次から次へと橋下改革・・・まるで機関銃だ

へスタート切れた」橋下市長は成果強調


 水道事業の統合や各種施設の廃止、市営地下鉄の値下げ……。
 大阪市の戦略会議で次々と方針を打ち出した橋下徹市長は24日、会議終了後の記者会見で、「統治機構の変革に向けたスタートが切れた」と成果を強調した。
 区役所と市の部局との関係について、「区役所はこれまで出先機関のようなものだったが、区長が決定権者で、市の部局が補助機関になる。こういう統治機構に変えられるかどうかだ」と述べた。仕分け中も、橋下市長は区長の権限強化を何度も強調していた。
 方向性を明確にして改革断行の姿勢を示す一方、なかなか進まない国の地方分権の現状については、「全国の知事が霞が関の次官に指揮命令できるようになれば、地方分権もあっという間に進む」と、国の省庁と自治体の関係を逆転する仕組み作りを提言した。
 会議は橋下市長の方針に対する各部局の反論を聞く機会でもあった。25日を議論が長引いた場合の予備日にしていたが反論はなく、2日間で終了。「知事経験があるので、むちゃな課題をぶつけたわけではない。感情的に思うところはあるだろうが、仕方ないと思ったのでは」と述べた。

(2011年12月24日22時03分 読売新聞)

生活保護、国に負担軽減要求へ…大阪市戦略会議


 大阪市の市政改革について検討する市戦略会議の2日目が24日午前、市役所で始まり、橋下徹市長が市幹部に新たな指示を次々に出した。
 生活保護施策について、国に権限移譲や地方の負担軽減を求めることを決めたほか、市が筆頭株主となっている関西電力への株主提案を、同様に株主である神戸、京都両市と連携して行う方針も確認した。
 橋下市長は、受給者が全国市町村で最多の生活保護について、健康福祉局幹部と検討。就労に関する権限強化などが認められない場合、国から委託されている受給者の認定業務を拒否するよう、全国市長会などに働きかける考えを示した。
 環境局との協議では、原発依存度を下げることや発電部門と送電部門を切り離す「発送電分離」を求める株主提案を、神戸、京都両市に呼びかけるほか、東京電力株を持つ東京都にも共同歩調を取るよう求めることを決めた。現業職の給与は、来年4月をめどに民間並みに削減する。

(2011年12月24日18時44分 読売新聞)

<大阪・橋下市長>一元化まず「観光・文化」 担当局移転へ


 大阪市の橋下徹市長は24日、市の観光・文化行政を担う「ゆとりとみどり振興局」を大阪府咲洲(さきしま)庁舎(旧WTC、同市住之江区)に移転させる考えを明らかにした。府咲洲庁舎は、大阪府と市の合同部署「府市統合本部」が27日に設置される統合の象徴的存在。府の観光行政を担当する「都市魅力創造局」も入居しており、橋下市長は「大阪都構想」実現に向け、まず観光・文化行政の一元化を図る。

 「いろんな都市を見ても、(観光・文化は)力を入れているところ。(府市が)一緒になれば議論もできる」

 24日の戦略会議。橋下市長は、ゆとりとみどり振興局の府咲洲庁舎への移転を指示した。名称変更にも言及し、「人、モノ、金を呼び込む部署なのに、『ゆとりとみどり』ではのんきな感じ。(都になれば)どうせ一緒になるから府と同じでいいのでは」と語った。

 ゆとりとみどり振興局は文化、スポーツ、緑化施策を推進し、都市の魅力を創出することが業務。現在は、同市福島区の中央卸売市場本場業務管理棟にある。橋下市長は観光・文化行政を成長戦略部門と位置づけ、府市合同で戦略を練る狙いだ。

 府市統合本部の設置後、橋下市長は週1回は府咲洲庁舎での執務を予定。事務の進行状況について、松井一郎府知事と共に職員から説明を受けるという。

 23日に始まった戦略会議は、市の計25部局の主要事業を▽府市統合本部▽24区長でつくる「区長会議」▽市の改革プロジェクトチーム--に仕分けし、24日終了した。今回の結果を基に、都構想実現に向けた広域行政の一元化や市の事業のスリム化、区政の充実強化の検討が本格的にスタートする。橋下市長は「これから区長が決定権者、市役所が補助機関という統治機構に変えていきたい」と述べた。【津久井達、原田啓之】

毎日新聞 12月25日(日)10時19分配信

<大阪市>事業380件原則凍結 1億円超ゼロベース見直し


 大阪市は24日の戦略会議で、12年度予算編成と市政改革の方針を決めた。この中で1億円以上の全事務事業費2932億円(国の法定受託事務など除く)を、ゼロベースで見直すことを決定。団体への補助金や市民サービスへの支出も含まれ、来年2月にまとめる12年度予算案(暫定予算)では、こうした費用を原則、凍結するとしている。橋下徹市長は見直しにより財源を生み出し、中学生以下の医療費無償化など市長選の公約に掲げた政策を実現させる考えだ。

 今年度、市の予算で1億円以上を計上した事業は、生活保護に伴う扶助費など市の裁量で事業費を削減できないものを除き、約380件。見直しの対象は、市が自由に使える一般財源総額5056億円の58%を占める。中には、敬老優待乗車証(敬老パス)交付事業(86億5800万円)や新婚世帯向け家賃補助制度(43億5600万円)などが含まれる。

 市政改革室長がリーダーを務める「改革プロジェクトチーム(PT)」が来年3月から見直し作業を始め、6月に改革案をとりまとめる予定。橋下市長は改革案を受けて本予算をまとめる。ただし、市財政局は「市民生活に影響が懸念されるものは例外的に暫定予算に計上する」との方針を示している。

 また、戦略会議では、職員人件費を大阪府並みに削減することも決めた。府は一般職員の給与を3~14%カットしており、市のカット率(現行2.4~5%)もこれにあわせるほか、期末手当も府並みの4~6%カットするとみられる。橋下市長は職員の総人件費の2割カットを念頭に削減幅を検討するよう指示していたが、「予算が組めるなら、カットありきではない」との考えも示した。【小林慎、林由紀子】

毎日新聞 12月25日(日)10時15分配信

橋下市長「人事権を直轄行使」、人事室創設へ



 大阪市の橋下徹市長は24日、市政改革を協議する戦略会議で、市長直轄組織の「人事室」(仮称)を創設することを決めた。
 市長が人事権を行使する姿勢をアピールし、改革への求心力を高める狙い。2012年度の当初予算案は最低限の費用だけ計上した骨格予算とし、事業の見直しを進めて8月から本格予算を組む方針も決め、2日間にわたった会議を終えた。
 人事室については、橋下市長は「役所を動かす要」と位置づけた。従来は職員の人事編成は総務局が担ってきたが、橋下市長は会議終了後、「組織は予算と人事権で動いている」とした上で、「人事権を直轄で行使する。力がないと権力機構は変わらない」と述べた。市政改革の主要ポストである大都市制度改革監や市政改革室長、区長の意向を人事に反映させる考えも示した。
(2011年12月25日13時00分 読売新聞)
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 「玉津氏、議事録改ざん」はでっちあげかも





 「玉津氏、議事録改ざん」という大きい見出しがあり、「関係者によると、玉津氏は『自分の意図と異なる』として、発言の修正を職員に指示した」と書いてある。こう書いてあるのだから、記者はちゃんと取材をした上で書いただろう思うのが当然である。ところが玉津氏は、「まったくの事実無根」と延べ、「会議録の文字起こしを担当した者は一生懸命聞き取り、一言一句、そのまま記載したものだと理解している」と答えている。
 よく考えてみると、テープから起こした議事録はいくつもあり、こまごまとしたことを玉津氏が覚えているはずがない。もし、玉津氏が改ざんしたとすると玉津氏はすべての議事録をチェックし、「全部をみれないでしょう」の部分を見つけ、「全部を見れないということであれば・・・」に改ざんするように指示したことになる。
 問題は玉津教育長にテープと議事録を細かくチェックする時間的な余裕があるかということだ。教育長にそんな暇はないだろう。玉津教育長にテープと議事録を細かくチェックしたとは考えられない。

 玉津教育長が改ざんを指示したと仮定した場合を検討してみよう。もし玉津教育長が改ざんを指示するならば、秘密を漏らさないと信用できる人物に指示するだろう。情報が漏れれば、誰が洩らしたかはすぐにわかるはずだ。洩らした人物は玉津教育長の信頼を失い左遷させられる。改ざんを指示したことを簡単に記者に漏らすようなことはない。

「玉津氏、議事録改ざん」の信憑性はどうもあやしい。
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「琉球処分」は嘘の歴史論







 廃藩置県を琉球処分であったと主張する政治家・知識人は琉球王朝時代は中国との貿易で栄え平和で豊かであったと主張する。しかし、豊かであったのは武士家の中の5%の身分の高い370家の士族で、で身分の低い95%の7000家の武士は貧しかった。全人口の95%を占める農民や漁民はなお貧しかった。
 琉球の中でももっとも貧しい生活を送っていたのが宮古・八重山だった。宮古・八重山はともと琉球王朝の領土ではなかった。琉球を統一した後に琉球王朝が八重山と宮古に軍隊を送り植民地にした。だから、沖縄本島の農民よりも宮古・八重山は過酷な税を強いられ搾取されていた。過酷な税が人頭税である。

 明治時代になっても琉球王朝の氏族は人頭税を継続し、不当な搾取を続けていたのだ。「宮古の農業を発展させるには、人頭税を廃止させるのが先だ」と城間正安と中村十作は「人頭税廃止運動」を始めた。「人頭税廃止運動」を弾圧したのが島役所や県庁を牛耳っていた琉球王朝の士族たちであった。
正安たちは士族の妨害を乗り越えて本土の新聞社や知識人、国会議員に訴え、人頭税廃止の要求書を内務大臣に渡すことができ、1895年、第八回帝国議会で「沖縄県政改革建議案」が可決されて1903年に人頭税は廃止された。

 琉球王朝が人頭税をつくり明治時代になっても琉球王朝の士族は存続をさせようとした。琉球王朝が続いている限り人頭税は存続していたのだ。明治政府の日本国民は四民平等であるという政治姿勢があったから「人頭税」は廃止された。

 琉球王朝時代で、豊かであったのは武士家の中の5%の身分の高い370家の士族だけで、身分の低い95%の7000家の武士は貧しかったことやや今回のブログに書いてある人頭税の話は、琉球新報の小学生向けの記事から引用している。小学生向けの歴史でさえ琉球王朝時代は極一部の士族だけが豊かであり、多くの人たちは貧しかったと述べている。

 それなのに廃藩置県を琉球処分だと主張する革新政治家や知識人は、琉球王朝時代は平和で豊かであったと言い、琉球処分で沖縄は不幸になったと主張するのだ。小学生用の歴史とさえ違う解釈をする「琉球処分論」はまやかしの理論であり、嘘の歴史論である。
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肩すぼめミーのところへ秋の風・九百八十~九百八十二句

九百八十句





九百八十一句





九百八十二句





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