生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

パウロのように

2009-08-12 21:27:44 | エッセイ
 
明日から息子一家と旅行に出かけます。先日震度6の地震があった静岡へ。
地震のことは心配していませんが、道路の渋滞を案じています。トイレの近いわたしは今日の午後から水分を控えています。

関東地方、天気はようやく回復してきたので感謝です。熱中症にならないように気をつけなくてはと思っています。

今年の5月にJCPの研修会、グリーン・ジョイフルが茨城県潮来で行われました。そのときに「わたしと聖書の人々」というテーマで提出したエッセイを紹介します。

 パウロのように

 中心聖句 わたしの恵みは、あなたに十分である。(Ⅱコリント十二:9)

 
パウロがダマスコの近くで主と出会った体験は、何度読んでも心を揺さぶられます。パウロの改心は衝撃的です。キリスト者を迫害していた人がキリストを伝える大伝道者になったわけですから、まさに百八十度の転換です。
これほどドラマチックではありませんが、わたしにも何度か大転換が起きました。パウロ的体験です。

一回目の「パウロ的体験」は二十二歳のときです。夢と希望を抱いて幼稚園に就職したのですが、そこは思い描いていたような保育の場ではありませんでした。自分の無力さを実感し、いいようもないむなしさに襲われていました。

そんなとき、ふと手にした本が三浦綾子の「明後日の風」でした。文章に惹かれて同じ作者の「積み木の箱」を読み、目からうろこが落ちました。
教師である主人公の悠二が罪に気づく場面を読んで『わたしは間違っていた』と思ったのです。いままで、母親や友達とよく議論をしましたが、口で負かされても、いつも自分は正しいと思っていました。また、不都合なことがあるとすべて人のせいにし、人を裁いていました。そのことが罪なのだと気づかされ、『この罪をこのままにしておけない』と思い、教会へ通うようになったのです。
 
わたしは重い小児喘息で、三歳のころからよく発作を起こしていました。高校生の時、漢方薬で一時的に治ったのですが、結婚して出産後再び喘息の発作が起こるようになりました。

そのときすでにクリスチャンでしたが「神様、なぜわたしをまた喘息にしたのですか。何が何でも喘息を治して下さい。喘息の発作が起きたら、奉仕もできませんし、神様をほめたたえることなんてできませんから」と祈っていました。喘息にした神様に対する怒りのこもった祈りでした。

パウロは『肉体に一つのとげを与えられ』と書いています。とげを去らせて下さいと三度も祈ったのに「わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と主が言われたというのです。

わたしは「喘息を治して下さい」と三度どころか三百回ぐらい祈っていたのですが、この箇所を読んだとき、はっとしました。

パウロのとげは片頭痛だったか眼病だったかわかりませんが、かなり辛かったのだと思います。それでもパウロは主からそう言われて病を受け入れました。

パウロのようにとげが与えられたのは『何故』ではなく、『何のために』と考える者になりたい。「高ぶるこのないように……」と書けるほどの信仰を持ちたいと思い、祈りはじめました。すると、喘息を少しずつ受け入れられるようになってきました。完全に受け入れたとき、不思議に重い発作は起こらなくなっていました。これが「パウロ的体験」の二回目です。

その後、神様は喘息より大変な乳癌というとげを与えて下さいましたが、乳癌は受け入れるまでにそれほど時間がかかりませんでした。

「わたしの恵みは、あなたに十分である」というパウロの書いた神様のみ言葉がわたしの中に根付いていたからかもしれません。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
恵み (J.J)
2009-08-12 21:42:52
こんにちは
これから聖書を読みますね。
ありがとうございました。
楽しくお過ごしください。
いってらっしゃい。
返信する
J.Jさんへ (文香)
2009-08-15 17:49:16
ありがとうございます。

昨夜、無事帰ってきました。

後ほど旅の出来事を書きますね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。