連合と共産党の喧嘩が始まった

連合と共産党の喧嘩が始まった


 連合の芳野友子会長が、立憲民主党との会合後の会見で、東京都知事選での蓮舫氏の敗因について「共産党が前面に出すぎて逃げてしまった票があったのではないか」と発言した。吉野会長は共産党が蓮舫票を減らしたと発言したのである。「蓮舫の敗北は共産党にあり」と暗に述べたのが吉野会長である。吉野会長の発言に共産党はすぐに反論した。
小池共産党書記長は、「共産党が前に出過ぎたような選挙では全くなかった」と強調した。小池書記長は「何を根拠に票が逃げたと言っているのか。根拠を示してほしい」と吉野会長に要求した。


共産党は立憲と共産、社民、れいわが連合を組み左翼連合を組んで運動を展開して立憲を与党にするのが目的である。ところが都知事選で蓮舫氏は広島からやってきた無名の石丸氏にさえ負けて3位になった。ありえないことである。3位になった原因が共産党にあるという噂が広がっている。立憲内にも広がっていて共産党とは連帯を組まないほうがいいと考えている議員が増えている。蓮舫氏の敗北は共産党が原因であるという噂は共産党にとって絶対に消したい噂である。だから、吉野会長の発言をすぐに否定したのである。
小池氏は「共産党のせいにすれば何でも通用するというような、非常にレベルの低い発言だ」と吉野会長に激しく反発した。


 立憲の政党内外で連合と共産党が激しく対立するのは立憲内の連合派と共産党派の対立が深まるということだ。立憲は連合を選ぶか共産党を選ぶかが問われていく。そして、答えは国民の選挙が出す。

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石丸伸二氏から支援要請があったのに支援しなかった維新は愚か

石丸伸二氏から支援要請があったのに支援しなかった維新は愚か


 都知事選に立候補した前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏から告示前に維新の会に支援要請があった。「維新とは政策が近い。何らかの形で応援してもらうことは可能か」と石丸氏は維新に打診した。石丸氏の打診に対し、維新側は政党色を隠した「ステルス応援」は困難と回答した。改めて面会した際、石丸氏は自力で戦う決意を示したという。維新は政策が近い石丸氏の応援を断ったのである。維新は応援する条件として石丸氏が維新に属することを要求したのである。愚かである。
 維新に必要なことは共通する政治方針の仲間を増やすことである。例え、維新に属していなくても協力しあう政治家を増やしていけば維新にもプラスである。それなのに「ステルス応援」を断ったのである。もし、「ステルス応援」をしていたら石丸氏に投票した約165万都民を維新支持にすることができたはずである。
 橋下徹氏は、
「今の維新国会議員がダメなところが出ている。自分たちの力をきちんと見極めることができれば、維新国会議員の方が頭を下げてステルスで都知事選に関与させてくださいとお願いをすべきところである」と維新を批判している。
 橋下氏の指摘する通りである。維新は頭を下げてでも石丸氏応援をするべきであった。石丸応援が維新支持の拡大につながるのだ。こんな維新では小さくまとまった保守政党になってしまう。
 
 石丸伸二氏の支援要請があったのに支援しなかった維新は愚かである。


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日米安保粉砕のために米兵の少女暴行弾劾する大会

日米安保粉砕のために米兵の少女暴行弾劾する大会<center>

米兵による少女暴行を弾劾する大会の垂れ幕には「辺野古・大浦湾埋め立て阻止」と「日米安保粉砕」を書いてある。大会は米兵の少女暴行だけでなく辺野古埋め立て阻止、日米安保粉砕を掲げている反米主義の団体が主催した大会である。米兵の少女暴行を弾劾するのを目的にした市民団体ではない主催したのは反米主義の左翼団体である。




 少女暴行をしたのは一人の米兵である。他の米兵はやっていない。しかし、あたかも米兵の誰もが少女暴行をやると決めつけている大会である。そのような主張になるのを垂れ幕の安保粉砕が示している。この大会を主催した団体の本当の目的は日米安保粉砕である。安保を粉砕する方向に展開できるものとして米兵の少女暴行弾劾があるのだ。
 日米安保粉砕を主張するのは反米主義の左翼である。左翼が米兵の少女暴行弾劾を利用して安保粉砕の運動をするために開いた大会である。


 反米主義だから沖縄のすべての米軍基地撤去を主張する。だから、米軍基地建設のための辺野古埋め立てに反対である。少女暴行をしたのはブレノン・ワシントン(25)という米兵である。彼は米兵の中の一人であるろ。米兵が少女暴行をしたというのではなくブレインが少女暴行をしたということである。少女暴行はブレインという男がやったことであって他の米兵には関係がない。しかし、少女暴行弾劾大会では米兵がやったことを強調し、米兵全員が少女暴行をやるとイメージを作り上げている。


 少女暴行を弾劾する大会では米軍関係者による性犯罪が後を絶たない沖縄の現状に憤りを示し、「普通の暮らしを返せ」などとシュプレヒコールを上げた。また、沖縄出身でジェンダー学を専攻する大学院生の島袋里穂さん(28)が登壇し、性犯罪が被害者の心に与えるダメージは長く続くと強調。「被害に遭っているのは私と同年代の女性たち。それからずっと若い小さな女の子たち。もううんざりです」と声を振り絞った。「綱紀粛正、こんな言葉は聞き飽きました」「尊厳を繰り返し踏みにじり、謝罪すらしない米軍。もはや沖縄から出て行ってもらうしかありません」とする抗議決議文を採択。軍隊の配備の拒否や、米軍が絡む全ての事件・事故の公表などを求めた。
報道では沖縄県内では米軍関係者による性犯罪が繰り返し起きてきたと述べ、県警によると、1972年の日本復帰から23年までの間に、現在の不同意性交等にあたる容疑での検挙件数が少なくとも134件と書いてある。そして、米軍側は綱紀粛正と再発防止を誓うが、根絶にはほど遠いと述べている。


 もし、沖縄の男性が性犯罪を一切やらないで不同意性交等で検挙されたことが一件もなかったとしたら彼らの主張は正しい。しかし、現実は違う。米兵の性犯罪より沖縄の男性の性犯罪のほうがはるかに多い。
 性犯罪の原因は男性の性欲である。米兵であれ沖縄人であれ男性の性欲は同じである。沖縄は沖縄男性のほうが米兵よりはるかに多い。だから、沖縄男性の性犯罪が米兵の性犯罪よりはるかに多いのは確実である。
 大会では性犯罪が被害者の心に与えるダメージは長く続くと述べているが、加害者が米兵であろうと沖縄人であろうと心に与えるダメージは同じである。加害者が沖縄人であればダメージはないというのはあり得ない。少女の性被害を問題にするなら沖縄の少女の性被害の全体数を出すべきである。米兵による被害を問題にして沖縄人による被害を問題しないのは性被害を問題するのではなく米兵が沖縄に存在することを問題にしているからである。


集会では「綱紀粛正、こんな言葉は聞き飽きました」「尊厳を繰り返し踏みにじり、謝罪すらしない米軍。もはや沖縄から出て行ってもらうしかありません」と米軍基地撤去を主張している。
米兵の少女暴行事件を弾劾する大会の本当の目的は米軍基地撤去、日米安保粉砕である。米兵や沖縄男性による少女暴行事件を弾劾するのが目的だけの大会を開くようなヒューマニズムな活動組織は沖縄には存在しない。

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衆議院選、都知事選のように左翼の立憲は支持率を下げるだけである

衆議院選、都知事選のように左翼の立憲は支持率を下げるだけである


 都知事選で蓮舫氏が大敗して三位になった。人気のある蓮舫氏なら二位は確実と思われていたのに予想に反して東京で無名である石丸氏にも負けて三位になった。信じられないことである。なぜ、蓮舫氏は大敗したのか。専門家たちはあれこれと原因を述べている。


 蓮舫氏の大敗の原因は左翼宣言したことにある。蓮舫氏は共産党、社民党と連帯することを宣言し、選挙運動でも共産、社民と連帯した。左翼が一体となって運動をしたのが都知事選であった。だから大敗したのである。大敗の前兆は2021年の衆議院選に現わていた。
 共産党が閣外協力するということで選挙選で連帯した。連帯して議席を伸ばすはずであったのに現実は違った。108議席から12議席も減らし96議席になった。共産党と組めば議席を減らすことが2021年の衆議院選で明らかになったのに、蓮舫氏は共産と2021年よりも強く連帯したのである。左翼色が強くなったから蓮舫氏の支持は下がったのである。蓮舫氏に比べてぐうんと支持率を伸ばしたのが石丸氏である。石丸氏と同じように議席をぐうんと伸ばしたのが維新の会である。
 2021年の衆議院選で立憲は12議席減らしたが維新の会は11議席から30議席増やして4倍の41議席になった。維新の会が保守政党であったから4倍も議席を増やしたのである。維新と石森氏は保守だから多くの支持を確保したのである。反対に立憲と蓮舫氏は左翼だから多くの支持を失ったのである。


立憲は保守と左翼が合流している政党であり、今は左翼が主導権を握っている。左翼が主導権を握っている限り2021年の衆議院選と都知事選が示しているように立憲の支持率は下がっていくだけである。


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東京都知事選は都民が左翼にNOを突き付けた選挙である

都知事選は都民が左翼にNOを突き付けた選挙である


東京都知事選は8日朝、3選を決めた現職の小池百合子氏(71)は291万8015票を獲得。前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏(41)は165万8363票で次点に入った。元参院議員の蓮舫氏(56)は128万3262票で、3位に沈んだ。
2位を確実視されていた蓮舫氏が東京都では無名であった広島の石丸氏に負けた。蓮舫氏は東京都が地元であるし、何度も選挙に出ている。東京では有名である蓮舫氏が無名の石丸氏に負けたのである。
蓮舫氏が負けた原因ははっきりしている。共産党、社民党と合流したからである。共産、社民は左翼である。蓮舫氏は左翼宣言をしたのである。蓮舫氏の左翼宣言に都民は背を向け、石丸氏の票を多くしたのである。
立憲、共産、社民の左翼連合は国民の支持を減らし続けていく。確実に。

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米兵米兵はまるで戦前の「鬼畜米英」のようである

米兵米兵はまるで戦前の「鬼畜米英」のようである


私は米兵をほとんど毎日見ている。米兵と書いているから軍服をつけているイメージになるだろうが、軍服をつけている米兵を見たことはほとんどない。米兵の中でも戦闘員は一部である。以前、隣に米兵の家族が住んでいた。妻は沖縄の女性だった。米兵は戦闘員ではなく整備士であった。いわゆる普通の人だった。戦闘員であっても仕事が終わって、家に帰れば私服を着る。だから、軍服をつけた米兵を見たことはない。私服の米兵は毎日見る。
近くにマックスバリュウーがある。マックスで買い物する時に必ず米兵を見る。夫婦やなどの家族の米兵が多い。近くにマンションがあり、マンションに住んでいる米兵の家族がマックスに買い物に来るからだ。マンションだけでなく普通の家に住んでいる米兵もいる。


昨日比謝川の河口を歩いていると、港でカヤックの漕ぎ方を教えているスクールがあった。生徒は全員女性であった。教師は英語を話していた。十数名の生徒は全員アメリカ女性であった。彼女たちは米兵であるか米兵の娘たちであるだろう。にぎやかに楽しく授業を受けていた。
私はずっと米兵の姿を直接見てきた。私が感じていることは彼らが普通の人たちであることだ。


米兵が16歳の少女を性暴行したとして少女暴行事件を弾劾する大会が行われている。テレビニュースで大会の演説を聞きながら脳裏に浮かんだのは戦前の「鬼畜米英」だった。
「米人も英人も鬼畜である。鬼畜を退治するために日本は米英と戦争をする」と日本国民を戦争に駆り立てた。少女暴行弾劾大会は県民を米兵排除に借り立てるのが目的であるのが見え見えである。


大会に集まった市民は「米兵の女性暴行を許さない」「県民は怒っている」と気勢を上げて少女暴行事件を弾劾する。大会に集まった市民は米兵は沖縄の少女を暴行する鬼畜であると県民に信じさせようとしているのだ。
「女の子がどれだけ怖い思いをしたかと想像すると、やりきれない」「復帰前から米軍の性暴力は続き、今回もこれだ」『もううんざり』と叫びたくなる」と「繰り返される性暴力に」怒りをあらわにしたという。
玉城デニー知事は、「県民の安全安心な暮らしを守るため、全庁を挙げて取り組む」と述べている。
まるで少女暴行は米兵全員が加害者であるようである。しかし、少女を暴行したのは米兵の中の一人である。他のすべての米兵は加害者ではない。米兵一人だけが加害者である。他の米兵は加害者の米兵を非難しているに違いない。


私が見てきた米兵全員が少女暴行をした米兵を非難するはずである。沖縄に住んでいる米兵の中で少女暴行をする米兵はほとんどいない。ほとんどは普通の人間である。
ところが少女暴行を非難する大会に集まった人々は沖縄のすべての米兵は少女暴行をした米兵と同じであるように主張する。米兵は少女暴行する。だから、米兵は沖縄から排除するべきだというのが彼らの主張である。
アメリカ軍兵士による女性への性暴力事件に抗議した集会の横断幕である。
米兵の少女暴行事件弾劾!の下に辺野古・大浦湾埋め立て阻止!とある。その下には日米安保粉砕と書いてある。

 集会は日米安保に反対である反米主義の大会であるのだ。だから、少女暴行をした米兵だけでなく米兵全員を沖縄から排除するのを目的としている大会である。この大会を主導したのは共産党だろう。


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都知事選でも左翼衰退、保守拡大が実証されるか

都知事選でも左翼衰退、保守拡大が実証されるか


 都知事選は二日後の7月7日だ。共産党と立憲の蓮舫氏はがっちりとスクラムを組んでいる。スクラムを組んだとしても蓮舫候補が小池候補に勝てないことをマスコミは繰り返し報道している。   
都知事選は全国的な選挙ではない。地方選挙である。たから、都知事選に興味はなかった。ところが終盤にきて興味あることがマスコミで報道されるようになった。
現職の小池百合子知事(71)がトップであり、二位が蓮舫前参院議員(56)である。それが決まりきった選挙である。二人の一位二位は安定しているのが常識であった。だから興味はなかった。ところが蓮舫前参院議員の後を追う石丸丸伸二氏(41)が2位浮上の可能性があるというのである。石丸氏は広島県の安芸高田市長であり、東京では無名の候補者である。無名の石丸氏が蓮舫氏を追い上げる勢いだというのである。無名の石丸氏が東京で有名な蓮舫氏を追い上げるほどに支持を広げることは予想できない。しかも、石丸氏は保守系である。保守系の石丸氏が左翼の蓮舫氏の票を奪うのはあり得ないことである。石丸氏が保守の小池知事の票を奪うのは予想できるが左翼の蓮舫氏の票を奪うのは考えられない。
石丸氏が蓮舫氏を追い上げているという報道では小池氏の票を石丸氏が奪っているとは書いていない。石丸氏は小池票を奪っているかもしれないがそれ以上に蓮舫氏の票を奪っている可能性が高いのだ。保守の石丸候補が左翼の蓮舫候補の票を奪う・・・ということが起こっている。
都知事選の結果で石丸氏の票が蓮舫氏に肉薄したなら保守の拡大、左翼の衰退が東京でも起こっていることが表面化する。


立憲、共産、社民が結束した東京都知事選で石蓮舫氏の票が予想以上に少なく、石丸氏が蓮舫氏に肉薄すれば左翼衰退の流れが確実であることが判明する。都知事選で注目するのはこの一点である。選挙結果が楽しみだ。

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米兵の少女性暴力を反米軍基地政治運動に利用するだけの沖縄

米兵の少女性暴力を反米軍基地政治運動に利用するだけの沖縄


 米兵の少女暴行事件を県警は被害者のプライバシー保護などを理由に公表しなかった。、県への報告もしなかった。県警が公表を控えたのは少女の二次被害を防ぐのが目的である。公表をすれば県民が知ることになり、少女の素性も知られるようになる。米兵に性的暴行をされた少女として世に知られる。世間の噂になり、道場と非難がくりかえされる。それが二次被害である。二次被害のほうが少女にとつては苦痛であるだろう。県警は二次被害を防ぐ目的で県に公表しなかった。しかし、玉城デニー 知事は、
「県に事前に情報がなかったことは非常に問題だと考えている。強く抗議・要請を行いたい」と述べて、政府、警察を批判している。しかし、デニー知事の批判があっても県警はこれからも公表しないいことを断言した。警察の方針に賛成である。以前は性被害はすぐに公表していたし、報道も自由に取材していた。だから、性被害の女性が誰であるかも世間に知れ渡った。そのために、性被害女性の二次被害はひどかったはずである。しかし、二次被害の実態はほとんど報道されることはなかった。マスコミは派手な反米軍基地運動を報道するだけで、被害女性の二次被害を真剣に考えて報道することはなかった。だからマスコミは二次被害の片棒を担いでいたといってもいいだろう。今でもマスコミは二次被害については無視している。二次被害のことを報道するマスコミはない。


1995年9月4日にに米兵3人が女子小学生を拉致し集団強姦した事件があった。沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた女子小学生(12)を拉致した。小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた、その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦された。同年10月21日には、宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、大田昌秀沖縄県知事をはじめとする約8万5千人(主催者発表)もの県民が参加した。性被害が原因で8万人以上の県民大会は歴史上初めてであった。

私が気になったのは被害少女と家族のことだった。あれだけ派手に報道されれば少女も家族も周囲の人に知られる。学校でも知られただろう。県民大会まで開かれた。超有名になっただろう。これではまともな生活をすることができないだろうと思った。同じ場所に住み続けるのもむつかしいと思った。


性暴力の被害者が自殺しようとしたこと。沖縄に住むことやめて本土移転したことなどを聞いたことがあった。だから、性被害を受けた少女の家族は移転するだろうと思った。思ったが、そんなことに関心のあるマスコミはなく、少女の家族のことが報道されることはなかった。少女の家族が性被害で苦しみ悩んでいるという報道は一切なかった。性被害を非難することよりも米軍基地撤去の主張が高まっていった。


米兵による少女暴行事件は太田県知事も参加した8万5千人(主催者発表)もの県民が参加した大会になり、沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還要求、基地の整理縮小や地位協定の見直しを要求する運動が広がっていった。この運動を押さえる方法として日本政府が考え出したのが普天間基地移設であった。普天間飛行場の移設案が提案されると一気に少女性被害を根拠にした米軍基地反対運動の高まりは収まり、普天間飛行場に移設問題に集中していった。移設先は国外、県外、県内など候補が上がった。最終的に辺野古への移設が決まった。
普天間飛行場を辺野古移設にきまったのは1995年の米兵の少女性暴力が原因であった。


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自民党が与党であり続けている原因を解いていく2 60年安保からわかる国民の選択

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自民党が与党であり続けている原因を解いていく2 60年安保からわかる国民の選択


1945年に太平洋戦争は終わった。米軍の爆撃で東京などの都市は焼け野原にされた。広島と長崎には原爆が投下され、日本は破壊しつくされた。<center>
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a9/acba59dc204b238d3989797439773b9c.jpg" width=350>
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 終戦直後の東京では毎日餓死者が出ていた。1945年末に渋沢敬三大蔵大臣が「来年は1000万人の国民が餓死するかもしれない」と発表した。上野駅地下道には毎日餓死者があふれ、大阪だけでも1カ月に70人の餓死者が出た。敗戦の荒廃の中で人々は日々一刻、すさまじい飢えと格闘していた。だから、国民は絶望していたと予想するだろう。しかし、戦争が終わったということはこれからは原爆が投下されることはないし、B29重爆撃機で爆撃されることもなくなるのだ。戦争で海外に出兵している男たちは銃を捨て日本に帰ってくる。親兄弟が戦死することはない。
 国土は破壊し尽くされ住む家は破壊され食料は少なく飢えの心配はあるが、戦争は終わった。これ以上破壊されることも殺されることもない。国民はそのことを実感したはずである。国民には破壊と貧困への絶望ではなく、平和になったことへの安堵が強かったと思う。<center>
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/f0/e6302a7f5b53e1fab075419c15b661d4.png" width=350></center>
 戦争に負けた日本国民は絶望の淵にいたのではないかと想像するが、笠置シズ子とパンパンたちの笑っている写真をみるとそうではなかったということが分かる。
 軍部が政権を握っていた戦時中は男たちは戦場に駆り出され、女や子供たちは「贅沢しません。勝つまでは」と質素な生活を強制されて生きていた。強制された貧困生活から解放されたのが敗戦である。多くの国民は敗戦という敗北感よりも戦争することを国に強制された生活から解放されて自由になった安堵が強かっただろう。

日本はアメリカと戦争をして、アメリカは日本に原子爆弾を投下し、B25爆撃機で日本を破壊したのだから米国を嫌うのが当然である。ところがアメリカ流の歌を歌う笠置シズ子を米兵相手のパンシパンたちが熱狂的なファンになった。


1950年アメリカ公演に行く前に歓送特別公演が日劇で行われた時、夜の女たちの姐御“ラク町のお米”は仲間たちに大号令をかけ、日劇の1階の半分、約800席を買い占め、「ラクチョウ夜咲く花一同より」と書かれた、ひときわ大きく高価な花束をステージの笠置に贈った。笠置は感激し、彼女たち一人ひとりに「おおきに、おおきに」と応え、握手して回った。
奇妙なことである。しかし、現実である。この現実を理解することが大切である。


1946年に戦後初の衆議院選挙が行われた。20歳以上の男女が投票できる日本はじめての普通選挙である。


日本自由党141
日本進歩党94
日本社会党93
日本協同党14
日本共産党5
その他 119
首相 吉田茂


 日本自由党は現在の自由民主党と同じ系統の政党である。日本進歩党も保守政党である。第一回総選挙では保守政党が過半数を獲得した。吉田茂が首相になった。


1947年の選挙では社会党が第一党となった。


日本社会党143
日本自由党131
民主党124
国民協同党31
日本農民党5
その他32
首相 片山哲


社会党が第一党になり、社会党の党首である片山哲氏が首相になった。日本自由党は131で社会党に12議席少なかった。二つの政党は接近している。国民は二つの政党を平等に見ていたということだ。これからは自由党と社会党が交互に与党になって政権を争うことを予想させたのが47年の選挙である。ところが、そうはならなかった。


1949年の選挙である。
民主自由党264
民主党69
日本社会党48
日本共産党35
国民協同党14
その他36
首相 吉田茂


 民主自由党は134議席増えて264になった。一方社会党は105議席も減って48議席になった。国民は社会党の政治にNOの判定を下したのである。
 1949年以降は民主自由党が与党であり続ける。国民が自由党を支持し続けたのは自由党が経済発展の政治を進めたからである。国民は経済発展に力点を置いた政治をする自由党を支持し続けたのである。
1958年の選挙から自由民主党と社会党の二大政党になるが、自由民主党が与党であり続けた。
国民は経済発展を重視し、自民党を支持し続けたことを明らかにしたのが60年安保である。


1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)にかけて日米新安全保障条約(安保改定)締結に反対する国会議員、労働者や学生、市民が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動の安保闘争が起こった。日米安保改正に反対したのが社会党と共産党であった。
反安保闘争は、大規模なデモやストライキに発展していった。最盛期には500万人以上の一般労働者が勤務時間の一部を使って集会や抗議活動を行っていたという記録がある。<center>
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/42/188f2f227b8977b39ce6b60cf0865801.jpg" width=350>
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/58/60bd75996a176728e69a648624e2391e.jpg" width=350></center>


安保条約は国会で与党のみ賛成する強行採決で可決された。強行採決は大きな混乱になり、岸内閣は混乱の責任をとって内閣総辞職を余儀なくされた。


 写真で分かるように反安保運動は国会を取り巻くほどに大規模の運動であった。これほどまでに大規模化した反政府運動は戦後初めてである。反安保運動以上の反政府運動はない。反安保運動はアイゼンハワー米大統領の日本訪問を中止させたほどである。
 
 1960年6月10日には、アイゼンハワー大統領の来日日程を協議しに羽田に来たジェームズ・ハガチー米報道官が、空港に押し寄せたデモ隊に包囲され、命からがら脱出するという「ハガチー事件」が起きた。
6月15日には、全学連運動家で東大生の樺美智子さんが、国会議事堂前でのデモで衆議院の南通用門から国会内に突入した際、機動隊ともみ合って圧死するという事件が起きた。「警察が一般人女性に暴力を振るい殺した」――この事件はマスコミ各社に大々的に取り上げられた。
樺美智子の死去は、内外に深刻な波紋を呼んだ。政府は、16日の閣議で「アイク訪日、中止」の要請を決めた。マニラまできていたアイゼンハワー大統領は、訪日をあきらめ台湾、韓国に向かったのである。


 反安保運動は米大統領の訪日を阻止し、内閣を総辞職させたのである。それほどまでに反安保運動の規模は大きかった。朝日、毎日、読売など大手新聞7社も「理由のいかんを問わず、暴力を排し、議会主義を守れ」と自民党政府を批判する共同宣言を掲載した。
岸内閣は窮地に立たされた。ここまで事態が悪化したら、誰かが責任を取るしかない。結局岸は、この条約が自然承認された四日後、首相を辞任した。


反安保運動が盛り上がっている最中に国会は解散し、11月20日に衆議院選挙が行われた。自民党が圧倒的に不利であると思われた衆議院選挙である。
選挙では自民党の支持は下がり、安保反対の社会党、共産党の支持が高くなっただろうと予想するのが当然である。衆議院選挙では社会党が圧勝するに違いないと予想する。ところが現実は違った。社会党は圧勝どころか議席を減らしたのだ。当然与党にならなかった。選挙では自民党が勝利 し与党になったのである。


1958年
自由民主党287
日本社会党166


1960年
自由民主党296
日本社会党145
民主社会党17


自民党の議席は287議席から296議席と増えた。社会党は166議席から145議席、新しく設立した民社党が17議席になり、左翼の両党合わせて4議席減の162議席になったのだ。国民の選挙で減るはずの自民党の議席は増え、増えるはずの社会党の議席は減ったのである。それが国民の気持ちである。


内閣を総辞職に追い込み、米大統領の訪日を阻止した反安保運動を国民は支持しなかったということである。それを明らかにしたのが衆議院選挙であった。
自民党287議席 左翼政党165議席であり、比率は1.7対1であった。55年体制と変わらない選挙結果であった。反安保運動は自民党体制をひっくり返すほどの激しく大きい運動に見えたのに、国民の側から見るとなにも変わらないごく一部の反対運動でしかなかったのだ。社会党への国民の支持が増えるはずの60年安保であったか国民の支持は逆に減った。 


500万人以上の一般労働者が参加した反安保運動であった。日米安保を進めた自民党への反発は高く、自民党支持は減るはずなのに逆であったのだ。国民は社会党、共産党を支持しなかったのである。


戦後は資本主義の米国と社会主義のソ連が対立していた。自民党は米国寄りであり日米安保を締結した。一方、学生や労働団体などはソ連寄りであった。だから、大規模な日米安保反対運動が起こったのである。大学教授はマルクス・レーニン主義者が多く、社会主義を支持する学者、知識人は多い。日本学術会議を支配しているのが反米主義の社会主義学者である。


日米安保反対運動が政府を追い詰めるほどに盛り上がったのに衆議院選挙では自民党が圧勝した。ということは国民は日米安保に賛成し、米国に親しみを感じ、ソ連には反発していたということである。国民が嫌った社会主義ソ連は1991年に崩壊した。米国は経済がますます発展し、自由な国になっていた。米国に親しくし、ソ連を嫌った日本国民の選択は正しかったのだ。
旧社会党に近い議員が立憲民主の左派である。立憲内の左派は減り続けている。共産党も同じである。立憲と共産党は連合を組んで東京都議選に立候補した蓮舫氏を応援している。


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物言わぬ辺野古埋め立て地がデニー知事与党を敗北させた


物言わぬ辺野古埋め立て地がデニー知事与党を敗北させた

辺野古の埋め立て地であるの写真である。写真はなにも言わない。その姿を見せているだけである。だが、物言わぬ写真が県議会.選でデニー知事の与党を大敗北させたのであ,る。.
埋め立てが始まる前には、埋め立てすれば海が汚染され、サンゴは死に、魚やジュゴンは棲めなくなると埋め立て反対派は主張し、多くの県民は信じた。汚染されると信じた翁長雄志氏は自民党を離党し、共産党と連帯して辺野古移設反対を主張して知事選に立候補し当選した。辺野古埋め立ては海を汚染すると県民は信じたから翁長氏は当選したのである。しかし、海が汚染されるというのは辺野古移設反対派のでっちあげであった。しかし、でっち上げであることを指摘したマスメディアなかったし自民党も指摘することはなかった。
2016年8月出版の「内なる民主主義8」に埋め立てで汚染されることがないことを掲載した。
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○辺野古崎沿岸の埋め立て方法</font><center>

最初に海底に土台をつくった後、コンクリート製の箱船を埋め立て地の周りに隙間無く並べます。この箱船の名前はケーソンと言います。ケーソンの底の栓を抜くと水が入って沈みます。傾かずに沈むように海底の状態を修正します。沈んだケーソンに岩石や解体ビルの破片などを入れて重くします。土砂も同時に入れます。ケーソンの上に上部コンクリート壁を築きます。消波ブロック(テトラポット)は魚巣にもなります。
全部沈むと埋め立て地の外壁がで
きあがります。海水は最初は吸い上げません。ですから外海の水圧の影響は受けません。囲いの中に土砂を流し込みます。それに応じて海水を吸い上げ放出します。中に土砂を流し込んで埋め立て地の出来上がり。
             「内なる民主主義8」
 あれから8年の間、辺野古埋め立ては海を汚染しないことを指摘したマスメディアの記事を一度も見たことがない。
 日本には公有水面埋立法があり、埋め立てても汚染はしない。沖縄の沿岸で多く埋め立てをしているが海は汚染されていない。この事実をマスメディアは報道するべきである。しかし、マスメディアは報道しなかった。学者たちも誰一人として辺野古埋め立ては海を汚染しないことを発言しなかった。


 埋め立ての写真は掲載された。写真を見れば海が汚染されていないことが分かる。写真は無言で「埋め立てで海は汚染されない」と明らかにしている。県民は写真を見て辺野古埋め立てが海を汚染しないことを知っていった。「埋め立てで辺野古の海が汚染されるは嘘だ」と県民は思うようになったのだ。
 今回の県議選は埋立地の写真を見て辺野古埋め立ては海を汚染しないことを知った県民の判断である。物言わぬ埋立地の写真がデニー知事与党を敗北させたのである。


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