ちゃちなイデオロギーは敗北していくだけだ

ちゃちなイデオロギーは敗北していくだけだ
八重山地区がきっかけとなって、国の無償措置法は採択地区の設定単位を「市都」から「市町村」に改めることになった。
無償措置法が改訂されれば、竹富町単独で教科書を採択できるから、八重山教科書問題は解決する。これで一件落着である。が、それは革新勢力にとって困ることである。八重山教科書問題をネタにして安倍政権批判をするイデオロギー闘争が困難になるからだ。彼らが八重山教科書問題にしがみつきながらイデオロギー闘争をつづけようとしていることは、無償措置法改定の法律が衆議院を通過した翌日の新聞に、沖縄二紙大小合わせてなんと六つもの記事が掲載されていることに如実に表れている。。

新報に島袋哲琉球大学名誉教授が「教育委員会制度の変遷」で戦後沖縄の教育委員会の歴史を書いているが、今問題になっている地区協議会についての歴史については一言も書いていない。地区協議会は戦後の沖縄で市町村が協力して教科書を研究し、地区で統一した教科書を使用するために協議会を設立した。教科書を無償給付するために設立したのではない。地区協議会の歴史について書けば本来の地区協議会の目的を書かなければならない。すると竹富町が無償措置法を理由に育鵬社版を使用しなかったことが地区協議会の設立目的に違反していることが浮き彫りになってしまう。だから、島袋哲名誉教授は地区協議会の歴史を書くことを避けたのである。島袋氏よ、それでも学者かと言いたい。



地区協議会を設定した理由は、ひとつに転校生が困らないようするためである。八重山地区は石垣市、竹富町、与那国町は隣接しているから転校生は必ずいるだろう。三市町の教科書が違っていると生徒が困る。
二つ目は人口の少ない町や村だけで教科書を選択するのは負担が大きい。だから、人口の少ない町村同士が協力しあうために地区協議会を設立した。
前川局長は市町村単位になっても「八重山はひとつの地区であるべきだ」と言っている。それは人口の少ない竹富町と与那国町のことを考えてのことだ。石垣市は市であるから人材豊富であり単独で教科書を採択するのにそれほど困らない。
一方前川局長は「地区設定の権限は県教委にある」と答弁している。
前川局庁の答弁通り地区設定の権限は県教委にあり、今までも県教委がやってきた。石垣市、竹富町、与那国町の三市町で八重山地区協議会を設立したのは県教委である。国ではない。だから、八重山教科書問題を解決する責任は県教委にある。県教委が解決する努力を怠ったので文科省が直接指導したのだ。「国の政治介入」なんてアホらしい反発である。

今までの竹富町と県教育庁の主張を通すなら竹富町は八重山地区協議会から離れて単独採択をするのが筋である。しかし、現在竹富町が石垣市、与那国町と違う教科書は公民だけであり、他の教科書は同じであるから竹富町民の反発起こらなかった。
竹富町が単独で教科書を採択することになると小学一年生から中学三年生まですべての教科書が石垣市、与那国町と違う可能性がある。それで竹富町民は納得するだろうか。町民の反発が強くなる可能性は高い。
竹富町を単独にするしないを決定するのは県教委である。単独にすれば転校生のことを無視していると非難されるだろう。竹富町を地区協議会に参加させれば、今回のような地区協議会の採択した教科書とは違う教科書を採択することはできなくなる。そのすべての責任は県教委にあることになる。

琉球新報の社説は教科書無償措置法について「地方と教育への露骨な介入」という題名で書いている。

八重山教科書問題で、安倍政権による地方と教育への圧力が強まっている。教科書無償措置法の改正案が衆議院を通過した。
「琉球新報社説」
 琉球新報はなにがなんでも安倍政権は地方と教育への圧力をやっていると決めつけたい。だから、

 改正案は、採択地区の設定単位を、現行の「市都」から「市町村」に変更することを盛り込んだ。全国規模では、育鵬社など保守色の強い教科書を採択しやすいための環境整備も見え隠れする。そうでありながら、八重山の三市町は一体とするのは、国のご都合主義以外の何物でもない。
                「琉球新報社説」
 あきれ果てた理屈である。竹富町が地区協議会が採択した育鵬社版を拒否して東京書籍を使用したことが正しいとするならば、地区協議会で採択した教科書以外を採択してもいいと主張しているのだから、地区協議会で東京書籍版を採択してもその教科書を拒否して育鵬社版を使用することも正しいということになる。竹富町が主張してきたのはそのことである。竹富町方式なら東京書籍版を使用したい市町村は東京書籍を、育鵬社版を使用したい市町村は育鵬社版を自由に使っていいと主張しているのだ。
 「市町村」に変更することは新報が八重山教科書問題で非難している教科書採択への国の介入がなくなるということである。本来なら自分の主張が認められたことに喜ぶべきであるのに、「育鵬社など保守色の強い教科書を採択しやすいための環境整備も見え隠れする」と非難する。このひねくれ過ぎた主張には苦笑するしかない。
 新報は八重山教科書問題で竹富町が地区協議会の採択に縛られないで東京書籍版を使用したのは採択権が竹富町にあることを主張したのではなかった。保守の教科書を拒否し革新系よりの教科書を採択したことに賛成し、採択権が竹富町にあることは口実でしかなかったのだ。だから、育鵬社版を拒否し東京書籍版を採択するは正しく、逆のケースの東京書籍版を拒否して育鵬社版を採択するのは間違っているのだ。
 選択の自由の権利を新報は主張していない。育鵬社拒否東京書籍採択を主張しているのだ。それはイデオロギーの主張であって、自由、権利、民主主義とは関係がない。文科省が倦怠合格した育鵬社でさえ拒否することは反保守食の強い左翼イデオロギーである証拠である。

 国に従わない地方を政治家が力で屈服させようとしていることがはっきりした。
              「琉球新報社説」
 これにはあきれるしかない。元々教科書採択は地方の権限であり国が教科書採択を指示することはできない。。しかし、「市都」単位だったので、町村は地区協議会に縛られていた。安倍政権は「市町村」単位にして町村を地区協議会に参加しなくてもいいことになった。「町村」を自由にしたのだ。あへ政権は「屈服させる」の逆のことをしたのだ。
 新報の社説を書く人間は事実を客観的に見ることができない被害妄想病にかかっている。

 沖縄タイムス社説はこれまでのいきさつを説明するが、事実を隠ぺいしている。竹富町は協議会の運営に反発したと述べているが、竹富町は協議会が育鵬社版を選択したことに反発したのだ。その証拠に公民以外は協議会が採択した教科書とすべて同じだ。育鵬社版を拒否する口実に「運営に反発」したのだ。

 竹富町が法律違反を犯している、と決めつけるような物言いには強い違和感が募る。
 政府に問いたい。ではなぜ無償措置法の方改正が必要と判断したのか。竹富町を「違法」と断じる根拠に乏しい、とみとめざるを得なかったからではないか。さらに、今回の海底によっても、地教行法との矛盾はなんら解消されない。
             「沖縄タイムス社説」
 内容の薄い、水掛け論である。
政府が無償措置を改正したのは竹富町のような違法者をださないためだ。無償措置法は違法行為をしても強制的に是正することはできない。現在の無償措置法なら竹富町は公的な組織でありながら永遠に違法行為を続けていくことができる。それでは日本は法治国家と言えない。法治国家としてこのような状況を是正するためには法律を改定するしかない。
無償措置法の改訂版は「市町村」単位にしている。竹富町教委が八重山地区協議会で採択した教科書の全てを採択する約束をしない限り、竹富町は単独で採択するようにすればいい。八重山教科書問題はこれで簡単に解決できる。
 
 「地教行法との矛盾はなんら解消されない」とは、なに寝ぼけたことを言っているのだ。竹富町単体で教科書を採択するのだから、竹富町が採択した教科書は自動的に国が無償給付する。矛盾は全然ない。
 八重山三市町を一つの地区協議会にするかそれとも三市町それぞれ単体にするかは県教委が決定する。国は関与しない。だから、地区協議会のトラブルの全ては県教委の責任となる。今度の改定は地方の自立を高めた法律である。

 下村文科相がフィンランドなどの教職員組合は「教育現場に政治やイテオロギーを入れ込まない」とたたえ、日本の組合が教育現場にイデオロギーを持ち込んでいるという発言に、
    
 教育現場に政治やイデオロギーを持ち込み、混乱を招いているのは、地元からみれば明らかに政府のほうだ。
              「沖縄タイムス社説」
と反論している。おいおい、本気でそのように考えているのかと言わざるを得ない。事実を完全に無視している。竹富町が地区協議会の採択と違う教科書を使用したのは無償措置法違反だから、地区協議会が採択した教科書を使用するように指導しているだけである。教科書の種類は育鵬社版であろうと東京書籍版あろうと他の教科書であろうとかまわない。そこには政治もイデオロギーもない。法治主義があるだけだ。地元からみても政府はイデオロギーを持ち込んでいない。イデオロギーを持ち込んでいるのは明らかに竹富町であり竹富町を支援している革新団体や沖縄二紙である。

 下村文科相は記者会見で、教科書無償措置法改正案で、八重山地区から竹富町を分割することについて、
「違反には当たらない」との見解を述べた。そして、「基本的には各教育委員会の意見を尊重しながら沖縄県教育委員会が最終的には決定する。べつに国が認めるとか認めないという話でない」と述べ、採択地区の設定権限は県教委にあることを強調した。
                「琉球新報」
 竹富町が単独で教科書を採択してもいいこと、地区協議会の設定は県教育委に権限があることを下村文科相は明言した。
 これで竹富町のように地区協議会で採択教科書を拒否して別の教科書をしようすることがなくなった。これからは沖縄二紙が政治介入だと非難する無償措置法の遵守を竹富町に要求することもないだろう。


さあ、どうする竹富町である。さあどうする県教委である。さあ、どうする沖縄二紙である。

竹富町、県教委、沖縄二紙が相手にしているのは民主主義国家である。竹富町、県教委の社会主義に根差した反保守イデオロギーは、東京書籍の教科書を採択して勝利したように見えたが、結局は無償措置法の改正でミーファーファーするだけである。反法治主義のイデオロギーは短期間では勝利しても、長期的には敗北していく。
法治主義の民主主義国家にちゃちなイデオロギーは勝てやしない。敗北していくだけだ。




庭に植えているアロエベラの花だ。
一斉に咲いた。
春だな。

紅いアマリリスも満開になった。
二か月前に球根を移した。
今年は花は咲かないと思っていたが、
咲いた。
春になると花を咲かせないといけないという
アマリリスの本能だろうか。
右端のアマリリスは半分枯れた葉が一枚だけ。
だけれども花を咲かそうとしている。
アマリリスの一途な本能よ。
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「都構想 話し合いで解決は無理」 橋下市長インタビュー

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橋下市長インタビュー【「住民投票を」の声、無視できぬ】 3/27付朝日新聞
元記事リンク

(引用)
「都構想 話し合いで解決は無理」 橋下市長インタビュー

出直し大阪市長選で再選された橋下徹市長(大阪維新の会代表)が朝日新聞のインタビューに応じた。大阪市を廃止して特別区に再編する大阪都構想について「話し合いで解決するのは無理だ」と述べ、住民投票で決着をつける意向を改めて強調。橋下氏が目指す秋に実施できなければ来年4月の統一地方選でも争点に掲げる考えを示した。インタビューは25日に行った。

出直し選では都構想に反対する自民、民主、共産の各党が候補者擁立を見送ったため、投票率は過去最低の23・59%と低迷。大量の無効票も出たが、橋下氏は37万票余りの票を得たことから「住民投票なり統一地方選なりで判断する根拠材料を示してくれ、という民意だ」と分析した。

住民投票については「日本人には民主主義が根付いていない。本気の住民投票を経験してもらわないと、民主主義は変わらない」と指摘。市民に大阪市の将来のあり方を選択してもらうことで、政治に参加する意識を促す考えだ。

そのうえで「民主国家の政治家であれば、しっかりした判断材料を提供した上での住民投票を重視すべきだ」とも強調。「議会は直接民主制の補完的な役割で、最終判断の場ではない」と議会を牽制(けんせい)した。

出直し選は都構想の制度案の絞り込みを拒まれたことから仕掛けたもの。反対した政党からは「対話の放棄」との批判も出るが、橋下氏は「体制変更で市議の身分を奪うのに、話し合いで解決するのは絶対に無理だ」と主張した。

大阪府議会や大阪市議会の議決が得られず、秋に住民投票ができない場合には、「来年4月の統一地方選で住民にしっかり判断してもらう」と主張。統一地方選で行われる府議選や大阪市議選に都構想の設計図を示し、住民投票にかけることに対する賛否を問う考えを示した。(インタビューに続く…)

橋下徹大阪市長が朝日新聞のインタビューで語った主な内容は次の通り。

 ――出直し市長選の結果をどう受け止めますか。

「大阪都構想に賛成されたわけではない。でも、住民投票なり統一地方選なりで判断する根拠材料を示してくれ、という民意だととらえた。投票してくれた38万人が『少なくとも住民投票はさせてくれ』という声だとすれば、議会も無視はできないはずだ。今回の再選で議会の構成は変わらないが、都構想の設計図を作る法定協議会のメンバーを代える手法は採れる」

 ――大阪市長選としては過去最低の投票率でした。

「反対派が立っていないから下がって当たり前。選挙が始まる前に『この選挙は無意味だ。やるべきじゃない』と言うのはいいが、選挙が始まった後に『無意味だ』とか投票し終わった後に『信任を得ていない』というのは、有権者にこんな失礼な話はない。僕への投票はここ何代の大阪市長が得た票よりも多い。メディアは棄権した票を重視するが、選挙は投票された票にこそ価値がある」

 ――住民投票にこだわっていますね。

「日本人には民主主義が根付いていない。民主主義が国民に根付いていなかったら政治なんて良くならないし、政治が良くならなければ日本も良くならない。住民にも本気の住民投票を経験してもらわないと民主主義は変わらない」

 ――都構想に賛成でなくても、橋下氏を支持するから集まる票もあります。

「人に投票する選挙で純粋な政策選択はないが、住民投票は明確な政策選択だ。大阪全体に影響ある大きな論点についてこれだけ深掘りして判断するのは大きな意味がある。住民投票の一票の行使で大阪の将来が決まる。こんな究極的な住民投票なんてない。井戸端会議や居酒屋で『都構想が良いと思う』『悪いと思う』という会話が始まれば、僕は成功だと思う」

 ――現状では、住民投票に必要な議会の可決を得ることは難しいです。

「反対する議員には、民意に対する潔さがない。議員個人の意見として反対でもいい。でも最後は潔く住民投票で決めたらいいじゃないか。僕は弁護士の経験から、最後は第三者に委ねるということが染みついている。弁護士は自分がどれだけ『これだ』と思っていても最後は裁判官に委ねる。政治家は最後は有権者の判断に委ねる。民主国家の政治家であれば、しっかりした判断材料を提供した上での住民投票を重視すべきだ」

 ――話し合いも必要ではありませんか。

 「都構想は市議の身分を奪う話だ。『あなたの身分を奪いますよ』『はい、分かりました』っていう人は絶対にいない。弁護士としての経験で、対話で解決するものとそうでないものの峻別(しゅんべつ)はできる。歴史を振り返っても対話で体制変更をした事例はない。江戸城の無血開城はあったが、明治政府をつくるには鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争をやった。体制変更で身分を奪うのに、話し合いで解決するのは絶対に無理だ」

 ――しかし、議会の議決がないと住民投票は実施できません。

 「僕の意見では直接民主制が民主主義の原則だ。議会は直接民主制の補完的な役割で、直接民主制が後に控えている議会は直接民主制に送るための一つのスクリーニング(ふるい分け)機能。議会が最終判断の場ではない。この場合、住民投票の判断材料に形式的な不備がないかをチェックするのが役割だ。直接民主制が万能じゃないのはわかっている。だが、しっかりした判断材料が存在する住民投票以上に民主主義的な決定方法はない。住民が『自分たちに決めさせろ!』と声を上げ、議会が(住民投票は重要だと)判断して変わってもらうしかない」

 ――夏に都構想の設計図を作り、秋に住民投票というのは早すぎませんか。

 「住民投票の時期をいつにするかは、都構想の原案が議会で可決されてからしっかり考えないといけない。原案可決から1週間や2週間で住民投票というのはありえない。浸透するまでのプロセスと期間を経ないといけない」

 ――来年4月の統一地方選も大きな山場ですか。

 「住民投票ができなければ、来年の統一地方選がある。そこで住民がしっかりと考えて判断してもらうためには、大阪都構想の設計図を今年の夏に何が何でも完成させなければならない。その上での住民投票、または統一地方選こそ日本の地方政治史上、最高の民主主義の場となる」
(聞き手・左古将規、染田屋竜太)(3/27 朝日新聞)


委員差し替えを要請=都構想の制度設計で―橋下大阪市長
時事通信 3月28日(金)17時51分配信

 大阪府と大阪市を再編する「大阪都」構想をめぐり、橋下徹市長(大阪維新の会代表)は28日、制度設計を議論する法定協議会の浅田均会長(府議会議長)と府庁で会談し、都構想に反対する自民党、民主系、共産党の委員の差し替えを要請した。
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 強引に選挙戦を仕掛けた橋下氏の手法に有権者の関心は極めて低かった。
投票率は大阪市長選としては史上最低の23・59%で得票数も11年の前回から半減。白票が約4万5000票も投じられた。市民の“橋下離れ”があらためて浮き彫りになった。
というように出直し大阪市長選についてほとんどのマスコミは橋本離れを強調した。白票も橋下批判であるように書いている。
しかし、白票は橋下氏に対抗馬を立てなかった自民、共産、公明などへの抗議として考えることもできる。対抗馬がいないのだから投票率が史上最低になったのも当然である。マスコミは橋本離れを強調しているが、それでは自民、共産、公明などの人気が上がっているのか、マスコミはそのことについては触れていない。

今度の市長選で橋下氏は大阪都構想について大阪市民に説明し、野党が審議拒否し、大阪都構想の住民投票をさせないことを訴えることができた。立候補を立てなかった野党は橋下氏への反論することはできなかった。その影響は大きいだろう。

 橋下氏を相手にしない野党の政治戦術は橋下氏を孤立させる効果はあるが、政治論争をしないから政治が空白化し、大阪市民の政治離れを起こす可能性が高い。
 マスコミは橋下離れが起きているというが、前は橋本ブームで橋下人気が高すぎた。橋本離れが起こるのは当然だ。むしろ、史上最低の投票率でありながら三十七万表という歴代の市長の獲得票にそん色がないのは橋下氏の人気がまだまだ高い証拠である。

 橋本市長には大阪都構想の住民投票を実現させてほしい。
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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その4



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その4

野嵩ゲート前のゾンビたち
野嵩ゲートに向かう道路では道路に飛び出した老活動家たちが、米兵の車に「NO OSPLAY」プラカードを翳し、「ノーオスプレイ」ヤンキーゴーホーム」などの罵声を浴びせる。見て分かるように歩道ではなく車道に飛び出し、二車線道路の内側を占領して二車線道路は一車線になっている。朝の通勤時間の時にやっているから車は大渋滞している。米兵だけでなく沖縄県民も迷惑をこうむっている。
しかし、彼らは平気なのだ。

 野嵩ゲート前の国道の朝である。プラカードを翳した人たちが車道を開き回っている。
「こちらは宜野湾警察署です。みなさん。車道に入らないでください。朝の通勤時間です。車が渋滞しています。車道に入らないでください」
スピーカーから繰り返し繰り返し流れているがなんの効果もない。左側の車道は車が走っていない。原因は下の写真である。写真では分かりにくいが、前の白い車の前に多くの人達が集まっていて車の進行を停めている。
警察は彼らを排除することができなくて、彼らの危険を避けるために交通整理をしている。道交法を違反しているのはプラカードを掲げている人たちなのだが、彼らを警察は保護している状態である。道路中央に出ての米兵の車への抗議行動を警察は許可しているのに等しい。


ビデオを撮っているのは普天間飛行場勤務の米兵である。彼の車にもプラカードを掲げた人がやってきて助手席にプラカードを翳した。
一瞬プラカードを掲げている人の顔が写った。
老人である。疲れた顔で元気がない。無表情で無言。まるでゾンビである。


 彼らのほとんどは老人である。動きは鈍い。警官に歩道に押し返しされては再びぞろぞろと車道に出て米兵の車に押し寄せる様子は映画のゾンビと同じである。車の前にやって来る彼らは車に轢かれるのも平気な動きである。これもゾンビに似ている。
撮影者の車にもぞろぞろとやってきてプラカードを翳す。なにも言わない。無表情でプラカードを翳すだけである。


渋滞が解け、車のスピードを上げても平気に車の前に出てくる。本当にゾンビだ。


堂々と交通違反をしている反米主義者たち。それを徹底して取り締まる気がない警察。考えられないことだが、これが沖縄の現実なのだ。

別のビデオでは運転席までやって来て怒鳴る活動家を撮っている。
彼らはアメリカ人の車両と見れば、プラカードで進路を塞ぎ、大声で威嚇し、嘲り、時には靴で­蹴り、言葉にするのも恥ずかしいスラングを連発。
4月5日には、この連中のプラカードで視界を塞がれたアメリカ人の車が追突事故を起こ­しました。
運転者が女性であろうとも、彼らは容赦はしません。
子連れであった場合には、子供にまで罵声を浴びせ続けます。
この動画では威嚇後、ゲラゲラと笑いあうおぞましい音声まで記録されています。
このような行為を沖縄メディアは、「非暴力の市民による平和運動」と喧伝しているので­す。
          「ブログ光と影」より

 沖縄二紙やテレビなどのマスコミはこの事実を報道しない。彼らの被害にあっている米兵が抗議の意味を含めてユーチューブに載せているからこの事実が分かる。ほとんどの県民はこの事実を知らない。

米兵に対するこのような行為に政治的な価値があるのだろうか。疑問である。彼らもまた一市民である。彼らが普天間飛行場建設や辺野古移設、オスプレイ配備を決めたわけではないし決定する権利もない。決めたのは米国と日本の政治家である。米兵は軍の命令で普天間飛行場に勤務しているだけだ。
彼らに抗議してもなんの効果もない。このような非人道的な行為は米兵に軽蔑されるだけだ。

 普天間飛行場の金網に赤いリボンを張り付けるのは違反行為である。金網を汚している行為が市民の賛同を得るとは思えない。自画自賛でしかない行為である。


風船アドバルーン揚げはテロ行為だ

オスプレイ阻止普天間基地ゲート占拠」行動は三〇日も引き続いて行われている。普天間基地には、開かずのゲートもあるが、昨夜そこも抑え、五つのゲートすべてが封鎖される事態となった。長い沖縄の基地反対闘争でも初めての事態。
ここは沖縄です。日本ではありません。
必ずここでゲートを守り抜いて、明日この場所からオスプレイが来るんだったら迎えうちましょう。風船でも凧でも鉄砲でも矢でも打ち上げて、オスプレイの飛来を阻止しようではありませんか。
      オスプレイ配備反対集会より


バルーン風船を揚げるヒントになったのは、たこ揚げをしている時に、普天間飛行場から飛び立った飛行機がたこを避けて方向を変えたのを見たからだという。それをヒントに、バルーン風船を揚げれば普天間飛行場から飛び立った飛行機を威嚇することができると思い立った。バルーン風船揚げは、屋良氏が述べているように「普天間飛行場の機能をマヒさせる」のを目的にしていて、普天間飛行場から飛び立った飛行機を威嚇するために揚げるのである。最悪の場合は目の前に突然現れたバルーン風船に驚いた操縦士がハンドルを切り過ぎて墜落する可能性がある。
なぜこのような危険な行為ができるのか、屋良氏は次のように説明している。

普天間が航空法で定める飛行場ではないため、航空法は適用されていません。本来、航空法により飛行場周辺は高さ規制があり、決められた高さ以上の建物を建てたり、バルーンのようなものを揚げたりして航空の妨げになるような行為をすれば罰則の対象となります。
 ところが航空法が適用されると、航空機に爆発物を載せることや、住民に迷惑をかける低空飛行、無許可の編隊飛行、パラシュート降下などをおこなえなくなります。これでは米軍は身動きがとれません。そのため航空法の規制を外した特例法を定めたわけです。
       「誤解だらけの沖縄・米軍基地」
 
米軍基地は航空法を適用すると軍事基地としての機能を発揮することができないので、航空法とは違う航空法特例法をつくった。だからバルーンを揚げても取り締まることができない法律になってしまった。沖縄国際大の井端教授は航空法特例法の盲点をついてバルーン揚げを実行したのである。
見事な法律の盲点をついたバルーン揚げである。法律に精通している大学教授だからこそ見つけた法律の盲点である。

私はバルーン揚げに大反対である。人間として許せない。航空法ではバルーンのようなものを揚げることを禁じている。民間飛行場の飛行機も米軍基地の飛行機も空を飛ぶ同じ飛行機である。飛行機は常に墜落の危機がある。墜落すれば被害が大きい。被害の大きさは民間の飛行機であろうとも軍用の飛行機であろうとも同じである。
航空法がバルーン揚げを禁じているのは墜落の危険性をなくすためである。バルーン揚げは最悪の場合飛行機が墜落するから禁じているのである。特例法では禁止していないといっても、航空法で禁じているということは、同じ飛行機なのだから、決められた高さ以上の建物を建てたり、バルーンのようなものを揚げたりするのは米軍の飛行場でも危険であるということである。
航空法では犯罪行為であるのに、特例法では罰することができないのを逆手にとってバルーン風船を揚げるのは、脱法ハーブを売る行為と同じ性質の犯罪行為である。罰せられなくても人間の倫理としてやるべきではない行為である。

バルーンを規制する法律がないことを調べ上げた井端教授はさすが学問を究めている人だと感心するが、井端教授には人間としての倫理がないのかと疑ってしまう。バルーン揚げは危険な行為だから航空法では禁じている。飛行場の危険性は民間飛行場であろうと米軍の飛行場であろうと同じである。普天間飛行場でのバルーン揚げもやってはいけない危険行為である。危険行為と知りながら実行したということはテロ行為に等しい。バルーン風船揚げは「敵をやっつける」目的で行動するテロリストと同じ精神の行為なのだ。

普天間飛行場は、民主主義国家である米国と日本の国民に選ばれた代表が存在を認めているものである。井端教授は国民に選ばれた人間ではない。国民の代表者ではない井端教授が普天間飛行場撤去を主張するのはいいが、普天間飛行場をマヒさせる権利はない。それは犯罪行為である。
民主主義国家の一員としての自覚があれば、人間としての良心があれば、米軍の飛行場であろうとバルーン風船揚げはやらないはずである。しかし、井端教授は特例法の盲点を見つけて普天間飛行場でバルーン風船揚げをやった。井端氏は最高学府の教授である。その教授が脱法ハーブと同じ行為をしたのだ。学生を巻き込んでバルーン風船揚げをやる井端教授は、法律の脱法方法を研究して、罰せられない犯罪をやるように学生に教えているようなものである。民主主義も法の精神もあったものじゃない。
最高学府の教育者でありながら人間としての倫理に欠けている井端教授を擁する大学側は、米軍の「米連邦に違反している」という主張に対して「連邦法を持ち出すなら、普天間そのものが違法な飛行場」と反論した。大学側の反論に米軍は反論できなかった。しかし、「隊員と住民の安全を脅かす行為だ」という米軍の主張に対して大学側は反論をやっていない。大学側は無視している。大学側は、たとえ「隊員と住民の安全を脅かす行為」であっても「普天間そのものが違法な飛行場」であるし、航空法特例法に違反していないのだから、バルーン揚げをしてもいいという考えである。極端にいうと飛行機が墜落して隊員だけでなく宜野湾市民が死んでも構わないというのが大学側の思想である。
大学側は「普天間そのものが違法な飛行場」と主張しているが、普天間飛行場を違法な飛行場にしたのは米軍ではない。沖縄国際大学のほうである。

バルーン風船揚げはテロ行為

二〇一一年四月には市民団体がバルーン作戦を実施しました。色とりどりの大きな風船が普天間周辺の七か所で揚がりました。あわてた米軍は沖縄防衛局になんとかするよう対応を求めましたが、やはり打つ手はありませんでした。
防衛局の職員が現場に駆けつけ、風船を揚げる市民らに「下ろしてください」と頼みますが、市民団体は「なぜですか」と問い返すだけでいいのです。警察官もやってきましたが何をするわけでもありません。
北沢俊美防衛相は市民団体の風船作戦について国会答弁で、「もし航空機に(風船が)接触したりして運航に害を与えたら、一般論として刑法の威力業務妨害が適用されるだろう」と警告しました。北沢防衛相の発言が正しいのなら、宜野湾市民は凧揚げさえも禁止されることになります。そんなバカな話はありません。
      「誤解だらけの沖縄・米軍基地」

宜野湾市内で普天間飛行場の周囲以外で凧揚げができるところはたくさんある。普天間飛行場の周囲で凧揚げを禁止することが、「宜野湾市民は凧揚げさえも禁止される」というのはこじつけだ。飛行機事故が起こる可能性がある場所でわざわざ凧揚げをするほうが許されない行為である。
「もし航空機に(風船が)接触したりして運航に害を与えたら、一般論として刑法の威力業務妨害が適用されるだろう」という北沢俊美防衛相の発言に「そんなバカな話はありません」という屋良氏は普通の神経の持ち主ではない。飛行機の事故は死に繋がる。飛行機の運航に危害を与える可能性のある行為は絶対にやってはいけない。それが常識だ。
航空機に(風船が)接触したりして運航に危害を与えても罪にはならないし、どんどん風船をあげて、普天間飛行場の飛行機の航行をマヒさせようという考えのほうがおかしい。そんなバカな話はない。
ところが、屋良氏は最悪の場合飛行機が墜落するかもしれないバルーン風船揚げを推奨しているのである。正気の人間とは思えない。バルーン風船揚げは大衆運動と呼べるものではない。テロだ。
大衆運動は理不尽な政府のやり方に対して、集会や宣伝活動をやって賛同者を増やし、その圧力で政府の方針を変えていくものである。県民大会が大衆運動を結実させていく最高の方法である。県民大会に実質二万人から三万人を結集させれば政府への圧力になる。普天間飛行場移設、嘉手納飛行場以南の軍用地返還の政府方針は二万人余の県民大会の圧力が功を奏したからである。
しかし、バルーン風船揚げは大衆運動とは性質が違う。普天間飛行場の撤去を目指して県民に訴え、県民の結集を目指した運動ではない。バルーン風船を普天間飛行場から飛び立った飛行機の高さまで上げ、飛行機の航行を邪魔する目的の行動である。屋良氏も「じつは風船で普天間飛行場の機能をマヒさせることが可能なのです」とバルーン風船揚げの目的を述べている。バルーン揚げは普天間飛行場への直接攻撃である。それはテロ行為であって大衆運動ではない。

井端教授の考え出したアドバルーン風船揚げを率先してやっているのが革新勢力である。普天間飛行場があるために宜野湾市民の命が危険だと主張している革新勢力が法律に違反していないから飛行機を墜落させてしまうかもしれない危険なアドバルーン風船揚げをする。

革新勢力は宜野湾市民の生命を大事にする気はない。革新勢力のイデオロギーは反米主義であり、普天間飛行場の撤去・閉鎖が目的である。宜野湾市民の生命の安全は本当は二の次である。その証拠に宜野湾市民の生命の危険を及ぼすアドバルーン風船揚げをやったのだ。これからもやる積りだ。

辺野古テントを撤去しない稲嶺市長
テントの右側は港である。テントは辺野古区民が港に散歩する海岸歩道の上につくってある。


テントには辺野古区民ではない政治活動家が不定期に居る。また、活動家たちが集会などをするから、辺野古区民はテントに近寄ることができない。朝夕の散歩も港に行くのにも海岸の道路を通ることができない。よそ者に辺野古の海岸を占拠された状態である。
辺野古区民はテント撤去を多数決で決め、稲嶺名護市長にテントを撤去してくれるように申し入れたが、稲嶺市長は「表現の自由」を理由に辺野古区民の願いをはね返した。考えられないことである。
公共の場所にテントを建てるのは違法行為である。それにその場所は辺野古区民の生活が優先する場所である。違法な場所、辺野古区民の反対があるにも拘わらず「表現の自由」を理由に撤去しない稲嶺名護市長は非民主主義的な政治家である。
稲嶺市長がテントを許可をしているのは辺野古移設反対の政治活動家のテントであるからである。

オスプレイ配備反対の革新勢力が野嵩ゲートを暴力的に封鎖した時も「警官は暴力をふるうな。表現の自由を弾圧するな」とマイクで何度も主張していた。進入禁止区域であるゲートに侵入し、しかも暴力的にゲートを封鎖するという違法行為をしていながら、警察に表現の自由を守るように主張したのである。犯罪行為をしながらしかも、日本の憲法が適用されない治外法権の場所でかれらは日本国憲法が保障している表見の自由を主張したのだ。狂っているとしか思えない。
彼らには反米主義・反保守主義の岩のように固いイデオロギーがあるのだ。それは稲嶺市長も同じである。
テントは違法な設置であり、辺野古区民も反対したのに稲嶺市長は撤去しないのである。それは民主主義を逸脱した反米・反保守主義のイデオロギーの塊だからである。
 八重山教科書問題、普天間ゲート封鎖、アドバルーン風船揚げ、辺野古テントに共通するのは革新勢力の反米・反保守主義の社会主義を根としたイデオロギーである。
 彼らの根底には日本の法律を遵守する精神はない。 もし、彼らの勢力が強くて警察権力を上回るなら彼らは暴力革命を実行するだろう。
 普天間ゲート封鎖は彼らが違法行為でもなんでもやることを証明した。
 
 竹富町が東京書籍版を育鵬社版にすることは絶対にない。育鵬社版を使用しないのは反保守主義イデオロギーであるからだ。
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渡辺氏は所詮はお山の大将

竹富、県教委は文科省に敗北した
今日の新報に、八重山教科書問題に関する二つの記事が隣どうしに掲載していることに思わず苦笑した。

ひとつは衆院文部科学委員会で「無償措置法改正案」を賛成多数で可決し、今日の衆院を通過するという記事であり、もうひとつは「許すな!文科省の不当な『是正要求』撤回を求める緊急住民集会」である。
「是正すべきは国」という見出しの緊急住民集会では、登壇した学者や弁護士らが、竹富町教委の正当性や安倍政権の政治介入を解説し「是正すべきは文科省の方だ」と主張したという。

山口剛琉球大教授は「協議会の答申に拘束力はなく、採択権が教育委員会にあることを考えると、是正要求は極めて政治的な判断だ」と指摘した。集会では町教委への是正要求に抗議し、撤回を求める決議と、是正要求に応じなかった町教委を支持する激励文を採択した。

衆院文部科学委員会で可決した「無償措置法改正案」は竹富町が喜ぶ内容である。なんと教科書の採択が「都市」単位ではなく「市町村」単位になったのだ。今までは竹富町だけで教科書を採択することができなかったが、改正案では竹富町だけで採択ができるようになる。八重山地区の協議会の設定は県教育委員が自由にできるから、県教委の決断で竹富町を単独の教科書採択地区にすることができる。
よかったな竹富町、県教委。
育鵬社を絶対採択しない反保守イデオロギーの勝利だ。しかし、安倍政権を非難する材料がひとつ減った。沖縄二紙、沖教祖、自治労、革新系学者が総力を上げての竹富町擁護の闘いのはしごが外された。突き上げた拳の行き場がなくなった。

文科省は育鵬社であろうが東京書籍であろうが、どっちの教科書を使ってもよかったのだ。竹富町が無償措置法を守らなかったことを文科省は問題していたのだ。ところが反保守イデオロギーの塊である竹富町は、文科省の違法行為是正の要求を安倍政権がどうのこうのとイデオロギー問題に歪曲したのだ。

「許すな!文科省の不当な『是正要求』撤回を求める緊急住民集会」という長ったらしい名前の集会は反保守イデオロギーの塊の人間たちの集まりだから、安倍政権をイデオロギー批判をやるだけで法律問題はやらない。

イデオロギー問題は平行線で解決できないが法律問題は解決できる。
文科省は地区協議会を「市町村」単位に改訂して八重山教科書問題を法的に解決した。竹富町が反保守イデオロギーにこだわるなら、どうぞ地区協議会から離れて単独で教科書を採択しなさいというわけだ。

竹富町、革新勢力が敵対にしているのは本当は安倍政権ではない。民主主義国家だ。左翼イデオロギーは民主主義国家には勝てない。

お山の大将の破綻
8億円借り入れ問題 渡辺喜美代表、猪瀬氏との違いについて語る
フジテレビ系(FNN) 3月27日(木)19時32分配信

みんなの党の渡辺喜美代表が大手化粧品会社の社長から8億円を借りたとされる問題で、渡辺代表が取材に応じ、「あくまで個人として借りた」と釈明した。
渡辺代表は「吉田会長からお借りしたお金は、純粋に個人として借りたものでございます。使い道は、私の判断で決めてまいりました。当然のことながら、これは違法性の認識などは、全く持っておりません。(責任をとって地位を辞することは?)ございません。きちんと説明していくのが、私の責任を全うすることだと考えております」と語った。
26日に発売された週刊誌に掲載された、大手化粧品販売会社「DHC」創業者の吉田嘉明会長の手記。
そこで明らかになった、みんなの党・渡辺喜美代表の8億円借り入れ問題。
渡辺代表は2012年12月の衆院選の時、「みんなの党は、自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない」と演説していた。
渡辺代表は、2010年7月の参院選と、2012年12月の衆院選の直前の2度にわたり、吉田会長に借り入れを依頼していたという。
そして、吉田会長は、渡辺代表の個人口座に、3億円と5億円のあわせて8億円を振り込んだという。
日本維新の会幹事長・松井大阪府知事は27日、「報道の記事を読むと、残念ながら、猪瀬さんと同じことなんでしょうね」と述べた。
猪瀬前都知事が、徳洲会グループから5,000万円を受け取っていた問題について、当時、渡辺代表は「都民に、ふに落ちる説明をしていただかないと困るわけで、今のところは説明がくるくる変わって、ちょっとふに落ちませんよね」と述べていた。
27日、問題発覚後、初めて公の場に姿を見せた渡辺代表は、午後4時すぎから取材に応じた。
渡辺代表は「純粋に、私の借り入れとして、渡辺喜美個人を応援してくださる。これは、個人としてお借りをしたもの。私の個人口座に」と述べた。
渡辺代表は、8億円は選挙資金としてではなく、あくまでも個人の借り入れだと強調した。
猪瀬氏の問題との違いについて聞かれると、「猪瀬都知事と私の違いは、私はあくまでも、個人としてお借りした。選挙資金としてお借りしたわけではない。私の借り入れは、通帳から通帳に来ておりますので、通帳をトレースすれば、ほとんど全て明らかになるたぐいのお金。現ナマでバッグに詰めて持って来たのとは、ちょっとわけが違う。お金に色がついていないので、『これが吉田会長の分です』というのは、説明が難しい」と、違法性がないことを強調した。
一方で「これは、事務的なミスでございまして、訂正をさせていただきたい。贈与ではありません。手元に資金ができれば、返済に回していきたい」と述べた。
そして、渡辺代表は「ちょっとすみません、もう時間が...」と、およそ50分で会見を切り上げた。
渡辺会長は「裏金でもらったわけではない。選挙に近かったと言われれば、時期的にはそうかもしれませんが、私の認識としては、非常に親しくおつきあいをしてくださった吉田会長が、渡辺喜美個人を応援してくださるという理解でお借りした」と述べていた。.最終更新:3月27日(木)19時32分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分が政党のトップであり続けるためのお金である。金を持っていることで自分中心の強引な党運営ができる。しかし、所詮はお金にしがみついたお山の大将だ。
少数政党から脱皮はできない。
それどころかお山の大将になるためのお金のために身が危うくなった。
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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その3



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


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野嵩ゲートは犯罪集団革新に実質占領されていた
オスプレイ配備反対運動が普天間飛行場のゲートを封鎖し、ゲートは米軍の施設であり、治外法権の場所だから警察が排除することはできないと主張したことは正しい。警察は米軍の正式な排除依頼がない限り彼らを排除することはできない。
 しかし、それだけではない。治外法権はゲートを封鎖している彼らにも適用される。彼らは米軍施設に違法侵入したのだ。それは米国の駐日大使館に侵入したことと法的には同じだ。大使館への侵入は米本国に蜜入国したことと同じである。
 米国は日本ではない。米国は米国の法律が適用される。日本の法律は適用されない。密入国者だから彼らは米国民でもない。米国人としての権利もない。日本国民の権利も米国にはないから彼らは日本国民としての権利もない。日本にとって治外法権の場というのはそういうところだ。
彼らは、米軍基地ゲートは治外法権の場所だと主張している。であるならば彼らは日本人としての権利は一切ないことも認めなければならない。
彼らは米国大使館の中に社民党の車を乗り入れ、オスプレイ反対運動をやっているようなものだ。日本国民の権利を失った彼らには日本国民としての権利主張はできない。
ゲートに違法侵入した国会議員も県会議員も弁護士も米軍基地ゲートでは身分は自然消滅し、なんの権利もないただの人間である。彼らは日本国民としても沖縄県民としても主張する権利はない。
彼らの自分たちの都合に合わせた治外法権の解釈は身勝手でありそんな連中に県民とか市民を名乗る資格はない。

 オスプレイは旧型のCH46との入れ替えであり、新配備ではなかった。また、米政府と日本政府はオスプレイが安全な飛行機であったから沖縄配備を配備を決めた。騒音に関してもプロペラが小さいオスプレイはCH46に比べて小さい。特に上空を飛行機モードで飛んでいる時の騒音はヘリコプターに比べて非常に小さい。
 ポンコツ状態のCH46よりオスプレイ配備のほうがいいのは歴然としていた。しかし、革新勢力はオスプレイ配備に反対し、普天間飛行場の全ゲートを封鎖したのである。
 野嵩ゲートでは社民党の街宣車をゲート封鎖に使った。信じられないことである。治外法権の場所に国会議員、県会議員、弁護士も入った。法律の専門家だから、治外法権の場所では日本国民の権利は自然消滅することを知っていたはずである。それでも入ったということは大衆運動の領域を超えている。普天間ゲート封鎖は反米主義のイデオロギー闘争であり、彼らの行為はテロ行為だ。

 保守系の宜野湾市民がビデオ撮影をすると彼らはすさまじい妨害をした。撮影者は保守系であるが政治活動家ではない。
彼は辺野古でもビデオを撮ったことがあり、彼は革新系活動家に敵視されていた。

私は彼のビデオを見て驚いた。ゲートの周囲にいる人が一般市民の見物人だと思ったら間違いであり、周囲には親衛隊が居て、保守系の人間や警察の動きを監視していた。
ビデオ撮影をしているといきなり新聞をかざして撮影が邪魔された。


 撮影者は邪魔しないでほしいと言いながら、カメラを移動しながら撮影したが、何度も何度も新聞をかざして撮影の邪魔をした。撮影妨害をしている人がこの女性である。


ゲート前で座り込みをしているグループを撮影しようとすると徹底して新聞をかざして邪魔をする。
撮影者は仕方なく、移動する。
場所を移動して撮影をしていると、サングラスの男が近づいてきて新聞をかざして撮影の邪魔をした。


彼が去ると、その後は邪魔が入らないで、順調に撮影をしていたが、突然、小太りの男がやってきて、すさまじい形相でカメラの前に立ちふさがる。
彼は新聞をかざすのではなく、カメラの前に立ちはだかった。

 邪魔だからどいてくれと頼むが、しつこく撮影の邪魔をする。
「お前右翼だろう」とかいう。
撮影者は一宜野湾市民であると訴えて、撮影の邪魔をしないように頼むが、
「宜野湾市民ではないだろう。警察だろう」
などといって撮影を邪魔する。
 警察ではないというと「警察でなくてなんなんだ」
といいながら撮影の邪魔をする。
「一個人です」というと、
「お前日の丸小僧だろう」と分けのわからない罵声を浴びせる。ものすごい形相である。
「・・・お前、顔覚えておくからな」
といきなり脅し文句を出す。
「お前、どこで会うか知らんからな」
激しくつっかかる。横から誰かが諭すが(多分警察だろう)
「いや、警告警告。今度会った時はぜんぜん許さん。覚悟しておけよ」
と捨てゼリフを吐いて去っていった。しかし、それだけでは終わらなかった。

弁護士がやって来て出て行くように言う。弁護士らしく理屈を並べる。

弁護士=この集会に便乗して入って来るな。自分の責任で入ってこい。
撮影者=自分の責任で入っていますよ。私は宜野湾市民です。私にこれを見る権利はないでしょうかね。見てはいけないですか。
撮影者=いけないことないですよ。でも、警察はここに入って来てはいけないって言っているんだからあんたも警察が排除すればいいじゃないか。なんで私たちは排除するのにあんたたちを排除しないのかってことよ。
 
 まだ。誰も排除されていない。
オスプレイ配備運動のリーダーでもある弁護士の言葉である。彼らは車と座り込みでゲートを塞いだ。普天間飛行場の機能を麻痺させる犯罪行為だ。ゲートに入る入らないという問題ではない。それなのにゲートに入る入らないの問題に歪曲して撮影者とゲート封鎖した人間を同じにしている。
 数人の男女が撮影者の素性を調べるために色々質問する。撮影者は答える。そこへ弁護士がやってくる。

弁護士=この人は辺野古で清掃という名目でリボンをとった集団のひとりだ。旗とかなんとかを盗ったでしょう。
撮影者=私は撮影をしただけで、旗は盗っていません。
女=・・・・映さないで。あんた沖縄人。
撮影者=沖縄人ですよ。撮影してはいけないんですか。みんな撮っていますよ。
女=早く帰って。

女は去っていく。撮影をしていると、隊列を組んでいる男が突然、「行けー」と怒鳴る。

マイクを持っているリーダーも、近づいてきて、「出て行け、お前は」と怒鳴る。スピーカーから広場全体に流れる。

 再び小太りの男がやって来る。
男=なんでお前は撮っているの。撮るんじゃない。オラ。誰が撮れと言ったばあ。警察だろうお前。なんでね。これは証拠か。

撮影者=警察ではないです。一個人です。
男=嘘だろう、お前ばれているんだぞ。勝手に撮るんじゃないぞ。

  移動しながら撮影していく。男はついてくる。

男=撮るなと言っているだろう。なんで撮るんだバカヤロー。勝手に撮るな(怒声)。

新たに男が加わり、二人で撮影者に怒声を浴びせる。これは脅迫だ。

男=身分を明かせ。身分証明書を見せろ。身分を明かせ。誰かお前は。

  撮影者は撮影を続ける。男は怒り心頭状態。

男=誰が撮れと言った。

  男は撮影者に怒声を浴びせ続ける。

男=誰だお前は。マスコミだろう。
撮影者=個人です。個人で撮っています。
男=嘘つくなお前。名前教えろ。
男=なんでここに居る。
男=なにかこれは。
男=帰れ、お前は帰れ。帰れお前は。帰れ。何しているんだお前は。帰れ。

  若い男がやって来る。

若い男=ええ、お前撮るなよ。撮るなよ。

  二人で撮影者を責める。そこへ弁護士がやって来る。
「手を出してはだめだよ」と若い男に注意する。


男=手は出さないよ。手を出さなければいいわけよ。
若い男=人権侵害だよ。勝手に撮影している。わったあ許可もらったか。なあ、許可もらったか
撮影者=警察がやっているところを撮っているだけです。
若い男=俺なんかの写真も入っているだろう。俺の許可とったか。
男=撮るな。お前に絶対撮らせないからな。

  緊迫した状態を気にした県警がやって来る。

男=兄さん、なに。
県警=けんけー。
男=この男は勝手に撮ったんだよ。いやあ、マスコミはOKよ。

  県警とのやり取りがはっきりとは聞こえない。弁護士がやってくる。

男=弁護士の前で身分明かせ。弁護士に身分明かせ。
撮影者=どうして弁護士に私が身分を明かさなければならないのですか。
男=お前勝手に撮っているだろうが。みんなの顔を撮っているだろうが。お前、警察に証拠として出すんだろう。お前が警察だということはばれているんだよ。

  県警の前であるのに、明らかに警察の人間ではない撮影者に警察だとでたらめをいう男の話に弁護士は県警を見ながら苦笑いする。県警がトラブルを起こさないように諭す。

男=そりゃあ、トラブルになるでしょうが。

  男と県警の話になる。カメラに身を乗り出した県警の顔も映る。男の話を押さえて弁護士が県警に主張する。

弁護士=彼はゲートの中をあちこち歩き回っているから、彼こそゲートから出しなさいということですよ。
男=出て行け。県警が出せと言っているだろう。だから出て行け。

県警の困った顔が映像に映る。

男=こいつがねえ。写真撮って証拠として出すんだろう。

別の県警に抗議する。
弁護士と男の猛烈な抗議に県警は撮影者にゲー
トを撮影をしないように忠告する。

男=お前が写真撮ったら絶対許さんからな。
  
男去る。

 忠告した県警も去る。これが最後の場面。
撮影終わり。

これは別の保守系の人のビデオだが、彼の存在に気が付くと、歩いてきて、

撮影者に突っかかり、「集会の邪魔するな」「出て行け」などと罵声を浴びせる。警官が間に入るが、警官に撮影者を撤去させろと命令口調で言った。彼は親衛隊にゲートから押し出された。


野嵩ゲートが警察も手を出せないゲートを封鎖した集団の占領地帯であったことが分かる。
 治外法権地帯に侵入した彼らにはなんの権利もない。市民に撮影をさせない権利は彼らにない。しかし、彼らは自分たちに都合のいい権利を振りまき、警察に圧力をかけて撮影者を追い出した。警察も彼らの言いなりになったのだ。
 ゲートは彼らの身勝手な法が適用され、彼らの支配地になっていたのだ。
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「県民への武力行使」とは笑わせる



書店発売のお知らせとお詫び
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A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
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「県民への武力行使」とは笑わせる

欺瞞に満ちた報道である。
オスプレイ配備反対派が立ち入り禁止区域である普天間飛行場のゲートに強引に侵入して封鎖した。会話やアピールではなく実力でゲートを封鎖することこそが暴力主義であるのに、警察が座り込みをしている人間をやさしくいたわりながら引き抜きをすると「暴力をふるうな」と抗議した。暴力をふるったのは彼らである。車と座り込みでゲートを塞いだのはまぎれもなく暴力行為である。しかし、彼らは自分たちの暴力を棚に上げて、警察に暴力主義だと非難する。卑劣な連中である。

2004年には警戒船の絶対数が不足していたために、取り締まることができなくて、抗議する人間の危険な行為を止めることができなかった。警戒船が少ないと怪我人や最悪の場合は死者を出してしまう。
警戒船が少ないと、彼らが測量の邪魔をするのは分かりきっていることだ。測量している人間に危害を加える可能性もある。
警戒船が多ければ測量する人の安心を守り、抗議する人間の危険な行動を押さえることができる。警戒船が多ければ多いほど安全が守れる。

「100隻だと海が真っ黒になる。県民に対する武力行使で、大きな反発を招く」とは笑わせる。警戒船は辺野古の工事を破壊しようとする人間たちを侵入させないためにある。侵入しない人間にはなにもしない。それなのに「武力行使」とは笑うしかない。
内心は抗議行動が完全に封じられることに落胆しているだろう。
安全に確実に辺野古移設工事が進んでいくのを歓迎する県民のほうが多い。

自分の主張は県民の主張だという妄想に陥っている革新連中にはあきれる。この妄想病は一生治らないだろうな。しかし、革新を支持する県民は確実に減っている。これからも減り続けるだろう。でも沖縄自民党も腐っているし・・・困ったものだ。


八重山地区がきっかけとなって、国の無償措置法は採択地区の設定単位を「市都」から「市町村」に改めることになった。前川局長は「同じ群だが隣接しないなど不合理を生じている町村などがあり見直された」と説明した。

無償措置法が改訂されれば、竹富町単独で教科書を採択できるから、八重山教科書問題は解決する。これで一件落着である。が、それは竹富町と県教育庁にとって困ることである。
地区協議会を設定した理由は、ひとつに転校生が困らないようするためである。八重山地区は石垣市、竹富町、与那国町は隣接しているから転校生は必ずいるだろう。三市町の教科書が違っていると生徒が困る。
二つ目は人口の少ない町や村だけで教科書を選択するのは負担が大きい。だから、人口の少ない町村どうしが協力しあうために地区協議会を設立した。
前川局長は市町村単位になっても「八重山はひとつの地区であるべきだ」と言っている。それは人口の少ない竹富町と与那国町のことを考えてのことだ。石垣市は市であるから単独で教科書採択する権利はある。
一方前川局長は「地区設定の権限は県教委にある」と答弁している。
前川局庁の答弁の通り地区設定は県教委がやっている。石垣市、竹富町、与那国町の三市町で八重山地区協議会を設立したのは県教委であるのだ。だから、八重山教科書問題ほ解決する責任は県教委にある。県教委が解決する努力を怠ったので文科省が直接指導したのだ。「国の政治介入」なんてアホらしい反発である。

今までの竹富町と県教育庁の主張なら竹富町は地区協議会から離れて単独教科書採択をするのがベストであることになる。しかし、現在竹富町が石垣市、与那国町と違う教科書は公民だけであり、他の教科書は同じであるから、教科書が違うことに町民の反発起こらなかった。
竹富町が単独で教科書を採択することになると小学一年生から中学三年生まですべての教科書が石垣市、与那国町と違うようになる可能性がある。それでは竹富町民は納得しないだろう。
竹富町を単独にするのを決定するのは県教委である。単独にすれば転校生のことを無視していると非難されるだろう。竹富町を地区協議会に参加させれば、今回のような地区協議会の採択した教科書とは違う教科書を採択することはできなくなる。そのすべての責任は県教委にある。

さあ、どうする竹富町。さあどうする県教委である。
結局、竹富町と県教委は自分の首を自分でしめることになる。

竹富町、県教育庁が相手にしているのは民主主義国家である。竹富町、県教育庁の社会主義に根差した反保守イデオロギーは、無償措置法を破って東京書籍の教科書を採択したが、反法治主義のイデオロギーは短期間では勝利しても、長期的には敗北していく。
なにしろ相手は法治主義の民主主義国家なのだから。


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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その2



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その2

オスプレイ配備反対は、県民大会を開き、東京行動までやり、首相に建白を渡し、盛り上がっていった。野嵩ゲート前で、自民党の翁長那覇市長、佐喜真宜野湾市長と革新の糸数国会議員など保守革新が一緒になってオスプレイ配備阻止のこぶしを突き上げた。


オスプレイが配備される前日の九月三十日に普天間飛行場のゼンゲートを車と座り込みで封鎖した。オスプレイ配備反対が最高に盛り上がった日である。

大山ゲート


野嵩ゲート



ブログ「沖縄に内なる民主主義派あるか」

オスプレイが普天間飛行場に配備されることは避けることができないことである。
オスプレイ配備反対の県民大会を開いても、
普天間飛行場のゲートを封鎖してもオスプレイ配備を阻止することができないことは明白だ。
阻止することができないのに阻止運動をやっているのが昔ながらの時代錯誤の運動だ。
「沖縄を返せ」の歌が流れたのには驚いた。
私よりも年配の老人たちが土地闘争時代の青春を思い出しながら歌ったのだろう。

固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ

300万人という死者を出した朝鮮戦争が勃発し、
中国の人民解放軍ははウイグル地区、モンゴル、チベットに武力侵略をした。
アメリカは社会主義圏の拡大を防ぐためにアジアのアメリカ軍を強化した。
そのために沖縄では土地接収があったのだが、
それに反発した人々が土地闘争をやった。
とても激しい運動だったらしいが、
それは土地を奪われると生活ができないと信じていたことと、
あの時代はマスコミが発達していなかったから情報が乏しく朝鮮戦争や中国の人民解放軍によるウイグル地区、モンゴル、チベットの武力侵略の情報が入ってこなかった。
それに戦後の沖縄は親ソ連・中国である人民党などの社会主義組織が大衆運動をけん引していたからである。土地闘争は米軍の土地接収を条件付きで受け入れた辺野古が空前の経済発展をしたので、
衰退していったという事実を忘れてはならない。

普天間飛行場のすべてのゲートを封鎖して気勢を上げた老人たち中心のデモ隊であるが、
オスプレイ配備阻止にはほど遠い運動であり、
オスプレイが配備されて時間がたつと次第に沈下していく運動だろう。
最初から配備を阻止できないことがわかっていながらの阻止運動である。

大衆運動はそれでいい。
しかし、
知事、市長、議員などの政治家は
大衆運動と同じレベルでは許されない。
県民の税金から給料をもらっている彼らは
冷静にオスプレイ配備を阻止できるかできないかを判断しなければならない。
そして、最良の政治行動を選択するのが県民の生活を守らなければならない彼らの義務だ。

オスプレイ配備を阻止することはできない。
それは初めからわかっていたことだ。
配備阻止運動は県民になんの利益ももたらさない運動だ。
9・9オスプレイ配備反対の県民大会も2万人しか集まっていないのに
10万1000人集まったと大嘘をつき、
県民大会の議決が県民総意だなどと政府の閣僚たちにオスプレイ配備を止めるように要請したのは
全然効果がないことは初めから分かっていたことだ。

配備を阻止することができないことは最初から分かっているのだから、
沖縄の政治家たちができる最良の方法は阻止運動を展開することではなく、
オスプレイの安全飛行を目指して政府や米軍と交渉することだ。
オスプレイの性能を研究し、
日米両政府が作成したオスプレイの離着陸や飛行経路計画を詳しく調べて
より安全なオスプレイの運行を要求するのが県民にとって利益のある行動である。
県民の利益を考えないで
オスプレイ配備阻止運動にうつつを抜かしている沖縄の政治家は無能な政治家である。

昨日の新聞には沖縄の自殺率は全国ワースト5位であると載っていた。
労働者の健診では六十五%が異常で全国で最悪だという。
学力テストは全国最下位である。
教師のわいせつ行為
中学生売春の蔓延、
自殺率ワースト5位、
健診異常全国最悪、
であるというのに、
県民の切実な問題を放棄して
県民になんの利益もないオスプレイ配備阻止運動にうつつを抜かしている沖縄の政治家たち。
彼らの存在は沖縄の不幸である。
        二〇一二年一〇月一日

ゲートを閉鎖するために座り込みがあった翌日の私のブログである。

私は警察によって座り込みはすぐに排除されると思っていた。ところが意外なことに座り込みは長時間排除しなかった。座り込みをしている人たちは老人が多くしかも元教員が多い。警察は彼らに遠慮して排除しないのかと思った。
しかし、そうではなかった。革新勢力のゲート封鎖は法律の弱点や米軍や日本警察がどのように行動していくかを計算し尽くした行動であった。ユーチューブの映像を見ればそのことが理解できる。
警察の意表をついて、車で普天間飛行場のゲートを封鎖して、座り込みを始めた。
そんなことができるのか。予想を超えた行動である。すぐに警察が撤去しそうであるが、警察は座り込みをしている人たちを退去させることはしなかった。
野嵩ゲートの座り込みをしている人は意外と少ない。
ハンドスピーカーから大きい声が聞こえる。
「外国みたいに火炎瓶を投げたか、こん棒なんか振り上げたか。車を潰したか。私たちは無抵抗だ。オスプレイはみんなが反対している」
声の主は赤いシャツをつけているリーダーの声だ。
無抵抗の抵抗をしているから座り込みを警察が邪魔するのは間違っていると盛んに言っている。

野嵩ゲートの座り込みは意外と人間が少ない。それには原因があった。



警察官が新たに座り込みをしようとしている人たちを食い止めていたからだ。警察官はこれ以上座り込みする人間を増やさないことに集中し、座り込みしている人間を排除する余裕がないのだと思っていたが、この時に私が全然予想していなかったことが起こる。普通なら新たな応援警察官がやってきて、座り込みをしている人間たちを排除しそうだが、

なんと警察官は阻止している隊列を崩して引き揚げたのだ。理解できない警察官の行動であった。私は映像を見ながらあっけにとられた。
警察に止められていた人たちは座り込みに次々と参加して人が増えていった。

座り込みに参加した人たちは勝利のシュプレイコールをした。
どうして、警察管は隊列を崩して引き揚げたのか。こんなことってあるのか。信じられない警察官の行動だった。

勢いづいたリーダーは盛んにマイクで「ここは米軍への提供地である」と言い、日本の警察にゲート内の人間を逮捕する権限はない、私たちの座り込みを邪魔するなと勝ち誇ったように言った。
私はリーダーの身勝手な主張と思ったが、そうではなかった。リーダーが主張していたのは法的に間違っていなかった。間違っていたのは警察の方だった。
リーダーの理屈には一理ある。
米軍基地のゲートは金網の外ではあるが日本が米軍に提供した土地であり、日本の法律が適用できない治外法権の場所なのだ。ゲート前の広場は私たちでも自由に入ることができるし、入って咎められるようなこともない。咎めるのなら金網を張れと言いたくなる。しかし、金網を張れば車の出入りに支障が出る。ゲートには車が数台並ぶことができるスペースが必要である。金網を張るわけにはいかない。市民の侵入も自由にしている。

革新勢力は市民が自由に出入りできるゲート広場が米軍が使用している場所であり米軍敷地だから治外法権の場所であることを知ったのだ。
突然起こったゲート占拠に警察の方がゲート前が治外法権の場所であることを知らなかった。だから、新たに座り込みに参加しようとした人間たちを止めたのだ。
治外法権の場所に居る人間たちを日本の警察が規制することはできない。そのことを知った警察は隊列を解いたのだ。

米軍基地の金網の中なら治外法権の場所であることは日本の法律が適用できないことは知っていたが、ゲートの前の広場も治外法権の場所であることは考えてもみなかった。専門家でないと気が付かないだろう。革新勢力は警察が取り締まりできない場所であることを知った上でゲートーを座り込み封鎖したのである。法律の網を潜り抜けた巧妙な戦術であった。

彼らの読みはゲートが治外法権だから警察はすぐに逮捕はできないということだけではなかった。
ゲート侵入は不法侵入だから米軍が直接逮捕して基地内に連行することができる。しかし、米軍は連行しないだろうと彼らは確信していた。連行すれば騒ぎが大きくなりマスコミは米軍非難をエスカレートさせていくだろう。だから、米軍はなにもしない。米軍はゲート封鎖した人たちに損害賠償もしないことは確実である。
米軍が座り込み排除を依頼するには時間がかかる。その間は確実にゲート封鎖を実現できる。それに警察はゲート封鎖した人たちを逮捕することはない。安全が保障されたゲート封鎖であることを確信したから彼らは実行したのである。
綿密な計画のもとにゲート封鎖はあった。そして、すべては彼らの思惑通りに進んだ。

革新勢力は普天間飛行場の全ゲートを封鎖して普天間飛行場の機能をマヒさせたことは戦後七〇年近くの反米軍基地闘争で初めてのことであり沖縄の歴史に残る闘いであったと自画自賛した。しかし、法律の穴、米軍や警察の弱点を研究し、安全を確信してのゲート封鎖であり、「大人」の計算し尽くした運動に闘争として゛とれほどの価値があるのだろうか。

野嵩ゲートに集まった年配の多い集団に、リーダーの一人である弁護士は身の危険性はないことを繰り返し言い、不安な老人たちに安心して座り込みをやるように説得していた。

米軍からの要請があったのだろう。警察は座り込みの人たちを排除した。

最後の二人も排除された。

座り込みを排除した警察は隊列を組んで座り込みをしようとする人たちを阻止している。

リーダーは排除の命令文は手渡しでなければならないと主張する。
彼らは公的な団体ではない。なんの予告もなくゲート封鎖をした彼らは不法侵入者であり犯罪者である。リーダーは米軍からの排除要請の書類を見る権利があるように主張しているが、不法侵入をした彼らに権利はない。彼らに書類を見せる必要はない。米軍からの要請があれば有無を言わさずに排除していい。

リーダーは無抵抗の抵抗をしているのに警察は座り込みを排除したと主張しているが、政党の街宣車でゲートを塞ぎ、座り込みをしているのを無抵抗の抵抗とは言わない。彼らの行為は実力行使であり暴力行為である。火炎ビンや石を投げるのは過激な暴力行為という。どちらも同じ暴力行為だ。

県警は米軍の要請で座り込みを排除しただけである。
米軍施設へ違法侵入していながら、警察には法的手続きをちゃんとやるように要求するのはおかしな話である。法治国家だから、警察はちゃんと法的な手続きをやって行動する。リーダーに言われるまでもない。

右下の老人は警官と激しくもみ合っている。一度は外の方に出されるが、再び戻る。

警官が外に出そうとしたら、抵抗して、警察官を激しく突く。とにかく、この人たちは警察官をなんとも思っていない。

左側の男が集団のリーダーである。赤シャツを着ている。マイクで警官とのやり取りをしている。しかし、警官は無言なので彼の一人芝居がスピーカーから流れる。

こっちは軍の提供施設だ。警察は手を出せない。警察、手を離せ。触るな」
「みなさん。見てください。こっちは米軍の提供施設のはずだよ。県警は手を出せないはずだ」
「これは道交法か刑特法か、説明しろ警察」
「警察、聞け」
「私たちは無抵抗の抵抗をしている。それにも拘わらず。警察はゴボウ抜きで手を出している。こっちは米軍提供施設だよ。警察は手を出せない。県警は県民を守れ」
「どうして、どうして沖縄人同士が対峙する。手を離せ警察」
「手を離せ警察。市民はなにもしていない。立っているだけだよ」
「これは道交法か。責任者出てこい」
「ここは米軍提供施設だ。警察は手を出せない」
「沖縄県警。責任者出てこい」
警察の責任者の名前を言う。
「手帳を見せてください」
「タシロ・・・」「何歳」「県警のどこの所属か」
「なぜ、排除するのか、法律の根拠を言ってください」
「はいはい、米軍の施設・・・警察はどういう権限があって・・・・はい。じゃ、見せてください。見せてください」
「私たちの表現の自由を奪うことはできない」
「ねえ、(表現を)この場でやることが大事なんだ」
「あっちを見てください。米兵が笑っていますよ」
「一番喜んでいるのはアメリカだよ」
「オスプレイを配備したいアメリカ。あなたは県民としてオスプレイを配備したいのですか。どうなんですか」
・・・・・
「法律を守ってやっています」
・・・・・
「だから、法律の・・・。あなたがどういう法律の根拠で僕らに暴力をふるわせているか。どういう理由で退去を求めているのか。言ってください。排除する理由を言ってください」
・・・・・・
「はい。米軍の施設になっています」
・・・・・
「はい。じゃ見せてください。(排除を米軍から要請された)文書を。見せないと私たちは納得できません」
「はい。出ます。(文書を)見せてください。書類を見せていただければぼくたちは米軍施設から出ていきます」
・・・・・
「文書を持ってくるまでね」
・・・・
「こういう制限はないということですから出て行ってください」
・・・・
「はい、暴力は止めて」
・・・・
「はい、あんた名前はなんて言うの。一人一人いってよ」
・・・・・・
「はい。警察手帳見せて」
・・・・・・・
「警察じゃないの。タシロさんの部下じゃないの」
・・・・・
「逮捕する?。どういう理由で。・・・法律もない。なんの理由で逮捕するの。横暴だ。はい」
・・・・・・
「名前教えて。所属と名前」
・・・・・・
「タシロ・・・さんの部下なんですか」
・・・・
「なに黙っているんですか」
・・・・・
「そんなことで、私たちは納得できるわけないでしょう。後ろを見てよ。ほら米兵が笑っている。なんの法律の根拠もないのになんでこんなことをするのかお前たちは」
「人に暴力を振るう。それが警察のやることか」
「二十人の責任者は誰。誰ですか。言えませんか。なぜ黙っている」
「警察の皆さん。法律の根拠もないのに市民表現の自由を妨害するんだ。暴力を振るうことは止めてください」
「こんなことを正しいことだと警察は子どもたちに教えるのですか」
・・・・・・・・・・・

普天間ゲート封鎖は八重山教科書問題と同じである。最初に違法行為をやる。そして、違法行為を巧妙に正当化していく。
「こっちは米軍の提供施設のはずだよ。県警は手を出せないはずだ」
自分たちは違法行為をしたのに警察には法令遵守を要求する。
「これは道交法か刑特法か、説明しろ警察」
「排除する理由を言ってください」
排除した法的根拠を警察に要求する。
「文書を持ってくるまでね」
米軍からの排除以来をした正式な文書を見せろと違法行為をした人間が警察には正式な手続きをしろと要求する。
「私たちの表現の自由を奪うことはできない」
不法侵入をした犯罪者であるのに、表見の自由の権利を主張している。
「はい。警察手帳見せて」
警官とはっきり分かるのに警官である証明をしろと要求する。
「逮捕する?。どういう理由で。・・・法律もない」
「人に暴力を振るう。それが警察のやることか」
警察は暴力を振るっていない。法律に従って座り込みをしている人間を排除しただけである。ところがそれを暴力だという。一方的な理由のない非難である。
違反行為をしながら、まるで権力を持った公的な団体であるように振る舞うのが革新団体である。

夕方になるとゲート広場から警察は離れ、オスプレイ配備反対派集団に解放された状態になった。

 

野嵩ゲートだけを見れば米軍からの排除依頼の正式な文書がないので解放したと思ってしまう。しかし、それが原因はなかった。実は警官の人員不足が原因だった。警察は封鎖された五つのゲートを解放しなければならなかった。野嵩ゲートには国会議員も居た。主力が集まっている野嵩ゲートには大量の警察官が必要だったのだ。



 大山ゲートである。大山ゲートは昼のうちに封鎖していた車を撤去した。


野嵩ゲートはこのように前列は車と車の間に座り込み、後列は車と金網の間に座り込んでいた。街宣車の上にも人が乗っていた。
二〇人の警察官では彼らを排除することはできなかった。大量の警察官が必要であったから野嵩ゲートを最後に排除することにしたのだ。


オスプレイ配備賛成派の人間が野嵩ゲートに入ろうとすると、「警察、右翼を入れるな」と警察に命令した。警察はオスプレイ配備賛成派の人間を止めた。


夜になり、基地内からMPのパトカーがやってきて、
「こちらは米沖海兵隊・・憲兵司令官である。こちらは米軍敷地内です。直ちに立ち退いてください。車両もこの橋よから移動してください」とスピーカーから繰り返し流す。座り込みをやっている人たちは、
「ゴーホーム」
「アナウンスやっている奴。お前沖縄人だろう。恥ずかしくないかあ」
「ちゃんと降りて、顔見せて見ろ」
「お前出てこい」
「海兵隊が移動してください」
「ここは沖縄の土地である」
「帰れお前らあ」
「米兵は帰れ」
「普天間基地を持って帰れ」
「米軍は帰れ」
「米軍は出て行け」
と怒声を浴びせる。
シュプレイコールが起こる。
「オスプレイはんたーい」
「普天間固定化許さんぞう」
「警察は弾圧を止めろう」
「県警は帰れ―」
「アメリカの手先は帰れー」
「暴力団は帰れ―」

MPのパトカーが去ると、県警の広報車から、
「こちらは沖縄県警広報マイクです。ゲート前に集まっているみなさんに警告します。みなさんが立ち入っている場所は立ち入り禁止場所となっています。ええ、速やかに黄色ラインの外側まで移動してください。移動しない場合は強制的に移動させます」
警察は同じ警告を何度も繰り返す。
「法的根拠はなんですか」
「答えなさい」
「タシロタツヤさん。米軍から要請された文書を持ってきて下さい。弁護士と国会議員が待っています」
「タツヤさん。やり方が違うだろう。こんな県警の一遍の通告で判断できる内容ではないだろう」
「なにを根拠に立ち入り禁止というのか説明を求めています」
「宜野湾署のコンセプトでは私たちは納得できない。根拠を示しなさい」

「県警はここに入って来るな。集会の参加者ですが。私を説得してください」

 この人たちは日本の法律が適用できない治外法権の場所にいる。彼らは自分の意思で治外法権の場所であるゲートに入ったのである。彼らは自分で日本国民としての権利を放棄したのだ。
 今の彼らは日本国民ではなく違法侵入者である。彼らを納得させる必要はない。
 犯罪行為をやりながらなんで威張っているのだと言いたくなる。

排除する警察官がやってきた。

座り込みをしている人を一人一人排除する。


糸数国会議員はマイクを持ち、
「県警の責任者の方。どうぞここに出てきてください。法的な根拠を示してください。話し合いをしてください。国会議員、県会議員がいます。なぜ私たちを排除するのですか。(責任者は)前に出てきてください。ちゃんと法的根拠を示してください。きちんと話し合いましょう。なんの根拠で私たちを排除するのですか」
警官が糸数議員を引き抜く。
「国会議員に暴力をふるうな」

治外法権の場所に立っている糸数国会議員は、日本の国会議員としての地位は自然消滅している。今は密入国者と同じであ
る。彼女に、排除する法的根拠を説明する義務は日本警察にはない。

引き抜かれた糸数議員はすぐに開放される。

前列の人たちを排除した警察官は後ろの車と金網の間に座り込みしている人たちの排除に取り掛かる。

「暴力反対」
「暴力を振るわないでください」
「排除の理由を言え」
「アメリカの奴隷」
「米軍の手先になり下がったかー」

警官=危ないから下がって。
座りこみ人=なんで下がるか。なんの権利があるか。お前らが居るから危ないんだー。

「市民を守っているのか。米軍を守っているのか。どっちだ」」
「奴隷だ奴隷」
「おいこらあ。暴行だぞ」
「汚いぞお前ら」
「おい。やり方汚いぞバカヤロウ」

「暴力反対」の連呼
「市民に対する弾圧を止めろ」
「我々納税者に牙をむくのはやめろ」
「女性に手を出すな。恥ずかしくないのか」
「痴漢行為だよ」
「弾圧反対」の連呼
「これが警察の実態だ」
「女性にこんことをしていいのか。恥を知れ」
「女に手を出すな。恥を知れ」
「婦人警官、お前もだバカ」
「おい。でぶっちょ。かっこつけるな豚」
女性の絶叫・悲鳴
「こいつらは市民の敵なんだ」
「県民に怪我をさせて、アメリカの言いなりに、アメリカの奴隷のように・・・」
「こんなことをするために警察になったのですか」
「米軍基地は撤去させなくてはいけないでしょう。県民を守らなくてはいけないでしょう」
「米軍を守るために県民に暴力をふるうのですか」
「お前ら人の心がないのか」
「県民に暴力振るうな」
「暴力振るうのが仕事ですか」
「県民はオスプレイの犠牲になろうとしているんだよ」
「アメリカが戦争するために沖縄県民を犠牲にしようとしているんだよ」
「県民殺す気か」
「県民死んでもいいのか」
「バカヤロウ」
「誰が県民守ってくれるんですか」
「子供たちに恥ずかしくないんですか」

「市民に対しての弾圧は止めろ―」
「我々納税者に牙をむくのはやめろー」
「おい、女性に手を出すな」
「恥ずかしくないのか」
「弾圧」「止めろ」
「手を出すな。恥を知れ」(女性)
「人間かお前らは」
「わー」女性の絶叫。
「県民に怪我をさせて。アメリカの言いなりに、アメリカの奴隷のように・・・・」

 罵声でまるで警察官が激しく排除しているように感じるだろうが、警察官はゆっくり丁寧に怪我をしないように一人また一人と排除していく。

座り込みをしている人たちが本気でそんなことを言っているとしたら、彼らは革新とか左翼とか社会主義とか共産主義とか反米主義者というより、理論やイデオロギーのない反米軍を頑なに信じている反米軍信仰者ではないかと思ってしまう。

警官の後ろはスペースがあり座り込みに参加しなかった活動家たちは自由に移動できる。


警官の前に女性が現れ、ある警官を指して、
「あ、この人、この人よ」と言い、写真を撮る。

指摘された警官の後ろに立っていた老人が警官を突いたり叩いたりしながら、
「いんじ、あんた、評判悪いよう」
という。警官は黙って立ったまま。





野嵩ゲートの全風景



街宣車の屋根に上った活動家も居る。しかも彼らの多くは年配者なので、警察は彼らの体のことに気を使いながら車から降ろす。とても神経の疲れる難儀な仕事だろう。


つれ出された人たちは激しく抵抗し、地面にうつぶせになる。彼らの手足を持って運ぶ。

 機動隊のバスと金網の間に座り込みをやった人たちを押し込める。レッカー車がやって来て、ゲートの車を運んでいく。



翌日の昼である。オスプレイ配備反対の活動家たちが数百メートル道路沿いに並んでいる。


歩道を占拠されているので市民は車道に出て歩いている。



ゲートは解放され、次々と車が出入りしている。



開閉式のフェンスをつくり、ゲートに入れないようにしている。無駄な税金を使わざるを得ない。

オスプレイ配備反対運動が普天間飛行場のゲートを封鎖し、ゲートは米軍の施設であり、治外法権の場所だから警察が排除することはできないと主張したことは正しい。警察は米軍の正式な排除依頼がない限り彼らを排除することはできない。
 しかし、それだけではない。治外法権はゲートを封鎖している彼らにも適用される。彼らは米軍施設に違法侵入したのだ。それは米国の駐日大使館に侵入したことと法的には同じだ。大使館への侵入は米本国に蜜入国したことになる。
 米国は日本ではない。米国は米国の法律が適用される。日本の法律は適用されない。密入国者だから彼らは米国民ではない。米国人としての権利もない。日本国民の権利も米国にはないから彼らは日本国民としての権利もない。日本にとって治外法権の場というのはそういうところだ。
彼らは、米軍基地ゲートは治外法権の場所だと主張している。であるならば彼らは日本人としての権利は一切ないことも認めなければならない。
彼らは米国大使館の中に社民党の車を乗り入れ、オスプレイ反対運動をやっているようなものだ。日本国民の権利を失った彼らには日本国民としての権利主張はできない。
国会議員も県会議員も弁護士も米軍基地ゲートでは身分は自然消滅し、なんの権利もないただの人間である。彼らは日本国民としても沖縄県民としても主張する権利はない。自分たちの都合に合わせた治外法権の解釈は身勝手でありそんな連中に県民とか市民を名乗る資格はない。

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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その1



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その1

八重山教科書問題、普天間飛行場のアドバルーン風船上げ、ゲート封鎖、辺野古テントそして、名護市長選挙には共通点がある。それは高度な知識のある人たちが法律を研究し、法律の弱点をついて、罰されないように法律違反をしていることだ。問題も場所もそれぞれ違う。八重山は教科書、普天間飛行場はアドバルーン風船上げとゲート封鎖の座り込み、辺野古は普天間飛行場の移設、そして、名護では選挙である。問題を起こしたのは全て革新系の人たちである。彼らは自分たちのイデオロギーを押し通すために法律に違反する行為をやり、高度な知識と知恵を使って自分たちのやったことを無理やり正当化する。

〇八重山教科書問題
 八重山教科書問題は二〇一一年八月二十三日に八重山採択地区協議会で中学三年生の公民を育鵬社版に賛成多数で決めたことから始まる。
 竹富町の教育委員会は育鵬社版は保守色が強いからという理由で、八重山採択地区協議会で決めたことを拒否して東京書籍版を使用した。
八重山採択地区協議会には規約があり、第三条の地区協議会の目的が書いてある。

第三条 協議会は、採択地区教育委員会の諮問に応じ、採択地区内の小中学校が使用する教科用図書について調査研究し、教科種目ごと一点にまとめ、採択地区教育委員会に対して答申する。

第三条を読めば、協議会が石垣市、竹富町、与那国町の小中学校で使用する教科書を決める組織であることは明確である。竹富町もその趣旨に従って中学三年の公民以外の教科書は協議会で決めた教科書を使用している。

八重山教科書問題は本当は竹富町が無償措置法違反をしているという単純な問題である。無償措置法とは国が義務教育を受けている小中学生に教科書を国が無償給付する法律である。

竹富町の中学校は公立である。私立ではない。教育委員会は公務員である。民間人ではない。公立中学校の教科書を八重山採択地区協議会という公的な機関で八重山で国が無償給付する公民の教科書を育鵬社版に決めた。規約には協議会で決めた教科書を八重山地区で使用すると銘記している。
協議会という公的な機関で育鵬社の教科書を採択したら公的機関である竹富町の教育委員会は協議会の採択を遵守して育鵬社版を採択しなければならないはずである。しかし、竹富町は協議会の決定を遵守しないで東京書籍を採択した。これは議会制民主主の根幹を揺るがすもので公務に携わる者としては非常に罪の思い行為である。私たちはしっかりとこのことを認識しなければならない。そのことを認識していれば竹富町や革新勢力の竹富町弁護はすべてまやかしであることが分かる。竹富町弁護の裏には革新勢力の反保守・反自民党のイデオロギーがあるからだ。もっと突き詰めていえば、反資本主義・反民主主義の社会主義イデオロギーが彼らの根っこにあるからだ。

竹富町は民間の寄付を募って教科書を購入し生徒に無償給付した。しかし、無償給付は国がやることであって、「民間」が無償給付してもいいとは無償措置法のどこにも書いていない。だから、民間の寄付によって生徒に無償給付したのは違法行為である。竹富町やマスコミは美談のようにいいふらしているが、実は自分たちのイデオロギーに固執した違法行為である。

イデオロギーに固執して東京書籍版を採択した竹富町は違法行為ではないことを次々と主張した。
最初に主張したのが「答申」は強制ではないから協議会で採択した教科書とは別の教科書を使用しても法律違反ではないという理屈であった。答申は強制ではなくても答申に違反した行為は違法行為である。
次に主張したのが、市町村で使用する教科書を決めるのはそれぞれの市町村の教育委員会が決めると地方教育行政法に書いてあることを指摘した。そして、地方教育行政法が優先するから違法ではないと主張した。これも間違った解釈だ。優先するかしないかの問題ではない。「国」の無償給付を受けるか受けないかの問題である。竹富町は無償措置法に違反したから「国」の無償給付を受けることができなかった。「国」から無償給付を受けない行為は違法行為なのだ。

「答申」は強制ではない。市町村の教育委員会が使用する教科書を決めることになっていると説明されればなるほどと市民は思うし、竹富町が正しいかも知れないと思ってしまう。
八重山教科書問題は本当は単純明快な問題であるのだが、革新勢力の弁護士や学者たちが彼らの持っている高度な知識と知恵を使って市民を錯覚させる難解な弁解をしている。

竹富町だけが法律違反をしているというが、無償措置法では八重山地区は教科書を統一しなければならない。しかし、統一されていないのだから石垣市や与那国町も違反している。竹富町だけを非難するのは不公平である。竹富町の民意を無視した弱者いじめだという主張もある。
そのような主張を聞いていたらますます頭が混乱してしまう。法律に疎い市民は竹富町の主張が正しいかもしれないと思うだろう。しかし、竹富町の主張が正しいとしたら、自治体同士の協力関係が崩壊してしまう。

竹富町の主張が正しくて、協議会で採択した教科書以外をそれぞれの教育委員会で自由に採択してもいいなら、地区協議会は必要ない。
そもそもなぜ地区協議会があるのか。
那覇市や浦添市など人口が多く財力があり、公務員の多い市は単独で教科書を採択している。地区協議会には参加していない。実は石垣市も市であるから単独で教科書を決めることができる。しかし、市ではない竹富町や与那国町は単独で教科書を採択することはできない。地区協議会をつくりそこに参加して教科書を採択することになっている。それには理由がある。

地区協議会を設立している理由は二点ある。ひとつは転校生が困らないようにするためだ。もう一つは町・村のように財力のない小さい自治体にとって教科書研究や選定の負担が大きいから共同で選定・採択するためだ。
生徒のことを思い、お互いの負担を軽くするのが地区協議会の目的である。無償措置法は昭和三十九年から施行している。それ以前から教科書は地区ごとに採択していた。南部地区、中部地区、北部地区であったのか南部は島尻地区、那覇地区と分かれていたのかどうかは知らないが、はっきりしているのは市町村ではなく地区別に教科書を採択していたことだ。本土も同じだったと思う。無償措置法を採択する協議会はそれ以前からあった教科書使用を決める地区協議会と一緒にしたのだ。そうすることが自然である。

地区協議会には規約があり、規約は全員一致で決めることになっている。だから、竹富町も改訂した規約には賛成した。八重山採択地区協議会の規約には賛成多数で教科書を採択すると銘記している。全員が賛成した規約の手順に従って八重山地区協議会は育鵬社の教科書を採択したのだ。規約に賛成したのだから竹富町は地区協議会の教科書採択を守るのが義務であるはずなのに武富町は協議会の採択に従わないで東京書籍版を採択したのだ。

一般市民から見れば、文部省が検定した教科書なのだから、極端に偏った内容ではないだろうし、地区協議会で決めた教科書を使うのに問題はないと思うだろう。しかし、竹富町は育鵬社の教科書を嫌って東京書籍版を採択した。
育鵬社の教科書を採択しなかった理由は育鵬社版は保守的であるということだった。文部省が検閲したのだから、常識からはずれたような保守思想、右翼思想はないはずである。育鵬社版の教科書が右翼に片寄りすぎて拒否するほどの内容ではないはずだ。もし、竹富町のいうように教育に悪い影響を与えるほどの保守色が強ければ、育鵬社を使用している石垣市や与那国町の父兄からクレームがあるはずだ。今までクレームがあったという情報はない。つまり、一般市民にとって育鵬社版は普通の教科書であるのだ。
   
本当に深刻な問題は国が検閲して合格した教科書でさえ拒否し、地区協議会の決定を破棄したくらいに竹富町の教育委員会は左翼イデオロギーが強いということだ。竹富町の教育委員会は公務員でありながら法律を破り自分のイデオロギーを優先させるほどのごちごちの左翼である。
公務についている者なら、教科書を決めるまでは自分のイデオロギーを主張してもいいが、地区協議会で決定したことに対しては従うのが義務である。しかし、竹富町の教育委員会は公務員として法を遵守するより自分のイデオロギーを優先させたのである。

竹富町の教育委員会が八重山協議会の決定に従わないで東京書籍版を採択したのには、東京書籍版を採択しても罰せられないという法的な確信があったからである。高度な法律判断を竹富町の教育委員会ができるはずがない。彼らのバックには革新勢力の共産党、社民党、沖教祖、自治労や弁護士、学者がいる。弁護士や学者が法律を研究し、八重山採択協議会の採択に従わなくても罰せられることはないということを見つけ、革新勢力と沖縄二紙が後ろから徹底的に支援するという条件で東京書籍を採択するように竹富町の教育委員会に指示したのである。革新勢力の指示に従って竹富町の教育委員会は東京書籍版を採択した。

八重山教科書問題は法治主義と左翼イテオロギーの戦いである。
議会制民主主義は法律をつくり、法律に従って行動する。法律は神がつくったものではない。人間がつくったものだ。だから一〇〇%完璧ではない。欠陥部分を補うのが「内なる民主主義」である。竹富町を後ろから操っている革新勢力は法律の穴や弱点を探して自分たちのイデオロギーを押し付ける。もはやそこには「内なる民主主義」はない。
このことが露わになったのが文科省が竹富町の教育委員会に対し是正要求を出したことに対しての怒涛のような反論であった。
文科省は地方自治法に基づいて竹富町に是正要求を出していることを明言している。文科省は法の遵守に徹底している。法の遵守は議会制民主主義の根本ルールである。特に公務は法令遵守を徹底しなければならない。公務をつかさどる者に法令遵守の精神がなければ議会制民主主義は崩壊する。
しかし、沖縄の革新勢力や新聞二紙は徹底して法に従って要求している文科省に反論する。

竹富町は協議会の運営に問題があると主張。また、育鵬社版は沖縄の米軍基地が少ないなどとして独自に東京書籍版を選定した。
             「琉球新報」
竹富町が協議会で採択した教科書以外の教科書を使用したのは公民だけであり、他の教科書は全て協議会で採択した教科書を使用している。竹富町が運営に問題があると主張したのは協議会で育鵬社版を採択してからである。協議会の規則改定は全員賛成が必要であり竹富町も賛成している。米軍基地問題に対する考えはイデオロギーの問題であるが、八重山教科書問題はイデオロギーの問題ではない。法律を守るかどうかの問題である。
琉球新報は、竹富町は左翼イデオロギーを固執したために地区協議会の規則を破ったと書いているようなものだ。

無償措置法が同一の採択地区内では同じ教科書を使用すると想定している以上確かに竹富町は違法状態にある。しかし、竹富町だけでなく石垣市、与那国を含む地区全体が不正常な状態にあるということだろう。
              「琉球新報」
無償措置法では協議会が採択した教科書をそれぞれの市町村で使用すると書いている。石垣市と与那国町は正常であり、竹富町だけが不正常だ。地区全体が不正常うんぬんはこじつけだ。新報も竹富町の違法状態を認めている。違法状態を正すのが法治主義であり民主主義だ。

竹富町教委はこれまでも、教科書無償措置法が石垣市、与那国町を含めた三教委全てに係るという認識から、竹富町だけが違法という指摘に反論してきた。慶田盛氏は「同一の採択は崩れたのだから、石垣と与那国が整って、竹富が整っていないというのはおかしい」と語った。
              「琉球新報」
こんなひどい理屈がまかり通っているのが沖縄である。無償措置法には協議会で地区で使用する教科書を採択するという文言はあるが、三教委全てに係るという文言はない。常識としては協議会で採択した教科書を使用している石垣市と与那国町は正常であり、竹富町だけが違法である。ところが「採択地区内の小中学校が使用する」という文言を逆手にとって「三教委全てに係る」という理屈をつくり、竹富だけが間違っているというのはおかしいと居直っているのだ。このような理屈も法律専門家でないと思いつかないだろう。
最初の頃は「答申」は強制ではないから協議会が採択した教科書を必ずしも採択しなければならないということにはならないと言い、次に地方教育行政法が優先すると言い、最近は「同一の採択は崩れたのだから、石垣と与那国が整って、竹富が整っていないというのはおかしい」と主張するようになった。
あらゆる手段を使って竹富町は間違っていないと主張するのは左翼イデオロギーに固執しているからである。

調査員が最も悪いという教科書を挙げたのが、答申を認めない大きな原因の一つだ。採択地区協議会がどのように答申を出したのかも、きちんとしてほしかった」と、協議会運営に対しても疑問を投げかけた。
             「琉球新報」
慶田盛教育長が最初から主張し続けていることである。沖教祖を中心にこのような主張が最初の頃は強かった。しかし、市民の意思を反映するのは選挙で選ばれた市長であり市長が選んだ教育委員会である。一教員である調査員にランクづけする権利はない。だから文科省はランクづけを禁じた。ランクづけすることは違法行為である。だから、次第にこのような主張は下火になっていった。ところが老慶田盛教育長はまだ言い続けている。

竹富町が八重山地区協議会の規則を破り、東京書籍版を採択したのは左翼イデオロギーが原因である。それは竹富町のイデオロギーというより、共産党、社民党、沖教祖、自治労、学者、知識人、県教育庁を含めた沖縄の革新勢力のイデオロギーである。

元高校教員で琉球・沖縄史に詳しい新城俊昭・沖縄大学客員教授(63)は文部科学省による竹富町教育委員会への是正要求を「国家権力による教育への介入。国策を子供に注入するのは、あってはならない行為だ」と批判。「教科書は子どもを一番よく理解している現場の教師か学校が選ぶべきだ。どの教科書にも良し悪しがあり足りない点を補うのが本来の教育の姿」と語る。
           「沖縄タイムス」
教科書を検定するのは文科省であり、全国的な教育方針を決めるのは国会や文科省である。国はすでに教育に介入している。民主主義国家では当然である。
文科省は無償措置法に従わない竹富町に無償措置法を守るように「是正要求」をしているだけである。国策とは関係がない。それなのに国策だと拡大解釈して国の理不尽な政治介入だと新城俊昭氏は主張している。
国民に選出された議員によってつくりあげられた民主主義国家をまるで独裁国家でもあるようにいう新城俊昭氏は民主主義国家を否定しているようなものである。

 育鵬社版の公民教育を精査した、おきなわ教育支援ネットワークの中村英吉事務局長(70)は「現憲法の価値観を覆す記述ばかりで、安倍政権の本音を代弁している。国のために個人の権利を制限して構わないという書きぶりだ」と疑問視する。「自衛隊の先島配備を進めるため。軍隊に親近感を持たせる狙いが透けて見える」と批判した。
             「沖縄タイムス」
だから、竹富町が育鵬社版ではなく東京書籍を採択したのは正しいというのだろうか。
公民の教科書は育鵬社、東京書籍だけではない。文科省の検閲を合格した教科書には帝国書院、日本文教出版、教育出版、清水書院の教科書もある。文科省はそれらの教科書のどれを採択しても容認している。八重山教科書問題は竹富町が八重山採択協議会の規則を破った違法行為が問題なのだ。
それにしても、「現憲法の価値観を覆す記述ばかり」には呆れる。憲法を覆すような教科書を文科省が認可することは絶対にない。
左翼イデオロギー丸出しで育鵬社版批判、安倍政権批判をしている新城俊昭氏には法治主義が欠落している。

沖教祖の山本隆志委員長は「国が市町村に直接是正要求するには、「緊急性」が必要。竹富の現場ではなく、年度を越えてはメンツがつぶれるという大臣の緊急性があるのだろう」と皮肉る。一方で「文科省対竹富町という構図が鮮明になった。安倍政権の「教育改革」暴走のシンボルとして、竹富支援を全国に呼び掛けていく」と語った。
            「沖縄タイムス」
繰り返し書いているように八重山教科書問題は法律を守るか守らないかの問題であって、政治的な問題ではない。しかし、山本隆志委員長が「文科省対竹富町という構図が鮮明になった」と話しているように革新勢力にとってはイデオロギー闘争であるのだ。
教育の現場代表である山本隆志委員長が八重山教科書問題を安倍政権とのイデオロギー闘争であることを宣言した。沖教祖にとって教育の場は教育の場ではなくイデオロギー闘争の場である。

「是正要求八重山を分断」「混乱招く大義名分」「なぜ一方的に避難」
 自主性や対話が重んじられるべき教育に、国が有無を言わさず力で介入する。政治的なパフォーマンスのために、無用な混乱を持ち込まれては迷惑だ。
            「沖縄タイムス」
文科省は県教育庁に竹富町への指導を依頼していたが、県教育庁は一年以上も有効な指導をしなかった。だから、文科省は仕方なく竹富町に直接是正要求をしたのだ。「有無を言わさず」ではない。文科省の是正要求は予想されていたことであり、混乱が起きることはない。

いまも米軍基地の過重な負担にあえぐ沖縄で、基地問題の記述が少ない教科書に抵抗を覚える住民が多いのは当たり前だろう。一方で尖閣諸島をはさんだ日中間の緊張の高まりに伴い、八重山で領土問題の記述を重視する住民が増えているのも現実である。
どちらも地元にとっては切実かつ機微に触れる問題にほかならない。国が「採択地区は同一の教科書」という「大義名分」を掲げつつ、実際には片方の教科書に肩入れすれば、解決を遠のかせるだけだ。これ以上、地域を分断させることは許されない。
        「沖縄タイムス」(鈴木実)
鈴木氏は八重山教科書問題を歪曲している。鈴木実氏には法治主義のかけらもない。国は竹富町に法律を守れといっているのであって育鵬社の教科書にこだわっているのではない。文科省にとっては教科書は育鵬社版でも東京書籍版でもいいのだ。八重山地区協議会で採択した教科書を使用するように竹富町に要求しているだけだ。鈴木氏は反育鵬社のイデオロギーで判断しているから、国が育鵬社の教科書に肩入れしているように見えるのだ。

今まで八重山教科書問題で竹富町を応援する記事を見てきて気が付いたことがある。なんと全ての記事が「多数決の論理」を取り上げないで無視していることである。それを徹底している。革新勢力が米軍基地を非難するために戦前戦後の沖縄の貧困問題を無視していることと共通している。

意見が全会一致するということはなかなかありえないことである。しかし、教科書は学校で使用しなければならない。全員一致するまで待つわけにはいかない。だから、意見を出し合って最終的には多数決で決めなければならない。これが民主主義のルールだ。しかし、革新勢力の頭のいい人たちはそのことを一切口に出さないで八重山教科書問題の別の解決方法を指摘する。

金井俊之東大教授(自治体行政学)がその典型的な意見である。

重要なことは、これら三市町教育委員会が虚心坦懐に協議を尽くし、同一の教科書を採択できるように努力することである。県教育委員会や文科省の任務は、三市町教委の対立をあおることではなく、再協議を促して和解と合意形成を進めることだ。
しかるに文科省が、違法状態を生み出している三当事者のうち、竹富町教委のみを標的に是正要求をしたことは法の下の平等に反する不公平な取扱いと言わざるを得ない。仮に是正要求を文科省が発出するのであれば、三市町に等しく行うべきだ。
        「琉球新報」
法の下の平等を持ち出したもっともな御高説である。しかし、三市町教育委員会が虚心坦懐に協議を尽くすのなら永遠に協議は終わらないだろう。永遠に同一の教科書を採択することはできない。
文科省は三市町教委の対立をあおってはいない。国の教育に責任を持っている文科省が法律に違反している竹富町に是正要求するのは当然の行為である。文科省は竹富町に法律を守ってくれと言っているだけである。

教科書は新学期に使用されるから、新学期に間に合うように採択しなければならない。期限が限定される。だから、多数決を採用しなければならない。民主主義のルールに従って八重山採択協議会は多数決で育鵬社版を採択したのである。もし、金井俊之東大教授が指摘したように文科省が三市町に平等に是正要求をしたなら、民主主義のルールを遵守した協議会の決定を無効にすることになる。そして、民主主義のルールを破った竹富町の行動が是認されることによる。
そうなれば民主主義ルールよりイデオロギーの勝利だ。そんなバカげたことがあってはならない。

イデオロギーの塊である革新勢力がバックアップしている竹富町が文科省の是正要求に応じることはないだろう。しかし、それでも文科省は是正要求をやり続けなければならない。
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「河野談話」の継承は韓国をのさばらすだけだ



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A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
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「河野談話」の継承は韓国をのさばらすだけだ

安倍首相は「河野談話」を見直す考えがないと明言した。それで韓国の慰安婦非難が収まるとの判断であろうが、韓国が慰安婦問題をだし謝罪を求めているのは政治的に優位な立場に立つのが目的である。
安倍首相は「河野談話」を見直さないと発言すれば韓国と対等な政治関係になれると考えたようだがそれは違う。「河野談話」を継承すれば、次に謝罪を求めてくる。謝罪すれば謝罪のやり方に誠意がないとなおさらの謝罪を求めていく。そして、政治的な優位をつくっていく。
次のような記事はますますエスカレートしていくだろう。

旧日本軍が付帯施設として慰安所運営=米軍文書

【ワシントン聯合ニュース】旧日本軍が軍の付帯施設として慰安所を運営していたことが十四日(現地時間)、米軍が作成した文書で確認された。
聯合ニュースが米国立公文書記録管理局を通じ入手した米軍の機密解除文書によると、連合軍の東南アジア翻訳・尋問センター(SEATIC)が一九四五年四月にビルマ(現ミャンマー)で逮捕した日本兵捕虜に軍の付帯施設の一つとして慰安婦を置いていたかを尋問したところ、この捕虜はマンダレー近郊のメイミョに慰安所が置かれていたと答えた。
別の機密解除文書では、一九四五年四月二五日に米軍の情報員が中国人の女性看護師から聞いた話として、日本陸軍の軍医が毎週金曜日に中国・満州の慰安所を訪れ女性らの検診を行っていたことが分かった。この慰安所には一級に分類される日本人女性が二〇人、二~四級に分類される朝鮮半島出身の女性一三〇人がいたが、全員が性病にかかっていたという。
両文書は慰安婦が旧日本軍の駐留地域に広く置かれていたことを示している。軍医が慰安婦を体系的に管理していたことも確認できる。
一九九三年に発表された河野洋平官房長官談話は、旧日本軍が慰安所設置と運営に関与し、慰安婦の募集と移送、管理が総じて本人たちの意思に反して行われたことを認め、謝罪した。しかし、日本の一部勢力は慰安婦の存在自体を否定し、日本政府に河野談話の見直しを迫っている。
一方、米司法省はこれらの機密文書に基づき独自に調査を行い、慰安所の運営に関し蛮行を働いた旧日本軍の戦犯十六人を一九九六年一二月に入国禁止にしたとされる。しかし、司法省は機密解除の時期になっていないとして内容を明らかにしていない。
聯合ニュース 三月十六日(日)8時2分配信

慰安所が日本軍の近くにあるのは当然である。日本軍が慰安所の安全を管理し、軍医による定期的な性病検査を行っていたからだ。尋問センターは慰安所を日本軍が直接経営管理しているものと決めつけて慰安所を「日本軍の付帯施設」と考えている。尋問された日本兵はマンダレー近郊のメイミョに慰安所が置かれていたと答えているだけで、日本軍が直接管理していたとは話していない。日本兵が客になるのだから日本軍の近くに慰安所があるのは当然だ。慰安婦の安全を守る義務が日本軍にはある。だから。日本軍が慰安所の様子を調べるのは当然だ。日本軍は安全管理をしていたのであり、慰安所の運営はしていない。しかし、世界は「旧日本軍が軍の付帯施設として慰安所を運営していた」と決めつけるのだ。
「日本陸軍の軍医が毎週金曜日に中国・満州の慰安所を訪れ女性らの検診を行っていた」ことも日本軍が慰安婦の健康管理をしていたのだから週一回軍医が慰安婦を健診するのは当然のことである。軍医が健診しなければ誰が彼女たちの健診をやるのだ。毎週金曜日に健診をしていたということは慰安婦制度で規則になっていたことであり、それを忠実に実行していたのだ。日本軍の法令順守の精神を賞賛するべきである。

「河野談話」を認めるということは慰安婦は性奴隷であったことを認めることである。だから、慰安婦の安全を守るための日本軍の行動がすべて日本軍の悪として認識されるのだ。

天木 直人( 外交評論家)
勝負あった河野談話をめぐる安倍首相と朴大統領の攻防

コメントを見る(2件)河野談話見直し否定を国会で明言した安倍首相に対し、朴韓国大統領がこれを評価したと韓国の大統領府報道官が明らかにしたらしい。米国務省報道官も歓迎の意向を表明したという。きょう3月16日の各紙が一斉に報じた。

これで勝負あった。もはや安倍首相は二度と河野談話見直しを口にすることは出来ない。それを行ったら、今度こそ日韓関係は修復不能になり、米国の安倍首相に対する不信は決定的になる。これを要するに河野談話をめぐる安倍首相と朴大統領の攻防は安倍首相の敗北に終わったということだ。しかもこれは安倍首相にとってさらなる敗北の始まりに過ぎない。韓国は靖国参拝を含め安倍首相の歴史認識の誤りの修正を求めてくる。そして、安倍首相が自らの歴史認識を認めない限り、少なくともそれを封印しないかぎり、日韓関係の真の改善は望めない。無理して首脳会談が出来たとしてもその後が続かない。

しかしさすがに安倍首相は自らの歴史認識の誤りを認めるわけにはいかないだろう。それを認めれば安倍首相はたちどころに存在価値がなくなる。「戦後レジームのチェンジ」を唱えない安倍首相など、もはや何の意味もない政治家となるからだ。

かくして安倍首相は追い込まれることになる。しかし安倍首相は最後は対米従属となるだろう。安倍首相を支持してきた者たちは最後はあっさり安倍首相に裏切られることになる(了)
2014年3月16日 8時57分


<日韓関係>首脳会談の実現には、慰安婦への賠償など日本の実質的対応が必要―韓国政府関係

十六日、中国新聞網は記事「韓国政府、日韓関係改善に慎重姿勢」を掲載した。ある韓国政府関係者は河野談話の継承はあたりまえ。慰安婦への賠償などがなければ関係改善はないとコメントしている。
二〇一四年三月十六日、中国新聞網は記事「韓国政府、日韓関係改善に慎重姿勢」を掲載した。

長らく冬が続いている日韓関係に改善の期待が高まっている。安倍晋三首相は先日、河野談話の継承を明言した。その後、朴槿恵(パク・クネ)大統領は安倍首相の発言を積極的に評価し、雪解けムードをうかがわせた。今月二十四日、二十五日にオランダで開催される核セキュリティサミットで首脳会談が実現する可能性があるとみられている。

一方、韓国政府内では慎重論も根強いという。韓国・聯合ニュースによると、ある政府関係者は、河野談話は歴代日本政権が受け継いできたもので継承するのはあたりまえ、日韓関係改善にはつながらないと指摘した。必要なのは慰安婦問題に対する政府責任を認め、被害者に賠償するなどの実質的対応だとコメントしている。
こうした意見が存在していることをみれば、日韓首脳会談の条件はいまだに整っていないと見るべきだろう。Record China 3月17日(月)11時10分配信(翻訳・編集/KT)
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慰安婦問題“さらなる対応必要”韓国外務省

 韓国の外務省報道官は18日、いわゆる従軍慰安婦問題について「安倍首相が河野談話を見直さないというだけで、問題が解決するわけではない」と述べた。

 日本側が今月24日からの核セキュリティーサミットの場で日米韓3か国の首脳会談開催を求めているのに対し、韓国としては慰安婦問題でさらなる対応が必要との認識を示した形。
日本テレビ系(NNN) 3月18日(火)18時36分配信

首脳会談へ3条件提示=参拝中止、慰安婦協議など―韓国紙

 【ソウル時事】韓国紙・韓国日報は18日、ソウルで開かれた日本との外務次官会談で韓国側が、首脳会談実現の条件として、首相の靖国神社参拝中止や、従軍慰安婦問題の協議など三つを提案したと報じた。
 同紙によると、12日の次官会談で日本側は、日韓首脳が条件なしで早い時期に会い、虚心坦懐(たんかい)に対話すべきだと強調した。これに対し韓国側は、(1)河野洋平官房長官談話と村山富市首相談話の継承表明(2)安倍晋三首相の靖国神社参拝中止宣言(3)慰安婦問題を話し合う協議体の稼働―の3条件を提示したという。 
時事通信 3月18日(火)10時53分配信

慰安婦などで局長協議検討=日韓

 日韓両政府は、従軍慰安婦問題を含む両国間の懸案について話し合うため、外務省局長級による協議の場を設置する方向で検討に入った。日韓外交筋が19日明らかにした。協議は韓国側が求めていたもので、12日に訪韓した斎木昭隆外務事務次官が、韓国外務省の趙太庸第1次官との会談で応じる考えを伝えた。 
 時事通信 3月19日(水)12時32分配信

慰安婦問題は日本の首相が土下座しても終わらないだろう。
韓国政府の謝罪の要求の度合いがますますエスレートしていくだけだ。韓国政府は、最終的には日本国民全員の謝罪を要求するだろう。そして、謝罪した後に日本に理不尽な要求をしてくる。韓国政府の謝罪要求には終わりがないのだ。
韓国政府の要求受けいれれば入れるほど日本国民は屈辱を味わうことになる。

慰安婦問題に決着を付けるには「河野談話」の検証しかない。そして、慰安婦は性奴隷ではなかったとはっきり公言することだ。

日本軍は公娼制度=慰安婦制度の遵守に努力していたことを資料を元に証明していき、慰安婦制度は奴隷制度ではなく慰安婦の人権を守る制度であったことを韓国ではなく国連や世界に公表するべきだ。韓国に主張する必要はない。どうせ韓国は反発するだけだ。しかし、国連や世界は日本政府の公表を重く受け止めるはずだ。内閣だけでなく国会でも慰安婦は性奴隷ではなかったことを議決したほうがいい。

韓国を攻撃する材料はたくさんある。朝鮮には売春婦を規制する法律はなかった。売春は自由であり十七歳以下の少女も売春をさせられていた。売春婦を法律で規制したのは日本政府であった。しかし、法律で規制しても朝鮮人にはそれほどの効果はなった。人身売買は横行し、少女誘拐も後を絶たなかった。
朝鮮社会は売春が横行し、性奴隷にされていた売春婦も多かっただろう。日本兵相手の韓国人売春婦を性奴隷にしていたのは日本軍ではなく朝鮮の民間業者であったことは確実だ。彼女たちは慰安婦ではなかった。違法売春婦だった。
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翁長市長は知事選で革新の支持を得られない 



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 翁長市長は知事選で革新の指示を得られない 

 オスプレイの普天間飛行場配備に反対した翁長市長は自民党の宿敵である革新政党・自治労・沖教祖をも巻き込んでオール沖縄を結成して、本土政府にオスプレイ配備撤回を要求する県民大会・東京行動の先頭に立った。オール沖縄結成は大成功し、翁長市長は那覇市長選で圧勝した。すべてが翁長市長の思惑通りに進んだ。

「オールジャパンに対しては、オール沖縄で結束しないと駄目だ。基地問題で沖縄が主張する場合でもイデオロギーではなくアイデンティティーを持って、県民の心を一つにして頑張らないと本土全体の無関心、無理解にはとても立ち向かえない。最大公約数で頑張ろう、というのが私の言葉の意味だ」
翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)
 翁長那覇市長がオール沖縄の結束をイデオロギーを超えたアイデンティティーを根拠にした。「県民の心はひとつ」というわけだ。翁長市長のアイデンティティー論で保守も革新も一緒になったオール沖縄が結成されて東京行動を実現した。
 そして、革新を巻き込んだオール沖縄結成の成功は翁長市長との対立軸を失った革新勢力は統一立候補を立てることができなくなった。翁長市長は思惑通り那覇市長選で圧勝した。「沖縄のアイデンティティー論」に翁長市長はますます自信を高めていっただろう。そして、今年の知事選に立候補して当選する自信に満ち溢れていた。何事もなければ翁長市長が知事になるのは確実だった。

 ただ翁長市長には大きな勘違いがある。翁長市長はイテオロギーではなくアイデンティティーを優先すると主張している。翁長市長のようにイデオロギーのない人間ならアイデンティティーを優先させることができるが、実際はイデオロギーを持っている人間はアイデンティティーよりイテオロギーを優先させる。なぜならイデオロギーは現実について勉強し、研究した結果生まれるのだから自然発生的に生まれるアイデンティティーを超えたところにある。
 イデオロギーから見ればアイデンティティーは幼稚である。
 共産党はイデオロギーの塊である。社民党も共産党ほどではないが護憲反安保というイデオロギーがある。社大党も反米主義のイデオロギーの塊である。イデオロギーの塊である共産党・社民党・社大等の革新政党がオール沖縄に参加したとしても翁長市長の「アイデンティティー論」に賛同したからではない。革新政党がオール沖縄に参加したのは、翁長市長がオスプレイ配備反対、辺野古移設反対の革新政党と同じ主張をしたからである。翁長市長が革新政党のこれまでの主張と一致したから革新政党勢力はオール沖縄に参加したのであって、翁長那覇市長の「アイデンティティー」は全然関係がない。むしろ、翁長市長の「アイデンティティー」が革新政党のイテオロギーに傾いたから革新政党はオール沖縄に参加したのだ。

 翁長市長と革新政党では決定的に違うイテオロギーがある。それは日米安保に対するイデオロギーだ。翁長市長は日米安保に賛成し米軍の日本駐留を認めている。しかし、革新政党は日米安保に反対であるし、米軍の日本駐留を認めていない。革新勢力と呉越同舟である自治労、沖教祖も同じである。もっと深く言えば、革新勢力のイデオロギーは社会主義である。革新政党は反資本主義であり、資本主義社会を容認している現在の議会制民主主義にも反対である。

 オール沖縄運動で、翁長市長は「県外移設」を主張し何度も声にした。「県外移設」とは国内移設をすることである。翁長市長は米軍の日本駐留を認めているから「県外移設」を主張することができる。しかし、反安保を掲げ日本の米軍駐留を認めない革新政党は「県外移設」に賛成することはできない。事実、共産党、社民党の政治家は一度も「県外移設」を主張したことはない。共産党の志位委員長はオール沖縄に賛同する発言の中でも「国外撤去・閉鎖」を主張していた。
 「県外移設」することは米軍の日本駐留を認めることであるし日米安保廃棄のイデオロギーを撤回することになる。革新政党は口が裂けても「県外移設」を口にすることはできない。そうであるのに県外移設を主張する翁長市長と一緒にオール沖縄を結成した。結成できないのに結成できたのには革新政党の狡猾な裏ワザがあったからだ。
 政府に提出したオール沖縄の建白書には「県外移設」の文言は一つもなかった。「県外移設」の代わりに「撤去・閉鎖」の文言が盛り込まれていた。「撤去」は沖縄以外の場所に移設する意味に解釈できるから「県外移設」「国外移設」の両方を含んでいるように拡大解釈することができる。だからオール沖縄の建白書には革新政党でも賛成できる「撤去・閉鎖」の文言にしたのだ。
 しかし、説明したように「県外移設」と「国外移設・閉鎖」ではイデオロギーが違う。「撤去」を翁長市長は「県外移設」と解釈し、革新政党は「国外移設」と解釈することによってオール沖縄を結成することができたのである。革新政党が「撤去」を「県外移設」と解釈することは絶対にない。
絶対に交わらない水と油を交わらしたように見せたのが「撤去」という文言である。

県外移設・・・日米安保・米軍日本駐留賛成。
国外移設、閉鎖・・・日米安保・米軍日本駐留反対。

オール沖縄は相容れないイデオロギーが同居したのだ。

 オール沖縄はそれでも結成することができ、東京行動をすることもできた。しかし、知事選挙となるとそうもいかない。オール沖縄では、保守政治家が「県外移設」を公言し、マスコミも「県外移設」は県民の総意などと報道して、「県外移設」がオール沖縄の主張のように見えていたが、建白書には「基地の撤去・閉鎖」の文言を入れ、革新側の面目を守ることができた。しかし、選挙公約は翁長市長が決め、それを革新政党が支持することになる。「県外移設」と「閉鎖・撤去」を使い分けることはできない。


 翁長市長は「県外移設」を主張し続けている。二月二十四、二十五日の那覇市議会の定例会では、
〇「沖縄だけに基地を置いて本土の方たちは何もしないのでは、日本の本気度は感じられない」
〇米軍普天間飛行場の移設先について、本土はどこも基地を受け入れない状況に「じゃあ沖縄が一〇〇年受け入れようかというのは今の政治家として、責任世代として許されることではない」
〇「沖縄は日米両政府とってちっぽけなもの。だから心を一つにして、まずノーと言わないと何でも沖縄に持ってこられる」
と発言している。
翁長市長が問題にしているのは沖縄の米軍基地過重負担である。本土の負担をもっと増やせと主張しているのだ。翁長市長が日米安保容認、米軍基地の日本駐留容認であることは明確である。
 日米安保・米軍の日本駐留を容認している翁長市長を革新政党が支持・応援することは革新政党が堅持し続けてきた反日米安保・反米主義を放棄することになる。それはイデオロギーの崩壊だ。革新政党が「県外移設」を公約にした翁長市長を支持することはできない。

 共産「大同団結し基地はね返そう」
翁長氏に異例のエール 


 二十四日の那覇市議会二月定例会の質問で、野党最大会派の共産党が翁長那覇市長を激励する場面があった。古堅茂治氏(共産)が「大同団結し日米政府の基地押し付けをはね返していこう」と、翁長市長が唱えてきた「オール沖縄」の再構築を訴えた。
 県政野党が十一月の知事選に向けて模索を始めた革新政党に中道を加えた「脱革新共闘」方式が実現した場合、超党派の県民大会を主導した翁長市長が有力候補に浮上する可能性もあり、野党からの突然のエールには、与党側からも驚きの声が上がった。
 古堅氏は「基地のない平和で自立できる未来を切り開く道を進むのか、沖縄の進路を左右する歴史的分岐点にある」とし、県都の市長として基地問題解決を日米両政府に訴える決意を促した。
翁長市長は「県民の心の中に平和と経済が同居できるようになった。党利党略を乗り越えて県民に寄り添う姿勢が大切。私なりに頑張っていきたい」と語った。
 質問後、古堅氏は「知事選との関連はない」ときっぱり否定したが、議会論戦では激しく対峙してきた最大野党の「雪解け宣言」は秋の決戦を見据えて憶測を呼びそうだ。
                「沖縄タイムス」
 共産党が県知事選で翁長市長を押す雰囲気である。タイムスは「脱革新共闘」が実現する可能性を述べているが共産党の妥協には限界がある。共産党は絶対に「県外移設」を認めることはできない。もし、翁長市長が革新共闘の支持を得たいならば翁長市長が「県外移設」をひっこめる以外にはない。

 名護市長選では稲嶺市長は辺野古移設を反対するだけでよかった。「名護市の陸にも海にも新基地は造らせない」を主張していれば沖縄二紙や周囲が勝手に稲嶺市長が県外移設を主張しているように演出した。だから、共産党、社民党は稲嶺市長を支持し、アホな自民党県連元会長宮里氏も稲嶺市長を支援した。
 「辺野古移設」「県外移設」に反対するということは普天間飛行場を国外移設か閉鎖を主張することになる。そうすれば革新共闘の支持を得ることができるかも知れない。しかし、それだけで済む問題ではない。普天間飛行場の国外撤去・閉鎖は日米安保の否定につながる。翁長市長は日米安保をも否定することができるだろうか。そうなれば完全に自民党からの決別になるし、保守から革新へと変身することになる。
 
 辺野古承認撤回確認 知事選選考委 

 県内革新政党に中道・リベラルを加えた11月知事選の候補者選考委員会の第2回会合が8日、那覇市内で開かれた。米軍普天間飛行場の返還問題への基本姿勢では、仲井真弘多知事の名護市辺野古埋め立て承認の撤回を盛り込む方針で一致した。前回は県内移設断念を政府に求めた「建白書」を重視することを確認している。
 社民、共産、社大、生活、県民ネットでつくる選考委は早ければ3月中に選挙に臨む基本姿勢をまとめ、人選に入りたい考え。
 基本姿勢は普天間をはじめとする基地問題のほかに経済、福祉、雇用、教育、環境など各分野の考え方も盛り込む。
 座長を務める社民県連の新里米吉委員長は会合後、記者団に「議論は順当に進み90%以上まとまった。早くて3月末、遅くても4月中旬には発表したい」と説明。
 その後の候補者選定については「人選で不協和音が出るのは避けたい。結束が大事なので時間はかかる」と述べるにとどめた。
沖縄タイムス 3月9日(日)10時55分配信
安保廃棄・日本からの米軍基地撤去が革新政党のイデオロギーである。翁長市長の県外移設は国内移設であるから米軍の日本駐留を容認していることになる。翁長市長が「県外移設」を掲げる限り革新政党の支持を得ることはできない。
 しかし、翁長市長の当選至上主義は筋金入りである 
「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない。稲嶺恵一知事はかつて普天間の県内移設を認めたうえで『代替施設の使用は十五年間に限る』と知事選の公約に掲げた。あれを入れさせたのは僕だ。防衛省の守屋武昌さんらに『そうでないと選挙に勝てません』と。こちらが食い下がるから、向こうは腹の中は違ったかもしれないけれど承諾した」

仲井真知事の最初の選挙の時。革新立候補と同じように「三年以内の普天間基地閉鎖」を公約に掲げたが。もしかするとこれも翁長市長の入れ知恵だったかも知れない。明確であるのは仲井真知事の二度目の選挙の時に「県外移設」を公約にしたのは翁長市長である。当選するためには手段を選ばないのが翁長市長だ。

当選するためには手段を選ばない翁長市長であるから、知事選で当選するために「県外移設」を下ろす可能性がないわけではない。
しかし、「県外移設」を主張し続け、「県外移設」は県民の総意とまで公言した翁長市長である。「県外移設」の看板を下ろすことは至難である。翁長市長は知事選挙を断念するのだろうか。
しかし、沖縄の政治家の頂点である知事になるのが翁長市長の悲願である。簡単にあきらめるわけにはいかないだろう。那覇市長であるのに「沖縄アイデンティティー論」を展開して沖縄全体についての政治問題について発言し、オール沖縄を先導したのも知事になるための複線であった。

さて、今年の知事選であるが翁長市長は立候補するのだろうか。「県外移設」を公約からはずすのだろうか。
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