新聞は検閲をしている

「軍から手榴弾を渡されても、自爆するには自分の意思で手榴弾のピンを抜かなくてはならない。自分や家族の命を奪うのである。想像を絶する決意がなければ手榴弾のピンを抜くことができるものではない。
自決する時にピンを抜く決意をさせたのは天皇崇拝の思想であった。天皇崇拝は沖縄に元々ある思想ではない。明治以後の教育と啓蒙によって育んだ思想である。
戦前の沖縄の教員や公務員は徹底して天皇崇拝の教育や啓蒙活動をやった。沖縄の住民の心に天皇崇拝の思想を強制的に植え付けたのは教員と公務員である。
手榴弾を渡して自爆するように指示をしたのは日本軍である。そして、手榴弾のピンを抜く決意をさせたのは天皇崇拝の教育や啓蒙を徹底してやった沖縄の教員や公務員である。
この外と内の両方からの強制によって集団自決の悲劇は起こった。」

 上記の文章は沖縄の新聞に投稿したら掲載されなかった。

 集団自決について、一方的に日本軍の責任にするのは、「自殺」を軽視しているこどであることに沖縄の知識人は気づいていない。
 自殺は強制だけでは実行されない。最終的には自分で死を選択するのが自殺である。集団自決は沖縄の抱えている深く重い運命が内臓している。

 
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フィンランドは基礎教育を徹底している


 フィンランドは各学年で学習目標に達していない生徒には授業開始前や放課後に専門の教師が徹底して補習をしています。補習は目標が達成するまで続きます。補習対象の生徒は全体のおよそ二割だそうです。つまり二割の生徒は個別指導で、長時間教えているということてす。その補習があるから全体の授業が短くても学力は高いのです。
 フィンランドは小学一年から落ちこぼれは絶対に出さないという妥協のない厳しい姿勢で教育をやっているのです。

 基礎学力をつけるのに一番効果があるのは基礎学力テストでもなければプリントの宿題でもないと思います。彼らにはフィンランドのように時間をかけて念入りに基礎を教えることが一番効果があるのです。各学年の習得すべき基礎を明確にして、
 基礎力のない生徒には基礎専門の教師が小学一年から時間をかけて教えるシステムを作るのが、三十人学級よりも、沖縄の教育には必要だと思う。
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犬山市教育への疑問


 フィンランドの教育が世界的に有名になったのは三十人学級をやっているからではなく学力テストで世界のトップになったからです。フィンランドの質の高い学力は質の高い労働力となり、それが原動力となってフィンランドの経済は発展し、個人所得も高くなりました。
 犬山市の「学ぶ喜び教える喜びの教育」や「犬山市の子供は犬山市が育てる」という教育方針は教育の世界を矮小化しているのではないだろうか。「世界のどこでもたくましく生きる子供を育てる」のが教育の理念だと私は思う。犬山市の教育はフィンランドの「落ちこぼれを出さない。」「質の高い学力を身につけさせる」という教育方針とは違います。 
三十人学級は表面的な問題です。生徒の能力に応じた教育をどのように実線していくかが教育の大きな課題です。その意味ではフィンランドの教育に近いのは犬山市の教育ではなく、和田中学校の教育だと思う。
犬山市教育長は「生涯に渡り、自ら学び続ける人間を育てることが大切」と説くがそれは社会で生存するための「学ぶ」ではなく教養としての「学ぶ」であり、つきつめていけばそれは生きるためには役に立たない「遊び」の教養であり、生活に余裕がある層の「学び」である。
 それよりも小学から高校までは社会に出て自分の希望する仕事をやれるような学力を身につけさせる教育を基本とする方が大切だと私は思う。

 生徒の教え合いとか学び合いはある程度の効果はあるかも知れない。しかし、子供は教育者としては素人であるのだから生徒同士の学び合いや教え合いでは質の高い教育は無理だと思う。高校、大学、社会と子供は確実に市場原理の世界で生きていかなければならない。社会でたくましく生きる人間を育てるのが教育の基本ではないだろうか。「犬山の子は犬山で育てる」教育方針は閉鎖的な自画自賛教育を感じる。フィンランドの教育と犬山市の教育は少人数教育ではあるがその内容は全然違うのではないだろうか。
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