて、リベラル派排除は失敗していただろう

 民進党総会では希望の党への入党を申し込めば全員が入党できるとイメージしてしまうように前原代表は話した。だからリベラル派も希望の党に入党するのに賛成したのである。ところが民進党が希望の党に入党することを決めた直後に、小池代表は、「『排除しない』のではなく、排除はいたします」
と言い、
「安全保障や憲法観といった根幹部分で一致しない民進党議員は入党させない」
と安保法案と憲法改正に反対する者は入党させないと断言したのである。もし、総会の前に小池代表が排除することを言ったならリヘラル派は反対して、前原代表の希望の党への入党案は破棄されたはずである。希望の党への入党案が決まったから小池代表は間髪を入れずに排除すると宣言したのである。

 リベラル派排除は前原代表と小池代表の二人が示し合わせた計画であった。そのことを橋下氏は気付くことができなかった。しかし、さすが橋下氏である。その後に二人の狙いに気付いた。橋下氏は次のツイッターで前原代表批判を訂正した。
 
 橋下氏のツイッターより、
「でもポンコツ議員をこんな短期間で整理するのは、小池さんの公認権に委ねる方法しか実際はない。僕も無責任な机上の論をほざく自称インテリになったもんだ。とにかく激しいぶつかり合いが政治を以前よりましなものにする。小池さん、前原さんの特大功績」
 
 前原代表と小池代表のコンビによるリベラル派排除の策略は、橋下氏を「僕も無責任な机上の論をほざく自称インテリになったもんだ」
と言わせるほどのものであった。

 短期間で一気にリベラル派を排除する二人の策略には橋下氏も舌を巻いただろう。

 これで、共産党の民進党を含んだ野党4党共闘の戦略は潰れた。自由党も希望の党に合流するから、共産党の目指した4党共闘は共産党と社民党の2党共闘になった。
野党は共産党、リベラル派、社民党の左翼政党と希望の党、維新の会の保守政党にはっきりと分かれることになる。これでいい。

 左翼政党は時代の流れで次第に衰退していくだろう。保守の二大政党時代がやがて始まる。
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リベラル派排除に政治生命を賭けた前原代表

リベラル派排除に政治生命を賭けた前原代表
希望の党への合流を積極的に進めた前原代表であるが、自分は希望の党に入党しないで無所属で出馬することを決めた。
 民進党の希望の党への合流を積極的に進めたのは小池代表より前原代表であった。普通に考えれば前原代表が先頭に立って希望の党への入党をやるだろう。しかし、前原代表は希望の党に入党申請をしないで無所属で出馬することを決めたのである。
参議員議員は民進党に残るから民進党の代表としての責任と参議員議員をどうするか責任があるから希望の党に入党しないで民進党に残ると説明した上で、民進党からは全員立候補させないことを決めたから、前原代表は無所属で出馬すると決めたと述べた。

もっともらしい説明ではあるが、それなら民進党から出馬してもいいと思う。希望の党に移りたい議員は希望の党に移り、民進党に残りたい議員は民進党から出馬するようにすれば、前原代表は無所属で出馬しなくていいし、当選する確率は無所属で出馬するよりずっと高い。しかし、前原代表は民進党からは一人も出馬させないことを決めた。民進党から出馬できないという前原代表にとって厳しい条件を自ら課したのである。無所属なら、もしかすると落選するかも知れない。しかし、前原代表は敢えて自分にとって厳しい方法を選んだのである。それには理由がある。

前原代表は憲法違反であるから安保法制には反対であるということを公言している。前原代表が民進党から出馬すれば安保法制に反対しているリベラル派も希望の党から出馬しないで民進党から出馬することができる。リベラル派を民進党から出馬させないためには全員民進党からの出馬させないようにしなければならない。だから、前原代表は民進党からの出馬は全員できないようにしたのである。
前原代表が安保法制反対のまま希望の党に入党するとなると小池代表を追い詰めることになる。もし、前原代表を受け入れたら、安保法制に反対しているリベラル派も受け入れなければならない。それでは希望の党が保守と左翼が同居する第二民進党になってしまう。前原代表と小池代表が目指しているのは左翼を排除した保守政党をつくることだから、前原代表が安保法制反対を掲げて希望の党に入党するのは絶対に避けなければならい。

しかし、希望の党への民進党の合弁を積極的に進めた前原代表の入党を拒否したら小池代表がエゴイストに見え、国民の信頼を失う。
前原代表が確実な当選を目指して希望の党から出馬するには安保法制に賛成するしかない。しかし、前原代表はマスコミのインタビューには安保法制反対を公言した。前原代表は希望の党に入党できないことを公言したようなものである。公言した上で前原代表は希望の党には入党しないと言い、無所属で出馬すると宣言した。
前原代表が安保法制に反対し無所属で出馬することによって小池知事はリベラル派受け入れを拒否しやすくなった。

安保法制反対をし続ける限り前原代表は希望の党に入党することはできない。衆議院選に当選しても前原代表は孤独を貫いていくしかない。政治生命が絶たれる可能性も否定できない。それを知りながら前原代表は民進党の希望の党への合流と自分の無所属出馬を選択したのである。
理由は希望の党、民進党、維新の会の野党共闘から一気にリベラル派と共産党を排除するためである。排除するために前原代表は自分の政治生命を賭けたのである。

前原代表はすごいことをやってのけたのである。
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「リベラル派は排除する」小池代表が明言

「リベラル派は排除する」小池代表が明言
 新党「希望の党」代表の小池百合子東京都知事は29日の記者会見で、希望の党からの出馬を望む民進党の立候補予定者の絞り込みについて、「リベラル派を『大量虐殺』するのか」と問われ、「(リベラル派が)排除されないということはない。排除する」と言い切った。その上で、小池氏は「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが、政党構成員としての必要最低限」と重ねて強調した。
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東京小池・大阪松井・愛知大村が連携!二大政党へ大きく前進

東京小池・大阪松井・愛知大村が連携!二大政党へ大きく前進
衆議院解散から一夜明け、与野党は事実上の選挙戦に入った。こうした中、野党再編の軸になっている希望の党の代表を務める小池東京都知事が、日本維新の会代表の大阪府の松井知事、愛知県の大村知事と政権交代を目指して連携し、30日夜、共同会見を開く。
小池都知事と松井府知事、大村県知事は30日に大阪で会談し、憲法改正や消費増税の再検討、地方自治の推進など、共通政策について話し合い、希望の党と日本維新の会による、東京と大阪での選挙区調整について確認する予定である。
会談終了後、3知事は、午後6時から共同会見を開く予定。3大都市圏トップの連携をアピールすることで、二大政党実現が加速するだろう。
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安倍政権が問われる選挙ではない。二大政党誕生が問われる選挙である

安倍政権が問われる選挙ではない。二大政党誕生が問われる選挙である
 安倍政権の政策はうまくいっている。森友学園、加計学園は政治ではない。スキャンダルだ。安倍政権の政策を批判した上での選挙なら安倍政権を問う選挙になるがそうではない。
 今度の選挙は非自民・非共産党・非リベラル派による保守政党の誕生が問われる選挙である。
 希望の党に入党する民進党議員は非リベラル派の保守議員だけに徹することできるか否か。それが重要である。
 リベラル派の支持団体は共産党と同じ日教組・自治労である。民進党は日教組・自治労が支持するリベラル派と連合が支持する保守が同居している政党だ。
 日教組・自治労と連合は対立している。その対立が民進党の左翼と保守の対立でもあった。それを解消するのが希望の党の選別による民進党議員の入党受け入れである。
 
 今回の希望の党への民進党の合流は小池都知事、前原代表に神津連合会長の三者で決めたことである。
 三年前に民主党が下野した時から、左翼は共産党にあげて保守政治家で再興するべきであると主張してきたことが実現しようとしている。
 維新の会の松井代表も「民進党が『丸ごと合流』しては(連携)できない。労組、特に自治労の関係者などは無理。しがらみのある人たちを引き入れたことになる」と忠告している。
 日教組・自治労の支持する民進党議員は共産党・社民党と一緒にさせればいい。絶対に希望の党に入党させてはいけない。もし入党させるなら左翼から保守に転向させるべきである。転向できない議員は入党させてはならない。
 
 希望の党が維新の会と同じように保守政治家だけにによる政党となり維新の会と共闘すれば二大政党誕生の始まりとなる。
 
 東の東京都と西の大阪府の日本を代表する都市の知事が代表者となる希望の党と維新の会の共闘と全国区である民進党の合流は自民党と対峙できる政党の誕生となる。しかし、難題も多い。小池都知事が衆議員に立候補すれば一気に東京都民の信頼を失う。それはできない。
希望の党も維新の会も代表者が知事であるというのは国会の活動が弱体化する。代表者は国会議員でなければならない。この難題を克服できるかどうかが問われる。

とにもかくにも10月の衆議院選挙は自民党に対峙できる保守政党が誕生するか否かが問われる選挙である。安倍政権の政治を問うのは大した問題ではない。
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民進保守を希望の党が“吸収”リベラル派、共産党と決別 いいね

民進保守を希望の党が“吸収”リベラル派、共産党と決別 いいね
 民進党の前原誠司代表(55)は27日、党所属の衆院議員らが東京都の小池百合子知事(65)が代表を務める新党「希望の党」に公認申請し、同党から立候補することを認める方針を固めた。党籍を持ったまま、大量の議員が新党入りするとみられ、事実上の合流となる。前原氏自身は選挙区の京都2区から無所属で立候補する方針で、希望の党には入党しない。民進は衆院選の届け出政党としない方針も判明した。28日に臨時国会が召集され、安倍晋三首相(63)が衆院解散に踏み切る。衆院選は、10月22日にも投開票される見通し。

 8月に党代表に就任したばかりの前原氏が野党再編に向けた「ウルトラC」を編み出した。

 前原氏は党に所属する衆院議員が希望の党に公認申請し、同党から立候補することを認める方針。党籍を持ったまま入党する形となり、事実上、希望の党への合流とする。民進党は届け出政党とせず、前原氏自身は無所属で立候補し、退路を断つ形になる。党内には前原氏以外に、野田佳彦元首相、岡田克也元副総理、枝野幸男元官房長官、参院議員の蓮舫前代表ら民主党の与党時代に閣僚として活躍してきた議員が多くいる。こうした議員が民進党の残留を主張するか、希望の党で公認申請をするかも大きな焦点となる。さっそく異論が相次いだが、前原氏は28日に国会内で両院議員総会を開き、自身の方針を説明し、一任を得たい考えだ。

 民進党幹部によると、新たな枠組みで当選した場合、選挙後に所属先を希望の党とするか、民進党とするか選ぶことを想定している。前原氏は仙台市で開いた党関連の会合で「どんな知恵を絞ってでも、安倍政権を終わらせる。野党がバラバラでは選挙にならない」と悲壮な決意を語った。

 こんな選挙戦略では安倍政権を終わらすことはできないだろう。
ただ、リベラル派は保守色を明確にする希望の党への合流はできないだろうし、民進党との選挙協力に前向きだった共産党は希望の党との協力や合流はしない。一方、維新の会は保守が終結した希望の党とは共闘する。
そのため、リベラル派と共産党を除いた野党再編となるだろう。
二大政党への始まりの始まりだ。
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チビチリガマは彼らのイデオロギーの私有物



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チビチリガマは彼らのイデオロギーの私有物
 読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。ひどい荒らされ方であった。
 折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。それだけにとどまらない。壕内では集められた入れ歯は散らかり、真っ暗な場所に集められていた遺品のつぼやガラス瓶は粉々に割られ、遺骨が残る地面に散らばっていた。

 チビチリガマが荒らされたという報道があった時、すぐに頭に浮かんだのが「右翼」だった。しかし、「右翼」がチビチリガマを荒らすはずはないと考えてすぐに「右翼」の犯行を打ち消した。
 「右翼」がチビチリガマを荒らすはずがない。むしろ、「右翼」はチビチリガマの自決には反感ではなく敬意があると私は思っている。
 自決したのは米軍の捕虜になることを拒否したからである。それは日本軍が国民に求めたことである。自決した人の中には「天皇陛下バンザイ」と叫んだ人も居た。そのように自決した人々を「右翼」なら敬うことはあっても嫌うことは絶対にない。「右翼」にとってもチビチリガマは神聖な場所であるのだ。神聖な場所であるチビチリガマを「右翼」が荒らすはずがない。

 1987年、チビチリガマの「平和の像」が右翼団体員によって破壊されたというが、「右翼」は「平和の像」に反感があり破壊したのであって、チビチリガマの自決に反感があったのではない。知花氏は「中の遺品や遺骨は無事だった」と述べているが、当然である。

「平和の像」の破壊は1987年10月6日に地元で開催された沖縄国体のソフトボール会場で球場に掲揚されていた日章旗を知花昌一氏(当時39歳)が焼き捨てた行為(日の丸焼き捨て事件)に対する右翼による報復行為であった。
 現場には「国旗燃ヤス村ニ平和ワ早スギル天誅ヲ下ス」との犯行文が残されていた。
 「平和の像」は彫刻家金城実氏が作成したものであり、右翼からは知花昌一氏と金城実氏は仲間である。だから破壊したのである。金城氏は沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。

日の丸焼き捨て事件
沖縄県の本土復帰までは日章旗は米軍による占領支配からの解放の象徴であったが、復帰後も米軍基地が相変わらず存在する現状に変わりなく、米軍に加え日本政府に対する反発が根強くあり、そのことが日章旗焼き捨て行為に走らせた背景があった。知花昌一氏は器物損壊罪(刑法261条 なお、刑法92条で規定される国旗損壊罪の対象は外国の国旗であり日本の国旗は対象にならない)で起訴され、1995年に執行猶予付きの有罪判決が那覇地裁から下された。

知花昌一氏に対する右翼側の報復はひどかった。彼が経営していた商店を買い物客が入れないように車で囲み、放火もした。右翼は商店だけでなく彼の家にも押しかけ脅した。知花氏は殺されるかも知れないという恐怖に襲われながら、しかし、右翼には負けない気持ちで頑張った。
波平区民は結束力が強く、知花氏も区民の信頼が厚かったので商店の売り上げはむしろ上がったらしい。
1987年12月19日に右翼団体のメンバー2人が暴力行為等処罰法違反で逮捕され、のちに実刑の有罪判決を受けた。

鎮魂のために建立された平和の塔が破壊されたことに対し、遺族会が「犠牲者は2度殺された」と嘆いたというが、右翼が破壊したのは知花氏と同じイデオロギーの金城実氏が作成した平和の塔から破壊したのであって、チビチリガマの破壊ではなかった。
 右翼にとって「天皇陛下万歳」といって自決したチビチリガマは神聖な場所である。神聖なチビチリガマを破壊するというのは考えられない。
遺族会やチビチリガマ保存会と右翼が違うのは、遺族会やチビチリガマ保存会はチビチリガマの自決は神聖なものではなく、沖縄戦の犠牲となった強制集団死であり無念の死であり、日本政府に殺された死であると考えていることである。
石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回で3度『殺された』」と述べている。遺族会やチビチリガマ保存会にとっては死んだ人たちは自決したのではなく殺されたのである。

 「右翼」が反発しているのは、日章旗を焼いた知花昌一氏のようにチビチリガマで自決した人々は沖縄戦の犠牲者、殺されたという思想があり、右翼はその思想に反感を持っていたのである。知花氏の思想の象徴が「平和の像」だから「右翼」は「平和の像」を破壊したのである。「右翼」が破壊したのはチビチリガマではなくチビチリガマの死を「殺された」とするイデオロギーの象徴である平和の像であった。

 チビチリガマを荒らした犯人は「右翼」ではなく、本島中部に住む16~19歳の無職と型枠解体工の少年4人であった。彼らはチビチリガマを心霊スポットと思い、心霊スポットで肝試しをしたという。

 報道記事を読んで驚いたことがある。チビチリガマにまだ死者の入れ歯や骨があることだ。死んだ人の骨や歯は墓に入れるべきである。まさかチビチリガマに骨があるとは予想だにしなかった。考えられないことである。なぜ、終戦から70年以上も経つのに死者の遺品や歯や骨がチビチリガマにあるのか。
 
歯や骨がある理由が分かった。チビチリガマは墓でもあるようだ。「今も骨片が残り、遺族が神聖な墓と位置付ける壕」という記事があった。
チビチリガマは遺族会が管理し、読谷村が文化財に指定しているが、チビチリガマは墓でもあるし文化財でもあるということのようだ。文化財にしたことは理解できるが墓にしたことは理解できない。
墓であるなら何人も入れないように入口を塞ぐはずである。墓とはそういうものだ。しかし、チビチリガマは塞いでいない。親族ではない赤の他人でも歯や骨があるところまで行ける。ということは、墓というよりチビチリガマは歯や骨を晒しものにしている場所であると言える。

私はあの世の存在を信じていない。霊の存在も信じていない。無論神の存在も信じていない。だから、死んだときに墓に入りたいとは思っていない。死んだら骨を粉々にして海に撒いてほしいと思っている。ただ、粉にするのは息子にとってきついだろうから、海に散骨してもらいたいと思っている。
そんな私でも自分の骨を人の目に触れるような場所に置いてほしくない。ところがチビチリガマでは人の目に触れる場所に自決した人の歯や骨を置いてあるのである。
あの世の存在を信じ霊を信じるなら、歯や骨を人の目につくガマに置かないはずである。ガマは湿気が高いし骨が痛んでボロボロになりやすい。骨にも霊が宿っていると思うなら骨が痛まないように壺に入れ墓に入れるだろう。
なぜ、チビチリガマに歯や骨を置いているのだろうか。引き取る家族が居ないからだろうか。であるならばチビチリガマを文化財に指定した村が墓をつくって骨を納めて魂を安らかにさせるべきである。なぜそれをやらないのか。

チビチリガマが荒らされたことを知った時の遺族会会長、知花昌一氏、読谷村議会長の発言から骨を晒し物にしている理由が予想できる。

遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)は
「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」
と話した。

知花氏は、
「今回はより悪質。集団自決を生き延び、罪の意識に苦しんできた遺族にとって、ここは単なる墓ではない。沖縄戦の犠牲者を再び殺す行為であり、沖縄の苦しい歴史をあざ笑う卑劣な行為だ」
と怒りをあらわにした。

読谷村議会の伊波篤議長は
「遺族や生き残った方への冒涜(ぼうとく)であり絶対に許してはならない」
と強い怒りを表した。

 三者ともチビチリガマを荒らした犯人への怒りが激しい。彼らには魂が安らかに眠る場所を荒らされたという悲しみを感じないし、管理する者として荒らされてしまった責任から死者の魂に詫びる感情も彼らに感じられない。彼らに感じられるのは犯人への激しい怒りである。
 
チビチリガマは、1987年11月にも平和の像が破壊されている。その時にはガマの中は荒らされていない。しかし、平和の像が破壊されたということは、いずれガマの中も荒らされるかもしれないと予想するのが普通である。ガマが荒らされても、せめて死者の遺品や骨に被害が及ばないように、それらのものをガマから撤去して人の手に触れることがない場所に移すべきである。内部への立ち入りを禁止する看板があるというがチビチリガマを荒らすことを目的にしている人間にはなんの効果もない。
なぜ、遺品、歯、骨をチビチリガマに置いてあるのか。集団自決現場の生々しさを感じさせるためではないかと憶測してしまう。墓にするならば壁で閉じて骨などは見えない状態するはずである。しかし、墓であると言いながら閉じていないのは遺品、歯、骨をチビチリガマに訪れた人たちに見せるためであるとしか考えられない。72年前に自決した人の遺品、歯、骨を見れば、チビチリガマが生々しくなり72年前の悲惨な状態を想像してしまう。
その効果を狙っていると思わざるをえない。知花氏はチビチリガマは単なる墓ではなく、沖縄戦の犠牲者の墓であることを強調している。彼の発言からも効果を狙っているとしか思えない。
遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)は「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」と言った。
伊波議長は「戦後72年がたち、語り部が減る中で、戦世の悲惨さを伝えるためチビチリガマを記録で残そうという思いがある」と言った。
遺族や読谷村にとってチビチリガマは自決した人たちの魂を安らかにする場所ではなく、自決した人達は沖縄戦の犠牲者であるという彼らのイデオロギーを外に向かって発信する場所であるのだ。
チビチリガマを参拝するには彼らのイデオロギーと同じ人間でなければならない。
本土のソフトボールのチームが来た時、チームの監督がチビチリガマで参拝しようとしたら知花昌一氏が立ちはだかり参拝をさせなかったことがあった。チビチリガマは村の文化財であり墓であるけれども誰でも参拝できるという場所ではないようである。特定の思想の人間しか参拝はできないようである。

チビチリガマが少年たちに荒らされた後に本土の学生を引率してきた清水耕介教授は、
「内向きで右傾化する社会の流れとの関係が思い浮かんだ。平和学習に対する非常に強いバックラッシュ(反動)があるのは事実。平和も人権も勝ち取るものであることを学生には学んでほしい」
と述べた。清水耕介教授のような右傾化に反対する人の参拝は歓迎されている。
9・29県民大会決議を実現させる会はチビチリガマ内部が荒らされたことを受け、
「極めて異常な形で死に追い込まれた人々が生の道を奪われ、無念の思いが込められた場所である。極めて独りよがりの思いで、好き勝手に破壊を続けた行為を断じて許すことはできない。満腔(まんこう)の怒りを込めて抗議の意志を表明する」とアピール文を発表した。

 まだ、荒らした犯人が逮捕されていない時の彼らの反応は、チビチリガマを荒らした犯人はチビチリガマの歴史を知っている者であり、犯人は悪意で破壊したと決めつけている。
そのように犯人像を決めつけてこれほどまでに怒るのは本当は彼らのイデオロギーが原因である。彼らのイデオロギーこそが悪意ある犯人像をつくり上げている。そして、自分勝手にイメージした犯人に怒っているのである。

 チビチリガマの自決した人の骨や歯や遺品は彼らのイデオロギーによって私物化をされていると言って過言ではない。
 
 沖縄では亡くなった時に法事が初七日に始まり一周忌、七周忌、二十一周忌と回を重ねていくが、法事をするのは三十三回忌が最後である。死んだ人の魂は法事を重ねる度に天国への入り口が近づき、33回忌でやっと天国に入れるからである。だから、三十三回忌で神様になるので、三十三回忌はお祝い事になる。三十三回忌では紅白饅頭が配られ、香典ではなく「ご祝儀」を納める。

 チビチリガマで自決した人達の魂も戦争の恨み辛みを乗り越えてすでに神様になっている。
 チビチリガマを文化財にしているのなら、魂は神様になったのだから、右翼とか左翼とかの思想を乗り越えて、チビチリガマの自決に対して参拝したい人全てに参拝してもらうようにしたほうがいいのではないだろうか。

 そして、チビチリガマの骨、歯、遺品は全て撤去するべきである。

 チビチリガマで自決した神になった人たちの魂は、チビチリガマを荒らした少年たちに微笑みながら、彼らを許しただろう。
 しかし、神になった魂とは違い、遺族会、読谷村議員、知花昌一氏たちはイデオロギーに凝り固まっているがゆえに怒りと非難に終始している。
 彼らはチビチリガマの死者の魂が神になるのを許さないで彼らのイデオロギーの中に閉じ込めている。そして、彼らの思い通りにチビチリガマの魂を扱っている。彼らはチビチリガマで自決した人達の魂を彼らのイデオロギーによって私物化しているのである。

 チビチリガマの集団自決は読谷村HPに詳しく掲載している。毒薬を注射したという看護婦の知花※※への思い出も載っている。彼女は満州から沖縄に来たが満州には恋人が居て、彼と離ればなれになったことに悩んでいたという。
 同じ波平にあるシムクガマでは集団自決から免れた。シムクガマには一〇〇〇人前後の人が避難していたが、ハワイからの帰国者である比嘉平治(当時七十二歳)と比嘉平三(当時六十三歳)の二人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導いた。
 沖縄戦の時多くのアメリカ帰りの人が居た。彼らの居た壕では彼らが「アメリカーガー、チュォクルサンドー」と壕内の避難民を説得したり、直接アメリカ兵と交渉して、死者を出さなかった。
沖縄戦の時にアメリカ帰りの人が多かったのは、明治時代に沖縄の貧困を助けるために當山久三氏がアメリカ移民を始めたからである。アメリカ移民といっても永住をするのではなく、ハワイなどのパイナップル畑で働いて、お金を貯めて沖縄に帰る目的の移民であった。いわゆる出稼ぎである。だから、沖縄戦の時、多くのアメリカ帰りの人がいたのである。
昭和初期から沖縄はソテツ地獄という不況時代が続いた。貧困から逃れるために多くの県民が海外移民をした。當山久三氏は多くの県民を貧困から救っただけでなく、沖縄戦では多くの県民の命も救ったのである。當山久三に感動する。
 
 読谷村のHPに掲載している「チビチリガマの集団自決」、「知花看護婦の思いで」、「集団自決を免れたシムクガマ」を紹介する。
チビチリガマの集団自決
三月末から激しい爆撃があり読谷村の住民は近隣の者、多くはいくつかの親類で集まってガマで寝起きするようになった。チビチリガマは、読谷村字波平の集落から西へ五〇〇メートルほど行った所にあり、深さ一〇メートルほどのV字型をした谷の底にある。集落内に源をもつ湧水が流れ出て小さな川をなし、それが流れ込む所に位置し、川が尻切れる所といった意味から「チビチリ」(尻切れ)という名が付いたと考えられている。米軍が上陸した海岸からは八〇〇メートルほど内陸である。
四月一日、米軍に発見されたチビチリガマの避難民は「デテキナサイ、コロシマセン」という米兵の言葉が信用できず、逆に竹槍を持って反撃に出た。上陸直後のため敵の人数もそう多くはないと思い込んだのが間違いだった。ガマの上には戦車と米兵が集結、竹槍で突っ込んでくる避難民に機関銃を撃ち、手榴弾を投げ込んだ。この衝突で二人が重症を負い、その後死亡した。避難民の恐怖心はさらに高まった。
米軍の上陸を目のあたりにしたその日、南洋(サイパン)帰りの二人が初めて「自決」を口にした。焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けようとした。
それを見た避難民たちの間では「自決」の賛否について、両派に分かれて激しく対立し、口論が湧き起こった。
二人の男は怒りに狂って火を付けた。放っておけば犠牲者はもっと増えたに違いない。その時、四人の女性が反発し、火を消し止めた。四人には幼い子がおり、生命の大切さを身をもって知っていたからだ。結局、その日は大事には至らなかったが、「自決派」と「反自決派」のいさかいはその後も続いた。
前日の突撃で米軍の戦力の強さを思い知らされた避難民は一睡も出来ないまま二日を迎えた。
前日に無血上陸を果たした米兵が再度ガマに入ってきて「デテキナサイ、コロシマセン」と降伏を呼び掛け、食べ物を置いていった。
その間にもいくつかの悲劇は起きていた。十八歳の少女が母の手にかかり死亡したり、看護婦の知花※※らのように毒薬を注射して「自決」した人々もいた。「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んだのは一四、五人ほどだったという。
横たわる死体。そこへ再び入ってきた米兵…。ガマの中の混乱は極限に達していた。そんな中ひもじさの余り米兵の持ってきた食べ物を口にする者もいたが、毒が入っているから絶対食べるなと頑として応じない者もおり、避難民は生か死かの選択が迫られていた。
煙で苦しんで死ぬより、アメリカーに撃たれて楽に死のうとガマを出た人もいた。しかし、大半はガマでの「自決」を覚悟していたようだ。
そして毛布などについに火がつけられた。前日は止めたが、もうそれを止めることはできなかった。奥にいた人たちは死を覚悟して、「自決」していった。煙に包まれる中、「天皇陛下バンザイ」を叫んでのことだった。そこに見られたのは地獄絵図さながらの惨状だった。
避難民約一四〇人のうち八十三人が「集団自決」という形で亡くなるというチビチリガマでの一大惨事だが、真相が明らかになったのは戦後三十八年たってからであった。全犠牲者の約六割が十八歳以下の子どもたちであったことも改めて判明した。
数十人はガマを出て米軍に投降した。ガマを出たとたん米兵に大歓迎を受けたと感じる者も殺されるのではないかと思っていた者もいた。

知花※※さんの思い出 玉城※※(字儀間)

 昭和十九年当時、私は大山医院で住み込みの看護婦をしていて、後にチビチリガマで「自決」された知花※※さんとは、とても親しくしていました。みんなは「※※ちゃん」とか「※※さん」とか呼んでいました。彼女は「満州」で従軍看護婦をしていたそうですが、そこで知り合った本土出身の男性との結婚の了解を得るため、両親のもとにいったん帰って来たのだそうです。しかし戦況が悪化して「満州」に戻ることができなくなり、しばらくは大山医院で働いていたそうですが、私が大山医院に勤める頃からは、北飛行場の医務室で看護婦として働いていました。
 彼女は、医務室の薬が切れると大山医院に取りに来たりするので、話をする機会がよくありました。当時は女に生まれて、国のために何が出来るかと考えると、従軍看護婦の道ぐらいしかありませんから、私は従軍して戦場で働き、天皇陛下のために死のうと考えていました。しかし諸事情から、従軍看護婦の道を諦めざるを得なかった私にとって、「満州」で従軍看護婦をしていた彼女は憧れのお姉さんでした。とても有能な人で、看護婦の免許のほかに産婆の免許を持ち、話すことも知的でいつも希望に燃えていました。国のためにという熱意にあふれて力強く話す姿は、今でいうと政治家の土井たか子に似ていました。
 「※※ちゃん頑張るんだよ、大和魂で負けたらいかんよ。最後の最後まで頑張らんといかんよ。最後はどうなるか分からんし、私もどうなっていくのかわからんけど、もし戦争に負けることになったら、生きるんじゃないよ。自分で死んだほうがいい、捕虜になったら虐待されて殺されるんだから」彼女はそう言うと、「満州」で「支那事変」帰りの兵隊に聞いた「戦場での女の哀れ話」を私にも話して聞かせるのでした。その話は非常に恐ろしく、敗戦国の女性がどんな目に遭うのか私にまざまざと感じさせるものでした。
 そういった姿の一方では、彼女には女性らしい面も多くありました。戦争が激しくなると、「満州」にいる恋人のことが心配で落ち着かなかったのでしょう、大山医院の院長先生に相談に来ることもありました。「ねえ、先生、どうしよう、どうしよう」と彼女が言うと、医院長先生は「どうもこうもない。戦争だぞ。お前はもう、ここで働きなさい。満州には帰れないだろう、そうでないと一人の恋人のために命を捨てることになるぞ」と彼女をたしなめていました。
 彼女は「満州」にいる恋人のことを思ってか、さびしく歌をうたったりすることもありましたが、あの姿を思い出すと今でも胸が痛くなります。でも暫くたってから、思いをふっきったのか「私は満州に行けなくなって良かった。家族の面倒がみれるから」と言っていました。
 彼女と一緒にいたのは僅かの間ですが、たくさんの思い出があります。本当に、大好きな人でした。
 ※※さんは戦後、チビチリガマの「自決」のことが明るみに出てから、いろいろ思われたようですが、私は彼女が悪いんじゃない、すべて日本の教育が間違っていたんだと思います。彼女は日本の教育をまともに受けただけなんです。日本の教育が、彼女を「大和魂の女性」にしたんだと思います。
「読谷村史・それぞれの体験」

集団自決を免れたシムクガマ
なお、同じ読谷村内でもチビチリガマがら六〇〇メートル離れたシムクガマに避難した約一〇〇〇人は英語の喋れる男性の誘導で一人も死ぬことなく投降した。こうした経緯は一九八三年ころまでまったく明らかにされなかった、それは率先して死のうと言った者も、その結果死にたくないのに死んだ者も、またその恨みを持つ者それぞれが同じ集落内の隣人や近親者であり、この「集団自決」の忌まわしい記憶を呼び覚ます事に強い抵抗があったからである。読谷村の集団自決については読谷村史がWEB上で公開している。

 シムクガマは波平又川原(マタガーバル)に洞口を開いた天然の鍾乳洞です。資料によると、「洞口はアガリシムクとイリシムクの二つあり、総延長二五七〇メートル」ある。
一九四五年(昭和二十)三月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、波平では約一〇〇〇人の字民がこの洞窟に避難するようになった。
 やがてアメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、アメリカ軍は読谷山村の西海岸から怒濤(どとう)のような勢いで進撃してきて、戦車をともなったその一部は、シムクガマに迫って来た。
 アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖の余りうろたえ、洞窟内は大混乱に陥った。いよいよ殺されるのだと、洞窟の奥へ逃げ込もうとするが、足の踏み場もなかった。
 その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時七十二歳)と比嘉平三(当時六十三歳)の二人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導き、一〇〇〇人前後の避難民の命が助かった。この事実に基づいて波平では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立してある。
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朗報!小池新党、維新と協力 候補者すみ分け

朗報!小池新党、維新と協力 候補者すみ分け
 小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」と日本維新の会(代表・松井一郎大阪府知事)は次期衆院選の選挙協力の検討に入った。候補者をすみ分けることで競合を避け、相互支援することを視野に協議を進める。東京、大阪の東西の知事の共闘で、新たな改革勢力としてアピールしたい考えだ。
 両党は「議員定数・議員報酬縮減」「地方分権の確立」「行政改革」など共通政策が多く、政策ブレーンも重なっている。政策協定を結んだうえで両党の候補者を相互推薦することも検討しており、近く本格的な協議に入る。

愛知県の大村秀章知事との連携も視野に入れており「3大都市圏」の首長連携も模索する。

松井氏は26日、希望の党について「政策を見ると、ほとんど僕らが6年前から言ってること(と同じ)。同じ志を持っているチームが、都知事を先頭にできるのは歓迎する」と述べ、連携に前向きな考えを示した。小池氏も記者会見で「大阪の松井知事も同じような立場だ」と強調していた。

東の東京都、西の大阪府という日本の二つの大都市が共闘し、それに愛知県の大村秀章知事が加われば「3大都市圏」となり一気に全国区になる。

26日夜、民進党の前原誠司代表は希望の党代表の小池百合子東京都知事と都内で会い、衆院選に向けた両党の連携について協議した。

維新の会、希望の党、民進党の揃い踏みは時間の問題だ。

 橋下氏が抜けた維新の会は大阪での政治はしっかりしているが全国的な知名度が低くなった。小池氏が率いる都民ファースト、希望の党は知名度は高いが、実力はない。民進党は党員は多いが国政に失敗したし、保守と左翼が同居している。
 三党の代表がしっかりと手を握ればお互いの弱点を補い、利点を延ばすことができる。三党が共闘して衆議院選挙を闘えばかなりの票を獲得するだろう。

 しかし、三党に過半数を取っては欲しいとは思っていない。三党は選挙の共闘をすることはできても政策を共闘できる段階ではない。政権を取れば政策が混迷し、破綻するだろう。
それに安倍政権には支持できる政策が多い。自民党が過半数を取り、安倍政権は続行してもらいたい。
 安倍政権の次に三党共闘で政権を取ってほしい。
 10月の衆議院選挙は維新の会、希望の党、民進党による安倍政権の次の政権獲得の始まりになるだろう。
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前原代表はリベラル派、共産党との対決に政治生命をかけている

前原代表はリベラル派、共産党との対決に政治生命をかけている
 2017年09月23日のブログ「前原代表よ、共産党、リベラル派と対決せよ」で、「前原代表はリヘラル派、共産党との対決に政治生命をかけるべきである」と書いた。つまり、左翼政党とは対決して保守政党の結集をつくることに政治生命を賭けてほしいということである。
 どうやら保守政党の結集をつくることに前原代表は本気で動いたようである。
 前原代表はは24日、自由党の小沢共同代表と会談し、民進党と自由党を軸にした野党勢力の結集を目指すことで一致した。28日の両院議員総会で、自由党との合流を提案する意向を前原代表は発表した。
さらに、近く、希望の党の小池代表とも会談し、野党再編を呼びかける考えであることを発表した。前原代表はすでに維新の会との共闘も呼びかけている。
前原代表の思惑通りなら、民進党、維新の会、希望の党、自由党の共闘が実現する。いわゆる保守政党の結集である。
党内では自由党と合流することに反発が強く、執行部の一部が「役職辞任も辞さない」との構えを示しているというが、そんなことは気にする必要はない。衆院選後の分党も視野に入れ、準備を進めている議員もいるらしいが、そんな議員は旧社会党員の左翼のリベラル派だろう。離党は歓迎するべきである。

共産党の志位和夫委員長は、「新党の希望の党は自民党と同じ流れということではないか」との見方を示し、希望の党参加者を「自民党政治の中枢にいた人、民進党で野党共闘に反対してきた人」たちであり彼らは「ウルトラ右翼」だと断じている。そして、彼らは「自民党政治の補完勢力以外の何物でもない」と決めつけている。同じように維新の会に対しても自民党の補完勢力であると断じた志位委員長である。共産党が希望の党や維新の会と共闘することは絶対にない。民進党が希望の党、維新の会との共闘に共産党は参加しないのは明らかである。

前原代表が自由党と合流し、希望の党、維新の会と共闘する方向に向かえば左翼の共産党、社民党を排除した保守政党の連合が誕生する。共産党が目論んでいる4野党の共闘は崩れる。共産党のほうが野党共闘から孤立する。

民進党、希望の党、維新の会の共闘が実現すれ二大政党の可能性が高くなる。

前原代表は民進党内部のリベラル派と徹底して対決していくべきだ。リベラル派は離党して政党を結成しても崩壊することを知っている。彼らに民進党を離党する勇気はない。リベラル派を保守に変革するのも前原代表の重要な仕事である。二大政党を実現するために、リベラル派の圧力に屈しないで保守に徹することに政治生命をかけるのが前原代表の使命である。
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安倍首相も二大政党を望んでいる

安倍首相も二大政党を望んでいる
 安倍晋三首相は2017年9月25日夕方に記者会見し、28日に招集する臨時国会冒頭で衆院を解散することを表明した。解散にともなう衆院選は10月10日公示、22日投開票の見通しである。

安倍首相は衆院選が「厳しい戦い」になるとの見通しを示しながら、同日午後に東京都の小池百合子知事が立ち上げを発表した国政政党「希望の党」については、
「基本的な理念は同じだろう。政治手法において少し違うのかも」
「いずれにせよ、東京都知事である小池知事とは、東京五輪・パラリンピックを成功させなければならないという共通の目標は持っている。その上で、選挙戦はフェアに戦いたい」
と述べ、党名について「いい響き」と新党に秋波を送った。

 自民党一大政党では派閥政治になる恐れが強い。特に、3分の2という勢力になった時、自民党内の勢力争いが激しくなり、強い派閥が権力を握るようになる。二階幹事長は派閥政治屋である。安倍首相としては二階氏を幹事長にしたくなかったが党内をまとめる力があるので彼を幹事長にせざるをえなかった。内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)を島尻愛子の次は鶴保庸介、江崎鉄磨と二回も二階派が続いているのは派閥政治の表れである。二階氏が幹事長であるから能力とは関係なしに強引に二人を沖縄相にした。江崎は自分でも沖縄相になる実力はないと公言した人物である。能力のない人物を二階幹事長が強引に沖縄相にしたのだ。
 能力のない人物を派閥の圧力で大臣にする。それが派閥政治である。自民党が安泰すればするほど派閥政治の傾向が強くなる。
 派閥政治と闘った小泉政権は国民に支持された。しかし、小泉以後は派閥政治に戻り国民の信頼を失う政治になった。だから、民主党政権が誕生した。
 安倍首相は自民党が派閥政治になるのを嫌っている。しかし、圧倒的に自民党が強い状態が続けば安倍首相の次の内閣では派閥政治に戻る可能性がある。自民党が派閥政治にならないためには二大政党でなければならないと安部首相は考えている。だから、保守政党である小池都知事の希望の党に秋波を送ったのである。
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