なあ雲よ・・・アート俳句 六百五十七~六百五十九句

六百五十七句





六百五十八句





六百五十九句




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天皇を「尊敬すれど崇拝せず」





 戦後の教育は軍国主義や天皇崇拝の否定を教えた。そして、沖縄の知識人も、「天皇の名のもとで沖縄の惨禍を受ける」というように、天皇崇拝を推し進め、戦争拡大し、沖縄戦の悲惨を招いたのは天皇も同罪であると説いてきた。

 軍部が最後の一兵まで戦うという方針のもとで、本土決戦を国民に覚悟させていた時に、軍部の妨害をかいくぐって、玉音放送を流し、太平洋戦争を終結させたのは天皇であることは有名な話である。しかし、沖縄の知識人は天皇の戦争責任を追及するが、天皇の玉音放送で戦争を終わらしたことは評価しない。

 昭和天皇は若いときに長期間イギリスに留学をした。イギリスは民主主義国家であり、皇室は「君臨すれど支配せず」の国家であり皇室は政治には関わっていない。そのイギリスに留学した昭和天皇が、沖縄の知識人が主張しているような天皇が天皇崇拝、軍国主義を推進したのか疑問である。

 戦前に、戦後の象徴天皇と似た考えで、天皇は国家が決めたことを追認して、天皇が政治に直接関わることがない天皇機関説という考えがあり、昭和天皇はその考えに賛成した。しかし、天皇制国家を主張する政治家や軍部に反対され、その法案は潰された。

天皇機関説 - Wikipediaより引用

天皇機関説事件

 憲法学の通説となった天皇機関説は、議会の役割を重視し、政党政治と憲政の常道を支えた。しかし、政党政治の不全が顕著になり、議会の統制を受けない軍部が台頭すると、軍国主義が主張され、天皇を絶対視する思想が広まった。1932年(昭和7年)に起きた五・一五事件で犬養毅首相が暗殺され、憲政の常道が崩壊すると、この傾向も強まっていった。

 1935年(昭和10年)には、政党間の政争を絡めて、貴族院において天皇機関説が公然と排撃され、主唱者であり貴族院の勅選議員となっていた美濃部が弁明に立った。結局、美濃部は不敬罪の疑いにより取り調べを受け(起訴猶予)、貴族院議員を辞職した。美濃部の著書である『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊は、出版法違反として発禁処分となった。当時の岡田内閣は、同年8月3日には「統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり。」とし、同年10月15日にはより進んで「所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を芟除(さんじょ)せざるべからず。」とする国体明徴声明を発表して、天皇機関説を公式に排除、その教授も禁じられた。

昭和天皇の見解

 昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。国体明徴声明に対しては軍部に不信感を持ち「安心が出來ぬと云ふ事になる」と言っていた(『本庄繁日記』)。また鈴木貫太郎侍従長には次のように話している。
 主權が君主にあるか國家にあるかといふことを論ずるならばまだ事が判ってゐるけれども、ただ機關説がよいとか惡いとかいふ論議をすることは頗る無茶な話である。君主主權説は、自分からいへば寧ろそれよりも國家主權の方がよいと思ふが、一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。……美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠なのでないと自分は思ふ。今日、美濃部ほどの人が一體何人日本にをるか。ああいふ學者を葬ることは頗る惜しいもんだ。


「尊敬すれど崇拝はせず」の理由

1、 昭和天皇は戦後の民主主義国家をのぞんでいた。
2、 平成天皇をはじめ皇太子も天皇家は一般人と結婚をしている。
3、 A級戦犯の合祀が合祀された後は靖国神社を参拝していない。
4、 平成天皇がサイパンに行った時、朝鮮人慰霊碑も参拝した。


 天皇崇拝・軍国主義を推し進めたのは天皇ではなかった。軍部は国民に選ばれた首相を暗殺し、政治家と軍部が天皇を絶絶対視する思想を広めたのだ。
 天皇と天皇崇拝、軍国主義は切り離して認識するべきであり、天皇と天皇崇拝、軍国主義を同一化すると本当の天皇崇拝、軍国主義のことを理解できない。そして、軍部の圧力をかいくぐって昭和天皇が戦争を終わらした理由を理解できない。

 新川明氏は過激派が火炎ビンを投げつけた「ひめゆりの塔事件」と知花昌一氏の「日の丸焼き捨て事件」を比較し、「ひめゆりの塔事件」の親族の責任が社会に問われることはなかったが、「日の丸焼き捨て事件」の知花昌一氏の場合は親族や地域全体への迫害行為があったといい、ふたつの違いを述べているが、火炎ビンを投げつけた過激派学生の場合は普通親族は過激派学生の行為に反対していたり絶縁状態である。過激派学生の親族が迫害行為に会うというのはあり得ないことだ。

 一方、知花昌一氏の場合は、彼の家はソフトボール会場の近くにあり、居場所がはっきりしていた。新川氏のいう迫害行為とは右翼団体の嫌がらせであった。居場所がはっきりしていたから迫害行為ができたのである。

 新川氏は、「天皇制イデオロギーと無縁の歴史を生きていた沖縄人」と述べているが、天皇制イデオロギーと無縁の歴史を生きていたのは本土の人たちも同じだ、鎌倉時代に武士階級の時代になり戦国時代、江戸時代と武士階級が支配する時代が何百年も続いた。江戸時代では、大名、将軍が支配する時代であり、日本のほとんどの人たちは天皇ことを知らなかった。沖縄だけが天皇制イデオロギーと無縁の歴史を生きてきたというのは真っ赤な嘘だ。
 天皇制イデオロギーは明治時代に王政復古し天皇制国家になってから始まるった。しかも、大正デモクラシーと呼ばれた時代があったように、大正から昭和にかけては民主主義が広まった。しかし、未熟な民主主義は混迷し、軍部の首相暗殺によって崩壊するのである。
 「天皇制イデオロギー」が広まったのは軍部が台頭するきっかけをつくった、1932年(昭和7年)に起きた五・一五事件で国民に選ばれた犬養毅首相が暗殺され、憲政の常道が崩壊する頃からである。
 沖縄も全国と同じ時期に「天皇制イデオロギー」が広まったのである。決して沖縄が本土より遅く「天皇制イデオロギー」が広まったのではない。「天皇制イデオロギー」が最高潮な時期は玉音放送が流れる直前であった。
 新川氏は「天皇制イデオロギー」と述ぶように、天皇制と結びついた軍国主義の歴史・実態を理解していないし、昭和・平成天皇への認識も浅い。

  「天皇制イデオロギーと無縁の歴史を生きていた沖縄人が、国家による上からの皇民化=日本国民化の強制に対応して、自ら国家へすり寄っていく構図は、沖縄近代史の『負』の側面だが」と新川氏は述べているが、新川氏が述べているのは戦前のことなのか戦後のことなのかうやむやである。
 戦前は天皇制国家だがら、国家による上からの皇民化は事実であるが、戦後は日本民主主義国家になったのであり、国家による上からの皇民化は事実ではない。戦後は皇民化=日本国民化ではない。

 新川氏は、「日の丸焼き捨て事件」に見る社会の異常反応と述べているが、右翼団体が抗議行動をしたのであり、それを社会の異常反応というのはおかしい。「日の丸焼き捨て事件」は裁判が長く、新聞に何度も取り上げられたが、知花氏は右翼団体以外の社会の異常反応に見舞われることもなく商売もやり、村会議員にもなっている。読谷村社会内では異常反応は起きていない。

 今の時代に「非国民」視うんぬんとは呆れる。

 戦前に生まれ、強力な「天皇制イデオロギー」教育を受けた軍国少年新川氏は、「天皇制イデオロギー」を克服することができていない。天皇を否定するだけでは「天皇制イデオロギー」を克服したことにはならない。天皇と天皇制を切り離し、軍国主義国家(体制)と民主主義国家(体制)の違いを認識し、戦前と戦後の政治が違うことを認識してはじめて「天皇制イデオロギー」克服の第一歩が始まる。

「昭和・平成天皇を尊敬すれど崇拝せず」は、「天皇制イデオロギー」を克服していない新垣明氏には理解できないだろうな。
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中立ではない沖縄の新聞






 新聞は教科用図書八重山採択地区協議会が教科書を選択していった過程を取材して、

「協議会が、どの教科書がいい、という議論もせずに無記名投票で教科書を選ぶのか」
「結論ありき」
「責任の不在」
「崎原教育長は歴史、公民2科目の教科書しか読んでいなかった」

 と、協議会の委員が教科書選択にいい加減である実体を暴露している。そして、「協議会も教育委員会も透明性や公開性を求められる。教育委員会『議会』、委員は学校現場や市民の意見を反映させる『議員』だ。審議もなく、議会としての役割を果たしていない」と沖教祖の山本隆司中央執行委員長の発言を掲載している。
 協議会の教科書選択の実体を市民に暴露して、協議会を正していくのはマスコミのあるべき姿である。ただ沖縄の新聞は保守系の教科書選択の方法た゜けに注目していて、沖縄のほとんどの地域で行われている教科書選定の実体は追及していない。

 調査員の数名の現場教員が教科書に順位付けをして、協議会の委員は調査員が1位に推薦した教科書を選択するのが沖縄のほとんどの地域で行われている教科書選定のやり方である。

新聞は教科用図書八重山採択地区協議会の委員が全部の教科書は読んでいないと批判しているが、調査員が1位に推薦した教科書を協議会の委員がそのまま選択する方法では、協議会の委員が教科書を読んだとしても、調査員が1位に推薦した教科書を選択するのだから、読んだことになんの意味もない。協議会の委員は調査員が1位に推薦した教科書を選択する方法では協議会の委員は一冊の教科書を読む必要がない。
 八重山の協議会委員が教科書を二冊しかよんでいないと批判するなら、教科書を一冊も読まなくても選択できる現在の教科書の選択方法を大問題にしないとおかしい。

 調査員の現場の教員は全ての教科書を詳しく調査しているかどうかを新聞は調査したことがあるだろうか。果たして調査員は教科書の順位付けを徹底して論争しているだろうか。新聞は調査員が1位に推薦する討論会も取材するべきだ。そして、調査員が推薦した教科書を選択する協議会の実体も調査し暴露するべきだ。

 調査員に沖教祖の圧力がかかっているかどうかも明らかにする必要がある。調査員の推薦した教科書を協議会は選択しているが、調査員は沖教祖が指定した教科書を協議会に推薦しているのなら沖教祖が教科書を選んでいることになる。

 教科書の民主的な選択は、

1、 調査員である現場の教員は全ての教科書を評価し、評価には順位付けをしないで、協議会に送る。同時に調査結果を公表する。 (調査員に対しては圧力をかけない)
2、 協議会の委員は調査員の報告を参考に討論して教科書を多数決で選択する。
(委員には圧力をかけない)

 教科書をどのように選ぶかと、なにを選ぶかは違う。どのように選ぶかは民主的であるかどうかが問題であるが、なにを選ぶかは思想の問題である。教科書選択で問題にするべきは民主的なルールにのっとって教科書を選択するかどうかであり、どの教科書を選ぶかではない。

 ところが八重山の教科書選択問題は、保守系も革新系も、どの教科書を選択するかを争っているのであり、民主的なルールにのっとって教科書を選択することには関心がない。保守系の人たちと革新系の人たちが教科書選びで争うのは仕方がないが、せめて新聞は民主的なルールにのっとって教科書を選択することに関心をむけてほしい。
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あてもなく・・・アート俳句 六百五十四~六百五十六句

六百五十四句





六百五十五句





六百五十六句




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カダフィ氏出身都市、反体制派が挟撃態勢

 【トリポリ=佐藤昌宏】リビアの反体制派は28日、カダフィ政権残党に対する掃討作戦を続け、カダフィ氏の出身地でカダフィ派が掌握する中部の都市シルテを東西から挟撃する態勢を整えた。

 AFP通信によると、反体制派はシルテの部族に投降を求めて交渉しているが、決裂した場合は市内への進軍に踏み切る構えだ。

 反体制派の部隊は28日、シルテの東方約100キロの都市ビンジャワドを制圧したという。シルテ西方では約30キロの位置まで迫っており、シルテ包囲網が狭まっている。北大西洋条約機構(NATO)指揮下の多国籍軍も28日まで3日連続でシルテを空爆した。

 反体制派が首都トリポリを制圧した後、カダフィ氏や親族の行方が分かっておらず、シルテに潜伏している可能性も指摘されている。

(2011年8月29日12時07分 読売新聞)


 早くカダフィを捕らえて内戦を終わらせてほしい。カダフィ体制は崩れたのだから反体制派という呼び方はよくない。新体制とか革命軍とか、リビアを制した組織の呼び方がいい。

 カタフィ側の部族や部隊は徹底して叩き、新政権に反対する部族も叩いたほうがいい。リビアを民主主義国家にするには地方の部族支配を消滅させる必要がある。

 チュニジア、エジプトに続きリビアも民主主義国家になれば、中東・アフリカの民主主義はどんどん広がるだろう。
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石垣・与那国「違法だ」





 沖縄タイムスでは、石垣・与那国「違法だ」という大きな見出しの記事を掲載している。見出しを見ると、石垣・与那国はどんな違法行為をしたのだろうと思うが、生地を読んでみると、驚いたことに、どこにも石垣・与那国が違法行為をしたという文章はない。内容も竹富町・石垣市・与那国町の三教育長の意見を掲載しているだけだ。

 おもしろいことに、見出しとは逆に、石垣教育長は竹富町が違法な決定をしたと主張しているし、竹富町の教育長は「多数決なら先が見えている。ごく一部の多数決で、教育を左右していいのか」と民主主義の基本である多数決の原理を否定するような意見を述べている。

 見出しを、武富「違法」とするほうが記事の内容と一致する。
石垣・与那国「違法だ」と見出しにすることはできない。
タイムス社の個人的な感情で、石垣・与那国「違法だ」という見出しにしたのは明らかだ。タイムスの見出しはおかしい。






 新報は「育鵬社へ投票事前確認」をトップニュースにしている。「与那国町教育長と採択教委玉津会長に伝達」とあたかも与那国町教育長と玉津会長が裏交渉をしたようなイメージを与えているが、記事の内容はなんの問題もない。それに事前に確認したのは武富教育長も同じで、彼は竹富町の委員らと自由社版や育鵬社版には投票しないことを確認している。このほうが明確な事前確認である。

 新報は、竹富教育長は「個別教科書への投票で意思統一はしなかったという」と書いてあるが、竹富町の協議会の全委員が調査員が一番に順位付けした東京書籍版を選んでいる。竹富町の協議会の全委員は「意思統一」はしなくても調査員が1位に順位付けした教科書を選択するという暗黙の掟に従ったのであり、協議会の形骸化を露わにしている。




  

 「真珠湾の大勝利は喚起と興奮をもたらすものだった」は事実である。この歓喜が結果として悲惨な沖縄戦、長崎・広島の原爆投下、東京大空襲を招き、日本は敗戦するのである。なぜ、日本国民は「真珠湾の大勝利は喚起し興奮した」のか、原因は軍国主義による教育、マスコミによる戦争高揚や、情報統制や言論弾圧などによる戦争批判の封じ込め、民主主義思想への弾圧などであり、軍国主義や戦争の実体を学習するためにも、「真珠湾の大勝利は喚起と興奮をもたらすものだった」の事実を教えるべきである。

 30年以上教団に立つ教諭は、「経験が浅い若い先生たちの中には、問題点が分からないまま、教科書や指導書をうのみにする人もいるかもしれない。心配している」と述べている。それはベテラン教諭のうぬぼれだ。歴史も新事実が発見されたり、解釈が変わったりする。新しい先生は新しい歴史観で教えるだろう。
 江戸時代が「平和で安定した社会」であったのは事実だ。江戸時代には意外なことではあるが農民一揆は少なかったらしい。打ちこわしは有名で当時の打ちこわしの絵が教科書に掲載されたりするが、実際の打ちこわしは規模は小さく、パフォーマンスに近い行為であったということを最近雑誌で読んだことがある。

 農民は武器を隠し持っていて七人の侍のように武士に助けを乞うこともなかったらしい。また、盗賊団とは寺社を通じて交渉して、盗賊団が村を襲うのを防いだらしい。

 世界の革命は貧困が原因で農民や市民が決起するが、日本の明治維新は坂本竜馬など下級武士が立ち上がった。江戸幕府を滅ぼしたのは貧しい農民や町民ではなく、下級武士と商人だったのだ。
チュニジア、エジプト、そしてリビアのような市民が蜂起した民主主義革命と明治維新は性質が違う。日本は自然に恵まれていて、農民や町民が江戸幕府を倒そうと立ち上がるほどの日本全体が飢餓状態になることはなかったらしい。農民や町民が蜂起するほどの武士階級による過酷な弾圧もなかったらしい。

 30年以上教団に立つ教諭の、経験が浅い若い先生たちへの危惧はよけいなお世話だ。若い先生は若い先生なりに勉強して教えればいい。若い先生もいつかはベテランになる。
 30年以上教団に立つ教諭が指導書を使わないと断言するのは教科書つくった専門家に対する敬意が足りない。一介の教師が指導書を蔑視するのはあってはならないことだ。教科書にも指導書にも敬意を払うべきであり、その上で自分なりの教えをするべきだ。

 50代の女性教諭は、「学校票」という制度がある時は「同僚たちとこぞって教科書の展示会に足を運び、各社を見比べていた」と述べているが、しかし、教科書の選択において、日教組の圧力がなく、先生が自由に教科書を選ぶことができたのか疑問だ。「学校票」は日教組によって決めた教科書に票を入れた可能性が高い。現場の教師が自由に教科書を選択することはできなかっただろう。

 学校の先生が自由に討論して教科書を選択するのはいい方法だと思う。しかし、政府も日教組も先生が自由に教科書を選ぶことを嫌う。政府は中央集権主義であり、日教組は子供に日教組が正しいと思う歴史や公民を教えたいたからだ。

 政府の思惑、保守系・革新系の思惑、右翼の思惑、沖教祖・日教組の思惑、沖縄のマスコミの思惑がぶつかり、「子供のために」という名目の大人の政争の場になっているのが歴史・公民の教科書問題である。


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白すぎる・・・アート俳句 六百三十一~六百三十三句

六百三十一句





六百三十二句





六百三十三句




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生徒には無縁な争い




 慶田盛竹富町教育長は、玉津会長が調査員による順位付けを廃止し、協議会で無記名投票を導入したことを不当だと主張している。驚く主張ことである。

 玉津会長が、調査員が1位に選んだ教科書しか報告しなかったと述べたことに対して、 慶田盛竹富町教育長は、全ての教科書に順位づけを付けて報告していたとする武富町教委の資料を示して、「1種絞り込み」は行われていなかったと反論した。
そして、「順位付けは教師(調査員)が教科書を決めることではない。今までの方法で何の問題があったのか」と発言している。

 今までは教師(調査員)が順位付けをして、一番になった教科書が選ばれていた。 慶田盛竹富町教育長は「順位付けは教師(調査員)が教科書を決めることではない」というが、教師(調査員)が一番に順位付けをした教科書が協議会で選択されるということは実質的に教師(調査員)が教科書を選択したことになる。事実、竹富町協議会では教科書のないように対する討論はほとんどなく、調査員が一番の順位付けをした教科書を洗濯している。
 それでは協議会はお飾りであり、教科書を選択する会議ではない。

 調査員は協議会の委員が教科書を理解しやすいように分析し、教科書の特徴を報告する組織であるべきであり、教科書に順位付けをする権利があってはならない。

 民主主義の基本は三権分立にあるように権力を集中しないことにある。警察に裁判権を与えていないし、自衛隊の現場に指揮権を与えていない。行政に予算の決定権を与えていないし(予算は議会で決める)、公務員に政治的な決定権を与えていない(政治的な決定は議会で決める)。民主主義的に考えれば、現場の教員に教科書を決定する権利を与えてはいけないのだ。
 ところが、現在は現場の教員である調査員が教科書に順位付けをやり、調査員が1位に順位付けした教科書が選ばれている。それは警察に裁判権があるようなものである。

 慶田盛竹富町教育長の発言は民主主義を否定した発言である。調査員段階で育鵬社の教科書を除外するなんてとんでもないことである。調査員は調査をするのであって、Aの教科書はいいBの教科書は悪いと判断してはならない。その判断は協議会が持つべきものだ。




 新城沖縄大学客員教授は、「これまでの歴史の流れを振り返れば、戦前回帰は教科書から始まる。現場の教師を黙らせ、管理職の力で進めていくつもりだろう」と述べている。
新城沖縄大学客員教授は本気で日本の戦前回帰の可能性があると考えているのだろうか。これまでの歴史を見る限り「戦前回帰は教科書から始まる」という理論は絶対に成り立たない。

 明治政府は天皇崇拝であり、帝国主義であり、富国強兵を掲げていた。だからそれに沿った教科書ができた。大正デモクラシーで日本は民主主義への兆しを見せたが、軍部によって国民に選ばれた首相や有力政治家の暗殺があり、軍部が政権を握るようになった。国家が軍国主義になったから軍国主義教育が広まった。軍国主義教育が先に始まったのではなく、軍国主義国家ができたからら軍国主義教育が始まったのだ。
八重山の協議会で育鵬社の教科書が選択されたのは自民党系の政治家が市長になったからだ。
 教科書から戦前回帰が始まるなんて妄想だ。

 新城沖縄大学客員教授は、「現状を見るとこの教科書に共感する教師も多いのではないか。そうなれば、教科書をめぐって現場の教師が二分されることになりかねない。教科書を選ぶ段階から政治、行政主導だ」と述べている。
 政府が認定した教科書は七冊ある。本来なら七冊の教科書を学校か教師個人個人が自由に選んで教えたほうがいい。しかし、中央集権制の強い日本は地域を区切り、特定の地域で統一した教科書を使用するように規定している。だったら地域別に自由に教科書を選択すればいい。地域が自由に選択できるようになれば二分どころか七分にもなる。

 地方の教科書選択に沖教祖や日教組や教員OBの市民団体が圧力をかけるから、地方は自由に教科書を選べない。
 現場の教師はそれぞれ自立した存在である。新城沖縄大学客員教授が現場の教師が二分されると危惧することは、新城沖縄大学客員教授は沖縄の教科書は沖教祖が決めた同一の教科書でなければならないと考えているし、沖縄の教師は同一の思想でなければならないと考えている証拠である。それこそ全体主義思想である。
 中央や他地域の圧力をなくし、教科書を地域で自由に選ぶのがいい方法である。

 大田氏は、「平和教育が内部から切り崩された」と述べている。沖縄の教師による平和教育は、軍隊や軍事基地があるから戦争が起こる。アメリカ軍基地を撤去すれば沖縄は豊かで平和になるなどと、子供たちに現実ばなれしたことを教えている。沖縄の平和教育は歴史、現実を無視した独りよがりの教育だ。

元姫ゆり学徒は自分の体験のみから来る反戦平和論であり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦など戦後に起こった戦争への理解がない。アメリカ軍による戦争だけに単純に反対するだけだ。
イラク、アフガン戦争ではアメリカ軍の攻撃には猛抗議をしたが、イラク、アフガンがアメリカ軍によって民主主義国家への道を開いたことには無関心である。民主主義を無視する反戦平和主義になんの意味があるだろうか。




 「基地・軍隊を許さない」思想家だから、育鵬社の教科書を異常に批判するのだろう。「表面上はきちんと認識しているような書き方をしながら、『でも今までのやり方ではダメ』といっている」という評価をするのは、育鵬社は右翼であり軍国主義回帰を目指しているという高里さんの先入観がある性ではないだろうか。
 戦後はずっと自民党が日本の政治をやってきた。育鵬社は自民党系であり、自民党とは思想的に共通するものがあり、自民党が進めてきた政策は認めている。育鵬社の教科書は「今までのやり方ではダメ」と主張はしていない。

 そもそも中学三年生向けの教科書を問題にしている。高度な思想までこだわるのはおかしい。


 八重山の中学性の教科書選択問題でこんなに盛り上がるのは異常である。
 教科書選択で問題にしているのは教科書の政治問題に関してだけであり、政治以外の問題はないがしろにされている。

 私は学習塾をやっているときに小学一年生から中学三年生まで、国語、数学、理科、社会、英語の全ての教科を教えた経験がある。公民は生徒の嫌いな教科に入る。理由の第一は内容が中学三年生にとって難しいことだ。やたらと法的な専門用語が多く、難しい漢字が多い。そして、ドラマ性はないし、単純に丸暗記をすることが理解につながるというやっかいな面があることだ。とにかく、中学三年生にはないようが難しい。
 公民の最大の課題は中学三年生に理解しやすい内容・文章を工夫することであり、もっと基礎的なものに絞って、内容を減らし、分かりやすくしたほうがいい。

 
 育鵬社の教科書に目くじらを立てて反対しているのは、中学三年生の教科書として適正であるかどうかではなく、文章が分かりやすいかどうかでも、授業がスムーズにいくのを工夫しているかどうかでもなく、息鵬社の政治思想にクレームをつけているた゜けである。八重山の中学性の教科書選択問題は大人の政治の世界の喧嘩であり、中学生とは無縁な争いである。


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浜岩の・・・アート俳句 六百二十八~六百三十句

六百二十八句





六百二十九句





六百三十句




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育鵬社と東京書籍の公民教科書比較




 中学生三年生が勉強する教科書であることを念頭に置くのも大切である。中学三年生がわかりやすい書き方はどちらの教科書かといえば育鵬社版といわざるを得ない。

 育鵬社の教科書採択に反対する人々は、育鵬社版が憲法改正を進めていることを批判しているが、憲法を国民の意思で改正できることは民主主義の根本である。育鵬社版は、「主権が国民に存すること」と国民に主権があることを明言している。国民主権を明確にしているのだから、育鵬社の教科書が軍国主義や天皇崇拝に回帰しようと批判するのは間違っている。




  育鵬社版では、権利の主張、自由の追求は「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任」があると延べている。これは公共の福祉が権利の主張、自由の追求より優先されるべきであると主張している。
公共の福祉が権利の主張、自由の追求を縛り付けるという考えには疑問であるが、東京書籍の教科書は公共の福祉と権利の主張、自由の追求の関係をあいまいに述べていて、中学三年生にとって理解しにくいだろう。
 東京書籍も人権が公共の福祉に制限されることは認めているし、育鵬社版が人権を無視しているとはいえない。



 育鵬社版は歴史的な事実を正確に述べている。憲法9条がアメリカによって強制されたと書いてあると非難している人たちがいるが、育鵬社版は歴史的な事実や過程を正確に述べている。
東京書籍は憲法9条の成り立ちを書いていない。これは明らかに日教組の圧力によるものだろう。ふたつの教科書の説明を比べると育鵬社版のほうが分かりやすいし納得できる。東京書籍版は平易で内容が薄い。




  育鵬社も東京書籍も憲法9条と自衛隊についての解説は同じだ。育鵬社版の教科書は国際政治の理想と現実の違いを問題にしているし、生徒には理解しやすい。
 東京書籍には、「武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったか」という意見もありますと書いてあるが、育鵬社には書いていないということで批判するが、それは検討違いの批判だ。意見なら色々あり、自衛隊を軍隊にするべきであるとする意見もある。

「自衛隊による軍事力抑止力を強調してあたかも徴兵制が当然のような内容で述べられている」 
「自衛隊による軍事力抑止力を強調してあたかも徴兵制が当然のような内容で述べられている」
「わが子や教え子を二度と戦場に送らないという父母や教師の願いを踏みにじるものだ」
「子供たちを戦争への道へと誘導するような選択をしてはならない」
 という非難がある。しかしこの批判は育鵬社版を読む限りでたらめである。




 育鵬社の教科書の、「日本国を代表し」の文章だけを抜粋して、育鵬社の教科書は天皇崇拝を回帰させようとしていると非難する団体があるが、育鵬社版は天皇は「日本国の象徴である」「直接政治に関わらない」「国事行為・公的行為を行っている」「中立・公平・無視な立場」だと明記している。育鵬社への批判は的外れだ。



 育鵬社版の、「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性をうばってしまう結果になることもあります」を指して、育鵬社は平等権を否定していると非難している。育鵬社は法の下の平等を認めたうえで、現実は平等と社会、個性が対立する場合もあると述べているのであり、法の下の平等を否定しているわけではない。
 東京書籍の「生まれによる差別」が平等権に反しているという考えは、全ての人間は横並びの同じ生活をするべきであるという主張になり、全体主義につながる面がある。

 表現をどの範囲まで許容するかというのはむずかしい問題であり、政府が基準をつくるしか方法はない。政府が許可した教科書は基本的に認めるべきである。しかし、育鵬社の教科書に病的なほどに反対する人たちは教科書批判を通り越して政府批判まで発展する。政府批判をする人たちであるならば教科書批判は当然やる。
 政府批判をする人々による教科書批判は政治的であり、正当な批判とは言えない。





 育鵬社は男女差別を認める教科書あると言われている。その根拠としているのが、「男女の本質的平等とは、男女が互いに尊重し、助け合い、いたわり合う関係を築くことをいいます」「しかし、同時に男女の性差を認めた上で、それぞれの役割を尊重しようとする態度も大切です」の文章だ。 確かに育鵬社は男女平等に否定的である。それは批判されなければならない。
 しかし、現実は、男女雇用均等法などにより、「個人の能力に基づいて自己を生かしていこうとする傾向が見られます」と男女平等の方向に動いている現実を育鵬社は認めている。





 育鵬社版は事実を述べている。中国の脅威は事実であり、事実を書いたことを、中国を刺激して中国との交流が悪化する可能性があるからと育鵬社の教科書を非難するのは間違っている。
 育鵬社の教科書を批判している団体は政治的な傾向が強い。

 


 県マスコミ労組・・・「自衛隊や日米安保を積極的に評価し、憲法改正へ露骨に誘導し、人権については不当な内容が目立ち、マスメディアについても偏った見方を示しており、教科書として不適切。

 教科書の国の定めに従ってつくるものであり、憲法・国には忠実でなければならない。
自衛隊や日米安保を肯定的に評価するのは当然である。憲法改正は国民の権利であり、国民の国づくりを保障するものだ。教科書で憲法改正について述べるのになんの問題もない。「憲法改正へ露骨に誘導し」の批判は適切ではない。憲法改正に反対するのは国民の憲法改正の権利を否定するものであり、非民主主義である。



 俵事務局長は「この教科書を協議会が選定したのは、沖縄・八重山の教育のためではなく、極めて政治的な意図と言わざるを得ない」

 八重山の調査員が育鵬社の教科書を推薦しなかったのも政治的な意図があった。調査員は数名の現場教員で構成されているが、彼らには教科書の順位付けの自由はない。沖教祖の支持によって彼らが教科書に順位づけしたのは明らかだ。
 育鵬社の教科書を推薦しなかったのは育鵬社が日教組・沖教祖と政治的に対立しているからだ。


 平和運動センターの崎山議長は「自衛隊機の問題と八重山の教科書問題は連動している。今政府が進めている沖縄に駐留する米軍と自衛隊を一体化しようとすることは絶対に容認できない」とのべている。

 自衛隊の問題と八重山の教科書と連動しているというのは勘違いだ。育鵬社の教科書が選択されたのは自民党系の政治家が市長になったからだ。市長を選んだの石垣市民である。もし、革新系の政治家が市長になっていたら、調査員が推薦した教科書が採択され、育鵬社の教科書が選択されることはなかった。


 平和運動センターの崎山議長は「八重山教科書問題では歴史の真実の歪曲を許さず、未来の子供たちのためにも健全な教育をするべきだ」
とも述べている。

 育鵬社の教科書が歴史の事実を歪曲していると批判するのは横暴だ。歴史の歪曲を国が認めたというのだろうか。国が認めた教科書を一方的に否定する者が健全な教育をするはずがない。偏った思想の偏った歴史を教えるだけだ。



 育鵬社の教科書と東京書籍の教科書の内容に大きな違いはない。育鵬社の教科書が軍国主義回帰や天皇崇拝につながる教科書であるというのは嘘だ。

 八重山の教科書採択問題は自民党派と沖教祖・革新派の教科書を部隊にした政争だ。
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