私は復帰前に「沖縄を返せ」を歌わなかった

私は復帰前に「沖縄を返せ」を歌わなかった
 
今年は沖縄が本土復帰して50年になる。県の沖縄復帰50周年記念式典がが令和4年5月15日(日) 午後2時に沖縄コンベンションセンターで行われる。祖国復帰したのは23歳の時だった。私の思想は復帰前の米民政府が統治していた時代に培ったということになる。

復帰前の沖縄では小学生になると沖縄は日本であると学校で繰り返し教えられた。一年生の時から君が代を教えられた。君が代はラジオても流れていいたから日常的に聞いていた。それから君が代と同じくらいに聞いていたのが「沖縄を返せ」である。復帰50周年式典を宣伝する時はバックで沖縄を返せが流れる。祖国復帰運動に関する番組で必ず流すのが「沖縄を返せ」である。
「沖縄を返せ」は復帰運動の集会で歌われ、復帰前は集会やデモは多かった。ラジオからも「沖縄を返せ」は流れていた。「沖縄を返せ」は子供の頃からよく聞いていた。
高校生になると「沖縄を返せの詞に疑問を持つようになった。

沖縄を返せ

かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 
守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ

私が感じた疑問点
〇沖縄人は日本民族なのか
〇祖先は沖縄を守り育てのか
〇我らとは誰のことか
〇誰に沖縄を返すのか

〇沖縄人は日本民族なのか
子供の頃、大人はみんなウチナー口を使っていた。共通語を使える大人はとても少なかった。祖母と父はウチナー口だけを使っていて、共通語は話せなかった。母は話せたがぎこちない共通語だった。
幼稚園に通うまではウチナー口だけを使っていた。小学生になると先生は生徒に共通語を教えた。そのくらい私たちは共通語を知らなかった。
小学3年生の時、先生はチュブルと呼んでいる野菜があるが共通語でなんというか私たちに聞いた。ほとんどの生徒は知らなかった。一人の生徒が手を上げた。先生が指名するとその生徒立ち上がり大きな声で「あたま」と言った。みんな大笑いした。チュブルは頭のウチナー口でもある。他の生徒は野菜の名前が頭ではないことを知っていたから答えなかったがその生徒は「アタマ」と答えたので笑ったのだ。
チュブルという野菜はゆうがお(夕顔)である。ゆうがおを栽培している家は非常に少なかった。だから、チュブルを知っている生徒は少なかった。友達の家が栽培していたので、その野菜がチュブルと言い、共通語ではゆうがおというのを友人の父親が教えたので知っていた。誰も答えないので私は手を上げて、「ゆうがお」と言った。

学校では沖縄は日本であると教え、日本の象徴として日の丸と君が代であると教えた。あの頃はほとんどの家庭は旧正月をしていた。先生は本土では新正には日の丸を掲揚すると教え、日の丸を掲揚するように指導した。日の丸掲揚と君が代斉唱を学校で推進していたのが復帰前の沖縄であった。
私は沖縄が日本であることには納得していたが、沖縄人が日本民族というのには抵抗があった。沖縄はずっと琉球王国という独立国であった。沖縄人は日本から移住したのではなく、大陸や南方から移住した可能性が高い。目鼻立ちも本土の人とは違う。だから、沖縄人が日本民族というのには疑問を持っていた。「沖縄を返せ」で沖縄は日本民族であると断言していることに疑問を持つようになった。
中学生の時にアメリカ新聞の配達をした。古堅にはモーガンマナーという米人住宅街があった。私はモーニングスターというアメリカ新聞を配達した。米国は多民族国家と言われる。そのことを新聞配達することで実感した。白人と黒人だけでなく色々な民族がいることを知った。だから、沖縄人が日本民族ではなくても日本人になれるということを私なりに納得した。その気持ちが強くなればなるほど「沖縄を返せ」は沖縄人を強引に民族主義にしようとしている歌であると思った。
米国人が他民族の集まりであることを実感した私は政治に関しては民族主義にこだわらないようになった。政治は民主主義か独裁かを基準に考えるようになった。

〇祖先は沖縄を守り育てのか

琉球王国を明治政府が滅ぼして日本の一部として沖縄県にした。沖縄県になると琉球王国の身分制度が廃止され四民平の沖縄になった。明治政府の政策によって沖縄は発展していった。沖縄を育てたのは沖縄人の祖先てはなく日本政府である。「沖縄を返せ」の祖先が沖縄を守り育てたということに疑問を持つようになった。

〇我らとは誰のことか

「沖縄を返せ」で沖縄は我らのものだというが我らとはいったい誰のことなのか。
沖縄に住んでいるのだからすでに沖縄は我らのものである。沖縄は米国のものになったからそれを沖縄人に返せという意味なら分からないことはないが、沖縄が米国の物になり米国の植民地になったにしては沖縄の教育は日本式の教育をしている。政治も立法院があり、沖縄人が政治をしている。戦前の台湾は日本の植民地になったので政治は日本がやり、日本と同じ教育をした。日本語を公用語にした。しかし、沖縄は日本教育をしたし、日本と同じ映画、雑誌などを販売した。英語教育はなかったし米国流の教育もしなかった。私には沖縄は米国の植民地ではないという確信があった。そもそも沖縄は「もの」ではない。沖縄を我らのものと沖縄をもの扱いしているほうが沖縄を植民地扱いしていると思い「沖縄を返せ」の詞に反発した。「沖縄を返せ」の我らは沖縄人でないことは確実である。我らとは誰なのか。謎であった。

〇誰に沖縄を返すのか
沖縄を我らに返せということであるが、我らとは誰なのか。日本のことなのか。日本に返せなら納得できる。そうすると我らとは日本人ということになる。そうなると「沖縄を返せ」は沖縄人の歌ではなく日本人の歌ということになる。沖縄人だったら「沖縄を返せ」てはなく「沖縄は帰りたい」の歌にならなければならない。沖縄は日本の所有だ。だから、日本に返せというのが「沖縄を返せ」であると解釈することができる。
沖縄人が歌うときの「沖縄を返せ」は「沖縄人は日本のものです。早く沖縄を日本のものにしてください。沖縄人は喜んで日本の奴隷になります」という内容になる。と考えるようになって次第に「沖縄を返せ」は歌わなくなった。

祖国復帰が決まると、日本の象徴として歌わせてきた君が代を教員が勧めることはなくなった。それどころか君が代は天皇崇拝の歌であると否定するようになった。
日の丸も復帰前は正月には掲げるように指導していたのに復帰が決まると否定するようになった。高校生が日の丸を焼き捨てる事件も起こった。沖教祖の君が代、日の丸に対する対応は180度転換した。
復帰前の沖縄では日の丸と君が代は祖国復帰運動の象徴であったが、本土では違っていた、君が代は天皇崇拝の歌であり、日の丸はアジアを侵略した帝国主義国家日本の象徴として批判の対象にしていた。
戦後の社会運動を率先していたのは本土も沖縄も日教組と自治労であった。日教組、自治労は日の丸と君が代を本土では批判し沖縄では称賛するという二重のやり方を実行していたのである。そして、本土復帰が決まると沖縄の日の丸、君が代運動は本土並みになったのである。

戦後の労働運動、復帰運動を主導してきたのが日教組と自治労である。日教組と自治労は公務員である。反米主義、反資本主義、反自民党が日教組と自治労の運動の核となっている。支持する政党は旧社会党、共産党だった。

 ネットで「沖縄を返せ」の作詞作曲者が分かった。
 高校生の頃に疑問を持つようになり、歌わなくなった「沖縄を返せ」はやはり沖縄で生まれた歌ではなかった。私が疑問や反発を感じた原因は「沖縄を返せ」は本土で つくられた歌だったからである。本土の「我ら」が日本に返せというのが「沖縄を返せ」である。しかも、公務員がつくった歌であった。
「沖縄を返せ」は1956年9月。労働組合の全司法福岡高裁支部が作詞作曲し、大分市で開かれた合唱祭「九州のうたごえ」で創作部門1位になった歌であった。
やはり「沖縄を返せ」は沖縄で創られたものではなかった。本土でつくられたものであっったのだ。しかも、公務員がつくった。
「沖縄を返せ」の「我ら」とは日本であったのだ。日本てあった沖縄が米国に取られたから取り返そうという内容の歌が「沖縄を返せ」であるのだ。

復帰前の沖縄は米軍に統治され、沖縄人の自由はなく、米軍基地の被害に悩まされていたというイメージが定着している。
そんな沖縄であるのに戦前は60万人から増えなかった人口はどんどん増え、復帰直前には100万人近くまで増えていた。復帰していた奄美大島は人口が減っていた。多くの奄美大島の人が沖縄に移住した。沖縄は経済が発展し働く場所が多かったからである。沖縄が米軍庶民地で沖縄人には自由がなかったなら人口が増えるはずがない。自由で民主的な沖縄だから人口がどんどん増えたのである。人口が大幅に増えたこと、増えた原因については誰も明らかにしない。

沖縄を統治していた米民政府はハワイから製糖工場を移設して砂糖産業を発展させた。琉球銀行を設立して資金調達をしやすくした。生活用品を中心に製造業を設立させていった。米国流の経済政策を沖縄で実践して沖縄の経済を発展させていったのが米民政府である。

沖縄の民主主義、経済発展には無縁な祖国復帰運動に没入していたのが沖教祖、自治労であった。
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那覇市議会で自民党と共産党だけが自衛隊感謝を決議 違反行為だ

那覇市議会で自民党と共産党だけが自衛隊感謝を決議 違反行為だ

 那覇市議会で信じられないことが起こった。
「復帰後50年間の1万回目となる緊急患者空輸搬送実績は決議に値する」と主張する元航空自衛隊救難ヘリパイロットOBの大山孝夫市議(自民)が自衛隊に感謝する決議を発案した。すると、なんと自衛隊に感謝する決議に共産党が賛成したのだ。決議をとるときに立憲民主・社大、公明、ニライ会派など一部議員は退席した。共産党は退席しないで感謝決議にしたのである。賛成したのは自民党と共産党だけであった。
 自衛隊は憲法違反である。沖縄の自衛隊基地建設は反対。宮古島市、石垣市の新基地建設反を主張し続けてきたのが共産党である。共産党は反自衛隊運動の先頭に立ってきたの。共産党なら自衛隊感謝決議反対の先頭に立つのが当然と思うが、なんと賛成したのだ。あり得ないことである。
 自衛隊に関してあり得ないことがすでに起こっている。志位委員長は「万が一、急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めて、あらゆる手段を行使して国民の命と日本の主権を守り抜くというのが日本共産党の立場だ」「憲法9条は無抵抗主義ではない。9条の下でも個別的自衛権は存在するし、必要に迫られた場合には、その権利を行使することは当然だ」と自衛隊の活用を容認した。
 那覇市の共産党は中央の「自衛隊活用」にのっかって自衛隊感謝決議にも賛成したのだろうか。
 共産党は自衛隊基地を建設すれば「有事」になればミサイル攻撃されて市民が犠牲になるという理屈をつくり上げて宮古島市、石垣市の自衛隊新基地建設に反対している。ところがウクライナ戦争が起こりウクライナに侵攻したロシア軍は基地のない住宅地をミサイル攻撃した。実際の「有事」では基地があるなしに関係なくミサイル攻撃されることが明らかになった。共産党の指摘は嘘だったのいである。
 共産党の主張は滅茶苦茶で矛盾だらけである。共産党は矛盾をどのようにつじつまをあわしていくのだろうか。

 共産党が自衛隊活用、自衛隊感謝議決をしたことは自衛隊の存在を肯定したことになるから他の野党との合流の難易度が低くなった。野党合流にはプラスである。
 共産党にとって自民党は天敵である。自民党の政策には反対一辺倒であり、自民党の議案に差賛成した維新の会と国民民主を第二自民党と呼び、敵視した。野党共闘に維新の会は参加させなかった。その共産党が那覇市議会で自民党議員が発案した自衛隊感謝決議に自民党と一緒に賛成したのである。自衛隊に関して共産党は自民党と手を握ったのだ。これは消すことはできない事実である。共産党と自民党の間にある強固な壁にヒビが入った。

 自衛隊感謝決議で自民党と共産党に共通するのがもうひとつあった。違反行為である。
 「無所属の会」の前泊美紀氏は「私の知人も自衛隊におり、感謝の思いはある。しかしながら、緊急搬送は通常任務の範囲と受け止めており、決議にはなじまない。さらに感謝決議は全会一致で通すのが望ましい。その観点からももう少し議論を重ねるべきではないか」と述べて決議に反対した。
決議内容は、自衛隊による離島からの緊急患者空輸が4月6日に1万件を超えたことについて「災害派遣として市内外における不発弾処理や行方不明漁船等の捜索など市民・県民の生命を守る活動を継続して行っている」「関係機関並びに関係各位における市民・県民の生命を守る任務遂行に対して、深甚なる敬意と感謝の意を表する」となっている。決議に書いている市民・県民は那覇市民ではない。那覇市民ではない市民の生命を守った自衛隊への感謝を那覇市議会で決議できるものではない。共産党は決議できないことを決議したのである。前泊市議は正しい。自民党と共産党間違っている。

 自衛隊は国民の税金によって運営している。自衛隊員の給料、運送する機材は全て税金で賄われている。そして、緊急配送するのは国が決めたことである。自衛隊が決めたのではない。自衛隊は国が決めたことに従って緊急配送を任務として果たしたのである。感謝するなら自衛隊ではなく国に感謝するべきである。しかし、配送した市民は那覇市民ではないから那覇市議会が国に感謝の議決をすることはできない。

日本は議会制民主主義国家である。国全体に関することは国会で議決する。沖縄県全体に関することは県議会で議決する。那覇市議会は那覇市に関することを議決する。那覇市議会は那覇市民のために政治を行う。自衛隊とは関係がない。緊急配送も那覇市議会とは関係がない。
国が決めたことに従って実行した自衛隊に那覇市議会が特別に感謝の議決をするのは間違っている。自民党と共産党は違反行為をしたのである。

自衛隊に感謝の議決をしたのなら議決文を自衛隊に送るべきである。しかし、送らなかった。どこにも送らなかった。送ったら自衛隊に受け取りを拒否されるのを知っていたからである。どこにも送ることができないのに議決したのである。つまり、自民党と共産党は議決してはいけないと知りながら議決したのである。
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ロシアが誕生させた日本共産党をロシアが危機に陥らせる

ロシアが誕生させた日本共産党をロシアが危機に陥らせる
 
1917年ロシア革命が起こり、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が誕生した。共産党一党独裁の社会主義国家が登場したのてある。それからわずか5年後の1922年に日本で共産党が設立された。1922年7月15日、堺利彦、山川均、近藤栄蔵ら8人が、極秘のうちに渋谷の高瀬清の間借り部屋に集まって日本共産党を設立した。設立時の幹部には野坂参三、徳田球一、佐野学、鍋山貞親、赤松克麿らがいる。
徳田球一は沖縄出身である。沖縄出身者が共産党設立社の一人だった。徳田球一のことは小学生の頃に教師から聞いた。徳田の徳と球一の球をとって「とっきゅう」と呼ばれていたという。
共産党を結成した人たちはロシアの社会主義国家は労働者を解放し、労働者を自由で平等にする差別のない理想の国家であると信じていた。米国は議会制民主国家であったが資本主義の社会だった。資本主義社会は資本家が労働者を搾取する社会である。共産党を設立したメンバーは、米国は労働者を搾取するブルジョアジーが支配する国、ソ連は労働者を搾取するブルジョアジーの居ない自由で平等な国であると信じていた。米国など資本主義国家の次の段階の国家がソ連のような社会主義国家であると信じていた。だから、米国を否定し日本もロシアのように社会主義国家を設立するべきと考えていた。共産党のメンバーはマルクスやレーニンの理論を信じ、ソ連では理論通りの理想的な社会に向かっている政治が行われていると信じていた。しかし、現実のソ連の実態は違っていた。共産党設立メンバーが信じている国家ではなかった。ソ連の実態を知らなかったから日本共産党はソ連に憧れ続けたのである。

 社会主義ソ連の実態は共産党が信じている社会主義国家とは全然違う国家であった。ソ連は権力者が労働者を差別して搾取する国家であった。権力者に富は集中し、国民は貧困を強いられた。民間人が経営する企業はなかった。企業はすべては国営であり、経営に専門ではない権力者が経営をした。だからソ連の経済は発展しなかった。国民はますます貧困になった。権力者は富み、農民と労働者は貧しくなっていった。貧富の層がはっきりと分かれていたのがソ連社会主義であった。
 経営の能力のない権力者が経営するから経済は落ち込んだ。ソ連の経済は恐慌状態になった。しかし、経営に無能な権力者は経済を復活させることはできなかった。恐慌状態が続いたソ連は経済が悪化していって1991年に崩壊するのである。ソ連崩壊の原因は政治ではなく経済の破綻であった。
 ソ連が崩壊しても日本共産党は社会主義イデオロギーにしがみついた。米国を労働者を搾取する資本主義国家だと非難し、米国に隷属している日本を批判し続けた共産党である。共産党が目指すのは創立した時からずっと同じである。社会主義国家の実現である。しかし、社会主義国家は崩壊したのである。崩壊の現実を共産党は認識するべきであった。共産党は社会主義の矛盾を解明して社会主義と決別するべきであった。しかし、決別しなかった。
民主主義の次に社会主義というのが共産党の描く政治変革である。しかし、東欧の国々は社会主義から民主主義の国になった。民主主義から社会主義になった国は一つもない。それが現実である。共産党は現実に目を背けたのである。
 
 ソ連が崩壊したということは社会主義の崩壊である。ソ連崩壊を真正面から受け止め、社会主義の矛盾を追及していけば社会主義を否定することができたはずである。 
ソ連崩壊後に社会主義だった東欧の国々は次々と議会制民主主義国家になっていった。東欧の歴史的変化を見れば独裁政治である社会主義の次に民主主義の議会制になることを認識できたはずである。しかし、共産党は社会主義にこだわった。民主主義の次に社会主義になると信じてきた。ロシア革命の虜になっているのが共産党である。
現実に目を背ける共産党を、共産党を誕生させたロシアががたがたにした。それがロシアのウクライナ侵攻である。ウクライナに侵攻したロシアのやっていることこそが社会主義ロシアの本当の姿である。

社会主義時代にウクライナで起こったことである。ウクライナの1932年の穀物生産は1400万トンであった。前年同様の不作であった。不作の原因は政府が強引に進めた農業の集団化による混乱であった。1932年のウクライナは全ソ連の穀物の27%を収穫した。しかし、政府がウクライナに課した政府調達ノルマは全ソ連の38%であった。独裁国家のロシアは政府が決めたノルマを徹底して守らせる。
政府はノルマ通りに38%を調達しようとした。ウクライナの農民はこの調達に抵抗した。しかし、モスクワの党・政府は強引に調達を進めた。党の活動家は農家から穀物を押収する法的権利を得た。党活動家の一団が都市からやって来て農家の一戸一戸を回り、床を壊すなどして穀物を探した。飢えていない者は食物を隠していると疑われた。食物を隠している者は社会主義財産の窃盗として死刑とする法律が制定された。
ウクライナ農民の政府ノルマによる飢饉が起こった。1933年春に飢饉はピークを迎えた。飢饉はソ連の中ではウクライナだけでなく北カフカスでも起きた。都市住民ではなく食糧を生産する農民が飢えたのである。穀物生産の少ないロシア中心部には飢饉が起こらず、穀物生産する農民の住むウクライナに飢饉が起きたということは異常な事態である。
農場は農民の所有ではなく政府の所有である。だから、生産物は農民のものではなく政府のものである。それが社会主義のルールである。社会主義独裁国家ロシアだから農民に飢饉が起きたのである。都市の住民は満足な食事ができたが、農民はパンがなく、ねずみ、木の皮、葉まで食べた。人肉食いの話も多く伝わっている。村全体が死に絶えたところもあったという。
これが社会主義国家ソ連の実態である。つまり社会主義の実態は国民を差別し虐待し一部の権力者が富者になる独裁国家であったのだ。
ソ連は1991年に崩壊した。経済が崩壊したのであってロシアの独裁政治が崩壊したのではなかった。プーチン大統領は経済を見事に復興させた。経済が復興すると社会主義の独裁政治も復活させた。それがロシア軍のウクライナ侵攻である。
ウクライナに侵攻したロシア軍は都市を破壊し、民間人を無差別に虐殺した。社会主義国家であったロシアでやっていたことを再現したのがウクライナ侵攻である。  
ウクライナ侵攻と同じことが1956年にも起きた。ハンガリー動乱である。ハンガリー動乱でもウクライナと同じように街は破壊され多くの民間人が虐殺された。
労働者を虐殺するのは共産主義に反するとロシア政府批判が広がった。中心となったのが反スターリン主義者である。日本の共産党でも反スターリン主義者がロシアに抗議するように要求したが共産党のリーダーたちは抗議しなかった。反発した反スターリンのメンバーは共産党を脱退した。脱退して結成したのが革マル派と中核派である。革マル派と中核派は元は共産党員だったのだ。
 
 革マルのブログを見た。ロシアのウクライナ侵攻を批判していた。その一部を紹介する。
ウクライナの数百万人民に餓死を強制したスターリン
 ウクライナの軍・民兵と人民は、壮絶な戦いを展開して首都キエフに迫るロシア侵略軍を撃退した。完全包囲下のマリウポリにおいては、いままさに敢然と戦いつづけている。命をかけ団結して戦う彼らの心には〝民族の歴史〟が刻みこまれているにちがいない。在日のウクライナの人々は訴えていた、「ウクライナ人はスターリンとずっとたたかってきた」と。ウクライナ人民はプーチンとスターリンとを重ねあわせ、彼らの祖父母・曽祖父母らにたいするスターリンの抑圧・弾圧にたいする怒りと憎しみとを強く強く燃やしているのだ、と私は感じる。
 ウクライナの人々がスターリンの歴史的犯罪の第一にあげているのは「ホロドモール」、一九三二~三年にウクライナにおいて数百万人もの人民が餓死させられた大事件である。〔ウクライナ語で「ホロド」は飢饉、「モール」は疫病を示す。〕
 私は思う。われわれ反スターリン主義者は、スターリンがウクライナの人民に加えた歴史的大犯罪を、決起したハンガリー労働者にたいする残忍な弾圧などのスターリニストの数多の大罪と重ねあわせて身体的な憎しみをもって弾劾せずにはいられないのだ。われわれはウクライナ人民の怒りと闘志を共有し、彼らと連帯してたたかうのである。
 同時に、プーチンが鼓吹しロシアのスターリニスト残党が唱和しているスターリン神話(重工業化と対独戦勝利によって超大国ソ連を建設したというそれ)の虚偽性をロシアの労働者階級・人民に暴きださなければならない。そのためにも、「ホロドモール」の大犯罪を暴きだすことが不可欠であると私は思う。「革マル派ブログより」
 ロシアについて革マルの評論は色々参考になる。
共産党を設立したメンバーたちはロシア批判には消極的であった。だから、スターリン批判も避けた。共産党は「ソ連を先頭とする社会主義陣営」とスターリン批判が拡大するなかでもロシアを社会主義のリーダーとしていた。

 日本共産党に対するイメージは
〇ロシア革命が原因で誕生した社会主義政党
〇日本の米軍基地撤去
〇自衛隊を解消
〇日米安保破棄
等々である。
共産党は社会主義国家であったロシアとイメージがダブるだろう。ウクライナに侵攻したのはロシアである。ロシア軍がウクライナでやった残虐さは共産党と重なるだろう。共産党のイメージがプーチン独裁のロシア侵攻によって大きくダウンしたに違いない。イメージダウンを防ごうと共産党は自衛隊活用を主張するようになった。 
自衛隊を否定してきた共産党が自衛隊を活用するというのは矛盾している。他の政党やマスメディアは自衛隊活用を批判している。
共産主義・社会主義はロシアを連想する。ロシアはウクライナ侵攻し残酷な虐殺を続けている。ロシアのウクライナ侵攻が共産主義・社会主義の否定につながる。これからの共産党は「共産主義・社会主義」を口にすることは難しくなるだろう。創立100年目の共産党を、共産党を誕生させたロシアが存続危機に陥らせている。
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反自衛隊・安保廃棄の共産党をピンチにするロシアのウクライナ侵攻

反自衛隊・安保廃棄の共産党をピンチにするロシアのウクライナ侵攻

ロシアのウクライナ侵攻が思わぬ政党に飛び火してピンチに陥っている。飛び火した政党が共産党である。共産党の志位委員長が党本部での会合で、ウクライナ情勢を踏まえ、「急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬくのが党の立場だ」と発言したのである。記者から自衛隊解消後に日本が侵略された場合の対応を問われると、「攻められる心配があるうちはなくさない」と自衛隊を維持するというおかしな説明をした。 
共産党は憲法九条を根拠に自衛隊は軍隊であるから憲法違反だと主張してきた。自衛隊は解消するべきであると主張してきたのが共産党である。自衛隊解体論者の共産党の志位委員長が「有事の際には自衛隊を活用する」と発言したのである。そして、自衛隊を維持する可能性も示唆したのである。「自衛隊は違憲と言い続けてきた共産党であるのに、都合の良いときだけ利用するのか」と共産党を批判する政党やマスメデロイアが増えるのは当然である。
自衛隊の解消を掲げる共産党の綱領と矛盾しているとの批判も出ている。「共産党は自衛隊を違憲の存在と位置付けている。違憲の存在は許してはならないと考えるのが立憲主義の基本である。仮に、自衛隊が違憲の存在であるならば、自衛隊の存在を否定しなければ立憲主義は守れない。違憲の存在であっても党の解釈次第で存在が許されるというのであれば、立憲主義は成り立たない」と批判された。

志位委員長批判が噴出したが、志位委員長は反論した。
「2000年の党大会で決定し、綱領に書き込んでいる方針だ」と強調し、「批判をするときは勉強してからにしてほしい」と言った。だがこの主張が簡単に理解されることはないことを志位委員長は認めている。だから記者団に国民に私たちの立場が伝わっていない面もある。努力しないといけない」と弁解したのである。自衛隊は憲法違反だと主張してきたのに自衛隊を活用するというのは矛盾している。理解するのは難しい。こんな矛盾したことを志位委員長は2000年に決定したし、綱領にも書き込んでいると主張している。

 志位委員長の言ったことが真実であるか否かを調べたのがデイリー新潮社である。綱領には掲載していないことが分かった。それは志位委員長が間違っている。ただ、中央委員会でこの問題について2000年に協議したことは事実である。中央委員会で、自衛隊が憲法違反の存在であることは明らかとしつつも、自衛隊解消には時間がかかることが問題にされて協議した。協議では、解消される前に必要に迫られた場合は、自衛隊を国民の安全のために活用するのは当然という結論に達した。志位委員長が主張していることが中央委員会の結論であった。だから、こうした自衛隊活用論がはじめて公式に認められ、中央委員会総会の決議案には明記されたのである。しかし、綱領に加えられることはなかった。だから、綱領には掲載されていない。綱領に掲載されているというのは嘘である。
 自衛隊を活用するというのは中央委員会で認めたことである。しかし、綱領に自衛隊の解消”とあるのに、自衛隊活用を加えたら矛盾が生じる。だから、綱領には掲載しなかった。公の場でも公表しなかった。自衛隊活用を志位委員長が公言したのはロシアがウクライナ侵攻したことに原因がある。ロシア軍が兵士ではないウクライナ国民を虐殺した。虐殺を止めることができるのは軍隊である。日本では自衛隊である。自衛隊が居なければ日本国民は虐殺される。ところが共産党は自衛隊を否定している。国民が虐殺されるのが共産党の政策であると思われることを恐れた志位委員長は機動隊活用を公言したのである。国民の支持が離れるのを恐れたのである。

 共産党は日米安保廃棄と憲法九条堅持、自衛隊の解消を主張してきた。ロシアのウクライナ侵攻が共産党の主張をぐらつかせたのである。
 ロシア軍の侵攻に対してウクライナに莫大な兵器を支援して侵攻を押さえさせたのが米国である。。対空兵器、対戦車兵器、弾薬や兵士の携帯食、救急セットを含む軍用の医療品などの軍事援助だけでなく、ウクライナからの難民や国内避難民らへの人道支援もやっている。米国は大規模なウクライナ支援をしたのである。米国の支援がなければウクライナはロシアに占領されていた。ウクライナを占領から助けたのは米国であった。共産党はウクライナを一番支援している米国を帝国主義国家であると非難し、日米安保破棄を主張してきた。ところがウクライナ戦争ではロシアが帝国主義であり米国は民主主義国家ウクライナを支援する国家であった。多くの国民は米国の行為を支持した。
 ロシアがウクライナに侵攻したのはウクライナがNATOに加入していなかったからである。加入していたら侵攻していなかった。ウクライナが日本のように米国と安全保障条約を結んでいたらロシアに侵攻されなかっただろう。
 ロシアや中国の日本侵攻を防ぐためには自衛隊の強化、日米安保が必要であることがロシアのウクライナ侵攻で明らかにになった。反自衛隊、反日米安保の共産党をピンチにさせたのがロシアのウクライナ侵攻である。


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パルチザンはすごい ロシア軍勢力のど真ん中に殴り込み

パルチザンはすごい ロシア軍勢力のど真ん中に殴り込み

今日のウクライナ侵攻の地図を見て驚いた。なんとまではなかった緑の地域が南部に現れたのだ。ロシア軍が結集して総攻撃をかけている南部でパルチザンが支配地域を確保したのだ。ロシア軍が支配している地域をパルチザンは奪回したのである。


 南部は赤色だけであったのに緑色の地域が初めてできた。素晴らしい。

ロシア海軍の黒海艦隊のミサイル巡洋艦「モスクワ」がミサイル攻撃で沈没したことや、陥落寸前であるマリウポリについては何度も報道されているが、パルチザンが南部で支配地域をつくったことは一度も報道されていない。今日の地図に載っているだけである。どのようにしてパルチザンはその地域を支配できるようになったのか、どのようにしてロシア軍を撃退したのか・・・。ニュースがないので全然分からない。とにもかくにもパルチザンが支配地域をつくったのは確かだ。
 ムイコライフの南側にも緑地域がある。パルチザン支配地域があるということだ。ロシア軍は西部から東部、南部に移動し総攻撃をかけるというニュースか流れているがまだ総攻撃をしていないようである。むしろ、ウクライナ軍の方が攻撃をかけて支配地域を広げているようだ。今の南部ではウクライナ軍が攻めている。
 ロシア軍の総攻撃が始まればどうなるのか。今までのことを参考にすれば五分五分というところか。ロシア軍の圧勝はないだろう。自由と民主主義のために戦うパルチザンは強い。ウクライナ軍の勝利もあり得る。
 これからの数週間が勝負になる。ウクライナ軍に勝利あれ。ロシア軍に敗北を。
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フィンランド、スウェーデンのNATO加入を阻止することはロシアにはできない

フィンランド、スウェーデンのNATO加入を阻止することはロシアにはできない

フィンランドとスウェーデンがNATOへの加入を検討するようになると直ぐにロシアが圧力をかけた。
ロシアのプーチン大統領の最側近の1人で、安全保障会議副議長を務めるドミトリー・メドベージェフ氏はスウェーデンとフィンランドが北大西洋条約機構(NATO)に加盟すれば、ロシアは地域での防衛力を高める必要があると警告した。メドベージェフ氏は、両国がNATOに加盟した場合は、軍事的均衡を取り戻すためロシアはバルト海で陸海空軍を増強しなければならないと主張したのである。バルト海に核配備することを匂わせ、「核のないバルト海はなくなる」と忠告した。
バルト海にロシア海軍が核配備をするとどれほどの脅威であるかを知るためにバルト海の地図を調べた。調べて苦笑した。なんとバルト海に接しているのはほとんどがNATO加入の国々なのだ。ロシアが接しているのはフィンランドとエストニアに挟まれたフィンランド湾の奥の方だけである。ロシアはバルト海と接していないに等しい。360度NATO加入国に囲まれているのがバルト海である。核装備をしたロシアの軍艦がバルト海に出撃したらすぐにNATO加入国の軍艦に囲まれるだろう。ロシアの軍艦は身動きができなくなる。バルト海ではロシアの軍艦はなにもできない。メドベージェフ氏はロシア軍のバルト海での核配備がNATOに脅威であるように述べたが、NATO軍がロシア軍艦を捕縛するのは造作もないことである。バルト海のロシア軍はNATOにとってちっとも脅威ではない。

ロシアの軍艦が核配備をしていればNATO軍艦がすぐ見つけて取り囲み監視する。メドベージェフ氏は「核のないバルト海はなくなる」と警告することによってフィンランド、スウェーデンを脅しているがその効果は全然ないということだ。核は米国、イギリス、フランスも所有している。核戦争になればロシアのほうが不利である。脅しにならない脅しをしているロシアである。
ロシアがフィンランドのNATO加入を止めるにはウクライナと同じようにロシア軍を侵攻させるしかない。ウクライナで苦戦しているロシアにはフィンランドに侵攻する余力はないだろう。それにフィンランドの軍隊は強い。ウクライナ軍より強い。フィンランドに侵攻する勇気はロシアにはないだろう。脅しにもならない警告をして警告したように見せるしかできないロシアである。
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ウクライナ侵攻がフィンランド、スウェーデンのNATO加入を決心させた 民主主義国は連帯する

ウクライナ侵攻がフィンランド、スウェーデンのNATO加入を決心させた 民主主義国は連帯する
 
フィンランドとスウェーデンがNATO加入に意欲を見せた。フィンランドとロシアは1340キロにわたって国境を接している。ウクライナよりも長い。そのフィンランドがNATOに加入するというのである。
 プーチン大統領はウクライナがNATOに加入するのを阻止するためにロシア軍を侵攻させた。ところがウクライナ侵攻を見て、国の安全に危機感を持つようになったのがフィンランドとスウェーデンである。フィンランドはウクライナと同じように国境がロシアと接している。ロシア軍に侵攻される危険性が高い。ロシア侵攻をさせないためにはNATO加入が一番いい方法である。
フィンランドでは、議会に情報機関による安全保障報告が提出される予定である。サンナ・マリン首相は、NATO加盟申請をめぐる政府内の議論を「6月よりも前に終わらせる」予定だと話している。6月にはNATO申請をする可能性が高い。
スウェーデンの与党・社会民主党は伝統的にNATO加盟には反対してきた。しかし、ロシアのウクライナ侵攻を受け、その立場を再考するとしている。同党は声明で、「ロシアのウクライナ侵攻により、スウェーデンの安全保障の立場は根本的に変わった」と述べた。スウェーデンのNATO加入も確実である。

ウクライナ侵攻前、ロシアはNATOにこれ以上の拡大を止めるよう要請していた。ロシアは、NATO拡大の可能性には明確に反対の意を示している。ロシアは、「NATOは平和と安定を保証する同盟ではなく、拡大しても欧州大陸に今以上の安全保障はもたらさない」と述べ、フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟した場合には、軍事的・政治的な影響」が待っていると警告している。ということは加盟手続きをしようとしたらウクライナのようにロシア軍を侵攻させると警告していることになる。
ウクライナで戦争をしているロシア軍がフィンランドに侵攻してロシア軍の戦域を拡大することができるだろうか。ロシア軍はウクライナで苦戦している。首都キーウの西側では敗退している。ロシア軍は戦略を変更して東南部に集中することになった。ウクライナだけでも苦戦しているロシア軍がフィンランドに侵攻する戦力はないだろう。警告はするだろうがロシア軍を侵攻させることはできないだろう。
フィンランドは1995年にEUに加入している。しかし、NATOには加入しなかった。
フィンランドはロシア革命で成立したソビエト連邦との戦争を1939年から1945年までやった。戦争で幾らかの土地をソ連に奪われたが、ソ連に併合されたバルト三国とは異なり独立を維持した。
フィンランドは人口や経済規模は小さいが一人当たりGDPでは世界のトップクラスである。、豊かで自由な民主主義の国である。フィンランドは2014年のOECDレビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告された。フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、全ての点でOECD加盟国平均を上回っている。
外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きをしながら中立的外交を上手にやって来たのがフィンランドである。だから、EUには加入したがNATOには加入しなかった。政治・軍事では中立の立場を維持していたのがフィンランドである。
フィンランドがNATO加入に動いたきっかけがロシアのウクライナ侵攻であった。ロシアの目的はウクライナを制圧して大統領や市長などの権力者たちを全て排除して親ロシア派に代えててロシアの支配下にすることである。ロシアのウクライナ侵攻の目的をフィンランドは知った。ウクライナの次にフィンランドに侵攻するかもしれない考えるのは当然である。ロシアの侵攻を防ぐ方法はNATOに加入することである。ウクライナと同じような侵攻をされないためにNATOに加入することをフィンランド政府は決心したのである。
フィンランドの軍高官は、軍用ドローンの購入に新たに1400万ユーロ(約19億円)を投じる計画だ。スウェーデンも、2022年度の軍事費を30億スウェーデンクローナ(約395億円)増額する。
ロシア軍は、フィンランドと合同軍事演習をしていたスウェーデンの領空を爆撃機など4機で侵犯した。同国メディアは、そのうち2機が核兵器を搭載していたと報じた。ロシア機はフィンランド領空にも侵入した。
ロシア軍はフィンランドとの国境に向けてミサイルシステムを含む軍事装備を移動している。NATO加盟を検討するフィンランドを威圧しているロシア軍である。しかし、この行為は逆効果である。両国がNATO加入を考えたのはロシアがウクライナ侵攻をしたからである。侵攻から守るためにはNATOに加入するしかないと思っているフィンランドに侵攻するぞと軍事装備を移動させればますますフィンランドはNATO加入の決心を強くするだけである。ロシアはフィンランドにNATOに早く加入しろと言っているようなものである。
フィンランドのマリン首相は13日、スウェーデンの首都ストックホルムでアンデション首相とロシアによるウクライナ侵攻を受け、両国の安全保障環境などについて協議した。


会談前に歩くスウェーデンのアンデション首相(左)とフィンランドのマリン首相=ストックホルムで2022年4月13日。

マリン首相は記者会見し「北大西洋条約機構(NATO)に加盟しなければ安全の保証が得られない」と述べ、加盟への意欲を表明した。申請の是非を数週間以内に決定するとした。アンデション首相も早急に判断する意向を示した。
フィンランドとスウェーデンは議会制民主主義国家である。自由と民主主義を守るために独裁国家ロシアの侵攻を防がなければならない。NATOは議会制民主主義国が結集する軍事同盟である。NATOは加盟国の領土及び国民を防衛することが最大の責務とする。NATO加盟国は米国、イギリス、ドイツなど30カ国である。フィンランドとスウェーデンが加入すれば32カ国になる。戦争すれば確実に敗北するNATOとの戦争をロシアはしない。だから、フィンランドとスウェーデンは民主主義を守るためにNATOに加入しようとしているのである。
NATOは東のソ連と西の民主主義国家との冷戦が激しくなった1949年に米国や英国、フランスなど12カ国で設立した国際軍事機構である。今では3倍近くの30カ国が加入している。激増した原因は議会制民主主義国家が増えたからである。民主主義国家は増え続け、独裁国家は減り続ける。それが歴史の流れである。
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沖縄に米軍基地集中は「差別的だ」と思う30代以下は25% 左翼衰退は進む

沖縄に米軍基地集中は「差別的だ」と思う30代以下は25% 左翼衰退は進む

 沖縄県が昨年実施した県民意識調査で、沖縄に基地が集中する現状を「差別的な状況だと思うか」との質問に「差別的だと思う」と答えた人の割合は、30歳代以下では25%程度であった。75%は差別的とは思っていないのだ。70歳以上は60%を超え、60歳代は57%、50歳代は40%台、40歳代は30%である。
 若い世代は米軍基地や自衛隊基地に対する反発が薄れている。調査に参加した和光大の米田幸弘准教授(社会学)は「若者には沖縄戦や米統治下の実体験がなく、安全保障に対する意識や『経済の基地依存』の認識が強い傾向もみられた。基地感情の世代差が広がっている」と指摘している。
 中国船が尖閣の領海に侵入を繰り返している。中国が沖縄に侵攻するかもしれないという思いから米軍基地を容認している県民は増えているだろう。石垣市と宮古島市では自衛隊基地建設に賛成している政治家が市長になっている。沖縄を中国の侵略から守るためには米軍基地、自衛隊基地は必要であると思う県民が増えたのである。
 ロシアがウクライナに侵攻した。ロシア軍は街を破壊し民間人を虐殺した。ウクライナ戦争を見た県民の多くは沖縄に自衛隊基地、米軍基地は必要と思ったはずである。基地反対運動に埋没している左翼を支持する県民は減り、左翼は衰退していく運命にある。
 基地があるから有事の時にミサイル攻撃される。だから、基地を建設するな。撤去しろというのが左翼の主張である。ウクライナに侵攻したロシア軍は民間地にミサイルを撃ち込み、廃墟にし、民間人を襲って虐殺した。左翼の主張が間違っていることをウクライナ戦争で明らかになった。ロシアはNATOに加入している国には侵攻しない。ウクライナがNATOに加入していなかったから侵攻した。中国に侵攻されないためには政府が進めている米国、オースラリア、インドなどの民主主義国と連携するのも重要である。
 次の調査で「差別的だと思う」県民がもっと減るのは間違いない。左翼衰退は進む。

 復帰50年を迎える今年、基地問題も含めて沖縄への注目が集まると思う玉城デニー知事は「過重」な基地負担の解消を求める「建議」を作成し、日米両政府に送る予定だという。お笑いである。
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ウクライナ戦争で判明した民主主義が欠落した学者・ジャーナリスト

ウクライナ戦争で判明した民主主義が欠落した学者・ジャーナリスト
 
ウクライナ戦争は民主主義国家ウクライナと独裁国家ロシアとの戦争である。ロシアはウクライナを支配する目的でロシア軍を侵攻させた。ウクライナは自由と民主主義を守るためにロシア軍と戦っている。
 ウクライナ戦争の本質は民主主義と独裁主義の戦争である。民主主義と独裁のどちらを支持するかを念頭に入れてウクライナ戦争について意見を述べるべきである。ところが多くの政治学者やジャーナリストは民主主義の精神が欠落しているようである。ウクライナとロシアを対等に置いて評論を展開している。

国際ジャーナリストの高橋浩祐氏は アメリカ・シカゴ大の国際政治学者、ジョン・ミアシャイマー教授の論文を紹介している。ロシアのウクライナへの軍事侵攻前後にミアシャイマー教授が出演したYouTubeの再生回数が100万回以上に達したという。ミアシャイマー教授の「今回のウクライナ戦争の原因を作ったのは西側諸国、とりわけアメリカだ」の発言が世界的に注目されていると高橋氏は述べている。
世界的に注目されているかもしれないが、ミアシャイマー教授は民主主義が欠落している。ミアシャイマー教授を批判する。
① NATOの東方拡大
ミアシャイマー教授がロシア軍がウクライナに侵攻した1つ目の原因は、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大政策にあるという。
ミアシャイマー教授は、1991年のソ連崩壊後、弱体化したロシアが⒉度にわたって甘んじてNATOの東方拡大を受け入れてきたと指摘する。1度目は1999年の旧ソ連衛星国のポーランド、チェコ、ハンガリーのNATO入り。⒉度目は2004年のバルト⒊国やルーマニアなど7カ国のNATO加盟である。ミアシャイマー教授の指摘は間違っている。ロシアは甘んじて受け入れたのではない。受け入れることも受け入れないこともロシアはできない。それぞれの国は独立国である。NATOに加入するか否かはそれぞれの国が決めることである。ロシアには関係ない。政治専門家なら独立国の選択は独立国の意思で決めることを認識するべきである。
もともとこれらの国々は、西側のNATOに対抗し、ソ連を盟主とした社会主義国であった。東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟のワルシャワ条約機構のメンバーだったからNATOとは対立していた。しかし、冷戦終結に伴い、1991年に東側のワルシャワ条約機構が解散した後に社会主義国から民主主義国になった。民主主義国家になったからロシアから離れた。
ロシアは甘んじてNATOの東方拡大を受け入れてきたとミアシャイマー教授は指摘しているがそれは間違っている。そもそも「甘んじて」の内容を具体的に説明していない。政治学者として失格である。
ミアシャイマー教授が指摘しているようにソ連は1991年に崩壊した。崩壊した原因はロシアの経済破綻であった。国家の財政危機に陥ったロシアはソ連加盟国を武力で支配することができなくなった。ロシアに支配されていた東欧の国々は次々とロシア支配から離れて民主主義国家になっていった。それを象徴するのがベルリンの壁の崩壊である。
ベルリンの壁崩壊は、1989年11月9日に、それまで東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことで、その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放され、翌11月10日にベルリンの壁の撤去作業が始まった出来事である。
これにより、1961年8月13日のベルリンの壁着工から28年間にわたる、東西ベルリンが遮断されてきた東西分断の歴史は終結した。東欧の民主革命を象徴する出来事であり、この事件を皮切りに東欧諸国では続々と共産党政府が倒され民主主義国家になった。そして、翌1990年10月3日に、「ドイツ民主共和国に再設置された各州がドイツ連邦共和国に加盟する」という名目(実質的には編入)にて、東西ドイツの統一がなされた。


ミアシャイマー教授はソ連がロシア中心の独裁国家であったこと。東欧の社会主義国家は民主主義国家を目指してロシアから離れていったことを述べていない。政治にとって独裁か民主主義かは非常に重要なことである。ところが民主主義を代表する米国の政治専門家でありながら民主主義と独裁主義を同列に置くのである。ミアシャイマー教授には民主主義の精神が欠落している。

ソ連は社会主義国家と見られていたが実態は独裁国家であった。独裁支配から解放されたいとソ連時代にも労働者、市民の民主主義運動は起こった。しかし、ロシアによって徹底して弾圧された。今のロシアのように。
ロシアによる民主主義弾圧で有名なのがハンガリー動乱である。ハンガリーの首都ブダペストで1956年10月23日、民主化やソ連軍撤退を要求する学生や労働者のデモが発生。ソ連は軍を出動させ、市民と衝突した。事態はいったん正常化に向かったものの、ナジ首相がワルシャワ条約機構からの脱退とハンガリーの中立を宣言したのをきっかけに、ソ連軍が新たに越境。11月4日にブタペスト市内へ突入すると、ハンガリー軍、市民義勇軍と市街戦を展開した。
優勢なソ連軍にハンガリー軍と市民義勇軍は頑強に抵抗したが、同日中にはソ連を後ろ盾とするカダル政権の誕生が宣言され、国内の抵抗もおよそ1週間で鎮圧された。ナジ首相は国家転覆罪に問われ、2年後に処刑された。この動乱での死者は2700人に達し、約20万人のハンガリー市民が西側に逃れたといわれる。
これはウクライナの写真ではない。ハンガリーの写真である。



ロシア軍は昔から住宅を破壊し民間人を虐殺していたのである。

ミアシャイマー教授はハンガリー弾圧には触れない。東欧の国々がロシアから離れて民主主義国家になっていったことも無視するのである。
東欧の国々はロシアの支配を嫌って民主主義国になったから民主主義国の軍事同盟であるNATOに加盟したのである。ところがミアシャイマー教授は冷戦後、唯一の超大国となったアメリカが1990年代後半にNATOの東方拡大を本格化させたからNATOに加入したというのである。嘘である。ロシア支配から解放された東欧の国が次々と民主主義国家になり、同じ民主主義の西欧の国々と交流を深めていった。民主主義国家になったことを嫌っている独裁国家ロシアの介入を恐れた東欧の国々だったからNATOに加入したのである。NATO加入は東欧の国々が望んだのであってアメリカの東方拡大計画があったからではない。東欧に民主主義国家が次々と誕生したからである。東欧の民主主義国家であるフィンランドとスウェーデンは加盟していない。国民が加盟に賛成しなかったので加盟しなかった。しかし、ロシアのウクライナ侵攻が原因で加盟支持者が増えているという。過半数の賛成があれば加盟を申し込むだろう。

2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで開かれた会議で、ブッシュ・アメリカ大統領が旧ソ連のウクライナとジョージア(旧グルジア)のNATO加盟を提案しウクライナとジョージアもNATO加盟を明確に表明したと思っているミアシャイマー教授は「ロシアはこの時、明確にウクライナとジョージアのNATO入りはロシアの国の存亡に関わる脅威であり、受け入れられないと主張した」と指摘し、今回のウクライナ戦争の起源だと言い切っている。なぜ、ロシアの存亡に関わる脅威であるかをミアシャイマー教授は説明しない。
社会主義が崩壊したロシアは資本主義になり、大統領、議員を選挙で選ぶ議会制民主主義国家になった。ロシアは米国と同じ国家になったのである。NATOと同じ民主主義国家であるならウクライナとジョウジアがNATOに加盟しても問題はない。ロシアもNATOに加盟すればいい。しかし、プーチン大統領は2国のNATO加盟に脅威を感じ、受け入れることができないと主張した。なぜか。理由は明確である。プーチン大統領はロシア独裁国家の再生を目指していたからである。ロシア独裁国家にとって東欧の国の民主主義国家のNATO加盟は脅威であったのだ。プーチン大統領が米国と同じ民主主義国家を目指していたなら脅威を感じることはなかった。

米国は大統領は2期までで3期はない。それは独裁国家になることを避けるためである。ロシアも米国に習って大統領は2期までとなっていた。ところがロシアの憲法には抜け道があった。3期連続で大統領にはなれないが大統領を辞めてから4年後に立候補することができた。プーチンは2期務めた後、子飼いのメドベージェフに大統領をさせ、自分は首相になった。そして、4年後に立候補して再び大統領になった。プーチン氏は着々とプーチン独裁国家を築いていったのだ。大統領が長機関居座れば独裁国家になるという米国の考えはプーチン大統領が証明した。
ソ連に加入していた時の東欧の国々は独裁国家であった。だから東欧の国々は独裁者プーチン大統領と同じようにNATOは敵であり脅威を感じていた。しかし、国民は立ち上がり独裁者を屈服させて民主主義国家になった。民主主義国家になるとNATOと親しくなった。ロシアも民主主義国家になっていたらNATOと親しい関係になっていただろう。プーチン大統領がロシアを独裁国家にしたからNATOに脅威を感じるのである。
2014年のロシア軍によるクリミア侵攻について、ミアシャイマー教授は「クリミア半島にはセバストポリという。重要な海軍基地がある。ロシアにとってNATOの基地にさせることは考えられない。これがロシアがクリミアを奪った主な理由だ」と主張する。クリミヤがNATOの基地になると思ったのはロシアがプーチン独裁国家だったからである。民主主義国家であったならNATOの基地になるとは思わなかっただろうし、ウクライナの領土を奪うことはしなかっただろう。独裁国家だからクリミヤを奪ったのである。
アシャイマー教授は米国の政治学者でありながら民主主義と独裁の違いを理解していない。
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ウクライナは総力を挙げて東・南戦でロシア軍撃退を

ウクライナは総力を挙げて東・南戦でロシア軍撃退を

解放されたウクライナの北部のブチャでは300人以上がロシア軍に拷問を受けたりして、殺害されたことが判明した。調査が進めば犠牲者はもっと増えるだろう。ブチャに近接するボロディアンカでも「最も大きな人的被害が確認された」と言われている。
ロシア軍による民間人殺害、拷問、性的暴行、即決による処刑したこと明らかにされている。市長や自治体当局者が拉致された後に殺害されたことも相次いで判明した。ゼレンスキー大統領はロシア軍による「ジェノサイド(民族大量虐殺)」であると世界に訴えている。世界の国々もロシアに対する批判が高まっている。
しかし、戦争は終わっていない。北は解放されたが東や南はロシア軍が制圧している。プーチン大統領は東を占領してロシアの領地にしようとしている。北ではロシア軍が占領していた時の残虐な行為が問題になっている、それはすでに終わったことである。検証は始まったばかりであるが過去の出来事の検証である。ウクライナの東と南で起こっていることは現在進行形である。ロシア軍の残虐行為を絶対に阻止しなければならない。
ロシア軍の攻撃が続くウクライナ南東部のマリウポリは数日から数週間以内に陥落するとの見通しをフランス軍は示した。また、クリミア半島も含めた南部一帯もロシア軍が掌握しつつある。マリウポリではすでに5000人の民間人が殺害されているという情報がある。民間人の犠牲者がこれからも増えるだろう。東、南ではロシア軍の攻撃が拡大している。犠牲をなくすためにはウクライナ軍は総力をかけて東、南で戦い、ロシア軍をウクライナから撃退するしかない。
チェコがウクライナに対し、旧ソ連製の戦車を提供した。攻撃兵器を提供したのは初めてである。ウクライナと同じようにソ連時代はロシアに弾圧されていたチェコである。ウクライナが勝たすために戦車を提供した。同じ歴史をたどったポーランドはミグ29戦闘機を提供しようとしたが米国やドイツに止められた。チェコの戦車に続いてポーランドもミグ29戦闘機を提供すると思う。旧ソ連圏の民主主義の国々はウクライナを支援している。しかし、強大な軍事大国であるロシアを刺激することは避けていた。今度のウクライナ戦でロシア軍が強くないことが分かってきた。だから、チェコは戦車を提供したのである。これから旧ソ連圏の国々が堂々とウクライナを支援するようになるだろう。武器だけでなく軍隊も派遣して一気にロシア軍を撃退してほしいものだ。
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