宣教師の先生から送られてきた世界のクリスマスの写真を戴いたので、何回か続けてアップします。今日の写真はニューヨークから。
The Christmas Tree in Rockefeller Plaza, New York City
教会学校のクリスマス祝会で、子供たちが心から賛美しているのを見て感動しました。「イエスさまに心をプレゼントする気持ちで賛美したら、イエスさまは喜んで下さるよ」と話したら、その言葉をそのまま素直に受け止めてくれたのです。
昨日の礼拝はイザヤ書7章からのメッセージでした。イザヤ書は、イエス・キリストが生まれる800年前に書かれたものです。その中には、降誕の預言が書かれています。
それゆえ、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと名づける。(イザヤ書7:14)
*インマヌエルというのは神がわたしたちと共におられるという意味です。
この聖書の言葉は有名ですが、どのような状況の時に語られたのか考えると、およそふさわしくない気がします。
そのころ、イスラエルは国が2つに分断されていました。ひとつは北イスラエル王国、もうひとつは南ユダ王国です。両国は対立していました。北イスラエルは近隣の国アラム、モアブなどと手を組み、ユダを滅ぼそうとしていました。
北イスラエルの王ペカがアラムの王レツィンと組んで南ユダを攻めましたが、攻め落とすことができないでいました。そのとき、南ユダの王アハズの心も民の心も木々が風で揺らぐように動揺した(7:2)そうです。エフライム(北イスラエルの別称)にアラムが加担したなら、勝つことは不可能だと思ってしまったのです。
そのようなときイザヤが、ユダの王アハブに向かって「恐れてはなりません。これらは燃えさしの木のようだから」と言い、さらに「しるしを求めなさい」と言いました。
ところがアハブは「わたしは求めません。主を試みません」と答えます。それは『イザヤの言うことが信じられない。ほおっておいて下さい』という意味です。
それに対して、イザヤはしるしを与えるといって
見よ、処女がみごもっている。……と言ったのです。
このとき神さまがされた処女降誕の約束を告げますが、実現するのは800年も後のことです。神さまの時間概念は、人間のものとは違うことを知らされます。
アハズ王にしてみれば、最大の敵の前にあって無力さを感じ、勝てると言われてもその根拠がないので信じられません。しかし、イザヤは勝てる根拠として処女降誕のことを語ります。
処女がみごもるということは、どう考えてもありえないことで、人には不可能なことです。でも、全知全能の神さまなら可能です。処女降誕を可能にできる神さまが、ユダ王国を勝利させることができないはずがないというわけです。
わたしは、このことを聞いて心がストンと納まるところに納まったという気がしました。今まで、処女降誕の預言が唐突だったので、そのことが不思議でならなかったのです。
「わたしたちは皆、アハズのような存在です」と牧師先生は言われました。敵に囲まれて生きているようなものです。浦和レッツのように無力で勝利の可能性がないところにいますが、神さまが勝利に導いて下さるのです。
どんなに挫折を味わっても、絶望的な苦しみの中にいても、不可能を可能にされる神さまが必ず助け出して下さるのだと知って深く感謝しました。