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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

オーママとヒックン

2007-12-04 20:10:20 | 日記

母がヒックンと初対面しました。元気な母は10㎏近くあるヒックンを立ったまま抱いて歩いています。あとで腰にくるからと言ってもききません。元気なひいおばあちゃんです。ひいおばあちゃんではありません。オーママです。息子が生まれたときから母はオーママと呼ばれています。

ヒックンは今ようやく眠りました。9時になるとおじいちゃんが帰ってきてお風呂に入れてくれます。
 
ヒックンは先週血尿が出て病院へ行きました。膀胱炎でした。先週来たとき機嫌が悪かったのは、具合が悪かったからでしょう。心配して何度も祈りました。
薬を飲ませたら、すぐに治ったそうで本当によかったです。もうスイミング教室にも行って大丈夫だそうです。

今日のヒックンはご機嫌です。機嫌がいいときは元気な証拠です。早8か月になりました。伝い歩きもしています。赤ちゃんの成長は早いですね。


立ち上がらせてくれるお方は……

2007-12-03 12:11:52 | 日記

12月に入ったばかりなのに気ぜわしい日を過ごしています。
一昨日のはこぶねクラブは、新しい子供たちも来てくれて、祝されたクリスマス会になりました。昨日は教会学校(CS)クリスマス会の準備をしました。

今日はこれから母が来て泊まります。父が召されてから1年余りたちました。これまで何度か招いていたのですが、母もなかなか忙しく、来ることができませんでした。
ようやく、来られるようになりました。母とゆっくりしたよき時を過ごしたいです。

先日、インターネット放送でふくいんのなみの「ほほえみトーク」を聞いていたら、感動的な詩が朗読されたので、その詩を紹介します。
「YOU RAISE ME UP」
いうアイルランド人の作家ブレンダン・グラハムが書いた一編の詩です

あなたは 私を 立ち上がらせてくださる


落ち込んで 魂が疲れ果てた時
悩みに襲われ 心に重荷を負った時
私は静かにして ここでじっと待っています
あなたが来てしばらくそばにいてくださるまで
あなたは私を立ち上がらせてくださいます

だから私は山の上に立つことができます
あなたは私を立ち上がらせてくださいます
荒海の上を歩くことができるように
あなたが背負ってくださる時 私は強いのです
あなたは私を立ち上がらせてくださいます
今以上の私になれるまで
飢えることのない人生などない
休みなく打つ胸の鼓動はとても心もとない
でもあなたが来てくださって
素晴らしい驚きに満たされると
時々チラッと永遠を見たように思うのです
あなたは私を立ち上がらせてくださいます
だから私は山の上に立つことができます
あなたは私を立ち上がらせてくださいます
荒海の上を歩くことができるように
あなたが背負ってくださる時 私は強いのです
あなたは私を立ち上がらせてくださいます
今以上の私になれるまで
今以上の私になれるまで


*「あなた」というのは天地を造られた神さまです




昨日教会学校の礼拝の奏楽でひどく間違えてしまいました。何度も練習して、ちゃんと弾けていた曲なのですが、繰り返しがあって、途中でどこを弾いているのかわからなくなってしまったのです。歌詞を見ようとしたら目がかすんで見えません。もうパニックです。
途中で歌が止まり、最初から弾き直して何とか最後まで弾けましたが、いままで歌が止まってしまうほど間違えたことがなかったのでショックでした。
CSピアノ奏楽者は他に3人もいるのだから、もうやめた方がいいという囁きが心の中から聞こえてきます。がっくり気落ちしていたとき、この詩を思い出しました。
次の奏楽の時まで、主よ、立ち上がらせてください。




わたしの心を

2007-12-01 11:37:15 | 日記

昨日、お茶の水聖書学院(OBI)の課題3のリポートが仕上がって、ようやく提出できました。課題3をやるだけで3か月もかかってしまいました。今回の課題は21項目もあり、1項目につき(DVD講義を聴く時間を入れないで)1~2時間かかりました。

まだ課題4が残っています。これは20項目あります。今年中に終わらせる予定でしたが、おそらく無理でしょう。期限があるわけではないので、延長することにしました。
たくさんのことを教えられ、発見や感動がありましたが、その一部を後日書かせていただくことにします。


今日は午後から「はこぶねクラブ」のクリスマス会で、パネルシアターを持って出かけます。天気になって感謝しました。歩いて持っていくのは大変ですから。
何人くらい子供たちがやってくるでしょうか? 教会で今年初めてのクリスマス行事です。


昨日友人から嬉しいメールを戴きました。「クリスマスの赤い星」を読んで、とても暖かい気持ちになったと書かれていました。
コメントがないので、ブログを読んで下さる方々が童話を読んでがっかりしているのではないか?と思いつつ掲載していたので、大いに励まされました。感謝。

この童話を書くきっかけとなった歌When I Kneel at the Manger Tonightの歌詞を紹介します。
     

What Can I Him ?


かいばおけのイエスさまに
ささげるものは
なにもないのです
わたしのこの心のほかは

かいばおけの王さまに
ささげるものは
なにもないのです
わたしのこの心のほかは

もしぼくが羊飼いならば
子羊をおささげできるのに

もしわたしがお姫さまならば
金の指輪をおささげできるにのに

かいばおけのイエスさまを
おいわいする
わたしの小さな心を
どうぞお受け下さい


明日からアドベント(待降節)に入りますが、この詩を読むと、自分がイエスさまがお生まれになった時の馬小屋にいるような気がします。家畜や、干し草のにおい。心地悪そうな飼い葉桶のベッド。寒くて、暗くて、赤ん坊が誕生するのにふさわしいところだとはとても思えません。
でも、ヨセフとマリヤはその晩、馬小屋に泊まらずおえなかったのです。宿屋は人であふれ、彼らの居場所がなかったからです。

なぜイエスさまがこのような最も貧しいところに生まれて下さったのか不思議です。
イエスさまは天と地を造られた神さまのひとり子です。罪のため、滅びの道をましっぐらに進んでいる人類を救う唯一のお方(メシア)です。
この世界の真の王であるイエスさまが、なぜこのようなところに生まれたのでしょう。

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 (Ⅱコリント8:9)

と書かれているように、それはわたしたちのためだったのです。


かいばおけに寝ているイエスさまをこの目で見たなら、どんな気持ちになるでしょう?
何かプレゼントをしたいのですが、あいにく何も持っていません。何をささげたらいいのでしょう。そのとき、この心をささげたいと思いました。罪ある汚れた心でしたが、イエスさまによって清くしていただけたのです。イエスさま、この心を、どうぞお受け下さい。

わたしの心をイエスさまは喜んで下さったでしょうか。

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