厳しい条件を政府がクリアしたから島袋名護市長は辺野古移設に合意した それが真実だ

厳しい条件を政府がクリアしたから島袋名護市長は辺野古移設に合意した それが真実だ

名護市長選に立候補した岸本洋平氏は故岸本建男元市長の長男である。建夫氏は自民党系であったが洋平氏は左翼系の側から立候補した。洋平氏は「父が付けた移設の条件をなかったかのように辺野古の工事を強行」と国を批判した。マスコミや左翼の世界では建男元市長は移設に反対たったから厳しい条件をつけたのだといい、建男元市長を反対派にしている。それは違う。建男元市長は海上案には賛成していた。決して辺野古移設に反対したのではなかった。
小泉元首相は県外移設をしようとしたが普天間飛行場を受け入れる自治体はひとつもなかった。グアムなどへの国外移設も考えたが、普天間飛行場は海兵隊の飛行場であり、海兵隊はアジアでテロや戦争が起こった時に真っ先に駆けつけなければならない。グアムなどでは海兵隊の臨機応変の行動がとれない。数年前にフィリピンの反政府部族のテロが起こった時に海兵隊は普天間飛行場からオスプレイに乗りフィリピンに駆け付け、フィリピン軍の後方支援をした。
県外移設も国外移設はもできない現実があった。政府がいきついたのが辺野古移設だった。政府の事情を知っていた建夫元市長だったから辺野古の海上移設に賛成したのである。海上移設を断念したのは政府である。
政府はやぐらを建てて測量を始めた。ところが移設反対派が舟でやぐらを囲み、やぐらに上って測量士を羽交い絞めにして、測量を阻止した。






海上保安官が反対派の行動を押さえこもうとしたが、海では四方八方からやぐらを襲うことができる。完全に抑え込んで測量を継続するのは困難であった。反対派の強力な阻止運動に政府は測量をあきらめた。海上への移設を政府は諦めたのである。海上移設をあきらめた政府が次に候補に挙げた移設先が現在の辺野古沿岸であった。
政府が名護市に辺野古沿岸移設の案を出した時に市長だったのが岸本建夫氏であった。岸本氏は1999年に移設に7条件を提示した。政府は条件受け入れを表明したが、7年後の2006年5月に日米合意に基づいて辺野古移設などを改めて閣議決定した時に使用期限の協議などの項目を削除した。1999年の閣議決定は廃止し、岸本氏が掲げた容認条件は無効化された。岸本候補は、父が付けた移設の条件が「なかったかのように辺野古の工事を強行」と国を批判したが、岸本氏の7つの提案は2006年に無効化されていた。なかったかのようにではなくすでになかったのだ。岸本候補は事実を正確に理解していない。
2006年5月。政府は普天間飛行場代替施設について日米で合意した2本の滑走路をシュワブ沿岸に建設する案を基本に「早急に代替施設の建設計画を策定する」と閣議決定した。閣議決定前の同年2月、退任を直前に控えた岸本氏はシュワブ沿岸への代替施設建設計画に「滑走路延長線上に民間住宅があり、住民生活への影響を考えても論外だ」と批判した。それから1カ月余りたった同年3月27日、岸本氏は肝細胞がんで死去した。
岸本候補は、父の岸本元市長が厳しい7つの条件を出した理由は移設に反対していたからと述べ、岸本元市長は移設反対派であったと説明しているがそれは違う。移設には賛成であったが2本の滑走路のをつくるシュワブ沿岸の飛行場建設に反対した。岸本元市長は「滑走路延長線上に民間の住宅があり、住民生活への影響を考えても論外だ」と述べている。
岸本氏の後継として市長に就任したのが島袋吉和氏である。島袋氏は岸本氏の意思を引き継いだ。政府が閣議決定した二本滑走路の飛行場建設案を受け入れなかった。
 島袋氏は東京に呼ばれて政府案を容認するように説得された。当時の防衛庁長官は額賀福志郎であった。地方の市長が政府の大物に説得されたのだ。圧力はすごかったはずである。島袋氏は圧力に屈しないで政府案を拒み続けた。これ以上は話は進展しないと思った島袋氏は立ち上がって帰ろうとした。額賀防衛庁長官は島袋氏を引き留めて、少しの間待つように言った後に奥の部屋に行った。
 しばらくして額賀長官は専門家を連れてきた。専門家はV字型滑走路を提案し、V時滑走路にすると住宅の上を飛ばないことを説明した。

 政府は二本の滑走路案を認めさせようとしたが頑として首を縦に振らない島袋氏であった。どうしても辺野古移設をしなければならない政府はV字型滑走路を提案したのである。V字型は飛行場としての機能がかなり落ちる。しかし、辺野古沿岸以外移設する場所がない。追い詰められていた政府は島袋氏の容認を得るためにV字型滑走路にしたのである。島袋氏はV時滑走路にすることで辺野古移設に合意した。
 V字滑走路にすることで島袋市長が政府と移設合意したことは知っていた(「捻じ曲げられた辺野古の真実」にも書いてある)。チャンネル桜のキャスターをしていた私は島袋氏を招いて、いきさつを直接島袋氏に聞いた。

 日本は地方自治体の権限が強い。辺野古移設は名護市長の同意がない限り政府がどんなに望んでいても移設はできない。政府は同意させるために知恵を絞りに絞って常識外れのV字型滑走路をひねり出したのである。V字型滑走路にたどり着くまでかなり苦労したと思う。

 反対派がやぐらを襲って測量を阻止しなければ、すでに海上に辺野古飛行場が完成していただろう。飛行場が完成しないで普天間飛行場移設ができないのは移設反対派の妨害が原因である。普天間飛行場の危険を引き延ばしているのが辺野古移設反対派である。
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辺野古区民の招待でキャンプ・シュワブの米兵は運動会に参加 両者は親しい関係にある

辺野古区民の招待でキャンプ・シュワブの米兵は運動会に参加 両者は親しい関係にある




辺野古区では区民運動会を毎年開いている。辺野古区は10班に分かれているが11班としてキャンプ・シュワブの米兵が参加している。写真で米兵は十一班の旗を持ち並んでいる。写真は2018年の運動会の様子である。昔から辺野古区の運動会には米兵が参加している。辺野古区の運動会に米兵が参加することに違和感がある人は多いと思う。米兵の参加は米軍の強制ではない。政治は関係ない。辺野古区民の自由意思によって招待したから米兵は参加したのある。辺野古区民とキャンプ・シュワブの米兵は親しいということだ。親しいから運動会に招待するのだ。

キャンプ・シュワブは日本で唯一、地元自治体の辺野古区民に班として認められた米軍基地ある。地元でのさまざまなイベントにキャンプ・シュワブの隊員やその家族らも招待され、地元住民との調和や良い関係を構築している。2018年の運動会には100人以上の海兵隊員らが参加した。隊員らはさまざまな競技に出場し、区民と一緒に楽しい汗を流した。
2006年に普天間飛行場を辺野古に移設することが決まっても辺野古区民はシュワブの米兵を区運動会に招待していたのだ。
辺野古区民は埋め立てをしても海が汚染されることはないことを知っていたし、V字型滑走路にすることで辺野古の上空を軍用機が飛ぶことはないことを知っていた。だから辺野古移設を容認したのだ。辺野古区民は辺野古移設について正しく理解している。だから、移設容認であるし、区民運動会へのキャンプ・シュワブの米兵を参加させているのである。
米兵というと戦争で人を殺す訓練をうけているから平気で人を殺す冷酷な人間というイメージを持ってしまう。しかし、彼らは普通の人間である。嘉手納飛行場の近くで生まれ育った私は子供の頃から米兵を見てきた。中学生の時はモーニングスターという米人用の新聞を配達していた。米兵が普通の人間であることは肌で感じていた。  
クリスマス前には米兵の家族が学校に来てボランティアでお菓子をあげたり、カーボーイのショーなどをやった。中学の時は少年野球チームが私たちの学校に来て野球の試合をやったこともある。米人はフレンドリーであった。
キャンプ・シュワブの米兵がフレンドリーであり差別しないことを理解したから辺野古区民は運動会に招待したのだ。

辺野古の漁師が話したように辺野古区民が辺野古移設を容認していることをマスコミは隠している。辺野古区民とキャンプ・シュワブの米兵とは親しい関係にあることも隠している。隠して辺野古区民は辺野古移設に反対しているイメージつくっている。マスコミは辺野古移設反対に誘導している。しかし、嘘による誘導は時が経てば通用しなくなる。それが名護市長戦で明らかになった。
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辺野古区民は移設にずっと賛成 事実をマスコミはねじ曲げ続けた


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辺野古区民は移設にずっと賛成 事実をマスコミはねじ曲げ続けた
 
渡久地候補が辺野古で弁舌した時に30人ほどの辺野古区民が集まり拍手をしたという。ところが数時間後にやって来た岸本候補の時は数人のみであったことを琉球新報が報道した。新報のネット記事を読んで私は「やっぱり・・・」と頷いた。多数の辺野古民が辺野古移設を容認していることを私は知っていた。
辺野古問題で辺野古移設反対の象徴としてマスコミに登場するのが島袋文子さんである。彼女が辺野古区民であるから多くの辺野古区民は移設に反対していると思われがちだが、事実は違う。多くの区民は辺野古移設に賛成である。この事実を2015年に知った。
 私がチャンネル桜のキャスターをしている時、水島社長が本土の人たちを連れて辺野古に行った。左翼のテント村に抗議などをやった。港に数人の漁師が居たので私は彼らと話した。辺野古移設に賛成している団体の人間だということで漁師たちは私に積極的に話した。会話の内容を2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古の真実」に掲載した。 

漁師が辺野古区民の真実を話す
テント村の人達は辺野古区民としてはうるさくて迷惑している。あんなことはやってほしくない。
辺野古移設については漁師は全会一致で容認している。賛成ということではないです。賛成でもなければ反対でもない。容認です。ちゃんと漁業への補償などをやってくれることなど、私たちの要求を受け入れてくれるなら容認するということです。私たちが移設を容認していることがなぜか外には伝わっていません。
 テント村の人達に地元の人はほとんどいません。私が見る限り一人も居ないです。おじいちゃんとかおばあちゃんとかがたまに二、三人テントに居たりしますが、彼らはお金で雇われているようです。私はそのように聞いています。
 実はですね。私がメディアに辺野古の実情を一部始終話してもほとんどカットされます。県民には伝わらないです。
「辺野古の人を助けたい」と言って辺野古にやってくる人がかなり多いですが、ほとんどの人がメディアの間違った情報を信じているんです。それをどうにかしたいのですが、私たちの考えが外には伝わらないのでどうしようもありません。
普天間では人の頭の上を軍用機が飛んでいるというし、とても危ないですよ。だったら早めに辺野古に移設したほうがいい。私や辺野古の人はみんなそう思っています。とにかく、早めに移した方がいい。
テント村の人たちですが、高江に居たりしているし、この前は泡瀬に居たようです。なんでもかんでも反対している人間のように私には見えます。辺野古の人もみんなそう思っています。私たちに危害を加えることはないから、まあ、やりたいように勝手にやったらいいという感じです。一人になると彼らはなにもできない。団体だとワーワー騒いでうるさいですが、一人だと大人しくて全然話をしないです。
埋め立てる時に土砂は流出しないのだから魚がいなくなるというのはあり得ない。ただ、海流に変化が起こるのでそれが漁にどのような影響があるのかは分からない。それは気になります。しかし、テトラポッドが設置されるので海が今よりきれいになるのは確実です。それにテトラポッドは漁礁にもなるので魚が増える可能性もある。
メディアは私たち辺野古民の気持ちや意見をちゃんと正確に報道してほしい。賛成・反対は別として、反対なら反対の意見をいう人の反対する理由をちゃんと報道すればいいし、賛成の意見を言う人が居るなら賛成の理由をちゃんと報道してほしい。それが私の切なる願いです。
        「捻じ曲げられた辺野古の真実」
予想していた以上に漁師たちは辺野古移設について詳しく知っていた。2006年にV字型滑走路にする条件で政府と合意した島袋元市長は何度も辺野古区長と話し合ったと言っていた。辺野古区民は真剣に話し合ったことが漁師の話をききながらひしひしと感じた。辺野古区民の思いをマスコミは報道しない。理由はマスコミが望む辺野古移設反対ではなく辺野古移設容認だからだ。
反対派は勝手に違法なテントを張ってテント村をつくったり、区内にあちこちに承諾なしに車を駐車することでも辺野古区民に嫌われていることを知った。


辺野古のテント村である。テント村は辺野古飛行場建設工事が見える場所とは遠く離れた辺野古区の南側にある。辺野古区の老人たちが散歩をしたり夕涼みする場所だ。テントをここに立てた建てた理由は床がコンクリートであり、テントを建てるのが簡単だったからだ。区民生活のことなんか無視して建てたテントである。自分たちの都合しか考えない反対派を辺野古区民は嫌っている。この事実も7年前に辺野古の現場で知った。

老辺野古民は訴える


チャンネル桜の水島氏が船に乗るために移動していると、見知らぬ老人が近寄ってきて水島氏を呼び止めた。水島氏はテント村の連中と勘違いされないために「私たちは反対運動じゃないです」と言った。老人はそれを承知で水島氏を呼び止めたようである。老人は「なにも考える必要はない」と言い、手振りを交えながら、「普天間飛行場は危ないだろう。一日でも早くこっちに移した方がいい」と言った。そして、「物事は理性で判断するべきだ。あれたちはなんでもかんでも感情的だ」とテント村の連中を非難した。水島氏と話し合った老人はすっきりした顔になり、「ああ、話して

よかった」と言い、帰っていった。

昔から脈々と受け継がれている隣人を憐れみ思いやるウチナー魂を老人は見せてくれた。
         「捻じ曲げられた辺野古の真実
 本には書かなかったが老人は私が感動することを独り言のように言った。
「うなじうちなーんちゅやむぬ」
老人は「同じ沖縄人だから」と言ったのだ。普天間の人間も沖縄人。辺野古の人間も沖縄人。同じ沖縄人だから助け合うのは当たり前という意味である。これこそが本当の沖縄アイデンティティーである。
 
 多くのマスコミは辺野古移設は民意ではなく政府が強引に進めていると強調している。多数の辺野古区民が辺野古移設を容認していることを県民、国民が知れば辺野古移設反対の主張が展開しにくくなる。だから、マスコミは辺野古区民の本当の気持ちを報道しないのだ。マスコミは辺野古の真実を捻じ曲げている。
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翁長前知事の呪縛が溶解してきた 名護市長選で明らかに


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翁長前知事の呪縛が溶解してきた

翁長前知事の「アイデンティティーオール沖縄」の呪縛が溶解してきているのが明らかになったのが今年の名護市長選であった。

翁長前知事が「イデオロギーより沖縄アイデンティティー」をキャッチフレーズに結成したオール沖縄は県民の圧倒的な支持を得た。イデオロギーで対立するよりも沖縄アイデンティティーで保守も左翼も手を取り合って沖縄のために協力することは県民が望んでいることである。県民が望んでいることを巧みに利用して県民の心をわしづかみにしたのが翁長前知事だった。
県民が望んだ沖縄アイデンティティーであるが政治の世界に沖縄アイデンティティーは存在しない。政治の世界はイデオロギーの世界である。イデオロギーで政策をつくり上げていくのが政治の世界である。特に共産党、社民党の左翼はイデオロギーの塊である。アイデンティティーはない。

 私たちが勘違いしていけないのは、県知事選の時、翁長氏が辺野古移設反対だから圧勝したのではないことだ。圧勝したのは辺野古移設反対ではなく、自民党系の保守と左翼が共闘してアイデンティティーをキャッチフレーズにしてオール沖縄を結成したからだ。大勝した原因は保守と左翼の合流でオール沖縄を結成したことにある。辺野古移設反対が大勝した原因ではない。県知事選で辺野古移設反対を掲げて左翼だけの候補を立てていたなら、辺野古移設容認で自民党から立候補した翁長前知事に確実に落選していただろう。自民党対左翼の県知事選であったなら確実に自民党の立候補が勝っていた。
 翁長前知事が辺野古移設反対で左翼と共闘したから保守+左翼で勝ったのである。

浦添市長選では那覇軍港の浦添移設でデニー知事は賛成し、共産党などの左翼は反対してオール沖縄は分裂した。分裂した結果、左翼候補は大敗した。左翼単独では市長選に勝てなくなったし、県議会も選挙で自民党議員が増え、他の保守政党と共闘して自民党勢力が過半数を制するようになった。

 2014年の県知事選で翁長氏が辺野古移設容認で自民党から出馬していても翁長氏は大勝はしなくても確実に当選していた。あの時には自民党と左翼系の勢力の差は歴然としていた。すでに左翼のみで知事選に勝つことはできない状態であった。その政治状況は現在でも同じである。オール沖縄は左翼と保守が合流したから支持率が高かった。だからといって左翼支持が高くなったのではない。左翼支持は低いままである。保守がオール沖縄から離脱するにつれてオール沖縄の支持率は下がった。この現実を認識したうえで今度の名護市長選を分析するべきである。ところが多くのマスメディアは辺野古移設が選挙を左右する存在として扱っている。それはマスメディアの分析が間違っている。

 オール沖縄は翁長前知事がつくり上げたみせかけのアイデンティティー団体であった。
みせかけは所詮はみせかけである。時が経つにつれてみせかけの皮が剥がれていった。左翼イデオロギーと保守イデオロギーの対立が明らかになっていった。左翼イデオロギーを嫌った保守はオール沖縄から離脱していった。保守が離脱したオール沖縄は次第に選挙に弱くなっていた。名護市長選でオール沖縄の候補が敗北したのはオール沖縄から保守が離脱したからである。翁長前知事がオール沖縄を結成した時とは逆の事態になったから自民党系の渡久地候補が勝ったのである。

 今度の名護市長選で左翼がますます弱体化していることが判明した。米軍内感染爆発したオミクロン株が県内に感染拡大した。県内のコロナ感染は米軍由来であるとデニー知事は断言し、米軍のコロナ対策がずさんであると批判したマスメディアも米軍由来を盛んに報道した。
 米軍のせいでオミコロン感染が県内にまん延したことが影響して選挙は接戦になると予想していた。ところが5000票以上の大差で勝った。意外な大勝であった。コロナ米軍由来は選挙に影響したはずである。それが原因で渡久地候補の票はある程度減らし、岸本候補の票を増やしたはずである。それなのに大差で渡久地候補が勝った。もし、コロナ米軍由来がなければもっと差が開いていたということになる。左翼は衰退し続けていることが名護市長選で実証されたのである。
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名護市長選ではっきりしたのは左翼とマスメディアは議会制民主主義を認識してないことである

名護市長選ではっきりしたのは左翼とマスメディアは議会制民主主義を認識してないことである

 辺野古移設に対する名護市長の歴史である。


今日名護市長選の投票日である。もし、反対派の岸本氏が当選すれば辺野古移設工事は中止し、普天間飛行場の辺野古移設はできなくなるだろうか。その可能性は0である。名護市長に中止させる権利はないからだ。
もし名護市長に辺野古移設の決定権があるとすると、1998年から20010年は容認派の市長だから移設計画を進め、2010年から2018年は反対派の市長だから計画をストップさせなければならない。そして、2018年から容認派の市長になったから辺野古移設計画を再開する。しかし、2022年の市長選で反対派の岸本候補が市長になったら計画を再びストップする。これでは辺野古移設に関しては名護市長の独裁になってしまう。
これでは国の政策は滅茶苦茶になる。国策を安定して進行するには移設の権利を全て市長の権利にするわけにはいかない。しかし、国の政策を一方的に地方に押し付けるのも問題である。それは国の独裁支配になってしまう。
 国政をスムーズにし独裁を避けるために日本は地方自治体の首長との合意を前提にしている。これが議会制民主主義のルールである。
2006年の名護市長と政府による辺野古移設合意こそが議会制民主主義国家日本において重視するべきことである。政府と市長の対等な民主主義手続きによる合意で辺野古移設は決まったのだ。もし、移設を阻止するのなら政府に合意させなければならない。政府との合意以外に辺野古移設を中止する方法はない。辺野古に反対派を集結させて実力行使によって中止させる方法はある。暴力による移設阻止行為は議会制民主主義ルールを否定することであり、政府は絶対に阻止しなければならない。まあ、移設反対派は弱体化しているし、高齢者が多い。実力阻止できるほどの力は全然ない。
辺野古移設工事は名護市長選に関係なく政府は着々と進めていく。

私は名護市長選に興味はない。名護市民ではない私の生活を名護市長選が左右することはないからだ。
辺野古移設が争点の市長選であると本土と沖縄の左翼とマスメディアは騒ぎ立てている。アホらしい。辺野古移設は争点にならない。誰が勝とうと辺野古移設は着実に進んでいくだけだ。左翼とマスメディアは日本が議会制民主主義国家であるという認識が欠落している。だから、名護市長選が辺野古移設を左右すると思っている。いい加減、議会制民主主義を理解してほしい。しかし、理解する気がないようだ。理解していないふりをしているかも。
マスメディアは議会制民主主義のルールを認識しないほうが名護市長選を7度目の審判と呼び、選挙結果が辺野古移設計画の進捗(しんちょく)に影響を与えるなどと面白い記事をつくって売り上げアップを狙える。
左翼は議会制民主主義ルールを認めれば辺野古移設と名護市長選は辺野古移設に影響しないことを認めなくてはならない。米軍基地撤去を掲げて選挙をやってきた左翼としては選挙が不利になる。ルールを認めると左翼の存在意義を放棄しなければならない。それはできないだろう。
議会制民主主義ルールを認めない左翼の政治運動は議会制民主主義体制には通用しない。左翼は民主主義体制では弱体化していく運命である。辺野古移設がこのことを明らかにしている。2006年の合意によって進めていった辺野古移設は反対派の稲嶺市長が8年間在位していたが、阻止することはできなかった。むしろ、移設計画は進展した。民主主義ルールによる辺野古移設合意は左翼が打破することはできなかったしこれからもできない。
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名護市長に辺野古移設阻止権限はない 岸本候補の大嘘

名護市長に辺野古移設阻止権限はない 岸本候補の大嘘

辺野古移設を阻止する権限は名護市長にはない。だから、誰が名護市長になっても辺野古移設工事を阻止することはできない。辺野古移設反対の岸本候補は米軍新基地建設を強行する官邸・自公政権与党丸抱えの現職市長に打ち勝って、新基地建設阻止を目指すと述べている。現職市長に勝って市長になっても岸本氏が辺野古移設工事を阻止するのは法的に不可能である。法的に不可能なことを市長が実現することはできない。
岸本候補の父親は元市長の建男氏(故人)である。建夫氏なら阻止することができた。理由は辺野古移設がまだ決まっていなかったからだ。建夫氏は辺野古移設に厳しい条件付きで受け入れ表明していたという。厳しい条件を付けたのは辺野古移設阻止の目的があったからだと言われているが、建夫氏は政府と交渉している最中に病気が悪化し、市長を辞めた。建夫氏は辺野古移設が決まる前の市長であったから移設に反対であれば政府の要請を断り移設を阻止することができた。名護市長が賛成しない限り政府が強引に辺野古移設を強行することはできない。もし、政府が移設工事を強行すれば、移設阻止の訴訟をやり、裁判では名護市が勝利していた。政府が違法行為できないのが法治国家日本である。政府が辺野古移設工事を進めているのは名護市長が辺野古移設に合意したからである。合意したのは島袋市長である。2006年のことである。移設に反対していた島袋市長であったが、住宅地の上空を飛行しないためのV字型の滑走路を建設にするという政府の提案があり、V字型の滑走路を条件に合意した。名護市との合意があったから政府は辺野古移設に取り掛かったのである。
政府は沖縄の民意を無視して辺野古移設工事を進めていると言われるが、それは間違っている。名護市長との合意があったから辺野古移設工事を進めているのである。この事実を伏せることによって辺野古移設反対運動は進められてきた。
時事通信の「辺野古」7度目の審判 名護市長選、23日に投開票」で24年間のへの辺野古移設の変遷を掲載している。

辺野古移設が初めて問われたのは1998年⒉月の市長選だ。政府の海上ヘリポート建設案をめぐる97年12月の住民投票で反対派が過半数を占めたにもかかわらず、比嘉鉄也市長は建設受け入れを表明。直後に辞任したことから選挙戦に突入し、賛成派に推された岸本建男氏が反対派候補を破り初当選した。
岸本氏は2002年⒉月に再選。しかし、政府が建設予定場所を沖合から沿岸に変更したことで、任期満了間際に「沿岸なら反対」の姿勢を明確にした。3度目の「移設の是非」を問う06年1月の市長選は、岸本氏の後継で「条件付き容認」派の島袋吉和氏が勝利。これを受け、政府は周辺住宅地の上空を米軍機が飛行しないよう計画を修正した。
潮目が大きく変化したのは、移設先を「最低でも県外」と訴えた民主党政権が09年9月に発足してからだ。10年1月の市長選では、移設反対派が推す稲嶺進氏が勝利し、島袋氏を退けた。
だが、鳩山政権は移転先を他に見いだせず辺野古に回帰。民主党は下野し、政権復帰した自民党の安倍晋三首相が移設を推進すると稲嶺氏は苦しい立場に追い込まれた。14年1月に再選を果たしたが、 
6回目の審判となった18年⒉月の前回市長選では、移設への賛否を示さない渡具知武豊氏に敗れた。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が初めて争点化してから7度目の審判。
            「時事通信」
時事通信は辺野古移設に関連した名護市長選の変遷を正確に記している。しかし、時事通信の記事には肝心な一点が抜けている。2006年に島袋市長が政府とV字型滑走路にすることで辺野古移設に合意したことである。時事通信だけでなくほとんどのマスメディアが政府と名護市長の合意を報じない。今日の沖縄タイムスにも市長選の変遷を掲載しているが時事通信と同じで政府と島袋市長の合意については書いていない。合意したということは合意書を交わしたということであり、合意書は政府と名護市が保管している。私はこのことを島袋氏から直接聞いた。
鳩山政権は「最低でも県外」を公言したが、その時に辺野古移設合意は破棄しなかった。移設反対の稲嶺市長とは合意破棄ができたのに破棄しなかったのだ。恐らく県外移設が決まった後に名護市と合意破棄をするつもりだったのだろう。鳩山政権は県外移設に失敗した。鳩山政権が辺野古移設にもどることができたのは合意を破棄していなかったからだ。もし破棄していたら新たに辺野古移設を稲嶺市長と合意しなければならなかった。移設反対の稲嶺市長が合意するはずはない。辺野古移設は消滅していた。

法治国家日本だから2006年の政府と名護市長の辺野古移設合意は両者の破棄合意がない限り有効である。時事通信は県外移設ができなかったから辺野古に戻ったと政府のやりたいようにやっているようなイメージで書いている。
時事通信は名護市長選を辺野古移設の7度目の審判としているが、審判にすることはできない。判決はすでに下されている。渡久地候補、岸本候補のどちらが名護市長になっても辺野古移設に変化はない。移設工事は淡々と進んでいく。

岸本候補の辺野古移設反対、コロナ感染の米軍由来は票を集めることに効果はあるかもしれないが、辺野古移設阻止の政治効果は全然ない。

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コロナ感染爆発を米軍のせいにして名護市長選勝利を目指す左翼

コロナ感染爆発を米軍のせいにして名護市長選勝利を目指す左翼

 沖縄県はコロナ感染が激増した。1月15日にはコロナ感染を今までの最高である1829人に達した。感染率は1月はずっと全国一位である。
 県内で新型コロナウイルスの感染が拡大していることを受け、玉城デニー知事は、県内での新変異株「オミクロン株」の感染拡大は、米軍由来と指摘した。米軍の陽性者や濃厚接触者などの県への情報提供は不十分とし「県内にオミクロン株感染拡大が、米軍由来のものであるという意識が欠如しているといわざるをえない」と批判し、「米軍における感染症拡大防止対策と管理体制の不十分さを示すものと言わざるをえず、激しい怒りを覚える」と米軍のコロナ対策の不備を非難した。県内でコロナ感染が激増したの米軍が原因であると玉城デニー知事は決めつけたのである。

 1月23日投開票の名護市長選が始まった。立候補者は、自民、公明推薦の現職の渡具知武豊氏(60)と、共産、立民、社民、社大、にぬふぁぶし、れいわ推薦の前市議で新人の岸本洋平氏(49)である。
岸本立候補の出発式を告知するポスターには「米軍コロナから命とくらしを守る」と書いてある。米軍コロナが名護市民を襲って名護市民の命と暮らしを危険にしているというのである。


「米軍コロナから命とくらしを守る」と似たキャンペーンがあった。東京五輪開催に反対した共産党などの左翼が掲げたのが「国民の命を守るために五輪中止」キャンペーンであった。このキャンペーンを真似たのが岸本ようへい陣営の「米軍コロナから命と暮らしを守る」である。
 〝沖縄のコロナ感染爆発は米軍のせい〟を名護市民にアピールして名護市長選で辺野古移設反対派の岸本候補を当選させようとしているのだ。
 ポスターで使われた「米軍コロナ」という表現に対しては、米軍関係者への「ヘイト」を助長するとの批判が集まったので岸本候補側は「米軍コロナ」という表現を「米軍由来のコロナ」に訂正した。訂正しても米軍が沖縄にコロナをまき散らしたとの主張はおなじである。
 デニー知事、岸本候補など左翼系は米軍が沖縄にコロナ感染をまき散らしたというイメージを県民に浸透させている。反米軍の意識を高めて辺野古移設反対の岸本候補を当選させようとしているのだ。「米軍由来」に徹しているのは選挙で左翼系を有利にする狙いがあるからだ。しかし、その狙いをデニー県政が潰してしまうかもしれない事態になってきた。。
 米軍はPCR検査をしないし、マスク着用もしない米兵が多い。だから基地内で感染が蔓延した。米軍基地内のコロナ感染が蔓延が基地従業員に感染させ、米兵はマスクもしないで金武町の飲食店に出入りして飲食店の店員に感染させた。米軍のコロナ感染対策がずさんであったから米軍が沖縄に感染を広げたとデニー知事は米軍を非難し続けた。ところがコロナ感染爆発させた米軍を非難している間に、沖縄があっという間に感染爆発したのである。基地外に出た米兵と県民との接触はほとんどない。米兵が感染させるのは米兵相手の飲食店の店員である。感染爆発が起こるくらいに感染拡大させるのは米兵には無理である。ところが沖縄はあっというまに感染爆発が起こり全国で断トツの感染率になった。それも米軍のせいであるいうのには無理がある。
 米軍基地がある川口県も沖縄と同じように米軍がコロナ感染させたとデニー知事は指摘していた。ところが沖縄県が1820人感染した16日に山口県は⒉00人であった。山口の最高感染は19日の320人である。米軍由来の感染であっても沖縄県と山口県では雲泥の差がある。沖縄県と山口県を比べれば県内の感染拡大は米軍基地とは関係がないことは明白である。感染拡大は米軍ではなく沖縄のコロナ対策の問題である。ところが米軍基地のせいにして辺野古移設反対の岸本候補への投票を増やすのに利用するのが左翼系である。
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岸田政権の口だけコロナ対策は下である 11月28日77% 1月15日78、6% 

岸田政権の口だけコロナ対策は下である 11月28日77% 1月15日78、6% 

 1月14日のブログに「岸田政権になってワクチン接種ペース大幅ダウン0、1%接種に3日。1%接種に1カ月」を掲載した。過去のブログを整理していると11月28日のブログに⒉回目のコロナワクチン接種が77%であることが書かれていた。今日は1月15日である。1カ月17日後の接種率は1月15日78、6%である。1カ月半でわずか1、6%しか増えていない。呆れてしまう。ワクチン接種を軽視しているとしか思えない。菅前政権のペースなら1カ月に10%以上接種していたから、現在は90%に届いていただろう。
政治は「なにを言うか」ではなく「何をする」かが問われる世界である。国民の支持率が上がる発言をしても国民が支持しない政治をすれば支持率は落ちる。岸田政権のコロナ対策は政治として下である。
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岸田政権になってワクチン接種ペース大幅ダウン0、1%接種に3日。1%接種に1カ月

岸田政権になってワクチン接種ペース大幅ダウン0、1%接種に3日。1%接種に1カ月 
 
オミクロン株の出現によってコロナ感染者が急激に増えた。オミクロン株はワクチン接種2回した人にも感染することがわかり、岸田内閣は3度目の接種をやると宣言した。岸田政権はワクチン接種に積極的であるように見える。しかし、積極的に見えるのはみかけだけだ。口だけ総理である。
 菅前首相は一日100万回接種を宣言してワクチン接種を加速させていった。今年の1月にはほとんどの国民がワクチン接種を終える勢いであった。しかし、岸田政権になってワクチン接種のペースが大幅にダウンした。0、1%接種するのに3日かかるのである。1%ではなく0、1%接種に3日かかる。ということは1%接種するのに1ケ月もかかるのだ。13日の接種率は78、5%である。1月末に79%で、2月末にやっと80%になる。岸田政権のペースダウンはひどい。そして、そのことを批判する専門家もジャーナリストもいない。
 オミクロン株の爆発的な拡大で3度目のワクチン接種が問題になっているが、それよりも2度目のワクチン接種のペースダウンを回復させるのを優先させるべきである。
 オミクロン株はワクチン接種した人にも感染することが問題にされているがワクチン接種した人のほとんどが無症状か軽症である。感染を心配する必要はない。であるからこそ2度目のワクチン接種を急ぐべきである。
 規制緩和をすれば感染が拡大するのは当然である。オミクロン株は感染スピードがデルタ株より早い。しかし、同じ新型コロナだから感染は同じクラスター感染である。オミクロン株対策もクラスター潰しが一番有効な対策である。コロナ対策は菅善首相の時にすでに出来上がっている。まん延防止、緊急事態宣言で有効なコロナ対策である。
 沖縄、広島、山口にまん延防止を実施しているが感染が拡大していけばまん延防止実施も他の都府県に拡大していく。それでも拡大が止まらなければ緊急事態宣言を発令する。取り締まりを徹底すれば確実に感染は減少する。
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沖縄 沖縄 沖縄

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 「沖縄に内なる民主主義はあるか」を出版してから10年が過ぎた。沖縄は議会制民主主義であるのにそれを否定する左翼民主主義がびこっている現実がある。残念ながら左翼民主主義と真正面から対決できる「内なる」民主主義が沖縄にはないと思うのは私だけだろうか。

 沖縄は明治になって琉球王府体制は倒され、近代中央集権政治の明治政府に組み込まれた。戦後は米国に統治され、米国流の民主化が実施された。そして、1972年に祖国復帰してからは日本の議会制民主主義に組み込まれた。沖縄は人民の民主主義の闘いによって民主主義体制になったのではない。日本の民主主義体制に組み込まれて民主主義になったのだ。内側から民主主義を求めて民主主義を勝ち取ったのではなく米国、日本の外からの民主主義に変革させられたのが沖縄である。
 沖縄では共産党や社民、社大党の勢力は根強い。彼らは左翼民主主義を掲げて自民党の政策を否定する。左翼民主主義は議会制民主主義の自民党政権を否定するのである。今年の課題は議会制民主主義を根拠に左翼民主主義の欺瞞を論理的に破壊することである。
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