生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

逆転の真理

2009-08-07 12:33:12 | 聖書から
 
ひとつの小説を書きあげて自分の力不足、弱さを嘆き、落ち込んでいました。
そんなとき、 「『弱い者ほど強い』とはどういうことなのか?」と聞かれました。
『弱い者ほど強い』というテーマで作品を書いて、それを読んだ人からの質問でした。
質問に答えているうちに自分自身が励まされました。

 
「弱さ」をマイナスだと感じている人が多いですね。
『弱さをみせたら負け。弱点を克服するために修行し、努力する。弱点を人に知られないようにひたすら隠し、自分も目をつぶる。』
と考えている人が多いのではありませんか?

競争社会では、人を蹴落としてでも勝たなければならない。そのためには弱さがあってはいけないのだと教えられます。

弱さとは何でしょうか? 身体の弱さ、気の弱さ、意志の弱さ・・・いろいろあると思いますが、弱さがあってはいけないのでしょうか。それは恥なのでしょうか。
わたしは、色々な面において自分が弱いことを知っていますが、認めたくありませんでした。弱いことは恥ずかしいことだと思って、病気(喘息)のことも気の弱いことも、意志の弱いことも隠してきました。(隠しても隠しきれませんでしたが・・・)

でも、聖書の中にすすんで自分の弱さを誇っている人がいるのを知って驚きました。それは、パウロです。
聖書には 「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)」と書かれています。

パウロがそう書けたのは、自分の弱さを認めたからです。弱くて自分の力ではどうにもなりませんと降参したからです。

弱くて自分の力が不足しているので、神様に不足分を満たして下さいと訴え、神様が満たして下さることを信じたからです。

10の力が必要な時、自分の力が1しかなくても、神様が足りない分を下さるから大丈夫なのです。それどころか神様は十二分の力を下さるので10の力を持っている強い人より大きいことをなし得るのです。弱い方が強いという逆転の真理ですね。

 
イエス・キリストの生涯を思うと、これこそ逆転の真理です。
イエス・キリストは、かっこいいヒーローのようではありませんでした。みすぼらしく、見栄えが悪く、弱々しくみえました。
イエス様は全く無抵抗に十字架につけられ、殺されてしまいます。悲惨な結末を見た弟子たちは絶望したことでしょう。でも、3日目に復活したことから逆転劇が始まります。
イエス・キリストの道こそが救いの道につながっていることの逆転です。

 
弱いところがあってもいいではありませんか。むしろ、弱さを感じれば感じるほど強くしていただけるのですから・・・わたしも弱さを隠しません。
そして弱さのうちに働かれる神様の力に期待します。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (希望の風)
2009-08-07 13:08:30
私は今落ち込んでいます。

自分の年齢を考え、過去を振り返ると、何してきたんだと、たいしたこともできないで人生無駄使いしてきたみたいで、果たして主の御心にかなっていたのだろうかなどと。主はもっと違うことを私にさせたかったのではないか、それを、わがまま通してきてしまったのではないかと。

気がつくことは、自分の弱さを本当のところで受け入れていない、自分の人生の評価をdoingから見ているのです。

かっこいい、見栄えのする、いわゆる強さを輝かしていたいなんて、そんな欲望が心の底にうごめいている。それがかなわなくて、落ち込んでいるという図式です。

もっともっと己に死んで十字架に生きねばと思います。生かされていることの前にひれ伏さねばと思います。イエス・キリストを喜ぶことこそ初めであり終わりである真理に生きねばと思い直しています。

返信する
弱さを誇る (J.J)
2009-08-07 16:54:05
こんにちは
己をむなしくして
大いなる方の力が発揮されますように
返信する
希望の風さんへ (文香)
2009-08-07 17:02:52
自分の視点から自分を見つめると落ち込みます。

みじめで弱い自分、何もなしえない自分であっても神様の視点からみると尊い者とみなしてくださるのですから、逆転に感謝ですね。

わたしも〈イエス・キリストを喜ぶことこそ初めであり終わりである真理〉に生かされたいと思います。
返信する
J.Jさんへ (文香)
2009-08-07 17:10:34
J.Jさんのコメントをみて、
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マタイ16:24) の御言葉を思い出しました。ありがとうございます。

わたしは、己を捨てることができていなかったのかもしれません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。